『CHICK COREA & HERBIE HANCOCK 1974』(DVD)
PBS SOUNDSTAGE / LIVE AT CHICAGO 1974
今やすっかりジャズ界の重鎮となった二人。何度かいっしょにライヴしていますね。私も1989年でしょうか、山中湖で二人の共演を肴に酒呑みました。途中寝ちゃったような…なんという贅沢…というかなんという暴挙(笑)。
その二人のレアなライヴ映像を収めたDVDを教え子からいただきました。テレビ番組の映像なんですね。1974年ですから、もう33年前ですか。二人とも若いし、ものすごくエネルギッシュ。時代の先頭をともに競い合いながら疾走していた時代です。
チックはリターン・トゥ・フォーエヴァー(Return To Forever)の充実期の真最中。ハービーはヘッド・ハンターズ(Head Hunters)を立ち上げ、負けじとフュージョンの世界を切り開いていた頃です。その二人、というか、二つの伝説的バンドが正面からタイバンしてます。これはすごいですね。
タイトルとしては「チック&ハービー」ですが、考えてみればこの二つのバンドはすごいメンバーなわけでして、その方たちの若かりしころのプレーも堪能できるわけですから、これはものすごく贅沢なDVDですよ。いちおうメンバー&曲目紹介を。
CHICK COREA & RETURN TO FOREVER
Chick Corea (el-p)
Stanley Clarke (b)
Al DiMeola (g)
Lenny White (ds)
1.Beyond the Seventh Galaxy (take 1)
2.Vulcan Worlds
3.Rumble in the Beginning
4.Beyond the Seventh Galaxy (take 2)
HERBIE HANCOCK & THE HEADHUNTERS
Herbie Hancock (keyb)
Mike Clarke (ds)
Paul Jackson (b)
Bennie Maupin (ts)
Bill Summers (perc)
1.Butterfly
2.Interlude
3.Chameleon
タイバンが終わったあと、おもむろに一つのピアノの前に二人が腰かけ、ちょっとした人間の言葉(英語)による会話ののち、それよりももっと濃密な言葉(音楽)による会話が始まります。曲は超スタンダード「Someday My Prince Will Come」です。途中から、二人は電子楽器に席を移動し、最後にまたアコースティック・ピアノに帰ってくるんですけど、これがまたなんとも新しい時代を予感させるインプロヴィゼーションです。
全編あんまりすごすぎて口あんぐりだったんですけど、ロック寄りの私は、ファンキーなヘッド・ハンターズよりも、超絶テクのかけあい満載のリターン・トゥ・フォーエヴァーに燃えましたね。チックもすごいけど、なんすか、あのアル・ディメオラのギターと、スタンリー・クラークのベースは…。たまにはこういう音数の多いのもいいですねえ。しかし、どうやってあれらの曲を作曲し、暗譜し、練習してるんでしょうねえ。私たちと頭の構造というか、内容が違うことは確かです。ちょっと喩えは悪いと思いますが、自閉気味じゃないとできないような気もします。
で、観賞し終わって思ったこと。彼らのこのエネルギーは、彼らの偉大な先輩たちあってのものだということですね。たとえばマイルス・デイヴィスのようなものすごい壁というか山のような存在があって、それをなんとかして乗り越えなきゃみたいな。偉大な師の存在こそが、こういう全く新しい音楽の創造につながってるんだ。今、そういう「師」たりうる人いるのかな。いや、まさにチックやハービーがそういう存在なのかな。そのわりには、今でも彼らこそが新しいことをやり続けてますね。がんばれ若手!
あとは、当時のアナログの電子楽器の魅力でしょうか。最近のデジタル・サウンドとは明らかに何かが違う。アナログ時代のエレピやシンセって、考えてみれば自然音ですからね。単なる波形そのものです。今はこれらの音をデジタルでシミュレートしてるんですからね。なんか本末転倒というか、主客転倒というか、精巧な偽札作りというか、妙なことになってるような気がするですけどね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (2)

全国に仏像を残した遊行僧と言えば、やはり円空が一番最初に思い出されますかね。そして次が木喰でしょうか。両者は一見実に対照的な仏像を残しました。どちらも捨てがたい味を持っているのですが、そうですねえ、私は最近少し木喰よりになってきたかな。ああいう円満な顔をしていたい。よく言われる「微笑」ではないんだなあ。木喰仏は微笑を超えたところの微笑、微かとは言いがたいが、しかしもちろん大笑でもない。円空仏には微笑が多くあります。円空仏の微笑はそれこそ仏様の慈悲のサインでありますが、木喰仏のあの笑みは、やはり人間の笑みですね。こちらにも同様の笑みを要求してくるんです。
なんでいきなり木喰の話になったかと申しますと、ちょっと前に一橋大学の過去問をやっていたんですね、そうしたら、柳宗悦の文章が要約問題として出てきた。柳さんのその文章を読んでいて、さっと木喰仏のお顔が浮かんだんですよ。そう、「民芸」という概念の生みの親、柳宗悦さんの人生を大きく変えたのが、この木喰仏との出会いだったのは、よく知られたことですね。あるいは逆の言い方をすれば、木喰仏の運命を大きく変えたのが柳さんだったということ。
木喰さんは甲斐の国の人です。ウチのあたり、つまり富士山から本栖湖を抜けてですねえ、トンネルをくぐって九十九折りの坂道を下りますと、古関という部落に出ます。そこが彼の故郷なんですね。本当に山深いところで、今でこそ国道なんか通っちゃってますが、昔はそうとう寂しい村だったろうなあ、なんて思われます。で、そこから数え十四の時に家出して東京へ…いや江戸に行っちゃう。そして、結局出家しちゃうんですね。
その後、ずいぶん経ってからですが、四十も半ばの頃に「木喰」を名乗る。「木喰(もくじき)」とは、その名の通り、木を食べるってことです。そういう行というか戒があるんですね。肉はもちろん、魚もだめ。さらに火を入れた野菜なんかもだめだったとか。つまり、生の山菜や木の実しか食べなかったらしいんです。でも、彼はとっても元気だったようで、六十近くなって、北海道から九州まで全国を遊行するようになるんです。そして大量の仏様を彫って各地に残した。91歳の時に作った仏像が残っているそうですから、60から30年くらい、そうとう遅咲きの仏師だったとも言えます。それにしても、やっぱり
そんな木喰上人の残した無数の笑み。まさに、「知足」の笑みなのでしょう。食べるものも住むところも、あるいは着るものもでしょうか、きっといろいろなものに不自由であったと思います。そう、その不自由とはもちろん、現代の私たちの感覚であるわけですが、きっと彼は私たちのいう不自由からはとっくに解放されていて、それこそ自由だったんでしょうね。
そうだ!あの笑みは自由の笑みだ。自由を勝ち得た時の満面の笑みだ。つまり歓びの笑みなのです。ああ、今わかった。慈悲ではない。対象があるわけではない。自らの内側から思わずこぼれ落ちてくる笑みだ。
来月、
昨日に続き、昭和ノスタルジーとも言えましょう。彼らの活動期は平成でありますが、内容は完全に昭和ですからね。仲直り、という言葉自体、40歳くらいの彼らや私にとっては、郷愁を誘う…てか、ギャグですな。
ちょっと遅ればせながら読んでみました。最近ヒッキーでコモラーな生徒が貸してくれました。やつが貸してくれるマンガはワタクシ的にはずれがない。もっといろいろ見つけてきてくれ…てか、学校来い、って業務連絡してどうすんだ(笑)。
今日は2.23、富士山の日です。そんな記念すべき日に富士山蘊恥庵にいいことがありました。
続いて内容を紹介してくれたんですけど、そこでもカミさんの燃え上がった火に油を、いや核燃料を注ぐ記事が…。それも並んで…。日テレさんよ〜、あんまりカミさんを刺激しないでくれ〜。うるさくて聞こえないよ〜。そう、サクこと桜庭和志関係の記事
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!究極のCD!!昨日発売だったんですが、ウチには今日届きました。一日遅れるなよ〜。待ってたぜ〜。
この雑誌は先月買って机の上にずっと置いておいたんですが、忙しすぎて全然読んでいなかったんです。今日は本校の入試の日でして、中学生が試験を受けている間、ちょっとだけ時間が取れましたので、ざざっと目を通してみました。
講談社学術文庫に入っている「不死のワンダーランド」や「戦争論」を楽しく読んだ覚えのある(しかし内容は覚えていない…笑)西谷修さんの本です。クレオール関係の本も何冊かつまみ読みしたような記憶がありますが、定かではありません。私の読書ってこんなもんですからね。
今朝、職場に向かう車の中で、レミオロメンの新曲「茜空」を聴きました。発売はホワイトデーでありますが、今日がオンエア解禁日だということで、FM-FUJIで彼らのメッセージとともに流れました。ここのところ通勤帰宅の車中では、彼らのインディーズ盤といいますか、自主製作盤CDをじっくり聴いていたんですが、今日に限って出発時にカーステをラジオに切り替えたんですね。ホント偶然でした。
あんまり気づいてくれないので、「どう、今日のネクタイお洒落でしょ」と聞くと、生徒は「ホントだ、いつもと違う」みたいな反応。おいおい、違うだろ、こうなってんだよ!とばかりに見せてやりました。そこには新聞をちぎって作ったネクタイのような物体が…。ははは。私こういうの得意なんです。コンサートに蝶ネクタイ忘れた時も、すぐに作りましたし、琴の演奏会で爪を忘れた時(おい忘れるなよ)は、紙コップから爪を作りましたし、前歯(差し歯)が取れて呑み込んじゃった時は、ガムで歯を作りました。他にもいろいろと…(笑)。
で、どうだとばかり礼拝に出たんですが、やはり私の悪行がばれたんでしょうかね。仏様はお見通しなんでしょうか。今日拝読した「法句抄8」にはこんなようなことが書かれていました。「剃髪をしているからといって出家とはいえない。心に偽りのある者をどうして出家と言えようか」…おいおい、それってまんまオレのことじゃないか。剃髪してるし、偽ってるし。思わず苦笑してしまった私でした。生徒も心の中で笑いが止まらなかったようです。反省、反省。
「美術」と「アート」の違いとは、「オリジナル」と「コピー」の関係とは…。いかにも現代的な課題ですよね。たとえばここでの「アート」と「コピー」のような活きのいい連中を年寄りがもてあましてしまうという状況は、美学に限らず多くの学問分野で見られます。もてあますものだから、ついつい「今どきの若いもんは…」とか言って否定に走ってしまったりします。あっ、こういうのって別に学問に限らないか。
昨日のショー(?)の撮影がこのカメラの初仕事でした。一通り使ってみたので、レビューしてみましょうか。まずお値段ですが、30000円を切りました。安いというのが一番の魅力でしょうね。造り自体はそれなりに安っぽいのですが、軽いし操作性も悪くなく、よい買い物をしたと思っています。
さて、こうしたムービーカメラの問題点と言えば、やはりバッテリーでしょうか。付属の最小タイプのバッテリーは、カタログの言うとおり80分弱で使えなくなりました。コンサートの固定撮影なんかでは、ちょっと足りませんね。というわけで、一番でっかいのを買わねばなりません。しかし、皆さんご存知のように、純正のバッテリーというのは異常に高いわけです。たとえばこの機種用のBN-VF714は13,650円もします。本体の半分の値段。それは高すぎます。で、やはり裏技というか、ちょっと危ない橋を渡るわけですね。私はこれを買いました。中国製です。で、実際使ってみると全然問題ない。残量データがちょっと多過ぎ(フルで480分…それはないっしょ)に表示されるのは仕方ないとして、 まあ4時間は普通に使えそうです。これなら多少へたってきてもOK。第一純正より軽いし、色もシルバーで大変によろしい。
でも、実際カメラに装着するとですねえ、こんなふうに非常に見た目的にアンバランスなことになってしまいます。それでも、軽いし、案外重量バランスはいい感じなので良しとしましょう。
疲れた〜。でも、妙な充実感があるなあ。
オープニングは当然
今日は涅槃会。お釈迦さまのお亡くなりになった日です。ウチの学校は禅宗のお寺さんが母体になっておりますので、1時間目に特別の礼拝(らいはい…ですよ)をいたしました。
古楽人として「四季」を語るのは、どういうわけか妙な気恥ずかしさが伴うものです。あまりに有名とか、そういうことではなくて、彼のなんとも言えない音楽性がですねえ、あるレベルにある古楽愛好者にとっては、やや物足りないというか、とにかくあんまり関わりたくないという感情を引き起こすんです。なんて、なんか奥歯にサキイカがひっかかったような物言いですが、実際私もある時期、彼を敬遠しておりましたのは事実であります。ま、ヴィヴァルディが好きで〜す、と言うよりも、バッハとかフランスものとかイタリア初期ものとか言った方が、かっこいいし、通っぽいってことです(笑)。
義理の妹の旦那さんが秋田の
しかし不思議なもので、並木路子さんの「リンゴの唄」が手に入らないのです。レンタルされていないどころが、どうも現在は発売されていないようなのです。映画の方もいちおうビデオがあるようですが見つからず、オリジナルの曲フルコーラスを手に入れるのは無理でした。なんでかな。
うん、これは素晴らしい本だ。生徒に読ませなければ。
日川高校のバスケットボール部で活躍し、オリンピックを目指して中央大学に自力合格を果たします。その後、レスリングに転向、たった3年でミュンヘンオリンピックに出場します。神の子KIDのお父さん、これまた私の大好きな
屈辱の
さて、だいぶ酔っぱらってきたところで正午になりました。すると、突然建物の上からラッパの音が。征露丸…ではなく正露丸のテーマ、すなわち「食事ラッパ」がパッパラッパッパ…と。店の方でしょうかね、進軍ラッパで私たちに「もっと飲め」とばかりにエールを送ってくれたのです。このラッパ、いわゆる信号ラッパでありまして、自然倍音で演奏されます。今日吹いておられた方、なかなかの名手で、見事な唇のコントロール。思わずアルコール…ではなくアンコールを促してしまいました。
昨日録画したモントルー・ジャズ・フェスティバルを観ていたら、ハービー・ハンコックの5tetが出てきました。メンバーの一人がなかなかの美女。彼女、ヴァイオリンを弾いています。そのヴァイオリンがまたうまい。弓の根元を使って鋭いリズムを刻むあたり、ちょっとロックっぽいなと思いましたら、Lili Haydnでした。
最近、私の(脳の)メモリーはすこぶる不調でして、まあ42年も前の製品ですからね、そろそろ寿命なのかな、あとはだましだまし使おうかと思っています。もともと容量が少ないタイプでしたので、すでに満タンなのでしょう。古い記憶はしっかり残っているのですが、新しい情報が記録されません(笑)。メーカー保証もとっくに切れてるし(すでにメーカーも廃業寸前ですしね)。それでも、ハードディスクよりは長持ちしてるな。
これ、ちょっとオシャレでしょ?天然パールシェルって書いてありますけどホントかな。実際アクセサリーとして持ち運べるように、ネックレス・チェーンとストラップが付属しております。しかし、普段からファッションに疎く、だいいち坊主頭でアクセサリーが根本的に似合わない私は、それらを付けずそのまま財布の小銭入れにポイっと入れています。重さはたった8gです。そうそう、最近トランセンド、2gのやつ出したんだよな。それは軽すぎそう。風に吹かれて飛んでったりして。
さて、先ほど「忘れっぽい」と書いた時思ったんですけど、記憶をなくすというのと、置きっぱなしにするというのは、実は同じ意味なのかもしれませんね。記憶とは情報であり、情報自体は永久不変であるはずです(消えたり、変形したり、美化されたりするのは、情報自体でなはく情報処理の問題です)。私の言う「コト」というやつですね。ですから、さっきの言い方で言えば、前者はコト忘れであり(世間では物忘れといいますが)、後者はモノ忘れなんです(世間では忘れ物と言いますが)。で、コト忘れというのは、つまり脳内のどこかに情報を置いてきてしまって、見つからなくなっている状態なんじゃないですか。モノ忘れの場合は、取りに帰ればあったということがほとんどですが、場合によってはどこに置いてきたか忘れることもある。でも、地球上のどこかにはあるわけですよね。なくしモノです。それと同じように、情報自体が消えてしまうのではなくて、なくしコトしてるんじゃないでしょうかね。脳という閉じた世界のどこかにはあるわけです。だから、突然思い出したりすることもあるのでは。

今朝、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルのコンサートの模様がテレビで放映されてまして、なんとなく見ていたんですね。それが終わって、さあそろそろ出勤しなくちゃ、と思っていたら、ティリリ〜ティリリ〜♪ってあの曲が流れてきまして、見慣れた富士山が画面に。NHKの「小さな旅」が始まったのです。
「おかたぶち講」は今回初めて動く映像で見ました。生徒からは「自分もやった」とか、いろいろと話を聞いていました。なんか面白い行事だなと思っていた。こんな感じなんです。前年に結婚した新婚さんの家に、中学生が扮する神様(天狗やおかめのお面をかぶっている)が訪れ、棒で畳をたたく。まあちょっと暴れるわけですね。で、家の主人がお金をつつんでお盆に載せて渡すわけです。それを受け取った神様たち(子ども)は中身をチェックしまして、これじゃあ足りないとばかりに、のし袋を投げ返したり、お盆ごとひっくり返したり、まあさらに暴れるんです。もっとよこせと。新婚の婿と嫁はただ困って座ってるばかり。それを取り囲む親戚衆や近所の衆は、威勢の良い野次を飛ばします。それがまた楽しい演出になっていたりします。それで、家中のお金を集めてきました、とかなんとか言って中身を増やして行くんですね。で、ある程度になったところで、神様たちも納得し、無病息災、家内安全、子孫繁栄なんかを約束して帰っていきます。
「オカタブチ」というのはどういう意味なんでしょうね。「お方」というのが「お嫁さん」だというのはなんとなく分かります。「ブチ」は「打ち」でしょうか。それとも「扶持」でしょうか。「嫁の座」だという説もあるようです。まあ、とにかく、新しいお嫁さんを迎えるちょっと荒っぽいセレモニーなんですね。お嫁さんは子どもを産み、地域を未来を担っていかなくてはならないんですね。そういう大切な人(遺伝子)を外から迎えるわけです。こうした激しさによって一気にこちら側の共同体に引き込んでしまう、そういう風習は全国に残っています。ある意味、日本の共同体の間に引かれた境界線の濃さ、強さを感じますよね。
全体像としてはこんな感じです。最初見た時、まじで一瞬考えちゃいましたよ。えっと、こっちがこうなったってことか…、いや骨から復元したらこうなったのかな…って。
すごくいい本でした。予想以上に得るところが多かった。昨日に続き「尾崎さん」ですね。全くの偶然で意味はありません。いや、スピリチュアルレベルにおいては何らかの意味があるかも…。
さてさて、私がこの本を買ったのには理由があります。この前、近所の画家の方とそれこそスピリチュアルな話で盛り上がったんですが、その時画家の方に「ケン・ウィルバーに似てる」って言われたんです。私、その時ウィルバーのことをすっかり忘れていて、えっとそれ誰でしたっけ?みたいな感じだったんですね。で、ウチに帰って、似てるってどんなだ?と思いつつ検索して、そして思い出したんですよ。ああ、あの「インテグラル思想」の人かって。似てるっていうのは、風貌のことだったんですね。彼もまた私同様スキンヘッドですので(ついでに頭頂部がとがり気味)。
節分ですね。節分と鬼については
天才!!完全KOされました!!やっぱりすごいわ、この人。もう、なんていうか武者震いみたいなのが止まりませんでした。
そして、今日の目玉は、椎名林檎さんとの共演でしょうねえ。これはもう圧巻でした。へえ、そうだったんだ。長谷川さん、映画「
さて、昨日は富士山を眺めながら、宇宙に想いを馳せてみた、そんな記事を書きました。
最近のコメント