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2007.07.19

『樹海の歩き方』 栗原亨 (イースト・プレス)

87257437 いちおう青木ケ原樹海の辺縁部に住む者として、この本はいつか読まなきゃと思っていたんですが、いつのまにか絶版になってしまっていて読まずじまいだったんです。最近、ようやく程度の良い古本を見つけたので買ってみたのですが…。
 程度の良いという意味は、巻末の袋とじを開けていないということです。そこには樹海で発見された死体の写真が多数掲載されているからです。結果として、読了ののち、その袋とじを開けることはありませんでした。ま、開けなくても見えちゃうんですが。
 筆者は「廃虚の歩き方」なんていう本も書いている方でして、そちらはなかなか面白かった。私もなんとなく「もののあはれ」を感じさせる廃虚や廃軌道なんかに興味を持っていますから。
 で、この本もその延長線上にある本なんですね。だから、こういう内容になっても仕方なかったのかもしれません。「廃人の歩き方」ってとこでしょうか。
 筆者にせよ、読者にせよ、実はそこに興味があるんですね。ま、簡単に言ってしまえば「死体」を見たいと。日常ではそうそうお目にかかることのない機能停止した人間。死体に限らず、ふだん見ることの能わざる「モノ」を見たい、ちょっとこわいけど見てみたいと思うのは、これは人情であって否定すべきものではありません。私自身にもちょっとはそういう趣味はあります。
 しかし、私のように、実際その周辺に住み、また、それなりに樹海を歩いて、違った意味の「歩き方」を知っている人間としてはですねえ、この本の内容はちょっと許せませんね。もちろん、これは趣味の問題であり、価値がないと言っているのではありません。需要があるから仕方ないのもわかります。でもなあ…。
 さっき書いたように、栗原さんの趣味は「廃○」にあるので、当然そっちに目が向くわけです。一方私は、生きている樹海、生命力に満ちた樹海にも、大いに興味を持っているんですね。だって、こんなに若くてピチピチした原生林は、世界中探してもそんなにないですよ。年齢は千歳かそこらですから。自然の森としては大変に若い。
 この本には、そうした視点の記述は皆無です。植物はあくまで人間の侵入を阻むものですし、あるいは首つりのヒモをかけるための存在、あるいはシャレコウベを覆う苔にしかすぎません。動物も死体をむさぼるハエやアリやネズミやカラスしか登場しません。ま、彼らも生きるためにそうしているわけで、それもまた生命力とも言えますけどね。
 樹海って、この本で紹介されているようなところではないですよ。もちろんそういう部分もよ〜く知ってるつもりですが、それにしてもやっぱりそれだけではない。私にとってはもっと違った意味で楽しいところです。美しいところです。神聖なところです。
 こういう本が売れてしまうと、フツーの人は樹海に近寄らなくなります。そういう趣味の人や、実際「廃人」になりたい人しか来なくなっちゃいますよ。
 そんなわけでこの本、内容には偏りがありますし、自然科学的、あるいは文化的な考証も正直お粗末、おまけに初版本だからでしょうか、前半ほとんどの「確率」が「確立」になっていたりと誤字誤植も多く、正直途中でうんざりしてしまいました…とか言いつつ、20分程度で一気に読んでしまいましたが(笑)。
 袋とじ以外にも、もう一つ付録がついています。巻頭の「樹海完全マップ」です。これにも大変期待していたのですが、これのいったいどこが完全なのでしょう。たしかに私の知らない道も描かれていたり、知らない物件も載っていたりしますけど、たとえばこれを持って樹海に入っても、それこそ死体に遭遇するのがオチでしょう。たとえば洞窟なんかほとんど載っていません。
 というわけで、この本を読むんだったら、こちら『富士霊異記 五湖・山頂・樹海の神秘』を読みましょうね。中身の濃さが違います。
24851_c160 ああ、そうそう、5月の終わりに、ご近所の安倍総理が樹海エコツアーに参加してましたね。ゴミ拾いしたとか(10分ほど)。「美しい国、美しい富士山」とか言って。ちょっと考えればわかることですが、今の樹海は残念ながら「格差社会」の成れの果て、地獄の終着点です。そんなところであんなパフォーマンスするから…。その翌々日でしたっけ、松岡利勝農相が首つり自殺したのは。おにぎり食ってる場合じゃないっしょ。

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コメント

 説明するのが難しい感覚なのですが、私は大いなる自然を前にしても、廃墟や巨大な人口建造物を見ても、同じような虚しさを覚えるのです。(完全に同じではなさそうなところが、説明しがたいのですが。)栗原さんの著作は未読なのですが、彼にも同じような感覚があるのかもしれないなと、なんとなく思いました。
 20年以上前の話ですが、私鉄から望む横浜の風景といえば“海”でした。当時「みなとみらい 21」という、ふざけた名前の開発計画がありまして(平仮名かよ!)、その広大な海を埋め立て街にする計画に対し、現実離れした未来的なイメージに畏怖の念すら抱いたものです。
「十五年後、目の前のこの海が街になっているって? おいおい、そん時の俺は三十超えてるジャン! どうなっちゃってんの俺?」
高校生だった自分にはあまりにも遠い未来の話でした。現在となり、そこに建設された巨大な建物群は、例え数百年の風雪に耐えることが出来無くとも、生まれながらに遺跡の風格を備えています。虚しさにおいて。

 そんなことより気がかりなことが! 最近、庵主様ったら各方面に気を遣い過ぎかとw もっと好き放題に言いたいこと逝っちゃって!w コメントなんか放っとけばいいんだ~っ!

投稿: LUKE | 2007.07.20 16:07

LUKEさん、こんにちは。
そうですね、誰かも言ってました。
夜の丸の内なんかにポツンといると自然の中にいる恐怖感があるって。
わかるような気もします。

そんなことより、LUKEさん、ホントのこと言っちゃわないでくださいよ。
今日の記事なんか、書きながら気持ち悪くなりましたもん。
そう、「たしかに…」とか「もちろん…」とか、これじゃあまるで大嫌いな樋口裕一の小論文じゃないか!ってね。
ただねえ、最近このブログもちょいと名が知れたのか、いろんな人が見るようになりましてね、コメントだけじゃなくて(コメントは全然いいんですけど)、いろいろあるにはあるんですよ。
ご本人様方とのご縁もいろいろあったりして。
で、立場上、職場や教え子に迷惑もかけられないので、ついつい弱気の発言になってしまうんですね。
基本的に気が小さい人間なんで(笑)。
いやあ、メジャーになると毒やトゲが抜けちゃうアーティストの気持ちがわかりましたよ…なんちゃって。
ま、しばらくはこんな感じでやってくしかないですかね。
でも、そうしてるうちに人気がなくなってしまう…うん、まさに芸能界みたい(笑)。
それでも、微妙に地雷をしかけていきますので、今後ともよろしくお願いします。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.07.20 17:04

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