『鎌鼬』 巡礼の旅 その2 (高橋市之助さん宅訪問)
昨日の奇跡的な米山家訪問に続きまして、今日は『鎌鼬』の重要な被写体の一人であり「鎌鼬の里」の代表的人物である高橋市之助さんのお宅を訪問することができました。まずは市之助さんご夫妻に心からお礼申し上げます。
以前書きましたように、「鎌鼬」の多くの写真が、私の義母の実家の前の田や道で撮影されたものでした。そんな、私にとっての衝撃的な事実を知ってからは、この写真集の(土方巽に対する)もう一方の主人公たち、すなわち撮影地である羽後町田代の皆さん…その純朴な笑顔たちは今や世界的に有名だと思います…にお会いしていろいろとお話を聞きたいと思っていました。それが今日実現したのです。
なにしろ家内のお母さんの実家付近の出来事ですからね、家内のお母さんはこの写真集を見るや、この人は○○さん、この人は○○さんのお嫁さん、この子は○○さんの娘…なんていう具合に名前がほとんど言えちゃう(!)。義父も当時田代の農協にお勤めでしたので、ほとんどが見知った人たち。やはり名前やその後のことまでどんどん語っていきます。もう、その時点で私は「あららら…」という感じだったんですね。
今まで芸術作品として、それも世界に誇る最高傑作として認識していた物が、突然生活感を帯びるわけでして、最初はなんとなく拍子抜けというか、頭の中でうまく処理しきれないというか、そんな感じだったんですね。そして、さらに実際の登場人物にお会いするわけでして…もう、正直何が何だかわかりません。昨日は昨日だし。人生何が起きるかわからない。冷静になれ、自分。
今日の訪問にあたっても、多くの人たちとのご縁に感謝しなければなりませんね。特に今回直接仲介役をしてくれた家内の祖母。祖母は何しろ、この写真集に登場している、あの土方神輿(?)の写真で傘をさしている女性と、お隣同士の茶飲み友達なわけですから…。そして、そのお隣のおばあちゃんの旦那さんが、高橋市之助さんだというわけです。
市之助さん、この写真では左から2番目で笑っている方です。奥さんは子どもの足もとで笑っておられる。
まずは、家内の母方の実家に車をとめ、ひと通り挨拶をいたしまして、さあ祖母を伴って私と家内、市之助さん宅を訪問です。私は初対面、家内も本当に久しぶりということで、最初は緊張気味でしたが、なにしろ、明るく機知に富む祖母のおかげでいろいろと話がスムーズに進みます。ありがたや。ありがたや。
91歳になられた市之助さん、足腰は弱ったとおっしゃっていましたが、しかし、大変に肌のつやや血色もよくお元気な様子。この前「鎌鼬」のカメラマン細江英公さんとお会いした時、「市之助さんは元気かなあ」と心配されておりましたので、さっそくお伝えせねば。
逆に細江さんからのメッセージを市之助さんに伝え、そこからいろいろと話が弾み始めました。市之助さんは記憶も非常に確かで、まさに鎌鼬のごとくゲリラ的にやってきた土方と細江さんのこと、それを迎え入れた村人たちの様子、あるいは後日譚など、本当に詳しくいろいろとお話しくださいました。実際に写真集を観ながらの解説もまじえて、ずいぶんと長い時間おつきあいくださり、本当に感激です。
今まで知らなかったこともたくさんあり勉強になりました。しかし、やはり実際にその「場所」に立ち、その「人」たちの生きた言葉を聞くということは、本当に大きな意味のあることだと実感したのが一番大きい。
最初に芸術と生活のようなことを述べましたが、市之助さんのお話を聞き終わって、私は一つの大切なことに気づいたんです。当たり前なのに、ついつい忘れてしまいがちなこと、あるいはついつい意識的に分離してしまうことです。
それはまさに「芸術」といわれるモノと、「生活」というモノとの関係です。これは実は切っても切り離せない関係にあるはずです。当たり前と言えば当たり前ですが、生活なくして芸術は生まれませんし、実は芸術なくして生活はないのです。特に、市之助さんのような一種信仰的な生活をされている方の、その生活はほとんど芸術と一体のようなものです。何かを「信じる」ことによって、そこからもたらされる恵み。表現という「コト」から生まれる、生命力あふれる「モノ」という意味では、芸術も信仰的生活も全く同じです。
かの出口王仁三郎は「宗教は芸術の母」ではなく「芸術は宗教の母」と言いました。もちろん、ここで言う「芸術」も「宗教」も私たちの日常的スケールをはみ出したもののことを言っているんですが、もう少し身近なところで考えてみれば、「芸術は生活の母」とも言えるような気がします。もちろん生活があっての芸術という一面もありますから、やはり両者は共依存の関係にあるのではないでしょうか。
例えば「カネ」に対する信仰なんていう次元ではなく、農作業を通じて自然への畏怖や敬意を抱きながら、しかし結局自然を信じ祈り働くという、そういう健全な「生活」をするところに、自ずと「芸術」は生まれるのかもしれませんし、逆に「芸術」を解する心が、すなわち単なる経済的損得に陥らない正しい「生活」を生むのかもしれません。
土方巽と細江さんと市之助さんら農民たちの奇跡的な出会いは、機会としては奇跡的だったかもしれませんが、その不思議な縁が生み出した「鎌鼬」という芸術は、やはり生まれるべくして生まれたのだな、と今回の訪問で痛感したしだいです。
本当にお話を聞くことができて幸せでした。市之助さんらの生活を知ることによって、さらに「鎌鼬」という作品の本質が分かったような気がしました。ありがとうございました。
私はそんな感慨をもって、雪の降る「鎌鼬の里」田代をあとにしたのでした。
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