新盆 in 秋田
暑い暑い…全裸で水浴びをする子どもたち
何度も書いているように、カミさんの実家は神道です。秋田の山の中には仏教が伝来しなかった…というか、完全な形では伝来しなかった。完全な伝来ではなかったけれど、影響はずいぶんあったようです。しかし、それは信仰としての影響というよりは、儀式の流行のような形での影響だったのではないでしょうか。例えば「お盆」という風習。これは前にも書きましたね。神道なのにお盆という不思議な事態。
先月、義理の祖父の一年祭を行いました。ですから、今年は新盆になります。
カミさんの実家は昨年、山から里に引っ越しました。ここ里は山から車で30分くらいの場所です。しかし、冗談ではなく、時代としては50年くらいのギャップがあるかもしれません。ここには普通の現代日本があります。私は、いかにも日本の原風景という感じの山の風情と生活に、衝撃に近い感動を覚えていたので、ちょっと寂しいような気もするんですが、たしかに生活する者にとっては、山はあまりに不便であったようです。それも理解できます。雪の量一つとっても、ここでは半分以下になるそうです。つまり雪下ろしの労力も半分以下ですむ。
生活は都市を指向します。都市化とは、養老さんに言わせれば「脳化」であります。そして、ワタクシに言わせれば「コト化」であります。未知かつ不随意な「体」や「モノ」は排除されていきます。それは本能ですからしかたありません。私ももちろんそうして生きてきました。しかし、その反動といいますか、たぶんそれは私だけではないのだと思いますが、人は都市から田舎を懐かしむ。郷愁、ノスタルジーです。ある意味身勝手な感情です。「脳」はわがまま。失ったものを美化し、都市に、コトに飽きた時だけ指向します。それは単なる嗜好と言えるかもしれない。お盆に帰省なんていうのは、その最たるものですね。
なんて考えていましたら、義理の叔父が栃木からやってきました。なななんと、55歳小学校の校長先生である彼、4日かけて自転車やってきたのです。コースはまさに私たち家族が車で走ってきた道。群馬から新潟、山形を通って日本海岸から内陸へ。信じられません。モノノケですわ。車で来てもけっこうだるかったのに。メチャ暑かったし。どうせなら、日本中帰省には自転車で、というのも面白いかもしれませんね。そのくらいの「モノ」体験行事にしますか(まず自分が無理っす)。
さて、話を戻しますが、蘇我と物部の対決を見てもわかりますように、蘇我の持ち上げた仏教は、舶来のオシャレな「コト」でした。物部はその名が示すように、古来の「モノ」、すなわち神道を堅持しようとしました。そのあたりのせめぎ合いが、ここみちのくの地でも垣間見られるわけです。
山、すなわち「モノ」社会では、お盆のお墓参りは朝早ければ早いほどいいとのこと。里、すなわち「コト」社会では、近所の皆さんを観察する限り、やはり都会式でして、夕方に提灯を持って墓地に行き、そこから迎え火の種をもらってくるようです。うん、かなり「コト」化が進んでいる…なんて、お釈迦さまに怒られますね。
まあ、そんなわけで、本当はいろいろと写真つきで紹介しようと思ったのですが、睡眠不足とお酒の影響でしょうか、すっかり写真を撮るのを忘れてました。よって、上の写真はウチのモノノケどもの狂乱ぶりです。なるほど、子どもはモノノケ、山(田舎)か。大人は「コト」化、都市化が進んでいる。たしかに、神道は子どもっぽいところがたくさんあるよなあ。神様自身もそうだし。それに比べると仏教はソフィスティケイトされてるとも言えますね。
ああ、文章がモノノケだ。では、おやすみなさい。
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