« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007.11.30

なんちゃって「仕上げ」担当

Keroro07 いやあ、いい勉強になりました。業界の方は大変ですね。やってみてわかる。
 突然ある人からお願いされまして、ポスターを作ることになりました。村の子どもたちのマーチングバンドがありましてね、そのクリスマスコンサートがあるんだそうです。
 で、うちにその原画が届きました。それはそれは素晴らしい原画であります!ケロロであります!そう、ウチの近所に住むホンモノの原画監督さんがサササって描いてくれた原画なのであります!
 もう彼女プロ中のプロですからね。今やアニメ界では有名な監督さんです。本物のケロロにも実際に関わっておりました。今ではあの作品でもあの作品でも原画監督としてクレジットされてます。
 それだけでウチでは大興奮です。おいおい、原画監督さんからじきじきにお願いされちゃったぞ!とか言ってね。ウチは単純ですから。わ〜い仕上げ屋さんだあ!子どもたちもホンモノのケロロだ!と言って大喜びです。
 さて、実際に仕上げ(彩色)をするのはワタクシの仕事です。とは言ってもウチのMacにはPhotoshopしか入っていません。IllustratorはOS9用しかないんです。ですから、今回の作業は全てPhotoshopで行いました。まあ、シロウトにはそれで充分ですけどね。で、いざ作業スタート!
 まずはスキャンです。まずはbrotherの複合機が活躍。きれいにスキャンできたんですが、ここでまず問題が。そう、原画監督さんの原画、まさにサササって感じなのです。鉛筆で一気に描きあげてある。これだと彩色する際に範囲の指定などに支障がありそう。
 というわけで、ウチのアシスタント(セコンド)がトレースをすることになりました。彼女、まかせとけ!と一言。20分でやってくれと指示しましたが、結局小一時間かかってしまいました。で、出来上がったトレースを見てみると、うん確かに線がきれいになっている。よし早速スキャンだ。
 スキャンもうまく行き、それを拡大表示して細部のチェックをしていると…ん?なんか変だぞ。なんかキャラクターのキャラクターが違うぞ。邪悪なケロロとクルルとか…。そう、トレースの際、微妙に細部の形が変わってしまっているのです。おいおいこれでは中国かどこかのまがい物ではないか!(笑)いやあ、不思議ですね。ちょっとバランスが崩れただけで(ほとんど1ミリ単位)これほど全体のイメージが変わってしまうとは。そう考えるとサササって描かれたプロの絵はホントにうまい!
 アシスタントにダメ出し(早速解雇)し、しょうがないので、Cocoaportraceというフリーのトレースソフトを使ってトレースし直しです。3秒ほどでキレイなトレースが完成しました。ああ、こうやって現場でも人間の仕事は奪われていくんだろうな。
 さていよいよ彩色です。監督さんからは色指定などはなく「全部おまかせ」と言われていますから大変です。時間もないので出来る限り陰影などは省略してシンプルに行きました。それでも時間がかかるかかる。肩が凝る、目が痛くなる。うまく行かなくてイライラする。ほんと大変ですねえ。これを毎日何枚もやってたら気が狂いますよ。好きじゃないとできない、好きなだけでもできないって監督さんもおっしゃってましたが、ホントですね。
 適当に文字など入れたりして、のべ何時間かかりましたかね。なんとかしめきりに間に合いました。めでたしめでたし。こうして真似ごとであっても実際やってみますとね、ホントいろいろ勉強になります。ソフトの使い方なんかも、ふだんはなかなか勉強しないものですが、こうして半強制的な実習によってほとんどマスターできるんですよね。ちょうど年賀状のデザインのシーズンですからラッキーでした。
 というわけで、まあ私のなんちゃってポスターはいいとして、子どもたちの演奏をぜひ聴きに行ってやってくださいませ。ふぅ、疲れたけど楽しかった。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.29

『ピアノの詩人ショパンのミステリー』(NHK ハイビジョン特集)

Nakamichi 仲道郁代さん親子がショパンのルーツを訪ねる「ピアノの詩人ショパンのミステリー」を観ました。放送は昨日でした。
 ショパンはけっこう好きな作曲家です。彼の作品にアジアを感じるんです。演歌と言ってもいいかも。私はカツァリスによるこのレッスンを観て、そしてオリジナル楽器によるこのCDを聴いてすっかりショパンに魅せられてしまいました。それまではそれほど興味はなかったんですけどね。
 私は趣味で古楽器やったり、本職で古い日本語学なんてやってますので、根っからのオリジナル(原典)主義なんですね。主義というとちょっと堅苦しい感じがしますね。ただ、当時の音や質感や空気に憧れてるだけなんです。作者本人はどういう音を聴いていたんだろう、どういう演奏をしたんだろう、どういう気持ちで書いたんだろう…そういうのに異様に興味があるだけです。それを調べたり試したり想像したりするのが好きなんです。
 そんな私ですから、今回の番組の企画は興味深いものでした。仲道さんがプレイエルの音やオリジナルの楽譜に出会う旅なんですから。カツァリスのレッスンで私が驚いた、ショパン自身の繊細な指使い(ほとんど異常とも言える)や、Olejniczakの演奏で感激したプレイエルのあの高音も登場しましたよ。
 なんかいつも思うことですけど、近代以降の我々が工業化と市場経済の中で失ったものは、まさに「繊細さ」ですね。そして「響き」。音量 (エネルギー)と安定を得たかわりにその二つを失った。これは象徴的であって、もちろんピアノにあるいは音楽に限ったものではありません。
 仲道さんがプレイエルを実際に弾いて、ショパンのペダルを離す記号の位置が異様に早いことや、不思議な運指の理由がわかるシーンは、「ほらね」という気持ちで観ていました。はっきり言ってしまいますと、そういう想像や努力を怠っている音楽家が多すぎるんですよ。最終的にピリオド楽器に行くかモダン楽器に行くかは別として、いずれにせよ知っていなければならないことだと思うんですけど。源氏物語を原文で読むのと同じです。それも活字になったものを読むか、写真版でもいいから古い写本を解読するか。最後はやっぱり現代語訳で読もう、でもいいんです。
Hkj 後半イブ・アンリさんが登場しました。彼は今月来日し公開レッスンを行いました。その模様はこちらにレポートがあります。へえ、イグナッツ・プレイエル生誕250年、プレイエル社創業200年なんだ。知りませんでした。
 ちょっと話が飛びますけど、ヤマハがベーゼンドルファーを買収するというニュースが流れていましたね。もちろんベーゼンドルファーはモダンピアノの製造会社ですが、なんとなく寂しい話ですね。ヤマハも優れたメーカーだと思いますが、いわゆる「繊細さ」ピアニッシモの美しさにおいてはベーゼンドルファーの方が勝っていたと思うのは私だけでしょうか。ま、素人の感覚ですけど。
 ピアノを弾けない私、カシオのエレピしか持っていない私が偉そうなことを述べてしまいましたが、まあ現代のピアノを飛び越えて、フォルテピアノなんかは人より触っている方だと思いますので、お許しを。
 それにしても、この番組で一番心に残ったこと。仲道さんもいつのまにかいいお母さんになりましたなあ、ってこと。娘さんとの心温まる触れ合いに感動しました。

NMLでプレイエルによるショパンを聴く(短調の曲ばっかりだな)

プレイエルによるショパン(他)の録音は、私も音楽祭でお世話になっております小倉貴久子さんのこちらがおススメ。
Amazon ノクターン~ショパンの愛したプレイエル・ピアノ

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.28

『爆笑問題のニッポンの教養 「この世はすべて錯覚だ~知覚心理学 北岡明佳」』(NHK)

Sakushi 何を信じればいいかシリーズ。昨日録画した「爆笑問題のニッポンの教養」を観ました。今回のテーマは「錯視」です。立命館大学で知覚心理学を研究する北岡明佳教授が登場しました。
 北岡さんの錯視のホームページをよく見ていましたので楽しみにしていました。まず面白かったのは、北岡センセイのキャラが想像と全く違ったということ。私の勝手なイメージはそれこそ錯視であったのか。爆笑問題も何度もツッコミを入れてたりいじったりしてましたけど、なかなか動じませんでしたね。なんだか番組を見ているうちに北岡センセイが作り物に見えてきたのは私だけでしょうか(笑)。
 さて、北岡センセイも良かったけれど、今回もまた太田の天才ぶりに脱帽させられましたね。後半はほとんど彼の独演会でした。
 北岡センセイの「ある意味私たちが見ている世界は全て錯視で成り立っている」というような話を聞いて、太田は「自分の見ている世界は実は自分自身、私たちは自分自身という束縛から抜け出せない、そこにオナニー的な虚しさを感じる」というような哲学を語り出します。途中谷崎の春琴抄が出てきたり、山月記を思わせる自分の中の「猛獣」が登場したりと、明らかに北岡センセイの上空をぶっ飛んでいきます。
 北岡センセイはなんでも論理的に分析しようとするんですが(真面目なんで)、どうにも理解できていない状況です。なんとか説明にこぎつきますが、太田はさらにその先に進んで行ってしまいます。その時の北岡センセイの表情がなんとも可愛かった(笑)。この人はいい人だ。わからないことはわからないと言える人だ。
↓click!
Rotsnake まさに錯視のメカニズムが解明されないのと同じなんでしょうね。そこに厳然と「ある」太田の思考ですが、それが理解や日常や常識を超えている。しかし、何かそこに真実があるのではという予感だけは確か。それを処理し切れない北岡センセイの表情こそがこの世の善的真実だと思いました。
 私も思いましたけど、これは視覚だけの問題ではありませんね。我々は全てをイメージ化して捉えていますので、私たちの認知しているこの世界は全てニセモノであり、また、どれ一つとして他者と同じイメージを共有していないわけですね。しかし、それをそう考えてしまうと、我々は誰とも共感し合えなくなってしまいます。ですから、それを乗り越えてしまう「錯視」や「錯覚」や「幻想」や「妄想」という機能も持っているのが私たち人間です。
 そう考えてみますと、昨日、一昨日の話もまた違った捉え方ができるかもしれません。つまり、そうした人間の持っている機能、錯視の機能とイメージの共有機能を利用して、金もうけをしようとする人が今も昔たくさんいるということです。金だけじゃないな、権力とかもね。たまにバレるとそれが偽装とか捏造とか詐欺とか違反とかになる。つまり、我々は常に錯視の最先端で生きているわけです。ちょっと先に進めば谷底に落ちてしまうような、そういう共同幻想の崖っぷちを日夜さまよっているんですね。
 そういう崖っぷちの意識を忘れているとバカな目に遭い、あまり意識しすぎると鬱になったりする。どちらにしろ落ち込んじゃうわけですな。そのへんのかじ取り加減こそが処世術であり、唯一の幸福への現実的方策なのかもしれません。あとはそういう面倒くさいことを楽しめるかどうかですね。それを楽しめないと、それこそ八方塞がり、自分の居場所はなくなってしまいます。面白いですね。そんなことを考えていると、私には金も宗教も科学も、別にそれほど重要ではなくなってくるのでした。

「爆笑問題のニッポンの教養」公式

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.11.27

『世界を信じるためのメソッド』 森達也 (理論社)

ぼくらの時代のメディア・リテラシー
65207821 先ほど香川坂出の事件の容疑者が逮捕されました。この事件に関しても世の中では興味本位の犯人探しが横行しました。その発端になったのは、いつものとおりマスコミの報道の姿勢と内容です。
 昨日の霊感商法の話も本質は同じです。その団体の主催者の書いた書物を読みましたが、本当に噴飯もので、呆れる以前に大笑いしてしまいました。宗教的、霊的、言霊的な誤謬が甚だしいだけでなく、これはもう地獄への落ち方の教本ですよ。なんでも「お金」ですから。金が全て。ありえません。さっさと地獄へ落ちてもらいましょう。ま、地獄の沙汰も金次第と言いますが…(笑)。
 我々はなんでこんなに愚かなんでしょうね。いわゆるリテラシーの欠如です。与えられた情報を吟味することなく受けいれてしまう。批判能力のない大人は危険な社会を生みます。歴史を繙く必要もありませんね。わかりきったことです。
 我々教育関係者の責任は重いですよね。学校でそういうことを教えないんですから。ただこれを覚えろというばかり。大学入試でも問われるのは「いかに鵜呑みにして丸暗記したか」です。いやだなあ。
 ここのところ一段落しましたが、そういう意味では小論文の指導というのは大変な反面、実に楽しいものです。私が一番教えたい世の中の見方をじっくり教えることができるからです。数ヶ月の指導で生徒たちは本当に変身します。自分でもビックリするくらい世の中が違って見えてくるとのこと。
 さて、そんなリテラシーについての名著がこれです。これは来年度から新入生の課題図書にしようと思っています。基本的に中学、高校生対象の内容ですが、ぜひ大人にも読んでもらいたい。
 森達也さんは私の最も尊敬する映画監督、ドキュメンタリー作家、論者の一人です。このブログでは、森氏が企画として参加した『ミゼットプロレス伝説〜小さな巨人たち〜』しか紹介していませんけれど、実は私に大きな影響を与えている人です。
 上記の作品も小人プロレスという放送業界のタブーに挑戦した作品でした。その後も森さんはさまざまなタブーに挑戦していきます。結果としてそのためにテレビ業界を追われることになってしまう、いや、様々なタブーや利害関係によってあまりに偏った報道や放送がなされていることに嫌気がさして、自ら業界と距離を置くようになったというのが正しいかも。その後オウムの信者の実態を追った自主製作映画「A」のシリーズを制作し高い評価を受けました。
 そんな、世の中の裏も表も知り尽くした彼が、子どもたちのために書いたのがこの本です。だまされてはいけない、メディアは人であり、だからこそ間違うこともある、では何をどう信じればいいのか。
 実体験や実例が生々しく、それだけでも充分大人にとっても刺激的ですし価値あるものです。そういう世の中の事象の最先端(先っぽ)にあえて身を置くのは勇気のいることですよね。しかしそこからしか見えない「真実」…それはすなわち世の中が多様で豊かであるということ…もあるわけです。
 そういう努力を、あるいはそういう努力の真似ごとさえもしない私たち。検証能力を失うことは盲目的な原理主義を生む基礎を作ります。
 それにしても、どこを見ても「金」「金」「金」。「金」がなければ幸福になれないって、バカが書いた1万円の本に書いてありました。自分の本は本当なら1兆円で買ってほしいとまで書いてありました。もう噴き出すべき飯もないほど情けないことです。そんなものを信じて金づる探しに奔走する主婦たちがいることに、本気で哀しみを感じてしまうのでした。地獄へ落ちろなんて、本当は冗談にも言いたくないんですよ。一番嫌いな言葉なんです。でも、あえてそう言わなければならない時もある。毒をもって毒を制す。
 昨日と同様、お前が一番怪しい、危なそう、と言われるかもしれませんね。でも大丈夫。私は「自己リテラシー」はしっかり鍛えてますから。いつも自分の先っぽに立ってますのでご心配なく。

Amazon 世界を信じるためのメソッド

楽天ブックス 世界を信じるためのメソッド

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.26

粉砕!悪徳霊感商法(エセ宗教)!!

↓諸般の事情によりモザイクかけます。
Tji 今日は非常に腹立たしい。ふだん怒ることのほとんどないワタクシもこれにはさすがに怒り心頭にハッスルしちゃいます。絶対粉砕してやる!
 と、まあ怒りながらもオヤジギャグを忘れないあたり、まだまだ大丈夫だと自分で自分を冷静に分析しているのでありますが、しかし!ことこのことに関しては許しません。
 で、なんのことに関するのかと言いますと、「宗教」「金」「マルチ」「主婦」であります。ん?何のこと?
 …実はこういう場所ではあんまりはっきり書けないんです。なぜなら、今日相談に来たある人にいらぬ迷惑がかかってもいけませんし、また私の粉砕計画に支障を来しかねないからです。
 しっかし、ブツブツ…「神」を騙って純真な女性(なぜか男性はターゲットにならない)から金を巻き上げる極悪非道団体、いつの世にも跋扈してますなあ。特にですねえ、山梨県は昔から多いんですよ。それこそ平安後期ぐらいから(笑)。富士山もありますしね、生黄泉の国ですし、それぞれの時代において新興宗教のメッカになってきました。カルトの巣窟とも言えるな。オウムもしかり。
 私は別になんの団体にも属していませんけれど、それなりに宗教的信念みたいなものはあります。ですから、正直バカみたいですし大きなお世話かもしれませんが、今までもそうしたマルチまがいのエセ宗教団体とは真っ向から勝負してきました。ちなみに全勝です(逃げるが勝ちも含めて…笑)。
 最近のスピリチュアル・ブームや、癒し、ヒーリング、霊感なんかの潮流に乗っかって、まあいろんな団体が悪さをしてますよ。皆さんもお気をつけください。
 今日の相談者はまだそれほど被害額が大きくなかった(とは言っても10万円単位でした)。この段階で気がついて良かった。彼女が購入させられた物品や書籍を持ってきてもらいましたが、もう一目であの系列だって分かりましたよ。くだらない。本当の神仏に対する完全なる冒瀆です。こういうことをやってる上層部(下層部の皆さんは可哀想にだまされてるだけ)の連中は絶対に地獄に落ちます!落ちてもらいます!人の弱みや純粋な心につけ入り、金もうけするなんてとんでもありません。
 彼女、それらの取扱いについて(よくある)注意をされていましたが、私は目の前でそのバカバカしい「戒」を思いっきり破ってやりましたよ。いや、本当に破ってはないですよ、ビリっとはね。だって、ウチのコレクションにするんで。人間の愚かさコレクションですよ。そのうち博物館(美術館)ができますね。ちなみにオウム関係もかなりレアなものがあります。
 さっきも書いたようにあんまり詳しく書けないのが残念です。その団体は山梨に本部を持っています。会社組織です。宗教法人ではありません。いつか絶対に上層部も含めて改心させます。大きなお世話をするのが私に与えられた神業なので…って、お前が一番危ないぞ!という声が聞こえてきそうですね。
 女性をだます商売は、宗教や美容関係、健康食品なんかを合わせるとウン兆円市場だと言われています。女性の皆さんもしっかり勉強しましょうね。そういうリテラシーを身につけましょう。今はネットでいろいろなことが分かる時代です。ネットが全てではありませんが、何かに興味を持ったらササッとググりましょう。それだけでかなり危険を回避できます。
 たとえばこの団体についてはこちらのサイトにかなり詳しく出ています。
 ちなみに私はこの団体のようにお金を取ったりしませんので、相談したい方はいつでもどうぞ。

たまたまこんなニュース

粉砕しました(?)

不二草紙に戻る

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007.11.25

ロックンロール最高!(韻文的音楽の魅力)

Yuy 今日はウチのバンドのギタリストが所属する別バンドのライヴがあり、家族で行ってきました。いわゆるロックンロールやロカビリー、カントリーと言ったジャンルの音楽にどっぷり浸かってすっかりいい気分で帰宅。酒がうまい。
 ギタリストの彼は私の教え子であり、例のもえたんのデザイン担当者であり、またマッペリのベーシストの兄貴であります。いろんな意味で気が合うのでウチのバンドにもスカウトしたんですけど、音楽的な本職はなんなんでしょうね。スカとかもやってたし。ま、私と同様なんでもありタイプなんでしょう。二人いっしょに聴くのは圧倒的にジャズなんですけどね。
 さて、とってもノリノリないいライヴだったんですけど、なんかいろいろと考えさせられましたね。それこそマッペリのライヴもそうでしたっけ。とにかくシンプルな音楽の面白さ、楽しさ、そして深さを感じました。特にライヴはこれが一番なのかもなあ。印象的だったのは小さな子どもたちがノリノリだったことです。まさに赤ちゃんから老人まで楽しむといった感じでした。
 その曲を知らなくても安心して楽しむことができる。お約束どおりの連発と言えば連発ですよね。子どもでもよくわかる。でも大人的な聴き方をすれば、それぞれいろいろな微妙な差異や個性があるわけで、そこを楽しむこともできる。これは音楽として強いですよ。昨日のヤマハとはある意味対照的なライヴな(生きた)音楽体験でしたね。
 基本的に3コードしかない世界。テンポやリズムの変化も、あるいは歌詞の面でも大きな変化のない世界。音楽にはいろいろな要素や効用や楽しみ方があるので、優劣などもちろん付けられませんが、こういう基本がダンス・ミュージックであるものは、ある種の単純さと形式・様式というものが重要であると思います。いわば韻文的な音楽ですね。じっくり落ち着いて、腰を据えて味わう散文的な音楽とは全く違うわけです。
 楽譜や録音といった記録の技術が進むにつれて、音楽は散文的な方向に進化してきました。それは個人レベル、すなわち作り手においても、また聴き手においても顕著な傾向です。西洋音楽史や、あるいは個別にビートルズなんかの例を挙げるまでもなく、そのことは皆さんよくお分かりと思います。そしてまた、どこかで彼らや我々が韻文に回帰する可能性が高いことも経験的にお分かりになるでしょう。
 実はこういったことは、音楽や文学のみならず、いろいろな文化に表れる傾向であると思うのですが、ここのところあまりに記録技術が進歩しすぎ(デジタル技術のおかげですね)、世の中の散文化が進みすぎているような気がします。もちろん韻文的文化も消えることはありません。しかし、どうしてもライヴ感が薄らいでしまいます。ある種の完成度を期待される結果、硬直化した韻文、アドリブよりも繰り返しの使用に耐えられることを目的とした韻文になりがちではないでしょうか。
 ま、こんな小難しいことを考えながらノリノリになってたんじゃないんですけどね。ああ、シンプルは楽しいなって。単純だからこそお互いシンクロしあい、独特の一体感、独特の高揚感が得られる。やっぱり音楽の根源的な魅力はそこにあるんじゃないかなあ。いつかも書いたとおり、私は基本的に音楽に「陶酔」を求めます。そして「陶酔」は「興奮」と「瞑想」に分けることができます。そのどちらにも韻文的なシンプルさやライヴ感がとっても大切だと思います。私もそろそろそういう境地に回帰するのかもしれません。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.24

ヤマハのシステム発表会についての考察

Yamaha77 えっと、今日は上の娘の発表会でした。なんだか意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、娘はヤマハの音楽教室に通っています。本人がやりたいと言ったので数年前から通わせています。
 娘はそれなりに頑張っていましたし、楽しんでいたようなので、それはそれで良かった。何よりも仲の良い友達といっしょに何かを完成させるという体験は価値あるものだと思います。村の中だけでは人間関係が限られますしね。こうして他地域の子ども、違う世代の子どもと触れ合うのもいいことだと思います。
 さて、今日はちょっと意地悪な感想も書きたいと思います。じっくり最初から最後まで聴かせてもらいまして、いろいろと疑問に思うこともありましたので。
 まず、これは当然のことで書くのも憚られますけれど、ヤマハとしてはかのエレクトーンを買ってもらいたいんでしょうね。いや、びっくりしましたよ。今のエレクトーンってホントすごいですねえ。最初に講師4人の演奏でベートーベンの7番を聴きました。サンプリングされた音のリアルさはたしかにものすごい。昔のエレクトーンのイメージは全くありません。で、教室でやってることを家でやろうとすれば、これはもう楽器を買うしかない。ピアノやカシオのキーボードではちゃんとした練習になりませんからね。とっても高い買い物ですね。もちろんウチでは買いませんよ。一番ほしくない楽器ですので(笑)。
 これは別にエレクトーンに限ったことではないのですが、デジタル技術の進歩によって電子楽器がどんどんリアル楽器に近づいていく。じゃあ、ホンモノでやった方がいいじゃないか、とも思うんです。手軽にああいうことができる喜びというのもわかります。私も一時期DTMにはまりましたからね。実際商業音楽も半分はそういう世界ですし。
 趣味としてはいいんですよ。オタク的な趣味としてはね。しかし、教育としてはどうなんでしょうか。私は常々「楽器が教えてくれる」ということを言います。たとえば自分について言えば、何十年もかけてヴァイオリンを弾けるように、コントロールできるようになったんじゃなくて、楽器に何十年もかけて教えてもらったんですよね。楽器に合わせていろいろな動きなんかを工夫しているだけなんです。禅でいう「なりきる心」ですよ。モノが主体です。モノによって自分が縁起してくるだけの話です。楽器の技術だけでなく、もちろん合奏の技術なんかもそうです。
 そういう意味では、ああいう電子楽器はほとんど何も教えてくれないと思います。あれは演奏ではなくて操作です。テレビやパソコンやゲーム機が教えてくれることもあるけれど、それは決して「教育」のレベルにまではなっていませんよね。私はそう思います。ヴァイオリンなんて構え方からしてものすごく不自然だし、非常に扱いにくいモノです。だからこそ学ぶ点が多いんですよ。いい先生です。
 あと発表会全体を通じてあまりに打ち込みの音が多すぎた。生徒の演奏のバックには必ず打ち込みの「BGM」が流れています。おいおい。どれが子どもの音なんだよ。いや、実は子どもの音はよくわかります。なぜならリズムが非常に人間的だから(たいがい早くなる)。先生の演奏に至ってはとんでもないことになってました。例えば最後に演奏された「風林火山のテーマ曲」。先生方はお上手ですから、そういう打ち込みにほぼ完全に乗ることができる。結果として全てがほとんど機械的な音楽になってしまっていて、もう目をつぶれば人間が演奏しているようにはとても聞こえません。いったい先生たちが舞台に並んで、エレクトーンを操作する意味があるのだろうか。私が聴きたいあなた方の音楽はそんなんじゃない!
 それからいつかも書きましたし、ヤマハの先生にも質問したんですけど、なんで伴奏がなんでも「ドミソ」と「シファソ」なのか。なんでそればっかりなのか。私は気持ち悪くてしかたないんです。子どもたちは完全にその響きに洗脳されています。もうそういう本来不自然な文脈(コード進行)が自然だと感じるようになっています。世界的な音楽のみならず西洋音楽の中でもかなり気持ち悪い響きだと思うんですけどね。不安定さを覚えてほしいと先生はおっしゃってましたが、それはそれで意味があるし、効果的に使えば価値ある不安定さではありますが、そればっかりというのは子どもの音楽的感性に対して非常に不幸であると思います。
 ま、ウチはありがたいことに様々な生楽器や生歌の音がしょっちゅう鳴り響いていますので、そんなに心配ではないかもしれません。逆にこういうエレクトーン的音楽から入って、物足りなさを感じて生楽器に進んでくれればいいのかもしれませんし。たしかに楽器の入門としては悪くないかもね。でも、先生たちやヤマハの皆さんはそういう意識を持ってるんでしょうかね。あと親たちも。
 と、こんなへそ曲がりな親がいるとホントいやでしょうなあ、先生としては。モンスター・ペアレントか?(笑)思ってるだけで口には出しませんが(とか言って、こうやって世界に発信してるし!)。
 で、さらにモンスター・ペアレントぶりを発揮しまして、親バカ発言で最後をしめようと思います。先ほども書いたように、子どもたちはほとんどが「走り」ます。かなり客観的に聴いていたつもりですが、唯一完璧なテンポ感で弾いていたのはウチの子だけでした!?wwwww
 …って、あいつもうすでに先生たちと同様DTM的境地に達してるのか?!人間シーケンサーになってるのかも。自慢じゃなくて、これは憂慮すべきことなのかもしれない…。

不二草紙に戻る

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007.11.23

ドクター中松

Nakamats2 すっかり寒くなりました。今も外はマイナス6℃。今年は灯油が高いのでウチでは床暖房は禁止されております。小さな小さなファンヒーター一つで家全体を暖めております。でもなんとかなるもんです。ただ着込んでいればいいわけでして。やっぱりVIVA!原油高だななんて考えながら、赤いポリタンクからシュポシュポ灯油をくみ出しております。
 そう、このシュポシュポ(サイフォン…正式名醤油チュルチュル)はドクター中松氏の発明と言われています(あくまで「言われている」…フロッピーディスクも同様)。
 そのドクター中松さんのこの文章が物議を醸していますね。産経新聞もよく載せたよなあ。いや、産経ならではなのかも。
 私基本的にこういう「天才バカボン」に出てくるような変なおじいさん大好きなんです。ぶっ飛んじゃってるけどどこか可愛らしさもあり、ものすごいバイタリティーを持っている人。で、案外本質をよくわきまえている…まさにバカボンのパパですね。
 私はこの文章を読んで、正直「いいこと言ってるな」と思いましたよ。人がなかなか言えないこと、いや言う人はいるけど、ちょっと違うテンションになってしまいそうなことを、彼らしくシンプルにストレートに言ってくれたと思いました。
 実は私にとってドクターは「同志」でもあるんです。彼、数年前にイグ・ノーベル賞を獲ったじゃないですか。あの時の研究内容覚えてますか?そう、我らが中松義郎博士はですねえ、御自分の食事を35年間にわたって撮影し続け、そして健康長寿のための独自の食事理論を開発したんでしたね。
 なんとその結論が「一日一食、夕食だけ」だったのです。あらら、私のやってることと全く一緒じゃないですか。私、ドクターがそんな研究してるだなんて全然知らなかったんで、あの時はビックリしました。ちょうど私が一日一食を始めて1年くらい経ったところで、自分でも「こりゃあいいぞ!」と確信したまさにそういうタイミングだったんで。これがホンモノのノーベル賞だったら違った喜びがあったのでしょうね。でも、自分としてはigで良かった。こういう修行みたいなことはギャグ化しないと続きませんので。
 で、そのへんの研究(?)や受賞やその他もろもろのことについてのドクターの発言はこちら(特にインタビュー)をぜひお読みください。リアルバカボンワールドです(笑)。いやあ、本当に尊敬します。
 中松博士も来年には80歳だそうです。ご本人の理論が正しければ144歳まで生きるはずですので、まだまだ中年だとのこと。ある意味私は彼よりも早く「一日一食、夕食だけ」を実行し始めていますので、こりゃあ150歳はかたいな。とすると、まだまだひよっ子、成人してないかもしれないぞ。
 一度お会いしてそのエネルギーを浴びてみたい人の一人ですね、ドクター中松。まあ、あと64年もありますから、どこかで実現するんじゃないでしょうか。氏、144歳、私108歳とかで(笑)。

ドクター中松公式

ドクター中松小事典

「ドクター中松」研究報告
 
不二草紙に戻る

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007.11.22

Leopard(+Tesla)

41akkwlvvl_aa280_ やっとLeopardを導入しました。私の場合、親指シフトが使えるかが最も大きな問題でして、世間様、人柱様の様子をうかがいながら、導入のタイミングをはかっておりました。
 なんだかんだ親指シフト以前の問題もいろいろとあったようで、結果として今ごろの導入が良かったのかもしれません。なんでもそうですが、最初期は要注意です。
 さて、私が今使っているMacは、iMacG5Intel MacBookでして、職場で使っているメインマシンのiMacは、今回はLeopardの導入を見送りました。というか、これから先もずっとTigerのままでしょう。なぜかって、それはいくつ理由がありまして、まずclassic環境を残しておきたいということが一番。Leopardにはclassic環境は最初からありません(来るべき時が来たのか…orz)。そして、親指シフトキーボード用のドライバー「OyayubiDriver」がちゃんと使えるか全く情報が手に入らなかった、というのもありますね。それから実は今、iMacの内蔵スーパードライブがブッ壊れてまして、ディスクが入らないんです。今使っている外付けドライブからのインストールは不可能なようなので、インストールしようにも物理的に無理と。まあいろんな意味でLeopardは拒否されてしまったというわけです。
 で、自宅で使っているMacBookの方は別に大切なデータもないし、多少の不具合が出てもかまわないということもあって、Leopardちゃんの餌食になってもらいました。今回は積極的にLeopardを導入する理由がないと言えばないんですね。新しい機能で魅力的なものは、私にとってはあんまりないのです。だけど、なんとなく使ってみたいじゃないですか。実はただそれだけの理由だったりして。
 さてさて、肝腎の親指シフトですが、全く問題ありませんでした。それどころか調子よくなりました。疑似親指シフトキーボードを実現する機能拡張「Tesla」はPantherまでにしか正式対応していません。ですからTiger導入の時にもいろいろな方々のお世話になりつつ、なんとか使えるようにしたんですね。でもたまに(どういうタイミングなのか全くわからないのですが)ちゃんとロードされない時があったりして、多少不便な感じもあったんです。ところが、Leopard環境下ではそういった不具合が今のところ全く起きません。なんでなんでしょう。あっちなみにTiger用の改変Teslaを入れたまま、簡易インストールしたんですよ。その後Teslaを入れ直したり、いじくったりは全然してません。
 私はプログラミングのことなどは全く分かりませんので、Macの中でどういうことが起きているか知りませんが、とにかく全く問題なく親指シフトが使えているということだけは報告しておきます。
 ところでLeopard自体の感想ですけど、やっぱりなんかインパクトに欠けるというか、あんまり興奮しないというか…。Time Machineは大きなハードディスクがないので実行していませんし、新しいデスクトップには違和感あるし、Spacesを使うほど画面は広くないし、Boot Campも使う予定なし。Quick Lookは便利かと思いきや、見えてほしくないファイルもドーンと見えちゃう(笑)。
 でも、検索関係は使い良くなりましたね。辞書もいい感じ。そういう機能こそコンピュータの得意とするところです。
 動作自体もTigerとどっこいどっこいで、そんなに重くなったような気はしせまん。ウチはメモリ1Gですけど、普通にマルチタスクもこなしてます。さすがに半日使ってると重くなる感じがあるので再起動しますが。ま、それはTigerの時も同様でした。
 ついでにiWork '08も手に入れました。この前のプレゼンはさっそくkeynote '08でやりました。相変わらずかっこいいっす。PowerPointしか知らない人からすると、私がものすごくハイテクでハイセンスな人間に見えるようです(笑)。
 今回は表計算ソフトのNumbers '08が新たにデビューしました。でも、機能的にはExcelには到底及ばないようですね。私は学級費の管理くらいにしか表計算ソフトを使いませんから問題ありませんが。それより何より、全体的なデザインも含めた使用感が気に入りました。まあ、Macの良さはほとんどそこに集約されるんでしょうね。アンチにとっての気持ち悪さもそこにあるんでしょうし。
 いずれにせよ、Vistaで苦戦しているMicrosoftに比べていろんな意味で好調なapple。なんだか時代が変わりましたね。うれしい…かと思いきや、なんとなく複雑な気持ちなのは私だけでしょうか。

apple

Amazon leopard

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.11.21

KANEKA(カネカ)の紳士靴

Img55350200 先週のオーストラリア出張で活躍したもの第2弾。出張の性質上、非常にたくさん歩きますので、いい靴が必要でした。普段は1500円の靴で満足しているようなワタクシでありますが、さすがに今回はそれらでは心もとない。足が痛くなると全てが台無しです。また、本当のことを言いますと、安い靴だと一日中履いていると蒸れすぎてもう自分でも耐えられないくらい臭いんですよ(笑)。それでは生徒の旅も台無しにしてしまいます。
 で、寸前にちょっとだけ奮発してこれを買いました。国産の本革でソフトで幅広のを楽天で探しました。結局、奮発したと言っても4900円でした。
 それが非常に良かった。完璧。今まで履いた革靴の中で最も快適でした。神戸のカネカという靴屋さんの靴なんですが、デザイン、機能、材質だけでなく細部の作りもしっかりしており、まあその分ちょっと重い気もしますが、そのずっしり感が不思議と心地よい。重いと疲れるのか思っていたのに、それは杞憂に終わりました。逆に疲れなかったような気がします。
 カネカさんのホームページの中の「アウトレット」コーナーにある『803 ブラック NICCOL CENTENARY』というやつです。宣伝文句は次のようになっています。

・高級天然ソフト牛革 はっ水加工
・抗菌防臭加工
・ゆったり幅広
・衝撃吸収プラスディンプル中敷
・滑りにくく減りにくい、底
・日本製

 向こうは暑かったのでそれなりに蒸れましたけど、全く臭くなく、そっちの面でも気持ちよかった。
 やっぱり革はいいですねえ。次第に自分の足の形に合ってくるのがわかる。そして日に日にどんどんしなやかになってくる。通常9800円ということですが、たしかにこのレベルの靴をそのへんの靴屋で買ったら1万円以上するだろうなあ。
 靴を試し履きしないでネットで買うなんて、という人もいるでしょう。たしかに到着するまではちょっと不安でしたが、結果として看板にいつわりなしの満足できる製品でしたよ。こういうビジネスにもカジュアルにも使えそうな、そして長年履けそうな靴を探している折でもありましたので、非常にラッキーでした。
 ちなみにオマケに靴下が一足ついてきました。

カネカ↓click!

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.20

レミオロメン 『Wonderful&Beautiful』

071120 予報ははずれて、予感は当たった。低い雲から雪が千切れた。…by藤巻くん
 今日朝起きたらなんと初雪!家の前で見事に初滑りしました(車が)。
 ちょっとびっくりですね。たしかに昨夜「粉雪」が舞ってましたが、まさか積もるとは…。
 「粉雪」と言えばレミオロメンの「粉爺」ですね…なんて言うのは私だけですか。でも、あの曲をさかんに聴いたのももう2年前なんですね。そして今年も冬がやってきたのであります。
 さあ、そのレミオロメンの新しい冬の名曲と紹介されたのが来月発売の「Wonderful&Beautiful」です。私がオーストラリアから帰らんとするまさにその時にNHKで初お披露目があったようでして、今日YouTubeでその模様を観ることができました。まったく便利な世の中だよなあ。
 まず意外だったのが、その新曲以外に彼らが選んだ曲が「ビールとプリン」だったということでしょうか。「粉雪」が来て当然と思った視聴者はびっくりしたのでは。いちおう秋&冬の恋歌というコンセプトでしたので、多くの人は当然「粉雪」が来ると想像したことでしょう。それが「ビールとプリン」だった。私のように、そのことに涙しながら喜んだ人も多くいたとは思いますけど、う〜ん、ここで生ビールとプリンを聴けるとは…感無量であります(私にとっては生じゃないけど)。演奏がどうのこうのとか歌がどうのこうのとかいう野暮な感想はやめときまして、けっこう感動しましたね。いい曲だなあ。
 そして、そして、新曲です。「カナカナとカタカナ」から「アルファベット&アルファベット」へ進化(?)したこの曲。正直「ビープリ」や「粉雪」ほどのインパクトはありませんが、コンパクトにまとまった佳曲ではあると思います。でも、やっぱり普通すぎるかな。いつもだと、あっやられた!みたいな発見がある彼らの楽曲ですが、今回はキーボードで確認するまでもなく全体のコード進行やらなんやらがわかってしまいます。ただ、聴きやすい分だけすぐに耳になじむといいますか、頭の中で自然と繰り返されるメロディーですね。それこそが名曲の条件とも言えます。
 録音におけるアレンジの様子はよく確認していません。しかし、このライヴを聴く限りは案外シンプルな仕上がりになっているようです。ここのところちょっとコテコテな感じが強すぎましたからね。そういう意味では安心したかもしれません。歌詞も比較的平坦な感じですけれど、「Wonderful&Beautiful」が都会でも田舎でもなくて、あるいは完璧なものでなくて、また不確かで不自由であれ、と歌い上げているところには全面的に共感いたします。いいところを地味についていますね。彼の感性はかなり深いところにまで到達していますよ。
Hgt さてさて、まあ楽曲にもそこそこ心を動かされましたが、しかし、しかし、何と言っても超ビックリだったのは、藤巻君の髪形でしょう(笑)。どうしちゃったの?その日に切ったと言ってましたが、かなり思い切った切り方です。思い切って何かの思いを断ち切ったかのような思い切り方(?)。笑ってしまったのは私だけではないでしょうが、なんとも可愛らしくなってしまいました。
 おかげで、今までなんとなくウチの下の娘に似ていたと思ったのに、ちょっと違っちゃった。さっそくウチのカミさんは娘の髪も切ろうかと考えてるようでしたが。で、今度の藤巻君はウチのバンドのギタリストの息子に似てしまった(って言っても誰もわからないと思いますけど)。
 で、誰かに似てると思い出すと、みんなが誰かに似てるように見えてくる。治くんは当然米倉涼子としまして、前田くんはこりゃあ天野だな(笑)。そして、サポートキーボードの皆川さんは私!…単にスキンヘッドつながりということですな。
 てな感じで最後はあんまりまじめに聴くことができませんでした。ごめんなさい。いずれにせよ、レミオロメン、そろそろアルバムのことも気になる季節です。楽しみにしております。春には久々にライヴ行こうかな。

YouTubeで観る

Amazon Wonderful&Beautiful

不二草紙に戻る

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2007.11.19

黒猫

R なに〜!?黒猫を年間6万匹も殺しただと〜!!許さん。
 Yahoo!ニュースに『「黒猫は縁起悪い」は迷信、イタリアで啓発イベント』というのがありまして、読んでみてびっくり。
 黒猫が縁起が悪いだなんて、いったい誰が言い出したんでしょうか。黒猫は福猫だというのは日本では古くからの定説ですよねえ。日本では神話の時代から烏や黒猫は縁起のいい動物なんですよ!しっかり勉強せよ、イタリア人よ(笑)。
 なんて、イタリアに限らず、欧米では魔女狩りの対象になったりして、ずいぶんとひどい目に遭ってきましたよね。かわそうに。日本でも向こうの影響でずいぶんと嫌われるようになってしまいました。
 一方で、黒猫を愛する人もたくさんいます。漱石の猫が黒猫だったことは有名な話ですね。あの吾輩も黒猫であるとの解釈が一般的です。
 もうお気づきと思いますが、私も黒猫を格別に愛玩する一人であります。このブログにも黒猫のMaukieが鎮座しておりますね。
Kuroneko で、ですねえ。もともとウチには大和守弥右衛門と丹後守新之助という二匹の黒猫がいたのですが、最近もう一匹の黒猫が加わったんですよぉ。
 いちおう通称「みーちゃん」であります。いずれ正式な名前を付けたいと思っていますが、こいつはメス猫ですので、ちょっとカワイイ名前をつけてやりたいな。
 実はこの新しい家族、脊椎を損傷しており、下半身が不随なんです。まだ生後2ヶ月くらいの子猫ちゃんなんですが、腰から下が動きません。
 ちょっと縁があってウチにやってきたんですけど、もうすっかり情が移ってしまってですね、ずっと飼うことになりそうなんです。下半身が不随であるため、排泄などは介助してやらないとできません。大変といえば大変ですが、私はさておいて、カミさんや娘たちはよけいに可愛いらしく、一生懸命世話をしています。
 まあ、これも何かの運命、何かの縁なのでしょう。実際、黒猫がいることによってウチにはずいぶんと福が舞い降りましたので、さらにパワーアップということで、ちょっと楽しみでもあります。
 黒猫だけ3匹、それも狙ったわけでなくたまたまウチにその3匹がやってきたわけでして、これはもう何かの思し召しでありましょう。黒猫の館と言われようと別に気にしません。
 黒猫はたいてい大人しく人懐っこいですので、扱いも楽。知性も他の猫よりも高いように感じるのは私だけではないでしょう。
 ちなみに出口王仁三郎も「玉鏡」の中で、『猫は魔の王であるから、家に猫を飼うておくと悪魔が来ない。猫を抱いておれば、おそわれるようなことはない』と述べています。そして真っ黒な烏は霊鳥だとも言っていますから、カラスネコとも呼ばれる黒猫は最強だということです。
 最近は寝室で家族四人黒猫三匹で寝ております。これじゃあ、夢にすら悪魔は入ってこれませんね。いいことです。

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.11.18

『709SC』(SAMSUNG)

Item 今回オーストラリアでもメール受信などで活躍したのが、このケータイです。
 私はずっとプリペイド派だったので、今回初めてフツーのケータイを持つことになりました。なんでこのように切り替えたかと申しますと、本当に単純にプリペイドよりも維持費が安いからです。
 今までは、こちらに書いたとおり、ソフトバンク東海のpjとスーパーテレフォンを組み合わせて、月々1200円程度で維持していたのですが、いよいよそれを上回る(下回る)ケータイ所持法が出てきたというわけです。
 いつかも書きました通り、私は携帯電話に何千円もかけることが非常にバカらしく感じられます。それが不当に当然になっているこの世の中は絶対におかしい。生徒たちが毎月7000円とかコンスタントに払っているのを見て、非常に違和感を抱いております。いったいそれだけの価値があるのか?
 それで、多少の不便(たとえばエリアなど)は承知でプリペイドを使ってまいりました。通話はほとんどしないし、メールのチェックくらいなら全然問題ないし、そのままプリペを使い続けても良かったんですが、いかんせん機種的にも古くなり(丸3年使いました)、また生徒にバカにされることも多く(笑)、さらにカミさんのAUのぷりぺいどに至ってはメールもできないので、そろそろ二人で変えようかと目論んでいたのです。
 で、どうやってプリペイドよりも安く上げるかといいますと、「スーパーボーナス一括払い+ホワイトプラン」という技を使うのであります。たとえば、私の709SCの場合、月々の基本料金は結果として24ヶ月間7円(!)ですみます。そのへんのカラクリについては、こちらを参考にしてください。説明が面倒なので。
 ということで、ある方のお世話になりつつ都心のある量販店経由でゲットした私の709SCですが、韓国製ということもあって、最初はいろいろ不安もありました。しかし、なかなか使い勝手も良く、何と言っても小さくて薄くて軽いので非常に気に入っています。ちなみに折り畳みも嫌いな変わり者の私であります。オーストラリア行って改めて疑問に思いましたが、なんで日本人は折り畳みが好きなんでしょうね。おそらく文化的なものだと思いますけど。オタク文化の一つでしょうかね。
 709SCの問題点は、小型化によるバッテリーの持ちの悪さだけかな。今まで一週間に一度しか充電してなかったのに、今はなんだか二日に一回はしないと不安です。あとは充電器やUSB、ヘッドセットの端子が共用かつ特殊な型ということでしょうか。汎用品が存在しないのでいざという時困るかもしれません。
 あと、最大の問題はですねえ、なんといっても自宅で圏外だということでしょう(笑)。エリアマップは嘘つきです。でも、今までもそうでしたし、家にいる時は家電にかけてきてほしい派なので、別に問題なしと言えば問題なしかな。とにかくケータイには依存したくありませんので。

ソフトバンク
709SC

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.17

無事帰国…日豪しごと事情

110717 昨夜11時頃にパースを飛び立ち、すっかり寒くなった日本に帰ってきました。久々に富士山を間近に見て、なんだか妙にホッとしました。
 しかし、ホッとしたのも束の間、学校到着30分後には、来年度へ向けての進学説明会が始まりました。私はプレゼンテーションをせねばなりません。それが終わったら明日受験の生徒のために面接練習。ものすごい強行スケジュールですが、そんな自分がちょっとカッコいいと思ったりして(笑)。最先端のビジネスマンなんて、毎週こんな感じでしょ?
 さて、そこで思い出したのが、オーストラリア人の仕事の作法です。彼らは本当に日本とは対照的な仕事観を持っていますね。
 夕方5時になればみんな会社を出て一杯飲みにいきます。残業なんてしません。あちらではビール一杯くらいなら運転してもかまわないということで、車で帰宅がてら居酒屋に立ち寄るんですね。いいですねえ。今年はサマータイムを導入していることもあって、仕事が終わってから3時間くらいは「昼間」っていう感じです。ひと遊びできるんですね。日本の感覚ですと、いくら夏とは言っても多少薄暗くならないと飲む雰囲気にならないんですが。
 また彼らは、一つの仕事を一生続けようなどとは考えていません。そういう点でも日本と対照的です。かなりの頻度で転職をしていきます。一生職を変えないということはほとんどないと言っていいようです。日本のような終身雇用、年功序列なんていうのは考えられないでしょうね。
 でも、私はどうもこういう欧米式というか、オーストラリア式の仕事観にはなじめないような気がします。私だけでなく、日本人の多くはプライベートよりも仕事によって自己実現を目指すようです。多少の困難、苦痛があっても、それを我慢したり、工夫したりしてなんとか乗りきって、そして20年30年一つのことを続けてそれである境地に達するという、いわば修行的な仕事のあり方ですね、そういうのが美徳のような気さえする。なんとも哀しいサガでもあるわけですが、最近私はそういう独特の境地こそ日本人の、あるいは日本の歴史を支えてきたものである気がするんです。
 どっちがいいということではない。ただ、日本人はそういう自己の願望に反するものとか、不条理なこととかに対する抵抗力、忍耐力に優れていると思うんですね。これはおそらく世界的にも異常なほど特殊な能力だと思います。今の日本は、それを捨てようとしている、つまりある種のグローバル・スタンダードに合わせようとしているように思えます。それは、たとえばオーストラリア人が日本の仕事の風習に合わせるのと同じくらい不自然なことだと思うんですが。ま、とは言っても根底の部分は変らないのでしょうが。私なんかも変に余暇ができると、それをどう消化していいか分かりませんし、転職する勇気もないし、実力主義や成果主義のストレスにも耐えられそうにありません。
 こういう対照的な国に来ますと、自分のどうにも動かしがたい性格というものを再確認しますね。これこそが異文化との遭遇の価値でしょう。
 それにしても妙に疲れました。とりあえず寝ます。昨夜機内でほとんど寝てませんので。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.16

牧場体験とフリーマントル…二つの忌まわしい記憶

071116 今日はオーストラリアでの最終日。郊外の牧場と港町フリーマントルに行ってきました。生徒たちにとっては美しい草原とインド洋に魅せられ、楽しい思い出ができた一日だったと思います。
 私はと言いますと、日豪の間におけるちょっと暗く悲しい記憶がよみがえる一日でした。実際はそこまで深く考えたわけではありませんが、脳裏をかすめたことが…けっこう重かったなあ。
 郊外の牧場に向かう途中、現地のガイドさんもおっしゃってましたが、実はあのオウム真理教が、西オーストラリアである事件を起こしていたんですよね。私はあの一連の事件については人一倍身近に感じていましたので(いや、別に信者だったわけではありませんよ。よく間違われましたけど。何度も職質受けたし…笑)、この広大な平野を見ると、あのことを思い出さずにはいられません。
 そう、オウムは西オーストラリアの砂漠地帯に土地を買って、いろいろと実験をしていたんですよね。実ははっきり分かっていないんですが、サリンの実験も羊相手にやっていたようですし、小型の強力爆弾の実験もしていたとか。核兵器だったというウワサさえあります。オウムの身内に被害も出たと聞いたこともあります。
 ガイドさんが言うには、オーストラリア人ものんきなので、妙な爆発の衝撃波や地震波を観測していながら、当時はちゃんと捜査をしなかったらしい。で、日本で一連のサリン騒動があってしばらくして、初めてオウムだったんでは、と騒ぎだしたそうです。ま、そんな調子であることを知った上でオウムはあそこを選んだんでしょうけど。
 なんともいやな話ですね。本当にひどい事件でした。富士山麓に住む者、あるいは新宗教を研究していた者としては、本当に辛い事件でした。ここに来てみて、ああこんなところにも悪しき爪痕が残っているのだなあと思い、再び暗い気持ちになってしまいました。
071115b さらにもう一つ。フリーマントルの丘の上にある慰霊碑での出来事。ここは大変風景の素晴らしいところでして、我々旅行団はバスでそこに乗りつけました。生徒たちには別に罪はないのですが、あまりの美しさと、いよいよオーストラリアとも今日でお別れだという思いからでしょうか、彼らはとってもはしゃいでいました。みんなで調子に乗って記念写真なんかを撮っていましたら、突然そこにいた現地の老翁が大声で怒り出しました。
 たまたま私がすぐ近くにいましたので、近寄って話を聞いてみると、彼は第二次世界大戦の海兵隊OBで、戦地に散った戦友の慰霊のために定期的に花を手向けにやってきているということでした。そう、そこはあくまでも戦死したオーストラリア兵のための慰霊の地なのでありました。
 そんな意識はおそらく先生方にもなかったと思いますよ。たまたま、私と私のクラスの生徒たちはこのドラマを授業で観ていましたから、当時オーストラリアと日本がボルネオなんかで戦っていたことを知っていましたから、すぐにピンときましたけれど、おそらく他の日本人は皆そんなこと知らないと思います。それこそ戦争マニアでもなければ一生知らないで終わるでしょう。私も偶然「最後の弾丸」を観たので知っていただけでして、比較的戦記物などを読んでいましたが、日豪の間にそんな過去があるなんて、それまで知りませんでしたから。
 私はあえて、彼に日本とオーストラリアが南洋のジャングルで戦ったことを話しました。当然彼はそれを知っていました。彼は、日本ではそのことについて何も教えないのかとも聞いてきました。残念ながらここにいるほとんど日本人はかの戦争についてよく知らない、原爆を落とされたくらいの認識しかないと説明しました。彼は悲しそうな顔をしました。私は、「生徒たちは何も知らない。私が代わりに謝る。でも何も知らない彼らが、この場所でピースサインをしてはしゃぐことは、ある意味今の平和を、今の日豪の関係を象徴しているとも考えられる。どうかそう考えて彼らを許してくれ」というようなことを拙い英語で一生懸命説明しました。彼は静かにうなずいて、「歴史を教えてやってくれ。そしてrespectの気持ちを忘れないように」と語りました。
 生徒たちはそんな二人の会話を知るべくもなく、豪州最後の風景を目に焼き付けてはしゃぎ続けていました。
 考えさせられる出会いでした。彼がいなければ私も普通にはしゃいでいたかもしれません。一人の日本人として、あるいは教育者の端くれとして、いったいどうすればよかったのでしょうか。あるいはこれからどうすればいいのでしょうか。その答えは当分出そうにありません。ただ、彼が言ったように「忘れてはいけない」ということだけは確かだと思います。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.15

姉妹校訪問…ネオテニー再確認

071115 本日はこの修学旅行の最も大切な行事である姉妹校への訪問が行われました。予想以上に生徒同士楽しそうに交流していまして、さすが若者は違うな、言葉の壁なんてほとんどないな、と思いました。もちろん先方のスタッフによる見事な準備のおかげです。その点大いに見習うべきところがありました。
 さて、その詳細については我が校のプライベートなことでもありますのでひとまず置きまして、今日私が再確認したことを書きましょうか。
 このブログでも何度か触れてきましたが、日本人の幼生成熟(ネオテニー)は、これは本当に特殊ですね。人類発祥の地から、陸続きで最も遠い場所にある極東日本。明らかに生物学的な成熟度は低い。つまり、肉体的に幼いということです。オーストラリアもかなりいろいろな人種が集まっていますよね。その中でも日本人はとっても子供っぽく見えると思います。私もそうですが、生徒たちなんかもこちらの同級生と比べますと、少なくとも3歳くらいは若く見える。私なんか10歳は若く見られます(笑…まあ日本でもそんな感じですけど)。
 いろんな言葉で表現できると思いますが、そうですねえ、おそらくウチの生徒なんか、向こうか見ますとある意味「ロリ」的に見えるでしょうね。民族的に富士山麓の民は平均よりやや小柄ですし、田舎者ですからなおさら純朴な少年、少女に見えるでしょう。校則の厳しさも手伝って、小学生のように見えるかもしれない。日本にいますと、そんなこと忘れてしまいがちですが、こうして別の民族に囲まれますと、途端にそう見えますね。
 ある意味そういうネオテニーな部分が日本人の「カワイイ」魅力につながっているのかもしれませんね。今朝テレビをつけたら、日本のアニメを放送していました。遊戯王とワンピースを英語の吹き替えでやってました。もうそのキャラクターたち自身が幼い。目が大きくて、3頭身だったりしてね。で、面白いなと思ったのは、日本では女性の声優さんが担当する少年役の吹き替えが、オーストラリアでは(欧米でもそうですが)男の声優さんの担当になるんですね。女声に慣れている私たちにとっては、ものすごく違和感があるんですけど、向こうの人に言わせると日本流の方が不自然だそうです。そりゃあそうだよな。こんなところにも、日本のネオテニー性が表れているのかもしれません。
 考えてみますと、日本のオタク文化は、大人による子ども文化なわけで、今やそれが日本文化を支える土台にすらなっているわけです。あるいは日本の産業の基幹である職人的な手仕事的な部分というのは、以前からある意味オタク的、幼児的、自閉症的でありまして、日本文化の分析にはどうしてもそういう視点が必要なような気がしてきます。
 ついでにちょっと笑えるネタを書いておきます。今回私は手荷物一つという身軽な恰好で渡豪しました。帰りも手荷物一つです。つまりお土産はほとんど買いません。というか、ぶっちゃけチョコなんかは日本にいる時にネットでまとめて注文しておきました(笑)。で、カミさんには「余計なものを買ってくるな」と言われてますので何もなし。子どもにはですねえ、この指令だけ与えられてきました。すなわち「オーストラリアでポケモンをゲットせよ」という命令です。
 で、いろいろ探したんですよ。本屋とかオモチャ屋とか。でも全然ない。どうも南半球にはポケモンは生息していないというか、渡ってきてないみたいなんですよ。それで半ば諦めて、ああきっとあいつらガッカリするだろうなと思っていたら…いました!
Nisepika まず見つけたのが、偽ピカチュウのマグネットです。雑貨屋さんで捕獲しました。おいおい、なんなんだよ〜。なんでこうなっちゃっうのかなあ。とっても単純なデザインだと思うんですけど、なんで忠実に再現できないんだ?日本人からしますと信じられません(笑)。たしかにこれだけ大らかな風土の中で生活してると、オタク的な感性は育たないかもしれないなあ。細かいことは気にしない。それでも、これはまずいでしょ。耳はライチュウになってるし(笑)。海洋堂のフィギュアとか見てる我々からしますと、これは許せません!!ほかにも偽キティや偽ドラえもんなんかが、実に妙な姿形で店先に並んでました(笑)。
Mania_2 あと、もう一つ娘たちが喜びそうなポケモングッズをゲットしました。雑誌です。町のスーパーで発見しました。たまたま今号がポケモンの特集だったようで、これはラッキーでした。その名もそのまま「mania」という雑誌です。チープな付録付きで5.5ドルでした。「ULTIMATE POKEMON GUIDE」というコーナーがあって、これは私が見ても面白いものでした。名前自体欧米風(オーストラリア風)になっていて、言語学的に実に興味深い。英語の語感の勉強になりますね。

不二草紙に戻る