『考える人2007年02月号』 (新潮社)〜小津の言葉
この雑誌は先月買って机の上にずっと置いておいたんですが、忙しすぎて全然読んでいなかったんです。今日は本校の入試の日でして、中学生が試験を受けている間、ちょっとだけ時間が取れましたので、ざざっと目を通してみました。
表紙を見ていただいてお分かりのとおり、小津安二郎の特集であります。もう小津については改めて語る必要もないでしょう。人は小津について語りがちになる傾向があります。以前は私もそうでした。語りたくなるんですね。つまり「小津を観る」「小津がわかる」「小津はここがすごい」ということを主張したくなる。それは非常に単純な理由で、単純化、記号化されすぎていて、実際は難解になっているからです。「なぜ」がたくさんあるからです。それに答えることが、自分の大人度、マニア度を主張することになるんですね。たぶん。
そんなわけで、最近は私もちょっと反省して、こちらから語るんじゃなくて、完全に受け身になって目を耳を傾けるようにしています。
今日は小津の言葉を聞いてみましょう。この雑誌に取り上げられているいくつかの言葉の中から、三つほど抜粋させていただきます。
「ぼくのテーマは"ものの哀れ"という極めて日本的なもので、日本人を描いているからにはこれでいいと思う」
「大事なことは、かならず人から学んだ」
「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う」
え〜、先ほど語らないと言っておいて、やっぱり一言言いたくなりますね。ちょっとだけお許しを。「ものの哀れ」ですか。私の専門ですね(笑)。いつも言ってますように、この言葉の意味を曖昧にしてしまった犯人は、あの本居宣長と小林秀雄です。私は彼らを全く尊敬していませんので、はっきり言ってしまいますよ。いや、ほかにもいるな。それについてはこちらやこちらに書いてます。
繰り返しになりますが、私が考える、というか紀貫之さんから直接うかがった(!?)「もののあはれ」の真義とは、「時間の流れに伴う変化に対するためいき」であります。「もの」はいつも言うように「変化・不随意・外部・未知」などを表す言葉です。「あはれ」は「ああ」であり「aha」であり「あっぱれ」であり「哀れ」です。感動詞。詠嘆。
小津はさすが、わかってますよ。彼が作った映画を観ればわかるじゃないですか。例えば、時とともに家族が解体していく。彼はそれを繰り返すことによって、そしてもちろん映画というメディアを通じて、固定化しようとした。典型的な「もの」の「こと」化ですね。
一昨日も登場したレミオロメンに代表される日本のロックの世界もまさにこれです。「せめてこの時間よ、止まれとは言わないよ、ゆっくり進め」「時が止まればいいなって、真剣にぼくは願う」「ああ戻らない破いてしまった日めくりカレンダー」「ああ形ある全てのものに終わりが来る」…レミオロメンだけでもいくらでも出てきます。日本の伝統ですね。まさに貫之の古今集の世界が、今の歌につながっているんです。
だから、今の若者もですねえ、小津を観るべきです。昔は生徒にもよく見せていましたが、最近はどうもダメですね。見せる勇気がありません。本当は見せたいんですけど。白けるか寝るか、どっちかになりそう。現代のテレビっ子たちにはきついかもなあ。もう少し歳をとってからの方がいいかな、と。
さて、二番目のお言葉です。これはまさに「我執を捨てる」ということでしょうし、自分を造るのは他者であるという「縁起」の思想ですね。もののあはれ=無常とともに仏陀的です。まさに至言。
三番目も深いですね。有名な小津の発言です。いろいろな解釈も可能でしょうが、やはり最後の「芸術のことは自分に従う」でしょうね。一見、「我執を捨てる」と矛盾するようですが、芸術は最終的に自分自身に他なりませんから、当然こういった発言になりますよね。昨日も書きましたが、表現の力になるのは「他者との縁」であることが多いのですが、それを受けての自分自身は、やはり自分でしかないわけで、究極は「縁起した自己」を開陳するしかないわけです。そういう境地を経ての「自分は自分」というのは「我執」ではないと思います。つきつめた結果、世界との関係性を感じつくした結果の「自分」とは「世界」全体にほかならないのでしょう。詩のボクシングチャンピオンさんの「無いものは出ない」も、同じことを違う角度からおっしゃった言葉だと思います。
そうすると、また飛びますが、レミオロメンの「アイランド」における「時は止まらず、人は変れない」という歌詞の意味もわかってくるというものです。藤巻くん、若いのに立派です。
と、こんな感じでまただいぶ語っちゃいましたが、それこそこの語りこそが、他者との縁によって生じる「私自身」なわけでして…ってことは、このブログも「芸術」なのか!?いや、それはないっすね(笑)。
Amazon 考える人2007年02月号
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コメント
にわか小津ファンに過ぎない僕も、自分のブログでついつい語ってしまいましたよ。「東京物語」には「なぜ」が少ないから不満だとか…
「なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う」はいい言葉ですね。
投稿: mf | 2007.02.23 00:22
mfさん、おはようございます。
いやいや、大丈夫ですよ。
けっこうベテランの私の方が、ずっとたくさん語ってますから(笑)。
橋本治さんも語っちゃってますし。
ウチには全作品と大量の小津本が並んでます。
そういう罪な人なんですね、ozuって。
この雑誌のことを思い出させてくれたのはmfさんのブログでしたし、小津が連句であるという発想もmfさんに教わりました。
小津の鑑賞者も、究極は句を味わうがごとく観るようにならなければいけないんですね。
まだまだです。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.02.23 05:31