『鎌鼬』 巡礼の旅 その1 (土方巽生家訪問)
全く縁というのは不思議なものです。今回も想像外の有難いことがいろいろと…感謝、感謝です。
細江英公さんによる土方巽の写真集「鎌鼬」との想定外かつ劇的な再会を果たした私は今、大きな渦に呑み込まれている気分です。
今日はまた想定外の展開で、なんと、土方巽のベースとなっている場所の一つ、羽後町新成(にいなり)郡山の米山家本家を訪ねることとなりました。そして、米山家第16代当主の米山努さんにお会いし、貴重なお話をいろいろうかがわせていただきました。
昨日、秋田入りした私たち家族は、まず家内の生まれ育った羽後町軽井沢に立ち寄り、そこから新宅のある横手市十文字町へ向かったわけですが、その二つの場所をつなぐ途中には、ちょうど田代と新成という、土方にとって非常に重要な土地があります。
田代は言うまでもなく『鎌鼬』撮影場所。そして、私の家内の母親の実家がある所です。そして、新成は先ほど書いたように土方のルーツとも言うべき場所。土方巽は実際には現在の秋田市の生まれになるのですが、本人は「新成郡山の米山家で生まれた」と言い張っていたようで、奥さんである元藤燁子さんもそう信じていたとのこと。この事情に関してはのちほど少し書きたいと思います。
で、私たちは車の中から「郡山」の標識を見ながら、ああこの辺だねと話していたんです。その時には全く訪問などという大それたことは考えていませんでした。そして、十文字の実家に到着し、実際に「鎌鼬」を見ながら土方の話をしていたところ、義父が「そういえば、そこのかあさんは郡山から来たんだ」と言い出したんです。つまり実家の斜向かいのお宅のおばあさんが新成の郡山から嫁に来たということです。ちょっと話してみるということで、義父はわざわざそのお宅へ出向き、とりあえずの事情をお話ししてくれたんです。そうしたら、そのおばあさんの実家は、なんと土方の本家のこれまた斜向かいだと言うではありませんか。驚きました。そして、そして、その方がまた、なんと米山家に電話してくれるというのです。
と言いますか、長旅で疲れていた私が眠っているうちにそのへんの手続きが全て完了していて、その日の午後1時に米山家を訪問することになっていた(!)。なんということでしょう。私の意思のはるか上空、あるいは地底深くで何かが勝手に動いている感覚です。
そのような事情で、本当に突然ですが、米山家を訪ねることになりました(こんな簡単にコトが進んでいいのか?)。間を取り持ってくれた近所のおばあさんと、私と家内、そして家内の弟くんの4人で、午後1時少し前に郡山の部落に入りました。
米山家は新築間もないということで昔の趣はありませんでしたが、立派なお宅でした。まずは奥様に丁重に迎えられ、仏間にある土方のおじいさん(村長さんをされた方)の遺影などを見せていただいたりしているうちに、第16代当主米山努さんがお出ましになりました。
努さんは「土方巽関係…」と書かれた箱を二つ抱えていらして、そのフタをあけますと、新聞や雑誌の記事の切り抜きやコピー、あるいは写真などがぎっしり詰まっています。それらを見せていただきながら、本当にずいぶんと長い時間貴重なお話ををうかがうことができました。全く突然の訪問、それこそ「鎌鼬」的な突撃だったにも関わらず、本当にていねいに熱く熱く語っていただいて、もうもうひたすら感激するばかり。特に、実際に土方巽が努さんを訪ねてきた時の、何気ないがしかし心の交流を感じさせる二人の会話や、土方が裸馬に乗って周囲を驚かせたシーンの再現には思わず涙が。それを演じる努さんの姿に何か「土方的なモノ」を感じたのは、どうも私だけではなかったようです。
細かいお話の内容はここには書けませんが、しかし冒頭に書いた「土方自身は新成で生まれたと言っていた」という不思議な事実、その理由がよく解ったような気がしたということだけはここにはっきり書いておきたいと思います。
それは特に古い蔵の内部を見せていただいた時に強く感じました。そこには旧家らしいお宝がたくさん蔵されていまして、それは確かに「蔵」であったわけですが、しかし、そこは同時に子どもたちの遊び場であり、また土方の舞踏のベースになった空間でもあったのです。
暗闇に溶け込み、そして妖しい光を放つ、数々の「モノ」たち。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」ではありませんが、たしかにそこに立ち上がる「何か」があります。土方はこの蔵に入り、そして古文書や古文献やらを読み漁っていたと言います。暗黒の闇の中に差す一条の光。そこの闇と光、そしてモノの力に縛りつけられ時の経つのも忘れて無意識に身悶えする土方巽の姿。そこはまさに暗黒舞踏の舞台そのものでした。鳥肌が立ちました。
そのほか、土方と言えばスイカのイメージがありますけれど、新成はスイカの産地だというのも初めて知り、何か納得。また、土や農作業への憧れと、農家をやめて都会で商売を始めた父親に対する微妙な心理。土方の舞踏の内奥に潜む「何か」が、私にはいくつかはっきりしたような気がしました。
彼が、羽後町新成郡山上郡米山家の出身だということにこだわった理由は、その「何か」の中にあったのです。私はそう確信しました。よって、あえてこの記事の標題には「土方巽生家」という表現を使わせていただきました。
努さんの力説した「米山家350年の歴史」「江戸幕府よりも長い350年」…その時間、歴史、人々、土、雨、雪、陽光の堆積によって醸される「何か」。これは重く深い。そこに、土方巽、いや米山九日生は自分のルーツを置きたかったのでしょう。
別れ際に、奥様はこうおっしゃってくれました。「今まで、たくさんの大学の先生や、取材の人が来たが、今日が一番土方の偉大さがわかりました」。努さんも大変に喜んでくださいました。う〜ん、そんな畏れ多い。土方の本質的なすごさを再確認したのは私たちの方です。
全く自分たちの力だけではどうにもならないことが実現しました。本当にいろいろな方々のおかげです。そしてなんと言っても米山努さん、奥様、私たちの不躾な訪問を快く受け入れてくださり、そして素晴らしい時間を私たちに与えてくださり、本当にありがとうございました。
そして巡礼の旅はその2に続きます。もう一つ感動的な出会いが…(涙)
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