『蒲団』 田山花袋 (先生と生徒の微妙な関係)
四半世紀ぶりに読みました。なんで、今「蒲団」なのか…、深い意味があるような、ないような。
ここのところ、いろんな世代の卒業生からメールや電話が大量に来まして、そのほとんどが女性。大概が恋の相談だったりして、まあいつまでも先生を頼るなよと言いつつ、どうもいらぬ「親切心」がふつふつと湧いてきて、これはなんなんでしょうね、前にも書いたような気がしますが、父親みたいな心境でもあるし、教育者的おせっかいな気持ちもあるし、友達感覚でもある…とにかく他人という感じにはなれず、ずいぶんと時間を割いてしまうのでありました。
だいぶ寒くなってきたし、クリスマスも近いからかなあ。そういう季節なんでしょうか。変な話、人間にも発情期というのがあるのやも。
で、思いっきり正直に書きます(田山花袋なみに)が、そういう私のおせっかいな行動について、カミさんはあまり面白く感じていません。当たり前です。でも、幸いなことに、ウチは生徒と家族ぐるみで付き合うことがほとんどなので、その生徒の名前を挙げればカミさんも「あああの子ね」みたいな感じなんですね。だから逐一報告します。相談者には悪いかもしれんが、全部カミさんに報告しているわけです。そうして、一つは若い女とのいらぬ秘密を作らないということ、そしてその案件について(いちおう)大人の女の意見を聞くということを必ず実行しておくわけです。これは大人の知恵でありルールであります。
ところで、これまた実にきわどい話になりますけど、先生と生徒の間の恋愛関係というのはどうなのかという、おそらく世間様の非常に興味のおありだろうことに関して。これは当然人間どうしですからあります。私はとうにそういう年齢ではありませんし、だいいちキャラからしてそういうタイプではないので(面倒なのであえてそうしている部分もある)、そんな心配はありませんが、まあ昔は手紙くらいはもらいましたよ。
あっそうそう、もう時効だろうから書いちゃおうかな。いやいや、別にそんなアヤシイ内容じゃありませんよ。
私がまだ20代のころでしたかね、ある生徒が熱烈に手紙をよこしてきたんですよ。で、まあ諸般の事情から当然お断りをしなければならないわけですね。そしたら彼女、最後にこういう手紙をくれたんです。
「私、先生のことあきらめます。あきらめたくないけど、あきらめます…」
お〜、なんと健気な…と思いきや、彼女、国語の先生に手紙を書くということだからでしょうかね、「あきらめる」っていうのを一生懸命漢字で書いてきたんですよ。ところが、つめが甘かった。「諦める」と書くべきところを、偏を間違って「締める」と書いてしまった…結果、
「私、先生のことしめます。しめたくないけど、しめます…」
となってしまった!おいおい、放課後体育館の裏に呼ばれて「おめえ、調子に乗ってんじゃねえよ」とか言ってしめられるのか…あるいは首でもしめられるのか(笑)。
ああ、ごめん、純粋な気持ちを笑い話にしてしまって…いや、彼女はもうとっくに結婚していい奥さん母親になってますし、この話は自分でも面白いからどんどんしていいよって言ってくれてるんで。
彼女の恥ずかしい話を書いたついでに、私もちょっと恥ずかしい内心を吐露します。たとえばその彼女の結婚式に呼ばれてスピーチとかしちゃったんですが(締めるの話はしませんでしたよ)、その時ものすごく切ない気持ちになった。別に恋愛したわけではないのに、この気持ちはなんだ、これが娘を嫁にやる父親の心境なのか…。実は教え子の結婚式のたびにそういう気持ちになるんですよ。案外男でもそんな気がする。なんだか寂しいんだよなあ。嬉しい反面。
おっと、なんか個人的な昔話になってしまったぞ。えぇと、「蒲団」だ。そう、そんな、いやそれ以上の、先生の生徒に対する煩悶を描いたのがこの「蒲団」です。これは田山花袋の実生活をモチーフにしたもので、まあいわゆる「私小説」の走りとなった作品ですね。結婚して子どもも3人いる小説家の先生のところに、若く現代的で美しい娘が弟子入りする。その弟子に恋人ができたことを知って激しく嫉妬する先生。いろいろあった末、弟子は帰郷し、残された彼女の「蒲団」の匂いをかぐ先生…(あぶねえな)。そのラストの部分だけ引用しておきます。
『…夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた』
う〜む、これは過激ですなあ。当時はそうとうショッキングだったのでは。実話だしなあ。そして、これは四半世紀前の私じゃわからんな。この歳になるとよくわかる(というのもあぶねえな)。
「性慾と悲哀と絶望」…これすなわち「もののあはれ」なんですよね。文学古来のテーマが「私小説」という形で昇華したのがこの作品なのです。
興味を持った方は、ぜひこちら(青空文庫)でお読みください。女性には面白くないかも。大人の男は我が身と我が心と我が歴史に照らして切なくなるかもしれませんね。
ああ、そうだ、「文學ト云フ事」では、弟子の恋人役(あまり美男でない)をバナナマンの日村(かなり美男でない)がやってましたっけ。
Amazon 蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)
楽天ブックス 蒲団改版
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コメント
前略 薀恥庵御亭主 様
ひさしぶりに爆笑しました。大笑
もう一度 読み返して・・・大爆笑。
書き間違い・・読み間違い。ありますね。
まぁぁぁ・・・・馬鹿な私が言うのもなんですが
「田山花袋」・・・変な名前ですね。
「たいざんはなぶくろ」とは読まないでしょうが
「たやまかたい」でも・・妙に変です。笑
私小説家ですね・・・・「島崎藤村」しまざきとうそん
「島崎藤村」・・・変な名前ですね。
「しまざき ふじむら」とも読めますね。要注意
まぁぁ・・・「藤子不二雄」系列です。笑
昔・・・・随分昔に・・・・葬儀場で・・
ある御方様から真顔で・・・
「主人は・・キンシンケッコンで亡くなりました。」
???ええぇぇぇ・・・
近親結婚?・・筋心・・心筋・・・
「心筋梗塞」笑
そういう自分も いつも飢餓胴転しています。
合唱おじさん 拝
投稿: 合唱おじさん | 2007.12.22 08:32
訂正
気持ちが動転いたしておりました。
「田山花袋」たいざんはなぶくろ ×
「田山花袋」でんやまはなぶくろ ◎
謹んで 訂正申し上げます。
投稿: 合唱おじさん | 2007.12.22 11:59
合唱おじさん様、いつもどうもありがとうございます。
最近の若者はわざと誤字をして遊んだりしてますね。
あるいは誤読を楽しんだりします。
こういう文化って私はけっこう好きです。
あんまり四角四面にやっていては息がつまりますから、
たまには間違えたりするのがいいんじゃないでしょうか。
その方が人間的な感じです。
私のこのブログは完全に書き下ろしで、まったく推敲しないでアップしてますので、よく間違ってますよ。
あとで密かに直すことたびたびです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.12.23 10:30
御返事 有難う御座いました。
薀恥庵先生の 御人柄が 尊いのでしょうね。
人間 「ひとがら」より尊いものはありません。
先生の御人柄に惚れて 様々な御方様が
相談なされることと存じます。
本当に「四角四面」は・・・いけませんね。
私の両親とも・・・「やさしい人間」です。
至極 尊敬いたしております。笑
父はこの時期・・・庫裏にクリスマスツリーを
飾ってくれたものです。笑
母は受験時 「大宰府天満宮」様の御守りと
「梅ヶ枝餅」を授けてくれました。苦笑
「いい加減」のよさも あるのでしょうね。
まぁぁぁ・・当たり前に日々が
過ごせる事こそが・・・この世の極楽ですね。笑
島崎藤村様の「新生」などを考えますと・・・
「当り前の日常」ほど・・尊いものは無いなぁ
と確信いたしておる愚僧であります。
四角四面・・・・・うぅぅぅぅん。
資格紙麺・・・・刺客死免 笑
投稿: 合唱おじさん | 2007.12.23 11:58
私の人柄なんて…
生徒には「はったり・ちゃっかり・ぼったくり」と言われ続けてます(笑)
ところで、
私の職場も禅宗のお寺が母体になっているんですが、
毎年クリスマスには住職(校長)からケーキをいただいております。
境内には神社もたくさんありますし、まったく四角くなくていいですね。
まるくまんまる。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.12.24 06:40