『世界史の臨界』 西谷修 (岩波書店)〜「史」と「詩」
講談社学術文庫に入っている「不死のワンダーランド」や「戦争論」を楽しく読んだ覚えのある(しかし内容は覚えていない…笑)西谷修さんの本です。クレオール関係の本も何冊かつまみ読みしたような記憶がありますが、定かではありません。私の読書ってこんなもんですからね。
さて、それでこの本ですが、これもまたなかなか面白かった。西谷さんの書き方というのがですねえ、比較対照がはっきりしているので、読み進めやすいんですよ。まあある意味そういう二元論的な発想は危険でもあるわけですが、私のような物わかりのあまりよろしくない者にとっては、とってもいい本、いい人に感じられます。
今回、心に残ったコントラストの例はこれでしょうか。「歴史」。だいいち「歴史」という単語が「日本語」であって、漢語(中国語)ではないとは。今では逆輸入されて中国でも使うようですけど。簡単に言えば「history」の訳語として、日本人が考えた言葉だということです。
で、中国には本来「史」しかなかったと。で、「史」というのは「事(祭)」を記録するという意味だったとか。つまり、王が行う祭祀(まつりごと)の記録であったらしい。そして、宗教色が退色することによって、結果として王朝の公式記録となっていく、というようなことが書いてありました。なるほどね、王朝の正当性の根拠が「史」というわけか。
一方ヨーロッパの「history」は、個人の「探求」や「研究」の集積であり、そこから生まれる共同認識だそうです。そして、キリスト教と結びつくことによって、それは「神の国の実現」というゴールを持つようになったと。たしかにそんな気がしますね。
そうしますとね、私が好きな宮下文書(富士古文献)なんかの古史古伝は、まさに「史」ですよね。それを「history」の立場からですねえ、やれ偽書だ、学問的価値がないって言われても、そりゃあそうですよ、と言うしかない。総合格闘技原理主義者からプロレスは八百長だって揶揄されても、嬉しくも悲しくも痛くもかゆくもないのと同じです。ジャンルが違うんですから。
それでも現代の世の中は、どうも西洋的価値の方がまだまだ優勢なようなので、こういう東洋的演劇世界は多少肩身の狭い思いをしなければなりません。残念ですね。しかし、西谷さんが指摘するように、所詮ヨーロッパ的なhistoryも、「きわめて散文的で地上的な知の営みだった」わけです。どうせ言葉を使って学問するわけですからね。言葉のうさん臭さは拭いきれなかったのでしょう。それは、「歴史学」に限らず、全ての西洋的学問に共通した弱点です。
そういう意味では、言葉という「コト(内部・随意・不変・情報)」の権化を使って、「モノ(外部・不随意・変化・存在)」を表現してしまった、というか、産出してしまった出口王仁三郎の霊界物語というのは、本当にメチャクチャなシロモノです。西洋的な価値観を全く寄せつけず、しかし西洋的な「コト」をも併呑し、再構築どころか、永遠に破壊分解して、それをまぜこぜにして、結果案外きれいな色合いの「モノ」を産み出してしまった。モノすごい、としか言いようがありません。
禅のように「言葉」のうさん臭さを捨てるというのも一つの手でしょうが、それでは元も子もないと言えば元も子もない。そこに禅のちょっとした敷居があるんですね。私たちから言葉を取ったら、私たち生きていけませんよ。それこそ出家するしかないんです。
今日、縁あって詩のボクシングのチャンピオンさんと、メールで対話する機会を得ました。そこでちょっと考えたんです。「史」は「詩」だよなって。叙事詩だよなって。そすると霊界物語もやっぱり「詩」ですよね。壮大で厖大な「詩」だと言えましょう。
「史」も「詩」も、「言葉」によって、事実を破壊する行為です。それを偽りだとか八百長だとか言うのは簡単でしょうね。しかし、事実と認識しているコトこそが、実はフィクションであって、つまり人間の脳という小さな世界での根拠のない認識でしかないという可能性は、実は誰しも捨てきれるものではないと思います。
で、我々の共通認識の道具としての「言葉(コトノハ)」を使って、あえてそれを使ってですね、この現実世界を破壊するんですね。破壊と言っては過激でしょうか、まあ別の世界を構築するわけです。それがすなわち、この狭っくるしい、なんだか知らんが、空間やら時間やらに縛られている不自由な現実世界から解放される一つの方法になるわけですよ。
さっき言った、禅的なアプローチというかストラテジーもありだと思いますし、まあそれが究極と言えば究極の善策だとも言えましょうが、言い方によってはそれは死んで仏になれということにもなってしまいます。ですから、やはり私たち生きている人間にほとんど唯一許された行為は、「言葉」を使って「詩」や「史」を作ることなのでしょう。
「無いものは出ない」…詩のボクシングのチャンピオンさんの重い重い言葉です。昨日のレミオロメンの諸君もそこに気づいたというわけですね。そう、彼女も彼らも(いちおう私も?)、一度「無いものを出そうとする」過ちと苦しみを味わっての現在だと思います。ただ、「無いものは出ない」なら「有るものは出る」のかというと、そうとは限らない。「詩」や「史」がそうであるように、別世界を創るためには「有るもので無いものを創る」必要があるからです。それを実現する力は、「才能」ではなくて「他者・外界との縁」ではないでしょうか。
昨日のレミオロメンと今日のチャンピオンさんから、そんな智恵を授かりました。そんな気づきにちょっと寄与したのが、西谷さんの「世界史の臨界」であったというわけです。長々とすみませんでした。
Amazon 世界史の臨界
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コメント
いやあ、庵主様の膨大な読書がいったいどのように頭脳に収納されているのか、大変興味があったのですが、私にも理解できる状態のようで、ほっと致しました。
ところで中国には歴史が無いというのは、岡田英弘さんも主張なさっています(「世界史の誕生」筑摩文庫、のなかだったでしょうか)。彼に言わせると、戦乱でほとんど絶滅した時期があって、古代から連綿と続くという意味では中国人すらいなくなってしまいます。王朝にしても元、清以外にも、異民族による征服王朝が実に多いようです。
庵主様のおっしゃりたいことよりはるかに低レベルの現実世界の話ですが、「歴史」も「史」といっしょで、ほとんどそのときそのときの勝者からみたものであって、事実の破壊、それも政治的経済的な破壊だと思います。ですので、急に飛躍してしまいますが、それらを事実として頭から信じることなく、プロレスを観戦するように、その中にそこはかとない真実を見出すべきではないかと思います。
詩の世界はまだよくわかりません。霊界物語は、それこそ数ページの抜粋を読んだだけですが、膨大な量を全部読んでいったん忘れたようになったあとに、いつの日か、なにかがわかってくるようにできているのではないかと想像しています。ただ、よほどの契機がないと読みきれるものではないでしょうね。
投稿: 貧乏伯爵 | 2007.02.21 10:47
伯爵さま、こんにちは!
私の言いたいことを上手にまとめてくださいまして、ありがとうございます。
まったくその通りだと思います。
所詮historyも「史」もプロレスですよねえ。
プロレスを楽しんで観戦できるような賢い大人になりたいと思います。
音楽も詩もまったく一緒ですし。
上手にだまされつつ、目を覚ます時は覚ます、というのが一番いいんじゃないでしょうか。
私の読書や思索のレベルなんて大したことありませんからね。
それこそプロレスみたいな感じで観て下さい。
私、ハッタリ教の教祖とか言われてますんで。
だまされないように(笑)
霊界物語も持っていますけれど、ホンのちょっとしかかじってません。
だって、メチャクチャなんだもん。
エログロナンセンスのところだけは何度も腹抱えて笑ってますけど。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.21 13:01
西谷修は私の指導教授でした。ゼミではクレオールをやるはずだったんですがほとんど雑談ばかりで終わってしまいました。著書何冊かもっているのですがぜんぜん読んでいません。
バタイユのこととかもっと話をきいておけばよかったとおもいます。
なつかしい名前だったので。
(プロレスのことですが、この間フランスのラジオをきいていたら、「プロレスではいくつものエピソードが即興により演じられ、その即興性がどうのこうの・・・」とロラン・バルトが書いていると誰か言っていました。)
投稿: 龍川順 | 2007.02.22 22:40
龍川さん、この前はどうもありがとうございました。
やっぱり、そうでしたか、西谷先生。
書きながらそんな気がしてたんですよ。
今は外語大にいらっしゃるようですね。
現代文のテストに頻出しますよ、西谷先生。
そして、バ、バルトがプロレスについて書いてるとは!
思わず笑っちゃいました。
これはぜひ読んでみたいですね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.23 05:21