『偽装国家〜日本を覆う利権談合共産主義〜』 勝谷誠彦 (扶桑社新書)
最近もひき肉の偽装がありましたね。その前にも、姉歯やらパロマやら不二家やら三菱自動車やら、数え上げたらキリがないほどの偽装だらけ。高校の単位偽装なんてのもありましたっけ。
最初に言っておきますが、これら偽装やら利権やら談合やらを糾弾する勝谷さんの文章もまた、偽装に満ちています(笑)。私の文章と同じですよ。
いやいや、私も尊敬している勝谷さんです。私の駄文とは中身の重さは違いますよ、もちろん。でも、何が同じかって、逃げ方ですよ。うまく偽装して逃げてるんです。
さっきの私の文、勝谷さんの偽装を糾弾した文の最後を見てください。よく見かける記号がついてますよね。そう、「(笑)」です。これです。
この本でも各所に配されている「(笑)」。そのタイミングも絶妙です。舌鋒鋭く核心に迫らんとする、その瞬間に現れるこの「(笑)」。うまいですね。「(笑)」の長年の使い手である私も、正直感心するやら、ちょっとムカツクやら。
(笑)…これは実にいやらしい。私もよく使うんで本当によく分かります。これはまさに談合なんですよ。ニヤニヤ笑って利権を守るんです。不特定の誰かにニヤついて「ねえ、談合しようよ」って迫る記号なんですよ。
「今、オレやばいこと(本当のこと)言っちゃったけど、ま、半分冗談として受けとってくれよ。マジで怒っちゃいやよ」
ですから、勝谷さんにしても私にしても、(笑)を使う瞬間というのは、実は一番言いたいことを言ってるんですよ。なのに、なんとなく冗談ぽく、三枚目ぽく「偽装」することによって、自らの責任を回避しようとしている。発言者としての義務を全うせず、テキトーに逃げてるんですよね。勇気がないんです。
そんなわけで、(笑)というのは、うまく機能しているうちは、筆者にとっては実に便利な記号なんです。読者との談合成立、筆者の利権は守られる。まあまあ、なあなあ的世界。
最近ニュースになった多くの「偽装」もその「まあまあ、なあなあ」のためのものでした。でも、そのぬくぬくして腐りきったニヤついた世界に、誰かが針を刺した。それでドロドロの中身が出てきちゃったわけですよね。
そういう刺す人、つまりホントのことを言ってしまう人は、世間では「偉い!よく言った」とか「正義の味方」とほめられることもありますが、逆に「痛い人」とか「空気を読めない人」とか「野暮な人」とか非難されることもあります。また場合によっては、ある筋の方々から刺しかえされる可能性もあります。(笑)というのは、刺す人にとっては、そういう刺しかえす人の魂を鎮める魔法の呪文みたいなもんなんです。保身のための道具なんですね。
で、その道具がうまく機能しているうちは、そりゃあ便利ですよ。言いたいことだけ言って、それであとは逃げられるんですから。でも、あんまり魔法も使いすぎると、だんだんそれが魔法だということがバレてくる。なんとなく、腹立たしくなってくる読者も現れるんですよ。今回の私は、自分のことを棚に上げてそういう読者でした。最後はちょっとムカついた。まるで自分を見ているようでイライラしてしまった。逃げるなよ!言い逃げ、やり逃げは男らしくないぞ!と。
なんなんでしょうね。私たちの世代の特徴なんでしょうか。偉ぶってるクセに実は自信がないんですよね。相手を糾弾したいくせに、自分は糾弾されたくないという、まあなんともカッコ悪いですなあ。ふぅ。
なんて言いながら、最後まで自己保身、利権を守るために、皆さんを談合に巻き込んでしまいますが、まあ例えば私は「ブログ」という媒体で発信してますからね、お金をとる書籍とは違って、「まあまあ、なあなあ、ぬくぬく」でもいいじゃないですか…なんて言ってみたりして(笑)。←出た!つまり、ここ本心。
「偽装国家」の内容からずいぶんと離れてちゃったな。ちょっと話を戻します。
実は私は「利権談合共産主義」というのも必要悪だと思ってるんですよ。土建屋さんが談合をしにくくなったために止まってしまった小さな公共工事もたくさんあるわけでして。いつも言うようにアメリカ式の何でもガチンコはあんまり好きじゃないんです。「まあまあ、なあなあ、ぬくぬく」でも、その利権が拡張されていけば、それはそれで理想的なシステムになりうるかもしれませんから。
第一、勝谷さんも指摘するように、糾弾する側である警察やマスコミや政治家こそが、スーパー利権談合体質なわけでして、それじゃあどうしようもないっすよね。そして、その偽善者を糾弾する勝谷さんもまた、(笑)によって談合を要求してくる。そしてそして、その勝谷さんを糾弾するワタクシに至っては、もう最初からこんな調子ですから(笑)。私はこんな日本が実は好きです。
Amazon 偽装国家
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コメント
真性自分に甘く・他人に甘く。で生きてこうとしていた
(今までも結構そう?!)私からしたら、(笑)←は結構重要
な要素に思いますねえ。とかく、ホントのこと、
正しいことを言うときはついイキリたってしまいます
からねー(笑)。
投稿: 庵主セコンド | 2007.07.06 08:32
セコンドよ、いいこと言った。
みんな自分に甘く人に厳しいんだよ、まったく。
実は(笑)も談合も、危ういシステムなんだよな。
もし刺されたら、その時は生贄になるという覚悟が必要だから。
そして,祭が終われば、再び日本的日常が…。
やっぱ、総合よりプロレスだって。
プロレスって良き談合の象徴だよ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.07.06 08:47
むかし看板屋で働いていた頃、とある役所のエレベータ内にある、各階案内板の修正の仕事を請け負ったことがあります。部署の配置換えが良くある役所でした。毎回いただいているということもあり、金額にして数千円のお仕事。で、本来でしたら見積りして、お役所で稟議を通してから作業、後に請求書を出すというのが一連の流れなわけですが、実際は、見積書は請求書と一緒で構いませんでした。要するに、どんな小さな出費でも見積もりを精査したという体裁が必要なわけです。しかも見積書には必ず「アイミツを一通付けてくれ。」と言われます。このアイミツとは、相見積もりのことで、本来は複数の業者から見積もりをとって比較することを言いますが、「一通付けてくれ」とは、「他の業者の見積もりも、あんたのところが用意してね。」という意味です。一見とんでもない話ですが、看板屋仲間同士でちょっと高めの見積もりを書いてあげるのは日常茶飯事。ミニ談合です。とても良い慣習とはいえませんが、談合は皆禁止! となれば、相当効率の悪い世の中にもなりかねません。業者に自由競争させて数百円の節約が出来たところで、精査に数千円のコストがかかっては本末転倒ですから。...長くなりそうです。(^_^;) 要するに程度の問題なんですね。
談合を完全になくしてガチンコの世の中のなると、もっと偽装事件が増えると思います。コストを下げるもっとも安易な方法は、品質を落とすことです。別に談合を支持したいわけでもないのですがね。
投稿: LUKE | 2007.07.06 22:56
アメリカはガチンコというのも幻想ではないかと考える今日この頃です(笑)。
投稿: 貧乏伯爵 | 2007.07.06 23:37
LUKEさん、おはようございます。
リアルなお話ありがとうございました。
私の言いたいこともまったくその通りでございます。
ちょっと極端な書き方をしましたが、実際はやはり「程度」なんですよね。
人間はどうも両極端が好きなようでして、いけませんねえ。
ガチンコになるともっと偽装が増えるというのは確かです。
もっと悪質で巧妙な偽装ですね。
ヌルヌル秋山みたいな…あっ、あれは全然巧妙じゃなかったか(笑)。
貧乏伯爵さま、どうもです。
そうですね、アメリカ自体、巨大な利権団体ですからね。
まさに独善的で巧妙な偽装ばっかりです。
ガチンコを標榜すると、結局さらに悪質な偽装を生むといういい例なのかもしれませんね。
誰かが刺さないとダメですかね。
アメリカン・プロレスはいいんだけどなあ…。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.07.07 07:50
利権談合がなければお金は下々にまではまわらないんですよね。
官僚の天下り組織そのものが代表例だとおもいます。すべての公務員が安心してくらしていけるための壮大なムダ機関の創造がいらない組織の創設だったとおもいます。
民間はムダがとりはらわれつつあり、合理化によって、中間に利益がたまらず上と下のみになりつつあるということでしょうか。
投稿: ss | 2007.10.10 16:50
ssさん、こんばんは。
コメントありがとうございました。
そうですね。ムダを排除するという時の「ムダ」というのが、何を基準としているのかということです。
いったい誰にとってのムダだったのでしょう。
あるいは、その誰かにとっても本当にムダだったのでしょうか。
長い年月をかけて出来たムダ、なくならないムダの中には、それなりの意味を持ったものもありそうですね。
最終的には、物やシステムがムダなのではなく、それに関わる人間(個人)がムダだったのではないでしょうか。
それなのに矛先は物やシステムに向かっちゃったんで、いろいろ問題が生じてるんだと思います。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.10.10 21:36