『子育ての倫理学 少年犯罪の深層から考える』 加藤尚武 (丸善ライブラリー)
この本は2000年に出ています。20世紀の終わりには本当にいろいろな凶悪事件があったんですよね。特に少年犯罪。なんとなく最近そういったことが多いような錯覚を覚えますが、実はずっと前から同じような状況だったんです。考えてみれば、私が子どもだった頃には、もっと悲惨な少年犯罪がたくさんありましたし、日常でも、暴走族やツッパリがウヨウヨしていて、町や学校がよく破壊されていましたっけ。私もかみそり持ったスケバンにからまれてひどい目に遭いました。親殺し、子殺しなんかもおそらく今より多かったと思いますし、誘拐などで子どもが被害者になることも結構多かった。いじめや自殺や学級崩壊も今に始まったことじゃない。なんなんでしょうね。人間は忘れっぽいということでしょうか。
そういう意味で冷静に考えますと何か変ですね。今どきの子どもは…とか、今どきの若者は…という言い方はどの時代にもあったわけで(おそらく縄文時代とかにもあったのでは)、もしその時々の実感が事実だとすれば、悪化の集積はものすごい量になっているはずで、おそらく人類はとっくの昔に滅亡していることになるでしょう。つまりこれもまたいつも言う「集団気分」であり、この前の本に従えば「予言の自己実現願望」というやつの一種なのではないでしょうか。
たぶん、いい意味での今どきの…というのもあって、なんとかプラスマイナス0でやってきたんだと思います。ただ、以前も書いたように、集団気分はマイナス方向に強く働くので、こういうことになっているのでしょう。人類は生来心配性であり、それによって一種の「倫理観」を維持しているのかもしれませんね。
というわけで、「倫理」の本です。それも子育ての倫理。私が読んだところでは、この本のキーワードというかキーナンバーは「3」ですね。3歳までの子育てが重要である。これはまあ「三つ子の魂百まで」ということで昔から言われていることです。
子どもと母性と父性、三者の関係についても比較的普通の論が提示されます。特に母性剥奪が招く子どもの人格障害の可能性については繰り返し主張されていますね。ただ、母親は母性、父親は父性という単純な二元論は否定されています。
二元論の否定としての「3」が続きますね。まず、「消極的自由放任主義」と「積極的強制主義」の二元論に陥りがちな教育界に苦言が呈せられます。これは本当にそのとおりで、二元論を最も避けねばならない教育者や教育行政にかかわる人々が、それに陥っているばかりか、両チームでケンカまでしてる状況は、私から見ると滑稽というか悲劇というか、まずはあんたたちが教育を受けた方がいいんじゃないの、と思ってしまいますよ。「ゆとり」と「つめこみ」、「個性」と「愛国心」、両方でいいじゃないですか。
続いて、「先天的」と「後天的」の二元論もいかんと。筆者は「後天的先天性」というのもあると主張します。そう三つ子の…ですね。後天的に刷り込まれたものでも、のちのち変えられないものもあると。「遺伝」と「環境」と「刷り込み」。アリストテレスの言う「生まれつき」と「習慣」と「ロゴス」。ルソーの言う「自然」と「環境」と「経験」。なるほど。
と、こういう感じで、子育てや少年犯罪やいじめなどについての考察や提言がなされていきます。私には、それがどうして「倫理学」なのか、ちょっとよくわからなかった…というか「倫理学」の実体がつかめていないだけですかね、とにかく「いい人になっていい人を育てろ」ということかな、という具合になんとか合点しました。
ただ最後にちょっと不快感を表明いたします。これは私の倫理観(?)に基づくものですので、筆者の倫理観を問うものではありません。前半部分、いろいろな凶悪犯罪(特に性的なものが多い)のレポートというか、他書からの引用があるんですが、それぞれがいかにも週刊誌的な内容で気分を悪くしました。それをなんとなく興味本位で読んでいる自分というのがいるわけで、それが倫理的でないということですけれど、ああいう引用は果たして必要だったかどうか。
さらに、これも私の言語倫理(?)の問題なんですけど、どうも加藤さんの文章が単調で辛かった。論文調と言えばそれまでなんですが、もう少し読みやすく流れのある文章を書いていただきたかった。加えて私が手にしたのが初刷ということもあるんでしょうが、誤植が多くて…。「家庭訪間」とか、「貪った」が「貧った」になってるとか(笑)。出版倫理的に許せません!(例の弱肉朝食ほどではありませんが)
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コメント
はじめまして。
ふらりとやってきました さときちと申します。
中々興味深い文章に長居してしまいました。
またお邪魔します。ではでは。
P.S 誤植の世界は面白いですね。
PC(携帯)の普及が新たな誤植文化(そんなモノ無いですか、、、)
を生んでいるような気がします。
投稿: さときち | 2007.01.23 23:57
さときちさん、どうもです!
長居していただいてありがとうございました(引き止めてゴメンナサイかな?)。
バカバカしい独言ばかりですが、気が向いたらまたいらしてみてください。
ところで、誤植文化ってありだと思いますよ。
平安の写本なんかもけっこう間違ってますしね。
2ちゃんみたいに、わざと間違うのを楽しむというのもありますし。
私も国語の先生なのに、最近板書で誤植してます(笑)。
まさにPCのせいですね…いや、自分のせいかも。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.01.24 05:19
イマドキの若者。。
って自分らもそう言われていた時代があったわけですね。
時代が変わり、世間も変わる。
若者の取り巻く環境も変わっているのですが、
自分達のやっていたことと違うので、
それを排除したがる。ということでしょうかね。。
倫理観って、何をもってそう言うかがわからないのですよね。
キリストだって、
お釈迦様だって、
マホメッドだって
みんなそれぞれの倫理観があったワケなんでしょうけれど
そんな偉い人の倫理観でさえ、
相容れない部分があるってことをみるならば
倫理というものは幻なのかもしれません。
個人的に思うのは、昔はみんなにそれぞれ倫理があり。。
警察官には警察官の倫理。
小学生には小学生の倫理。
ヤクザ屋さんにはヤクザ屋さんの倫理。
それを守っていて、しかもそれでいて
それを回りに押し付けないところがあったのでしょうけれど、
今はそれをひとつに押さえつけようとするところがあるんではないかと。
それは無理があるんではなかろうかと。。
ってことですよ。
って考えると。
周りに居る(関係する)人に悪く思われない。ってことくらいでいいのではなかろうかと。。(笑
投稿: たこたよ | 2007.01.24 16:37
たこたよくん、そうそう。
そうなんですよ。
私、倫理って言葉が嫌いでして。
結局集団のルールなんですよね。
それをまるで自発的な思想のように変換しちゃう。
まあ、人に迷惑かけない程度にやってきましょう、ってことですね。
だいたい人に迷惑かけると自分もいやな気分を味わうわけで、
結局は自分が快適にと考えると、社会の中では倫理的になっていくんですかね。
そうすると、自分のしてほしくないことは人にしない…これかなあ。
孔子が正しいのかも。
イエス流に、自分のしてほしいことを人に施せ、だけではダメっぽいっすね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.01.24 17:16