『日本語の歴史』 山口仲美 (岩波新書)
昨日書いた「漢字」と「ひらがな」のせめぎあい、面白かったですね。あの番組でも参考文献とされていたこの本を読んでみました。
この本は一般の人向けに書かれた「国語史概説」であります。私、いちおうこんなようなことを大学で勉強したんですけどね、ずいぶんと忘れていたんでびっくり。今の私にはこのくらいがちょうどよかった。かなりネタを厳選、また表現も平易ですが、どうなんでしょう、一般の方にはまだまだマニアックに感じられるんじゃないでしょうか。難しいですね、本来学術的なことを易しく優しく書くというのは。このブログのような平成軽薄体(?)では、なんとなく信憑性に欠けますしね。
さてさて、この本の大きな流れは、「話し言葉」と「書き言葉」のせめぎあいによるダイナミズムで出来ています。結果として、その語り方は大成功だったと言えましょう。あまりにも混沌としている日本語の歴史を、シロウトにも分かりやすいように見せるには、こういうやり方しかありませんね。私が語り手だったら、きっと氾濫した流れの中で人も巻き込みつつ溺れてたところですよ。うん、「話し言葉」と「書き言葉」のせめぎあいという視点が、実によかった。秀逸です。気づきそうで気づかない。
さて、この本で改めて日本語の歴史を振り返ってみたわけですけれど、やはり私がひっかかるのは、その流れの上流の方ですね。だいたいが、日本固有の文字がなかったというところからして、どうもしっくり来ないんですよ。あっそうそう、私はそういう立場の人ですからね、引いちゃわないでくださいよ。トンデモをトンデモで片付けられないタチだもので。
筆者も(なんとなく山口さんって呼びにくいな)、「日本固有の文字はなかった」としています。学者さんとしても、大学で教鞭をとられている先生としても、当然の発言です。私は学者じゃありませんし、いちおう先生ですけど、高校の先生なので、たぶんトンデモなことを言っても許されるでしょう。
私は平田篤胤さんの説に賛成しま〜す!つまり、神代文字の存在を肯定しま〜す!ああ、言っちゃった。
まず現代人の実感として、文字がない生活というのが想像できないんですね。まったく学術的ではありません(笑)。人間の「コト化」の願望というのは、おそらく古今東西変らないものだと思います。つまり、情報を固定したいという欲望です。もちろん、縄文人が、世界で最もそういうことに疎いというか興味を抱かないキャラの持ち主であったことは認めます。しかし、日本にはいろいろな方角からいろいろな渡来人がやってきています。そのうちの一人くらい「コト化」しちゃった人がいるでしょう、いくらなんでも。ま、そんな予感です。全然学術的じゃない。
で、トンデモ、イロモノ、ハッタリ含めた「神代文字総覧」なるものを持っておりまして、可能な限り実物を見て回ったりしたわけです。たとえばここ富士北麓にも複数の神代文字らしきものが伝えられています。
こんなこと言ったり書いたりすると、必ず顰蹙を買いますし、顰蹙を買うだけならともかくも、原理主義者に攻撃されることさえある。たとえば「上代特殊仮名遣い」という兵器でね。上代には日本語の母音は8種類あったのに、神代文字は大概5母音しかないじゃねえか〜(怒)ってやつですね。そう、この「上代〜」についても、当然「日本語の歴史」で解説されています。筆者は原理主義者ではないので、この「上代〜」が、以前は定説であったのに最近その立場が揺らいでいる、ということをほのめかしています。
このことを書き出すとキリがない上、さらに危険なため(笑)、このくらいにしておきます。近い内に面白い資料を提示できるかもしれません。いずれにせよ、古事記、日本書紀、万葉集という、ごく限定的な地域において限定的な事情で書かれた資料の中の、これまたごく限定的な数の「証拠」によって、広い(特に当時は情報網的に考えてもかなり広かったでしょう)日本の全ての地域に「文字はなかった」とするのは、ちょっと乱暴だと思いませんか。どうなんでしょう、たとえばこの本を読んだ方は、みなさん「ああ、日本には字がなかったのね」って納得しちゃうんでしょうか。私が変なんでしょうかねえ。
おっと、話が上流も上流、水源の方で淀んじゃってますね。すみません。どうもそういう趣味なようでして。資料がなければないほど萌える、いや燃えるタチなんですね。
この本では、今の話は最初の40ページくらいで終わってますからね。もちろん、その後の二つの流れのせめぎあいや、途中流れ込む外からの流れなどもたくさん紹介されています。全体として、非常にダイナミックなものを感じることができるでしょう。言葉はやはり生きているんだなと。
そして、私がなんとなく嬉しかったのは、筆者が、漢語やカタカナ語、その他現代日本語のありようについて、非常に冷静な姿勢を保ってくれていることです。誰かさんたちのように、こっけいなまでに「日本語の乱れ」を嘆いたりしません。そして、「現代人は、『源氏物語』のような傑作を生み出せる可能性を手に入れているということです」とまで言ってくれているのです。なぜそのように言えるのかを知るだけでも、この本を読む価値はあると思います。
最後に。このブログの文体って、まさに「話し言葉」と「書き言葉」の融合、一致でしょ?そう、いつかも書きましたが、これは私が勝手に「講演起こし体」と呼んでいる文体です。私は読み手としてこの文体が好きなので、自分もやってみているというわけです、ハイ。
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