『〈対話〉のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの』 中島義道 (PHP新書)
この本はですねえ、実に刺激的で面白いんだけれども、どうも私はこういう類の本を読んでいると、後半疲れてくるんですね。池田清彦先生のこちらの本を読んだ時もそうでした。つまり、あまりに本当のこと(真実)が書いてあってですねえ、私のような「真コト」よりもはっきりしない「モノ」好きには辛すぎるんですよ。直接光源を見るような不快感がある。
結論から言ってしまうと、中島先生は日本人の、その場の「空気」を大切にするあまり「対話」しない姿勢に真っ向から異議を唱えているわけです。先生の御専門である哲学の舞台となったヨーロッパを見習え!と。
先生の攻撃対象となっている日本的事象は、たしかに全て理論的にはおかしいことばかりです。でも、真実・真理ばかりではやっていけない。全部本当のことをぶつけ合っては、やはり究極的には戦争になってしまうような気がするんです。
で、中島先生、本の上だけでなく実際の生活の中でも、周囲の目や言葉や身の危険をかえりみないで発言・行動するものだから、いつも誰かとぶつかっている。そういう「痛い経験」を包み隠さず書いておられます。それが、最初は面白かった。「やれ〜やれ〜!」って感じでね。そうそう、ホントのこと言っちゃえ!でも、ずっとそれだと、なんか自分が非難されているような気持ちになってきちゃう。ま、私がそういうやましさを持った人間だからなんですけどね。
そうした体験談の中でも、次のシーンは中島さんの考えと行動と性格をよく表していると思います。引用してみます。
『あるときわが大学の人文科学系列会議の席上で、私は「Yさんは委員になったのに、遅刻ばかりでしかもまったく働かず無責任ですよ」と本人に向かって言ったところ、万座が一瞬シーンとした。Y氏はなんの弁解もしない。会議の終わりにS氏が次のような発言をした。
「本日は大変不愉快な思いをしました。個人攻撃がなされたのです。本人にソッと言うのならまだしも、みんなの面前で攻撃したのです。各人の落ち度を容認し合って、和気あいあいとしていた雰囲気がぶち壊され、たいへん不愉快でした」
私ははっきり言って驚いた。大学の会議は慰安会ではないのだ。真剣な討議の場なのである。私は自分の目撃したこと、信じたことを言ったまでのことである。それが不当なら堂々と反論すればよいではないか。内容にはいっさい触れず、私の「個人攻撃」が許せないとは何ごとか。
「不愉快とは私のことでしょう。私の言ったことに反対なら、なぜただちに本人がそう反論しないのですか」
「反論できない人もいるのです!」
S氏は吐き捨てるように言った。と、近くのM氏も「そうだよなあ。ぼくもよく遅刻してみんなに迷惑かけたもんなあ」と事を穏便に納めようとする。アホらしくて話にもならない。私はS氏に向かって「あなたが不愉快だということだけわかりました」と発言して、その日の会議は終わった』
どうでしょう。皆さんはどのようにお感じになりますか。この体験談に至るまでにもこのようなことがたくさん披露されます。警察が出動したり、学生に殺されそうになったり(笑)。ほとんど武勇伝のようなので、最初は面白く読んでいたんですが、どうもこの段くらいになると、ちょっと頭に来たりしている自分がいることに気づきます。
最近のはやり…しかし実は日本古来の美意識である…「空気を読む」ということにおいては、彼は全く失格、正直「痛い」と言わざるをえません。正しいんですが、野暮です。
象徴的なのは、「自分の目撃した『こと』」「信じた『こと』」「何『ごと』か」「私の『こと』」「私の言った『こと』」「あなたが不愉快だという『こと 』」という具合に、「こと」を連発していることです。ね、いつも言ってるじゃないですか、自分の認識こそ「こと」であると。そういう意味では「こと」は自分の化身なんですね。で、なぜ中島さんは「こと」=「自分」に拘泥するかというと、それは一つの使命感を持っているからなんです。その使命について、本当に最後の最後、あとがきも含めて8ページの中で、ようやく述べてくれているんです。それでこっちも救われた。中島さんを嫌いにならないですんだ。途中で立腹して退席しなくてよかったという感じ。
その使命については、ここでは明かしません。ある意味最高のエンディングなんで。ぜひお読み下さい。
ところで、この私の感じる「痛さ」というのは何なんでしょうね。いつか書きました枕草子の「かたはらいたきもの=痛杉・空気嫁ないヤシ」を読んでいただくとよくわかると思うんですが、空気を読めないヤツの基準は常に自分にあるわけです。ですから、自己の内部である「コト」には固執しますが、外部である「モノ」には無頓着なんですね。というか「モノ」に鈍感なために結果として痛いヤツになるわけです。
いつも言っているように西洋はたしかに「コト化」の方向に歴史を動かしてきました。一方日本はいくら近代に西洋化したとは言っても、その基本は何千年も続いてきた「モノ」中心主義でした。すなわち個人よりも共同体を重視するんですね。よく言われるとおりです。
ですから、中島さんのように「真コト」をとうとうと述べられても、我々フツーの日本人には「不愉快」でしかないのであります。でも、池田先生や中島先生のような痛い…いや、私たちにとって耳の痛い存在も必要だと思います。四面楚歌の状況で孤軍奮闘する彼らはすごい。たぶん、それはものすごい賢さをお持ちだからできることなのでしょう。一騎当千ですか。
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コメント
この本は読んでいないのですが、この作者の「ウィーン愛憎」(当時中公新書)を読んで大いに共感し、「続ウィーン愛憎」(中公新書)を読んで、あまりの堕落振りに怒りがこみ上げてきた覚えがあります。「続」ではなくて悪い意味での「俗」になっていました。
”第一作”でウィーン大学というカフカの世界を髣髴とさせる巨大官僚組織に立ち向かう、孤独な一私費留学生の奮闘に深い共感を覚えた私でしたが、俗編はトリビアばかりの公費家族連れウィーン漫遊記でした。空気読めよな!わたしは、こんなオヤジにはなりたくありません。
こんなものを同じ体裁で出版した中央公論社も嘆かわしいです。ま、いまや読売の子会社ですけれど。
というわけで、庵主様の著者へのお怒りあるいはお嘆き、呆れ、もしかすると憐憫?は非常によく理解できます。
投稿: 貧乏伯爵 | 2007.01.18 12:41
伯爵さま、こんにちは。
ああそうなんですかあ。
「俗ウィーン愛憎」w
2匹目のドジョウは腐ってたと。
怖いもの見たさで読んでみたくなりましたよ。
図書館にあったらその堕落ぶりにツッコミ入れながら読んでみます。
空気を読むというのはとっても大切ですよね。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2007.01.18 13:12