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2007.08.31

Tremolo'55 学園祭ライヴ&西裏探訪

Tremolo550708 Tremolo'55の皆さん、お疲れさまでした。とってもいいライヴでした。大変ぜいたくなひとときを堪能させていただきました。
 まあ、突然展開される大人な世界に、生徒はどう反応していいか分からない様子でしたが、ある意味圧倒されていたのは事実でした。何事も初体験とはああいうものです。徐々に「あれ何だったんだろ、気になる」というふうになればいいと思いますよ。音楽的にも詞的にも。
 サギさんがおっしゃっていたように、未来に向けて何か種はまけたと思います。その場かぎりでワーッというのは思い出にしかなりません。
 それにしても皆さんうまいですね。体育館という特殊な音響空間に加え、リハの時間もない劣悪な環境でしたが、全体に非常に安定した演奏でした。さすがです。サギさんのヴォーカルも非常に冴えておりました。新曲2曲も含めて、やっぱり比較的小さな箱の中でお酒をチビっとやりながら聴きたい音楽ですね。
070831uu トレモロの演奏のあと、ウチのジャズバンド部が演奏しまして、そこにトレモロのメンバーも乱入しアドリブ合戦を披露。また、放課後は管と太鼓のメンバーがジャズバンド部の練習に参加と、高校生との音楽的交流もできたようで、メンバーの皆さんもなんとなく懐かしい感覚を思い出したのか、「人間としての原点」を思い出したのか(笑)、さかんに「目が濁ってない!」「目がキラキラしてる!」とおっしゃっていたのには、ちょっとウケちゃいました。
 いずれにせよ、トレモロの皆さんにとっても、高校生にとってもなんとなく新鮮な、そしてエキサイティングな時間であったと思います。特にジャズバンド部にとっては、音楽による、それもジャズという共通の音楽による対話ができたことは、非常に貴重な経験になったと思いますよ。今度はもっと本格的な共演、あるいはご指導の機会を賜りたいと思います。
 さて、私にとってもトレモロにとっても、意外にも大興奮な体験になりましたのは、「西裏探訪」でありました。もともと昭和レトロなテイストを大切にしている彼らですから、モロ昭和テイストの富士吉田市下吉田西裏地区はたまらないスポットだったようで、途中映画ピーナッツにも登場した酒屋さんでちょっとアルコール類を購入、打ち上げ兼ねて思いっきりタイムスリップいたしました。
Apollotremolo 今日はあんまり時間がなかったので、メインのスポットだけを案内しましたが、もう皆さんはまりまくったようで、「ここでプロモ撮らなきゃ」とか「新田川で呑まなきゃ」とか言いながら、子どものようにはしゃいでおりました。いやあ、ぜひとも再訪を実現し、今度はホントに西裏で呑みましょうよ。というか、西裏でぜひともトレモロサウンドを響かせたいですね。これは偶然ではなく、必然の出会いであったと思いますよ。あまりにピッタリですから。きっと太宰治の気の利いたいたずらだったのではないでしょうか。
 9月には下吉田地区では恒例の『「まち」がミュージアム!』が行われます。将来的にはそういうところにも絡んでいければ面白いですし、富士吉田市としてもきっとありがたいことだと思いますよ。
 考えてみれば、サギさんは三鷹からいらっしゃった。三鷹から中央線、富士急行線を乗り継いで月江寺界隈へというのは、太宰も何度も経験している旅ですね。たとえば以前紹介したこちらにもそういう記述がありますね。そういう不思議な縁を感じずにはいられない今日の出会いでありました。太宰の話もいろいろしたいですし、太宰関係でご案内したいところもまだまだあります。そして、この街でもっともっとトレモロの音を響かせたいと思います。
 皆さんお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。また会いましょう!15日のワンマン頑張ってください!

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2007.08.30

『梨のしずく 赤ラベル』(白井梨ブランデー株式会社)

Red01 職場の後輩が飲ませてくれました。これはなかなかいける。ブランデーはふだんあんまり飲まないし、それほど好きというわけではないんですが、これはおいしいし飲みやすい。
 ふつうブランデーと言えばぶどうのワインを蒸留したものというイメージですよね。これは原料が梨です。千葉県は梨の産地であり、中でも白井市は県内トップ、国内屈指の収穫量を誇っています。その白井市が「ふるさと産品」育成事業の一環として、農協などとともに第3セクターとして設立したのが「白井梨ブランデー株式会社」とのこと。
 この会社ではブランデーのほかにもブランデーケーキやゼリーなども作っているようですが、今日いただいたのはいくつかのブランデーの中でも最も手軽にいただける「梨のしずく 赤ラベル」。アルコール度数を25%に抑えてありますから、ストレートでも全然きつくなく、いい具合に舌と鼻で梨の味と匂いを堪能できます。
 本来ブランデーグラスで飲むべきなんでしょうけど、ウチにはそんなシャレたものがないので、私はいつものお猪口でいただきました。案外それもオツなもので、いわゆる普通のブランデーでは雰囲気が壊れるのでしょうが、梨自体が東洋種だからでしょうかね、不思議とマッチしていました。
 水はけの良い関東ローム層で多く栽培されている梨でありますが、もともとは野生種のいわゆる「山梨」でありました(ついでに、宮沢賢治の「やまなし」は「山梨」ではなく「みちのくなし」だとか)。「山梨」自体は酸味が強く、食用には適さなかったようで、今われわれが梨と呼んでいる、二十世紀や長十郎、幸水や豊水などは近代以降の改良種です。白井で主に作られているのは、「幸水」「豊水」「新高」だそうです。
 どうも日本では、地域の産品をやたらにワインにしたりする傾向があるようなのですが、私の知る限りそれらがとってもおいしいということはあんまりありません。その点、この梨ブランデーはかなりいけてる方でしょう。隣の鎌ケ谷では梨ワインも造られているようですが、そちらはどうなんでしょう。案外ブランデーだからうまく行ったのかも…。
Nashibou 右は白井市のキャラクター「なし坊」です。え〜、どうも日本では、地域の産品をやたらにキャラクターにしたりする傾向があるようなのですが、私の知る限りそれらがとってもカワイイということはあんまりありません。その点、この「なし坊」はかなりいけてる方でしょう…か。恐るべきことにこの「なし坊」には家族がおりまして、こんな感じになっております。かおりちゃんだけ品種名が「?」というのがちょっと哀しい…いや、下にある「※本当は、なし坊の名前以外キャラクター個々の正式な名前やプロフィールはありません」という注がなんとも言えない芳香を醸し出しています。おじいさんは「長十郎」以外ありえないような気がしますがね(笑)。
 
PS そうそう、大切なこと書くの忘れてた。ここの社長さんって、新日本プロレスの元社長草間政一さんなんですよね。なかなかの辣腕として有名な方です。なるほど、梨とプロレスか…なんとなくわかるような、わからないような。

白井梨ブランデー株式会社

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2007.08.29

Tremolo'55 (トレモロゴーゴー)

Discography01 いよいよ、あさってです。本校の学園祭にこの実力派バンドが登場です。知る人ぞ知る、このバンドがなんでこんな片田舎の学校に来てくれるのか。まったく不思議なご縁であります。
 Tremolo'55は、一度聴けば絶対に病みつきになる不思議な魅力を持ったバンドです。私もまあ自他共にあきれるくらいいろいろな音楽を聴き、やってきた人間ですが、このバンドには妙に魅かれましたねえ。なんなとくノスタルジックでゴキゲンだけどちょっぴりアンニュイ、ユーモラスにしてちょっぴり自虐的(?)なサウンドと歌詞。こういう印象を与えるバンドというのは、正直初めてでした。
 このバンドのリーダーであるサギさんとの出会いは今年の4月のことでした。きっかけはこのブログの「グッド・バイ〜私が殺した太宰治」の記事です。太宰が結んだ縁。サギさん、太宰が大好きということで、たまたま私の記事を読んでくださり、そしてメールを下さったのです。その時はまさかこういう音楽の縁になるとはお互い思いもよりませんでした。
 いろいろメールのやりとりをしまして、私がサギさんに太宰関係のあるものをお送りすることになったのですが、そのお礼としてサギさんから送られてきましたのは、3枚のCDでありました。「私たちのバンドのCDです」と。
 さっそく聴いてみました。お〜、これはいいですぞ。ジャズやブルース、ソウルなんかのテイスト、それもですねえ、私たちのバンドのレパートリーである昭和の歌謡曲を支えたあの感じですよ、古き良き時代を感じさせるムード満載でして、だけれどやっぱり今の歌なんですよね。そこのバランスが面白い。ああ、やっぱり私たちの心にも生活にもあの時代の何かが息づいてるんだなあって、あらためて思ってしまいました。
Discography03 彼らの魅力はサギさんの楽曲やヴォーカルだけではありません。メンバーの演奏力の高さはピカイチです。皆さんとってもうまいっすね。プロの方に申し訳ない言い方ですが、正直首をかしげざるを得ないバンドもた〜くさんありますのでね。こういう安定した演奏を聴きますと、やっぱりさすがだなあって思いますよ。あさって生で聴けると思うとワクワクです。
 彼ら、今まで3枚のアルバムをリリースしています。その3枚をサギさんから送っていただいたんですが、それぞれなかなか聞き応えもあり、また変化もあり存分に楽しませていただいています。
Disco_01 1枚目の「トレモロな夜の唄会」はライヴ・アルバム。会場と一体になったノリノリ感が魅力です。楽しそうだなあ。お酒をいただきながら聴きたいっすね。今回は高校という舞台ですから、彼らにとってはアウェーかもしれませんが、まあやっちゃってくださいな。2枚目の「JUMP&WALK」はトレモロらしいちょっと斜に構えた感じの曲が並んでいて、思わずニヤッ、です。3枚目の「SINGLE MALT」は少しpopな感じを前面に出したかなという作り。より音楽的な幅が広がったのではないでしょうか。私はこういうのも大好きです。
 あさって、私も彼らと初めてお会いし、初めて生で彼らの音楽を聴けるわけでして、ワクワクであります。高校生がこういう音楽にどういう反応をするのか分からないという部分もありますが、若いうちに生でハイレベルな音楽に触れるというのは教育的にもいいことだと思います。また、本校のジャズバンド部にとってもいろいろな意味で勉強になることでしょう。
 縁というのは面白い。サギさんに感謝。太宰にも感謝しましょう。また、ブログというメディアにも感謝です。このブログのアクセス数もいつのまにか50万を越えまして、なんだか申し訳ないような気持ちなんですが、本当にこの3年間ちょいでいろいろなご縁をちょうだいしまして、そういう意味では私自身の発した言葉たちにも大感謝しております。

Tremolo'55公式

トレモロ55試聴

Amazon SINGLE MALT

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2007.08.28

皆既月食と…

↓これは拾い物
Gessyouku 皆既月食自体はそれほど珍しい天文現象ではありません。ただ、皆既中にどんな色になるのかというのは毎度気になります。夕焼けがきれいかどうかということですね。地球の大気の様子によってかなり変わりますので。
 で、今回は比較的明るい赤銅色だったようですね。〜ようですね、というのは、この目でははっきり観てないからです。当地では皆既中、月はほとんど雲の中でして、時々雲を透かして見える感じでしたので、正確な明るさや色はわかりませんでした。ただ、報告されているものや、テレビでの映像などを観ますに、かなり明るめなようでした。これは、地球の大気が比較的澄んでいる、塵や水蒸気が少ないということになりますね。
 いつだったか、どこかの火山が噴火した年には、本当に見事に真っ黒になりましたっけ。あれはあれで珍しかったなあ。あの時の煙というか、いろいろな粒子はどこへ行っちゃったんでしょうね。エントロピー増大だけでは説明付きませんから。
Gessyoku2 右の写真は皆既終了後、晴れ間が出たので手持ちのデジカメで撮影したみたものです。天文ファンとしては、やはり皆既中よりも、地球の影の辺縁が観られる時間帯が面白い。地球や月が宇宙空間で動いているのが実感できるし、地球が球体であることがわかる。また、その球体が大気に覆われていることが肉眼でもわかりますからね。
 もう一つ、私が月食や日食で思うのは、潮汐力のことです。ここにも書きましたが、私は以前から潮汐力と地震の関係について興味を持っております。つまり、月や太陽の引力が地震発生のトリガー(の一つ)になるという考え方です。
 ご存知のように、月食は、太陽−地球−月がほぼ一直線に並ぶ時に起きます。ですから、そういう時は当然潮汐力が最大になります。ふつうの満月や新月の時にも潮汐力はかなり強くなり大潮(満潮)になりますね。それがさらに強くなるわけです。地球が真ん中なら、太陽の引力と月の引力が相殺しあって、弱くなるんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実はそうならずに最大になるというのが、ちょっと難しいところですね。長くなるんで、そのへんの説明についてはどこかのサイトにお任せいたします。
 で、大潮の時ってあの海の水が思いっきり持ち上げられるわけです。何メートルも。実はそれと同じように地面もけっこう引っ張られて盛り上がるんですよ。それも30センチから50センチも。これはすごいエネルギーです。自分たちの立っているこの地面が、半日のうちにそんなにも盛り上がったり、また戻ったりしてるなんて、気づきませんよね。それが地震の引き金になるというのも納得していただけるのではないでしょうか。
 で、月食の時は、当然いつもよりその力が強くなるわけです。今日NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で、助産師の方が月齢を見ていましたが、ウミガメとかだけでなく、全ての生物の出産は潮汐力の影響を受けていると言われています。また、満月の日に事故や事件が多くなるというのも、おそらく潮汐力の影響でしょう。地面や海を持ち上げるほどの力が、私たちにもかかっているわけですからね。当然と言えば当然です。ルナティックってやつでしょうか。狼男ね。
 ルナティックって思い出しましたが、あのLUNA SEAが復活するとか。まあ、それはそれで楽しみではありますが、それより、あのYOSHIKIとGacktとSUGIZOと雅という超豪華なユニット「S.K.I.N.」はどうなってるのかな。興味あるんですけど。超ヴィジュアル系のワタクシも参加したいんですが(笑)。
 あっ、その話はまたいつかしましょう。月食と地震の関係だ。えっと、私の研究によりますと、潮汐力が最大になった日に地震が起きることはそれほど多くなく、その数日後(5日から7日)に発生する確率が高くなります。今週から来週にかけては少し注意が必要でしょう(もちろん世界中で)。

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2007.08.27

どこでもべープ蚊取り(フマキラー)

4902424418989 今年の夏は暑かったっすねえ。ここ富士山麓は火祭りも終わり、もうすっかり秋の風情になっています。今日は少し気温が高めですが、夜8時の段階で16度くらいまで下がってます。窓を開けているとちょっと寒いかなあ。
 とは言ってもまだまだ蚊がブンブン飛んでます。昔は蚊なんて全然いなかったのになあ。ウチの周辺も家が増えまして、人間が多く住むようになりましたら、すっかり蚊が増えてしまいました。まあ、エサによって虫の分布状況は変わるわけですから、当然と言えば当然でしょう。
 そういえば、昨日のぶどう狩りではすごい数のヤブ蚊に襲われました。もうぶどう狩りと言うより、蚊による人間狩りでしたね(笑)。上の娘なんてかゆすぎて泣いてました。泣くほどかゆいってやだな。ところで、今思ったんですが、「ぶどう」とか「桃」は「狩る」ものなんですね…って当たり前ですけど、なんか「狩り」っていうとケモノ偏だし、動物を狩るみたいな感じがしませんか?でも「刈り」じゃあおかしいし、いいのか。
 というわけで、人間を狩ろうとする蚊たちを狩るのが、まあ蚊取り線香ですかね。まあ、今どき除虫菊の蚊取り線香というのもあんまり見かけませんが、野外だとやっぱりあれが一番いい。それになんというか、夏の風物詩というか、あの煙とあの香りは、なんとなく「夏〜!」って感じがしますよね。特に蚊取りブタ(蚊遣り豚)からたゆたう煙は…そうそう、「蚊遣り豚の謎」読みたいなあ。
 ところで、最近は実に便利なものが登場しています。火も使わないし、煙も出ない。熱くもならない、乾電池で駆動して音も静か、蚊に対する効果も抜群。そんなヤツ売ってますね。
 私もさっそく買って使ってみましたが、たしかに蚊にはよく効きますねえ。臭いもないし、煙も出ないから、なんとなく効くのかなあって感じでしたが、実際かなりの殺虫力と忌避効果があるようです。
 調べてみますと、この殺虫成分は新開発のピレスロイド系殺虫剤メトフルトリンという物質らしい。住友化学が開発し、2005年の初頭に薬事法製造承認されたとのことです。特に蚊によく効くとのこと。蚊の神経に作用するらしい。人間やペットのような温血動物の体内ではすぐに分解されるので、毒性が低くなるのだとか。除虫菊(ピレトリン)と基本的に同じしくみですね。まあまあ安心して使えそうです。ただ、ウチなんかは大量のカブトムシとクワガタムシがいますから、ちょっと使用には気をつけなくてはなりません。
 たしかに常温で揮発するというのはいろいろと使い道がありそうですね。世界中には蚊の害(伝染病も含めて)に悩む国もたくさんありますから、市場は大量にありそうです。でも、害虫駆除かあ…人間っていろんな意味ですごいですね。これはこれで、新開発の神経系化学兵器とも言えますからね。

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2007.08.26

御坂〜吉田の火祭り2007

 本日も神々のネットワーク絶好調でした。ありがたや、ありがたや。
Bunbun2 午後、御坂にちょっと用事がありまして峠を越えました。まず、ついでと言ってはなんですが、先日おじゃましたランドリーコーナーぶんぶんでお洗濯。ちょっと道を間違えまして、ぐるっと遠回りしてしまったのですが、ふと曲がった道が、前回も訪れた美和神社(二之宮)さんへの参道でしたので、ワタクシは心の中でいろいろとお礼を述べさせていただきました。その後ぶんぶんに無事到着。左の写真は、レミオロメン前田啓介くんのお母様に洗濯物をたたんでもらってご満悦のカミさんです。さらに子どもたち、お母様からヒラタクワガタやノコギリクワガタなどを6匹もいただきました。いろいろと感動的なお話もしていただき、感謝感謝であります。教育者として親として学ぶこと多々あり。本当にありがとうございました。
 その後、ちょっと調べることがありまして山梨県立博物館へ。係の方々が本当に親切に説明してくれまして、全ての課題が解決。思わぬ発見も多数あって収穫大でありました。やっぱり好きだなあ、あの博物館。網野善彦さんにも心の中で感謝。
Hoshiishi 続きまして、ちょっと行きたいところがあったのでナビに言われた通り走っていましたら、なんとあの埋草神社の横を通過。な、なんだこのネットワークは…。 せっかくですのでお礼参りいたしました。その後、なんとなく車を走らせてUターンをしようとして進入したところに、いつか見ようと思っていた「星石」があるじゃないですか。「星石」については、こちらのサイト参照。天文マニアとしても実に興味深い物でした。いつかあらためていろいろと検証してみましょう。
 それにしても、まるで導かれるようにいろいろな「モノ」が結びついてゆきますねえ。ちょっとゾッとしちゃいます。
 その後知り合いのお宅で、桃狩り&ぶどう狩りをさせていただき、もぎたてフルーツを満喫。これもついでにと言ってはなんですが、そのお宅に伝わる、後陽成天皇の第八皇子(八の宮・良純親王)に関わると言われる謎の絵を拝見。門外不出、他見不許のお宝で、以前は家の者でさえ見ることを禁じられたというもの。さすがに特別な霊気を感じましたねえ。絹に描かれたお姫さまの図でしたが、書かれている文字の解読も含めて、いろいろと課題が多いので、今後よく調べてみまして、紹介できるようなら紹介します。
 夕方富士山に帰ってきまして、日が沈んだ頃、お客様を伴って北口本宮富士浅間神社へ。そう、今日は吉田の火祭りの日です。ちょっといつもとは違うコースで参拝。これまた導かれるように本殿の裏側へ。そこにちょこんと鎮座なさる、ゑびす(事代主)さんと大黒天(大国主)さんにお参り。私たち、彼らの満面の笑みに思いっきり励まされました。皆さん、そちらにはほとんどお参りしませんので、本殿裏のいくつかの神様はワタクシたちで独占させていただきました。のち、正面から本殿のコノハナサクヤヒメさんに参拝。いつもお世話になってます。そういえばこの本殿で結婚式したんだよなあ。もうそろそろ10年かあ…とそれはプライベートな感傷でありました。
Tenka2007 参拝を終えて、鹿さんに挨拶していると、ちょうど参道で点火の儀が始まりました。この瞬間を見るのは初めてです。私、松明に神火が点される瞬間、えもいわれぬ興奮に思わず大きな歓声をあげてしまいました。なんだろう、この胸の高鳴りは。まさにネットワーク上の祭始まる!という感じでしょうか。今まで何度も火祭りには来ていましたが、こうしてネットワークに乗っかってからの参加は初めてですからね。自分の中でも何か特別なものを感じていたのでしょう。
Himatsuri2007 暗闇に立ちのぼる炎を見上げながら、参道を下っていきますと、そこでまた不思議な再会がありました。あの暗闇で声をかけられるとは思いませんでした。中国から夏の間だけ帰国されていたその方とは、この夏にそれこそ不思議なご縁で知りあいになったのですが、私のメールアドレスやこのブログのことをお伝えするのを忘れており、もうすぐ中国にお帰りになるとうかがっていたので、ああまた来年まで連絡できずに終わるのかと思っていた矢先でしたから、本当にびっくりしました。神様のお導きでしょうねえ。感謝です。
 さて、のち、沿道の酒屋さんで日本酒を買って、それをぶら下げながらしばらく屋台を巡りました。まあ気のせいと言えば気のせいなんでしょうが、炎と人ごみが今までと全く違うものに見えたのはなんでなのでしょう。いろいろなスポットでいろいろな人やモノと出会い、いろいろな気を浴びたからでしょうかね。なんとなく、自分という存在の根源がわかったような気もしました。ああやはり自分は縁起する存在なんだなあ。自分だと思っていた「コト」は実は他者である「モノ」であった。自己とは、実はそういうネットワーク上に現れた、この刹那の無常なる存在なのだなあ。お釈迦さまはそういうことを言ったのだなあ。日本において神道と仏教が親和し、習合していったのは、そういう意味において当然のことだったのかもしれない。そんなことを思った濃〜い今日の午後の出来事でした。皆様、神様、本当にありがとうございました。

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2007.08.25

『ジャイロソプター』(NHK「アニ*クリ 15」)

Eojk78 明日(26日)から放映される予定なので、ちょっとフライングですね。でも、実は皆さんより先に観ることができましたので、ここにおススメさせていただきます。
 というのは、実はこのアニメーションのバックの音楽で歌を歌っているのが、ウチの学校の卒業生でして、彼女が学校に映像を持ってきてくれたんです。で、それを教員みんなで観たと。すげ〜って言いながらね。
 特にすげ〜と思ったのは私ではないでしょうか。第一「アニ*クリ 15」を知っているのは私だけでしたし。
 「アニ*クリ 15」は非常に興味深いNHKの実験番組です。15人のアニメクリエーターたちが全く自由に1分間の作品を作るんです。押井守さんのような重鎮から新進気鋭の若手まで、本当にバラエティーに富んだクリエーターが並びます。彼らが1分間アニメという新しいジャンルでしのぎを削るわけです。
 この「アニ*クリ 15」、実は皆さんもいつのまにか目にしているかもしれません。なぜなら、これは番組というより、CMに近い性質を持っているからです。たったの1分間ですし、スポットCMのように番組と番組の間に放映されます。その放映時間もほとんどゲリラ的ですので、観たい人が観るという感じではなく、無防備なところに突然飛び込んでくる感じなんですね。
 そういう感じのものとしては、ポポラッチがありましたね。あれも私大好きでした。あれはいちおう連続ドラマ風な作りになってましたから、全体として一つのポポラッチ像が浮かび上がる仕組みになっていました。それに比して「アニ*クリ 15」は15人のアニメクリエーターが全く互いに連関することなく、好き勝手に作品を作るので、本当にその一つ一つの1分間で全てが完結するようになってるんですね。そこに不思議な緊張感があるような気がします。
 NHKとしては、NHKでなければできないことを通じて、アニメの世界に新しいジャンルを作ろうということなんでしょう。そして、もちろん、それに注目してもらって、多くの、特に若者の視聴者層を獲得したいと。たしかにCMのようにいつ放映されるか分かりませんから、たとえば自分の好きなクリエーターの作品を観たければ、1日中、いや1年中NHKを観たり録画したりしなくてはなりません(基本的にはね…実際には放送予定が告知されてます)。
 NHKにもスポット番組のようなものはありましたが、こうしてある意味クリエーターの(あるいはNHKの)CM的意味を持つ番組がランダムに流されるというのはたしかに新しい事態ですね。そして面白いことは、そうした1分間のおかげで、NHKのイメージが大きく変わる可能性があるということです。今までのように何のクッションもなく、前後の番組がつながる、まさにNHK的な世界が、本当にガラッと変わるんですよね。番宣のように断片とかではなく、一つの世界がそこに完結しているわけですから。そういう意味ではCM以上かもしれない。CMは断片と言えば断片ですからね。
 というわけで、実に画期的な「アニ*クリ 15」なんですが、7月までシーズン1が放送されていました。そして8月からシーズン2が。その中に村田蓮爾+藪田達也の「ジャイロソプター」が含まれているわけです。そして、明日から流れる。その全編に流れている歌を歌っているのが卒業生というわけです。
 彼女の名前は渡辺静香。今年の春ウチの学校を卒業しまして、今、音大で歌の勉強をしています。私もお世話になっている本校のジャズバンド部でヴォーカルとトランペットを担当しておりました。なかなか個性的な声をしておりましたので、これは将来有望かもと思っていましたが、こんなに早く注目されて起用されるとはね。びっくりです。今回実際の作品を観て感じたのは、彼女の声はアニメ向きだなってこと。本人はそれをどう思うかわかりませんが、ああいうファンタジックな雰囲気に見事にマッチしてますよ。いわゆる「萌え系」の声ではありませんけどね。あんなふうにエフェクトかけても彼女の個性は失われないどころか、さらに魅力が倍増してましたから感心しました。まあそれがプロのお仕事なんでしょうが。
 村田さんは幻想的なキャラデザインをする方ですし、薮田さんはそれこそ「ファイナルファンタジー」の人ですから、アニメーションの出来はある意味予想通りでありました。たった54秒とは思えません。その広大な空間感や浮遊感が時間を超越しているのでしょう。さすがだと思いましたよ。
 とりあえず26日午後5時49分から流れるようです。皆さんチェックしてみてください。そして、渡辺静香をよろしくお願い申し上げます。

「アニ*クリ 15」公式

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2007.08.24

ロイ・ウッド→YMO→バロン・ブイカ→聖子&秀樹

 長文失礼。皆さんにとってはどうでもいいことでしょうが、私にとってはとんでもなく不思議なことが起きました。
 偶然にしてはちょっと出来すぎでしょう。
 簡単に言いますと、昔録画してすっかり忘れていたビデオを引っ張り出してきたら、ここ数日考えていたことの答えが全部そこに入っていたということです。
Seikohideki まず、発端としては一昨日の記事のコメント欄に書きました「西城秀樹と松田聖子のデュエットによるSweet Memories」です。これをまず思い出しまして、なんとか見つけ出そうと思ったわけです。で、それがすぐに見つかった。8ミリビデオに録画してありました。そのテープを再生したら、ちょうど彼らの歌が始まるところだったんです。その時はラッキー!テープ自体を探す手間、シーンを探す手間、両方がかなり節約できましたので。
 で、とりあえずそれを観たわけです。ああこれはNHK「ふたりのビッグショー」だったんだあ!いいなあ、秀樹うまいなあ。きれいにハモってるなあ…と感動、感心しておったわけです。これはお宝だ、と言うわけでさっそくHDDレコーダにダビングしました。
 さて、それで、そのテープをイジェクトして再び手に取ってみますと、その聖子&秀樹はかなり後ろの方に入っていることがわかりました。では、このテープの他の部分、前の方にはいったい何が入ってるのかなあと、当然気になるわけですね。それで巻き戻してみました。ちなみにテープには「秀樹&聖子」というメモしか書いてありません。
Move1 さてさて、冒頭から再生してみますと、しばらく砂の嵐が続いたのち、いきなりThe Moveの「Fire Brigade」が始まるではないですか!その後同曲の別映像が2本続き、そして「Flowers in the Rain」が2本、「Blackberry way」が2本、あと「I Can Hear the Glass Grow」「Night of Fear」「Tonight」「When Alice Comes Back to the Farm」がそれぞれ1本ずつ。続きまして、The Wizzard時代の映像、「See My Baby Dive」2本、「Ball Park Incident」1本、「I Wish It Could Be Christmas Everyday」が4本入ってました。
 あれれ?こんなの編集した覚えがないぞ。でもなんとなく観たことはあるような…ああそうだ、15年くらい前かなあ、友人がRoy Woodの映像をまとめてくれたような。ああ、そうそうもらったんだ。あの時何回か観て、それからお蔵入りだったんだ、きっと。ロイってやっぱり天才肌ですねえ。楽器(いろいろ)の奏法一つとっても変だし。でも、いろんな意味で日本の歌謡曲やJ-POPに大きな影響があるよなあ。
 で、なんでこれが不思議なことかと言いますと、ちょうどこのビデオを観る30分くらい前になんとなくロイ・ウッドのことを思い出したんです。というのは、テレビ番組の録画予約をするために「デジタルTVガイド」という雑誌を見ていたんですね。で、そこにROLLY(ローリー寺西)の面白い連載があるんですが、それを見て笑っていたら、そういえばローリー、すかんち時代にロイの「I Wish It Could Be Christmas Everyday」を「もしも毎日がクリスマスだったら」という邦題でカバーしてたっけなあ、ってふと思い出したんです(YouTubeで観る)。そんなタイミングだったからホントびっくり。久々にレアな映像観られたし。ラッキーです。ジェフ・リンやベヴ・ベヴァンの若かりし頃も懐かしかったし。
 そして、ロイの次にまたまた、すごい映像が。これもたしかロイの映像をくれた友人がダビングさせてくれたんだと思うんですが、ここに入っていたとは。
Ymo それはYMOのレアVHD「イエロー・マジック・オーケストラ」の映像であります。これは中古でもなかなか手に入らないでしょう。収録されている内容は、今となってはさまざまなDVDでほとんど観ることができるでしょうが、やはり作品として、その映像のパッケージングに意味があると思いますよ。内容はこんな感じです。
 1979年の伝説のグリーク・シアター公演から「東風」「コズミック・サーフィン」「千のナイフ」「ビハインド・ザ・マスク」(ここまでいわゆるA面)、プロモーションフィルム3曲「コンピューター・ゲーム」「テクノポリス」「ライディーン」に、わけわからん映像が数曲(ここまでB面)。
 これは改めて感動しましたね。YMOすごいわ。坂本龍一よりも、高橋幸宏の意外に元気なドラムと、細野晴臣のベースの巧さですねえ。そしてそして、何と言ってもですねえ、矢野顕子さまが「萌え」です。これは「萌え」でしょう!もしかして「萌え系」の走りなんではないでしょうか。あの風貌、オーラ、そしてあの動き。あれはいかんでしょ。観たい方はYouTubeでどうぞ(たとえばこちら…これはVHDには収録されていません)。もちろん、若き渡辺香津美のスーパープレイや、松武秀樹さんのマニュピュレイトぶりも見ものです。
 いやはや、これはテクノとか、そういうのではくくれませんね。音楽的にはとっても深いことをやってる。まさに世界に打って出るには最高の形でしょう。西洋発の、その最先端の機器を使って、やってることは西洋音楽を踏み台にした民族音楽ですからね。やっぱ天才たちのやることは違うっす。今ごろになって彼らの偉大さが分かりました。当時、あんまり好きじゃなかったもんなあ。若気の至りであります。
 で、長くなりますが、これがまたどうして不思議だったかと言いますと、今日の昼間、職場の同僚がブルーノート東京の矢野顕子トリオに行ってきたって話を聞かせてくれたんですよ。矢野顕子がものすごく可愛かったって。オーラがすごいって。そんな話を聞いて、この録画のことを思い出したんです。それで、見つけて見せてあげるよなんて言ってたんです。そしたら、偶然にも偶然、奇跡的にそのビデオが今日見つかったわけです。今日はこれを探すつもりじゃなかったんで。
Buika で、最後にもう一つ、とんでもない映像が聖子&秀樹の前に入っていました。これは完全に忘れていた。なんの番組から録ったのか、それともまた誰かにもらったのか、それすらわかりません。そこに映っていたのは、バロン・ブイカという人物。知ってますか?私も知りませんでした。どうもハンガリーのヴァイオリン芸人さん、というか芸人ヴァイオリニストさんらしいのですか、これがメチャクチャうまいし面白い。ヴァイオリン芸人を目指す(?)ワタクシとしては、これはものすごい師匠に出会ったような感じですよ。まずは彼の技を真似してみたいと思います。とりあえず写真では2本のヴァイオリンを余裕で弾いてますね(笑)。
 というわけで、古いビデオを引っ張り出してきて観ると、これは面白いですね。老後の楽しみがたくさんありますよ、ウチには。数百本の謎のビデオが眠ってますからね。いやあ、それにしても今日の再会はセレンディピティーの連続でありました。不思議だなあ…。

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2007.08.23

Casa BRUTUS 2007年 09月号『日本建築、デザインの基礎知識2』

4910125410973_2 08月号のル・コルビュジエの特集とともに、建築関係を目指す生徒から拝借して読んでみました。
 私は、4月発売の特別編集「日本建築、デザインの基礎知識」の方は読んでないんですけど、あちらは京都の建築を中心にした内容だったようなので、やっぱりこちらの方がマニアック度が高くて面白そうですね。日本全国の歴史的な建築に目を向けていますので。
 いろいろと楽しい発見がたくさんあったのですが、なんといっても「会津さざえ堂」のインパクトが大きかった。恥ずかしながら私、このトンデモない建築の存在を知らなかったんです。今まで何してたんだろ。これは早速行かねば。
 こいつはすごい建築ですなあ。二重螺旋構造ですか。DNAにして「こより」だとか。う〜む、深くて浅い。重くて軽い。お見事。本来の三十三の札所めぐりをここまでコンパクトにしてしまうのが、実に日本的。そういうミニチュア化、箱庭化、ある意味ひな型化というのは、日本文化の特徴であります。この雑誌にもありましたが、東大寺大仏殿のように巨大化するのと、こんなふうに微小化するのが実は同じ発想に基づいてるんですよ。物理的なスケールとは無縁の世界観です。ただ、そこに「ニセモノ」としての実在感があればよい。あくまでフィクションとしての演劇性といいますか、「物語性」といいますか、そういう非現実的リアリズム(?)によって、ある種の安心を得るんですね。そこが、西洋との大きな違いだと、いつも思ってます。
 マクロもミクロもないんですよねえ。ああ、そういえば、土木工学科に行った教え子が言ってました。学生が二手に分かれるって。なんか、土壌の中の微生物とかに萌えるヤツと、ダムみたいな巨大構造物に萌えるヤツと。おもしろいっすね。
 さて、中ほどと後半には「茶の湯」の世界も特集されています。これがまた面白かった。「へうげもの」の山田芳裕さんと、武者小路千家若宗匠千宗屋さんの茶会対談。これは、古田織部と千利休とのヴァーチャル対決という意味合いもこめられているようです。いまだ踏み込んではいませんが、最近茶道の世界に惹かれまくっているワタクシとしては、このお二人とあのお二人が繰り広げる、穏やかな中にバチバチと火花を散らしまくる対決に「萌え」ました。
 このCasa BRUTUS自体、いかにもジャパニーズ・デザインという感じのこ洒落た雑誌ですよね。構成も意匠もユニークですし、まあ私は読みませんが、バイリンガル・イシューとして英語訳が載っているところなんかも、いい雰囲気を出してます。もちろん、外国人にとっての実用性もありますし。

Amazon Casa BRUTUS 2007年 09月号

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2007.08.22

「加山雄三ショー 松田聖子 みつめてほしいの」(NHK 蔵出しエンターテインメント)

Mitsumete 「加山雄三ショー 松田聖子 みつめてほしいの」
出演:加山雄三、松田聖子 ほか
曲: 「裏庭のガレージで抱きしめて」「青い珊瑚礁」「白いパラソル」「赤いスイートピー」「チャンスは二度ないのよ」「ぼくの妹に」「SWEET MEMORIES」「STRAWBERRY TIME」「みつめてほしいの」「時には風のように」(初回放送:1987年4月25日)
 う〜ん、いかんいかん。前半見逃してしまった。なんということだ。途中からハッと気づいて録画ボタンを押しましたが、肝心の、加山雄三さんとのデュエット&謎のピエロとハンドベル少女たちという「SWEET MEMORIES」は呆気にとられて録りそこねました…orz
 というわけで、今日のBS2蔵出しエンターテインメントはすごかった。たいがいこの番組で紹介されるのはすごいけどね。ホントにすごかった。
 「SWEET MEMORIES」 と言えば、私たちのバンドでもよく演奏する曲ですが、本当に名曲なんですよね。10年前、46歳という若さで亡くなった天才作編曲家大村雅朗さんの作品です。考えてみますと、八神純子さんの「みずいろの雨」の編曲も大村さんですね。ウチのバンドは大村さんから多くを学んでいることになりますね。
 この曲は「ガラスの林檎」のB面、というかダブルA面シングルという形で発表されました。細野正臣節と大村節の見事なコントラスト。すごいカップリングですねえ。レベル高過ぎです。
 「SWEET MEMORIES」ですが、今思い出したんですけど、西城秀樹さんとのデュエットのビデオもどこかにあるはずです。あの「SWEET MEMORIES」は本気で泣けました。いい歌だったなあ。あとで探してみます。
 まあ、それは置いといて、今回の「加山雄三ショー」ですが、聖子さんが結婚出産で2年ほど休業したのち、ママドルとして復帰した記念すべき番組です。私がテレビをつけた時、彼女感極まって泣いてました。久々ということで珍しく緊張気味、彼女にしてはめったにないことですが音程が低めなんです。それがまたレアな味を出していました。
Hoshiino ところで、この番組のために作られたという「みつめてほしい」ですけど、これは結構貴重な映像・音源かもしれませんね。たぶん正式なレコーディングは行われていないと思います。ですから、この録画でしか聴けないんじゃないでしょうか。作曲は弾厚作(すなわち加山雄三)、作詞はSEIKO名義になっております。お母さんになったのにまだまだ子供っぽい聖子ちゃんの詞に、いかにも加山雄三らしい独特のメロディーが付けられています。これがなかなか悪くない。
 それにしても、加山さん、ほんとになんでも出来る人ですね。作曲の力もものすごいと思います。個性的です。今年70歳ということですが、今でもそのマルチぶりせ健在ですね。今まであんまり好きじゃなかったんですけどね、最近ちょっと憧れるようになりました。実は今テレビでは、ちょうど「思い出のメロディー」の録画の中で彼が唄ってるんですよ。全然変わらない…たしかに永遠の若大将だわ、こりゃ。そして、聖子さん同様、不変の神の領域ですなあ。
 さてこの番組、エンディングもなんだかシュールだったし、ちょっと書いたピエロの登場など、当時のNHKもなかなかやりますな。やっぱりNHKにはアナログ的演出が似合いますね。最近デジタルすぎるような気がするんですが…。
 果たして、数十年後、今の番組が「蔵出しエンターテインメント」のような形で再放送され、「昔はすごかったなあ」って言われるんでしょうか。なんだか「今」に自信が持てないのでありました。

ps↓ありました
YouTubeで見る「みつめてほしいの」

参考記事
聖子&秀樹によるSweet Memoriesについてはこちら
『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2007 Baby's breath』in さいたまスーパーアリーナ(その1)

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2007.08.21

第22回都留音楽祭最終日~ヴィヴァルディについて

Gloria 都留音楽祭もいよいよ最終日。昨夜のパーティーの熱気と酒気冷めやらぬまま、皆さん講習の成果を発表する「受講生コンサート」に参加です。素晴らしい響きの大ホールで思う存分演奏できる快感は格別です。私もヴィオラでお手伝いさせていただきました。
 5日間の楽しい時間が終わろうとしている、その何とも言えない充実感とちょっとした寂しさの交錯するこの舞台ですが、今年もまた皆の心が一つになり素晴らしいものになりましたね。演奏しながら鳥肌が立ちました。
 まず小中学生によるリコーダーの合奏が毎年いいんですよね。どういうわけなんでしょう。毎年涙が出るんです。赤い屋根の家、たまりませんね。名曲です。そして、典雅なダンスクラスの発表。静かな中にエネルギッシュな魂がこめられた踊りは、今年もレベルの高いレッスンが行われたことを証明していました。
Vivaldi そして、声楽と器楽によるヴィヴァルディのグローリアです。今回は四季の中の夏も演奏する機会があったんですが、とにかく私にとってはヴィヴァルディ再発見の経験でしたね。やっぱり天才ですわ、彼。
 たしかにいろいろとクセもあったりしますが、こちらにも書きましたように、オーケストレーションの妙は見事ですよ。また、対位法も非常に巧みです。そういう基礎がしっかりした上で、とにかく実験的なことをやり続けた。リズムの面、和音進行など、当時としてはかなり過激なことをやってますよね。それを今回実感しました。ヴィオラを弾いていますと、そういうところが特によくわかります。グローリアのヴィオラパートなんか、ものすごく複雑なことになってますよ。今回はヴィオラは私一人でしたので、そんな面白みを独占させていただきました。
 四季も実際やってみますと、すごいですねえ。異常な曲です。いつか書いたように、やっぱりヴィヴァルディって小室哲哉なんですよ(笑)。実はちゃんとした曲(古典的な名曲)を書けるのに、ついつい実験に走ったり、あるいは反対に売れ線のワンパターンの曲を多産したり。ついでに女の子たちの面倒見たりしたね。そして、のちのスーパースターたちに大きな影響を残している。そっくりですわ(笑)。
 と、そんなことを改めて思い、いろいろな感慨にふけりながら演奏させていただいたコンサートでした。そして、追加のフリーコンサートを最後に、今年の都留音楽祭は幕を閉じたのでした。参加してくださった受講生の皆さん、先生方お疲れさまでした。そして、楽器のスタッフの皆さん、ホールのスタッフの皆さん、ボランティアの皆さん、物品販売の皆さん、本当にありがとうございました。皆さんの手と心によって作られる、この温かい音楽祭がいつまでも続きますように。来年またお会いしましょう!

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2007.08.20

東西古楽版「津軽海峡・冬景色」

↓写真はスーパーコーディネーター梅岡さんのところから拝借。
070820 本日は二つの発表がありまして、どどっと疲れましたです。
 まず朝から本職のほうの研修がありまして甲府へ。そこで(にわか)教務担当としてちょっとした発表をしました。当日まで何をしゃべればいいのかもよく分からず、また出番も何番目なのかさっぱり分からんというすごい状況でしたが、古楽界で鍛えた(?)アドリブ力を存分に発揮してなんとか乗り切りました。
 そして夜は都留音楽祭に戻り、好例のスーパーイリュージョン…じゃなくてクロージングパーティーに参加です。毎年すさまじいレベルの出し物が披露されるこのパーティー。私はなんだかんだ22回目だもんなあ。1年に1度のハレ(修行)の舞台であります。
 ここのところ、お琴ブラザーズとしての出演が叶わず、やや芸風が変わってきたワタクシでありまして、そんなところにも時の流れを感じるのでした、はい。
 本年は音楽祭初参加の渡辺敏晴さんも誘って、昨年からの流れでこういうのをやってみました。

バッハの新発見カンタータよりアリア「我も一人箱船に乗りて」
 チェンバロ 岡田龍之介
 ヴィオラ・ダ・ガンバ デイヴィッド・ハッチャー
 フラウト・トラヴェルソ 中村忠
 胡弓 渡辺敏晴
 バロック・ヴァイオリン 山口隆之
 アルト 山口陽子

 今回は出演者の了解が取れましたので、特別にmp3を公開いたします。

我も一人箱船に乗りて

 どうですか?不思議な響きでしょう。どう聴いてもバッハじゃないですよねえ。まあ、結論から申しますと、このバッハ作と言われた作品は偽作でありまして、曲名も訳し方によっては「私も一人連絡船に乗り」であり、単に日本の伝統的な歌謡であったということが判明いたしました。よって、「冒頭から繰り返される三連符が三位一体を表している」というワタクシの解説も単なるこじつけだったようです。それにしても胡弓の妖しい音色は素晴らしいですね。やっぱり一番ウケてました。
 毎度私たち夫婦のつまらん芸に「まじめに」つきあってくださる先生方、本当にありがとうございます。よく考えてみると、いやよく考えなくても、私たちシロウト夫婦にとってはとんでもない幸せでございます。音楽やってて良かったなあと心から感じる瞬間ですね。そしてまた、それが古楽で良かったと。アットホームで柔軟な世界ですよ。
 私たちの芸以外の、つのだ組、すみれちゃん、浜中組も、あいかわらず面白過ぎました(梅岡さんのブログ参照)。ところで、近年出演者が固定してきた感がありますね。ぜひとも若い世代の芸人が現れることを期待いたします。けっこう負担が大きいので…でもやめられないんだよなあ。先生方も、ホント超多忙の中あれだけハイレベルな芸に仕上げるんですから、本当にプロです!(笑)偉い!
 さあて、来年はどうしようかなあ。

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2007.08.19

PLC(高速電力線通信)アダプター

↓Roberta Mameli(PLCとは関係ありません…笑)
Mameli さあ、都留音楽祭も3日目。今日の聴きどころは、ロベルタ・マメーリさんのコンサートでしょう。期待のイタリア人歌手であるマメーリさん、受講生の皆さんのみならず、先生方にもかなりのショックを与えたようです。イタリアの古楽界もここまで来ているのか!と。ところがですねえ、私は明日の都合で早く帰らねばならず、本番は聴くことができませんでした。そのかわりと言ってはなんですが、スタッフならではの贅沢で、リハーサルを盗み聞きさせていただきました。
 うん、たしかに今までに聴いたことがないくらいの透明なパワー。力強いのに押しつけがましくない。体の奥まで響く美しい声でした。特に、波多野睦美さんとのデュオはまさに天上の音楽。客席から聴きたかったなあ。うん、ヴィジュアルは音楽に味方する。
 というわけで、本番をちゃんと聴いてないので、あんまり詳しく書けません。よって、音楽とは関係ないネタで行きます。
Plc 今回、初めてPLCによるネットワークを利用しました。スタッフとして受付カウンターに常駐している私ですが、音楽祭の仕事上も、また本職の宿題のためにも、どうしてもインターネットにつながる環境がほしいわけです。そこで最初は自宅の格安無線LANアダプター(corega CG-WLBARGPXW)を持っていってネットワークをお借りしようと思っていたんですが、やはり公共施設ということですね、電波を飛ばすのはあまり好ましくないとのこと。そこで、PLCアダプターをお借りして、ネットワークに接続することにいたしました。
 PLC(電灯線通信…家庭用の普通のコンセントを使ってLANを構築するシステム)は、今注目の技術でありますが、電磁波の漏洩などいろいろと問題があるのも事実です。昨年の12月でしたか、ようやく家庭内の利用に限り解禁されたわけですけど、今後どのように展開していくのか気になるところですね。つまり、家電製品のネットワーク化、パソコンによる集中管理化という方向に進んでいくのかということです。
 昨年、生徒の進路の関係でちょっとこの世界について勉強していましたので、スペクトラム拡散変調方式など(マニアックだなあ)その技術的な部分については結構知っている方だと思います。また、山に住む者としてはFTTHのラストワンマイルとしての価値にも期待する部分があり、多いにPLCに興味があったのです。それが、こういう形で体験できるとは思いませんでした。
 とにかく使ってみた感想を…とは言っても大したことは書けませんね。だって普通の有線ローカルLANとなんら変らないんですから。接続も単純ですし(最初のうちはなぜかうまくつながらなかったんですけど)、通信も安定しています。速度は全く問題ありません。なんとなくコンセントを通じて、いろいろな部屋とこうしてつながるというのは、電話線やLANケーブルによる通信とは違って、何か不思議な感じがします。有線LANにせよ、無線LANにせよ、どうせコンセントにつながらなければならないわけですからね、配線がシンプルになるというのはいいことですよ。
 まあ、家の中全体が無線LANでつながっていれば、コンセントにすら縛られないでネットに接続することができるわけですし、バッテリー駆動のノートパソコンにおいては、電源コードやLANケーブルでさえも邪魔な感じがします。そんなわけで、一般家庭においてはどの程度価値があるのか微妙ですけれど、ビルやマンションなんかでの利用には意味がありそうですね。たとえば私の職場のように、プレハブの建物であっても鉄筋鉄骨の入っていますと途端に電波の元気がなくなり、すぐ上の部屋でも届かなくなったりします。そういう状況の時、各部屋のコンセント(電源ソケット) がネットの入り口出口に変わるというのは魅力的ではありますね。
 ま、とにかく、屋内利用、それもローカルネットワークに利用が限られるのでは、その魅力が半減です。電灯線(電線)はほぼ全国各地に張り巡らされています。早く、いろいろな問題をクリアーして、一気に普及してもらいたいものです。教え子の研究に期待しましょう。

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2007.08.18

フォルテピアノ

Fortepiano 昨日感激したフォルテピアノですが、実は今、一日中目の前にありまして、誰かしら練習で弾いております。そして、たまに誰もいなくなった時は、ほとんど私のものであります。ここにありますのは、久保田彰さん作の楽器です。梅岡さんのお話によりますと、こういうタイプのフォルテピアノは、今まで日本にはほとんどなかったとのこと。また、オリジナルとしてもこういうものは残っておらず、チェンバロとの関係、当時の音楽的要請を考慮して、久保田さんが開発設計したとのことです。オリジナルは残っていなくとも、バッハの晩年から息子の時代のころ、クラヴィコードとチェンバロの発想を組み合わせたとも言えるこのタイプのフォルテピアノが生まれたのはたしかなようです。そしてこのタイプの楽器が、その親とも言えるクラヴィコードとチェンバロと、いろいろな葛藤を生んでいたのではないか。ある意味そういうところから、あの前古典派の音楽が生まれたとも言えるのではないか。
 実際弾いてみますと、またまた感動ですねえ。なぜ結果としてピアノがチェンバロより人気者になったか、今日よ〜くわかりましたよ。
 昨日も書いたとおり、やはりピアノ(弱音)の魅力ですね。この楽器など、かなりの力で鍵盤を叩いても、やはり2段チェンバロより大きい音は出ません。しかし、その鍵盤を撫でるように指を動かしますと、それはそれは妙なる音がするんです。自分にしか聞こえてないんではなかろうか。そういう音です。自分が弾いている楽器なのに、自分が耳を澄ませている。これはちょうどクラヴィコードを弾いている感じに近い。そんな話を福沢宏さんともしました。指で聴くという感じです。
 強く叩くと壊れてしまいそうな、そんな繊細な楽器を優しく優しく鳴らす時、私たちは、絶対に現代ピアノでは味わえない不思議な感覚に襲われます。それはそうですよね、ゲーム機のボタンを押すのと、赤ちゃんの肌に触れるのとでは、こちらの気持ちも当然変わってきます。
 考えてみれば、現代ピアノの世界ではとんでもないことが普通に起きています。2000人規模のコンサートホールで鳴らす、あの工業製品、いや軍事機器のようなグランドピアノを、10畳くらいの部屋に持ち込んで、全力で爆発させてるわけですからね。異様な事態ですよ。
Pianobach 右の写真は、私のリクエストにこたえてくださりバッハの平均率を演奏なさる岡田龍之介さんです。さて、フォルテピアノのいいところは、タッチがとても軽いことと、やはり鍵盤の大きさが適度に小さいことですね。あの現代ピアノの鍵盤サイズが、日本人にとって全く意味のないものであることは有名な話です。というか、それ以上に子どもにあのサイズ、あの重さの楽器を弾かせること自体、ほとんど暴力です。まだエレクトーンの方がいいな。いや、ミニ鍵盤の安いキーボードでも弾いてた方がいいかも。フォルテピアノなら子どもでも弾けるでしょう。そして、繊細な指使い、力加減を体験することが、彼らにとってどれほど有用であるか。
 現代ピアノもいいんですよ。たとえばジャズにおけるピアノは、やはりあれでいいと思います。しかし、何から何まであれで弾くのはどうかと。少なくとも、鍵盤を弾く方は、チェンバロやフォルテピアノを一度経験されると良い。それで、現代ピアノに帰るのは別にいいんです。私も、古楽器も弾きますし、モダンヴァイオリンもエレキヴァイオリンも弾きます。両方知ることで損になることなんて、一つもありません。
 チェンバロやフォルテピアノは、そんなに安いものではありませんし、メインテナンスや調律(一日何度もしなくてはならない)はたしかに大変です。でもなあ、現代ピアノみたいに、自分の楽器を「調律できない」「持ち運びできない」っていうのも大変なことだと思うんですが(笑)。
 せめて、クラヴィコードは一家に一台あってもいいんじゃないでしょうか。あれなら近所迷惑にもならないし、いろいろな表現法、たとえば発音後にヴィブラートをかけたり、音程をずり上げたりできますからね。そして、なんといっても、指から振動で音を聴くという感覚ですね。とりあえず、クラヴィコードかなあ。テュルクの言葉を思い出しました。
 「この楽器(クラヴィコード)ほど繊細な演奏表現が良く修得できる鍵盤楽器は他にない。クラヴィコードと フリューゲル(フォルテピアノ)の両方を持つことができない場合には、クラヴィコードのほうを選ぶこと」

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2007.08.17

第22回都留音楽祭オープニング・コンサート

07open 今年も都留音楽祭が始まりました。ここのところ音楽祭初日が自らの誕生日にあたることが多いのですが、私は実行委員ということで、今年もまた感慨にふけるヒマもないほど忙しく時間が過ぎました。
 しかし、考えようによっては、これほどのプレゼントはないのかもしれませんね。ぜいたくなオープニング・コンサート。先生方、仲間との語らい。
 音楽祭は22回目ということですから、21歳の誕生日を迎えたことになります。生まれたばかりの音楽祭に初めて参加した時、私は21歳か22歳でしたから、私の人生の半分はこの音楽祭とともにあったと言えるわけです。
 ここからいったいどれくらいの縁と恩が生まれたことでしょう。本当に私の人生は大きく変わりました。そう考えれば大学受験に失敗し、この片田舎の小さな大学に来ることになったのも、やはり運命としか言いようがありませんね。自分の好きだった古楽というマニアックなジャンルの音楽祭が、音楽にそれほど縁のない小さな大学で、それも私の在学中に始まろうとは、夢にだに思いませんでしたから。これを必然と言わず何と言うのでしょう。
 さて、本年のオープニング・コンサートも大変充実した内容でした。もうどの演奏も言うことなし。お客さんが少ないのは残念ですが、そのおかげで響きが豊かだとも言えますし、本当にぜいたくな話です。
 今年のプログラムは次のとおりでした。

1パッサカイユ(リュリ)
 エア(バッハ)
浜中康子(バロック・ダンス)、中村忠(フラウト・トラヴェルソ)、渡邊慶子・伊藤誠(バロック・ヴァイオリン)、デイヴィッド・ハッチャー(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、岡田龍之介(チェンバロ)、中嶋俊夫(テノール)
2「別れは辛いが」によるヴィオラ・バスタルダのためのディヴィジョン(カーサ)
波多野睦美(ソプラノ)、デイヴィッド・ハッチャー(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
3トリオ・ソナタ ハ長調(テレマン)
吉澤実・大竹尚之(リコーダー)、福沢宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、岡田龍之介(チェンバロ)
4ソナタ第4番 ホ短調(ジュスティーニ)
小倉貴久子(フォルテピアノ)
5パリ四重奏曲 第1番 ニ長調
中村忠(フラウト・トラヴェルソ)、渡邊慶子(バロック・ヴァイオリン)、福沢宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、岡田龍之介(チェンバロ)
6「うかつな目」「恋の牢獄」「娘とはじらい」「女とギター」(ソル)
波多野睦美(ソプラノ)、つのだたかし(19世紀ギター)

 う〜ん、みんな良かったけれど、静かな衝撃だったのは、小倉さんのフォルテピアノかなあ。ああ、これがピアノの本来の音だ、と思いました。繊細なんです。弱音の美しさ。チェンバロよりずっと小さい音。ピアノなんですよ、その名の通り。こちらの耳も研ぎ澄まされる。静かな衝撃。
 小倉さんの演奏は、それはそれは見事でした。そう言えば小倉さんのフォルテピアノの演奏、NHKの「ぴあのピア」でも聴きましたけど、あの音はやっぱりホンモノではなかった。たしかにあの弱音をそのまま再現したら、テレビ番組として成立しないよなあ。ジュスティーニの音楽も変化に富んで面白かった。楽器の音としても音楽としても、初めて聴くという感覚でした。いいなあ、ほしいなあフォルテピアノ。

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2007.08.16

(真説)あさましきもの

8496063 さて、昨日の興奮も冷めやらぬまま、早朝に秋田をあとにしまして、山形、新潟、長野を巡って富士山に帰ってまいりました(ちなみに家には帰らず卒業生との飲み会に直行でした)。この行程、いつかも書きましたが、途中多くの巨大ネットワークデバイスを経由します。鳥海山、出羽三山、妙高、戸隠、皆神山、そして富士山です。そうした山々を眺めながら今回のみちのく四人旅を復習いたしましたが、今回もまたいろいろと奇跡的なことがあり、ますますWeb0.0の存在を実感することになりましたね(何言ってんだか分からない人も多いでしょうが、すみません、実感なんで…)。
 ところで、今日の早朝ペルーで大地震がありまして、地球の裏側にあたる日本にも津波注意報が発令されました。また、今日は北陸道を通って帰ってきたのですが、ちょうど1ヶ月前の中越沖地震の傷跡が生々しく残っており、びっくりしました。倒壊した家屋やブルーシートで屋根を覆った家屋が車窓から多数見られましたし、なにしろ北陸道の路面が、刈羽や柏崎のあたりでは本当にグニャグニャに歪んでいるんですよ。ものすごいエネルギーが働いたのだなと思いました。とてもスピードを出せる状況ではありませんでした。ゆっくり走ってもかなり車が上下に揺れ、左右に振られます。ニュースによれば、まだまだ避難所生活を強いられている方々がたくさんおられるとか。現地を走りながら本当に心が痛みました。
 こうした天災、特に大規模な地震は、荒ぶる神の仕業、神の怒りだと考えるしかありませんね。人間なんか本当にちっぽけな存在です。ああいう大きな構造物も、あっという間に破壊されてしまう。抗ってもどうしようもありません。また、地球の裏側から、あの膨大な量、ほとんど人間の感知しえないほどの量の海水を揺り動かし、押しつづけ、津波がやってくるわけです。いったいどんなエネルギーなのでしょう。もう、人はひれ伏すしかありません。
 そうした「あさましき」「もの」を鎮めるための祭が、全国で行われているわけです。今ではそれが観光化し、人間のため、場合によってはお金のためになってしまっている部分もありますが、基本は神々に対するご機嫌取りなんですね。何度も言いますが、そういう自分の思い通りにならない、自分の意識や意志の外側にあるものを我々は古来「モノ」と呼んできたんです。浅間神社とか浅間山とかの「あさま」は「あさまし」と同源で、「お手上げ状態」を指す言葉です。
 さて、「あさましきもの」と言えば、皆さんも高校時代に古典の時間に勉強されたのではないでしょうか。清少納言の枕草子ですね。ちょっと見てみましょう。懐かしくありませんか?

 あさましきもの 刺櫛すりて磨く程に、ものにつきさへて折りたる心地。車のうちかへりたる。さるおほのかなるものは、所せくやあらんと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。人のためにはづかしうあしきことを、つつみもなくいひゐたる。かならず来なんと思ふ人を、夜一夜起きあかし待ちて、暁がたにうち忘れて寢入りにけるに、烏のいとちかく「かか」と鳴くに、うち見あげたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。見すまじき人に、外へ持ていく文見せたる。むげに知らず、見ぬことを、人のさしむかひて、あらがはすべくもあらずいひたる。物うちこぼしたる心地、いとあさまし。

 訳すまでもないと思いますが、ずいぶんと卑近な例を挙げているのが分かりますよね。この時代、特に宮中という都会生活の中では、女の人の「あさましきもの」はこんな程度でしょう。おしゃれ、車、噂話、恋愛、メール…今の女性となんら変りませんね(笑)。ただ、学校で教えるように「あさまし」を「おどろきあきれる」なんて訳すのはサイテーです。誰だ?そういうふうに訳し始めたの。意味わかりませんよ。ここでは「サイテー」って訳しましょう(笑…半分以上マジですが)。
 で、もう一つ、有名な「あさましきもの」。こちらの方が不思議と原義に近いような気がします。同じ恋愛を扱っても、やっぱり男だからでしょうか。「やられた」って訳したいですね。
 こちらからお読みください。あいかわらずうまい文です。ちなみに岡田時彦さんとは、岡田茉莉子さんのお父さまですね。
 いずれにせよ、「あさまし」は「自分の意志ではどうにもならない」「時すでに遅し」「お手上げ」という意味だというこおとが分かりましたね。

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2007.08.15

皆瀬みちのくメルヘン物語2007〜リターン(回帰)〜

湯沢市皆瀬総合支所前グラウンド特設リング
Minase07 もう、最高でしたよ。全てが。神々のネットワーク総集編はこれっすね!昨日はサク日(!?)でありまして、我々家族のプロレス的テンション&神様との交信力がかなりアップしておりました。そして、今日はそれらが見事に昇華し、さらにFパワー(腐力)も加わりまして、もう完全なる「祭」状態でありました。
 そう、奇跡の復活を遂げた「みちのくメルヘン」、すなわちプロレスリング・ノアの湯沢市皆瀬大会であります。家族と義理の弟を連れて参戦してまいりました。
 この「みちのくメルヘン」の感動の復活劇に関しましては、こちらの記事の下の方に引用してありますので、どうぞご覧下さい。また、神事としてのプロレスについては、一昨年の私の観戦記をご覧下さい。今年も全く同じ感想を持ちました。特に、シンプルな技、たとえば体当たりとか、チョップとか、そういう純粋な肉体のぶつかりあいに「祭」を感じました。肉体と肉体が奏でる太鼓の響きです。
 で、今年の目標はなまはげ…いや神との交流でありました。つまりなるべく多くのレスラーと握手し、サインをもらい、話をする。御神体に触れ言霊を浴びて、私たちも禊をし、五穀豊穰、家内安全を祈るという算段です(単にミーハーなだけかもしれませんが)。
 そういうことに関しては、最近の我が家はかなりパワフルでありまして、昨日のサク家参拝なんていうのはもう普通のことになってしまっています(かなり痛いな)。
 で、まずは入場料といいますか、協賛金を一人1000円支払うわけですが、それはもうこの素晴らしい神事のためなら、いくらでも玉串料奉納しますよ。「来年のために使ってください!」と、入り口で担当の若者がびっくりするほどの(?)大枚を納めまして入場です。そして、さっそくその玉串料の効果が。少し時間が遅くなったのでいい場所が取れないかなあと思っていましたら、先ほどのスタッフの方が花道横のスペースを半ば無理やり作ってくれまして、交流には最高の場所をゲットすることができました。ありがたや、ありがたや。
Momota さてさて試合開始前、私の今日の一番の狙いは古く権威のある神様でしたので、まず売店でプログラムを売るマイティー井上さんを見つけて、国際プロレスのDVDのお話しなどさせていただきつつ、しっかりプログラムのマイティーさんの写真のところにサインしてもらっちゃいました。続いて、永源さんとツーショット写真を撮り、第一試合前の百田光雄さん(力道山のご子息、来年還暦…神でしょ!)とも写真を撮らせていただきました(右の写真です)。
Sano カミさんはそれこそ神様をも恐れぬ突撃力で、そこら中の選手と握手しまくり、話しまくり。普通試合直後の選手とはなかなか交流できないものですが、こういう田舎のお祭り的興行の雰囲気のお陰ですね、みなさん快く握手やサインに応じてくれました。しかし、三沢社長との試合を終え、くたくた汗だくの田上選手を捕まえて強引にサインはさせたのには、さすがにそばで見ていた私も引きました(笑)。その他、秋山選手、金丸選手、丸藤選手、KENTA選手などなど、Fパワーの餌食になった神々多数。ごめんなさい。サクがらみでU系びいきのカミさんとしては、この佐野選手との写真が一番嬉しかったようです。正直、男の私よりも女のカミさんの方がいい待遇を受けてたな。やっぱり日本の神様は女が好きなようですね(笑)。
 あと、個人的に、職場の後輩の知りあいである青木選手とお話をしようと思っていたんですが、彼、メインイベントでボコボコにされちゃいまして、とても話しかける雰囲気ではありませんでした。しかし、彼は気持ちが前に出るとってもいい選手になりつつあります。応援してますよ!ガンバレ!
Mushiking さて、子どもたちはと言いますと、これがまた大変な奇跡を体験いたしました。まずは、花道でムシキングテリー選手にタッチしてもらい、もう大興奮。試合中も「テリー!がんばれ!」と両親に負けず大きな声を出して応援していました。そして、その試合後とんでもない奇跡が…。虫の神様に思いが通じたんでしょうか。突然、下の娘が会場内で行われていましたノア恒例の「のあのあくじ」をやりたいと言いだしまして、なんとなくこれは神示が下ったかなと思い、やらせてみましたところ、なななんと本物の「ヘラクレスオオカブト」が当たってしまったのです!!ぐわぁ〜、なんとも恐れ多いことであります。ありがたや、ありがたや。
 それにしても、こんなに素晴らしい大会を復活させ実現させた会長さんはじめ実行委員会の皆さん、本当にご苦労様でした。そしてありがとう。みちのくの本当に小さな(しかし自然豊かでまさに神々の住むような)村で、これほどのプロレス(祭=神事)が実現するだけでも、本当に奇跡です。私たちも遠くからではありますが、全力で応援したいと思います。また、英断を下された三沢社長はじめノアの神々にも感謝と尊崇の気持ちを忘れません。
 来年も絶対に行きます。最高!プロレス!最高!皆瀬村!最高!神々のネットワーク!

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2007.08.14

神々(ときどき仏)のネットワーク(Web0.0)

Hachirou07 さあ、今日は先月の神々のネットワークシリーズの続きです。え〜、向かいましたのは八郎潟から男鹿半島方面です。
 まずは、潟上市の八郎神社にお礼参りです。例祭が近いということもあってか、いや昨日の話じゃないけど、お盆だからかな、とにかく神様もお忙しそう。正直、ネットワークが起動してないような感覚。
 で、案の定、その後に訪問した神社近くのお宅2軒はいずれも家人不在で、なんとなくテンションが…特にウチのカミさんは一気に突撃力が失せたようです。どなたのお宅を訪問したかは、ご想像におまかせしますが、とりあえず朝は空振り(夕方にリベンジします)。
 これはもう、マジで神々の力を借りるしかないっす。よっしゃ、まずはあそこだ。2年前に訪問したなまはげ館に隣接する真山神社だ!あそこの霊威はかなりのものです。モノノケパワーを授かりに直行しました。前回は子どもが小さかったので、涙をのんで真山神社参拝を断念しました。ですから、今回は本当に楽しみでした。
Manbuysu で、真山神社に到着する前に、道路脇にあるお堂に目が止まりました。というか、完全に呼ばれました。おい、そこの山梨ナンバーの車、止まりなさい!って(笑)。私、ちょっと行きすぎたんですけど、即座にUターンしましたよ。警察よりおっかないっすから。
↓click!
Mantaibutsu 行ってみますと「真山の万体仏」と書いてあります。あとで知ったのですが、もともとは真山神社内にあったもののようです。さて、導かれるようにお堂の中に入った私たちは、思わず息を飲みました。私は全身に鳥肌が…。その小さなお堂の壁面やピラミッド状の天井の一面に、小さな仏様がびっちり貼り付けられているのです。その一つ一つは仏像というよりも素朴な神像という印象でしたが、とにかくものすごい数の仏様ににらまれてしまったのです。カミさんも子どもたちもかなりの衝撃を受けてました。
 あんまり立ち寄る人がないんですよ。真山神社やなまはげ館にはたくさんの人が行きますし、観光バスも向かいますが、たぶんここには寄らないでしょうね。はっきり言ってこれは大変に価値の高いお堂ですね。文化財的にも、宗教学的にも、霊的にも、トンデモ的にも。私という宗教ネットワーク端末が強制起動させられました。
Shinzanjinja さて、その衝撃の余韻消えぬ間に、真山神社に到着。さっそく参拝いたしました。これまた、みごとな神仏習合施設でしたねえ。神社全体を包む幽深たる山も含めて、大変に強い霊威が感じられます。特に瓊々杵尊かなあ。もちろん山岳修験道色も強く、富士山とか高野山とか比叡山とか白山とか出羽三山とか鳥海山とか、そういった山岳信仰の網の目が、それこそ目に見えるように感じれられましたね。もうこうなると人間なんてホントにちっぽけな存在です。
 さてさて、カミさんはここに来るのは初めてですので、参拝後は子どもの案内で「なまはげ館」へ。私もあのドキュメンタリーをもう一度観たい。さっそく前から2番目の席に陣取って上映時間を待ちます。カミさんは、私が絶対泣ける!というのを半分疑いながらへえ〜とか言ってましたが、結果、私もカミさんも号泣。あれはわけもわからず泣けます。その理由は前の記事に書いた通りです。日本の神様と、それを祀る日本人の共同体の素晴らしさ。理屈ではなく恐い「モノ」、理屈ではなく強い「モノ」、理屈ではなく優しい「モノ」、理屈ではなく受け継がれる「モノ」。美しい国日本。
 どうしてもあの短編ドキュメンタリー映画がほしくなって、担当者に聞いてみたんですが、発売はしないとのこと。なんでも柳生博さんもどうしてもほしいって言ったそうですが、ないものはないので諦めていただいたとか。なるほど、たしかに手もとに置いておくべき(コト化…随意化…所有)すべきモノではないのかもしれない。会いたければお参りすればいいのですから。
 てな具合ですっかり神々(ときどき仏いっぱい)のWebに乗っかって、ネットサーフィンしはじめたワタクシたち。もうこうなると、勝手に事が進行します。無我、無欲、他力、行雲流水が一番いい結果を生む。
 その後いろいろとありましたが、最後にもう一度、朝不在だったお宅を訪問してみました。結果として、両家ともいらっしゃって、山梨からのお土産を置いてくることができました。詳しく書けないのが残念ですが、私たちからしますと、お会いした皆さん神です(今回は前回の男神に続いて女神も登場)。そして、一方では「また行ってきたの?」半分呆れられましたが(笑)、一方では「またいつでも来ていいよ(という意味の秋田弁)」と言ってもらい、飲み物やらレアグッズやらをたくさんいただいてしまいました。
 ああ、神々のネットワークよ,ありがとう。Web2.0とかなんとかバカな人間たちがつまらんことで盛り上がってますが、いやはや、古来あるWeb0.0は最強ですよ。考えてみれば、どんな山の中にも小さな祠があるもんなあ。ものすごい数(いちおう800万)のデバイス、インターフェイスがあるんですよ。光ファイバーなんてクマゼミにやられて使えなくなっちゃうんですからね、全然ダメです。私、最近Web0.0利用の技術やリテラシーがついてきたみたいです。めちゃくちゃ嬉しいんですけど。
 感謝、感謝の日々であります。

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2007.08.13

新盆 in 秋田

暑い暑い…全裸で水浴びをする子どもたち
Mizuabi 何度も書いているように、カミさんの実家は神道です。秋田の山の中には仏教が伝来しなかった…というか、完全な形では伝来しなかった。完全な伝来ではなかったけれど、影響はずいぶんあったようです。しかし、それは信仰としての影響というよりは、儀式の流行のような形での影響だったのではないでしょうか。例えば「お盆」という風習。これは前にも書きましたね。神道なのにお盆という不思議な事態。
 先月、義理の祖父の一年祭を行いました。ですから、今年は新盆になります。
 カミさんの実家は昨年、山から里に引っ越しました。ここ里は山から車で30分くらいの場所です。しかし、冗談ではなく、時代としては50年くらいのギャップがあるかもしれません。ここには普通の現代日本があります。私は、いかにも日本の原風景という感じの山の風情と生活に、衝撃に近い感動を覚えていたので、ちょっと寂しいような気もするんですが、たしかに生活する者にとっては、山はあまりに不便であったようです。それも理解できます。雪の量一つとっても、ここでは半分以下になるそうです。つまり雪下ろしの労力も半分以下ですむ。
 生活は都市を指向します。都市化とは、養老さんに言わせれば「脳化」であります。そして、ワタクシに言わせれば「コト化」であります。未知かつ不随意な「体」や「モノ」は排除されていきます。それは本能ですからしかたありません。私ももちろんそうして生きてきました。しかし、その反動といいますか、たぶんそれは私だけではないのだと思いますが、人は都市から田舎を懐かしむ。郷愁、ノスタルジーです。ある意味身勝手な感情です。「脳」はわがまま。失ったものを美化し、都市に、コトに飽きた時だけ指向します。それは単なる嗜好と言えるかもしれない。お盆に帰省なんていうのは、その最たるものですね。
 なんて考えていましたら、義理の叔父が栃木からやってきました。なななんと、55歳小学校の校長先生である彼、4日かけて自転車やってきたのです。コースはまさに私たち家族が車で走ってきた道。群馬から新潟、山形を通って日本海岸から内陸へ。信じられません。モノノケですわ。車で来てもけっこうだるかったのに。メチャ暑かったし。どうせなら、日本中帰省には自転車で、というのも面白いかもしれませんね。そのくらいの「モノ」体験行事にしますか(まず自分が無理っす)。
 さて、話を戻しますが、蘇我と物部の対決を見てもわかりますように、蘇我の持ち上げた仏教は、舶来のオシャレな「コト」でした。物部はその名が示すように、古来の「モノ」、すなわち神道を堅持しようとしました。そのあたりのせめぎ合いが、ここみちのくの地でも垣間見られるわけです。
 山、すなわち「モノ」社会では、お盆のお墓参りは朝早ければ早いほどいいとのこと。里、すなわち「コト」社会では、近所の皆さんを観察する限り、やはり都会式でして、夕方に提灯を持って墓地に行き、そこから迎え火の種をもらってくるようです。うん、かなり「コト」化が進んでいる…なんて、お釈迦さまに怒られますね。
 まあ、そんなわけで、本当はいろいろと写真つきで紹介しようと思ったのですが、睡眠不足とお酒の影響でしょうか、すっかり写真を撮るのを忘れてました。よって、上の写真はウチのモノノケどもの狂乱ぶりです。なるほど、子どもはモノノケ、山(田舎)か。大人は「コト」化、都市化が進んでいる。たしかに、神道は子どもっぽいところがたくさんあるよなあ。神様自身もそうだし。それに比べると仏教はソフィスティケイトされてるとも言えますね。
 ああ、文章がモノノケだ。では、おやすみなさい。

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2007.08.12

ペルセウス座流星群2007

これは拾い物。地元富士山と流星。
Mm20070813110652728m0 今日は秋田への移動の途中、新潟県の朝日村でペルセウス座流星群を観測しました。観測なんてもんじゃないな。単にぼーっと眺めてただけです。昔のようにちゃんと記録したり、写真に撮ったりしなくなって、もう何年でしょう。今日は子どもやカミさんと小一時間眺めただけでしたから、そうですね、全部で20くらいでしょうか。星座講座とかやりながらでしたので、全然集中できませんでした。まあ、今まで子どもたちに星の話はあんまりしてこなかったので、いい機会だったでしょう。昔取った杵柄ってやつですか。
 私、「蛍」と「流星」がこの世で最も美しいものの一つ、いや二つだと思っています。そのどちらも「あはれにをかし」という感じですね。はかなく消え行く美しさ。思い通りにならない美しさ。「時」によって限定されている美しさ。流星と蛍の、その光と動き、そしてあのなんからの感情を伴った質感は、いくら映像技術が発達した現代でも、残念ながら、いや幸運にも記録不可能です。
 面白いものですね、そうして例えばビデオで追体験できないからこそ、心に強く焼き付けられるんですよ。それが「もののあはれ」の本質でしょう。昔の人は、だからせめて歌にした。「モノ」の「コト」化、すなわち消え行くものを言葉によって固定しようとするのは、人間の本能なんです。私も、子どもと一緒に流星を観たのは初めてでしたので、今日の一つ一つのあの光も格別なものとして、私の心には焼き付けられました。いとあはれにをかし。もう今では歌を詠みませんので、こうしてブログに記録します。
 そう考えると、人間というのは「時」に抗う、「無常」に抗う、「命」に抗う、虚しいがしかし貴い存在であることがわかりますね。「コト」化と私が呼んでいる「仕事(為事)」です。そのために科学も芸術も宗教も生まれたと。ふぅ。
 今年のペルセは条件が良く、世間でもけっこう騒がれてますね。流星群という名前や、流れ星がたくさん流れるという言葉に期待する皆さんには、きっと物足りない結果が待っているでしょう。ましてや、あのしし座流星雨を体験してしまった人にとっては、1分に1個というペースでは、まったく納得がいかないのではないでしょうか。
 私もだいたい毎年観測していますけれど、まあ条件のよい年で一晩に500くらいは数えられるわけですが、これって6時間ずっと観っぱなしでですからね、360分で500ですから、まあ1分に1個か2個というところです。それも6等星の見えるような環境で、ある程度熟練して4等くらいの淡い流星も見逃さない(ホントか?)という条件でです。
 一方で、今までほとんど流れ星を見たことがないという人にとっては、それなりに感動をするものであって、まあ人間なんてずいぶんと自分勝手な生き物だなあと、つくづく感じるのであります。
 今年のペルセウス座流星群の極大予想は、いつものとおり何通りかありまして、さらにその全てがはずれる可能性すらあるわけですから、マスコミの多く語る「14日未明に極大」という説を信じて13日の夜にみんなで出かけたりしますと、痛い目に遭う可能性もあります。流星群は極大を過ぎると一気に元気がなくなりますので、下手すれば普通の夜なみ出現数になってしまうこともある。実際、13日午前中に極大という説もありますので。
 てなわけで、ちょっと知ってる人は今日の夜もしっかりチェックするわけですよ。もちろん明日も晴れたら行きますけどね。
 さて、「あはれなり」ということで言いますと、私にはとても辛いペルセの思い出があります。それについてはこちらの記事をご覧ください。今日も車の中で聞いていたFMで、九ちゃんの歌声が流れていました。あまりに辛い偶然でした。
 もちろん流星群というのは世界中で観測される現象であります。私たちのように、純粋にその美しさに感動し、あるいは身勝手な願い事を3回唱えようと躍起になったりできるは、本当に幸せなことです。私が見た、まさにその流星をお隣の国では全く違う感慨をもって見ているのかもしれません。ふと、そんなことを思った朝日村での夜のひとときでした。

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2007.08.11

『せかいでいちばんつよい国』 デビッド・マッキー/なかがわちひろ (光村教育図書)

Sekaide 先に言っとこ。これ、逆説的おススメです。
 今日は1ヶ月ぶりくらいの完休…かと思ったら、なんかとっても大事な用事が入っていました。私は完全に忘れていました。
 地元の図書館でのイベント「パパの絵本タイム」に参加することになっていたんです。つまり、図書館に集まった子どもたちに絵本の読み聞かせをしなければならなかったんですよ。うわぁ〜、聞いてないよう。えっ?なんの本読めばいいの?
 当日の朝こんな感じですから困ったものです。結局私はものすごくシンプルな絵本を担当することになりましたので、いろいろと演出を加えまして、どちらかというと得意のお笑い系に持っていってしまいました。まあ、ウケたからいいか。
 ほかに二人のパパさんが一緒だったんですけど、お二人とも小学校の先生でいらした。さすが子どもの心をつかむのがお上手でしたね。ちなみに私、そのお一人の読み聞かせに即興で音楽をつけるという役もおおせつかりまして、ぶっつけ本番でキコキコやりました。テレビカメラも回っていたので、妙に緊張したなあ。
 さて、その後反省会と称した飲み会がありまして、そこでとんでもないビートルズマニア(コピーバンドのジョージ役担当)の方と知り合い、意気投合してカラオケでビートルズ歌いまくりという、なんとも予想外の展開になりました。いやあ、ものすごいわ。ちょっとついていけないくらいのマニアであります。私も勉強しなおさないと…。
 さてさて、そこから無理矢理本日のおススメに持っていきます。ビートルズと言えばイギリス。イギリス、ビートルズと来れば、アイロニーですよね。で、アイロニカル、シニカルなイギリスの絵本と言えばこれでしょう。「The conquerors」。
 これがですねえ、なんと小学2年生の課題図書なんですよ。これを読んで感想文を書くというのが、娘の宿題の一つなんです。で、とりあえず買ってみた。で、それこそ娘に読み聞かせたんですが、途中でこれはやばいぞ、これを課題図書にするというのはどうなんだ?と思い始めたんです。
 この「The conquerors」、日本版ではタイトルが「せかいでいちばんつよい国」になっています。まず、ここに非常な違和感を抱きます。絵本に限らずこういうことはいくらでもありますが、これでは全然違う読みを要求することになりますよねえ。
 内容的には非常にシンプルです。ネタばれになってしまうので、あんまり書けませんが、まあアメリカの横暴をイギリス人が皮肉ったものと言えるでしょう。軍事的征服者が文化的には征服される立場になる、というパラドクシカルなオチ。たしかに、今のアメリカを見ても、たとえば黒人文化に半分は征服されてますね。音楽とかスポーツとか。それだけでなく、あらゆる面でアメリカ的でないことこそアメリカ的ですよね。世界をアメリカにしようとしたら、アメリカが世界になるという逆説。
 この絵本はそういうことを表現しているとしか思えないんですが、そんなこと小学生には分かりませんよねえ。少なくともウチの娘には分かりません。
 「せかいでいちばつよい国」というタイトル、そして学校の課題図書ということになりますと、当然違う読みが要求されます。実際、日本版の感想や、課題図書紹介の文には、「大きい国と小さい国、どちらが本当に強い国だったのでしょう」みたいな、あちゃちゃな文が並んでいます。小学校の先生的にはそういう感想文を期待してるんでしょうね。
 それはそれで別にいいんですが、大人の事情で著者の意図が曲げられるのには、私はちょっと抵抗があります。
 というわけで、どうせなら英語版を買って読んでみようかな。
 ビートルズカラオケから帰ってくると、ちょうどBSアニメ夜話スペシャル 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」が佳境に入っていました。もう、みんな語る語る。めっちゃ面白かったんですけど、ここでも制作者の意図を完全に越えた妄想的解釈が暴走していました。それこそがまさに「物語」の基本的な性質なんでしょうね。だから、絵本もいろいろな解釈があって当然です。でもなあ、子どもを洗脳するのはなあ…。

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2007.08.10

会長さんとアニメ談義…そして「オンリー・ユー」

『パトスが感じられないものは映画じゃない』…押井守
Uruseionlyyou 今日は、某有名大学の某有名アニメ研究会の会長職を務める卒業生が遊びに来ました。たっぷりとアニメ談義…まあ、私は基本アニメに関しては無知なんですが、理屈だけはいろいろと言えるもんで(笑)。いやあ、面白かった。なんか、今のアニメ界、いや今の世の中を象徴するような話で、とっても勉強になりましたよ。
 簡単に言えば、アニ研の世界も大きな変革期を迎えていると。以前にも大きな変革期…すなわち研究会内でいろいろと衝突があるということですかね…があったそうです。作業のデジタル化が一気に進んだ時だそうです。すなわちデジタルセルが導入され、彩色や編集が格段に容易くなった時ですね。コンピュータが庶民の物になった頃でしょう。そう、想像されるとおり、アナログ派とデジタル派の対立です。これはどの世界にもありましたし、今もあると言えばありますね。
 もちろん、プロの世界でもそういうことがありました。いろいろな分野で。もう今ではデジタルが当たり前になった、そのいろいろな分野で、最近再びアナログの見直しが起きています。「無理・無駄・ムラ」の見直しですね。完全にアナログに戻ることは難しいでしょうが、うまい具合に共存させていくことは大切なことだと思います。
 で、そういう懐古的リバイバルが起きる原因の一つが、やはり新しい方の世界のクオリティー低下でしょう。会長も言ってました。正直、デジタル世代の自分たちの作品の質は下がったと。手軽で、多くのシロウトが多くの作品を作ることができるようにはなったが、しかし、どうしても粗製濫造になると。それはそうですね。また、個人的な作業が増え、集団の共同作業、それも徹夜でフラフラになりながら、励ましあい、ケンカしたりしつつ夜明けを迎えるというような、まあ変と言えば変ですが、そういうノスタルジックな青春風景はなくなりつつある。そういう風景と作品のクオリティーとの関係がどういうものかよく分かりませんが、何かが影響しそうな気はします。
 で、そういう第一の変革期があってからずいぶん経ったわけですが、さてさて、最新の変革はある意味もっと深刻なものになりそうですよ。
 え〜まず、今年の新入生、女子がいきなり増えたとのこと。で、彼女たち何をやってるかというとですねえ、やっぱりBLなんだそうです。ものすごい熱意でBL系アニメを作る。やっぱりそうか…(笑)。で、男子はそういうのにどう反応してるんだ、眉をひそめてるのかって聞いたら、なんと、男子も「いいねえ」とか言いつつ、積極的に制作に参加したりするそうです。あちゃあ、世も末だ…。
 というのは冗談で、いやBLの台頭は事実ですが、それをもって「世も末」というのは冗談です。私は基本「腐女子文化」マンセーですので。「腐女子文化」は平和な世の象徴です。平成が、「腐女子文化」満開の平安、江戸に次ぐ豊かで平和な世になることはたしかです(そうなることを祈ります)。それも大衆が平等にそれらを享受できるという意味において、両者を凌駕することはたしかです。
 なんていう濃いのか薄いのかよくわからん話を楽しんで帰宅しましたワタクシ、おととい録画しておいた「とことん!押井守」の第4夜を観ました。うる星やつらの初劇場映画である「オンリー・ユー」と、それに関する押井守さんのインタビューです。
 これがまたいろいろと考えさせられる内容でした。映画自体はそれこそ制作者の熱意が爆発、アナログ的世界にほんのちょっぴりデジタルが食い込む(たとえばあのフェアライトの音はたまらん…)という絶妙の感じが、実に心地よかった。監督さん自身や同業者からは「失敗作」と評価されているようですが、観る者にとってはそれなりに楽しめる作品ではないでしょうか。エネルギー(パッション)は強く感じられました。
 押井さんの「自作を語る」コーナーでは、やはりこの作品は「失敗作」「映画になっていない」「大きなテレビ」「おいしい団子をたくさん串にさしても映画にならない」とか、いろいろ言われていましたが、私はそういうコテコテななんでもありのサービス作品というのも大好きですので(この前の関ジャニ∞のコンサートもそんな感じでした)、そこまで言わなくてもと思いました。実際、ファンは喜んだわけだし、珍しく原作者も気に入ったようですしね。
 たしかにそういう作り手と受け取り手の意識やベクトルのギャップというのは、どの分野にもありますが、そうしたブレが両者を動かして次の作品に向かうエネルギーを生むというのも事実だと思います。完全にお互いが「コト」化しないところが、「物語」の原動力、生命力になっていくのでしょう。実際、この作品があって、あの「ビューティフル・ドリーマー」が生まれたわけですからね。
 それにしても、デジタル化が招いたお手軽さが、いろいろな意味で文化の生命力を奪っているんですね。近代は「無理・無駄・ムラ」を排除する方向に驀進してしまった。私の言葉で言えば、それこそが「コト」への指向、「モノ」の排除であったわけです。実は「無理・無駄・ムラ」がパトスを生み出していたのであって、我々は一見スマートにはなりましたが、本来のアニマなエネルギーは失ってしまったのです。
 と、今日はアニメを通じていろいろな文化や人生について考えた一日でありました。「アニメ」…やはりそれは私たちに「アニマ」を与える存在なのですね。納得。
 長文ついでに今思ったこと。テレビに帰省ラッシュの映像が映りました。ああ、この「無理・無駄・ムラ」こそ、日本古来の文化伝承の儀式なんだな。お父さんのパトスが発揮される唯一の場なんだな。渋滞がなくなったら、帰省のクオリティーが下がります(笑)。

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2007.08.09

『倫理という力』 前田英樹 (講談社現代新書)

Rinrino 名著。久々に本当にいい本を読みました。
 「なぜ人を殺してはいけないのか」…こういうアホくさく、しかし神聖な、無邪気で、しかし邪鬼に満ちた中学生の質問に、インテリがこれまたどうでもいいが、しかしなんとなく知的な答えをた〜くさん用意した、そんな妙な事件がありましたね。この本もそんなところから始まっています。
 私のこの質問への答えは、前田さんのそれにとっても近いものです。今までもどうでもいいと思いつつ、いろいろ読んだり聞いたりしてきましたが、やっぱりこれが一番しっくり来ました。
 もうそれだけでも、私にとっては名著と言えます。なんで今までこういうことをちゃんと言う大人がいなかったんだろう。不思議です。
 「倫理の原液」と筆者が呼ぶ「モノ」。それはたしかにあると、私も思います。「してはいけないこと」は私たちの脳ミソが決めることではありません。もうそれは「神」とも「宇宙」とも「自然」とも何とでも言えるわけですが、結局私たちの外にあるものであることはたしかです。
 そういう出発点に、自意識の強い人間はいろいろと難癖をつけるのかもしれませんが、私から見ますと、そういう人の「言葉」さえ、本人の外からやってくるもののように感じられるんです。
 最近とみに感じるようになったこと。それは「モノ」の存在です。もちろん、私の「モノ・コト論」での「モノ」です。それはまさに外部であって、自分のコントロール下にはないものです。しかし、ではそれに私たちが統御されているかと言いますと、単純にそうとは言えないような気もします。なにかネットワークのようなものが存在し、そこと私たちは自然に交信してるみたいなんですね。そういう意味で、自分の方がネットワークに対して開いてきた、また開いてきたらいろいろなものごとが動き出した。
 それを「他力」とも「縁起」とも「行雲流水」とも「無我」とも「もののあはれ」とも言うのかもしれません。ただ、そういうネーミングとか定義づけはどうでもよくて、そんなののずっと上空や地中深くに「何か」が張り巡らされている、そして、自分もそことつながっているような気がしてきたんです。
 つながっているからでしょうかね、単なる他者とも言い切れないような気もするんです。もう一人の自分であるような気もする。たしかに、自分に命令したり、自分をさげすんだり、自分を励ましたり、自分と対話したりする動物は人間だけです(たぶん…)。そのたとえば命令する自分の外に「何か」があるんです。あるいは命令する自分だと思っているのは、実は自分とつながっているが自分自身ではない「何か」なのかもしれない。いずれにせよ、そういう自己の二重性みたいなものの中に、世の中の、人間の、自分の、倫理の本質があるのかもしれませんね。
 そういうことも含めて、この本で最もエキサイティングだったのは、第五章「ものの役に立つこと」です。前田さんは、私たちの知性や知恵を磨くのは「外部の抵抗物」だと述べます。釘を打つという一つの動作にしても、いろいろな「物」の性質…すなわち無限の連続変化を、経験を通じて読み取り、それに自分を合わせていかねばならない。そういう経験こそ学習であり、そういう経験の場こそ教育だというのでしょう。なるほどと思いました。
 前田さんは、その感覚の説明のために、宣長の「…事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀れをしる也」という名言(?)を引用していますね。宣長の「もののあはれ」論には、今までも何回か述べたように正直違和感を持つ私ですが、基本的に「モノ」という言葉を「外部の抵抗物」「無限の連続変化」ととらえる前田さんの姿勢には、おっ私と同じだ!とひさびさに心強く思いました。
 さて、この本の良さは、内容のみならず、文章の上手さにも負う部分が大きい。過不足ない、正しい、整った日本語は読んでいて心地よい。美しい文章だと思いました。一読後、もう一度読んでみようかなと思わせるいい本でした。

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2007.08.08

アニメギガ・スペシャル「とことん!押井守〜3日目」(NHKBS2)

Ph_oshii いやはや、左の写真もかなりインパクトありますが、右の人気記事もそれに負けず、すごいことになってますね。セクスィー部長とラムちゃんと関ジャニ∞と洗剤の戦いになってます(笑)。
ちなみに右下の方の「検索フレーズランキング」もすごいことになってますねえ。記念に残しとこっと。

1位:セクスィー部長
2位:みじめ!愛とさすらいの母!?
3位:みじめ! 愛とさすらいの母!?
4位:みじめ!愛とさすらいの母
5位:愛とさすらいの母
6位:ウォッシュレボリューション
7位:セクスィー部長 画像
8位:みじめ! 愛とさすらいの母!?
9位:みじめ 愛とさすらいの母
10位:みじめ! 愛とさすらいの母

…というわけで、昨夜から本日未明にかけて放映された「とことん!押井守」の録画を観てみました。
 3日目は「うる星やつら」テレビシリーズの人気投票で上位になった4作品が放送されました。以下がその結果です。

1位 第101話 みじめ!愛とさすらいの母!? 164票
2位 第129話 死闘!あたるVS面堂軍団!! 153票
3位 第87話 さよならの季節 145票
4位 第19・20話 ときめきの聖夜【前・後編】 138票

 どうなんでしょうか。こういう投票によるベストセレクトみたいなのは、一人一人こだわりと愛情があって、CDのベスト盤と同様なかなか納得のいくものができないというのが現実ですよね。うる星に関してはそれほどマニアではないし、第一全部観ていない(BS2の再放送、途中で終わっちゃうし…)私にはなんとも判断しがたいのですが、世間的にはこのランキングはどうなんですかね。まあ、私にとってはけっこう好きな作品が並んでいて、あっそう、って感じなんですけど。まあ、1位がこれっていうのが、嬉しいような、恐ろしいような(笑)。
 「みじめ!愛とさすらいの母!?」に関しましては、実は今日も授業で生徒に見せたのですが(遊びじゃないっすよ、文化論、表現論的視点からの勉強です。ちなみに『決死の亜空間アルバイト』も同時上映です)、面白いですね、だいたい毎年そうなんですけど、男子は喜ぶ、萌える(いや、燃えるかな) 。女子はポカ〜ンか、つまんな〜いかなんですよね(たま〜にマニアック系の女子だけ「面白い」とつぶやく)。今日もそんな感じでした。原作は女の子が読むんですよ。ウチの学校には全巻装備されてますからね。だけど、アニメは男なんだよな。やっぱり。
 私もどこかの記事に書きましたし、押井さん自身も語ってましたけど、原作の女性文化に対抗するアニメの男性文化。そういう拮抗関係があって、あのパワーが生まれたんでしょうね。今回の4作品を観ると、本当に「男子的」暴走、妄想に満ちていますね。素晴らしい。よく喰ってるし(笑)。
 それにしても、今回の特集での押井さんのインタビュー「自作を語る」は、もうそれ自体がギャグ作品になってますねえ。まじめに聴こうと最初は思ってたんですけど、やっぱりこれは笑っちゃった方がいいんじゃないか。あの顔で(失礼)、あの語り口で(正直聞きづらい)、ああやって「レーゾン・デートル」とか言うんだもん(笑)。もうこれは完全に男の世界ですよ。女にはそんな理屈はいりません。イケメンがかっこよく甘い言葉を言ってくれればいいっす。
 ま、それは置いといて、内容的にはとっても興味深かったと同時に、ある意味私が作品を通じて感じてきたこと(記事として書いてきたこと)がだいたい合ってたんで、ちょっと嬉しかったなあ。さっきの男女の論理の相違もそうだし、「見立て」って言ってましたけど、まあパロディーやオマージュとか、メガネの存在とか、あたるの賢さとか…。つまり、結果としてそれが作品から見事に伝わってきたわけでして、そういう多層的なメッセージを確実に伝えてくる作品をいくつも創ったというだけでも、やはり押井守という人はすごいクリエーターだということですね。
 今回を機会に、未見の作品をいくつか観てみたいと思っています。

とことん!押井守 公式

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2007.08.07

サラリーマンNEOサマースペシャル

Sumsp 裏番組の「とことん押井守」は録画して後で観ましょう。1位は「『みじめ!愛とさすらいの母!?』かあ。へえ〜。それで右の人気記事がこういうことになってるんだな。
 で、表のNEOのスペシャル、これもなかなか面白かった。
 「息子よ」…いきなり藤岡藤巻の登場にびっくり。さすがNHK、渋い人選であります。あっちなみに、このコント中の冷蔵庫、ウチのと同じでした。さすがNHK、渋い機種選であります(どうでもいいっすね)。
 「会社の王国」…NHKの女性アナたちもいい演技してましたねえ。ああ、とうとうNHKも女子アナがバラエティー進出か…。でもやっぱりNHKだからでしょうね、いわゆるギャップ萌えがありますね。てか、NEO自体がギャップ萌えですからね。
 そして「Let's do it!」(「できるかな」ってことかな)…ノッポさんとゴン太くんの登場。懐かしいなあ。ノッポさん、最近歌が売れて人気復興しておりますが、基本はやっぱりパントマイムの妙ですね。このお歳になられても、表現への意欲全く衰えず、さらに磨きをかけているあたり、さすがとしか言いようがありません。こちらにも書きましたが、高見映としての苦労や苦悩が、結局全ての存在への愛に昇華されていったんですね。それを思うと、今回のノッポさんも単なるコントの一キャラクターとは見えなくなるんですよね。ああいうちょっと意地悪なノッポさんにも味がありましたね。じ〜ん。
 そして、そして、今回のスペシャル「セクスィー部長」。これは見ごたえありましたね。ついに賀来千香子登場です。彼女とセクスィー部長との壮絶お色気対決、すごかった。けっこうセクスィー部長ピンチでしたね。最強であったはずの色香恋次郎の微妙な狼狽や動揺がまたギャップ萌えでありました。やっぱ光源氏だな、彼は
 「セクスィー部長」の楽しみ方の一つに、やられる女性(女優)のやられっぷりを見るというのがありますよね。プロレスと同様、やられっぷりにその人の才能、真価が見てとれる。今回の賀来さんのやられっぷりは…どうだったでしょうか。ワタクシ的にはもっとメロメロになってほしかったような…旦那さま(宅麻伸)に怒られちゃうか。
 こういうふうに、たま〜にスペシャルで、ゲストが入るというのも面白いですね。異種格闘技戦というか、他団体との交流戦というか、化学反応というか。人生にはそういう刺激、縁、出会いというのが大切であります。

サラリーマンNEO公式

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2007.08.06

衝撃的なテレビ番組3本

NHKスペシャル「核クライシス」
070805_b 今日は広島原爆の日。ここ数日のうかれた気分を一掃して、いろいろと考えなければならないことがあります。
 昨夜、今夜とNHKスペシャル「核クライシス」が放送されました。非常に衝撃的な内容だったわけですが、まず愚痴を言わせてください。昨夜、つまり第1集「都市を襲う核攻撃〜地表爆発と高度爆発〜」を観ていたところ、電話のベルが鳴りました。家内が出て、なんか苦労しています。ああ、あれだなと思い、テレビを観たいのを我慢して、受話器を奪いました。予想通り「年金対策にマンション経営はいかがですか」というヤツでした。
 あまりにアホくさかったのですが、観たい番組が観れなくなった怒りも手伝って、結局1時間にわたって彼に説教をしてしまいました。まあ、それこそアホくさい行為ですが、今日はいろいろな意味を含めて、どうしても許せなかったんです。しまいには、「金が諸悪の根源だ。戦争も何もかも全て金が原因だ」なんて、今考えればとんでもない極論まで飛び出してしまいました。しかし先方はここまで言われてもひるみません。ああ、これは完全に洗脳されてるなと思いました。彼も兵士だなと思いました。

NHKスペシャル「硫黄島 玉砕戦 〜生還者 61年目の証言〜」
060807_c 昨年8月7日に放送され、たいへんな反響を呼んだ番組が再放送されました。私は学校で何度も生徒に見せていますから、それこそ数十回目になります。しかし地デジで観るのは初めて。さらに鮮明に映し出される悲惨な戦場の様子に再び戦慄しました。
 もうこの時期に(特に民放で)放送される美化された「かわいそう=感動」の戦争物にはウンザリです。あえて書きますが、戦争には「人間」がいません。硫黄島の日本兵は、アメリカ兵にとっては恐ろしい害虫に過ぎません。虫が巣くった穴という穴に、水やガソリンや煙や火を注ぎ込みます。害虫駆除です。「理性なんか働きませんよ」…それが戦争です。死に行く戦友に「末期の水を」なんていう発想はありません。その水をめぐって日本兵どうしの殺し合いが起きるのです。美談ですませてはいけません。
 もちろん戦後世代の私が無責任に戦争を語れないということも分かっています。しかし、たとえば教育界にはびこる「戦争かわいそう論」や「戦争恐い論」というような「日常的感情論」ではダメだと常々思っています。では、どうすればいいのか…そこが苦しいところです。ただ、子どもたちもまずはこの番組を観るべきだということは確かです。
 この番組は「第33回放送文化基金賞テレビドキュメンタリー番組本賞」を受賞したそうです。当然です。今回の再放送に際し、冒頭に二人の次のような言葉が付されていました。
「作品から戦いがいかに熾烈で残酷、悲惨きわまりないものだったか伝わってくる」写真家 大石芳野
「兵士たちは、苦悩のうちに語る。私たちは深く沈黙し、ただ『この作品を見てください』というほかない」映画監督 吉田喜重
 現実の前に、言葉は無力になります。
 証言者の一人、秋草鶴次さんのこちらの本も必読。
 この戦争も「金(貨幣)」が生んだんだよなあ。そのへんに関してはこちらの本を読むとよくわかります。金はやっぱり諸悪の根源ですよ。人間性を失わせる薬物です。で…

NNNドキュメント「オーバードーズ若者に広がるクスリ依存」
20070805 硫黄島に続いては、現代における異常な極限状況からの生還者の話。精神科や心療内科でやたらに処方される薬物。一歩間違うと覚醒剤なみの依存症と後遺症を残す薬が、今若者の間に蔓延しています。ここに登場した女性は、周囲の協力(もちろんテレビの取材というかなり強制的な協力も含まれます)によって、なんとか地獄から抜け出すことができましたが、これは特殊なケースでしょう。病気を治すはずの薬が地獄を生んでいく。本当に恐ろしいことだと思いました。
 これも結局「金」ですよ。薬を密売するヤクザ、あるいは薬をもうかる商品としか思っていない医師。彼らの目的は「金」でしかありません。そういうシステムが存在する限り、こういう問題はなくなりません。人の命を食い物にしてまで金を得ようとする。これはいけませんよ、絶対に。
 これらの番組を続けて観た感想。人間はバカだなあ。ダメだなあ。無性に悲しくなりました。

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2007.08.05

ゴシックバンド→関ジャニ∞→バッハなど(その2)

場違いな東京ドームの私
Dvc00022_m(昨日のつづき) 下北沢をあとにしたワタクシどもは一路東京ドームへ。
 東京ドームに着くと同時に、卒業生の女の子から電話が入りました。
「ねえ、先生、今、神社にいる?」
「いやさあ、それがね、『じんじゃに』じゃなくて『かんじゃに』なんだよね」
 これはくだらないシャレではございません。どういうことかと言いますとですねえ、こういうことなんです。
 本来ワタクシ、8月4日は地元富士吉田の浅間神社で行われる「薪能」に行く予定だったんです。毎年の恒例行事ですし、今年も狂言は野村萬斎さんでしたので。
 しかし、突然クラスのギャルどもが「関ジャニのチケット取れちゃった!一緒に行こう!」って言い出したものですから、さあ迷いました。能か関ジャニか…そんなことで迷う人もいないだろうな(笑)。
 で、卒業生は当然私のことだから能に来ていると思ったのでしょう。彼女は彼氏とたまたま神社にお参りに行って、なんだか面白そうだから観ようかということになったらしい。まさか、私が東京ドームにいるとは思わず、会場で会おうと思ったんでしょうね。残念でした。
 というわけで、迷った挙げ句の関ジャニ∞。いったいどうだったのでしょう。いろいろ書き出すとキリがないんですけどね、とにかくいろいろなものに圧倒されました。たしかにすごいわ。一度は経験しても無駄にはなりません。まあたしかに感動しましたよ。能ではないが、これは歌舞伎だなって思いました。
 会場に入ると、そこは55000人の観客で埋め尽くされてました。その99.999%が女性です。当然ですね。おそらく男性は数十人という単位でしょう。100人はいなかったんじゃないでしょうか。
 さすがに5万人以上の女性に囲まれるのは初めてです。だ〜れも私なんかに関心がないのは当たり前ですから、意識しないければいいんでしょうけど、しかしあの、ドームに充満した香水の匂いには、正直動揺せざるをえません。視覚的にはともかく、嗅覚的にはちょっと辛いものがありました。
 ところが、コンサートが始まって30分もすると、その「匂い」は「臭い」に変りました。激しい踊りと絶叫により、55000人の汗が見事に蒸発・発酵し、実にサワーな香りが…そうです、酸っぱい臭いです。それが既存の香水の匂いと融合し、実に香ばしい馥郁たる「腐臭」が…(笑)。
 いやいや、今回一番強く感じたのは、やっぱりジャニヲタの皆さんって、見事な「腐女子」だということですね。これは冗談ではなく、やはりジャニーズということですからね、当然と言えば当然です。そういう伝統がある。やっぱり歌舞伎文化だ。
 正統腐女子文化についてはこちらにも書きましたが、あれらって「女性」性の否定から始まるものなんです。彼女たちは女性としてイケメンに恋しているように見えますが、実は現実的な男女関係、すなわち自分が「女性」であることから出発する世界自体をば排除しているんです。リアル女は彼女らの妄想の中では排除されているんですよ。自分も含めてね。基本はあくまで脱現実にあります。自分にとって最も生々しい「女性」性は排除されるわけです。
 それを象徴していたのは、コンサートの中での30分近く続いた「コント(∞レンジャー)」でした。あんまり詳しくは書けませんが、内容は「ブルー」が悪い女にだまされるという他愛のないものでしたが、文化的視点からしますと、たいへんによく出来ており、また興味深いものでした。
 最初、「恋愛ネタ」だと分かった瞬間、場内は悲鳴に包まれました。私も「えっ?」と思いましたよ。一番触れちゃあいけないところだと思ったんで。ところが、それが見事な演出だった。腐女子心を微妙に刺激するナイスな展開を生んでいったんです。
 まず、その「悪い女」がマネキンであったこと。リアル女はタブーです。ああ、こういう手で来たかと。そうして腐女子たちを安心させつつ、ストーリーは男同士の友情物語へと突き進んでいきます。そして、メンバーどうしが殴りあったり、抱きあったりして、いかにもな男世界を描き出すと、彼女らはそのたびにドームを揺るがさんばかりの悲鳴を上げるんですね。これは完全にBLの一歩手前だな、と思いました。そして、その悪い女がメンバーにこづかれる段になると、腐女子たちのボルテージは最高潮。全てのF的怨念、執念、嫉妬、憧憬、妄想は見事に昇華され、ドームの天井を抜けて東京の夜空に無限に広がってゆくのでした。なるほど、こういう世界だったのか…ジャニーズ。予想以上の腐敗度だ(ほめ言葉ですよ、もちろん)。
 実はこういうあたりが、ワタクシにとっては最も感動した点(男としては気恥ずかしかった点)だったのですが、そのほかにも、ドームというとんでもなく広い会場を縦横無尽に使いまくり、ダイナミックな演劇的空間を創り出していたスタッフのプランと動き(案外原始的な手動式ムーブメントが多かった)なんかにも感激しました。もちろん、歌もトークもそつなくこなす関ジャニ∞のメンバーたちはお見事でしたよ。若いのに大したもんです。よく訓練されています。アドリブもきくしね。本当は一人一人について感想を述べたいところですが、私のようなオジサンの理屈っぽい批評なんて誰も聞きたくないでしょうから、今回はやめとます。でも、全体として、とっても良かったっす。私もすっかり彼らのファンになってしまいました。バンドとしての演奏もそこそこ出来てました。ってか、球場の四隅に別れて、よくアンサンブルできるなあ。カラオケではないことは、演奏ミスからよく分かりましたよ。
 ところで、ところで、今回、ジュニアやゲストなど、総勢数十名のジャニーズが登場したわけですが、彼らを除いてですねえ、一番会場の注目を浴びた「男」は、実は私だったかもしれません。
 というのは、最初のMCで、村上信五くんの、「みんな、声出てるか〜?」「イェ〜」みたいなコールがあったんですね。当然、女性ファンの皆さんは大絶叫です。そして、次にネタとしてでしょう(もしかしてお約束?)、「男の人はいますかあ?」と来たんです。そして、「男の人、声だしてますかあ?」と聞かれたんで、これは女に負けてはいられない!と、ワタクシ生まれてこの方こんなデカイ声だしたことないってくらいデカイ声で「イェ〜!!!」って言っちゃったんです。こぶしを上げてね。
 そしたら、なんだかほとんど私しか声を上げてなかったみたいでして、いっせいにお客さん(女性たち)がこっちを振り向いたんですよ〜。2000人はこっち見たな(笑)。なんかしばらく騒然としていました。大笑いです。村上くんも、「いいねえ、いいねえ」と言ってくれました…って私に対して言ったかどうかわかりませんよねえ…すっかり腐男子になってますな、私(笑)。まあとにかく、くじ引きで私の隣になってしまったウチのクラスのN子も、恥ずかしいやらおかしいやらで、腹抱えて泣いてました。
 なんでも、今回の関ジャニ∞初東京ドーム公演は年内にDVDになるとのこと。もしかすると、私と関ジャニ∞とのコミュニケーションが収録されることになるかも。今年はこちら聖子ちゃんのコンサートにせよ、買わなきゃいけないDVDが多いなあ。
 というわけで、とっても楽しく充実した異文化体験でありました。疲れたけど、勉強になること多数な一日でありました。
 で、オマケに本日5日のことも書いておきましょう。昨夜夜中に富士山に帰ってきまして、今朝はまた4時起きして予習などしまして、朝8時には出発。再び東京です。昨日は中世・ルネッサンスと関ジャニ∞。今日はと言いますと、また全くジャンルが違います。9月23日のコンサートに向けての練習であります。私は初参加です。バッハのマニフィカト、ヘンデルの水上の音楽、シャルパンティエのテ・デウムを練習いたしました。我ながらメチャクチャな音楽スケジュールだとは思いますが、それぞれに違う楽しみ歓びがあるんです。私にとってはどれも捨てがたいんですよ。
 なんか理解されないかもしれませんが、最近いろいろなボーダーが私の中から消えていっているような気がするんです。単にいい加減になったとも言えますが、ものすごく心が自由になったような気もするんです。
 今日も実際のところ、指揮の坂本徹さんの御指導の内容がものすごくよく分かった。細かくは言えませんが、明らかに昨日の経験と思索が生きています。ああこれも「人と人をつなぐ」という意味では一緒だなと。音楽は「エンターテインメント」だなと。音楽に貴賎はありませんよ。聴く人、というか、そこにいる人の心をつかんで幸せにすれば、それでいいじゃないですか。

ps 私は、関ジャニ4日の公演で、「男の友情ネタ」の続きとしてですねえ、こちらの記事にも書いた内博貴くんが登場すると踏んでいたんですが、どうも今日5日の公演に登場したようですね。そして、久々に8人で熱唱したようです。事務所は復帰はないと宣言していますが、不祥事をも美談にまで転化してしまうのが彼らの純粋三枚目キャラのすごいところです。近いうちに世間の後押しを得て完全復活することを予言しておきます。

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2007.08.04

ゴシックバンド→関ジャニ∞→バッハなど(その1)

斎藤ネコさんのサイン
Nekosign 昨日(4日)今日(5日)はホント濃い一日でしたわ。なんとなく私の人生を象徴しているような日でした。楽しかったなあ。つっかれたけど…。
 4日の大きなイベントは二つ。まず、ゴシックバンドのメンバーとして下北沢で行われる『ノンキー青空市3』に参加。そして、演奏終了後すぐに水道橋へ移動。関ジャニ∞の初東京ドーム公演を鑑賞。
 それでは、いちおう時系列でおさらいいたします。
 4日は、いつもどおり朝4時に目を覚ましまして、まずはゴシックバンドの予習であります。とは言え、まあいつもの通りと言えばいつもの通りでありますが、当日初めて全員集合という状況ですので、練習するにもまずイメージがわきません。特に今回は今まであんまりやってこなかった中世・ルネッサンスの音楽、それも即興重視であります。正直、ちょっと不安もありましたが、まっ、これもいつものとおりで、切羽詰まったらもうやるしかないっす。完全なる他力本願。共演者の皆さんと神様仏様を頼りにするしかない。
 で、結局練習らしい練習はせず、8時に家を出発。ウチのクラスのギャル3人を迎えに行きました。そう、今日の関ジャニはクラスのジャニヲタたちと同行なんです(引率ってことですかな)。車中さっそく彼女らは予習のため、関ジャニを聴きまくる。もう私の頭は全然中世ではなくなっていきます。これはピンチ…。
 下北沢で彼女らとは一旦お別れしまして、私は貸しスタジオでのリハーサルへ。とは言え、メンバーの一人は参加できず、結局全員で合わせるのは本番が初めてという状況であります(笑)。リハでは、バグパイプ第一人者(てか、ほとんど日本でお一人ですね)近藤治夫さんと「はじめまして」です。私は今まで何度も舞台上の近藤さんを拝見してきましたが、こうして共演する日が来るとは…雲の上の人だと思ってましたからね。あとの二人はいつも歌謡曲バンドでやってるメンバーですから、勝手知ったるはずですけど、考えてみると全然ジャンル違うしなあ、楽器もいつもと違うし。何が起きるかわからない緊張感が…。
 さて、ノンキー青空市3の会場に移動しますと、もう参加者の方々のリハが始まってました。おっと、その前にまたまた憧れの方と「はじめまして」…そう、あの斎藤ネコさんにご挨拶。ウチのパーカッショニストはネコさんと普通に共演してるんだよなあ、考えてみるとウチの歌謡曲バンドはなにげにすごいっす。
Nekolizo で、ネコさんや中村'JIZO'敬治さんたちのリハを聴きまして、うん、さすがうまいな!と感心したあと、私のF的(?)突撃力が発揮されました。ソファでくつろぐネコさんの隣にずうずうしく座り、「すみません、ミーハーなお願いで申し訳ないんですが、サインいただけませんか?」と不躾なお願いをし、しっかりサインをゲット!あっ、ネコさん左利きなんだあ。カワイイ猫の絵を描いてくれました。イェ〜イ!お話してみますと、ホント親しみやすい方でしたが、やっぱり独特のオーラが出てましたねえ。私もこれを機にネコさんの色っぽいヴァイオリンにあやかりたいと思います!イェ〜イ!
 と、テンションが上がったところで、本番が始まりました。私たちの出番まで、いろいろな演奏が繰り広げられました。リコーダー・アンサンブルからアイドルポップスまで、ホントいろいろ。いいなあ、こういうライヴイベント。みなさん、お上手ですし、なんと言っても自ら楽しんでいる様子が聴いてとれます。
 さてさて、残るメンバーの細岡ゆきさんも無事到着いたしまして「はじめまして」。いきなりの本番であります。結果は…以下の通りです。全然段取り通り行ってないところもありますが、まあ、段取りもないに等しい状態でしたので、まあ、これはこれでいい味出てるんじゃないですか?私も何度もヘロヘロになってますが、即興の緊張感と事故性(?)はよく表現できていると思います(笑)。
Gothicbandゴシックバンドの音(12MB)
 中世・ルネッサンスの妖しさは出てますよね。そして、それと現代との遭遇による妖しさ…というか、胡散臭さ(笑)。ビデオで観ますとね、お互い様子をうかがっている感じがとっても面白いっす。こういうジャム・セッション的な突発性音楽、再現不可能な音楽こそ、実は近代の人間たちが忘れてしまったものなのかもしれませんね。そんな気もしました。
 あっ、そうそう1曲目で、私なにげに救急車やったんですが、誰も気づいてなかったみたいですね。
 さて、演奏が終了しまして、ワタクシは別れのご挨拶もままならぬまま、そそくさと会場を後にしました。いざ、東京ドームへ!(その2につづく)

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2007.08.03

『すごい「実行力」』 石田淳 (三笠書房 知的生きかた文庫)

Sugoij なんか、この本を読んでる自分の図がおかしい。かなり変だ。自他共に認める「すごい実行力のなさ」を誇るワタクシが、なぜ敵方の兵法書を読んでいるのか…。
 単にですねえ、学期末から引きずっていた仕事がたまりにたまってですねえ、自業自得、自縄自縛(自爆)なんですが、かなりシアワセ…ではなくてシワヨセが押し寄せて来てまして、で、それをまた波乗りの要領でやりすごしたりして、結局ものすごくうずたかく積もりに積もってですねえ、泰山のごとくなりまして、どうにも微動だにしなくなってしまったという、実に情けない状況になっていたのです。そこにプライベートでもいろいろと頼まれ事が重なりまして、今年の方針、というか、人生の方針ですね、「頼まれたことは断らない」という座右の銘に従いまして、それらを全部引き受けていったら、そりゃあ大変なことになってしまったわけです。泰山の上に大雪が降って、万年雪になって標高が高くなってしまったって感じ(?)。
 もうこうなったら、やるしかない。実行力なんてものの存在を、もう数十年も前からすっかり忘れている私ではありますが、背に腹は代えられぬということで、奥深くしまい込んだ「実行力」とやらを取り出してくる…かと思えば、さにあらず。あえて、引き出しに鍵をかけて、そして現実逃避です。関係ない本を読み出したり、無駄にネットしたり、酒をたらふくいただいたりして、本当にこりゃあ「すごい実行力のなさ」だ。これはこれで極めている。「欲のなさ」とか「執着心のなさ」ならカッコいいが、実行力のなさ、それも「すごい」という形容詞までついている。こいつはかなりカッコわるいし、タチも悪いぞ。
 しかし、さすがにこれでは破綻すると思ったのか、私、いきなり知り合いからこの本を借りて読み始めたのです。そう、もうこうなったら神頼みしかない。奇跡を起こすしかない。これを読めば「すごい実行力」が突然目覚めるかもしれない。引き出しの鍵をはじき飛ばして、中からものすごい勢いで「実行力」が噴き出すかもしれない。そう信じた私は、普段ぜったいに読まないビジネス書、いや自己啓発書を読んでしまったのでありました。
 本書、基本的には「営業マン」のために書かれているようです。大変だよなあ、営業マン。時代も変わって、私のような仕事でも営業は大切な要素になりつつありますし、実際私がそのへんを担当しているとも言えるのですが、別に毎日100人生徒をゲットしてこいと言われるわけではありませし、いつかも書いたように、学校というのは市場原理の外にあるべき存在なので、会社経営とは違う感覚や技術が必要です。しかし、こういうピンチの時には実社会のマネジメント法が役立つかもしれない…。
 読んでて面白かったっすよ。「have to」じゃなくて「want to」で仕事しようとか、自分を乗せるために専用のポイントカード作ったりとか、目標達成を妨げるものを排除したりとか、成果をビジュアル化したりとか、スモールゴールをたくさん設定したりとか、緊張をほぐすためにまず全身に力を入れたりとか、自分を根本から変えるには精神論ではなくまず行動を変えろとか…日常の勉強や、受験本番で使える考え方やテクが満載で、これは学校用にアレンジして使えるなと思いながら読んでました。
 本屋に並ぶ自己啓発書やビジネス書をチラッと見ると、ああ普通の大人はこうして仕事してるんだなあ、自分を常に鼓舞して、ある意味自分を洗脳してやってるんだなあ、と思います。これは疲れるよなあ。こんなこと言ってしまうと元も子もないかもしれませんが、結局そうして求めているのは自己満足という気もしないでもありません。この本でも、ノルマを達成し、お金を得て、自分が幸せになるということしか想定されていないようでした。
 教師という、特殊で、ある意味甘やかされている仕事をしてるからでしょうか、なんとなくそういう「仕事」のあり方に違和感を抱くのも事実です。「仕事」は「コトを為す」ということですから、自分の思い通りにすること、自分のために食べ物を得ることが基本とは思いますし、実際今世界の経済や政治のシステムというか、人生のシステムが「お金」の原理で動いているというのも分かるわけですが、本当に「自分のため」が「人のため」「世の中のため」になっているんでしょうか。
 とりあえず、私は生徒をどういう大人、すなわち「仕事人」に育てていけばいいんでしょう。やはり、「すごい実行力のなさ」を伝授して、瞑想しながら、常に世の中とは何か、自分とは何かをじっと問い続けるお坊さんでも養成すべきなんでしょうか…。
 な〜んて、考えていたら、三日経ってしまいました。この本の表紙には「『結果』は3日で出る!」って書いてあったんですが、たしかに結論が出ました!
 私はやっぱり「すごい実行力のなさ」で行きますわ。そして、大いに怠けて、逡巡して、瞑想しながらやっていきます(笑)。
 というわけで、本日がしめきりだった多くの仕事たち、どうなったかと言いますと、なんとかなりましたよ。でも、これは「すごい実行力」ではなくて、「すごい実行力のなさ」が生み出した「すごい火事場の馬鹿力」のおかげです。
 私も本でも書こうかな。「怠惰力」とか「逃避力」とか「逡巡力」とか「馬鹿力」とかね。「老人力」とか「鈍感力」とかも流行りましたし。「優柔不断術」というのはありましたな、「瞑想力」もあったかも。あっ、あと最近ウチではやりの「突撃力」ってのもいいな。「実行力」と「突撃力」は全然違う。
 まあ、結局、3日で何も変わらなかったということで。そんな、私が40年以上かけて培って来たものが、3日で変るわきゃあないっしょ。変ったら困りますよ。ああ良かった、変らないで(笑)。めでたし、めでたし…と。

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2007.08.02

ゆかた教室出現!?

Yukata 冬のメイド教室に続いて、ゆかた教室が出現いたしました!?これを公開することは多少はばかられますが、本人たちの希望というか、ほとんど強制とも言える要請がありましたので、世界に発信いたします。でも、いろいろと問題がありますので、前回同様小さな画像にしておきます。
 さて、今回はどうして浴衣かといいますと、一番左に写ってます家庭科の先生(昨日の記事にも登場しました御坂の方です)のご指導の下、ウチのクラスのギャルどもが春からせっせとお裁縫をやってましてね、晴れて全員完成したというわけです。それで、記念撮影しようと。
 正確に言いますと、ゆかたではなく甚兵衛を作ったやつもいますが、いずれにしてもこの夏休みを目標に頑張ってきたわけです。ゆかたの連中は、これを着て富士五湖周辺の夏祭りに行こうということでしょうか。
 ウチのクラスは女子9人だけの選抜クラスで、まあいちおう受験に特化した「特進」というヤツなんですが、学校の方針というか、先輩方が作った伝統というか、いや、やっぱり彼女らの性格かな(そこにちょっぴり私のプロデュースが加わる)、勉強以外のことにもとにかく一生懸命に取り組むんですね。なんだか親ばかみたいですけど、大したものです。やる時はやる、というのが徹底している。けじめ、メリハリ。この前の合宿なんかでは、何十時間も黙々と勉強するかと思えば、こういう製作や学園祭のダンスの練習なんかも、すごいパワーでガーッとやるんですね。それもいつも笑顔で仲良く。ま、ちょっと空気読めずうるさくなっちゃうのが玉に瑕ですが。今日も撮影中「うるさい!」って怒られました(笑)。
 家庭科の先生とも話しましたが、今回の製作は彼女たちにとって、とっても貴重な体験になったようです。彼女たち、今までほとんどお裁縫なんてやってこなかったわけです。それが、この数ヶ月でずいぶんと上手になった。そんなの当たり前と言えば当たり前かもしれません。でも、今、教育界ではこういう「身につく」経験というのが、実に少なくなってしまったんですね。実習、実験にしても、お互い余裕がなくてどうしても単発的になってしまう。知識の確認や強化のための体験、あるいは気分転換のイベント程度に終わってしまって、じっくり時間をかけて、何度も失敗したり、あるいはそれなりに工夫したりして、いつのまにか何かを、コツをつかんでいた、というような学習がほとんど皆無になってしまってるんですね。
 今、教育界のみならずどんな世界でも、とにかく能率とか理論とか、そういう「コト」が重視されていて、すぐに結果を求めたがる。なんだかわからない「モノ」、どうにもうまいくいかない「モノ」と長い時間つきあって、いつのまにかその「モノ」とのつきあい方を身につけ、ある程度自分の「モノ」にしていくということが少ない。体で覚えるというか、外部である「モノ」とふとつながる瞬間を体験するというか。向こう側がある時、突然門戸を開いてくれるというかね。そういう体験。
 まあ、そうしたとしても、いつまでも「モノ」は「モノ」、すなわち「他者・外部・不随意」ではあります。「(自分の)ものにした」と思ったものが、また突然遠く感じられたり、あるいはもっと先があることに気づいたりですね、そういう永遠の不随意、言い方を変えますと自分の無力さや、その裏側にある自分の可能性を感じることこそ、人生の充実の種だと思うんです。そして、学校では、そういう世界のあることを教えるべきだと思うんですよ。私は、それは受験勉強においても、クラブ活動においても、あるいは今回のような放課後の実習においても可能だと信じています。
 学校は、こうした「ものあはれ」=「他者とのつきあいの中で生まれる歓びと哀しみ」を学ぶ場であるべきなのでしょう。
 …と、なんだかしんみりしてしまいましたが、最後に再び「親ばか」に戻りまして、ウチのギャルたちをほめたいと思います。偉い!よく頑張った!そして、馬子にも衣装…ではなくて、正直可愛かったっす。なんだか目のやりどころに困ってしまったのでした。こんなこと言うと「キモ〜い!」「どんだけ〜?」って言われちゃちいますな。
 大切な時間を割いてご指導下さった家庭科の先生、本当にありがとうございました。

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2007.08.01

ランドリーコーナーぶんぶん (笛吹市御坂町)

ご主人とワンちゃんとお店です
Bunbun (この記事は内容も含めてご主人の承諾を得て書いております)
 今日は仕事で石和に行きました。生徒たちがホームヘルパーの資格を取るため、ある福祉施設に実習に行ったのですが、私はその送迎係です。
 今朝、富士山麓は気温11度でしたが、こちら甲府盆地の昼間は32度。なんと20度以上の差。体にこたえるなあ。生徒たちも汗だくになって頑張ってました。
 お昼ころ、少し時間がありましたので、いくつかのスポットを訪ねました。いろいろ収穫があったのですが、ここでは最後に立ち寄ったコインランドリーを紹介しましょう。とってもあったかないいお店です。
 職場の先輩がこのお店の奥様の幼なじみでして、いいお店だから一度行ってごらん、と言っていたのを思い出しましてね、勇気を出して「こんにちは〜!」と行ってみたわけです。ちょっとドキドキ。
 実は洗濯物は何もなかったんです。それなのに突然の訪問者をご主人は温かく迎えてくれました。私がお店に入った時、ご主人は若い男性のものと思われる洗濯物をきれいにたたんでおられました。そう、普通コインランドリーと言うと、無人のところが多い。お金を入れてどうぞご勝手にというところがほとんどですよね。ここは日中はほぼ必ずご主人か奥様がいらっしゃるようです。そして、洗濯し終わった衣類やふとんなどを、ていねいにきれいにたたんでくれるんです。お客さんは洗濯物を機械に放り込んで、そして帰宅したり仕事に戻ったりする。そして、適当な時間にお店に戻ると、洗濯物は汚れが取れているだけでなく、きれいにきれいにたたまれてそこにあるわけです。
 こういうサービスって、日本ではあんまりありませんね。アメリカやヨーロッパではこれが普通なのだとか。自分ではあれほど丁寧にたたみませんから、なんとなくうれしいものです。まあ、ちょっと気恥ずかしいという方もいらっしゃるかもしれませんが。
 さて、今日はご主人とずいぶん長いことお話ししてきました。その内容は…。
 実はご主人のお二人の息子さんはミュージシャン。お父さんとそのあたりについて、じっくりとお話ができました。親としても教師としてもいろいろと勉強になりました。ありがとうございました。息子さんお二人ともとっても才能があります。音楽的なルーツはお父さんにあるのでは、と思って質問したんですけど、ご本人は謙遜なのか、「いやいや全然」とおっしゃってました。
 息子さんお二人とも、この季節はとっても忙しいと思います。しかし、彼らはそんな時でも生まれ育った町や家族のことを忘れていないようでした。こういうあったかな環境に育ち育てられた彼らの音楽が、あのように人間味溢れる、そして自然への愛情溢れるものだというのが当然であると、今日また再確認いたしました。
 折しも、彼らの故郷では、ぎらぎらと射す太陽の下、一面の桃の木が頬を赤く染めた実をたわわに実らせているのでした。ふと暑ささえもいとおしく感じられた「ぶんぶん」でのひとときでありました。ありがとうございました。今度はちゃんと洗濯物持っていきますね。

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