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2007.02.01

『市丸利之助歌集』 市丸利之助 (出門堂)

Ichimarukashu さて、昨日は富士山を眺めながら、宇宙に想いを馳せてみた、そんな記事を書きました。
 実はもう一つ頭に浮かんだことがあったんです。

 天空の青と大地の紫と富士の白雲まじはれる朝

 あの硫黄島で玉砕した市丸利之助海軍少将が、昭和19年任地に赴く前に詠んだ歌の一つです。
 先月このブログで紹介させていただいた『ルーズベルトニ與フル書』の試訳、本当にたくさんの方に読んでいただけたようでして、彼の聡明さや志しの高さが、こうして現代メディアを通じて世界中の方に少しでも知っていただけたこと、私としましても大変うれしいと言いますか、感動をしております。
 その後、少将が優れた歌人であったこと、そして特に富士山の歌を多く詠んでいるということを知り、不思議なご縁と運命を感じた私は、さっそく出版されているこの歌集を注文したのでした。その後、少しずつ読み進め、ようやく冷静に何かを書けるような気がしてきましたので、今日ここに紹介したいと思います。
 市丸さんは、軍人としてだけでなく、歌人としてもたいへん優れた業績を残されました。もののふと歌という日本の伝統的な関係性から、出征の際に辞世の句を残すということは多くあったと思われますが、市丸さんのように戦地においても、日々歌を詠み続けた人というのは、そう多くはないと思われます。
 市丸さんは、昭和15年から与謝野晶子主宰の「冬柏」に歌を寄せはじめ、戦死の寸前昭和20年2月発行のそれに掲載されるまで、千首近い作品を残しています。時節として、自らの戦意を鼓舞するものや、八紘一宇の精神を称揚するものが多いのは当然ですが、そんな中にも、任地である南の島の自然を愛でた歌や、冷静に現地を描写した歌、さりげなく家族への愛情を表した歌などが目を引きます。
 任地は重要機密事項でしたから、その名は出てきませんが、昭和19年夏以降の歌は、当然あの硫黄島で詠まれたものです。硫黄島に赴く寸前、彼はこう決意します。

 艦砲の的ともならん爆撃の的ともならん歌も詠むべし

 彼はその通りに、硫黄島で激しく厳しい戦いに呑まれつつ、歌を詠み続けます。表面上はよく奮闘しているという内容ではありますが、明らかにそれまでの歌とは趣が変っているように感じられます。私などあのNHKスペシャルを観た後ですので、地熱と水不足、そして島の形さえ変えてしまう米軍の狂ったような攻撃に苦しむ兵隊たちの様子が想像され、胸がしめつけられるような気持ちになります。
 そんな硫黄島での戦いの前に、市丸さんは「富士」「続富士」「暁富士」「続続富士」という題の下、富士山を詠んだ歌を大量に残しました。それまでにも、富士山に対する特別な感情を表した歌をいくつか残していますが、戦況極まりつつあり、日本の命運、また自らの命、部下たちの命のことを思う機会も増えたんでしょうね、そんな様々な心のありようを全て包括する存在として、富士山の歌を詠もうと決意したに違いありません。いや、自然と富士山に引き寄せられていったのかもしれませんね。
 そこに詠まれる富士山は、この平和な日本で暢気に生きている私が日々接している富士山とは、明らかに違います。壮大な自然の造形であるとともに、やはり日本国の、そして大和魂の象徴であり、自己の精神の気高さの指針であり、武運長久を約す守り神であり、雄々しさと繊細さを併せ持つ和合のシンボルであり…。
 それぞれの時代に富士山が担ってきたもの。あるいは、それぞれの時代に人々が富士山から得たもの、富士山に託したもの。また、戦争と文学、個人の命と作品との関係。それらについて語る余裕はここにはありません。しかし、富士山に住み、言葉に関わる仕事をしている者として、それらについて考えていくつもりだ、ということだけはここに表明しておきます。
 最後に、市丸さんの富士山の歌、私が最も純粋に共感できた歌を紹介して終わりにします。

 群山のはざま立ち籠め湧く雲の上に聳えて富士いさぎよし

市丸利之助歌集

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コメント

和歌こそが日常の気持ちを表すのに一番便利な形式、あるいはメディアなのかもしれませんね。ただ、私には恥ずかしいような感じがして自分で作るのはおろか、人の作品でも読むのに辛いところがあります。このあたりでも、昔の人と頭の中身が変わってしまっているんでしょうね。

投稿: 貧乏伯爵 | 2007.02.07 16:26

伯爵さま、どうもです。
私も高校時代などには好きな女に歌を送って引かれてましたが、最近は全然作りませんね。
たしかに言葉に対する脳の反応が変ってきました。
人によってはバロック音楽に気恥ずかしさを感じるらしいのですが、そんな感じかもしれません。
そういった気恥ずかしさの研究というのも面白いかもしれませんね。
いわゆる「痛い」に通じる感覚ですし。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.07 16:49

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