明けの明星…全ては相対的な「モノ」であるという「コト」
今年もやってまいりました歴史的特異日。私にとっては今日が1年の中で最も意味の大きな日であります。自分の誕生日や元旦などよりも、いろいろな意味で気持ちが高ぶります。そして、いろいろな決意をする日でもあります。
昨年は力道山、一昨年はジョン・レノンについて書きました。今年はお釈迦さまです。そう、今日は成道会(臘八会)、お釈迦様がお悟りを開かれた日です。お釈迦様のお悟りについては、日本にはこのように伝わっております。
「苦行に疲れたシッダールタはスジャータの乳粥供養を受けられ、明けの明星が朝焼けの東空に消えるガヤーの清澄な早朝、一樹下に坐したシッダールタは未曾有の覚りを得られ、仏陀となられました」
早起きの方はご存知かもしれませんが、今年はちょうど金星が明けの明星として東天に輝いております。ものすごくきれいです。私は早起きなので毎日その宝石のような輝きを拝んでいます。
今日は特に美しかった。私もコーヒーにスジャータを入れて飲み(笑)、そして庭に出て菩提樹…ではなく落葉松の下で少し坐禅をしてみました。半眼の私の視線の先には金星が鮮やかに輝いています。
さて、私は悟りを得ることができたでしょうか。
実は、ここのところ「物語論」を続けてきたのにはこういう意味があったのです。そう、私はもちろん悟りを得て仏陀になることなんかできませんが、私のレベルで私なりの仏教観というのがありまして、それをこの12月8日に確認したいなと思っていたのです。
つまり、「人は物語なしには生きられない」ということです。自らに必ず欠落感を抱いており、誰かに何かにそれを埋めてもらわなければならない存在。あるいは前向きに考えるなら、常に他に対して開いており、他を受け入れ続ける存在であるということ。そして、そうしてたくさんの「もの」を注ぎ込んでも永遠に絶対的な自分は完成しないということ。
これは、正統的な表現をとれば、「無我」「色即是空」「因縁」「不二」「縁起」「無常」などとなるのでしょうね。
私は私の言葉で考えてみたかったのです。自分の得意な分野、得意な言葉、(あるいは特異な実感)で、今日考えてみたかった。
では、黎明の中の金星は何かを教えてくれたのでしょうか。結論から言いますと、何も語ってくれませんでした。でも、大切なことを気づかせてくれたような気がします。
坐っているうちに、確実に太陽は地平線に近づき、だんだんと明るくなり、周囲の風景が見えるようになってゆく、その中で金星の光は次第に弱くなっていくように感じられました。本当は金星の明るさは変っていません。絶対的な光度は一定です。しかし、相対的には弱くなっていくように感じる。
ふと目を落としますと、そこに本当に細い細い月があるではないですか。それがちょうど落葉松の木に刺さっているように見えました。刃物のような月は見る見るうちにどんどん木の幹に食い込んでいきます。月が動いているのです。
そのうちに朝焼けはさらに鮮やかな赤に変わってゆき、そして太陽が顔を出しました。もう金星も月も私の目には見えません。その時、私は気づきました。悟りなんていうものではありませんが、当たり前のことを確認したのです。
それは全てが「相対的」であるということです。金星の明るさも、月や太陽の動きも、そして自分の存在も。私が見た金星も月も太陽も、「私」の感覚を中心にしたものにすぎません。本当はそれらが動いているのではなく地球が動いているのです(もちろん金星も月も太陽も宇宙空間の中を移動していますが)。私はその地球に乗っかっているだけ。もうこれだけでも、自分なんていうもの存在は、ちっとも確かではなくなってしまいます。
お釈迦様は、たぶん意識が自分から離れて、地球からも離れて、さらに宇宙からも離れて、一番遠いところ(実は一番近いのかもしれませんが)から、自分を、そして世の中を見たのではないでしょうか。なんとなくそんな気がしました。
「モノ」というのはそのように「相対的」な存在の象徴です。逆に絶対的な存在が「コト」なのではないでしょうか。ですから、世の中の「コト」は過去の事実である「情報」しかないわけです。情報自体は不変です。あとは「ミコト」つまり神様ですね。そして「真理」。つまり、現在と未来の私たちは全て相対的、無常なる存在、すなわち「モノ」なのです…ということだけは絶対的な「コト」ですね。それがお釈迦様の得た真理なのではないでしょうか。
「物語」とは「もの」を固定しようとする(コト化しようとする)行為です。しかし、実際には永遠に固定されることなく、逆に多くの人々を通じて無限級数的に相対的になっていく存在です。それはまさに生命の継続性と多様性を象徴していますね。
…と、いろいろ語ってしまいましたが、正直よくわからないところもたくさんあります。でも、今朝のあの時間と空間の中で私が感じた「もの」は私に力を与えてくれたのはたしかです。その美しさだけは絶対的なような気もしました。そういうところに、神や心理や悟りが宿っているかな…なんて思いながら、すっかり明るくなった日常に戻っていく私でありました。おしまい。
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コメント
師のブログを読んで、私もさっそく、今日明けの明星を見ました。朝6時(師ほど早起きではありませんが)犬と散歩に旅発つと、我々を見守るかのように、南の空に大きく光る星。多分あれが金星なのか?!と思いながら。田んぼのあぜ道を歩いた後、再び空を見上げると、先ほどよりは見えにくくなりましたが、まだ光る星を探すことが出来ました。
投稿: Stanesby | 2007.12.10 10:39
Stanesbyさん、こんばんは。
黄色くて瞬かない星ですよね。
間違いなく金星です。ヴィーナスですよ。
金星って実は昼間でも見えるんですよね。
これからどんどん低くなっていって、
来春には今度は宵の明星になります。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.12.10 20:13