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2007.12.07

『仕事は体で覚えるな〜文化財修理技術者・鈴木 裕』(NHK プロフェッショナル 仕事の流儀)

Photo01 火曜日の放送の録画を観ました。ここのところ、「物語論」が続いていますが、実はこれには意図がありまして…明日にはお解りになると思いますよ。
 ということで、今日もまた「私流物語論」でこの番組を料理いたします。
 今回のプロフェッショナルは文化財修理技術者の鈴木裕さんでした。文化財の修復のカリスマである鈴木さん。彼の語った「仕事は体で覚えるな」「習熟するな」という言葉はずんと胸に響きます。
 普通は「体で覚えろ」「習熟しろ」と言いますし、言われますよね。もちろん鈴木さんも修行時代はそう言われてきました。体で覚え、習熟して「技術者」になったのは事実だと思います。しかし、プロフェッショナルはそこで止まらない。
 自分の仕事や趣味や勉強のことを考えればわかることですね。たしかにある時期に「体で覚えた」「習熟した」と思えるものです。そこで満足してしまったり、やっとこういう境地になったかと安心してしまったりすると、どうしてもマンネリになり進歩がなくなる。
 これは本当にいろいろなことに当てはまりますね。もちろん、そこで止まっていいものもたくさんありますよ。私のヴァイオリンなんてまさにそれでして、ある時期から全く練習しようと思わなくなってしまいました。ま、プロフェッショナルじゃないのでそれでもなんとかなってるんですが(笑)。
 さてさて、「体で覚える」ということ「体で覚えるな」ということを「物語論」的に言いますとどうなるのでしょう。
 私の定義では「もの」は自分の外部全てを指します。自分の「こと」になっていない「もの」です(「ものにする」という言葉はどうなるんだとの質問をよく受けますが、それについてはのちほど)。で、「ものをかたる」というのは、相手にとっての「もの」すなわち未知の情報をメディアを通じて形にして伝えるという意味でした。それは別の言い方をすれば、相手の欠如を埋めてあげる行為です。受け手から言いますと、自分の欠落感、欠如感、不安感、好奇心を満たしてくれるのが「物語」ということになりますね。
 外からやってくる新しい情報に接して、そしてそれを受け入れて自らをどんどん補強していく、これはある意味物語の受容ということになります。知らなかったこと、できなかったことを自分のもの(ワタクシ的には「こと」)にしていきます。それすなわち「事にする」つまり「仕事」とも言えますね。
 しかし、ある程度補完されたところで満足、安心してしまい、より新しい情報を得ようとする意欲を失ってしまいますと、そこで「仕事」は終わりになってしまいます。もちろん未知の「もの」というのは無限にあるわけですね。それは、一つの事象についてもですねえ、ミクロ方向に進んでもマクロ方向に進んでも無限に世界が広がっているわけですから当然です。
 つまり、ここでいう満足や安心というのは、そういう無限の世界への感受性を閉じてしまうということなのです。心が閉じる。そうすると、ある意味においては(生活レベルにおいては)たしかに満足や安心です。人間にとって未知のもの不可解なもの(「もののけ」ですね)は怖いですから。でも、そこから先には行けません。実生活で普通に平凡にやっていくにはそれで充分とも言えますけれど、さらにその先、そう、プロフェッショナルを目指すには、そこで止まってしまうわけにはいきません。
 ですから、鈴木さんの言う、「体で覚えるな」「習熟するな」というのは、無限の「もの」に対する感受性を失うなということなんですね。物語をどこまでも受容せよと。「なりきる心」…自分でない「もの」になりきって、そこから学ぶということ…を止めるなと。昨日のお酒の話で言えば、いつまでも「聞く」「利く」「相手に合わせる」「調和を図る」っていうことですよ。プロレスも音楽も一緒。私の中ではこんなふうに全部つながっているんです…理解してもらえますでしょうか。
 鈴木さんも「紙の声を聞く」と言っていました。これは「神の声」にかけたものでしょうけれど、私に言わせますと、神は鬼(もの)ですから、まさに「物の声を聞く」ということにもなりますね。繰り返しになりますが、「きく」という日本語はlistenと同義ではありません。「親の(先生の)言うことを聞きなさい!」「言うことを聞かないヤツだ」「聞き分けがいい(ない)」と言う時の「きく」です。相手に合わせる。相手から学ぶ。相手と調和するという意味です。
 ところで、「プロフェッショナル仕事の流儀」ですが、お正月スペシャルでイチローをとり上げるようです。これは楽しみですね。私の最も尊敬するプロフェッショナル、そして物語の受容者にして創造者、そしてそして禅僧(?!)であるイチロー。早く彼の語る言葉を聞きたい。

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コメント

仏教は・・・そんなに詳しくありません。笑
門前の小僧 「習わぬ経」を読むとか・・・
「見て」・・「聞いて」・・「感じて」習得するのでしょうか。愚僧は経験いたしておりません。苦笑
さて今年のNHK新人落語大賞者「桂よね吉」様の
「七段目」をテレビで拝見いたしました。
頭脳明晰な「よね吉」様の演じる「落語」は・・・完成度が高く秀逸でした。 きっと 将来 「米朝」様のように おなりになられる事と存じます。勿論・・・・
大変な「御修行」を経ての「今日」だと思います。
ただし聞く側も・・・歌舞伎(忠臣蔵)の知識が
必要となりますので「修行」が必要です。笑
うぅぅぅん やはり古典を学ぶことは大切です。
仏教でも「声明」という 古典? が御座います。
愚僧も・・師匠より厳しく指導されましたが・・・・
全く「モノ」になりませんでした。情けない「コト」
で御座います。笑
漢文や梵語の唄であり・・・民謡や歌謡曲などの
源流なのかも知れません。
節博士(旋律)の習得には・・・大変な「修行」と
「センス」が必要です。笑
愚僧は・・・師匠に・・・「うん・・お前には無理だ」
・・・「お前の声は磨いても モノにはならん」・・・
「まぁぁぁ・・・少しでも人柄を磨くコトだな」
と諭され 今日にいたっておる次第であります。
人柄も・・・磨き忘れて「ホコリ」だらけです。
えぇぇぇ・・・それとテレビで「ざこば師匠」様の落語「子は鎹」を拝見いたしましたが・・・人情噺では もう 本当に最高の名演でした。
流石 十八番ですね。先ず お話の最初に鎹(かすがい)の実物を持参され 御説明なされておられました。
大変 良い事だと感銘いたしました。
さげ(落ち)が 今日の若い人では理解できません。笑
これは とても親切で 素晴らしい。
まさに磨きぬかれた「ざこば」師匠様の御人柄が輝いておりました。
友人の禅僧は・・・私に・・・「お前は・・後輩の支障にはなれるね」と馬鹿にいたしております。笑

  

投稿: 合唱おじさん | 2007.12.17 07:52

合唱おじさん様、こんにちは。
私、落語の勉強はまだしておりません。
あと7年くらいしたらと思っております。
いいものをたくさん後年に取っておくと、
年を取るのが楽しみになりますね。
いずれにせよ、至芸に修行はつきもの。
「ものになる」ということは、鳥獣戯画の記事にも書きましたが、
「ものにする」ことができるようになることでしょうね。
すなわち、命を生み出すということですから、これは並大抵のことではありませぬ。
…なんて、まさに釈迦に説法。
失礼いたしました。
ワタクシこそ支障ですみません。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.12.17 14:09

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