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2007.10.30

『般若心経は間違い?』 アルボムッレ・スマナサーラ (宝島新書)

79666032 非常に面白かった。勉強になりました。
 私も大好きな般若心経。私の人生を変えたと言ってもいい般若心経。それを間違いだと断ずるこの本、とってもいい本でした。
 ふつう、大好きなものにダメ出しされると、がっかりしたり、腹が立ったり、たいがい不快になりますよね。でも、この本はどこか爽快ですらあった。実に気持ちのいい本です。
 今だけでなく、ずっとずっと日本では般若心経ブームでした。いろんな偉い人がたくさん本を書きました。私もそのうちの十冊近くを読んでいるでしょう。そのたびに、なるほど〜と感心してきました。そして、仕事上最低1週間に一度はこのお経を大声で上げます。また漢文の授業で、書き下しの練習にこのお経を使ったりしています。そうしているうちに、最近、自分なりの般若心経解釈というのができてきて、ますますこのお経が身近になってきました。つくづく素晴らしいと思います。
 で、まさにそういうところが「間違い」の証拠であると、著者は言うんです。いろんな人のいろんな般若心経があるということ自体、間違っている証拠だと。仏陀の言葉は真理なので、そんなブレはないはずだと。
 これは正直目から鱗でした。ああ、たしかにそうだ。言われてみれば変だぞ。真理を語っているはずなのに、なんでたくさんの解釈が成り立つんだ?
 さて、そうしたたくさんの解釈、私の心を動かしてきた解釈、このブログでは桐山靖雄ダライ・ラマ玄侑宗久のそれを紹介しました。
 それらの記事を見ても分かる通り、やはり私の、いや世の中の皆さんが難解だと感じているのは、「色不異空」や「色即是空」のあとに出てくる「空不異色」「空即是色」ですね。たとえばそれらについて、この本では間違い以外の何ものでもなく、解釈も何もないとします。般若心経の作者が本来の仏陀の教えを理解していない、特に実践、体験が足りていない証拠だとします。なるほどこういう「解釈」もあるんだな(笑)。
 その他の部分についても、著者の舌鋒鋭く、般若心経の作者はケチョンケチョンに非難されます。さらに大乗仏教、日本製仏教、キリスト教なんかも、上座部仏教の立場から強く疑問を提示されます。でも、なんでしょうかね、筆者の人柄なのか、慈悲心の現れなのか、決して原理主義的な感じはしませんし、どこかユーモアさえ漂っていて、不快になったり、反論したくなったりしないんですね。まあ、私自身がどちらかというと上座部に憧れを持っているかからかもしれませんけど。
 とにかく、般若心経の作者、大乗仏教のお坊さん、そして私たちが、みんな仏教の原点(原典)に関して勉強不足であるということを、スマナサーラ長老は強く語っているわけですね。それはその通りだと思います。「空」から虚無主義に行ってはいかん!呪文を唱えてすませるな!実践を怠るな!たしかにそうです。
 しかし、一方で「文学」としての般若心経の魅力もまた捨て難いものがあるよな、と思いました。つまり「○○の般若心経」、究極は「私の般若心経」というのがあってもいいような気もしたのです。私はもちろんブッダにはなれませんし、今はとりあえず普通の人間ですので、こうして様々な人間、それも至らない立派な人間がたくさん関わった人間的な般若心経も、やっぱり好きです。上座部と大乗と、どちらが高級かという議論ではなく、どちらにしても私たち至らない人間によって「縁起」しているものです。そんなふうに考えていくと、私たちが真理だと思っていることもまた「空」なのかもしれない、という究極の真理に至るわけでして…おっと、もしかして仏陀を超えた?
 とにかく、やはりお釈迦さまと言えども、「言葉」を介してしか我々には伝えられなかったわけでして、もしかすると、私たちは、永久に「私たちの○○」の中で生きるのかもしれません。仏教に限らず。それもまたいいのではないでしょうか。

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コメント

いつも拝読させていただいております。
私自身 自力と他力 常時 混在しております。
禅と念仏 上座部と大乗。
やはり いいとこ取りでは駄目なのでしょうね。笑
しかし 人間本来  完全ではありませんから。ある意味
完全になったら・・・御陀仏・・・ですね。
昔・・・聖書に 言葉は神なり と記してあったような気が
します。笑
モーゼの十戒 仏教の十善戒・・・すばらしい言葉に
違いはないような気がするこの頃であります。合唱おじさん

投稿: 合唱おじさん | 2007.11.02 10:22

合唱おじさん様、いつもありがとうございます。
いいとこ取りでいいと思いますね。
とりあえず今の自分レベルではそれで充分だと思ってます。
もし今後自分が成熟していったら、変るのかもしれませんが。
私は基本的に万教同根の考え方なので、いいとこ取りこそが根っこを知る良い方法なのかもしれませんし。
ただ、「言葉は神」というのにはちょっと…やっぱり(笑)ですね。
「ロゴス」を「言葉」と訳すの自体抵抗がありますので。
それについてはこちらにちょっと書きました。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.11.02 15:30

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