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2008.03.09

土方巽・生誕80年記念  HOMAGE TO HIJIKATA vol.1 舞踏・新研究フォーラム2008

057thijikata1〈舞踏公演〉 「淵舞い」
小林嵯峨(舞踏)
石川雷太:Erehwon(音楽)
アイカワ・マサアキ(照明)             
〈鼎談)「60年代から70年代への土方舞踏の転換のことなど」
細江英公(写真家)
森下隆(土方巽アーカイヴ・NPO舞踏創造資源)
小林嵯峨(舞踏家)
ナビゲーター 河村悟(詩人)

 今日は土方巽の80回目の誕生日。目黒の東京都庭園美術館で行われたイベントに夫婦で行ってきました。
 細江英公さんによる土方巽を被写体とした傑作写真集「鎌鼬」にまつわる不思議な縁を持った(持っていた)私たちは、非常に楽しみにしていました。
 第1部は、土方のお弟子さんであり、今や舞踏界の重鎮でもある小林嵯峨さんの舞踏公演「淵舞い」が披露されました。
 私は生で舞踏に接するのは実のところ初めてです。自分がそれらしいことをしたことはありますが…昨日もある意味したのかな(笑)。
 平らな会場にぎっしりの観客、私は最後列でもあり、彼女の姿はほとんど見えませんでした。周りのお客さんたちも、あちこち頭を動かしたり、腰を浮かせたり、瞬間立ち上がったり、席を離れて見える位置に移ったり、あるいはブツブツ漏らしたり、しまいには寝始めたり。これは非常に面白かった。
 最後列からそうした会場を見ますとね、みんな舞踏してるんですよ。みんな嵯峨さんの姿を見たい、でも見えない、かと言って立ち上がると後ろの人に迷惑。この不自由さ。みんな足がちゃんとあるのに、しかし全く機能しないという演劇的不具性。
 嵯峨さんという「ヒト」と、椅子という「モノ」と、ある種社会性という「コト」に、みんな縛られて全く自由に動けない、生きられない。それを意識したのかどうかはわかりませんが、私はこの舞台は大成功だと思って見ていました。いや、見ていたのではないですね。感じていたんだと思います。見えないんですから、もう「目」を捨てるしかないじゃないですか。なるほどこれが「暗黒」か!私にとっての「暗黒」が「明白」になった瞬間でした。
 のちの鼎談の中で、詩人の河村悟さんがおっしゃってましたが、見えないところに見えてくる「モノ」というのがあると思います。その鼎談の中で提示されたテーゼ「舞踏家の目はどこにあるのか」ということ、その答はそんなところにあるのではないでしょうか。それは質問ではなく反語的な表現であり、土方は「舞踏家に目はいらない」ということを言おうとしたのでは。「目」すなわち「視覚」こそ、西洋的価値世界(私の言うところの「コト」文明)の最も重要な入り口であり、それは私たちの「土俗(モノ)性」からすると、最も邪魔な器官であるはずです。
 垣間見する自分と、その対象と、その空間や時間における生命力。それはまさに「目(視覚)」を頼れないところに生じる想像力や想像力であったと思います。とっても卑近なイメージでたとえますと、ケータイを忘れた時の現代人の不安ですよ。あの物狂おしさと、それを超えた時によみがえる妄想力。
 さて、それでもちらっと見える、あるいは影としてのみ見える嵯峨さんの舞踏自体ですが、それもまた不自由の中の自由を感じさせるものでした。西洋のダンス(舞踊)は、自らの体をコントロールすることによっていかに重力に逆らうかということを一つのテーマにしています。しかし舞踏は違います。まさに「踊」ではなく「踏」ですね。重力から永遠に逃れられない「体」、特に「足」が大地を踏む。踏むという行為は重力に逆らうのではなく、その逆、重力に加担するわけです。植物が根を張るように奥へ奥へ、中心へ中心へと重力をたどっていきます。そうして身動きできない自分が創出されていく。
14081274 鼎談を聞きながら感じたこととも通底します。そう、土方や舞踏を「言葉」にすることの難しさ。「言葉」という文明的暴力的な道具で概念化しよう、飛翔しようとしても、なかなかそれは能わない。根付いたものをむしり取れば、それは単なる生け花にしかなりません。生け花の価値は認めます。しかし、土方や舞踏は生け花には成り得ません。抵抗します。河村さんは詩人さんですから、その矛盾に大変苦しんでおられた。詩というのはそういうふうに元来暴力的で残酷なものです。
 そうしますと、土方巽の創造行為というのは、「体」による「体」の限界の表現、「言葉」による「言葉」の限界の表現、「命」による「命」の限界の表現ということもできるかもしれません。そして、それぞれの「限界」を表現することによって、自己の体や言葉や命の背後に、もっともっと豊かな何かが存在することを証明していく、そうした行為だと言えないでしょうか。限界が無限の広がりを示すのです。不自由によって獲得する自由。
 土方巽の命日のちなんでという記事にも書きましたとおり、彼の舞踏というか彼の存在自体が、意識以前の「モノ」であり、それはすなわち、西洋的な「コト」文明へのアンチテーゼであったと。彼と同郷のカミさんに言わせれば、それは非日常でもなんでもなく、極日常なんだそうです。暗黒や恐怖や秘め事や物の怪の方が日常であり、西洋文明的な我々現代人の日常こそが実は非日常であると。なるほど。
 まあ、こんなようなことを私の小さな脳ミソは感じたり考えたりしまして、「何か(モノ)」に対する受信機が非常に活性化いたしました。細江さんが、会場に土方の霊が来ているというようなことをおっしゃってましたけれど、私も実はそれを感じてずっと鳥肌を立てておりました。
 さてさて、ひと通りプログラムが終了したのち、レセプションとなりました。私たち夫婦は全くの門外漢でありながら、得意の突撃力を発揮いたしまして、いろいな方とお話させていただきました。
 まずは、土方巽 絶後の身体の著者であられる稲田奈緒美さんをつかまえて、秋田と土方を囲む人たちについて少し。
Hosoe 続きまして、憧れの細江英公さんに突撃。「鎌鼬」と田代にまつわる貴重なお話をいただきました。西馬音内盆踊りにおけるリズムに乗らない「自由」の話は、音楽に携わる私としては非常に興味深かった。そして、我々に一つの使命を与えてくださったので、ぜひともしっかり実行してきたいと思います。カミさんは細江さんとツーショット写真まで撮ってご満悦。う〜ん、世界的な写真家を被写体にカメラを構えるというのも妙に緊張するものだなあ(笑)。やたら手ブレしてます。
 そして、カミさんの痛い腐女子ぶりに呆れてしまったんですけど、なんと彼女、小林嵯峨さんに突撃して、自らの「モノノケ性(動物性)」について語っちゃってました。なんだかけっこう盛り上がっていて、私の入る余地は全くありません。しまいにはカミさん、舞踏のカリスマの前で、なんちゃって舞踏をやり始めちゃったんですよ!あえません。調子乗るなっつうの!嵯峨さん引いてましたよ。口では「うまい、うまい」って言ってくれましたが(笑)。全く恐いもの知らずというか、神をも畏れぬというか…ある意味大したもんです。やっぱ物の怪なのかも(笑)。
 ま、それはいいとして(あまりよくないが)、非常に充実した時間を過ごさせていただきました。この経験と思索をもとに、月末に「鎌鼬の里」を訪れます。今後、これがどう発展していくのか、楽しみであります。

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コメント

御挨拶無しで御無礼いたします。
十分前まで・・・昨日の地元紙
の切り抜きをいたしておりました。
いつものように・・・「不二草紙」
様の画面上へ・・・休息に。笑
記事は・・・
「梁木靖弘 九州大谷短大教授」様が
「土方巽 絶後の身体」についての書評でした。
今 手元にあります。
いやぁぁぁぁ・・偶然ですね。
書評の記事によりますと・・・
1973年以降 舞台に立たれていないそうですね。
何故なのでしょうか?。
1986年に57歳の若さで旅立たれておられる。
うぅぅぅぅん。
赤塚先生の「ウンコールワット」が・・・
1973年前後だったか・・・・笑
その後 面白い漫画には出合っていない。
あの頃といえば・・・愚僧では
「大正テレビ寄席」・・・
「素浪人花山大吉の再放送」
「トムとジェリーの再放送」
「仮面ライダーカード」
「がきデカ」・・・・笑
1970年代中頃は確かに 愚僧には刺激的でした。
それ以降 閉塞的な時代が続いているのでしょうか?。
うぅぅぅぅん。確かに・・・最近は
「つまらない時代」ではあります。苦笑
そうですねぇぇぇ・・・
「1960年代」に御活躍なされた
「土方巽」様にとっては・・・現代の
有様は随分と「つまらなく」感じて
おられることと存じます。合唱おじさん 拝
 

投稿: 合唱おじさん | 2008.03.10 09:32

以前、立川市に住んでいましたが町でだす月刊冊子の表紙の写真は細江英公のものでした。毎月楽しみでした。

投稿: 龍川順 | 2008.03.10 10:19

観客が皆ミーアキャットの群れのようになり・・。
これも舞踏の成せる業なのかも知れませんね! !
一言で言うと、昨日は楽しかった。
これからしっかり勉強したいと思います^^;

投稿: 庵主セコンド | 2008.03.10 15:01

合唱おじさんさま、お久しぶりです。
いやあ、偶然といいますか、びっくりですね。
私もひょんなことから土方巽との縁ができまして、
偶然というのは、やはり必然なのかなあなどと考えております。
本当に現代というのは「つまらない」時代ですね。
型にはまり過ぎと言いますか、がきデカに象徴されるような
カオスというかエロティシズムというか
そういうものが欠如していますね。
残念至極であります。

龍川さん、どうもです。
そう、今回の私たちの土方巽騒動(?)は、
元はと言えば龍川さんの書き込みに土方の名前があったからなんですよ。
あれでふと思い出してすぐに検索したんです。
タイミングといい、それこそ必然だったような気がします。
ありがとうございました!
ところで、細江さんが表紙ですか。立川もやりますね。
彼の写真はすごいですね。単なる切り取りではありせまんね。
お人柄も魅力的でした。
とっても素朴で優しい物の怪さんでした。

セコンドよ!
ミーアキャットとは言い得て妙ですな。
しかしそれ以上にあの場で究極の舞踏を見せちゃうとは…
あんたはいったい…ミーアキャットたちもさすがに固まってたよ。
もしかして土方が降りてきたんじゃないの?
いや、実際血がつながってるかもしれないし…なんてね。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.03.11 05:16

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