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2007.12.29

『詩のボクシング13 日本列島に響け!魂の言葉たち』(NHK)

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 今年もやってまいりました「詩のボクシング」の放映。昨年は本当に感動しました。感動したなんて、全く詩的な表現じゃなくて申し訳ないんですが、言葉にならない気持ちがあって、詩にならない瞬間があるからこそ、詩はどこかに向かい続ける、つまり生き続けるんでしょうね。
 さて、昨年は記事を書いてから、優勝者の木村恵美さんから直接連絡をいただきまして、ありがたいお言葉(お誘いも含めて)をいろいろと頂戴いたしました。そして、本年から山梨大会も始まるとういうことで、これは玉砕覚悟でもなんでも参戦せねば、と思っていたんですが、本職の(?)表現活動の方が忙しい時期で、結局観戦すらできませんでした。
 山梨大会では、これまた大学の後輩であり、いろいろな意味で世話にもなっている人が優勝したということで、まあ結果として身内対決にならなくて良かったな、と少し安心したりして。
 いやあ、それ以前に、私はこうして言葉をたれ流し続けてはいるものの、それは全く詩的世界からはかけはなれておりますし、あの聖なるリングに上がる資格はないのかもしれませんね。ハッタリで勝負できるほど甘くはないでしょう。
 さて、今年の全国大会はどうだったでしょう。まずは正直な感想を。
 やっぱり去年はすごかった。木村さんだけではなく、他のボクサーたちの技術や魂も、今年よりハイレベルだった。それを痛感しました。それこそ私が批評できる立場ではないと思いますが、今年は全体に言葉の力が弱かったかなあ。ある意味「詩」の陥りがちな方向に行っていたような気がしました。
 象徴的だったのは優勝者の晴居彗星さんです。私は彼の芸風は好きですし、その切り口も悪くないとは思ったんですけど、あれが「詩」なのかどうかと。つまり、「詩」が持っているその「詩」的な性格、すなわち「詩」自身ですら自己を定義できない、その自由さと制約、根拠のない自信と漠然とした不安、みたいなものでしょうかね、なんでもありの難しさみたいなものですね。それを感じてしまった。
 もともと「詩のボクシング」は「朗読」が主体であり、あまり「詩」という形式にこだわってはいないわけですが、一般人のつぶやき(あくまでも表現方法としてのつぶやきですが)にまで、その間口を拡げてしまうのはちょっと危険な気もしました。正直なことを言いますと、今日の夜何気なく観た「お笑いDynamite!! 」の方が、そういう意味では「詩的」だと思ってしまいましたよ。
 私の「モノ・コト論(物語論)」から考える「詩」というのは、「コトノハ」による「コト」への挑戦、あくまで生々しく流転する無常なる「モノ」を生み出す行為だと思うんです。それはやはり「騙り」であってほしくない。「語り」であってほしいんです。
 回りくどい説明になってしまって申し訳ありません。大切なことなんで説明させてください。
 相手にとって未知なる「モノ」、また自分自身も消化しきれていない「モノ」を、例えば言葉というメディア(「コトの端」=「コト」化のきっかけになる何か)を通じて形にすることが私の言う「カタル」ということになるんですが、それを受ける例えば聞き手は、自分の内部(コト)に、相手が語った「コトの端」が放り込まれる状況になるわけですね。そして、池に石が投じられた時のように波紋や飛沫が生じるように、日常的に平静だった「ココロ」に動きが生じます。その動き自身はほとんど反射的なものであって感情以前の「モノ」です。つまり自分の意志の外にある。そして、それに対して発動する自分の意志が、それが感情だと思います。つまり、その動きを止めて平静に戻したいとか、あるいはその動きがずっと続いてほしいとか、そういう「〜したい」というのが感情だと、私は考えています。
 で、詩だけでなく、あらゆる芸術(物語)の自分にとっての価値というのは、その自らの願望たる感情が発動しえないくらい、あるいは発動しても全く機能しないくらいの、そういう波紋や飛沫を生む「モノ」なんですよ。「コト」化を目的としていながら、しかしその「コト」化を拒否するような、と言いますか、それこそなんかうまく表現できないんですけど。とにかく「モノ」の持つ無常性や不随意性、不可知性や豊饒性の伝播こそが「物語(モノガタリ)」の本質であり価値であると思ってるんですよ、私は。
 長々と語って(騙って)しまいましたが、そういう意味において、今年の「詩」には生命力が不足していたような気がするんです。もちろん、それは全体の印象であって、個々には素晴らしい力を持った言葉があったと思います。しかしやっぱり、晴居彗星さんの「詩」は、私の中ですぐに消化され、解釈されてしまった、つまりすぐに死んでしまったよなあ…。
 一方、やはり昨年のあの私の「涙」は、やはり私自身の心の飛沫、抑え難い波紋そのものだったと思います。あらためて木村恵美おそるべし。
 木村さん、今年はジャッジとして参加されておりました。その場の空気も含めた「モノ」は編集されたテレビの画面からは伝わってきません。いずれ、彼女から生きた感想を聞きたいと思います。

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コメント

私も「詩のボクシング」BSで観ました(聴きましたでしょうか)。
昨年始めてみてから、とても興味を持っています。
今回知人から「ポエトリー・リーディング」のイベント案内が来ましたので、「芸術の小径」の記事をトラックバックさせていただきました。
私も今最高の詩は、音楽の中にあるのでは・・・と常々思っておりましたので、今朝こちらの記事を拝読して、納得しております。
今年も興味深い内容を、楽しみにさせていただきます。

投稿: komichi | 2008.01.06 10:45

komichiさん、おはようございます。
コメント&TBありがとうございました。
「詩のボクシング」面白いですね。
本来、歌や詩は音読されるべきものでしたからね。
音楽と文学の境目も昔はそんなにはっきりしてなかったと思います。
いわゆる「語り」からいろんなものが分化したんでしょう。
ポエトリー・リーディングはまさにその根源を思い出す試みだと思います。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2008.01.07 08:29

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トルコと日本の架け橋として活躍されるイナン・オネルさんから 明治学院大学 言語文化研究所の主催する ■ポエトリー・リーディング■ 現代詩に声を取り戻そう 第7回 のご案内を頂きました。 ... [続きを読む]

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