「もののあはれ」=「空気」?(土佐日記より)
久々に古典を独自の視点で読むシリーズ行ってみましょう!!昨日の続きです。昨日は「世間」=「空気」だとして、「世間体を考える」というのが「空気を読む」ことだとしました。
で、今日は古いところで(ってかなり古いですけど)、平安時代にはどうだったか考えてみましょう。以前、枕草子における「空気嫁・痛杉」というのを書きましたっけ。あれはなかなか評判がよく、ある出版社の方からは、あの調子で全訳してくれ、なんて言われました。ま、私はそんな根性ありませんので、適当に、いや丁重にお断りしました。
今日はですねえ、紀貫之さんに登場願いましょう。こちらも以前登場願ったことがあります。古今集仮名序ですね。「世界最古のネカマ」なんて言ってすみません。
さて、彼(彼女)の土佐日記の最初の方にこういうシーンがあります。船出のシーンです。ただでさえ別れが辛いのに、死んだ娘の話なども出てきて、現場は非常に沈欝なムードになります。で、いろいろ風情のある和歌などを詠み合ったりするんですが、そこに「空気を読めない」男が登場します。今から乗り込む船の船頭さんです。それを貫之は次のように描写します。
…楫(かぢ)取りもののあはれも知らで、おのれし酒を食らひつれば、早く往(い)なむとて、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば、船に乗りなむとす。
ほら、「もののあはれ」が出てきた。「もののあはれも知らで」…フツーは「情趣を解さないで」とか堅っくるしい訳を施されるところですが、まさにその場の空気を読んだワタクシめが訳してみましょうか。こんな感じでどうでしょう。
…船頭のヤツ、その場の空気も読めなくてさぁ、自分の酒ばっかり呑んじゃってるもんだから、早く出かけたくて仕方なくてさぁ、「ほれ、潮も満ちたぜ。風も吹くなこりゃ」とか聞こえよがしに騒ぐんで、私たちも仕方なく船に乗っちゃおうってことになったわけ。
ちょっとやりすぎかな。これじゃあ書いてる貫之さん本人が空気読んでないな…ってか、訳してるオレがか。まあいいや。とにかくですねえ、この「もののあはれも知らで」というのは、まさにその場の「涙、涙」の空気を読まないでってことでしょ?思い通りにならないことを基礎としたその場の悲哀のようなものに、全く頓着ないのが楫取りのオヤジってことです。
こんなふうに読み直してみますと、平安時代でも空気読めないヤツは痛かったということがよ〜くわかります。それを「もののあはれ」を知らないと表現したということですね。ちなみにこのあとすぐのところに「甲斐歌」という興味深い言葉が出てきます。甲斐の国の歌ということです。それが具体的にどういうものであったか、というのはまた今度検証します。ま、今で言うならレミオロメンみたいなもんかな(笑)。
おっと、また話がそれた。さてさて、ところがですねえ、そこで終わらないのが貫之さんのいいところです。ここまで貫之にさんざん馬鹿にされた船頭さん、あとの部分でちょっと名誉回復するんです。
「夜ふけて、西東も見えずして、天気のこと楫とりの心にまかせつ」
という文が象徴していますが、この船頭さん、船頭さんとしてはなかなかのやり手なんですね。航路や湊のことに詳しいのはもちろん、天候を「読む」ことに関してもかなりのプロフェッショナルのようです。まあ実際プロ中のプロを雇ったわけですから。で、結局そんなこと全くわからんボンボンばっかりの乗客たらは、彼にまかせるしかないんですね。実際、彼は余裕のよっちゃんで舟唄なんか歌ってみんなをなごませたりします。カッコいい!!
そうしますと、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」という言葉もまた、ちょっと違った意味を帯びてくるような気もします。単純にプロの判断だったのではないか。プロが最優先するのは、乗客の安全なる旅でしょう。いくら惜別の情でも、命には代えられませんよね。きっとそんなことも貫之は感じたのではないでしょうか。で、直接は申しておりませんが、ちょっぴり船頭を尊敬した。ちょっと謝りたい気持ちになった。ああ、自分たち貴族よりもある意味立派だと思った。それで、こういう記述をしたのではないでしょうか。
「空気を読む」ことが「もののあはれを知る」ことであり、そして「世間を知る」ことであると考えてきましたが、では、船頭の読んだものは何だったのでしょうか。「天気を読む」というのも「空気を読む」に近いのかもしれません。しかし、それはワタクシのモノ・コト論的に申しますと、あくまで「コト」を読んだのであって、「モノ」を読んだのではありません。彼は過去の経験(コト)に基づいて現在の状況を観察して未来を予測しました。ただ、それはある種のパターン(天気予報の公式)に則ったものであり、自信満々の様子からしても分かる通り、あくまでも職人的再生産技術であったのです。これはワタクシ的には「コト」に属すると考えられます。まあ、語弊はありますが、「オタク」的事象なんですね。情報処理。コト処理。航路や湊のことも含めまして、貫之らからすれば、「モノ知り」ということになるんでしょうが、船頭自身からすれば単に「コト知り」なわけです。
と、長くなってしまいましたが、私の知ったかぶりもこのへんでやめときます。とにかく、世の中には貫之も楫取りも両方必要だということですよ。ん?でも、貫之ってネカマですよね。貴族ってオタクですよねえ。ということは、両方ともオタクってことか。それぞれの分野にしか通じていていない…(笑)。
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コメント
天気が読める船頭さんは
ホントはエアー(空気)も読んでいたのでは?
だからこそ、ここは「酔ったフリ」して、そろそろ出ないと危険だよ。。
って言いたかったんですね。
お前らが別れを惜しむ気持ちはよーくわかった。
でもな。一生そこにいるわけにはいかんのだろ?
行かなきゃいかんのだろ?
というわけですね。
何故酔ったフリをしたのか?
それは。。空気を読んだことを悟られないためですよ。
必要以上に踏み込まない。
自分の仕事をするのみ。。
おぉなんか職人だ。。
って事であって欲しいたこたよでした。。(笑
投稿: たこたよ | 2007.03.15 15:59
たこたよくん、こんにちは。
なるほど〜、わざと酔っぱらったふりをしたんですな。
そうだったら、メッチャかっこいいっすね。
現代においてもいますね、こういうオッチャン。
で、だいたいカッコ悪くて、かつカッコいい。
でも、大概演技じゃなくてスなんですよね、残念ながら。
職人気質の酒飲み頑固オヤジか。
ちょっと憧れるなあ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.03.15 16:17
おお。おもしろいです!古典とか、よく知らない私ですが、このての記事を読むと、自分も少しかしこくなれたような気分になれます。
でも空気を読むのはとても難しいです。ハァ~・・
投稿: カズ | 2007.03.16 01:26
カズさん、おはようございます。
楽しんでいただけたようでうれしいです。
古典ってもっと気楽に楽しめるはずなんです。
学校での教え方の問題でしょうね。
私も授業では受験用の指導に偏りがちです。
実は古典に限らず、ブログに書いているようなことはほとんど話さないんですよ。
もっと面白いこと話してるんです(笑)。
パブリッシュできないような内容ばっかりですけどね、ハハハ。
空気を読むというのは本当に難しいですね。
たぶん、我執を捨てて心を開くという意味では、仏教的な境地に至らねばならないのでしょう。
難しいはずですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.03.16 06:36