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2007.09.30

H2(ZOOM ハンディー・レコーダー)

Handy Recorder H2
Zoomh2 物欲をそそる製品その2です。ZOOMがまたいい製品を出してくれました。やるなあまったくぅ。
 以前これも魅力的なH4を紹介しました。マニア心をくすぐる製品でしたねえ。でも、結局お金がなくて買いませんでした。
 私、とにかくいろんな音楽活動をしているので、その練習や本番の様子を手軽に高音質で録音できる機材がほしいんですよね。今日も東京で二つのバロック・バンドの練習がありました。私の周辺ではRolandのR09を使ってる方がほとんどなんですが、今日はお一人のメンバーがH2を持ってこられました。初めて実物を見ることができました。う〜ん、大きさもカタチや質感も私好みですなあ。ある意味スマートなR09よりもダサいところがいい。いかにもZOOMらしい、いい意味でのB級ぶりがそそります。
 R09はちょっとホワイト・ノイズが多い(実際に聴いてみましたが、たしかにちょっと気になる)ということで、買うんだったらマニアックなH4かなあと思ってたんですね。ただ、なんとなくあのスタンガン(笑)を持って歩くのは恥ずかしいというか、まあ単にお金がなかったんで買わずじまいだったんです。そんなところに、H4よりも安い、H4よりも小さい、H4よりも面白い機種が発表されたわけです。
 まずビックリしたのは、なななんと四つのマイクを内蔵しているということです。この小さな筐体になんで?ですよね。つまりこいつは4チャンネル録音ができる。いわばサラウンド録音ができるというわけです。もちろん、そういう再生機器がないと意味がないと言えば意味がないんですが、音源群の中央において全体の音を録りたいということは、たとえば楽団やバンドの練習の際にはけっこうありうることなんですよね。大概向かい合って円陣(半円陣)になって練習しますから。
 H4の音質、ローノイズ性も高い評価を得ていました。このH2もかなりいいようですよ。今日は音を聴かせてもらうヒマがなくて残念でした。
 H4は妙なこだわりがありすぎて、ちょっとマニアックすぎるところがあったんですよね。楽器を直接つなげたり、エフェクトが満載だったり、プラグインパワーマイクが使えずファンタム電源対応だったり(笑)。そういうまあ結局私たちにも無駄な機能を排除して、より一般的に使いやすくしたのが今回のH2です。それでも4chというとんでもないマニアックなこだわりがありますが(笑)。
 そしてそして、なんといっても低価格ですよ。ZOOMの価格破壊ぶりはいつもすまじく、安すぎてB級の印象を与えて逆に売れなくなってしまうくらいでして、今回このH2も2万円ちょいで買えるようです。発売後ずっと人気でして、ここのところ生産が間に合わないのだとか。たしかにこれは売れますよ。
 ところでそのB級っぽさを象徴するようなエピソードを一つ。初期ロットは左右が逆だったとか(笑)。もちろんその後ファームウェア・アップデータで改善されたそうですが。
 さて、最近思うこと。この前も運動会で(いやいや)ビデオを撮ったんですけど、どうもビデオで思い出づくりというのは好きじゃないんですよね。やっぱ、写真(できれば銀塩)と生録ではないかと。ビデオは情報量が多過ぎ、リアルすぎ、思い出として私たちが補完する要素が少なすぎる。よって美しくならない!これはいかん。
 昔なんとなく日常の様子を録音したものがいくつかあります。これを聴きますとね、なんとも懐かしいんですよ。映像は自分で勝手に脳内で流すしかない。というか、勝手に映写されるわけです。それこそが「思い出」でしょう。思い出すんですから。
 そんな意味でも久々に生録というのをやってみようかなと。昔デンスケでやってたように。そんな意味でも4chのH2は魅力的かも。あるいは、Panasonic WM-61でバイノーラル・マイクでも作ってみようかな。最新のデジタル機器を使いつつ、原点回帰してみたい今日この頃であります。

H2公式

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ps 結局これを買いました。

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2007.09.29

東西古楽in吉祥寺(富士吉田市)

07092901 今日の昼間は保育所の運動会。いつものように小さな村らしい手作り感満載、そして一体感満載のお祭りでありました。娘のそれなりの成長ぶりにちょっとジーン。先生方お疲れさまでした。ちなみにウチのカミさんは役員さんでして、運動会中バタバタと奔走してましたね。お疲れさまでした。
 カミさんは打ち上げでたぶん午前様でしょう。一方のワタクシは子どもたちを連れてお寺で坐禅&演奏会です。
 今日の演奏会は、最近ご一緒させてもらう機会の多い渡辺敏晴さんをメインに据えまして、私はちょっとだけお手伝いさせてただきました。
 渡辺さん、九州、関西方面への演奏旅行の最後に富士山に立ち寄ってくれました。昨年と一緒ですね。今回はチェンバロだけでなく、和楽器の胡弓、そして小型のガンバであるパルデュッスも引っさげての登場。多彩な音楽を聴かせてくれました。
07092902 肝腎の楽譜を名古屋に置き忘れてくるというアクシデント(笑)にもめげず、即興もまじえながら楽しい演奏会に仕上げてくれました。こうして、ヘンデルやラモーと同時に日本の伝統的な音楽を聴けるというのはなかなかないですよね。考えてみますと、江戸の音曲盛んな頃というのは西洋ではバロックや古典派にあたるわけですから、実は不自然なことではないんですよ。そういう観点のない演奏家が多い中、渡辺さんは貴重な存在だと思います。
 こうして並べて聴いてみますと、楽器にせよ、楽曲にせよ、やはり似ている部分と全く違う部分の両方がある。そこが面白いんですよね。共通点を見つける面白さと違いを見つける面白さ。これはインターナショナルな、あるいはグローバルな文化体験の第一歩だと思います。そういう視点というのを皆さんにも知っていただきたいですね。
 私も遊びですが東西両古楽をやってますので、渡辺さんとは意気投合してまして、今後少し活動を拡げていこうかと話しているところです。もちろん古楽に限らず、それこそ古今東西の音楽を楽しんでいきたいし、楽しんでいただきたいと思います。
07092903 今回は、私はちょこっと手伝わせていただきました。せっかくお寺という場ですから、以前ある高校での講座でお話しした、音楽と仏教の教えの関係といいますか、一つの音が周囲の音(すなわち和音)によって性格付けされる、性格が変化するというところから「縁」「無我」の考え方につなげるというのと、不協和音が音楽を豊かにするように、人間関係でも衝突や不和こそが人生に深みを与えるというようなことを、実際の音をまじえてお話させていただきました。その道のプロであられるご住職の前でとんでもないエセ法話をしてしまい、ちょっと恥ずかしいのですが…。
 そして、私にとっての「縁」ソングの代表であるレミオロメンの「3月9日」をチェンバロとヴァイオリンで演奏しました。またまた演奏しながら自分がジーンとしてしまいました。いい曲だなあ…やっぱり。
 今日は70名の方がいらしてくださり、お寺の本堂は超満員という感じでした。こうした出会い、まさに一期一会の出会いに、心から感謝いたします。そういうご縁を大切にするということは、その瞬間瞬間を大切にすること、他者を大切にすること、そしてそれはすなわちそこに立ち上がる「自分」という存在を大切にすることです。そんなことを痛感した演奏会でもありました。
 吉祥寺ご住職様、渡辺敏晴さん、そしてお聴きになってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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2007.09.28

吉井和哉 『Hummingbird in Forest of Space』

51wca0rk3ol_aa240_ My friend(?)吉井和哉さんのニューアルバム、ひと通り聴きこんでみましたので、感想など。
 昨年末のライヴでの実にパワフルでエロティック、完成度の高いパフォーマンスから、これは何か吹っ切れたなと感じさせた吉井さん。もちろんイエモンの楽曲をバシッと決めてくれたというのもありますね。とにかく2007年の吉井和哉に期待しててくれ!とでも言いそうな雰囲気に、私も多いに期待していました。その期待通り、前作から1年足らずで届けられたニューアルバムは、なかなかの名盤でありました。が…。
 ご本人も雑誌のインタビューなどで「SICKS」のことを引き合いに出しておりました。「SICKS」は言うまでもなくイエモン時代の最高傑作。私が彼らにはまった原因になったアルバムでもあります。大いにポップで、かっこいいけどどこか大衆歌謡的なその世界に、かな〜り深くのめりこんだのを思い出しました。もうあれから10年ですか。私もこの間、あまりにいろいろな変化を体験しましたけれど、吉井さんはもっといろいろあったろうなあ。
 で、その名盤の時の「イケイケ」な感じが、このアルバムのレコーディングの時にあったと。産みの苦しみではなくて、産みの喜びですね。そういう勢いというか、推進力のようなものを確かに感じる出来です。
 吉井さんのこれまでのソロアルバムは、それこそ産みの苦しみという感じでした。それはそれで共感できる部分もありましたし、いろいろな先入観やらわがままな期待やらを抜きにして考えれば、やはり彼の音楽は唯一無二の価値があります。しかし、その苦しみがより多くの人に理解されていたかといいますと、これは正直そうではなかったと言わざるを得ない。単純にそういう意味で、ご本人も周囲も辛かった時期が長かったのだと思います。
 私も不惑を迎えた時から、たしかに惑いが少なくなった。どこか開き直ったところがあったのでしょう。かなり考え方、生き方が前向きになりました。彼もそんな境地になったんでしょうか、40過ぎて。もちろん私とはレベルもステージも違いますけど気になります。
 今回のアルバムが一般に「吹っ切れた」「突き抜けた」というような表現をされるのは、そうしたストーリーが背景になっているのとともに、単にメジャー(長調)の曲が増えたためだと思われます。それは明るく聞こえますからね。非常に単純なことです。一方、マイナー(短調)の曲もイエモン時代を彷彿とさせるキャッチーなフレーズにあふれていますね。そういう意味では突き抜けたと言う、そのベクトルの方向はたしかに10年前に向かったものなのかもしれません。表面上はね。
 しかし、私は彼のそうした変化を単純に復活だとか回顧だとか考えたくないですね。今回の作品の歌詞における、言葉遊び(言語遊戯)によるナンセンスなセンスや、エロチックな表現から感じられる幼児性などに、なんとも不思議な矛盾といいますか、心地よい「彼岸性(あの世性)」を感じるんです。これはたしかに「SICKS」的大まじめなおふざけ(?)に近い世界かもしれません。しかし、それが本当に自然なものなのか、彼らしいナイーヴさは健在と言えど、そのナイーヴさに肉体がついていっているのか、そんな不安を少し感じてしまいました。ちょっと危険なにおいをかぎつけてしまったんですよ。
 太宰がそうであったように、ナイーヴであり続けることには多大なエネルギーを要します。太宰は40になろうかという時に命を絶ってしまいました。それが本気だったのかどうかは微妙ですが。ナイーヴな人間にとって40という、まあさすがにモラトリアムも終わりだという(社会的)年齢は、大きな人生の壁なんですね。吉井さんはそこんとこを「ある形」で乗り切ろうとしていることはたしかです。
 でも、その「形」は実はまだ「形」をなしていないような気もします。今でも健在のベテラン・ミュージシャン、特に欧米の重鎮たちの境地に、果たして彼は到達できるのか。ちょっと厳しい言い方かもしれませんが、今回のアルバムではその道のりはまだまだ遠いような気がしました。本当にクオリティーの高いアルバムなんですが、まだまだ頑張ってもらいたいし、もっともっとできる、そんな期待をこめまして、こんなことを書かせていただきました。
 あと最後に一言。「形」は自分で決めるべきだと多くの人は考えるでしょうが、実はそうではなくて、他者が決めるんです。それは別に芸人さんに限ったことではありません。

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2007.09.27

『やさしい経営学』 日本経済新聞社編 (日経ビジネス人文庫)

53219149 初めて経営学の本を読んでみました。「基本のきほん」って書いてあるんですけど、それなりに結構難しかった。初めてだからでしょうね。
 経営哲学の本は何冊か読んだことがありました。でも、だいたいその手の本って宗教書になるじゃないですか。私の得意分野ですから、そういうのは楽しく読ませていただいてました。でも、「学問」となると、やっぱり私苦手なんですね。途端に先に進まなくなる。
 常々、経営学と哲学は高校でも少しやった方がいいのになあ、といつも思っている私です。教え子もずいぶんと経営学部に行きますが、経営学をすすめる私がその経営学を知らないっていうのはいかんでしょ。だから遅ればせながら少しかじってみようと思ったわけです。そしたら、まあけっこう難しかったし、ちょいと違和感すら覚えてしまった。
 やっぱりセブンイレブンやユニクロ、キャノン、それぞれのトップのリアルな話は面白かった。でも、大学の先生、つまり学者さんが出てくると途端に眠くなる。これじゃあホントだめですね。
 リアル世界でのマネージメントの天才たちって、ただ金もうけに長けてるだけじゃないのは確かですよね。会社というのは人と物と金を動かすわけですけど、その基本はやはり人です。人が動かないと物も金も動かない。そうなると、哲学というか、宗教というか、それなりの人間性やあの種の詐術(失礼)も必要になってくるわけじゃないですか。私はそういうところに興味を持つ人間なんですね。
 たぶん私の仕事、つまり先生という仕事は、物や金よりもうんと人を動かさないといけないからでしょうね。そういう意味のプロであるべきなのでしょうし。逆に言えば、そっちに特化しちゃってるんで、いわゆる経営努力とか経営センスとかからはかなり遠いところに住んでいるわけです。
 私の職場は私学ですから、半分は企業的な部分もあるんでしょうが…そう、いつかも誰かとケンカになりましたっけ。会社と学校を一緒くたにする人と、一線を引きたい私がずいぶんとやりあいましたっけ(笑)。こちらから一連の記事をご覧下さい。ま、今、経営学の本を読んだりして少し大人になってみますと、彼の言わんとするところもわからなくもないですね。
 しかし、どうも全体として違和感があるのも事実なんです。なんでみんなお金もうけに走るんでしょう。そんなこと言ったらおしまいですけどね。最近そこんとこに疑問を感じるんです。なんでだろう。もう充分日本人は豊かだし。これ以上「成長」して、他人や地球から搾り取って何になるんでしょう。
 なんて、私もビジネス人だったら、こんなこと考えてるヒマないですよね。毎日の仕事に追われ、また家族を養うためにもリストラにならないように努め、こんなバカなこと(賢いこと)考えようともしないでしょう。たまにそんな野暮が脳裏をかすめても、それを必死に消し去ろうとするでしょうね。生きていくためです。
 政治家の皆さんは「成長、成長」言いますけど、人間だってピークを過ぎたらそれなりの生き方ってあるじゃないですか。たとえば40過ぎて「成長、成長」じゃかっこわるいですよ。子どもじゃないんだから。やっぱ「成熟」でしょ。私が総理大臣になったら「成熟を実感に!」って吠えますよ。ね?いいでしょ?
 この本にも少し出てましたけど、旧来の「日本的経営」ではなくて、新しい「日本的経営」が生まれてもいいと思います。つまり、アメリカみたいなバカげた妄想を掲げるんじゃなくて、「成熟」のための経営ですよ。共生、利他の経営です。一人勝ちはカッコ悪いという哲学、宗教。
 どう考えても、長期的に勝ち組になるにはそれしかないと思うんですが。子どもでもそのことは分かるはずです。なのに世の大人たちはなんでみんな利己に走るんでしょうね。
 なんか突然変異が起きるとか、変な病原菌が宇宙から飛来するとかして、人間の考えがひっくりかえりませんかねえ。あるいはそういう薬を開発するとか。そういう兵器でアメリカを攻撃するとか(笑)。

ps 今ちょうど「カンブリア宮殿」の再放送でローソンの2位並み(失礼!)…じゃなくて新浪社長が出てました。たしかに、こういう世界で成功するれば気分はいいよなあ。でも、その気分の良さって結局自己満足でしょ。本当に世の中のため、人のためになっているんでしょうか。人の欲望を満たしてあげることが人のためになるとは思えないんですけど。そういう意味で経営哲学ってやつには胡散臭さを感じるのも事実なんだよなあ。

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2007.09.26

Rolleiflex MiniDigi

 最近、異常に物欲を刺激されているものがあります。しかしお金がないので買えないという、まさに片思いの状態。それも三つもありまして、困ったことです。で、それらが今本当に必要かと言えば、あんまり必要じゃない。ま、恋愛みたいなもんですね。あれも必要かどうか微妙なものですから。
 それらを買ってもいないのに紹介したいと思っています。私の代わりに誰か買ってくれれば幸いです。いや、別に人のものになったから諦めるという、まるで恋愛のようなことを考えてるのではなく、単に紹介したいから…うむ、なんとも複雑な男心ですなあ。あっそうだ、誰かが私に買ってくれればいいんだ!誰かお願いします。
 で、今日は一人目…じゃなくて一つ目。
Md_front これです。ローライの二眼レフの名器2.8Fです…というのはウソでして(50万円以上するんで)、「Rolleiflex MiniDigi(ローライフレックス ミニデジ)」です。デジカメです。それもトイデジカメ。ローライ本家本元による精巧なミニチュアです。
 もうずいぶん前に発売されていたんですけど、最近生産中止になりまして、店頭在庫のみになってしまった途端、本当に急にほしくなっちゃっいました。そういうのってよくありますよね。ウチにもいわゆる最終機種と呼ばれるものたちがウヨウヨしてます。
 デジカメ、私はあの歴史的名機SANYO MZ3(これもある意味最終機種、最終兵器ですな)を持っているんですけど、最近さすがに調子が悪くなってきました。まだまだ現役で撮れるんですけど、たまにノイズや色むらなど発生することがあるんです。
 あと仕事ではペンタックスのOPTIO M30を使っています。これなんかまあMZ3とは比べものにならないほど使えない製品でして(あくまでワタクシ的価値においてです。一般的にはいいデジカメかも)、もう光学式ファインダーがついてない時点でブッブーです(って今のデジカメにはそんなもんほとんどついてませんね)。
 とにかくいつも書いているようにやたらな画素数戦争や小型化にはついていけないワタクシでありまして、どうも今どきの製品には食指が動かなかったんですね。ところが、なぜかこのトイカメラにはビビビッと来てしまった。もともと来てたけど、なんかもう逢えないかもしれないって思ったら急に…。まるで転校が決まった女の子が違って見えるように(笑)。
Md_wh さてさて前置きがいつも長いな。このローライ・ミニデジですけど、まあとにかく知らない方、見てください。このオシャレでキュートなフォルム。この絶妙な存在感。買った方のレビューを見ますと、本当に本家本元を忠実に再現しているらしい。そういうミニチュアとしてもフィギュアとしてもかなり「萌え」です。
 で、デジカメとしての性能、撮れる写真というのがまたたまらない。外見だけでなく性格もちょっと他と違って魅力的なんです。
Md_swl03 画素数は300万、私の望むベストなスペックです。これ以上は絶対にいりません。レンズは固定焦点。パンフォーカス。メディアはMMCかSDカード。電池はさすがカメラメーカーという感じのCR2。シャッターを切るのにいちいち巻き上げクランクを回さなきゃならないという「ムダ」。ファインダーはなんと上からのぞくタイプ。まさに2.8Fですね。そこには小さな液晶画面がついてます。
Imag0221s そしてなんと画像は正方形。これがいいじゃないですか。こだわりの正方形ですよ。正方形になるだけで、切り取る世界が違うふうに見えてきますし、出来上がった写真も不思議なイメージになります。さらに、このカメラの面白いのは、撮影時にカメラを微妙に動かすことによって、ゆがんだ絵を撮ることができることです。これは実に面白いらしい。なかなか思うような写真が撮れず、楽しいのだといいます。こんなデジカメありますか?
 まあとにかく公式ホームページを見てみてください。めちゃくちゃムラムラしてきますよ。ああ、こいつをこの手に包んでみたい。そして思い通りにならないこいつを手なずけたい。
Redv でもお金が…。今、新古品で25000円まで価格が下がりました。う〜ん、でもなあ、ホントは限定の赤バージョンがほしいんだよなあ。てか、両方ほしいっす!!二つ並べてステレオ写真撮りたいっす!!!これが男の夢です。ロマンです。なんて、カミさんに言っても絶対わかってもらえないだろうなあ。ううう、まあ妄想にとどめておいて、涙をのむか…。

公式ページ

マップカメラ(ローライでショップ内検索しましょう)


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2007.09.25

『サラリーマンNEO season2 最終回』→福田総理大臣NEO初回(?)

Neosexy08 今年も楽しませていただきましたサラリーマンNEOが終わってしまいました。残念です。NEOが終わると「秋だなあ」という感じがします。これからあの厳しい冬が来るのかあ。
 最後ということもあってか、今回はサービス満点の内容でしたね。実に濃い30分間でした。
 いつもの「NEO EXPRESS」に続きましていきなり登場しましたのは、このブログでもダントツの人気を誇ったセクスィー部長。今回のやられ役は麻木久仁子さんでした。というか、おっかけ腐女子(貴腐人)がたくさん登場して、もうそれだけで笑えました。池田鉄洋さんの偽セクスィー部長も現れたりして、もうメチャクチャな展開。そんな中、目を引いたのはスタッフが3日で作ったという「セクスィー部長グッズ」ですなあ。マグカップほしいっす。ウチワもいいなあ。「セクスィーの壁」も読んでみたいような…。
 続く「ワースト チョイス オトコ」。入江雅人さん、こういうちょっと変な人を演じさせたら、この人の右に出る者はない。ものすごく変じゃなくて微妙に変なんですよね。私、すっかり彼のファンになってしまいました。アドリブすごいし。
 「サラリーマン語講座」ではある意味禁句が連発。「ASAP」からなぜか「ボブ・サップ」「チェ・ホンマン」が出るし、「ウルトラクイズ」はそのディテールや音楽まで登場するし、おいおいNHKよ、そんなに民放の宣伝していいのか?って感じでした。太っ腹ですねえ。いいことです。
Oukoku 中越典子さんのNYAOをはさんで始まったのは「会社の王国(今どきの若者のメンセツ)」です。これがまた面白すぎた。番組終了後、カミさんと録画を2回見てしまいました。今どきの若者を見事に描写(?)してましたねえ。これは本を書いた人もすごいけど、その人の期待をはるかに裏切った役者陣がやっぱりねえ。
 まず登場した若者は、深水元基さん演じる「ブロガー(森山直之)」。いるいる、こういう若者。妙に自分の世界に自信を持ってるというか、ある意味冷めてるというか、世間に流されないというか、空気読めないというか。
 続いて登場の「昭和の生き残り型(西條浩一)」…もう腹が痛くなるほど笑っちゃいました。山西惇さん、もう面白過ぎですよ。これは演技がうまいとかそういう次元ではない。ヘタです(笑)。空手部員風を表現しようとしたんでしょうけど、自分でも笑っちゃうほど変。ドツボにはまっていく様子に爆笑してしまいました。カミさんも悶絶憤死してました。さすがの入江さんも噴き出してましたね。「ブロガー」は冷静にブログ用の写真とか撮ってましたけど(笑)。
 続くいとうあいこさん演じる「ほっこり系(園田マリオ)」もいるいるという感じ。ファッションはもちろん一眼レフカメラというアイテムの選択も見事。マリオネ、笑えたな。
 最後の「ニッポン萌え(スティーブン・平良)」はもう言うことなし。入江雅人さん得意の変な外人役。もうメチャクチャです。どうしようもありません(笑)。ノーコメントです。
 最後の「重役会議」。NEOを語る時、忘れてはならないのが原史奈さんですね。彼女のセクスィー…じゃなくてセクシーさというのが、この番組の一つの魅力であり、おじさんサラリーマンの楽しみであり、非NHK的世界の象徴であるわけですが、最後の最後にもやはり彼女がやってくれました。とは言っても別に壊れたりしたわけじゃありません。おじさんたちを壊したんですね。つまり、どの会社、職場においても、ああいう存在というのが男という動物に活気を与えるということです。世の中単純です。私も彼女の下着の紐チラ見せを見逃しませんでした(笑)。
 そんなこんなで、私の1週間の唯一の楽しみ(?)が終わってしまい、実にさびしい切ない気持ちになりました。あっそうだ今日は中秋の名月だ、ちょうど授業で竹取物語をやってるしな、ああこうして原史奈姫は月に帰っていくんだな、あの竹取の翁の狼狽も理解できるな、人は切ないと壊れるんだ、などと思いながら(なんて全然そんなこと思ってませんでしたが)、「会社の王国」の録画を何度か見てHDDレコーダの電源を切ったら、今放送中のNHK総合の番組が画面に映し出されました。
Nejire すっかり頭がNEOになっている私には、その映像がNEOの続きにしか見えません。「背水の陣」とか言っている福田さんが役者さんにしか見えません。記者会見がコントにしか見えません(笑)。「ねじれ国会」って、こりゃギャグでしょ。冷静に考えるとものすごいキャッチだな。いや、一連の騒動、コントなのかもしれません。もしかして壮大なサラリーマンNEO特別編を観ていたのかもしれないな。あの「安倍晋三」というだめキャラとか、「麻生太郎」という萌え(?)キャラとか、「福田康夫」という一見まじめキャラ(しかし実は…)とか。ああ、そうだ。やっぱりコントだ。「小泉純一郎」による小泉劇場という、ものすごく面白いコントの後継番組としては、あのくらいの意外な結末を持ってこないといけなかったんだな。今やっと分かった。やるな安倍くん。もうこれからは劇場型政治ではなくて「コント型政治」でしょう…なんてね。

 追伸 今回のNEO最終回の再放送予定や、勤労感謝の日の「season2」全再放送(!)の予定などは、下の公式ホームページに出てますので、ぜひぜひチェックを!

サラリーマンNEO公式

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2007.09.24

『伝える力』 池上彰 (PHPビジネス新書)

「話す」「書く」「聞く」能力が仕事を変える!
56969081 これはビジネス書というよりも、先生のための本でしょう。
 非常に平易に当たり前のことが書いてあります。しかし、その当たり前のことこそ忘れがちなこと。1時間もあれば読めてしまう本ですから、世の先生方はぜひ読みましょう。
 「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍した池上さん。いまや人気フリージャーナリストとして民放にも出まくっていますね。今日もどこかの番組でコメンテーターとして福田さんについて語ってましたっけ。
 この本にも書かれていますが、やはり池上さんは「週刊こどもニュース」で鍛えられたようですね。子どもにわかるように政治や経済や宗教について語るのはたしかに難しい。私も仕事柄ほとんどそういうことを毎日やっているわけでして、そういう意味で池上さんは私の心の師匠でもありました。
 というか、それ以前に、フツーのニュースだと実はわからなくて、こどもニュースで初めて理解できたということが実に多かった。世の中の大人のほとんどがそうなんじゃないですか?ホントは。
 冒頭にも書いたように、この本は教師にはたいへんためになりますね。
 「難しいことを易しく」「自分の知らないことを知る」「謙虚になり、プライドを捨てないと成長しない」「よい聞き手になる」「自分のことばかり話さない」「導入で人を惹きつける」「型を崩す」「毒舌の裏の愛情」「自慢話より失敗談」「悪口は面と向かって」「叱るときは1対1で」「ほめるときはみんなの前で」「ほめてから叱る」「謝ることが危機管理」「苦情電話の対応法」
 こう並べるだけでも先生にとっていかに有用な本かわかるでしょう。どちらかと言いますと抽象論が多いし、今までもずっと言われてきたことばかりですから、ビジネスマンにとっては物足りない内容かもしれません。でも、まさに抽象的な仕事、昔から言われてきたことを続ける仕事である教師業に携わる者にとっては、大切なことを思い出させてくれるいい本です。
 どうも学校の先生ってのは、上に挙げたことの逆をやっちゃう傾向がありますよね。全部逆に読み替えてみましょう。「あるある」って感じでしょ。
 後半は文章術について書かれています。こちらはやや具体的ですので、ためになると言えばためになりますが、一方でちょっと自分の文章作法とは違うなあ、というところも出てきますね。ま、それは仕方ないことです。具体的に書くということは、自分のテクニックの開陳ということになりますから。
 で、ちょっと話がそれますが、「伝える力」のない人についてちょっと書いておきましょう。
 今日、安倍首相の記者会見がありました。まったくねえ、もうここまで来ると情けないというか、かわいそうというか、痛々しいというか、もうなんとも「かたはらいたきもの」なんですが、今日の会見もなんだかイマイチでしたねえ。元気がないのはまあ病院という場でもありますし、そういう空気を作らねばならないので仕方ないんですけど、あの「結果として国民の皆様に私の真意が伝わらなかった」みたいな言葉、あれはどうにかなりませんかね。
 最近の謝罪会見の流行語大賞は「結果として…」ですね。この言葉は禁句にしましょうよ。「結果として」と言うと、なんとなく「不本意にも」「不運にも」「他の力が働いて」というニュアンスが生じる。これは正直「逃げ」に聞こえます。自分の不始末が「原因」だと述べるのは当然として、「結果」についてはもうみんな分かってるわけだし、そこにみんな憤慨してるんだから、「結果としてこうなってしまった」みたいに言うのは、こちらの感情を逆なでするだけですよ。
 だから今回の安倍さんも潔く「私のイヤイヤ病のために皆さんに迷惑をかけてごめんなさい」とだけ言えば良かった。「政治家として体調のことについて言うのはよくない」とか自己弁護しちゃうのはどうかと。それが「結果として」とんでもないことになっちゃった。ボクわるぎなかったんです。許して…かっこわるいっすよ。
 まずは一国の首領から「伝える力」を身につけましょうね。

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2007.09.23

東京クラシカルシンガーズ&オーケストラ・オン・ピリオド・トウキョウ第6回演奏会 

Opt07 まずはご来場くださった皆さま、本当にありがとうございました。また、今回このような素晴らしい演奏会に誘ってくださった皆さまにも感謝申し上げたいと思います。
 「美味しいバロック」…たしかに今回はかなり美味しかったのではないでしょうか。ヘンデル・バッハ・シャルパンティエの代表的名曲をたっぷりというのもありますが、満員に近いお客様、浜離宮朝日ホールの美しい響き、そして声楽や合唱、器楽の色合いの豊かさは演奏する側からしましても、かなり贅沢なものでした。
 特に演奏困難な楽器を見事にコントロールした金管の皆さん、ほれぼれする歌唱を聴かせてくれたソリストの皆さんには、もうただただ感謝感激であります。
 私はあまり練習に参加できず、正直オケの足を引っ張っていたと思いますけれど、このような大人数(60人以上)の演奏は久しぶりということもあり、また、個人的に大好きな曲ばかりでしたから、なんか演奏中に鳥肌が立ってしまいました。こういう感覚は本当に久しぶりでした。
 やはり名曲の持つ力というのはすごいですね。そして、生の音楽の力。その場の空気感といいますか、客席と舞台の一体感といいますか、これは何ものにも代えがたい。演奏家のはしくれとして、至福を感じる時間でした。
 私は今回初めてこのオケに参加いたしましたが、狭い古楽界のことですから、ほとんどの方とどこかで一緒に演奏したり、お会いしたりしたことがありまして、そういう意味でも心和む演奏をすることができましたね。気心知れた方々との音楽というのが一番楽しいですし、アンサンブルもうまく行きます。
 また、坂本徹さんのご指導も、もちろん大変に勉強になりました。音楽の作り方、特に声楽曲おける器楽隊のフレージング、アーティキュレーションですね。つまり歌詞との関係。ああ、やはり言葉が先にあって、そこから音楽が生まれてくるんだなと。あと、ダンスですね。舞踏から音楽が生まれる。つまり、いずれにせよ、音楽は身体性を避けて通れないわけです。もちろん、楽器の演奏上の特性(これも実は人間の身体に依存する)というのもあります。ここのところ、言葉と音楽と舞踏の関係をいろいろと考えていまして、その大きなヒントを得ることができました。ありがとうございました。
 さて、自分としましてはですね、バッハが一番感動しました。この前はバッハさんの音楽を複雑すぎるとかなんとか言っちゃいましたけど、ごめんなさい(笑)。別にシンプルだとか複雑だとか、そういうことで音楽の価値が決まるわけじゃないですよねえ。どんなメディアの形態であろうと、やはりそこにこめられた想いでしょうか。作り手と表現する人と聴く人の想いの深さ、この幸福なる結合が新たな何かを生むわけです。音楽に貴賎なし。もちろん国境もジャンルもなし。とにかく、マニフィカトにはいろいろな音楽の要素がちりばめられており、そのいずれも最高レベルの出来です。また、バッハならではですが、どの曲にも、どの音にもしっかり意味があって揺るぎがない。これは、ある意味では、テキストの「意味」によって音楽が縛られている状態であり、これこそ不自由の中の自由であります。縛りの中で解放されるという「禅」的な境地ですな。
 今回の演奏会は、自分も客席で聴いてみたかった。きっとまた違った意味て感激したことでしょう。本当にあらゆる人々に感謝です。もちろん、バッハにもヘンデルにもシャルパンティエにも。楽器を、音楽をやっていて良かったなあ。

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2007.09.22

西落合&南長崎

Nishiochiai 今日は明日の本番に向けリハーサル。一度帰宅しようと思いましたが、西落合の知り合いの家に泊めてもらえることになったので、リハ終了後そちらに車を移動しました。
 まずは駐車場探しです。ここでサプライズが。いや、私にとっては、ですよ。今回停めたのは「リパーク西落合3丁目」です。ここは最強ですねえ。大江戸線の「落合南長崎駅」から徒歩3分にして、駐車後24時間まで1000円ですから。そして、26台という広さ、さらにゲート式ですから、中で移動することも可能。裏側にファミレスなど大型飲食店が焼肉、和食、洋食、中華と4軒ならんでます。コンビニやマックもありますので、車中泊にはもってこいだな。東京で宿がないときはここに泊まろうっと。
 で、今回は知り合いのお宅に泊めてもらったのですが、主人が帰ってくるまで数時間ありましたので、西落合近辺を散策してみました。これがなんとも楽しかった。東京の散歩ってホント楽しいですよね。田舎の散歩よりもずっと楽しい。自然もそこそこありますし、なにしろ人々の生活、それも何百年、いや何千年に及ぶ歴史の堆積を見て歩くことができる。
 この前、中沢新一さんと爆笑問題の対談番組を観たばかりでしたので、そういう視点で見て歩きますと、本当に楽しい。たしかに、縄文の風景が現代の町並みを作っているという感じ。道のくねりやうねりはまさに縄文時代の地形そのものです。そして高いところにお寺や神社があるんですね。昔陸地だったところです。住宅街はほとんど海の中ですね。
 いくつかのスポットを訪ねてみましたが、特に印象に残ったところについて書いておきましょう。
Tesugakudo まずは、哲学堂公園。東洋大学創設者の井上円了が和田義盛の城趾に作った公園です。お城のあったところですからやはり縄文時代の小山だったのでしょう。そしてその後もいろいろな歴史が…正直独特な雰囲気(霊気)を感じましたね。あんまり時間がなかったので全てを観ることはできませんでしたが、井上円了のちょっと怪しい哲学を象徴するような作庭に圧倒されました。さすが妖怪博士井上円了!ここはゆっくり散策してみたいなあ。楽しそうな草野球の様子にちょっと嫉妬。東京はいいなあ。草野球やるところがたくさんあって…。
Nekojizo さて、お次は豊山派西光山自性院です。豊島八十八ヶ所第二十四番霊場とのこと。ここはなんといっても「猫地蔵」でしょう。道に迷った太田道灌を寺に案内したという猫を祀ったのだとか。その後もなんかいろいろと猫にまつわる話が残っているようですね。今回は大きな招き猫だけしか観ることができませんでしたが、節分には秘仏開帳、護摩焚きなどいろいろなイベントがあるようです。こちらのサイトこちらのサイトに詳しいので、興味のある方はどうぞ。やはり江戸時代ですね、こういう名所づくりが進んだのは。太田道灌が道に迷うかどうかもよくわかりませんけど、まあそういう伝説といいますか、おはなしというのは郷土愛の強い近辺の人々の微笑ましい創作であることが多い。特に江戸ではそういう庶民レベルでの歴史作り、物語作りというのが盛んでした。八百八町競い合ってましたからね。ま、平和で余裕があったんでしょう。生活自体を楽しむための演出です。
Tokiwaso そして、思わぬ収穫…といってもそこにはなんにもないんですけどね、それでもなんかその場にいるという感動を覚えたのは、「トキワ荘跡」でしょう。渋い長崎ニコニコ商店街を散策しているうちに期せずして出会いました。やっぱり不思議なエネルギーを感じましたね。トキワ荘について書き出すとキリがありませんが、とにかくあそこの場所だったから、というのがあるような気がします。手塚治虫やその他の大物漫画家がいたから、ということではなく、それ以前の問題ということです。そこに何があったのか調べてみると面白いと思いますよ。
 こんな感じで、東京の時間的地層に思いを馳せたこの散策でありました。こういう東京といいますか、江戸はいいですねえ。田舎者が憧れる東京や世界のTOKYOとは違う東京の魅力。これからも自然と人が作り上げた地層の上を歩いてみたいと思います。

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2007.09.21

Stage6(Divx動画共有サイト)

Stage6 ニコニコ動画YouTubeを上回ったというニュースが出てましたね。たしかにニコ動は面白い。おもしろすぎてついつい長時間見てしまう。他愛もないわけですが、ああいうくだらないけれどもちょっとシャレた言葉(コメント)の世界というのは、これはもう日本人の独擅場です。江戸の町人文化そのものですね。実に平和でよろしい。もちろん2ちゃんねるも同様です。ま、落書き文化ですな。
 で、その二つの動画共有サイトですが、私もたいへんお世話になっております。本当に便利な時代になったなあと。しかし、双方とも画質や音質はやはり落書きレベルでして、ある意味においては不満もあるわけです。そのあたりを軽くクリアーしているのが、今日紹介するStage6です。
 どういうわけでしょうか、この素晴らしすぎるサイト、案外知らない人が多い。なんで評判に、あるいは問題にならないんでしょうね。
 ここの特長は画質が圧倒的に良いということと、時間制限がないということでしょうね。つまり、高画質で映画一本そのままアップされていることもあるし、ライヴDVDを全編観ることもできたりするわけです。また、デフォルトでダウンロードのボタンも装備されてますから保存も簡単。パソコンで視聴はもちろん、DVDに焼いてある種のDVDプレイヤーで再生することもできます。
 「捨六(この呼び名も日本的ですね)」の映像フォーマットはDivXてす。DivXは高画質高圧縮のコーデックとして、たとえば映画1本をCD-Rに格納できたりして、以前から人気がありましたけれど、その技術を開発したDivX社自身が作った動画共有サイトがこのStage6です。
 私もいろいろと観てみたんですが、正直素晴らしいっす。たとえば松田聖子のお宝映像もたくさんありますし、浜崎あゆみのライヴなんかも丸々観ることができます。各種PVも大量にありますねえ。私はあんまり観ませんが、アニメもかなり充実しているようです。テレビドラマなんかもなにげに置いてあります。
 最近感激しましたのは、ピアニスト、グレン・グールドの各種映像です。Gouldで検索してみましょう。レア映像や日本未発売のDVD映像などたくさんあり、動くグールド、しゃべるグールドを堪能することができます。これはたまりませんね。
 YouTubeやニコ動ほど人気がないせいか、なんでこれがないの?ということもたびたびですけれど、それでもホントありがたいですね。助かります。私も数々のお宝映像を秘蔵しておりますので(?)、いつかアップする側に回ろうかとも思いますけど、著作権の問題がありますからねえ。なんとなく仕事柄躊躇されるのでありました。
 さて、こんなに素晴らしいステロクでありますが、なぜ普及しないんでしょうね。その理由の一つに、高画質高音質長時間すぎるというのがあるんじゃないでしょうか。つまり特長が短所になっているわけです。面白いもので、日本人、それも江戸の町人(!?)は、下手物指向が強いんですよね。高級ブランドなんかには逆に抵抗したりする。多少安っぽいものを存分楽しむ、安っぽいものに手を加えて新しい価値を生み出す、そういうことに「洒落」や「粋」を感じてきたんです。これは日本文化の特長ですね。キッチュなサブカルチャーをいつのまにか国際的な「芸術」まで引き上げてしまう。それも遊びながらね。アニメやマンガなんかいい例です。
 そういう点、捨六さんは町人のくせにちょっと貴族づらしすぎなんですよ。あまりにホンモノに近すぎる。これじゃあ野暮じゃねえか、と日本人は思うんです。なんとなく私もわかりますね。自分の気持ちもチープでありたいという欲求があります。そして、なんでもあり、制限なしという雰囲気に抵抗を感じたりもする。私たち日本人は、さまざまな制限の中でいかに自由を得るかということに快感を感じてきたんですね。「禅」みたいなものです。
 そんなわけで、YouTubeとニコニコ動画とStage6、それぞれの楽しみ方を理解しつつ、上手に使い分けていけばいい。そして、互いに切磋琢磨してよりよい文化を創造していけばいい。あとは著作権者の度量の問題ですね。こうしたサイトにアップされるということは、それなりの価値が認められているわけですから、あんまり目くじら立てないでほしいんですが…今日の新聞にはこんな記事もありました。「無許諾の音楽・映画 ネットで入手、自宅でも違法に」…orz

Stage6

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2007.09.20

karaoke@dam

Dam 私は楽器専門ですが、私以外の家族は歌専門です。とにかく女たちは歌ばっかり歌っている。特にカミさんは人間カラオケもしくは人間ジュークボックスと言われているほどのシンギング・マシーンです。たしかに演歌から洋楽まで数千曲が脳内にメモリーされているようでして、リクエストすればなんでも歌えるんで驚きです。だいたい1度聴けば覚えるっていうのがすごい。
 それじゃあカラオケなんかに行かなくてもいいような気もしますが、やっぱりちゃんと伴奏があるに越したことがないらしい。ウチの場合はぜいたくなことに専属の生バンドまであるんですけど、まあいつもメンバーがいるわけではありませんから、時々家族でカラオケに行ったりしてたんですね。でも、けっこうお金がかかるし、いちいち出かけるのもめんどくさい。時間制限を気にしながら歌うのも落ち着かないし、第一私はほとんど歌いませんからつまらない。
 そこで、最近インターネットカラオケサービスに加入しました。第一興商の「ブロードバンドkaraoke@dam」です。月800円(税込840円)で歌い放題。登録曲数は4万曲以上、音質もカラオケボックスのものとほぼ同じですし、歌詞の表示やイメージ動画などもそこそこのレベルですから、安いと言えば安いでしょう。なにしろ一日中歌っていてもいいわけですから。
 このサービスはプロバイダーのniftyのサービスの一つなんですけど、そのせいか本家の「karaoke@dam〜club DAM.com」とはちょっと違っています。月額が200円安いかわりに、検索が貧弱だったり、お気に入り機能がなかったり、登録曲もちょっと少ないようですね。まあ、それらは我慢できるレベルの差異ですので問題なしですが。あと、本家はWindows Media Playerを使いますが、こちらはReal Playerです。そのおかげでMacでも利用できるのかな。本家はMac非対応です。
 さっそく彼女らは歌いまくっているようです。私がいない時にね。パソコンの画面を見ながら、マイクなしで歌うというのはどうかと思いましたけど、案外それもいいようです。変にエコーとかつかないから練習にはなりますね。ウチの場合は歌謡曲バンドの活動があるんで、カラオケと言ってもレッスン、プラクティスの意味合いもありますんで。
Media_image 実はこれに加入する以前にも家の中でカラオケをやってたんです。私カラオケ嫌いのくせに独身時代から、すなわち10年以上前から家に通信カラオケを持っていたんですよ。TAITOの「Mediabox」 です。これは歌うためではなく楽曲研究用に使っていました。あと、超不便でしたしお金がかかったんですが、この機械で当時走りだったインターネットができたんです。今思うととんでもない状況だったなあ。テレビの画面でブラウズするんですけど、なにしろYahoo!のトップを表示するのに何分もかかる。文字入力はカタカナしかできないし、どうやって検索するんだ?でもなんか懐かしいな、そういうの。
Ks99 子どもが産まれてからはバンダイの「カラオケステーション」で遊んでました。これはこれで面白かった。点数が出るんですよ。カミさんなんか常に95点以上。上の娘も最近ずいぶんうまくなって、美空ひばりなんかで80点くらい取れるようになってました。でも、あれって音程だけが採点基準なんで、私なんかも超超正確に音をとりながら、ロボットみたいに歌って90点以上取ることもありました。つまり、歌の上手い下手とは関係ないということです。まあ、機械には歌の採点はできないってことです。実際、演歌歌手がカラオケで自分の曲を歌うととんでもなく低得点になるらしい。あれだけ音程をずり上げたり、ヴィブラートかけたり、こぶし回したりすれば、それは機械にとっては音痴ということになるだろうな。美輪明宏とかも赤点になっちゃうでしょう。
 というわけで、今日もまた我が家から歌声が響き渡っております。これは悪いことではないでしょう。健康的です。私も歌いたいんですが、どうも苦手でして。だから楽器を弾くんですよね。あっそうそう、カラオケステーションで歌の代わりにマイクの前でヴァイオリンを弾くと、ちゃんと採点されるんですよ。正確な音程とリズムの練習になります。ちなみに私の平均点は80点くらいです…orz。

BB karaoke@dam(nifty)

karaoke@dam〜club DAM.com

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2007.09.19

『オリジナルブレンド レギュラーコーヒー』(東京アライドコーヒーロースターズ)

Yuuef なんだか妙に忙しいので軽いネタを一つ。
 このブログの記事は早朝に書いてます。この孤独な作業、もうほとんど修行に近いんですけど、いつもそばにいてくれるのは、猫でもなく、もちろんカミさんでもなく、一杯のコーヒーであります…なんて書いてたら、いきなりカミさんと子どもが起きてきた!なんでこんなに早起きなんだ、ウチは。てか、昔はもっとゆっくり寝てたのに、マネすんなよ〜。これじゃあ、オレは2時に起きなきゃ一人になれないじゃん!もう、まわりでガシャガシャ始まると、まったく集中できません。
 あいかわらず一日一食を続けているワタクシにとって、朝の楽しみはこのコーヒーのみ。でも、ホント静かな朝にいれたてのコーヒーっていいですよねえ。けっこう依存症かも、ってくらいコーヒーが好きなんですけどね、かといってそれほどのこだわりはないんです。なんでもコーヒーならおいしくいただく。缶コーヒーでもいい、場合によってはインスタントコーヒーでもいい。
 朝はこのコーヒーメーカーでドリップします。このコーヒーメーカー、安物でしたが今でも健在ですし、活躍しております。
Tac で、粉はといいますと、最近はこれですね。TACのオリジナルブレンド。なにしろ安いんですよ。近くのドラッグストアで500g398円です。味も私にとっては十分おいしいですし。パッケージには、
 「ブラジルサントス豆とコロンビア豆をメインにブレンドし、じっくりと深煎りに仕上げました。香ばしく華やかな香り、やわらかい苦味と深いコクが特徴のマイルドビターな味わいのレギュラーコーヒーです」
と書いてあります。なんだかおいしそうでしょ。
 比較的濃いめに出る粉なので、以前買っていたものに比べて消費量も少なくすんでます。20gで3杯くらいですから、計算しますと一杯7円弱ということですかね。このお値段でこの安息を味わえるというのはありがたいかぎりです。
 ネットを見てみても、ここまで安いのはそんなにない。味はTACには劣りますけど、以下のM.M.Cのシリーズが最安でしょうか。私のようにあんまりこだわりがないけれど、しかし大量消費する人にはいいかもしれません。あるいは職場においておくにもいいんじゃないでしょうか。

味わい珈琲 「コクのブレンド」 500g (粉)【合計¥2400以上で送料無料!】

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2007.09.18

桜庭和志@『HERO’S2007』

Heros070917 さて、昨日でありますが、ワタクシは渋谷でマッペリのラスト・ライヴに参戦しておりましたけれど、その時間、カミさんはどこに行っていたかと申しますと、そう横浜アリーナです。私は今日録画しておいたものをゆっくり観てみました。
 今回のHERO'Sが(プロレス以外)の格闘技イベント初体験のカミさん。当然目的は…KIDでもなく、宇野薫でもなく、ミノワマンでもなく、カルバンでもなく…桜庭和志ですね。今回はプロレスラー柴田勝頼との試合でした。結果はもうご存知のとおり、サクの完勝でした。よって、カミさんの機嫌も最高であります。
 最近、神々のネットワークとF的突撃力によって桜庭家に急接近している我が家でありますが、なぜか生和志には会ったことがなかったんですよね。試合すら観たことなかった。まったくワケわからん状況であります。内堀ばっかり攻めて(埋めて)肝心の本丸をこの目で見てないんですから。ですから、今回はですねえ、カミさんにとっては非常に楽しみだったわけですよ。まあ気持ちはよく分かります。
 で、いきなりですが、彼女、最終目標を達成してしまったようです(笑)。その最終目標とは、本人に母国語で話しかけるというそれこそワケわからんものです。横浜アリーナでそれをやっちゃうんだからなあ。恐るべし。
 え〜、彼女の話によりますと、まずは開場前、横浜アリーナに詳しい友人のアドバイスにより、たぶんここだろうという場所で入り待ちしたらしい。格闘技イベントで入り待ちするのも珍しいんじゃないかなあ。まあいいけど。で、予想通り現れたと。自分で車を運転してきたらしい。
 周辺には他にも若い女の子たちがいて、「キャー、桜庭さん」「サク〜!」「がんばってください」とかいろいろ叫んでたらしい。でも、さすがベテラン桜庭、それらに反応するわけでもなく、密かに集中力を高めていた(と思う)。まあ本番前ですからね、いくらサクとは言え、おちゃらけてばかりはいられない。と、そこにウチのカミさんの恐るべき本丸への奇襲が…。
 「カズスィ(中高アクセントです)、ガンバレ〜!」
 そう、コテコテの秋田弁ですよ。シンプルですが、この奇襲にはさすがのベテランもひるんだらしい。そりゃあそうだよなあ。まさか横浜アリーナでこんなノスタルジックな響きを聞くとは夢にも思ってないだろうし、だいいちこんなふうに女の人に言われることなんて、まあお母さんに昔言われたくらいでしょう。だからビックリしたんじゃないですか、こっちを振り向いて思わず苦笑したとのことです。ついでに周りにいた純正腐女子たちも思わず「何?コイツ?」って感じで振り返ったとか。このテロ攻撃の被害は、味方にも及んでしまったらしいっす。ごめんなさい。
 まったくこれで負けたりしたら、カミさんのせいだったかもしれない。本当に痛いヤツです。ヒンシュク者です。すみません。まあ、勝ったから結果オーライということで。
 あっそうそう、ついでにカミさん、TBSの取材を受けたらしいっす。「格闘王」という番組ですね。ずいぶんと長々とインタビューを受けたらしい。おそるべしFパワー。そういうオーラが出てたんだろうな(笑)。
 で、試合の方ですが、私も録画で観てみました。こちらにも書きましたけど、私はホントこのカード観たくなかった。いろいろな意味で実に野暮な取り組みです。だから、やっぱり後味が悪かった。カミさんは最高!って言ってますが、あの桜庭のマウントからの打ち下ろすパンチはイヤです。ゾッとしました。これは生理的なものなので仕方ないのです。どうも倒れている相手に(ほとんど)素手で顔面にパンチを入れるのってイヤなんです。そのままやれば死ぬわけですからね。私はやっぱりプロレス的な打撃がいいなあ。思いやりのある打撃(笑)。相手の鍛えているところにのみ許される打撃。
 まあ柴田の気持ちの強さはわかりましたが、いかんせん総合格闘技の実力差は大きすぎた。そういう意味では久しぶりに桜庭らしい余裕のある闘い、相手を呑み込んだような闘いを観ることができましたけど。どうせじゃあ、プロレスで勝負してほしかったな。ま、柴田じゃあ、プロレスでもWRESTLE-1の秋山戦みたいになっちゃったかもしれないけど。
 え〜と、ほかの試合についても一言書いとこうかな。とは言っても、どれもある意味総合的な面白くなさ炸裂なんで、なんとも言えません。ミノワマンも宇野くんもKIDも、もっと魅せてほしかったなあ。ほかの外人さんたちは、とにかく殴りあってるだけで、私にとっては「で?」って感じでした。こんなこと言いますと、興奮状態、感動状態のカミさんに水を差すことになりそうですが、いや少し水を差した方がいいと思いますよ。ああいうので血が騒ぐというのはなあ、どうもいかん。私はたぶん一生観にいかないでしょう。プロレスでいいです。あっ、あとアマレスね。これは今年中に実現させます。では。

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2007.09.17

Mach Pelican(マッハペリカン)解散&通算800回記念ライヴ

↓カメラを忘れたので、知り合いにいただいた別の日の写真です。
Mp11 渋谷LUSHで行われたマッペリのラストライヴに行ってきました。初めての生マッペリが最後なんて…。ホントに素晴らしいライヴでしたし、素晴らしいバンドなのに。もったいない!!うん、でもホント感動しましたし、よく頑張った、お疲れさん!とも言ってやりたい。
 マッハ・ペリカンというある意味世界で最も有名な日本人パンクバンドについてはこちらで紹介しましたね。ベーシストのAtsushiくんが教え子でして、また彼のお兄ちゃんはウチのバンドのギタリスト、さらにお父さんは仕事でここのところ毎日のように会っている…なにかと縁のある一家です。近い内に今度はお父さんのいとこの方にもお世話になるかも(格闘技関係)。
 マッハ・ペリカンが解散するという情報は、いろいろなところから情報としては入っていたんですが、今日が本当のファイナルだとは知りませんでした。昨夜、このブログで知り合ったマッペリファンの方から「ぜひ来て!」とのお誘いをいただき、急遽参戦となりました。
 今日は午後から八王子でバッハとチマローザを弾いて、その足で下北沢へ。そこに車を置いて電車で渋谷へ向かいました。バッハからパンクというのもまた、なんとも自分らしい展開ですが、まあ双方ともにタテノリの音楽であります。ブランデンブルク協奏曲弾きながら、まあこれもある意味パンクだな、体力いるし…なんて思ってました。
 まあ、そんなことはいいとして、今回のライヴの出演バンドは以下の通り。基本的にマッペリ解散の花道のために終結したバンドたちのようです。それぞれなかなか魅力的なロックを奏でておりまして好感を持ちました。
Mach Pelican (Australia)
Ground Components (Australia)
SUPERSNAZZ
THE BAWDIES
The Bloody Farmers
Sparks And Twinky
 そして、3時間に及ぶ彼ら前座の演奏が終わり、とうとうマッペリの登場です。会場の盛り上がりはもう最高潮。彼らの最後のライヴのために、全国から、いや外国人もたくさんいるではないですか、世界中からですね、世界中から集まったファンの皆さんにまじってワタクシも頑張りました。たぶん最高年齢だろうな。でも、本人や知り合いにも言われましたが、案外あの雰囲気になじんでいたようです。ちなみに着ていったのは勝負シャツである「ジャンボ鶴田メモリアル」Tシャツです(笑…まじでスタミナが必要だと思ったんで)。
 演奏が始まったと思ったら、もうそこからは本当にすごい世界でした。いろんなタイプのライヴに行ってますけど、こういうノリは初めてだったなあ。とにかくものすごいスピード感。MCはもちろん、曲間もほとんどなしで、すさまじいパンク・ロックが疾走します。これは盛り上がるはずだわ。かっこいい…正直しびれました。
 本当にすごいなあと思いました。こうして多くの人々の心をつかみ、突き動かす。プロだなあ。本当に見事なパフォーマンスでした。自家薬籠中の曲たちとはいえ、あの興奮状態の中であれだけ正確な、というか単なる正確さではないな、見事なアンサンブルを聴かせるというのだけでも感心です。とにかくかっこよかった。教え子もいつにもましていい男に見えましたよ。男として惚れるよなあ、あれは。
 そして再度確認したのは、ラモーン・パンクの分かり易さ、明るさ、楽しさですね。歌詞も含めて基本的に我々をハッピーにする音楽です。バッハさん、あなたやっぱりライヴ向きの音楽じゃないっすね。繰り返し聴かないとわからない曲が多過ぎます(笑)。シンプルであるということは実は制約が多いということです。たとえば3コードの中でどう魅力的なメロディーを紡ぐかというのは、本当に難しいことです。マッペリはそこが絶妙なんですね。お約束の中のキラッと光るアイデア、センス。これでしょう。ある意味俳句や和歌みたいなもんだからなあ。そのへんの日本人的センスが本場で受けたのかもしれませんね。
 本当にもったいないなあ。でもしょうがないですね。本人とも話しましたけれど、まあそういうタイミングだということですね。一度離れてみるというのも大切なことですし、みんなが期待しているように、いつか本当にまたやりたくなったら帰ってくればいい。またそういう時が来るかもしれません。バンドでは許されますからね、解散と再結成の繰り返し。ロックは魂が勝負ですから。まあ、しばらくは違う世界でもいろいろと経験をして、魂をさらに磨いてください。
 とにかく11年間、お疲れさんでした。楽しいライヴをありがとうございました。またみんなで一緒に呑もうぜ!!

マッペリ公式

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2007.09.16

スークのバッハ

Bach: Sonatas & Partitas  Josef Suk
41cyah0fdxl_aa240_ 今日は23日のコンサートの練習で東京へ。途中パンクの現場を通りまして、妙に緊張。
 で、ちょうどその頃カーラジオから鳴っていたのが、この演奏でした。それが感動的だったんですよ〜。スークの無伴奏初めて聴きましたけど、いいですねえ。素晴らしいバッハでした。これはNHK-FMの「20世紀の名演奏」という番組でかかったものです。
 1970年代の録音でしょうか。スークは当時、今の私くらいの年齢だったのではないでしょうか。そういう意味でもすごいなあ。ここまでバッハと純粋に向かい合えるかなあ、今の自分。無理だ(当たり前)。
 で、で、さっそく脱線してしまいますが、この前の番組「ミュージックメモリー」も面白かったっす。平尾昌晃さんがゲストで、いわゆる歌謡曲の皆さんが民謡とどう関わったかを紹介する番組でした。以下のような曲が紹介されました。

「五木の子守唄」(晴海洋子)
「五木の子守唄ロック」(平尾昌晃)
「津軽じょんがら節」(寺内タケシとブルージーンズ)
「ロック“おてもやん”」(平尾昌晃)
「おてもやん」(ザ・ピーナッツ)
「おてもやん」(市丸)
「さのさ」(江利チエミ)
「江差追分」(三橋美智也)
「南国土佐を後にして」(ペギー葉山)
「ロック“島原地方の子守唄”」(平尾昌晃)

 昨日の記事ではありませんが、古いものと新しいものを組み合わせる難しさと面白さですねえ。もちろん純正民謡の方々からは、「こんなの民謡じゃない!」と言われたことでしょう。しかし、そこに生まれる化学反応と言いますか、そういう新しい世界はそれなりにすごい。みんなとにかく上手いし。
 そして、いきなりですが、スークです。久々にモダン楽器によるバッハをじっくり聴きました。自分も一時期オリジナル楽器原理主義者みたいになってたんですが、この無伴奏に関しましては、なかなか感動する古楽器盤がなかった。以前紹介したエレーヌ・シュミットのが一番良かったかな。それでも、なんとなく物足りないような気がしてたんです。
 で、よく考えてみますと、バッハの無伴奏ってものすごく抽象的な作品でして、晩年の作品もそうですけれど、バッハ自身はもう楽器がどうこうとか、そういう次元を超えた作曲をしてるんですね。もちろん、無伴奏に限らず「制約」という意味では楽器は意味はありましたが、それはあくまでもバッハにとって「積極的な制約」であって、まあ和歌とか俳句の形式みたいなもんですかね、「不自由の中の自由」のためのものなんですね。
 特にご存知の通り、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、ヴァイオリン1本でフーガをやったり、もうメチャクチャな発想の作品なんです。そうした制約の中での挑戦を楽しんでいたフシがあります。もちろん実際演奏できるわけですけれど、おそらくバッハの頭の中ではパイプオルガンのような音が、いやなんだかわかりませんがとっても抽象的な音が鳴り響いていたんじゃないでしょうか。
 今回、スークの演奏を聴いてそんなことを思いました。もしかすると、バッハ自身はバロック・ヴァイオリンによる演奏よりスークの演奏の方が好きかもしれない。それほどスークの演奏は抽象度が高まっていました。もうバロックの語法がどうとか、そんな次元の音楽じゃない気がしたんですね。
 スークはまるでパイプオルガンのようにヴァイオリンを鳴らしています。ある意味非常に平坦な音を出している。ロマンチックなところから、つまりヴァイオリン的なところから、とっても遠いところで演奏している。もう、とにかくバッハの書いた楽譜をできるだけ忠実に音にしようとしている。この表現はバロック・ヴァイオリンでは絶対ムリです。
 これもまた、古いものと新しいものの幸福な出会いの一つの例なのかもしれません。もちろんオリジナル主義というのも価値がありますけれど、あまりそこにしがみついているのもいかがなものか。とりあえず私たちは「今」の人であるわけですし。昨日のコンサートでもそういうことが語られてましたし、平尾さんもそういうことを言っていました。もともと日本人はその両方のやり方を自然に共存させるのが得意な民族ですしね。古いものそのものを愛でるのと、どんどん新しいものを取り入れるのと。
 今日聴いたのはパルティータの2番、有名なシャコンヌを含む作品でした。そのシャコンヌが本当にすごかった。ゆったりしたテンポで一つ一つの音符を非常にていねいに具現化していました。久々にこの曲のすごさを体感できた気がします。ぜひスークの演奏で全曲聴いてみたいですね。フーガの楽章なんかすごそうだなあ。さっそく探してみます。

Amazon Bach: Sonatas & Partitas

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2007.09.15

「THE NEW TRIBE」太鼓衆 猿 FIRST CONCERT in山梨

Poster_small 今日は双葉ふれあいホールで行われた「猿」の初公演に行ってきました。「猿」とは日本航空学園(JAA)に昨年設立された太鼓アカデミーの生徒たちによるユニット名です。
 仕事柄、日本航空高校の太鼓隊の演奏は過去何回か聴いたことがありました。そのたびにこれは素晴らしいな、教育的にもいいものがあるだろうな、と思ってきましたが、今回はその発展形といいますか、高校生だけでなく、OBやOG、小学生、また一般の方々も加わったユニットということで、非常に楽しみにしていました。
 まずはコンサートが大変素晴らしかったということを申し上げておきましょう。新しいことに挑戦するための様々なエネルギーが集約された圧倒的な迫力を感じました。出演者の皆さまに心からお疲れさまとありがとうの言葉を捧げたいと思います。
 ウチの家族4人と静岡からかけつけた両親、そして川崎からやってきた姉の計7人が会場に到着した時には、すでにほぼ満席。予約せずに行ったため入場できるか一瞬不安になりましたが、高校生の皆さんらの気配りに満ちた歓迎と案内のおかげで、なんとかそれぞれ席を確保することができました。入場の際、めざとい上の娘が「あっレミオロメンって書いてある!」と指さした先には、彼らからのお祝いの花が。
 そう実は、今回の公演を知ったのは、こちらの記事に書いた日ですね、レミオロメンのベーシスト前田啓介くんのお母様にお会いした時なんです。
 啓介くんのお兄ちゃんである前田タクヤくんは、この太鼓ユニット「猿」のリーダー的な存在なんですね。今日も群を抜くテクニックと音楽性とカリスマ的なオーラによって、圧倒的な存在感を示していました。ああ、これはホンモノだ。啓介くんがお兄ちゃんを尊敬するのもよくわかる。また、啓介くんの正確なリズム感というのも、こういうお兄ちゃんからの影響が大かと。あるいはそういう血が流れてるんでしょうね。ここのところは努力以前に才能の領域ですので。
Saru_2 さてさて、コンサート全般について少し感想など。
 前半はメンバー皆さん、多少緊張があったのでしょうね、やや細部に甘さを感じる演奏もありましたけれど、これから始まる新しい太鼓の世界を感じさせるには充分の内容だったと思います。前田くんのドラムスと和太鼓のコラボレーションは、なかなかいい効果を上げていました。和太鼓の表打ちとドラムス裏打ちによって音楽的空間が埋められるということもあって、非常に豊かな響きになっていました。私も東西音楽の融合みたいなことをやって賛否両論いただいていますが(笑)、案外やっている方も双方で勉強になることが多いものです。
 後半は、メンバーの緊張も解け、また聴衆の皆さんのノリもよくなり、また舞台の演出も効果的で、大いに盛り上がりましたね。太鼓の持つエネルギーというのは、パルスのエネルギーです。音というのは空気の粗密波なわけですが、そうした音の濃淡による波動がまさに心臓に響きました。あの高揚感は独特なものです。
 もしかすると、これは音楽以前のものなのかもしれない。人間にとって聴覚は原初の感覚です。誰しも胎内で初めて感じるのが耳元で鳴る、いや体で感じる母の力強い心音です。また、今日のコンサートでも表現されていましたし、「猿」というユニット名も示している通り、我々の原始的な音楽体験は「リズム」から発しています。そうした私たちのDNAのレベルでの共鳴というか共振というものを体験できる太鼓というのは、なんとも魅力的ですし、深い世界を持った楽器ですね。
 また、今回のコンサートで強く再確認したのは、音楽における身体性のことです。リズム楽器は特にそうなんですが、楽器が私たちの身体性を呼び起こすんですね。つまり、聴いている私たち、共振してリズムを刻む私たちも含めて、人の体自体が楽器になるわけです。私たちが音楽を生み出すというよりも、音楽がリズムが私たちを楽器にするのです。五感の全てを通じて私たちが楽器になるという意味では、やっぱりライヴはいいですねえ。デジタルな、コピーライクな、プライベートな音楽環境になれきっている私たちに、なにか大切なものを思い出させてくれたコンサートでした。
 さて、四半世紀以上にわたる太鼓隊の歴史に、新しい風を吹き込むということで、いろいろとご苦労もあったようです。コンサートの挨拶の中でもそのような話が少しありましたけれど、何事にもそういうものはつきものです。「伝統を崩すな」「先輩たちの名を汚すな」…私もいろいろな面でその双方の立場を経験してきましたので、よ〜くわかります。しかし、そうしたものはいわゆる産みの苦しみの一つであって、ある意味そのようなものがなければ、壁は崩せませんし、前進もありません。全ての伝統というのは、そうして再生されることによってその命をつないできたのです。逆に言えば、そういうことがなければダメなんですよ。だから、そういうものも有難い祝辞だと思ってこれからも頑張ってください!私は純粋に皆さんを応援できる立場ですから、今後の前進ぶりにも大いに期待したいと思います。
 本当に素晴らしい体験をありがとうございました。

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2007.09.14

Google Moon

Moon1 今日は月齢2.6。夕方学校の4階から見えた糸のような月は美しかった。
 今、2年生の授業で竹取物語やってましてね、いつもながら一般的にはハチャメチャと言われそうな解釈をギャルたちに押しつけてるんですが、けっこうスキャンダル性のあるドロドロドラマ風でして、案外楽しんでもらえてるようです。面白いから本出せ!って言われたんで、まあいずれ。
 さて、そこでも話したんですけど、月の起源、すなわち月がどのように出来たかというのは、実はよくわかってないんですよね。いろんな説がある。ただ、岩石の組成やなんかからして、地球と全然無関係とは言えないようです。
 それにも関係するんですが、月が裏側を見せないというのも面白い。つまり、月の自転周期と公転周期が一致しているということ。最も身近な天体でありながら、人類はその裏側を見ることがずっとできなかったわけです。
 ま、これは偶然のなせるわざではなくて、地球の引力によって月が扁平な球体になってしまったからですが、実は私、小さい時変なことを考えていました。それは…
「月が裏側を見せないのは顔が汚いからだ」
 月の裏側を人類が初めて見たのは1959年、ソ連のルナ3号が月の裏側の写真を撮影したときです。私が生まれる前ですね。その後アポロも撮影してますから、私が物心ついて、宇宙に興味を持って図鑑とかを眺めていた時には、すでに月の裏側の写真が載っていたと記憶しています。で、その写真を見た時、本当にショックだったんですよ。だって、こんなんですから。
Moon72 これは驚きですよ。だって全然きれいじゃないんだもん。なんだかいわゆる海の部分が少なくて、あばた(クレーター)だらけ。かなりお肌が荒れてます。正直、こっち側が地球に向いていたら、私たちの文化は違ったものになっていたでしょう。月にまつわる幻想的や物語や詩は生まれなかったかもしれません。
 実はなんでこういうことになっているのか、つまり裏側は醜いのか、それもわかっていません。表と裏とでは組成も微妙に違うらしい。いったいどういうことなのでしょう。
 で、今日月面を自由に見て歩ける「Google Moon」がバージョンアップしたとのことで、さっそく見てみました。まあ、「Google Earth」ほどの感動はありませんけど、なんとなく宇宙飛行士になったような気分は味わえるんじゃないでしょうか。
 ちなみにこのページの一番上の画像は、Google Moonに表示される「月のひらき」でして、中央部が見慣れた「表」、上下が見慣れない「裏」ということになります。これを見ただけでも、ちょっと異常な事態が起きているがわかりますよね。幼き私が想像したこともあながち間違いではないのでは…そう思えてきます。
 ということは月にも羞恥心があるということですか(笑)。いや、もしかして、私たちが「裏」だと思っているのが実は「表」で、「表」が「裏」なのかもしれませんね。男性諸氏には(いや女性もかな)よくおわかりと思いますが、後ろ姿にだまされた!ということがしょっちゅうありますよね(笑)。セレネだかルナだかアルテミスだか知りませんが、後ろ姿は美しかったが、実は…だったりして。
 あと、月の裏側と言えば、宇宙人の基地説やら、NASAの陰謀説やら、まあいろいろとありますね。それはそれで面白いんで、ぜひGoogleで「月の裏側」と検索して、いろいろと見てみてください。いいストレス解消になりますよ、きっと。たまにはそういうのにツッコミを入れず信じ込んでみるというのもいいものです。
 そういえば、もう一つ月に関するニュース。日本の月周回衛星「かぐや」を載せたH2Aロケットが14日に打ち上げられましたね。今回はうまくいったらしい。めでたし、めでたし。こっちの方が「Google Moon」のバージョンアップより大事なニュースか。「かぐや」とはまたずいぶんとストレートな名前をつけましたね。「かぐや」も月の裏側の観測をするとのこと。どういう成果が上がるか楽しみですね。

Google Moon

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2007.09.13

『コマ大数学科特別集中講座』 ビートたけし・竹内薫 (扶桑社)

Coma_univ_04 ひそかに人気だという番組「たけしのコマネチ大学数学科」。もう一年以上、60回もやってるんですね。大学レベルの数学の問題を、マス北野(ビートたけし)、コマ大数学研究会(たけし軍団)、そして現役女子東大生二人が解きあうという一見地味な内容ではありますが、たけしの天才的なひらめきによる解法、たけし軍団の力技による原始的な解法、東大生による受験勉強的な解法という、三つの個性的な知性(?)の激突が面白い。ちなみに今日の深夜放送された番組の問題は
「1辺の長さが1の正方形の折り紙を1本の線分に沿って折り曲げ、二重に重なる部分が線対称な五角形になる時、その五角形の面積の最小値を求めなさい」
でした。
 折り紙好きな私ではありますが、こういうのは正直苦手です。といいますか、私の数学神経のなさは本当にイヤになるほどでして、もうまったく高校時代のあの苦しさは思い出したくありません。ただ、数学的な世界の面白さ、美しさ、そして胡散臭さみたいなものの存在は充分わかっているつもりでして、つまりは、私の「モノ・コト論」的にいうと、数学は最も「コト」的であり、人間の論理を徹底しつくしていくことによって、人間的でなくなってゆき、しまいには神の領域に近づいていく。これは、宗教の世界に近いと思っています。
 特に数学の天才たちについては、かなり興味を持っています。以前数学の先生にお借りして読んだ『天才の栄光と挫折−数学者列伝』は、最近読んだ本の中で最も私に興奮をもたらした本の一つでした。なんとなく憧れるんですね。来世は数学者になって孤独死したいな、とか(笑)。
 数学ってたしかにヒマつぶしにはいいのかもしれません。なんか浮世離れしてますよね。完全に現実逃避できる。社会とか、政治とか、お金とか、人間関係とかと最も遠いところにあるような気がします。こういう楽しみってあるよなあ。ある意味で完全なるフィクションなのかもしれません。人間の脳の中だけの世界。でも、どこか宇宙につながってるような気もする。ってことは、宇宙ってフィクションなのかも!?
 さてさて、今回のコマネチフィールズ賞はなんとコマ大チームでした。実際に折り紙を折って求めた数値が非常に正解に近かったということです。マス北野は実質的に正解したのですが、最後に2で割るのを忘れていたので減点。東大チームは微分に苦戦して途中で放棄という形でした。
 まあ実際にはたけしさんだけが正解したということですね。この本を読んでもわかりますが、たけしさんはホント天才的ですよ。ラマヌジャンとかワイルズの世界に近い。ある意味プロセスを通り越して結論に至っちゃうんですね。私たちには見えない世界が見えているのでしょうね。藤原正彦さんの言う、「富士山とエベレストの間に、実は虹のかけ橋がかかっている」「二つの無関係な分野が結びつく、というのは数学者にとってもっとも心躍ること」そのものです。
 この本では、北野武の映画作りにも数学的な要素があることが紹介されています。なるほどと思わせると同時に、それこそ自分の世界とは違うところにいるんだなということを実感します。しかし、それに触れて感じる能力は我々凡人にもあるんですよね。そこが救いであり、また辛いところでもあります。
 まあとにかく、ビートたけしの天才性を証明する面白い番組であります。私なんか、竹内さんの解説を聞いても全然わけわからんし、この本を読んでもチンプンカンプンなんですけど、それでも先ほども述べたように、なんとなくこの世界に憧れがあるのは確かなようです。ホント生まれかわったら今度は数学の才能を手にしたいなあ。
 あらゆる才能を持つビートたけしという男、やっぱり天才ですな。私にとっては神です。神って憧れであり、また嫉妬の対象でもあります。このジェラシーはどこに向ければいいんでしょうかねえ…。

番組公式

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2007.09.12

安倍首相電撃辞任(安倍劇場放映打ち切り)

12kaiken1 いやあ、びっくりしましたねえ。ドタキャン辞任というか、バックレ辞任というか、登校拒否辞任というか…。なんかしまいには可哀想になってしまいましたよ。でもなあ、逃げたい気持ちは痛いほどわかりますが、総理大臣という立場の方がこれをやっちゃいけません。
 で、このような結末を迎えてしまった安倍劇場でありますが、ここでこの不二草紙における安倍劇場に対する発言を復習してみました。そんなにたくさん書いているわけではありませんが、なんとなく未来を暗示しているような、予知していたような発言が…(笑)。
 まず、昨年の8月、安倍さんの著書『美しい国へ』に関する記事。「美しい国」より「楽しい国」にしろ!って書いてますね。そして、政治の演劇性と祭性について語ってますね。小泉さんを評価する一方で、少し不安も感じつつも安倍劇場も観てみたいというようなことも書いてます。
 次、まだ小泉さんが任期中だったのに放映された『緊急ドラマスペシャル 内閣総理大臣 小泉純一郎』に関する記事。どうも安倍さん、この時点でかなりすべってたみたいですね。どうすべってたのかは忘れちゃいましたが。それから、最後にこんなこと書いてます。
「ところで、カリスマ役者の後を継ぐ人は大変ですよね。水戸黄門役とおんなじで。安倍さんが石坂浩二さんみたいにならないことを祈ります」
 結局、石坂浩二さんになっちゃったってことですな(笑)。視聴率ならぬ支持率が低下しまくり。お坊ちゃんで器が小さかったと。
 続いて、こちら組閣のために山ごもりした時の記事。ウチの近所での出来事です。麻生さんについても書いてますね。
「麻生さんの処遇が注目されていますが、役者としては、彼のような軽めのアドリブの得意な喜劇役者さんはとっても貴重な存在です。安倍さん自身は、どうもコメディーは苦手なようなので、麻生さんのキャラに頼るべき部分はけっこうあると思いますよ。観客としては彼の芝居を観てみたい」
 後継はこの喜劇役者さんになるんでしょうか。うっかり八兵衛。それとも、石坂浩二の前の佐野浅夫になるのかな。私はそれを望みますが。ま、それはないでしょうが、旧助さんが黄門様に昇格というのはありかも(笑)。
 そして、安倍劇場初日の記事。「安芝居(シャレです)にだまされる」なんてこと言ってますけど、まあ結果としては安芝居には違いありませんけど、誰もだまされなかったってことですね。キャスティング的にもロングランは難しいと書いてますが、その通りでしたね。まさか、放映中に役者さんが自殺しちゃったりするとは思いませんでしたが。
 こちらの記事は「美しい国」を反対から読むと「憎いし苦痛」になるという話から入ってますね。これもその時は単なる言葉遊びだと思ってましたが、言霊学的に言うと、「たまがへし」かもしれません。言霊をバカにしちゃいけませんね。昔のまつりごとにおいては、言霊こそ最重要視されていました。
 で、霊的なこと言いますと、樹海の件、つまりこちらに書いたことが、彼の運命を変えたとも言えますね。ぜったいなんかに取り憑かれたんですよ。安倍さん、辞任後はまずお祓いすることをおすすめします(笑)。
 というわけで、実に衝撃的な放映打ち切りでしたね。政治的にはワンクール続かなかったってことです。そう考えるとやっぱり小泉さんの2000日ってのはすごいですね。なんだかんだ言って。はたして彼の再登板はあるのか。あるとすればどのタイミングなのか。楽しみでもあります。

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2007.09.11

格安ヴァイオリン(ステンター)

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4515515793218 ボランティアで何人かの子どもたちにヴァイオリンやチェロを教えています。教えているというよりも、一緒に楽器で遊んでいるという感じですかね。それがけっこう楽しい。
 ヴァイオリンというと、小さい時から厳しい練習、そしてお金がかかるという印象があるかもしれませんが、とんでもありません。私も中学の終わり頃(ほとんど高校のクラブに入ってから)始めましたし、厳しいレッスンなんて受けたことありません。楽器も人前でコンサートができるようになるまで、当時最安の28000円の楽器を使っていました。それでも全然問題なかったと思います。ちなみに今コンサートで使うモダン・ヴァイオリンはセットで2万円のものです(あれ?安くなってるぞ…笑)。
 安い楽器については、3万円チェロ(格安)エレクトリック・ヴァイオリンのところでも書きました通り、実はメリットもあるのでした(デメリットもけっこう書いてありますが)。はっきり申しまして、みんながみんなプロになるわけではありませんし、楽器本来の意味である「楽しむ」ためであれば、安い楽器で充分であるとも言えます。
 最近は中国製の楽器のおかげで、本当に信じられない価格破壊が起きました。今、子どもたちに買わせているのは今日紹介するフルセットで1万円ちょいの楽器です。子どもですから分数楽器がほとんどですが、それでも同じ値段です。昔は分数楽器の方が極端に高かったんですけどね。信じられません。
 チェロやエレキヴァイオリンの時は、ちょっと調整も必要でして、素人の方が一人で扱うには無理があったんですが、このステンターのヴァイオリンはそのようなことは一切ありませんね。そのまま充分使えます。音的にもなんら問題ない。弘法筆を選ばずというのもありますが、超初心者筆を選らばずというのもあると思います。ということは、名器を鳴らす実力を持っている人か、無駄な金持ちか、フェチ以外の人は、安い楽器でいいということですね。
 はっきり申して、付属の弓にはあたりはずれが多少あるようです。場合によっては弓だけはちゃんと楽器店で見て触って買う方がいいかもしれません。ただし本体の数倍のお金を払わなければなりませんが(妙なことになってますな)。
 ま、こんなヴァイオリンの先生というのもいないと思いますけど、ただただ楽しみたいだけですし、ヴァイオリンと音楽を身近なものにしたいだけですので。ピアノと違ってなかなか自分一人で練習するのが難しい楽器ですよね。敷居が高いといいますか。たしかに調弦だけでも初心者には一苦労ですし、楽器の持ち方なんか全く想像もつかないほど不自然な姿勢を要求されますしね。イスに座って鍵盤を指でたたくというのとはちょい違います。
 地元には何人かのヴァイオリンの(ホンモノの)先生というのがいますし、皆さん知り合いなんですけど、すみませんね、生徒さん取っちゃって。ま、こちらでしばらく楽しんでヴァイオリンを好きになってから、もっとまじめに練習したい!プロになりたいって言い出したら、そちらに送り込みますので。
 ちなみに私は教本は使いません。好きな曲、弾きたい曲をあげてもらって、レベルに合わせて編曲して楽譜を書いてあげます。たとえばロックのある曲であれば、メロディーはいきなり弾けないでしょうから、簡単なストリングスパートを新作しまして、それをCDなんかと一緒に練習してもらうんです。好きな曲だとみんなよく練習しますよ。最初からアンサンブルの快感を知るという意味でも、あるいはアンサンブルの耳(脳)を鍛えるという意味でも有効です。
 あと、これはホントは企業秘密というか専売特許なんですが、最初の開放弦の練習ですけど、これはある有名なクラシック(バロック)の曲を使いますと、4本の開放弦全てを使って練習できるんです。これがなかなか好評です。最初から名曲の合奏に参加できるんで。仕事柄、何事も導入が大切だということを学ばせていただいておりますが、それがこんなところにも役立っているのでした。
 何年かしたら、地元の子どもたちの小さな合奏団でもできればいいな。ところで、自分の子どもたちが全然興味を示さないのはなんでなんだろう…歌ばっかり歌ってます、母親といっしょに。実はそれもちょっとうらやましいっす。楽器をやる人って、もしかして歌が下手だと自認している人だったりして(笑)。

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2007.09.10

さようなら阿久悠さん

今日、阿久悠さんを送る会が行われました。
Akuyu おそらく彼は全ての人の悪友でありたかったのでしょう。そして悪友は私たちに手紙を送り続けた。彼が亡くなってその手紙はもう届かないのかと思いましたが、いえいえそんなことはない。悲しい8月1日のあとも私たちは彼の手紙を受け取り続けています。
 何度も読み返す手紙というのがあるじゃないですか。彼の書いた膨大な詞は、みなそういう手紙なんです。彼は本当にいろいろな人たちに向けていろいろな詞を書きました。アイドルポップスから演歌、CMソングから校歌まで。その数5000以上。
 悪友からの手紙ですから、その言葉に気取りやてらいはありません。私たちの心に直接響く言葉たちです。だから、私たちは何度も何度も同じ手紙を読み返すのです。そしてそこには、あの頃の世の中が、あの頃の自分がしっかりと息づいています。
 阿久さんは、いわゆる流行歌の作詞家でした。その時代の空気をたっぷり吸い込み、その時代のエネルギーを腹いっぱいに満たして、そしてモンスターになっていく歌たち。それを生み出すことに、彼は一種の快感を覚えていたようです。
 毎夜徹夜の放送作家の仕事よりも、原稿用紙2枚書く方がお金になる、というのももちろん魅力だったと言います。しかし、それ以上に、やはり歌は歌い継がれるという性質こそが、彼にやりがいを感じさせたんじゃないでしょうか。テレビ番組の言葉は一過性のものですからね。
 ところで、実は私、彼の仕事ぶりや、彼の残した詞から、自分の「モノ・コト論」のヒントをたくさん得ていたんです。
 言葉が「コト(不変・公理)の端(葉)」であって、本当の「コト」ではない。実は変化する社会や人の心という「モノ(変化・無常)」を写すモノであって、完全なる記号でもなんでもない。それぞれの人のココロの中で凝結して、その人にとっては「コト」的な性質も帯びるけれども、人の成長・成熟とともにココロも変化して、結局は変化していくモノ。もちろん個人の死によって、そのモノ自体にも終わりが訪れます。しかし、それが語り継がれ、歌い継がれていくことによって、私たちは「コト(ミコト・マコト)」に疑似的にではあっても近づくことができる。それこそが「物語(モノガタリ)」であり、「命(いのち)」の本質なんだと。
 阿久さんは「歌は心。時代を超えていく」という言い方がお好きではなかったようです。歌は時代そのものであり、時代によってコロコロ変わる心を写すものであると。彼の基本的な姿勢はそこにありました。変化していく心。
 これはまさに「もののあはれ」であります。自己というモノが他者によって変化させられ、翻弄され、そうしてようやく形を成していく。そこに「あはれ(ああ)」と言うわけです。そこで言葉にできないことを、それでも言葉にしないではいられないという人のサガ。これは例えば伝統的な和歌の世界ですね。そういうものの現代形を彼は聞かせてくれた。
 彼は言います。「私は不幸の一歩手前の切なさを表現したい」…これもまた「もののあはれ」そのものですね。日本人は、不幸の一歩手前、まったく不随意な運命というものに美学を感じてきました。これは人間として非常に高度な状態だと、私は思います。人類の進化形だと思います。
 世界の先進諸国が、科学やら工業技術やらお金やら政治やら軍事やらで「コト化(随意化)」へ向けて邁進し、皮肉にもその中でますます不満・不安を募らせている中で、不幸の一歩手前に実は魅力を感じている日本人はすごいですよ。そのレベルである種の満足を得るわけですから。当然、たまに訪れる幸福への幸福感は増大しますし、不幸への耐性もつきます。
 そんな日本の伝統的な空気を読みつつ、それをその時代の視点でとらえ、生命力あふれる言葉で表現したのが我らが悪友だったわけです。だから、彼の歌(詞)は、私たちに元気を与えてくれるといった性質のものではありませんでした。そういうひたすら前向きという応援ソングではなく、さっき述べたような本当の意味での「生きる力」、知足の心や不幸への耐性を育ててくれる、まさにお釈迦さまの言葉だったのかもしれません。
 私も国語の教師として、また歌謡曲バンドのメンバーとして、これからも彼からの手紙を何度も何度も読み返していきたいと思っています。阿久悠さん、本当にありがとうございました。お疲れさまでした。つきなみな言い方ですけれど、あなたの言葉はたしかに生き続けるでしょう。あなたの言葉そのものに、ものすごい生命力があるからです。私たちはそれらを語り継ぎ、歌い継がずにはいられないからです。

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2007.09.09

ロードサービス(高速道路でパンク!)

Punk 高速道路のトンネルを100キロで走行中、いきなり右前のタイヤがパンク!
 いやあ、まいりました。しかしまあ不幸中の幸い、大事に至らず帰ってこれました。感謝しないとなあ。
 23日の演奏会に向けての練習が東京で行われるということで、今日は早朝から予習をしたり、長丁場に備えてジャンボ鶴田のTシャツを着込んだりして(怪物のスタミナにあやかったつもり)、気合いを入れていたんですね。で、少し余裕を持って出発し、いつものとおり高速道路に乗ったんです。
 30分くらい走ったでしょうか、ちょっと長めのトンネルに入り、普通に3車線ある中の真ん中の車線を100キロくらいで走行していたんですね。で、1台のバイクが私を追い抜いていきました。その時、けっこう大きな排気音が聞こえました。バタバタバタってね。まあトンネルですからよくあることです。
 しかし、バイクが前方に遠ざかったのにもかかわらず、そのバタバタ音が大きくなるではないですか。あれ?もう1台来るのかな、と思った瞬間、ハンドルにものすごい振動が。一気に直進安定性も失われていきます。私はまず、路面に異常があったのかと思い、少しハンドルを切って微妙に走行ラインをずらしてみましたが、全く状況は変わりません。その瞬間、あっこれはパンクだ!と思いました。おいおい、なんだよ〜、こんなところで…。
 え〜、こんなことをこんなところで自慢しても仕方ないんですけど、私、結構ピンチに強いんですよ。いかなる状況においてもパニックを起こさないのが、私の売りです(笑)。考えてみると、今までもパンク経験はけっこうあります。オフローダーだったこともあるからでしょうかね、たぶん今回が四半世紀にわたるドライバー人生において7回目だと思います。けっこう多いっすよね。でも、高速道路では初めてだぞ!
 なんてワクワクしている場合ではない。まずは一番左の車線にソロソロと車線変更。それほど交通量は多くありませんので、そこは難なくクリア。とともに前方を確認。だって、トンネル内に非常停車するのはめっちゃ危険です。重大事故につながる可能性大。で、前を見ますとラッキーなことに出口の明かりが見えます。えっとえっと、ハザードランプのスイッチはどこだっけ。ハザードを点滅させながら60キロくらいまで減速させてトンネルを出ました。
 すると、左に比較的広い路肩があるではないですか。よしよし、ここに不時着だ。ん?でもあんまりトンネル出口に近いと危ないな。でも、前方100メートルからは左カーブで見通しが悪い。じゃあ、あのへんに停めよう。ということで、なんとか無事に路肩にピットインいたしました。
 高速道路の路肩に停車するっていうのは初めてのことです。停めてみますと、案外狭いんですよね。私の車は軽と同じ車幅しかないのでスッポリ入りましたが、それでも右側を車がビュンビュン通り過ぎて恐い。特に大型は左車線を走りますから、それらが通過すると、車が揺れる揺れる。すごい風圧です。
 そんなんですから、運転席のドアを開けるなんて冒険はできません。左はガードレールに近くて助手席のドアも開きません。こんな時、やっぱりスライドドアっていいですねえ。私の車は後部ドアは両サイドスライド式なのでした。で、左後のドアから車外に出て、まずは三角板を設置。考えてみると三角板使うの初めてかも。積んどいてよかった。
 車の前に回ってタイヤを確認しますと、あららやっぱり右前がペッチャンコだわ。さ〜て、どうすっかな。タイヤ交換は大の得意です。こちらにも書きましたが、それで金もうけしてたくらいですから(笑)。しかしですねえ、左のタイヤならまだしも、右じゃあなあ、背後数十センチを時速100キロの大型トラックやバスが通過する状況でタイヤ交換はしたくありません。
 かといって、低速で広い場所まで移動というわけにもいきません。ナビを見ると、すぐ先がまたトンネルだからです。
 残念ですが、これはもう人に頼むしかありません。昔なら高速道路備え付けのあの電話のあるところまで歩いて連絡したんでしょうけどね、携帯電話のありがたみをこれほど感じたのは初めてです。保険会社の電話番号を見つけまして、そこのフリーダイヤルにレスキューを頼みました。保険会社の電話応対も非常にスムーズでして、すぐに折り返し連絡があり、20分くらいでロードサービスが到着するとのこと。
 実際は10分くらいでしたね。ルームミラーで後方を凝視していると、トンネルの暗闇の中から赤色灯を派手に回した救世主が現れました。助かった、というより、なぜか恥ずかしかったっす(笑)。
 ロードサービスのおじさんは、とっても優しくて、「全部やりますから、車に乗って待っててください」と。メシアは実に手際よくあっという間にタイヤを交換し、「大変でしたね。不幸中の幸いですよ」と私を慰めてくれました。おお、神よ。ありがたや、ありがたや。ま、メシアにとってはいい儲けになる仕事なんでしょうけどね。ちなみに費用は保険会社が払ってくれるとのこと。こちらとしてはお布施(チップ)をあげたいくらいでしたけど。
 おじさんが言うには、パンクの原因はよくわからんとのこと。帰宅後よく確認してみましたら、どうも釘のようなものを踏んだらしい。そういう跡がありました。で、よくあることですが、釘がささっているうちは良かったのですが、それがトンネル内でたまたま抜けたと。それとともに空気も一気に抜けてしまった。危ない、危ない。
 緊急用のタイヤ(あの黄色いホイールのね)では、なるべく高速は走らないように、また車体にもダメージがあるかもしれないから、すぐに高速を降りて車屋に見てもらった方がいいとのことでしたので、残念ながら本日はここでリタイア。練習はお休みしなければならなくなりました。すみません、皆さん。ただでさえ欠席が多いのに。ご迷惑をおかけします。
 まあ、今回はいろいろな方にご迷惑をおかけしましたが、自分としてはいい経験になりましたし、ケータイやロードサービスのありがたさも感じることができました。ありがたや、ありがたや。というか、まずは事故につながらなくてよかった。不幸中の幸いです。他人の世話になるのはまだいい。他人を巻き込んで不幸なことになったら大変でした。神様に感謝いたします、ハイ。
 神様と言えば…ジャンボ鶴田さんが守ってくれたのかなあ。ピンチでも動揺せず冷静に判断ができ、事態に対して自然に受け身が取れたのは、まさにジャンボさんのおかげかもしれません。ありがとう。人生はチャレンジだ!?
 皆さんもご注意ください。備えあれば憂い無し。そしてピンチの時こそ冷静に…。

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2007.09.08

運動会(!?)

この写真についてはのちほど説明します
Undokai1 今日は娘の小学校の運動会。子どもたちにとっても、先生方にとっても、また役員の皆さんや、あるいは親たちにとっても、まさにハレの日であります。
 私は仕事が終わってから少し遅れて行ったのですが、もうその頃にはすっかりお祭りムードになっておりました。ここは田舎ですので、まあ運動会は村をあげてのそれこそお祭りであります。子どもたちの競技、演技は、スポーツとか教育とか、そんな次元を簡単に超えていまして、まあ神様への奉納ですね。それを村中で執り行う。子ども自身も神、あるいは神に近い存在ですし、その成長ぶりを祝い感謝するという意味合いもあると思います。
 親たち(自分も含めて)はいわゆる場所とりから始まり、豪華弁当合戦(笑)、ビデオ撮影大会(撮影機器グレード対決?)、そして自らの子どもへの応援はもちろん、小さな村ならではの「あのウチの○○ちゃん」への応援と、子どもたち以上に気合いが入り、また忙しいわけです。そうやって老若男女のエネルギーを結集して、神々へ何かを奉納する。このへんでしたら、運動場の向こうにそびえる富士山に対してでしょうかね。あの青空や入道雲、厳しい日差しやありがたい日かげや涼しい秋の風に対してでしょうかね。皆さん無意識でしょうけれど、自分たちの最も大切な財産である子どもたちを育む自然への感謝の気持ちがあると思いますよ。
 なんとなく形式的なというか、あるいは軍隊式ともとれる集団演技(実際何人かの外国から来た親たちは「これはアーミーだ」と言ってました)や、親たちの過剰とも言える熱意というか、昼間っから酒飲んで騒ぐあの雰囲気とか、自分の子どもだけをズームアップして撮影するビデオ隊(つまりお父さんだな)には、ちょっと抵抗があったんですけど、これは「祭」だと思ったら、実に面白くなった。これこそ日本だなと。運動会なんて外国にはないもんな。これは伝統的な祭の新形態であると。
 というわけで、今年の運動会は心から楽しめましたし、感動もいたしました。皆さん、お疲れさまでした。
 さてさて、で、充実したけれどつっかれて帰宅いたしまして、私とカミさんはもうとにかく眠くて仕方なかったんですが、当の本人すなわち長女はなんだか祭ムード冷めやらぬらしく、テンションが上がったままです。神が憑依してるのか!?と思わせるほどに運動したがっている。
 しかたなく、ウチの近くの裏山…てか、富士山ですな…おそらくそこで溶岩流が止まったのであろうと思われる小山がありましてね、そこに遊びに行きました。夏から秋へ移り変わろうとしている微妙な自然の変化の具合がいろいろ楽しめましたねえ。本人は大木からぶら下がる自然のツルにぶら下がってにわかターザンをやったり、やぶをかきわけて道なき道を行ったり、日没まで楽しんでいました。私は夕食の冷や奴用に香ばしい山椒の葉を何枚か摘んで帰りました。
 さて、それで子どもたちはさすがに寝るかと思いきや、なんとまあ、また運動会を始めたではありませんか!なんたるパワー。お祭りエネルギーいまだ衰えず。
 しかし、よく観察してみるとですねえ、彼女らはどういう立場を演じているかと言いますと、どうも観る立場のようです。つまり、まずは場所とりをしてシートを広げ、弁当や酒を用意して、ビデオも用意して何かをさかんに応援している。アナウンスなんかも兼任している。先生役もやっている。
Undokai2 で、何を応援しているかと思ってよく観察してみますと、それはなんとウチのクワガタとカブトムシらしいのです。虫たちの運動会か。これは面白い。「最初の競技はふんころがしです」とか言って、クワガタくんにピンポン玉を押させている。
 ああ、子どもたちは楽しかった運動会を復習再現するだけでなく、別の視点立場から追体験しているわけですね。面白いわ、こりゃ。観られる立場から観る立場へ。視点の転換かあ。なるほどこういう復習の仕方もあるんだなあ。ウチはおじいちゃんがビデオ係だったので、ビデオによる復習は今日はできません。でも、こういう心の、頭のビデオによって、観る立場からの再現をしている。面白いなあ。こうして今日の自分を客観的に処理してるんだろうな。
 ということは、ホントは親である私たちが演技しなければならないのかもしれませんが、さすがにそれは無理というか、変だと思ったのでしょう、虫たちにその役割を与えたんですね。
 子どもの発想と行動は面白いなあ。では、おやすみなさい。疲れましたが、楽しかったなあ。

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2007.09.07

『爆笑問題のニッポンの教養 「現代の秘境は人間のこころだ~芸術人類学 中沢新一」』

Huekd10 昨日の憲法9条関係からこちらを観てみました。これも録ってあったが観るヒマがなかったもの。ものすごく面白かったし、100%納得。こんな番組も珍しい。
 中沢新一さんは昔から好きでした。まさに学問人というよりも教養人ですよね。やはりおじさんである網野善彦さんの影響が大なんでしょうね。お二人とも山梨の誇るべき賢人です。いつかも書きましたが、おそらく山梨という「生黄泉(なまよみ)」環境がお二人に与えた「モノ」の大きさも無視できないと思いますよ。地元の方々にはそういう意識は希薄なようですが、私みたいに外から「生黄泉」に憧れて移住した者にとっては、それがものすごく強く感じられます。ちょっと畑は違いますがレミオロメンに関しても同様の印象を持ちます。自然風土が人をつくる。
 で、中沢さんと爆笑問題の太田光と言えば「憲法九条を世界遺産に」ですね。そこの記事にも書きましたけど、お二人はかなり深いところでうまくかみ合っていると思います。今回はいちおう田中もいましたが、彼は「東大の教養」の時と同様に、ただいるだけです(そして、それがまた素晴らしい)。で、中沢さんと太田(敬称略)の深いところでの共鳴や共振というのが、私の脳にもものすごい快感をもらたしました。
 今回、彼らが語ったいくつかの鋭い言葉には、本当にいちいち納得させられました。おそらく彼らを非難したり、毛嫌いしたりする人たちは、それこそそういう言葉に反応しているんだと思いますが、まあ少なくとも私は全面的に彼らに賛成しますよ。
 心のビッグバン、ダウン症の子どもの芸術性や菩薩性、アースダイビング(意識は時間を越えていく)、東京の神社仏閣や墓地の配置がそのまま縄文の東京地図の陸地の部分と重なる(縄文に開発をストップされている)、山手線が縄文の半島に沿って走っている、文系の学問は自己愛、それを自然と結びつける(芸術人類学)、ニューヨークと新宿の道の違い(歩きたいところが道になる)、心と自然がつながる(自然の法則に従って生きる)、理屈や言葉や学問(秩序づけ、マッピング)よりも直感(自然・シャッフル・ノンリニア)、分類上違うものの間に深い共通性があることを見出す能力、アドリブ(断片)とその先の世界、芸術や宗教の天才は歳をとると表現が平易・単純になっていく、無垢でいることの困難さと大切さ、成熟した強い無垢さ、捨てても残ればそれが自分…。
 彼らがさかんに語った直感や自然やノンリニアな世界とは、私の言う「モノ」世界です。そして、彼らがその対極とした理屈や言葉や学問や秩序づけやマッピングや科学は「コト」世界です。ですから、彼らは、私の強く繰り返して来た「これからは再びコト(心)よりモノの時代」という一見逆説的なスローガンを、また別の言い方で表現してくれたような気がしたんです。自然の世界には秩序や法則というものはありますが、それは人間が勝手に決めたものではなく、私たちの脳ミソ以前にすでに存在したものです。ある意味それに対抗しようとして人間中心に「発見」していったのが、先ほど並べた「コト」たちです。ここ数百年で私たちはそちらに向けて集団暴走してしまった。そこに私たちは違和感を抱くのでした。
 今日と言うか7日は実は接心という学校行事がありまして、学校にお泊まりでした(この記事は8日に書いてます)。私は約100人分の食事を作る係(典座)でありました。接心は年に何回かありますが、典座の係は年に1度か2度しか回ってきません。しかし、さすがに20年もやってると身についてくるものですね。ご飯も味噌汁もお粥もうまくできるようになりました。最初はしっかりマニュアルでも作って毎回そのとおりやろうと考えていたんですが、面倒くさがり屋の私は、結局ちょっとしたメモくらいしか作りませんでした。それでも、こうしてある程度上手になってくる。米や水や味噌や沢庵やごま塩や火や人やその行事自体が、私に何かの法則や秩序や方法を教えてくれたわけです。そしてまだまだこの先いろいろ教えられるでしょう。ああ、これが「教養」なのかなと、そんなことを思いました。やっぱり自分は生かされている…なんでこんな当たり前なことを、私たちは日常で簡単に忘れちゃうようになったんでしょうね。

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2007.09.06

『その時歴史が動いた 引き裂かれた村 〜日米戦の舞台・フィリピン〜』ほかいろいろと(NHK)

Uoj3 台風で仕事が早く終わり、予定外に時間が出来ましたので、夏休みに録りためてあった戦争関係の番組をまとめて観ました。
 ざっと観たものも含めますと、「シリーズ証言記録 兵士たちの戦争 中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ」、「鬼太郎が見た玉砕 水木しげるの戦争」「A級戦犯は何を語ったのか ~東京裁判・尋問調書より~」「日本の、これから 考えてみませんか?憲法9条」、そして昨日録画した「その時歴史が動いた 引き裂かれた村 〜日米戦の舞台・フィリピン〜」です。
 いやはや、もうこれだけいろいろな立場から戦争を語られますと、いったい何が起きたのか、誰が正しいのか、誰が間違っているのか、さっぱり分からなくなってしまいますね。しかし、それが戦争の実態であり、ある意味こうしてまとめて観た方が良かったかもしれない。それぞれ単独で観たとしたら、きっと私はコロコロ変わる単純な感想と意見しか持てなかったに違いありません。
 どれも辛く衝撃的な内容であったのは確かですが、最も強く心に残ったのは「引き裂かれた村」でしょうか。わかってはいたつもりですがね、あの戦争は日本とアメリカが戦ったというだけではなかった。その戦いの舞台となってしまったアジアの諸地域における悲惨な出来事を忘れてはいけません。
 フィリピンは最も激しい戦闘のあった国です。アメリカの植民地にして重要な軍事基地であったフィリピンに、「大東亜共栄圏建設」を標榜しアジアの解放を謳う日本軍が侵出します。結果として110万人以上のフィリピン人が犠牲となったと言います。
 そんな中、日本軍は、貧困層を中心としたフィリピン人反米部隊「マカピリ」を組織しました。一方、アメリカも富裕層を中心としたフィリピン人抗日ゲリラを組織しました。抗日ゲリラ活動に脅威を感じた日本軍は、マカピリを使ってゲリラ掃討作戦を展開しますが、それが一つの村を分裂させ、現在まで続くフィリピン人どうしの虚しい憎しみを生む原因を作ってしまったのです。
 番組では、思わず目を覆いたくなるような実際の戦闘シーンや民衆どうしのリンチシーンの映像なども流されました。なんでこんなバカバカしいことを…と思いますが、きっと自分もあの時に生きていたら、あのような人間になってしまったことでしょう。それがとても虚しいのです。
 憲法9条をめぐる激論を何時間鑑賞しても、どんなにまっとうな意見を若者や学者さんや小林よしのり(!)が述べても、また戦争体験者が述べても、結局私の心は虚しいままでした。いくら戦争はいけない!とか軍隊を持つな!とか持て!とか激論してもですねえ、そこには「自分」と「自分の身近な人」への感情しか感じられなかったんですよね。不謹慎かもしれませんが、結局みんな「自己」のために戦っているとしか考えられなかった。お国のためというのも、決して捨身なんかではなくて、自己の拡張としての国家のためでしかない。さかんに幻想としての国家みたいなことを言う人がいましたが、幻想でもなんでもないですよ。あくまで自分なんですから。敵国は他者。ただ、それだけです。
 そういう意味では、その番組での論戦はまさに「自己」対「自己」の戦争の様相を呈していました。護憲軍対改憲軍みたいなね。アホらしい。話し合いで解決しようって言いますけど、皆さんこそ他者を受け入れられず、プチイデオロギー戦争を起こしてるじゃないかと。そういう意味では見事な行司、いやプロレスにおけるレフェリーかな、そういう交通整理役を果たしていた三宅アナとあくまで冷静な陶子さまに、私は世界平和のヒントを見ましたね(笑)。
 世界平和と簡単に言うけれど、自己を世界まで拡張できるのでしょうか。そこがポイントだと思うんですよね。国家までは拡張できることが、さきの戦争で皮肉にも証明されてます。でも、それは世界へは拡張できないことの証明にもなっていますよね。それこそ皮肉です。もし、それができないんだったら、みんなでお釈迦さまになりましょうよ。本気で自分を捨てるってことですよ。自己も他者もない。不二。あなたはどちらを選びますか?私は後者をとりますが。
 ああ、戦争について語るのは難しい。

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2007.09.05

Newton2007年10月号&関東大震災の音

「M9」大地震
Newton 学校に届けられるので、だいたい毎号見ている(ちゃんと読んではいない)のですが、今月号の特集記事は思わず隅から隅まで読んでしまいました。
 先日月食の記事に地震に注意と書きました。いちおう今日くらいまでが、潮汐力トリガーによる危険ゾーンです。この1週間、多少地震の数は増えましたが、特に被害を及ぼすような大きなものは発生せずほっとしているところです。オセアニアでM7レベルの地震が発生しましたが、これはもしかすると月食と関係があるかもしれませんね。
 ところで、今台風9号が関東東海地方に接近中です。ご存知のように、台風(低気圧)もまた地震の引き金になることが知られていますから、しばらくの間は注意が必要かも知れません。もちろんそれ以前に台風自体による被害に気をつけましょう。
 さてさて、でニュートンですが、これは恐ろしい記事が載っていました。「空前の破壊力 エネルギーは神戸地震の1000倍 M9大地震」です。簡単に言ってしまえば、東海地震と東南海地震と南海地震が同時に起き、西日本全体が震源となるM9レベルの巨大地震が発生する可能性がある、という説です。
 あららニュートンもどこかの週刊誌のように、不安をあおるトンデモ記事を載せてしまったかと、一瞬思ってしまいましたが、実際記事を読めば歴史的に見ても科学的に見ても、近い将来その巨大地震が発生する可能性が高いことがわかります。もちろん、東海・東南海・南海が同時ではなく、連続して起こるケースも過去何度もありましたし、三つのうち二つが合体することもありました。さらに言えば富士山の噴火が連動することもよくあることです。
 M9クラスと言えば、スマトラ島沖地震並みということですね。あのレベルの地震が想定される震源域で発生すれば、まあ日本は壊滅ですな。西日本のみならず東京もアウトでしょう。浜岡原発もメチャクチャになるでしょう。現在補強工事が行われていますが、さすがにM9は想定外です。
 冷静に考えればこのような大地震が、生きているうちに起きる可能性は高い。はっきり言って予知もほとんど不可能でしょう。では、何か備えを、と言ってもなかなかねえ。もう来たら来たで受けいれるというか、やりすごすというか、もうどうしようもないでしょうね。まさに「あさましきもの」「もののあはれ」です。
 ところで、関東大地震(関東大震災)の音が聴けるの知ってますか?ものすごく恐いっす。地鳴りからして恐いですし、本震もあれだけ長い時間続くとねえ。録音でもこんなに恐いんですから…。勇気のある方は下をクリックして聴いてみてください。

関東大震災(関東大地震)の音

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2007.09.04

『ぼく、オタリーマン。』 よしたに (中経出版)

80612675 昨日に続き、「ぼく」シリーズ。これは、生徒に頼まれて注文しました。2を予約したら、なんだか手ぬぐいがもらえるらしい。オタリーマンの手ぬぐいってなんなんだ?
 だいたいオタリーマンに共感する女子高生というのも不思議なものです。届いた2を読んでたら、彼女に「私より先に読むな!」と怒られて奪い取られました。代わりに1を貸してくれたのですが、なぜか時間制限がありました(笑)。
 まあいちおう時間制限内に読み終わりましたよ。他愛のない短編マンガが続きます。別につまらないわけではないけれども、ゲラゲラ笑うタイプでもない。クスっとも違う。ああ、あるある…それだけでもないかなあ。なんだか複雑な気持ちになりました。あまりに自虐的なネタが続いて苦しいのも事実。
 オタリーマンとは、もちろんオタクなサラリーマンのことですね。しかし、多くの人が感じているように、このマンガの主人公はアキバ系の純正オタクと言うより、理系のちょいオタなんですよね。だからでしょうか、ヲタぶりに力がない。そこがまずヲタを期待した人には肩透かしでしょう。で、結局ヲタのサブ属性である「暗さ、消極性、没交渉性、非社会性」がネタになってしまうんですね。簡単に言えば「人とつきあうのが苦手」というヤツです。
 1は40万部以上売れたといいます。そんなこの本がこれだけ売れたというのは、世の中にこういう人がたくさんいることを表しています。つまりちょいオタで人嫌いな人がたくさんいるんです。というか、人嫌いだからオタクになるのかな。もちろん私もそうです。人といるより一人でいる方が断然楽しい。好きなコトやってるのは幸せであり、他人に合わせてニコニコしたりするのは疲れる。
 私が知る限り、実はそういう人種の方が多い。しかし、世の中を動かしたり、表面に出てきて華やかに動き回るのは、その対極にいるような人が多いので、なんとなくオタクは小さく暗くなりがちです。まあ、その分聖地に赴いたりすると、異様に声が大きくなり満面の笑みになるんですけどね(笑)。学校や家庭や政府も、どうも明るく元気にみんなでということを押しつけがちです。で、一方で「電車男」みたいにメジャーデビューして勝ち組になる裏切り者も現れたりする。オタクもやっと日の目を浴びるようになった、なんて喜んだ人もいたでしょうけど、結局それはヒミズ的結末の呼び水に過ぎませんでした。
80612822 とにかく、このマンガに共感する人がたくさんいたわけですよ。まあいちおう仕事もちゃんとやっていて、決してニートやひきこもりやパラサイトではない、でも会社に付随するであろう社会性には違和感を持ち、また彼女もいない、しかし一方で、妙な寂しさも常に感じていて、実は気兼ねなく話せる友人や同僚もほしいし彼女もほしい、というある意味とってもワガママな人がたくさんたくさんこの日本にはいるのでした。
 このマンガが賛否両論なのは当然です。ただ、賛にせよ否にせよ、とにかくこれを手にとって読もうとしたということは、そこに期待や興味があったからであり、彼らの根っこの部分は全く同じなのです。ただ、結果として、それに共感共振する自分に「いとおしさ」を感じるのか、それとも「しっかりしろよ」と思うのかの違いだと思うのです。ちなみに私はその両方でした。
 いずれにせよ、これこそ日本人の「もののあはれ」なんですよね。いつかも書いたように、「萌え=をかし」すなわち「コト」を極めようと時間も空間も微分していくオタクたちの逢着点は、皮肉にも思い通りにならない「モノ」なのでした。切ないなあ…。

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2007.09.03

『ぼく…。』 桜庭和志 (東邦出版)

80940628 まったく話になりませんね。秋山が謝罪文ですって?で、9月17日に電撃復帰?はあ?正直彼にはもうリングに上がってもらいたくありません。
 去年の大晦日の一件に関しては、私はほとんどノーコメントでした。こちらで少し吠えただけ。すなわち、コメントするのもバカバカしい事態だったわけです。もちろん秋山本人もそうですが、その周辺の「大人たち」に腹が立つやら呆れるやらで、もうすっかり気持ちが萎えてしまいました。
 結局あの事件が私のプロレスへの愛をさらに加熱するという皮肉なことになったとも言えますが、それと同時にある人のある素質を開花させ、ある種の暴走を招いたというのもまた事実であります。そう、ウチのカミさんの桜庭熱が沸点を超えて暴走したんですよ。これはまったく予想外でした。もともとプロレス好きではありましたが、なんで、ここへ来て桜庭なんだ?まあ、その暴走のおかげで私もいろいろと楽しい思いをさせていただいていますが。
 というわけで、最近ではどういうわけか御本人をさしおいて、桜庭さんのご両親とすっかり打ち解けてしまった我が家族であります。まったく人生とは分からぬものです。まあ、そういう意味では秋山にも感謝せねばならないのかもしれませんが、今回の彼の行動と周囲の大人の行動は、やはりいただけません。
 だいたい何ですか、あの謝罪文は。私の最も嫌いなタイプの「語り(騙り)」です。特に、取ってつけたようなここのところ。
『…また、体の不自由な方々がいらっしゃる施設にも赴き、お話をさせて頂く事で健康である事のありがたみ、好きな事ができている喜び、そして命の尊さを改めて学ばさせて頂きました』
 おいおい!いい加減にしろ。おととい、ちょうど障害者プロレスについて書いたばかりだからこそ、私の怒りは心頭にハッスル…じゃなくて発する。自分の偽善のためにスペシャルな人たちを利用するな!もう、本当に植木さんに秋山をボコポコにしてもらいたいっす。
 第一、こんな謝罪文をしゃーしゃーと披露する前に、一度でも桜庭の前で土下座せい!という2ちゃんねらーの意見に大賛成なワタクシどもであります。最も男らしくないことをした上に、最も男らしくない後始末…いや後始末の放棄です。谷川さんも谷川さんですよね。もともと空気読めない人ですけど、これはひどいでしょ。情けなくなりました。
 どうもウチのカミさん、9月17日のチケットを買ったようなんですが、いったいどういう気持ちで参戦するんでしょうね。彼女実は初参戦なんですよ。私は行きませんよ、絶対に。「桜庭vs柴田」なんて、一番観たくないカードですから。空気読んで下さいよ、谷川さん…。
 なんか、さっきカミさん、ネットで秋山の謝罪文読みながらブツブツ言ってました。
「…生卵持ってこ…ブツブツ…」
 さてさて、一方の真の男桜庭和志はどういう気持ちなんでしょうか。それを忖度するに最適な資料が、7月に彼が出したこの本です。もう、この本の秋山戦の部分を読めばじゅうぶんに彼がどういう男か解るでしょう。ある意味日本男児ですし、ある意味秋田男ですし、ある意味プロレスラーですし、とにかく彼が尊敬に値する男であることは充分わかりますよ。偉い。本当の男は語りすぎないものです。もちろん、例の高田道場離脱の理由なんかについては、ほとんど語っていません。あれは語れませんね、本当の男なら。
 「武士(もののふ)の中の武士(もののふ)」とは、前田日明が桜庭を紹介した時の言葉ですが、まさに彼は縄文的な「モノ(外部・不随意・無常・無我)」を重視する男です。自分の思い通りに「コト(内部・随意・不変・自我)」を「カタル(固定する・伝達する)」傾向の強い弥生人とは違います。
 弥生人よ!もう少し縄文人から何かを学んだらどうですか?(ものすごく回りくどい言い方っすね…笑)
 「そういうお前も日常的に語りすぎ(騙りすぎ)じゃないか!」との叱責が聞こえてきそうですが、まあ、これは考えようによっては、桜庭のパフォーマンスや太宰の道化みたいなもんでして、つまり、私にも縄文人のキャラクターが根強く残存している証明でもあるわけです(笑)。決して弥生人的な「カタリ」ではありませんので(!?)。

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2007.09.02

『認知科学への招待−心の研究のおもしろさに迫る』 大津由紀雄, 波多野誼余夫 (研究社)

Nika 生徒とお勉強するために買った本です。たしかに入門としてはいいかもしれません。でも、門に入れないで終わる人も多いだろうなあ。私はその面白さをじゅうぶん理解できる立場なんですが、でも入店しないでしょうね。まあパチンコに行かないようなもんだな(失礼)。
 日本認知科学会が設立されたのは、たぶん1983年です。その頃、私は何回かそういう学会に参加しました。そういえば、その頃はやっぱりパチンコにも行ってたっけな。この一致は科学的にはどういうことなのだろう(笑)…で、私はその時大学生で、「国語学」なんていう古くさく、しかし自分にはけっこう合っている学問を志していました。合っているけど、でも昔の私も今と同じように奇を衒う傾向が強かったものですから、バリバリにチョムスキーとかやってた友人に誘われるままに、そういった会合にも参加していました。ゼミの教授にそのことを言うと、「なんだ?認知って。避妊に失敗したのか?」ってマジ顔で言われました(笑)。そういう時代だったんです。
 それから四半世紀。認知科学もだいぶ世の中に認知されてきました。というか、ある意味においては、最先端のカッコイイ学問になりつつあります。25年たっても(世界的に見ればもう半世紀くらいかな)まだまだ新鮮であるというのは、いかにも認知科学らしい状況であります。
 その25年前の率直な印象は、これはダメだな、でした。いくつかの言語や音楽の認知に関する発表なんかを聴きましたけど、どうもやりたいことをやりたいようにやってて、それもどうでもいい部分を取り上げてどうでもいいレベルで論じていた(ように若かりし私は感じた)ので、ガッカリした記憶があります。
 今思えば、それこそが何でもありの、いやかっこよく言えば学際的な認知科学の特徴そのものであったわけで、また、それこそがいつまでも旬であることができる理由なのでした。ノーマンが言ったという「おまえが認知科学だと思えば、それが認知科学なんだよ!」という、認知に関してあんまり科学的でないとも取れる名言こそが、認知科学のよって立つところだったわけです。
 さて、この本、そんな意味も含めて実に若々しく面白かったのですが、特に巻末の編著者お二人による対談がエキサイティングでした。なるほど、認知科学はそれまでの「絵日記」「採集」で終わっていた学問に対して、「理論」があることが、その面白さと優位性の理由なんですね。「So what?」の姿勢があると。なるほど。「で?」っていうわけですね。
 実は私が入店しない理由はそこにあるでした。もちろんそれは彼らからすれば私の怠慢や無気力さ、非勤勉性から生起する言い訳にしかすぎないのでしょうが、どうも生理的にダメなんですよね。最近の私がパチンコに気持ちが向かないのと同じです。
 彼ら頑張り屋さんすぎるんですよ。ちょっとついていけない。「理論」とか「So what?」というのは、いつものワタクシの言い方で言いますと、「コト」です。自分の思い通りになること。人間中心の「納得」なんですね。自分の外部(自分自身も実は外部です。もちろん自分の心も)である「モノ」を手なずけようとしすぎのような気がするんです。ですから、私は彼らの「理論」に対して、ちょっと彼らとは違う表情で「So what?」=「で?」と言いたいんです。わかりますかねえ。
 私自身は、「絵日記」と「採集」を極めるような純日本的な(オタク的な)世界が好きなものですから。理論づけという能動的な姿勢ではなく、受動的な姿勢からも、世の中の真理を発見することはできると思います。私はどうもそっちの道を指向するようです。単なる勉強嫌い、怠け者だとも言えますが、認知科学のどうにも欧米的な「はじめにロゴスありき」の出発点に違和感を覚えるのも事実なのです。
 うん、でもこういう世界が嫌いなのではありません。人がやってるのを観るのは好きなんです。人にやらせるのも好きなんです(笑)。だから教え子にやらせようとしているわけですし。まったく困った先生ですねえ。

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2007.09.01

『障害者プロレスが教えてくれた~脳性まひ・植木里美さん~』(NHK教育 きらっといきる)

障害をさらけ出す闘い
Orochi2 理解できない方もいらっしゃると思いますが、私は障害者プロレスの世界が好きです。いろいな問題があるのを承知で言いますが、こういった「見世物」文化の衰退、いや隠蔽から、たとえばいじめなどの現代の諸問題が発生しているとさえ思っています。
 ここでいう「見世物」という言葉には「負」の要素はありません。もしあると感じるとすれば、それはあなたの心の中にあるのです。
 ご存知の通り、「大相撲」もある意味「障害者」の「見世物」でした。往年のプロレスは言わずもがなその正しい系譜上にあります(最近はあまりに一般人が増えてしまったけれど)。以前に紹介した「小人プロレス」の世界は、まさにパラダイスでした。そうした(障害者ではなくて)ラッキーマン・スペシャル・パーソンたちの自己表現の場、いや仕事の場さえ奪っているのが、私も含めた「健常者」という心の障害者たちなのです。皮肉なことです。馬鹿げたことです。
 今日観た「きらっといきる」の再放送には涙が出ました。いや、安易な感動の涙じゃないですよ。なんていうかなあ、やっとNHKか取り上げてくれたって感じかなあ。よくぞやってくれた。
 実はちょうど数日前に、古〜いVHSビデオ(1992年くらいかな)を引っ張り出してきて観ていたら、筑紫哲也のニュース番組で「ドッグレッグス」を採り上げたコーナーが録ってあったんです。あれは、北島行徳(アンチテーゼ北島)さんが障害者プロレスというのを始めた頃でしょうかね。テレビでその映像が流れるだけでもけっこうインパクトがあったと思います。私も思わず録画をしたのでしょう。あっこれだ!と思ったに違いありません。
 懐かしいビデオを観ていたそこに、たまたまカミさんがいたんですが、彼女何か苦しげにこう言いました。「ごめん、笑っちゃっていい?」と聞きながら。私は当然「笑っていいとも!」って言いました。その理由はあの小人プロレスのドキュメントで小さな巨人たちが語っているとおりです。笑ってもいいし、感動してもいい。あるいははがゆく思ってもいい。プロとしてだらしないと罵声を浴びせてもいい。ただいけないのは、無責任に「かわいそう」とか「ひどい」とか「不謹慎だ」とか言うことです。
 古いビデオをめぐってそんなことがあった矢先でしたので、この番組の再放送を観ることができたのは本当にラッキーなことでした。この番組の中で脳性マヒを抱える植木里美さん(レスラー遠呂智)が語っていることはあまりに(不適切ではなく)適切です。あまりに真実であり、それを直視できず、自分すらごまかしている私たちに強く響くものでした。特に健常者との距離に悩む彼女が、北島さんの書いた本『無敵のハンディキャップ—障害者が「プロレスラー」になった日』に出会った時のことを語った言葉は重い。ある意味「きらっといきる」を含めたNHK的福祉番組風世界へのアンチテーゼです。
「“これだ”と思いました。苦痛とか苦悩とか強さへのあこがれとか、全部ひっくるめて、自分を発揮できて、それを正当に評価してもらえる場所は、きっとここしかないって思ったんです」
「障害者の表現というのは、非常にきれいなイメージがあって、例えば歌だと、右へ倣えで、みんな、そういう歌ばっかり歌っている。でも、障害のない人って、いろんな歌を歌っているじゃないですか。激しい歌とか、いろんな歌がある。だけど、障害者の表現だと、なぜか優しい。なんで障害があるだけで、制限されなきゃいけないんだろう?って思っていたら、(この本で)障害者プロレスに出会って、“あっ、やっぱりこういう表現もあっていいんだ。うらやましいな”って…」
 北島さんも、あえて障害者の世界、福祉の世界のドロドロ、ある意味鬱屈したものの中から生まれる汚さを暴露していますね。私も基本的に臭いものにフタ的な、偽善的な世界、つまり逆差別の横行する世界が大嫌いです。私に習っている生徒たちはよく分かると思いますけど、私は、自分に対しても、他人に対しても、常に「障害」をさらけ出すよう演出しています。私たちは誰でも「障害」を持っています。あなたの心は本当に健常ですか?私はそうとう心にも体にも顔にも髪の毛にも障害を持ってますよ(笑)。
 さらけ出したくない人はもちろんそれでかまいませんし、実際私は「構わない」わけですが、徐々にそういう方向に、すなわち解放の方向に持っていくようにしています。大きなお世話だと言われてもけっこうです。それが私の仕事だと思ってますので。
 なんとなく興味を持った方、あるいは違和感のある方は、ぜひこの番組を観てください。3日と7日にも再放送されるようです。またはこちらで観ることも出来ます。とにかくNHKグッジョブでしたよ。
 頑張れ!レスラー遠呂智!頑張れ!社会福祉士をめざす植木里美!オレも趣味と仕事両方がんばるぞ〜!

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