『失われた愛を求めて―吉井和哉自伝』 吉井和哉 (ロッキング・オン)
「全てを語る!父の死、結婚、母への想い、イエロー・モンキー解散、そして、ソロへ」
これは太宰治だ。天才のサガ、女。天才的な表現者とは、新たな生命を生み出す者であるから、それは当然の運命なのです。本能的に女を求める。それも次から次へと。しかし、それは「弱さ」の裏返し…。
万人に愛の歌を歌い、女を愛し、子どもを愛し、しかしそれらよりもなんといっても自分が愛おしい。その共存しがたいいくつもの「愛」に苦しみ、逃亡をはかる男。
「失われた愛を求めて」とはうまいことを言いましたね。天才ではないけれども同じ男として、これはちょっとずるいなと思いました。太宰もそうでした。「母の愛」を求めるということで正当化される非社会的な行為。それが許される才能。そう、彼はそれでも許される才能を持っているんです。音楽の才能とか、そういう次元ではなく、「許される」という才能を。
実はこの本はずいぶん前に読んでいたんです。カミさんも泣きながら読んでました。しかし、この「物語」に登場する一方の主人公たちを直接知る私たちとしては、こうして記事にすることは憚られました。あまりにリアルな内容であるから…いや、そうではありません。やはり文字にならない、言葉にならないものが多すぎるからです。かたやこうして好きなようにパブリッシュして、そこに一つのカタルシスとビジネスを得、かたやそういうことが許されない人たちがいるんです。それがどうも許せなかった。
しかし、さっき書いたように、やっぱり私の大好きな、そして尊敬する、男として惚れる「吉井和哉」は天才でした。太宰と同じようにやっぱり許される。やっぱり甘えさせてもらえる。そういう天才でした。私の彼へのジェラシーにも似た敬愛の情は、なるほど男としての憧れなのか。
そうなんです。やっぱり許されていたんです。私の怒りや落胆や同情は、結局杞憂だったようです。ある意味安心しました。もちろん、それこそパブリッシュされない様々な思いの末の決断であり、明るさであり、諦観なのでしょう。そこに甘えて、吉井和哉はまた許された。それも太宰と同じ、「告白」という手法によって。現実を「物語」に昇華してしまうことによって。それを確認して、私は記事に書いてもいいかなと思いました。ある意味、もう一人の主人公の勝ちだと思ったからです。
彼はある時に富士山麓に引っ越してきたわけですが、そこはまさに太宰治の棲む土地でした。こちらにも少し書きました「富嶽百景」の舞台、御坂峠は目と鼻の先です。私は彼がここに来たことに霊的な力を感じます。そういう観点で吉井さんを見る人はそんなにいないと思いますが、私は地元に住む者として、あるいは太宰を読む者として、本気でそんなことを思うんです。吉井さん自身はそのへんについて意識していたんでしょうか。いつか聞いてみたいところです。
それにしても、この本、一つの安心を得てから読み返してみますと、本当に太宰の自伝的小説なみに面白い。太宰も私の生活圏と重なるところがあって、そういう共感というか共鳴のようなものがあります。吉井さんはさらに私の人生とダブるところが多いんですよ。
彼の両親が出会ったところが、私の生まれた町、静岡県の焼津ですし、彼が幼少期を過ごした東京の十条は、私の恩人が住んでいたところで、ずいぶんと通いました。お父さんが亡くなったのち、彼が母親といっしょに引っ越したのが静岡市。その後私もちょうど静岡に引っ越しまして、まあ同じようなところで暗い青春時代を送っていたわけですね。静岡市のロック好きが行くところなんかかなり限られてますから、一度くらいは同じ空間にいたことがあるかもしれません。そして、今…「39108」に始まった不思議な縁は、これからどういうふうに動いて行くのか、それは分かりません。
この自伝の太宰的だと感じるもう一つの理由。これが聞き書き(インタヴューの書き起こし)だということです。ご存知のように、太宰のある時期の作品は口述筆記によって成ったものが多い。2番目の奥さん石原美知子さんが書き取りました。優れた聞き手、書き取り手との共同作業によって名作が誕生したわけです。吉井さんのこの自伝的小説(?)も渋谷陽一という優れた聞き手を介して生まれたものです。それをまた「甘え」と取ることもできますがね。
いずれにせよ、そうした他者への「甘え」や他者の「許し」をベースとして、優れた生命力溢れる魅惑的な作品を生み出し続ける吉井和哉という一人の天才がいて、そこから放たれるどす黒い光を身近で浴びることは(つまりプライベートを知るということは)、我々ファンにとっては辛いことでもあり、ある意味踏み絵的な体験を余儀なくされるものです。この自伝を読んでショックを受け、もうイエモンは聞かないと言い放つ人もいるでしょうし、音楽はいいが人間としては最低だと簡単に言ってしまう人もいるかもしれません。しかし、私は自らの太宰体験からも、そんなふうに吉井さんを突き放せないんですね。太宰がそうであるように、彼もまた「弱さを持ち続ける強さ」を持っており、いつまでも「自立した大人」になんかならない崇高さと純粋さを持っているわけですし、そんな彼の姿に自らの奥底に眠らせている非社会的な本能が共鳴するからです。だから、この本の衝撃というのは、プラスであってもマイナスであっても、結局は自らへの衝撃なのでした。
「失われた愛」…それは私たちが自らのどこかに幽閉した「自己愛」なのかもしれません。現代の太宰のこの名作、御一読をすすめます。
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楽天ブックス 失われた愛を求めて
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コメント
このブログ読んで『失われた~…』を読むことにしました。昨日から注文するか迷ってブラブラ見ているうちにココに辿り着いていました。読みます!
イエモンを聞き出したのは、ここ最近なのですが、もうホントに私の中での『どハマり!大ヒット!!』でした!
ずっと前から知ってたのに、どうして聞かなかったんだろう… 違う、今ようやく聞くべき時が来たんだな
あの心打つ歌の数々が、生まれるきっかけにもなった 『壮絶な生き様』と、いうのを私も読んでみます。どんなのが人のいう『壮絶』というものか、自分の半生と沿わせて考えてみます。
本の到着が待ち遠しい!!
投稿: オカダマコト | 2016.08.01 20:13