« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007.04.30

レミオロメン 『RUN』

Run 「蛍」とダブルA面、しかし曲順が違うということでして、う〜む売り方としてはずるいな(笑)。
 ま、ビートルズなんかでもダブルA面というのはありましたけど、あれは裏表どっちから聴くか自分で決められましたからね。CDも両面に記録すればいいのに。
 で、さっそくフライングして聴いてみました。ほ〜、これこそビートルズではないか。わかる人にはわかると思いますが、全編にわたってブリティッシュ・ポップ・ロックのテイストが効きまくっていますね。
 まずはAメロですが、これはホント常套手段の和音進行でありまして、恥ずかしながらワタクシもあの幻の名アレンジ!?サザエさんロックバージョンでやってます(笑…私はマイナーキーですし、ベース音の置き方は違いますが)。これはビートルズ、特にジョンも大好きな展開でして、のちにもビートルズフォロアーのELOほか、特にブリティッシュではよく使われています。日本でもワタクシをはじめ(?)、ついやりがちなパターンですね。
 特に今回のレミオロメンでは、その部分に乗っかってるメロディーの「上位で〜」の「〜」のところの節回しが、完全にビートルズしてまして、好きな人にはたまらないでしょうし、知らない人にも気持ちよく聞こえることでしょう。
 Bメロはちょっとはっきりしませんが、うまい具合にサビへの転調を誘っていると言えば誘っています。
 で、サビ行きましょうか。これを聴いて、今度は「吉井和哉」を思い起こした方、正解です。もちろん、この最初の展開、えっとⅠ→Ⅲ→Ⅳ(あるいはⅥm)というやつですね、これは吉井さんが好んで使うヤツです。吉井さんに限らず、ギターで曲を作る人にとっては自然な展開なんですが、独特の感じを与えるんですね。クラシックの世界では時々スパイス的に使うくらいで、どちらかというと露骨にやらない方がいいと言われるコード進行です。で、そこに「RUN、RUN、RUN…」という歌が乗っかってるんで、ますます吉井さん、あるいはイエモンぽく聞こえます。昨年末のライヴこの前の共演で、それなりに影響を受けているんでしょう。
 もちろん吉井さんの音楽的ベースはブリティッシュにありますから、ここでも今回はブリティッシュしてると言えるわけです。となると、当然ミスチル風であるとも言えるわけで、たしかに今回はレミオロメンらしいというよりは、誰かっぽいという感じかもしれません。
 今回は久々にストリングスの音は聞こえてきません。ストレートなバンドサウンドでスッキリしています。きっとライヴ映えするでしょうね、このたぐいの曲は。
 正直、歌詞やPVはよくわかりませんが、「蛍」との対比ということでは、こんなノリもありなんじゃないでしょうか。
 というわけで、特に名曲ということではないかもしれませんけど、ブリティッシュ好きなワタクシにとっては、自然に耳に入ってくる楽しい曲でありました。
 ここまでのところ、次のアルバムはなかなかの名盤になる予感が…てか、こういうシングル先行のアルバム作りには抵抗あるんですけどね。日本の音楽市場の性質上仕方ありませんが。

YouTubeで聴く・観る

Amazon RUN

不二草紙に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2007.04.29

『不滅の国際プロレス』 DVD BOX (ポニーキャニオン)

Kokusai 5枚組収録時間900分…今、どうしてもほしいDVDです。まだ買ってません。でも、買っちゃいそうでこわいんで、ここに書いて誰かに止めてもらいます(笑)。
 一番止めてくれそうな家の者まで、買え!買え!とせかすんで困るんですよ。彼女はテレ東ネットなんてもちろんない田舎の出身ですし、だいいち1974年と言えばまさに彼女の生まれた年ですから、この国プロの全盛時代(にして末期)の映像なんか一度も観たことないんです。でも、国プロ崩壊後、このそうそうたるレスラーたちは、新日や全日に「殴り込み」をして糊口をしのいでいたわけでして、そういう姿は知ってるんですね。
 私はもちろん観てました。子どもながらに、猪木や馬場の会社の雰囲気とは何か違うな、これは何か妖しい、ということに気づいていました。正直、見てはいけないものを見ているような、ある意味見世物小屋的な世界と言いましょうかね、非日常的な空間と時間に引き込まれて行くような、そんな気持ちがしていました。
 私は今の洗練されたプロレスも大好きですが、昭和の古き良きプロレスも大好きです。全日の試合はけっこうビデオに録りためてありますし、新日についてはレンタルで観たいものは観ました。でも、国プロについては、自分の妖しい記憶をたぐりよせて不思議な気持ちになるだけで、もうたぶん観ることはないだろうと諦めていましたから、このDVDが発売されるという噂を聞いた時は、正直鼻血が出るほど興奮しました。
 TBS時代の映像はすでにDVD化されていたんですけどね、その頃は私ほとんど観てませんでしたから、食指が動きませんでした。しかし、まさかテレ東時代のものが発掘されて商品化されるとはねえ…もう映像は残っていないというのが定説でしたから。
 もちろん、国際プロレスの試合、往年の名レスラーたちの試合を観たいというのもあります。しかし、それ以上に、あの少年の尋常ならざる胸騒ぎとはなんだったのか、それを確認したい、さらに昭和という時代の終焉への道、特に高度経済成長である意味頂点を極めた後の、あの独特のアンニュイ感(しかし妙にエネルギッシュなんだよな)を、今客観的に観てみたいという気持ちが強くあります。
 私の「モノ・コト論」的に言えば、彼らは「モノノケ」なのです。その後の日本は高度に洗練され、「モノ」の排除を押し進めました。「コト化(デジタル化、情報化、均質化、都市化、脳化、オタク化、自由競争化、経済至上化、欧米化などなど)」の推進ですね。プロレス界も「スポーツ化」を余儀なくされ、しまいには「総合格闘技」なんていう「コト」の権化に呑み込まれるまでになってしまいました(大相撲も全く一緒)。
 私はそういう趨勢に一抹の寂しさを感じるんですよ。ですから、古き良き昭和(あるいはもっと昔もですね)を懐古したい、いや懐古するだけでなく、そこから何かヒントを得たいんですよね。大切なモノを思い出したい…。
 なんて、一生懸命語ってますね(笑)。つまり、いろいろ理屈をつけて買いたいんでしょ。ホントは理屈抜きにただ観たいんですよ。妖怪ショーを観たいんですよ。
 内容は下のリンクにある通りです。すごすぎます。う〜、ダメだ〜。我慢できないよ〜。さらに、4月限定で26%offだって!?ということは、あと24時間くらい…誰か止めてください!

DVD紹介サイト

Amazon 不滅の国際プロレス

不二草紙に戻る

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2007.04.28

『ルクセンブルクの歴史−小さな国の大きな歴史』 ジルベール・トラウシュ (原著), 岩崎允彦 (翻訳)

Luxembourg 宿泊学習会ということで、いつもなら寝ているべき時間に起きています。もう完全に電源が落ちてます。待機電力だけでなんとか生存している感じ(笑)。と、そこに生徒が難しい質問を持ってくる…。
 こんな時はユンケル黄帝液を飲みましょう。ああそうそう、ユンケルと言えば、ルクセンブルクの首相、ユーロの立役者、ジャン=クロード・ユンケルですね。で、今日はユンケル飲みながら「ルクセンブルクの歴史」を読みました(だいぶ思考が錯綜してますね)。
 ヨーロッパの皆さんにも半ば忘れられた存在であるルクセンブルクについて、なんで今ごろ勉強しようかと思ったのかといいますとですね…別に意味はありません。というか、勉強しようと思ったんじゃなくて、半ば強制的に勉強しろと言われたのです。
 私が担当しているコースの新入生にですね、ルクセンブルクからの帰国子女がいまして、彼女がもっとルクセンブルクについて知ってほしいということで、この本を貸してくれたのです。まあ、そう言えば名前と「小さい」ということだけは知っているけど、いったいなんでそんな小さい国家が成立したのかはたしかに知らない。また、小さい割に国力はけっこうあるというイメージでしたので、そのあたりの事情というのもたしかに気になる。こういう機会でもないかぎり、一生行くことはもちろん、一生よく分からないで終わってしまうのではないか。そんなふうにも思いましてね、それで、じゃあ読んでやりましょう、ということになったわけです。
 読んでみますと、なかなか面白い反面、なかなか面白くない。面白くない原因はその歴史自体や著者自身にあるのではなく、もちろん、私の世界史嫌いに由来します。どうもだめなんだよなあ。高校時代のトラウマが消えない。
 面白いのは、その激動の歴史です。これはたしかに大変だったなと。数百年の間に、もう説明のしようがないほど、周囲の国々に侵略され、翻弄されています。しかし、結果としてあのような小国(神奈川県や佐賀県と同じくらい)が立派な独立国家(大公国)として認められ、それどころかEUの立役者になったり、一人当たりの国民総所得が世界一になったりしている。これは、いったいどういうことなんでしょう。
 本当に簡単に説明できない複雑な状況なんですが、とにかく、隣国のドイツ、フランス、ベルギーはもとより、オランダやハンガリー、チェコ、スペイン、オーストリアなどが、この小国を併合しようとしたり、あるいはいろいろと牽制したりしたわけですね。で、複雑すぎて、私はその流れが分からなくなってしまってるんですけど、結局のところは、その周囲の力関係が微妙というか絶妙であり、ある時は引っぱりっこをされるし、またある時はそれぞれの眼中になくなったりするんですね。それで多少の誤差はありますが、その力関係のベクトルの総和がけっこうゼロに近くなったんじゃないのか。
 でも、ベクトルの総和はゼロでもエネルギーとしては相当の総和量になっていますから、それなりのテンションが生じます。それで、ルクセンブルク国内ではナショナリズムが強化されていった。
 こんな感じで、あの小さな国がある意味生き残り、現在に至っていると。そして、そうした外部からの力を吸収して、独特のコスモポリタニズムや「根性」を培っていったんじゃないでしょうかね。いわば偶然の産物です。運命的と言ってもいいかもしれない。一「伯爵領」が世界を動かす小さな巨人になるなんて、中世のルクセンブルク人たちも夢にだに思わなかったでしょう。
 そう考えてみますと、これはまあ周囲からの影響の極端に少なかった日本史と見事に対照的ですね。しかし一方では、(対照的ではあるが)地理的条件が両小国を救ったとも言えるわけでして、なんとも興味深いコントラストとアナロジーを感じずにはいられません。面白いですね。
 自然的、人的資源の乏しい小国が、現代においてどのようにその存在意義を保っていくか。国際政治、経済、軍事などの面におけるルクセンブルクの現在のあり方というのも、もしかすると日本にとって非常に参考になるのかもしれません。小国だからこそできることに目を向けるのも大切なことなのです(まあ、日本を小国と言えるかどうかは微妙ですけどね)。あと、ナショナリズムとコスモポリタニズムの関係(共存)を考えるのにも参考になります。
 さあ、がぜんルクセンブルクという国に興味がわきました。生徒もとてもいい国だったと言います。ちょっと行ってみたいような気もしますね。日本の歴史もある意味神懸かり的ですけど、ルクセンブルクのそれもかな〜り神懸かり的ですからね。なんとなくシンパシー感じるのですよ。
 ああ、そうだ。あのSkype、ルクセンブルクの会社の製品なんですよ。知ってましたか?

Amazon ルクセンブルクの歴史

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.04.27

追悼ロストロポーヴィチ 『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲』(DVD)

Ros91 失意の内にも学校行事は淡々と進んでいきます。新入生歓迎球技大会が終わり、そのまま宿泊学習会へ。文武両道を目指すとは言え、あれだけ運動したのち夜半まで勉強する生徒たちのパワーには、感心させられるとともに、こんな折には勇気づけられますね。
 そんな中、また哀しいニュースが入ってきました。カザルスに匹敵すると言っても過言ではない偉大なるチェリストが亡くなりました。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…私は彼の演奏を一度だけ生で聴いたことがあります。もう25年以上前のことでしょうか。どこで何の曲を聴いたか、ほとんど覚えていません。ただ、プログラムの前半にカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのコンチェルトがあって、それがものすごくカッコよかったという記憶だけが残っております。そして、チェロの音ってこんなに大きいのかと。
 その後の記憶と言えば、やはりあのベルリンの壁崩壊の時の、その壁際でのバッハ演奏でしょうか。ニュース映像か何かで観たのだと思うのですが、それまでの彼の受けてきた政治的仕打ちのことを考えると、涙が止まらなくなりました。
 さて、今日おススメするのは、ベルリンの壁崩壊後に録音、撮影されたDVDです。ここにはバッハの無伴奏チェロ組曲全曲が収められています。私はテレビで放映されているのを観ました。それがいつのことだったか、それもまた定かではありません。しかし、不思議と心に強く残っているのです。演奏のスタイルは、私の好むオーセンティックなものとはかけ離れていますから、正直音楽としてはあまり楽しめなかったのですが、そこで語られるいろいろなエピソードや、演奏上のヒントはとても面白かった。
 冒頭にカザルスに匹敵すると書きました。実際、カザルスにバッハの無伴奏を教えてもらった時の様子も、この映像作品の中で語られていたと記憶します。そのような音楽的な面だけではなく、ロストロポーヴィチは、ある意味カザルスの後継だったとも言えましょう。平和活動の面においてですね。それを良しとしない勢力からは、二人ともに反動的だととらえられ、亡命を余儀なくされました。音楽を通じて平和や自由のために闘う…一面においては音楽を政治的手段としたとも言えますが…という姿勢は、まちがいなくカザルスからロストロポーヴィチに受け継がれたのでした。
 そういう激動の人生の中で、数えきれないほどの音を奏で、そして亡くなっていったロストロポーヴィチ。彼は今の世界についてどう思っていたのでしょう。
 最後に印象に残っている彼の言葉を一つだけ紹介します。

 私たちが考えなければならないことはただ一つ、「自分は神に近づく階段を昇る行為をしているのか、降りる行為をしているのか」ということだ。

 ご冥福をお祈りいたします。

Amazon J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.04.26

フジザクラとミツバツツジ(2007)

click!
Sany0005 2005年にも紹介いたしました富士山麓のフジザクラとミツバツツジ(それぞれのエピソードについては、そちらの記事をご覧下さい)、今年もきれいに咲き始めました。今年は気候が不順でして、気温変動も激しく、全ての株がそろって満開という状況にはなりそうにありません。この前も雪が降りましたよね。ちょうどフジザクラのつぼみが開き始めたところにドカッと春の雪が積もったんです。富士山自体も、2年前の写真と比べますと、雪が多いですねえ。でも、このあたり、すなわち人の住むあたりは、今年は本当に雪が少なかった。不思議なものです。
 自然は毎年黙って一つのサイクルをこなしているように思えますが、こうして少しずつズレを生みながら、ある方向に進んで行くのでしょう。サイクルにしてリニア、つまりらせんを描いて時は進んで行くのでした。
 人間の生き方で考えてみますと、ついつい私たちは大きな変化、前進を待望してしまうものです。自分に対しても他人に対しても、ですね。本当は人間も自然の一部ですから、フジザクラやミツバツツジや富士山の雪のように、周囲の環境に合わせて自然体で変って行けばいいんですが。私たちは異常に自己愛が強いんでしょうね。
 そう言えば、秋田の山村でも、そういうことを体感しました。やはり自然に学ぶことは一つ、こういうことなんでしょうか。
 今夜は個人的には非常に辛いことがありました。人の命のはかなさに慟哭しました。とてもこれを自然の摂理として受けいれられないのも事実です。しかし、自然そのものがそうであるように、命はいろいろな形で引き継がれるに違いありません。心からそう思える日が早く来ることを願う自分と、いややはり何か違うと思う自分…ものすごく心が揺れています。
 すみません、今日はここまでしか書けません…。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.04.25

『ギュツラフ訳 ヨハネによる福音書』 (日本聖書協会)

現代版、語句の解説つき 抜粋朗読CDつき「善徳纂約翰福音之傳」
Gkjhsuppo 皆さん、ギュツラフさんという人が日本語訳した聖書をご存知ですか。今から170年ほど前のもので、最古の日本語聖書だとされています。この聖書、いろいろな意味で興味深いものです。
 この日本語訳を助けたのが、三吉と言われる3人の少年たちでした。彼らは船員だったのですが、乗っていた船が遭難し、1年以上も漂流を続け、結局アメリカに漂着します。そしてインディアンに捕えられ、各地を転々としつつ日本に送り返されます。途中立ち寄ったマカオで、オランダ人宣教師ギュツラフの世話になり、そして、彼に日本語を教えながら、聖書の翻訳の手伝いをしたのでした。
 彼らは尾張の生まれでしたので、この訳にも当時の当地の方言が反映されています。これは日本語史の資料として重要な意味を持っていますね。私はそちらの方面からこの聖書の存在を知りました。
 どんな感じか、有名な冒頭部分を引用してみましょう。

ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。ヒトワコトゴトク ミナツクル、ヒトツモ、シゴトハツクラヌ、ヒトハツクラヌナラバ。ヒトノナカニイノチアル、コノイノチワニンゲンノヒカリ、コノヒカリハ クラサニカヽヤク、タヽシワセカイノクライ ニンゲンワ カンベンシラナンダ。

いちおう、一般的な訳(新共同訳)も載せておきましょう。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

 ね、面白いでしょう。九死に一生を得た3人の少年たちが、のちにキリスト教徒となったこと、そしてそのことによって日本への帰国を許されなかったことを思えば、軽々しく面白いとは言ってはいけないのかもしれませんが、私にとってはかなりエキサイティングです。そう、冒頭の冒頭、有名な「はじめにことばありき」の部分が、一般的な訳よりもずっと本質をついているからです。
 私は「ロゴス」を「言葉」と訳すことに、かねがね異を唱えてきました。なぜ「言葉」に限定するのか。そこから様々な誤解が生まれていると感じてきたのです。では、私はこの「ロゴス」をどうとらえているかと言いますと、これはまさに人間の文明の原点だと思うのです。「ロゴス」を今風な英語にすれば「ロジック」です。「論理」「理論」「理性」ですね。「はじめに理性があった」すなわち「ハジマリニ カシコイモノゴザル」ですよ。
 もう少し私的なロジックで話を強引に進めますと、この「ロゴス」とは「コト化」の働きと言えます。渾沌たる「モノ」を修理固成して「コト」にする行為(あるいは発想)こそ「ロゴス」です。いつも書いているように、私は「モノ」を変化し続けるもの、不随意な存在としてとらえています。そして、「コト」は不変で随意的な存在。
 そう考えると、ヨハネ伝の「はじめにロゴスがあった」は、ちょうど「古事記(フル コト ブミ)」の冒頭が「もの」の固成から始まり、それを為したイザナキとイザナミがその瞬間から「ミコト」と呼ばれるのと対応しているとも言えます。つまり「ロゴス」とは「言葉」に限定されるべきものではなく、人間の根源的本能である「固定への欲望」を表していると考えるのです。
 東西の書に共通して面白いのは、その人間的な欲望がしょせん叶わぬものであり、叶うとすれば「神」によるしかないと考えたところです。しかし、のちには東西はかなり違う道をたどることになります。東では「コト」と「モノ」の力関係は拮抗したまま時代が進みます。「もののあはれ」が重要な価値観であったことからもそれがわかりますね。一方、西では「ロゴス」は「科学」を生み、人間が「コト化」の主役になろうとしました。それがうまく行ったか、あるいは行っているかはよくわかりませんが。
 さて、そんなこんなで、もう一度ギュツラフ訳の冒頭を見てみますと、「ハジマリニ カシコイ『モノ』ゴザル」ではなくて、「カシコイ『コト』ゴザル」の方がいいですよね。実はですねえ、このアイデアについては、東大の藤井貞和さんが既にどこかで述べていました。氏の「物語論」は私に大いに刺激を与えてくれますが、「モノ」と「コト」の考え方は私とちょっと違っています。私の方がずっと本質をついていると思うのですが(!?)、私には論文を書く根性がないので、正式な形で意見することができません。どうも私には「ロゴス」が欠落しているようです(笑)。
 おお、神よ、我に「ロゴス」のおこぼれでも何でもいいから、とにかく「カシコイモノ」を与えたまえ!!

Amazon ギュツラフ訳 ヨハネによる福音書

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007.04.24

『美少女戦麗舞パンシャーヌ 奥様はスーパーヒロイン!』 (テレビ東京)

Pan45 今日はどうにも堪えられず早退してしまいました。熱が下がらない。私にしてはかなり珍しいことです。てか、自分の病気で早退するのはもしかして初めてかも。
 そんなわけで、午後1時過ぎに家に帰ったら、上の娘もまた早退してウチにいるではありませんか!一家で風邪っぴきです。参った。
 で、居間にふとん敷いて寝てたんですね。下の娘も保育所から帰ってきて、なんだかんだ騒がしくゆっくり寝られない。そして5時半になりました。テレビをつけると始まったのは『美少女戦麗舞パンシャーヌ』。さあ、もう本格的に眠れません!私も娘たちも家内も呆気にとられて脱力してしまいました。
 ああそうだ、ここに書いておきましょう。すみません、どなたですか?私にこの「パンシャーヌ」第1回放映の録画DVDを送ってくれた方。あの〜、送り主が書かれてなかったんで、お礼のしようもなくて困ってたんですが。ぜひご連絡ください。
 いや、私、この番組が始まること知らなかったんです。で、そのDVDを拝見しまして、そのトンデモな魅力にすっかり取り憑かれました。私自身は、こうした不思議コメディーシリーズはあんまり見てこなかった。ポワトリンとかやってる頃には、もう社会人でしたからね。でも、一方では、あの磯崎亜紀子の「地球防衛少女イコちゃん」シリーズ(河崎実監督)を偏愛したりしてましたから、こういうチープな脱力どうでもいい系(+美少女系)コメディーは、どうも本能的に嫌いではないようです、ワタクシ。
 で、東映の不思議特撮シリーズを主導していた脚本家浦沢義雄さんが、同志である読売広告社の木村京太郎さんとともに、古き良き時代の家族で楽しめる実写コメディーを!ということで企画したのが、このパンシャーヌだそうです。それにしても、このパンシャーヌ、もうタイトルからしておかしいっす。28歳セレブにして「美少女」ですからね。当然その点につきましては、番組内でも頻繁にツッコミが入っております。
 その他、どうでもいいギャグの連発から、わざと超低予算ぶりを主張する衣装や演出など、本当にどうでもいいですね(笑)。そんなところが、実にたまりません。今回はテレ東ということで、さらにそのチープぶりが堂に入っていまして、こんな番組を平日の夕方にドカンと放映していいのか、ちょっと心配になるほどです。非常に貴重な存在でしょう。くだらなさもここまで徹底するとすごいですね。これは伝説の番組になりますよ。
 今日の放映、ゾンビもタヌキもズラも時代設定も映像効果も和歌もハチャメチャで、これはこれでシュールでアバンギャルドなアートとも言えるような気がしてきました。そんなこんなで、はっきり言って熱が上がりましたが、気持ちは元気になりましたよ。皆さんもぜひご覧下さい。まずは下記公式サイトで脱力してください。
 ところで、なんで変身するとき、「アンシャンレジーム・トリコロール」って言うんだ?「旧体制・三色旗」ってか?意味わからん(笑)。

パンシャーヌ公式

不二草紙に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2007.04.23

『こんなに楽しい江戸の浮世絵』 辻惟雄ほか (東京美術)

江戸の人はどう使ったか
Konnani 最高!面白い!勉強になるし、全編にわたり、やっぱりねと納得すること多数。この本は買いでしょう。
 まあ以前から江戸の文化には特段に興味を持っていた私ですが、特に先日さくらんを観てからというもの、その現代性というか、いや違うな、現代的なのではなくて、普遍的なんだよな、つまり、今も昔も人間なんてそうそう変らないと、そういうことに気づいて、俄然勉強したくなっちゃったんです。で、いかにもワタクシ好み風なこの本をまずは買いました。
 この不二草紙をご覧の方はよくお分かりと思いますが、まさに古今東西・硬軟聖俗、共時的にも通時的にも、人間なんてみんな一緒、いろいろと分節して分かったような気になるのではなく、全体を俯瞰して本質に迫っちゃおうというのが、私の基本的に姿勢です。
 ま、あの「萌え=をかし論」なんて、その最たるものでしょうね。あれに関しては、おかげさまで各方面から賛否さまざま賜っております。とりあえず、いろんな方の脳ミソに一石を投じることができた(なんか怖いなw)と。
 昔のものを今風に料理して見せるというのは、たとえばアカデミックな世界では禁じ手になっていますね。非常に安易な感じがするからです。でも、人間って1000年やそこらで大きく変ってしまうものなんでしょうか。
 今日も枕草子を授業でとりあげましたが、あれなんて、ホントいかにも女性的な「カワイイ〜」的感性の産物ですし、対する源氏物語も仏教的教訓で武装はしておれど、やはり女の子のミーハー心やエッチ心をくすぐるように書かれていますよね。誰ですか、あれらを高尚な文化に仕立て上げてるのは。あっ、我々教師たちか(笑)。
 ま、もちろん、私は全てがポップだとは言いませんけど、ただ一つ言いたいのは、「昔の人間の方が高尚だったなんて許せない!」です。そう、今も昔も男も女も、みんなスケベで、金や権力に目がなく、あやしい宗教とかについついだまされちゃう、そんなもんでしょう?そこを起点にして、つまり自分を起点にして、自分と彼らを分断しないで感じて行きたいんです。
 浮世絵なんか一番の被害者ですよねえ。芸術とか美術とか言われちゃって…。あれなんてまさにマンガやアニメと同次元ですよ。誰ですか、祭り上げちゃったの。あっ、フランス印象派の方々か(笑)。
 さあ、こんなんですからね、この本はまさに私のためにあるようなものですよ。サブタイトル「江戸の人はどう使ったか」とありますように、あくまで「実用品」として浮世絵をとらえます。観賞する芸術ではない。で、その解説や案内が実に洒落ている。まさに江戸以来の「洒落」の系譜上にある。
 監修者の辻惟雄先生は言うまでもなく、日本美術研究の第一人者ですし、実質メイン執筆者の浅野秀剛さん(SHUGO先生)や、彼をとりまく女性、田辺昌子さんや湯浅淑子さんも美術館や博物館のバリバリ学芸員でいらっしゃる。そういうある意味アカデミックな方々が、こうした本を作ったというのは、実に画期的だし、刺激的なことだと思います。きっと、研究の中での御自身の実感を具現化しただけだと思いますけどね。やっぱりそういうものだったと。
 みなさん、現代的でポップなカタカナ語や英語まで駆使して、浮世絵の魅力を掘り起こして行きます。ファッションあり、エロスあり、ホラーあり、ファンタジーあり、スプラッタあり…。たしかに今と全く変らない。繰り返しになりますが、これは江戸文化が現代的だったのではなく、単に今も昔も人間はそうそう変らないということですからね。そこんとこ間違わないように。
 今こうして当時の最先端の「商品」たちを見ますとね、まるでインターネットのなんでもありの世界に近いかのように感じます。欲望を情報に変換し、そしてそれで遊ぶ。ちょっと邪悪な心や秘密っぽいところを皆で共有しつつ、本能的かつ経済的な衝動を昇華していく。うん、これはまさち2ちゃんねる的世界だ。
 簡単に言えば「オタク文化」花盛りってことでしょう。そう考えますと、「萌え」と平安の「をかし」を結びつけた私は、今度はその間を埋める作業をしなくちゃなりませんね。人は無常なる「モノ(自然)」の性質から目を背けるために「コト(情報)」に執着するのだ…これを多角的に証明するのが、私のライフワーク(おおげさ?)だと思いますんで。
 しっかし、ホント面白いですね。妄想力で平和を保つ…これって最強でしょう。江戸は最強の平和を獲得していた。ああ、私なんか江戸に生まれたら良かったのに。きっとああしてこうして、ああなってこうなってただろうな…と早速妄想しております(笑)。

Amazon こんなに楽しい江戸の浮世絵

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.04.22

レミオロメン 『蛍』

Hotaru 音楽ネタが続きます。
 今日は教え子の結婚式。レミオロメンの3月9日を弾くことになっていたんですが、リハのために会場に行って進行表を見てビックリ。乾杯前に演奏することになっていたんです。披露宴でヴァイオリン弾くのはもう何十回目かでしょうが、そういうのは初めて。本番、さすがにちょっと緊張しましたけどね、私がつまらん挨拶するよりはずっと良かったんじゃないですか。私も弾きながらぐっと来ちゃいました。今日はなんか泣けたなあ。
 ウチに帰ってきて、レミオロメンの5月発売予定の新曲「蛍」を聴きました。やはり5月に公開予定の映画、「眉山」のテーマ曲です。
 一時いろいろな意味でちょっと心配だった彼らも、すっかり気持ち的に基本に立ち返ったようで、親心で見守っている私はほっと胸をなでおろしております。この曲もなかなかの名作ですね。言葉を大切にしていますし、メロディーも伸びやかです。のちに記すように彼ららしい独特の感性で作られた曲。最初に聴いた時から、すっと心に入ってくると同時に、心の中でふわふわ、もやもやうごめき出しました。
 私は「粉雪」に近い印象を抱きましたね。
 音楽的に分析してみますと、やはり藤巻くん独特の不協和音の扱い方の妙です。イントロも軟らかい不協和音を使っていますし、Aメロの「7月の」の「の」の音はまさに「7」の音です。その後も係留的なメロディーが続きます。和音進行自体は単純ですが、そういうスパイスの入れ方が絶妙です。本人は意識していなのでしょうが、ものすごく個性的ですね。
 その個性はサビで爆発します。このサビはすごい。粉雪もそうでしたが、最初は正直びっくりしました。全く予想外の展開。サビはどうしてもありがちな和音進行やメロディーになっちゃうもんですが、こういうのもあったのかと。全く新しい発見や発明を彼はしています。サビのメロディーの入りは「レ〜ラ〜」なんですが、コードは「G」から遅れて「Am」になります。「粉雪」もそうでしたが、一番高いクライマックスの音が、和音の外にあるんですよね。独特の浮揚感はここから生じます。第一、サビが属和音から入るなんてね。さらにビックリは続きます。サビの繰り返し、「レ〜ラ〜」がもう一度あるんですけど、そこのコードは今度は「F」から「C/E」です。一回目と違うんだ。それも今度は不協和音は解決しません…やられた~。
 その不協和音の連続、そして予想外のコード進行が、蛍のあのフワフワ感と儚さ、切なさを見事に表現しています。「粉雪」の時も誰かが言ってましたね、「粉雪」という小さくて軽いものを歌い上げちゃうところがすごいと。「蛍」も思いっきり歌い上げてますが、しかし、双方ともその歌い上げた音が「不安定」なんですよ。だから、単に力強くなったりはしない。新しい表現ですね。
 藤巻くん、そういうものを持って生まれたんでしょう。そして、あの自然の中で育った。自然は多くの不協和音の絶妙なバランスの上に成り立っています。都会化した「コト」ではなく、自然の「モノ」とはそういう性質のものです。思い通りにならないことの豊かさを全身に浴びて育った彼らの音楽が、こうして豊かな響きになるというのは全く納得できることですし、あの風景を思い出しながらそのことに思いを馳せると、こちらの心もある意味非日常的な震えを生じます。それがレミオロメン独特の感動なのだと思います。
 ああ、いい曲だなあ。売れる、売れないとか、そういうことではなくて、心に本当の意味で残る音楽だと思います。皆さんもぜひその豊かさを、理屈でなく全身で浴びてみてください。

YouTubeで聴く・観る

Amazon 

「RUN」の記事へ

不二草紙に戻る

| | コメント (10) | トラックバック (4)

2007.04.21

『ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集』 (ムローヴァ/イル・ジャルディーノ・アルモニコ)

VIVALDI: 5 Violin Concertos Victoria Mullova, Il Giardino Armonico
Onyx4001 これはすごい!ヨーヨー・マの時もそうでしたが、モダン畑で超一流の人が本気で古楽器を弾いてしまうと、もう正直かないません。
 ムローヴァさん、このアルバムでは古楽器界でも特別エキサイティングな存在、私も大好きなイル・ジャルディーノ・アルモニコとの共演しています。ムローヴァさんと言えば、20世紀にはチャイコフスキーコンクール優勝の美人ヴァイオリニストとして、普通にクラシックの世界で大活躍しておりましたが、いつごろからですかね、そして誰の影響を受けたのかわかりませんが、古楽奏法に興味を持ち始めまして、バロックタイプの弓を使うようになり、そしてとうとう完全なバロック・ヴァイオリンも弾きこなすようになってしまいました。
 最近では、たしかにモダンとピリオド双方を弾く奏者が増えてきました(いちおう私もそうかw)。イタリアなんか比較的昔からそういう雰囲気がありましたね。逆にイギリスやドイツやオランダ、ベルギーなんかには、モダンと古楽の間の壁が、長いこと存在していたようにも思います。日本でも最近では、楽器にこだわらない若者が増えてきまして、それはそれでいい傾向だと思います。いつも言うように原理主義はまずいんで。
 さあ、それでこの録音ですけれど、再び言いますが「スゴイ!」です。正確なテクニックにも正直嫉妬しますけどね、それ以上にこの表現や音色の幅、素晴らしいですね。やっぱりヴァイオリンって艶っぽい楽器ですよ。渋い音じゃあダメでしょ。それにこのくらい攻撃的じゃないとね。いや、冗談でなく、当時におけるヴァイオリン族の楽器って、エレキギターみたいなものだったと思うんですよ。だから、ガンバ族みたいに弾いちゃだめなんですよ。
 それを証明しているのが、私はヴィヴァルディだと思うんです。彼の曲について私が最近再評価していることは、先日こちらに書いたとおりです。つまり、ヴィヴァルディはロックしちゃったんですよ。初期バロックのイタリアの作曲家たちも奮闘しましたが、ヴィヴァルディのようなポピュラリティーは獲得できなかった。コレルリさんなんかは、ヴァイオリンの特性を生かしきれなかったのかもしれません。だから、何と言われようと、ヴィヴァルディこそが、現代ヴァイオリン音楽につながる太い系譜の根幹になっているんですね。
 そう考えると、ムローヴァさんたちモダンの出身者が、他のバロックの作曲家よりもヴィヴァルディに興味を持ち、実際演奏・録音するというのも納得できるというものです。そう、ある意味でヴィヴァルディはバロックという範疇を超えた存在だということです。やっぱり「バ・ロック」か!?
 で、実際このアルバムにおけるムローヴァさんの演奏は、専門の古楽器奏者のそれよりも、ずっと魅力的だし刺激的なんですね。第一「カッコいい」ですよ。「色っぽい」し。何度も繰り返し聴くというのもありだと思いますけど、やっぱりこういうのはライヴでガツンと聴きたいですね。それこそロックのライヴのような高揚感を味わえると思います。そんなことを妄想しながら聴くと、このアルバムはさらに魅力的になりますよ。バンドの方も相変わらずすごいですねえ。やるな、イル・ジャルディーノ・アルモニコ。本当にいつか生で聴きたいな。

NMLで聴く

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.04.20

iPod nano

Bts_banner_home070320 先日、MacBookを買ったという記事を書きました。そこにも少し話が出てきましたが、今アップルでは、←のような春の新入学キャンペーンをやってまして、これはつまり、Mac本体を買うとiPod nanoがもれなくついてくる、ということですね。こんなラッキーなことはありません。こういう時は先生は得ですな。
 で、今日そのiPodが届きました。もともとiPodには興味がなかったわけではありません。nanoが発売になった時にはこんなこと書いてますし。食べたいですって(笑)。ただ、そこにも書いてあるように当時は生録の問題と、それからバッテリーですね、私何度も繰り返してますけど、充電池、それも自分で交換不可能なやつって大っ嫌いなんです。だから、生徒のiPodはよく触ってましたが、自分では買わないと決めていたんです。第一私には最強(最凶?)のマシン粉爺がありますから(笑)。
 Nanoでも、ただでもらえるのなら、そりゃあもらいますよ。一番安い2Gので充分。色もシルバーが一番いいし。
 さて、早速使ってみましたよ。まあ、今までも生徒のヤツにいろんな音楽を入れる作業をやってきましたので、だいたいの操作感はわかっていましたけど、音はあんまり聴いたことなかったんですよね。あっ、ちなみに最近の生徒には必ずiPodなどのmp3プレイヤーを買わせます。なぜなら、センター試験でイヤフォンによるリスニングテストか導入されているからです。これは慣れが必要ですので。
 で、音質ですけど、まあ特に言うべきこともない。もともと私は128Kbpsでエンコしてますし、いかにも作られた感の強い、低音と高音を強調した今どきの「いい音」が嫌いですので、まあこういう可もなく不可もなくという音を聴きますと、けっこう安心したりします。
 ところで、イヤフォンにこだわって数万円のヤツを買って使っている人もいるようですが、それって圧縮オーディオにとってどの程度意味があることなのでしょうか。よくわかりません。
 iPodの売りの一つは「クリックホイール」でしょうね。これは実に気持ちいい。シンプルかつ直感的ですし、実際操作しやすい。なんか最初のうちは必要以上にクリクリというかスリスリしちゃいますね。iPodが売れた要因の何割かは、このホイールではないでしょうか。
 全体としても、大きすぎず小さすぎず、厚すぎず薄すぎず、重すぎず軽すぎず、絶妙な存在感ですね。ちょっと前までのは指紋がつきやすかったんですが、これは梨地のような仕上げになってまして、そのようなこともありません。
 バッテリーは24時間も持つんですか。こんなに小さいのにすごいですね。充電池嫌いの私でもこのくらい持つのであれば、多少へたっても不満に思わないかもしれませんね。
 というわけでして、たしかによくできてるわ。売れるわけだ。このiPod nanoは基本的にカミさんが使うのですが、時々私もクリクリスリスリさせてもらいますわ。
 iPhoneも近々発売になるとのこと。アップルもこうしてMac本体以外のところで稼いでいるわけでして、それはそれでちょいと複雑な心境にもなりますけど、家電やAVとパソコンの融合の時代はすぐそこまで来てますからね、外堀から埋めて行くっていう方法もありだと思いますよ。いや、まじでアップルの冷蔵庫とかテレビとか炊飯器とか、あるいはエレピとかほしいですね。
 
アップル

不二草紙に戻る

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007.04.19

アヴリル・ラヴィーン 『ベスト・ダム・シング』

Avril Lavigne 『Best Damn Thing』
B000na1txy01_sclzzzzzzz_v46029369_aa240_ 発売されたばかりのアヴリルの3枚目。早速聴いてみました。
 なんだかんだ言って全部聴いてるんですよね、彼女のアルバム。もとは生徒のおススメです。聴いてみますと、けっこうストレートでポップなパンクロック、でもちょっとメランコリックなメロディーや歌声で、なかなかいいなと。時々聴くようになりました。映像作品を観ると、ちょっとやんちゃな現代的女の子だけれども、どこか芯が通ってるような感じ。音楽に対する姿勢はなかなか真摯と見ました。実際の身長は小さいのに、とても大きく見える。何か発するものがあるんでしょう。
 さて、そんな彼女、昨年結婚しまして、たぶん幸せの絶頂の中でこのアルバムを作ったのでしょう。一聴して、過去の2枚と比べて「翳」の要素が少ないことがわかります。先ほど書いたように、彼女の魅力の一つがその微妙な「翳」であったなら、やや不満に思うファンもいるかもしれませんね。
 しかし、これだけはじけて、これだけ突き抜けていると、これはこれでスカッと気持ちいい。年度初めで忙しく、ちょっと疲れ気味のオジサンも少しは元気になります。
 私は彼女の熱狂的なファンではありませんから、こうしてこのアルバムも普通に受けいれられますが、「がっかり」なファンも多いでしょうね。いつも書いているように、思い入れが強ければ強いほど、その思い入れた「過去」に執着してしまうのが人間の性です。これじゃあアヴリルじゃない!と言う人もいるかもしれません。でも、これがたぶん今の彼女の本当の姿でしょうから、以前のような音楽を作れと言ってもそれは無理で、もしそうしたとしたら、それはウソになってしまう。彼女はデリック・ウィブリーとの出会いの中でこう変化したんですから、しかたありません。
 聴く側がついていってないだけ。これってよくあるケースです。ずばり言ってしまうと、アーティストと凡人のギャップなんですよね。彼らは常に前進していく、変化しようとしている。あるいは普通に人間として成長していく。その歩幅が我々凡人と違うんですよ。
 あるいは、私たちも人から見れば、変っているのかもしれない。自分にとっての変化は常に「ここにある」ので気づきにくいものです。
 で、アーティストは「作品」という不変の情報を何年かに一つずつ残して行くわけですから、それを聴きこむ私たちはどうしても「過去」の彼らの姿に固執していくわけですね。聴いているうちに印象が変ってくるというのもありますが、それは情報としての作品が変化しているのではなくて、聴いている自分の脳ミソの方が変化しているわけです。
 それに面白いのは、彼らは一つの作品を生み出したら、もう次のことを考えてるんですね。たとえば産み落とした作品を私たちのように聴きこんだりしない。しかし、私たちはそれを聴きこんでいく。そこにすでに大きなギャップが生じてるんですよ。これは、美術でも文学でもほぼ同じ状況です。
 表現者の難しいところは、そういった他人の無責任で利己的な「評判」とどうつきあうかです。私もこのブログで、それこそ無責任で利己的な批評をたくさん書いていますよね。私の戯言なんかそれほど影響はないでしょうが、塵も積もればなんとやらですし、第一今の経済システムにおいては、表現者の生活はその「評判」一つにかかっているわけですからね。非常に微妙な関係です。自分のやりたいことと、他人の要求するものが一致することは、芸術の分野に限らず、たいへん稀なことです。
 で、私からアヴリルへ(あるいは全ての表現者へ)アドバイスですが(笑)、やっぱり「やりたいこと」より「やるべきこと」を優先すべきだと思いますよ。ある意味、そこには「自分に対するウソ」が生まれるのでしょうが、いつも言っているように、他者との「縁」によって生起する自分の方に、実は本質的な「自己」があるからです。
 …と、とんでもない説教が始まってしまいましたね。すみません。
 とにかく、ザクザク感、トゲトゲ感、カゲカゲ感(?)の減ったアヴリルもまたアヴリルということで、私たち聴く側も上述した様々な事情を考慮しつつ、「過去」のアヴリルに固執することなく柔軟に他者を受けいれて行きましょう。「過去の他者」に固執することは、すなわち「過去の自分」に固執することですので。
 …と、また説教になってしまった。

Amazon Best Damn Thing

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.04.18

雪ぞ降りける…

0704snow 誰だよ〜、温暖化とか言ってるの(w)。なんですか、この雪は…。いやあ、びっくりしました…と言うよりヒヤヒヤしました。帰宅途中、上り坂で何度かスリップ&スタックしました。何台も車が止まってるし、ひどいのは路肩どころか谷に落ちてるし。今年は暖冬でしたし、先週末なんかポカポカでしたから、このへんの人たちもみんなノーマルタイヤに替えちゃってるんですよね。
 ちなみに私はスタッドレス履いたままです。こうなることを見越して…るわけなくて、単なる無精です。生真面目几帳面に休日をタイヤ交換に費やした皆さん、とんだ災難でしたね。こうしてたま〜にいい加減な者が勝つようにできているのです、世の中は。だから、やめられない(笑)。
 それにしても寒い。今現在気温は氷点下。湿った重い雪がしんしんと降り続いています。明日の朝、出勤できるか心配てす。冬足の私はなんとかなるでしょうが、いつも車で送ってもらってる生徒たちは大丈夫かなあ。昨夜あの雪と寒さの中で、再び冬足に交換した生真面目几帳面な方々もいらっしゃるでしょう。本当にお疲れさまです。
 4月に雪が降るというのは、この地方ではそんなに珍しいことではないんですけど、中旬すぎてこの量というのは、さすがに初体験です。たしかに気候としては異常とも言えます。地球寒冷化か?
 でも、晩春や夏に雪が降るというのは、歴史的に見ると結構普通のことだったりします。当地に残る古文書をひもとけば、旧暦の4月はもちろん、旧暦6月に雪が降り、飢饉の原因になったということがわかります。
 そうそう、夏の雪と言えば、これも忘れちゃいけない。万葉集の山部赤人の有名な和歌「田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」…新古今や百人一首での改訂(改悪)版が有名ですね…は、夏に詠まれたものだと推定されます。つまり、「ぞ〜ける」は意外なことに気づき驚いたことを表す表現なんですね。見ている場所は温暖な静岡の海です。たぶん暑かったんじゃないでしょうか。で、ふと富士山を見ると真っ白に雪が積もっている。その意外な事実というか、やっぱり「ギャップ萌え」かな、それで思わず歌を詠んだという感じなんです。げっ!めっちゃ寒そうやん。いや、涼しそうだなあ、ああアイス食いたくなった。この歌のそういうセンスというのが、どうも世間には理解されてないようです。ましてや、「降りつつ」なんてウソ臭過ぎてダメダメです。萎え〜。
 と、こんなこと冷静に書いてますが、正直「ギャップ萌え」ではありません。明日パンダちゃんは山を下れるんでしょうか。四駆のクルーズくんはなんとかなるでしょうけど、そっちはカミさんに乗っ取られたからなあ。なんとなくいやな予感がする…。

不二草紙に戻る

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007.04.17

MacBook+intel+Tiger+Tesla

Macbook01_1 愛機Pismoくんが突然死亡いたしました。なんと、ウチの黒猫がキーボードの上でゲロ吐いちゃったんですよ。あそこは温かいので、よく寝てたんですけどね。まさか吐くとは。で、その強力な酸性の液体のおかげで、完全にいかれました。セーフブートモードで起動はするんですけど、キーボードが使い物になりません。これは困った。
 まあ、Pismoくんも7年以上頑張ってくれたし、第一彼にOSXは荷が重かったんでね、これを機に現役引退、LC630、初代iMac、それとTownsなんかとともに、ウチのパソコン美術館入りしてもらいましょう。
 というわけで、急遽購入いたしましたのは、私にとっては初めてのIntel MacとなりますMacBook(竹)です。ちょうど新入学シーズンということで、実質上iPodがオマケでついてくるキャンペーンもやってることだし、ローンを組んで買うことにしました。こういう時は教育関係者で良かったと思いますよ。Education価格ですしね。助かります。
 今日早速本体が届きまして、セットアップをいたしました。幸いですねえ、Pismoくんは外付け起動で使ってましたんで、そちらから全部移植できましたから、セットアップ自体は30分くらいで終了。早速使い始めたんですが…。
 実はですねえ、予測されていたというか、もう分かってたんですが、私にとっては致命的な問題が生じたんです。そう、私は親指シフトでしか文字入力ができない社会的弱者(笑)なんですよ。で、今まではTESLAやOyayubiDriverという素晴らしい救世主さまのおかげで、全く問題なくOSXを楽しませていただいていたんですが、そのTESLAさまが残念ながらTigerに対応していないのです。これはもう本当に致命的です。仕方ない、ローマ字入力に切り替えようかとも思ったのですが、なにしろ作業効率が格段に下がり、1分150〜200文字打てたのが、なんと100字以下になってしまう。そして、なにより脳ミソの使いどころが違うのか、文章が全然違っちゃうんですよ。いや、文章じゃないな、発想が貧困になってしまう。これは本当に困った。このブログもとうとうやめる時が来たのか!?
 と思ったら、同じような悩みを抱えている方々が助け合って、なんとかしちゃってくれちゃってるではありませんか!!mixiやブログや2ちゃんや、いろんなところで救済策が紹介されているんですけど、私はこちらの記事を参考にさせていただきました。あせらず慎重に、書かれてあるとおりにやってみましたら、(当たり前ですが)見事親指シフトが使えるようになりました!わ〜い!皆さんありがとうございました。素晴らしい。
 MacBookのキーボード、なかなかタイピングしやすいですし、レイアウトも親指シフト向きです。ああ、これでなんとかブログを継続できそうです。
 さてさて、MacBookの方ですが、Intelになったせいで、いくつかのフリーソフトが動かなくなりましたけど、その他のアプリは問題なく作動いたしております。なかなか快適なようです。このMacBookは自宅用ですので、ほとんどカミさんが使うことになるでしょう。オマケのiPodもカミさんの名前を刻印してあげました。なんて、優しいんだろう(笑)。ま、しっかり仕事せい!ということでして。

不二草紙に戻る

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007.04.16

『哀しみのビートルズ』 三枝成彰編曲 ベリルン・フィル 12人のチェリストたち

『Menories』 Die 12 Cellisten der Berliner Philharmoniker
M0006006301 隠れた名盤発掘。10年ぶりくらいに聴きましたが、これはいい!ビートルズ編曲ものマニアの私としても、これはかなり許せる。これは生で聴いてみたいなあ。
 編曲は当時(1992年制作)お茶の間のオバサマ方に絶大なる人気を誇っていた三枝成彰さん。ジャケットもものすごくオシャレですし、音楽も限りなく美しく、これは「シゲさま」ファンならずとも、メロメロでしょう。
 三枝さん、アニメやドラマの音楽も多く手がけてますし、先述のとおりメディアへの露出も多かったので、クラシック界ではどうもこの人への評価は辛めでしたね。最近はかなり正当な評価を得るようになったと思いますが。まあ、今でもガンダム関係の収入は膨大なものになるでしょう。嫉妬する同業者の顔が目に浮かびますな。
 しかし、この編曲ワザはすごいですぞ。個人的には武満徹のビートルズものも好きなんですけどね、まあ三枝さんもクラシックというか現代音楽の作曲家というキャリアをお持ちなわけですから、武満と同じような路線を行っているとも言えるでしょうね。
 演奏は、あのベルリン・フィルの12人のチェリストたちです。彼らの演奏会には一度行ったことがあります。あまりのすごさに腰が抜けた覚えがありますよ。巧いのは当たり前。オケでの演奏とは違い、皆ものすごい自発性で弾きまくっていまして、とにかく実に生き生きした音楽でしたね。そして、チェロという楽器の表現力の豊かさ。ヴァイオリン弾きは常に嫉妬してるんですよ、実は。ホントはみんなチェロを弾きたいんです。
 さて、そうした凄腕シェフたちが料理しているのが、あのビートルズですからね。そりゃあおいしいに決まってる。まあ、あんまり凄腕が集まると失敗になっちゃうってこともよくありますけど、これは成功例でしょう。ぜひともクラシックファンに聴いてもらいたいですね。もっと注目されていいCDだと思います。
 三枝さんが解説で書いていますが、あえてビートルズからリズムを取り去ったと。メロディーだけ残したらどうなるか。たしかに編曲も演奏もあえてリズム感を消そうとしているのがわかります。ロックやポップスの命であるリズムを消しちゃう…考えてみれば過激なことです。
 たぶん、ほかのバンドの曲でこれをやっちゃったらヤバいことになるでしょうね。しかしビートルズのすごいところは、こんなことされても、しっかりビートルズであり続けるところです。作曲家としてのビートルズは超一流です。つまり美しいメロディーを作るということに関しては、武満もたしか言ってましたけど、クラシックの大御所、たとえばモーツァルトやシューベルトに匹敵するどころか、彼らを凌駕しているかもしれない。これもまたよく言われることですけれども、彼らは20世紀の民謡をたくさん作ったとも言えます。1000年、いやそれ以上歌い継がれるメロディーを一時期に大量に作ってしまった。
 三枝さんも、作曲家として作曲家ビートルズと対峙してみて、そのことを実感したようです。御自身は編曲という作業はあまり好きでないとおっしゃっていますが、なかなかどうして、立派なお仕事ですし、演奏家たち同様、かなり楽しんでいる様子が音楽から聴いてとれます。きっと、編曲を通じてビートルズからいろいろなことを学んだんでしょう。やっぱりすごいぞ、ビートルズ先生。
 それにしても、なんで「哀しみの〜」なんでしょうね。おばさま方へのアピールでしょうか。ちょっとニヒルでアンニュイな顔した三枝さんのイメージなんでしょうか(笑)。とっても楽しい音楽だと思うのですが。英語タイトルは「Memories」だし。なんかバブル崩壊直後の独特のムードを感じさせますね。この時、私は何やってたんだろ。15年前か…やっぱり泡がはじけてたな(笑)。
 では、いちおう最後に収録曲を並べておきます。

1. オール・マイ・ラヴィング
2. ガール
3. ミッシェル
4. アンド・アイ・ラヴ・ハー
5. 抱きしめたい
6. ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア
7. レット・イット・ビー
8. イエスタデイ
9. エリナー・リグビー
10. ヘイ・ジュード

Amazon 哀しみのビートルズ

不二草紙に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2007.04.15

第2回 レミオロメン聖地巡礼の旅(その2)

041501 さてさて、あらゆる意味で大盛り上がりだった1日目に続きまして、今日もまたさらにマニアックな旅が始まります。まずは、せっかくですから、満開の桜と富士と湖を満喫しましょう。私も長年こちらに住んでおりますが、これほどタイムリーで美しい風景は初めてであります。私たちが立ち寄ったスポットは、有名な撮影ポイントでありまして、こちらにも多くのマニアの方が集まっておりました。そう、写真マニアの皆さんですね。こちらは年配の男性が圧倒的に多いわけですが、ある意味熱さはレミオファンと変らないのかな、などと考えながら「なわばり」にお邪魔して私もデジカメを構えました。第一あそこでコンパクトデジカメはないですよね。いくら名機MZ3とは言え。それこそ聖地では空気読めない行為なのかも(笑)。
 さあ、顰蹙を買う前に、そういう所からは退散しましょう。そう、こういうファン行動につきものの「痛い」状況がないようにするのも、コンダクターの役割でして(?)、そういう意味では御坂でも気を遣うわけですが、しかしですね、ある意味そういうのは杞憂であるとつくづく感じた今日二日目の旅でありました。
041502 今日もまた、昨日に負けず劣らず濃いところを回ったんですが、それぞれの場所で地元の皆さんに本当に親切にしていただいたんです!
 こちらから厚かましく質問などしても、皆さん気持ちよく答えてくださりますし、いや、私たちの期待以上にいろいろ教えてくださったりする。なにより、皆さんの温かい笑顔と言葉に感動です。ああ、やっぱりこういう自然や人に囲まれて、レミオロメンの音楽は生まれ育ったんだな。旅人の皆さんは、つくづくそれを感じたことでしょう。
 いろいろなお店のおねえさま、おばさま、親切に道を教えてくれた駐車場整理のおじさん、花鳥山でウドの天ぷらを揚げてくれたおじさん、皆さん本当に心があったかくて、まあるいんです。ああやって、心から通りすがりの人に親切にできるというのは、本当の意味で心が豊かで余裕があるんでしょうね。ああ、この人たちは春の花々のように優しく美しい。木喰仏を思い出しました。
 最後の最後に立ち寄った土産物店で、偶然にもレミオメンバーの関係者である店員の方にお会いすることができ、お茶やお菓子までいただいた上に、いろいろ心に迫るお話をしてくださいました。旅人はみんな泣く泣く…。ああ、もう夢のような御坂の旅も終わりか、と思っていた矢先の偶然の出来事に、皆涙をこらえきれませんでした。そして、その方、突然飯田蛇笏の俳句をさりげなく紙に書き、旅人の一人に渡しました。何か一つ覚えて帰ってね。こういう風土が彼らを育てたのよ。そのようなことをおっしゃっていました。胸がじんわり熱くなるのを、私も感じました。
041503 私は、「文化」というものは、「文明」と違って、「自然」の個性が「人間」の活動を通して表れるものだと考えています。人間自身の個性ではなく、その人が吸い取った自然がその人の「生き様」というフィルターを通って、ろ過され、抽象されて表れたものだと思うのです。今回、そのことを再確認しました。いや、抽象ではないのかもしれませんね。そこに育つ人々自身も、また考えようによっては「自然」であり、「自然」と「自然」が出会い醸すハーモニーこそが、たとえばレミオロメンの言葉であり音楽なのかもしれない。
 今、いろいろな意味で、「文化」が経済活動に呑み込まれ、商業的になってしまっています。経済は自然のことを顧みません。人間が基準だからです。レミオ自身もそれに悩む時期がありました。しかし、彼らは再び、本来の「自然体」に帰ろうとしています。今日も皆で語ったんですが、これほど本人たちの地元に行きたくなるアーティストも珍しいし、実際訪ねてみて、これほど納得させられるケースもそうそうないだろうと。そう考えますと、彼らの音楽は、非常に純粋な「文化」の形に近いのかもしれない。私たちはそういう彼らと彼らの音楽に感謝しつつ、これからもいつまでも応援していきたいし、彼らからいろいろなものを学んで行きたいと思うんですね。
 そんなわけで、旅人の皆さん、お疲れさまでした。素晴らしい旅でしたね。心が洗われました。また近いうちに第3回を催しましょう。それまで、じっくり彼らの音楽から、透き通った空や、色とりどりの花や木々、そして人々の笑顔を感じ取っていてください。

関連記事
ランドリーコーナーぶんぶん
不二草紙に戻る