「学習」と「教育」〜『アンデス 神の糸を刈る日(シリーズ 天涯の地に少年は育つ)』(NHKハイビジョン特集)
何気なく観たこの番組、地味でしたが何かとても感じるところがありました。ちょっと前に紹介した「天空の民 ブロックパ」と同じようなことを思いましたね。
アンデスの高地、標高4500メートルの村で年に一度だけ行われる「チャク」という狩り。ビクーニャという野生動物を生け捕り「神の糸」を紡ぐ毛を刈ります。男も女も、そして子どもたちもそれぞれ役割を与えられて、神からの恵みを得るために、皆で協力します。子どもたちはそんな中でいろいろなことを学んでいきます。
共同体における教育、いや学習ですね、学習の本来のあり方。ブロックパのところでも書きましたとおり、日本に一番欠けている部分です。日常の生活や仕事ぶりを通じて、いったい私は娘たちに何を伝えているのだろうか。非常に心もとない。情けないことです。
「学習」は「学んで習う」ということです。「学ぶ」は「真似ぶ」、「習う」は「慣らう」、すなわち本来の学習とは「真似をして慣れていく」ことです。子どもにとってまず真似るのは、言うまでもなく親でしょう。親の真似をしていろいろやってみて、そして慣れていく。
今の日本ではその点どうなんでしょうね。欲望を満たすことに奔走する大人(親)の真似をして、その文明的生活に慣れていくというのが実情ではないでしょうか。誤った「学習」ですよね。
番組の中では「学校」も登場しました。けっこう、学級崩壊してました(笑)。まあ、あんなもんでしょう。いかにもな先生が「教育」にいそしんでましたね。「教え、育てる」っていうやつです。ああ、ここにも近代化の波が…。もちろん、こういう世界になっているわけですから、彼らにも教育を受ける権利や義務はあるでしょう。それはかまいません。ただ、日本のように、家庭や地域での「学習」の機会が減って、学校での「教育」ばかりになってしまわないか、なんとなく心配になりました。ブロックパの時もそうでしたね。
つまり、「学習」は子どもの主体的な活動であり、「教育」はあくまでも大人からの押しつけだということです。「学習」と「教育」は、同じことを違う視点で言ったものにすぎないと考える方もいるかもしれません。でも、どうなんでしょう。本当にそう言って片づけていいものでしょうか。本当はどちらが先にあるべきなんでしょうか。
自分はいちおう教育者と言われてしまう仕事をしているので、この点に関しては常に気をつけています。たとえば大学受験の指導にしても、「俺はこうやって解いてるんだよ。真似したきゃ真似してくれ」とよく言います。ま、場合によっては生徒の方が自分よりできる時もありますから、その時は私が「学習」させていただいてますけど(笑)。今、ちょうどそういう時期でしてね。3年生の「真似したい、慣れたい」という気持ちが盛り上がっています。そういう時が一番伸びます。だからこちらも忙しいけれど楽しい。
番組では、父親、母親、近所のおっちゃん、おばちゃんが、見事な技術と知恵と連携でビクーニャを捕まえていました。子どもはそれを見て「よし来年はオレも…」とか思うのでしょう。素晴らしい「学習」の場だと思いました。そう考えると、私も受験という1年に一度の「狩り」とか「刈り」を一緒にやってるようなものですね。一見全然違うような気がしますが、実は同じようなことをやってるのかもしれない。「○○大学」という獲物…いや神からの恵みをゲットするために、技術と知恵と連携を駆使しているとも言えますね。来年春の猟果はどんなもんでしょう。ペルーの彼らもビクーニャを一頭も捕れない年もあるとか…いやいや、そんなことは考えないようにしよう(笑)。
いやあ、チャクの独特の雰囲気には静かに興奮してしまいました。特にお母さんたちのたくましさにはびっくり。ビクーニャと思いっきり格闘してました。母は強しですねえ。そんなところからも子どもたちはいろいろ学ぶのでしょう。教えずとも教えることはできるわけですね。そうするとですね、「教育」なんてものは、「自然」が語らずともやってくれるわけで、大人もまた子どもにとって「自然」であればいいのかなあ、とも思えてきます。今の私たち、日本の大人、親たちは、子どもにとって全く「自然」ではないのでしょう。じゃあ何なんでしょう。子どもの方がずっと「自然」ですよね。なんかいやになってしまいますね。
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コメント
コメントはご無沙汰しておりますが、ほぼ毎日立ち寄っている LUKE でございます。
なんだか前にもここで同じコメントをした気がしますが、「教育とは教えないことである。」というのが持論であります。板前さんの修行だって、親方や先輩が手取り足取り教えてくれたりしません。技を覚えるには、通常の仕事をしながら先輩達の所作を盗まなければ行けませんが、仕事に忙殺されたり集中力が足りなければ、それは不可能なことです。そんな状況に置かれれば、人間どうなるかというと、自然と要領良くなって逞しくなるものなんですね。誤解を恐れずに言えば、教育者が親切になれば、子供は脆弱になるだけだと思います。
なんだか「ゆとり教育」が見直されるというかキッパリ否定されて、詰め込み教育再来とか。滑稽です。過去に何故、詰め込みが否定されたのか、誰もが忘れてしまったかのようです。が、そんなことは実はどうでも良くて、もう少し指針に幅を持たせられないものですかねぇ。教育論なんて教育者の数だけ有って良いのに、文科省の指針や世間の風潮は、あたかも絶対的な教育というものがあるかのような口ぶり。うんざりです。
投稿: LUKE | 2007.11.01 18:59
LIKEさん、いつもありがとうございます。
まったくねえ、昨日もビックリしました。
新しい教育課程を見て、思わずみんなで笑っちゃいましたよ。
ああ、また現場は大変だと。
どの教科が一番笑えるかなあって。
ホント、中庸とか多様とかに無縁な人たちが多過ぎです。
頭がいい方々ってたいがいこうなんですよね。
「教育とは教えないことである」
名言ですよ。
「教育者が親切になれば、子供は脆弱になる」
その通り!
最近自分もサービス業に専念してるような気がしてなりません。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.11.02 07:08
教育改革とかいうナンセンスな行事に、毎度真面目に付き合わなくてはならない日本中の先生方、お気の毒様でございますよ。
>新しい教育課程を見て、思わずみんなで笑っちゃいましたよ。
私が当事者ならその都度発狂してやる所ですが、笑い飛ばせる余裕があるとは大変素晴らしい。そう言えばウチの産休中の嫁も「フン!」と鼻で一笑に付しておりました。皆さん頼もしいなぁ。(^_-)
庵庵主様、お忙しくなさっているようですね。生徒さん達にとって、それは何よりです。
投稿: LUKE | 2007.11.03 00:02
いやはや、もうあれは笑うしかないでしょ。
奥様の「フン!」もよくわかります。
私、カリキュラムを作る係なんで、もう楽しむしかないですよ。
この前、23年度分まで作ったばっかりなのに…。
高校の場合、センター試験など大学入試の科目がどうなるかによって、教育課程もずいぶん変わってくるものでして、こりゃ当分楽しめそうです(泣)。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.11.03 06:01