土方巽の命日にちなんで
今日は土方巽の命日です。1986年の今日、57歳で亡くなりました。
先日書きましたように、私と、というよりウチのカミさんと「鎌鼬」との濃い関係が発覚してからというもの、すっかり彼に取り憑かれたような気がしまして、それこそ心がおどろおどろしく踊っております。全く不思議としか言いようがありません。今は早く田代に行きたくて仕方ありません。
正直、今までは義母の実家に行くと言っても、まあご挨拶やら、またそこに住むカワイイ猫のミケちゃんに会いに行くというのが目的であって、自分にとってこのような意味があるなんて、夢にも思いませんでした(まあ、夢に出てきたとしても、とんでもない夢として片づけられちゃう内容ですがね)。
ちなみにウチのカミさんの生家は、その「鎌鼬の里」田代からさらに一つ峠を越えた軽井沢という山里です。その反対、田代から町の方へ、つまり横手盆地に方に峠を下ると、土方の生まれ故郷である新成に至ります。彼はどうして七曲峠を越えて田代に来たんでしょうね。親戚でもいて、遊びにいったことがあったのでしょうか。小さい子どもがちょっと遊びに行くというような距離ではありません。小学校に入る頃には秋田市に越していたようですから、友だちがいたとかも考えにくい。そのへんについては細江さんや田代の長老さんにうかがってみたいと思っています。
さて、実はセンター試験やら、自分の学校の入試の準備やらで忙しく、「鎌鼬」もしっかり鑑賞していないのですが、ちょっと思ったことを。
土方巽の存在自体、あるいは彼の「舞踏」というもの、またこの「鎌鼬」という写真集に漲るエネルギーとは何なのかといいますと、これはまさに「モノ」の生命力であると思います(いつも自分の「モノ・コト論」で片づけてしまって申し訳ありません)。西洋化とはまさに「コト化」そのものです。それに対するアンチテーゼであり、また逆襲でもあった土方。彼の名前は「巽」ですが、彼に内在するものは完全に「艮」でした。
東北…おとといの記事にも書きましたとおり、大物忌神社から「奥」は陸奥のまた奥であり、まさに物の怪の棲み処です。これはもちろん誉め言葉ですよ。憧れです。土方の舞踏や言語、いやその存在自体も縄文やアイヌのように、まさに大地に根ざした「モノ」です。彼は西洋的に「立つ」ところから始めるのではなく、「立てない」あるいは根を張って「動けない」ところから踊り始めます。本来「モノ」である身体をコントロール(コト化)するのではなく、そのモノの本質である外部性や不随意性を根拠に動きを生み出します。それがいわゆる「不具」への憧憬として言語化されたりもしてますね。
言語ということで言えば、土方や寺山修司、あるいは太宰治もそうですけれど、彼らの使う日本語は外国語なんです。彼らにとっては(ウチのカミさんにとっても)標準語は外国語です。彼らのあの魅力的な「日本語」は実は「不随意」や「不具」から生まれるものなんですね。「コトの葉」というより「モノの葉」。
私は残念ながら標準語が母語だというある意味不具者なんですが、彼らの「標準語」に魅力を感じるのは、それが彼らの「母語」のフィルターを通した「標準語」だからだと思っています。いや、違うな。「標準語」のフィルターを通した彼らの「母語」だからだ。少なくとも私の使う、私の知っている「標準語」とは明らかに違う。私の使う「標準語」はまさに作られた「コトの葉」であり、そこには「土」に根ざした命は感じられません。
で、もう一度話を元に戻しますと、「鎌鼬」、あれは「モノノケ」と「モノノケ」の出会いによって生まれたものすごい生命体なんです。土方巽という(芸術家ではなく)物の怪を、田代の物の怪たちが迎え入れた。繰り返しますが、物の怪という言葉に私は敬意をこめています。
あそこには「モノ」を受容する時の笑顔と驚きの表情が満ち溢れている。私はその表情こそ「もののあはれ」の形だと思うんです。「あはれ」を哀れと取れば暗い「嘆息」になりがちですが、「あはれ」には「天晴れ(あっぱれ)」という意味も含まれています。私も外部の者として、秋田の方々に受容されていることを身にしみて感じているので、あの農村で奇跡的な出会いがあり、そしてとんでもない「物」が創造されたことを理解できます。
でも例えば私のような「よそモノ」ではあのような奇跡は起こりません。また、単なる同じ村の住人どうしでもそういうことは起きませんね。同村の生まれでありながら、秋田市へ出て、そして東京へ出て、そして最後は世界に飛翔していく(いや根を張っていくかな)土方巽と、ある意味その「土」から逃れられない農民の方々との出会いだったから、ああいう物が生まれたんでしょうね。
言葉に限らず、土方の「存在」が(西洋的な意味での)都会のフィルターを通過することによって、結果としてそこに彼の「土(土俗性と言うのは少し抵抗がありますね)」が凝結していった。それが故郷の「土」と強力な化学反応を起こしたんでしょう。そんな気がします。
いずれにせよ、今の私は、ゆっくりとその「物」を味わい、そして春にその「土」の上に自分も少し根を張ってみようと思っているわけです。楽しみです。
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