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2007.02.14

『四季〜管楽器付きドレスデン版〜(ヴィヴァルディ)他』 フェデリコ・グリエルモ指揮ラルテ・デラルコ

VIVALDI: 4 Seasons (Dresden version with winds)
Federico Guglielmo/L'Arte dell'Arco
1292 古楽人として「四季」を語るのは、どういうわけか妙な気恥ずかしさが伴うものです。あまりに有名とか、そういうことではなくて、彼のなんとも言えない音楽性がですねえ、あるレベルにある古楽愛好者にとっては、やや物足りないというか、とにかくあんまり関わりたくないという感情を引き起こすんです。なんて、なんか奥歯にサキイカがひっかかったような物言いですが、実際私もある時期、彼を敬遠しておりましたのは事実であります。ま、ヴィヴァルディが好きで〜す、と言うよりも、バッハとかフランスものとかイタリア初期ものとか言った方が、かっこいいし、通っぽいってことです(笑)。
 ただ、不思議なものですねえ、ここのところまた楽しめるようになったんですね。それが演歌や歌謡曲を心から楽しめるようになった時期と一致するんで興味深いわけです。ヴィヴァルディは演歌なのか?
 たしかにワンパターンとも言えます。全体に似ているとも言えます。でも、そんなこと言ったら、私にとってモーツァルトはもっと似て聞こえます。だから、そういう言い方だけでは片付けられないような気もするんですね。
 これもある時期(あの頃)のことなんですが、友人と「ヴィヴァルディって小室哲哉だな」と言いあっていたことがありました。やはりある種のワンパターンというか、強烈な独特の色や匂いがある。でも、世間では売れ続けた。若い女の子のプロデュースして生計立ててたし。後世への影響力を考えても彼と彼は似ている。
 で、ちょっとバカにしながらも、冷静に考えてみると、彼らに似ている人はいなかったりする。二番煎じはたくさん出るけれども、やはりオリジナルにはかなわない。もちろん、その前に「彼」らしい音楽はない。突然現れて一つの流れを作り、それがまたその後の流れを決定したりする。
 古楽人の代表(?)あの大バッハも、かなりのヴィヴァルディおたくだった。私たちが一瞬バカにしてしまったその人を尊敬しまくっていた形跡がある。
 私は最近思うんですね。ヴィヴァルディって作曲家というより、オーケストレーションの天才なのではないかって。はっきり申してダサい曲もたくさんありますが、その曲にしても、それぞれのパートのバランス感覚はなかなか良い。というより、無駄がない。けっこう削って削って極限まで和声を薄くする時と、逆に足し算をしていって、ある意味極限まで(やりすぎの手前まで)音を足す時があるんですね。こういう所をバッハさんは勉強したんじゃないのかな。他の楽器用に編曲することによって、逆説的にヴィヴァルディの技をお勉強したんじゃないのかな。
 そんな具合に再評価を始めたんですが、それに拍車をかけてくれましたのが、本場イタリアの古楽人の皆さんによる演奏です。くそまじめに弾いても全然面白くなかった曲たちに、大いに演劇性を持ち込み、生気を吹き込んだんです。そうしたとたんに、彼の曲が輝き出した。ああ、そうか、もともとそういう風に作られてるんだ。演奏者による変形や誇張を受け入れて成長するように作られてるんだ。そう言えば、それこそがバロック的なありようとも言えるな。
 そこで、「四季」を聴き直してみたわけです。そうしたら、やっぱり面白いですよ。すごい曲ですね。ここまでコテコテにお芝居じみた音楽ってあるんでしょうか。特に、この演奏はすごいですよ。勝手にリコーダーやらファゴットやらホルンやらを加えて、さらに色彩豊かな演奏を実現しています。お芝居で言えば、衣装や舞台装置に凝ってるという感じかな。そういうある意味乱暴なことをされて、それで余計に輝きを増すんですからね。オリジナル主義ってなんなんだって感じですよ。
 まあ、それを抜きにしても、この時代にこういうアイデアに満ちた音楽が存在すること自体、奇跡的とも言えます。はたして、バッハやモーツァルトにこんなことが可能でしょうか。無理です。同時代の人たちも真似すらできなかった。当時、そうとう新鮮に響いたでしょうね。壮大な実験音楽だったのかもしれません。
 私は例によってNMLで聴いたので、詳しい解説などが読めません。よって、この団体のことなどよく分からないのですが、同団体とホグウッドによる作品3も非常に面白かった。指揮者のホグウッドの方が、演奏者たちに引っ張られているような愉快な演奏になっていました。ヴィヴァルディの本質は、やはりイタリア人でなければ分からないのかもしれませんねえ。
 ヴィヴァルディのアイデアの豊富さということで言えば、余白に収められているグイドの「四季」(GUIDO: Scherzi Armonici, Op. 3)と比較するとですねえ、グイドさんには申し訳ありませんが、グイドさん完全に噛ませ犬(?)になっちゃってます。悪い選手ではありませんが、実力差がありすぎて、ちょっと可哀想でしたね。マッチメイクが残酷です。
 さて、長くなってしまいましたが、ヴァイオリン弾きから見た「四季」ですが、はっきり言って、これをバロック・ヴァイオリンで弾くのは無理でしょう。私にはね。エレキ・ヴァイオリンでいろいろエフェクトかけて弾きたいところです。そう言えば、管楽器どころか、ドラムが入ってるのとか、シンセのリピエーノにエレキ・ギターとかいう録音もあったような気がします。それだけのキャパシティーを持った恐るべき名曲なのかもしれません。
 しばらくいろいろな録音を聴きあさってみようかと思います。

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受信: 2007.03.12 12:44

コメント

 最近、「アーノンクールとコンツェントゥス・ムジクス―世界一風変わりなウィーン人たち」の付録CDを聴いて、ちょっとヴィヴァルディもいいのかなと振り返り始めたところですが、まだまだ、聴くと気恥ずかしい感じがします。いまだに、作品3のホッグウッド(旧盤)がいいかなと思っているくらいアナクロな私です。いま、ガッティの作品2のソナタに期待しているところです。
 かえって、グリエルモの演奏でガツンと張り倒してもらったほうが、目が覚めるかもしれませんね。
 

投稿: 貧乏伯爵 | 2007.02.16 17:19

今度ヴィヴァルディやりましょうか。
トリオはけっこういいですよね。
私もホグウッドの作品3は大好きです。
あれを初めて聴いた時の衝撃は…忘れられません。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.16 17:51

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