キース・ジャレット 『カーネギー・ホール・コンサート』
Keith Jarrett 『The Carnegie Hall Concert』
難病から生還したキースのライヴ。このライヴを聴けば、キースの体調、そして精神状況はかなりよいものと確信できます。非常に充実したインプロヴィゼーション。メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユーの時とは別人のようであります。あれはあれで感動的だったのですが。
いつものようにやや難解な音のカオスもありますが、そんな中にふと現れるキース節とでも言えそうなあの歌たち、今回の録音では特に美しく感じられます。どこか達観したというか、力が抜けたというか、病気をしたということもあるでしょう、いや単に還暦を過ぎてそれなりの境地に至っているということなのかもしれません。
キースと言えば、禁欲的とさえ言えるような研ぎ澄まされた音世界。それは昔も今も変りません。どこかジャズというジャンルを超えてしまっていて…そこがある意味ファンを選ぶ部分でもあるんですが…、こちらにもある意味緊張と弛緩を要求してきます。それこそがキース・ジャレットという音楽ジャンルそのものなのでしょう。ちょうどバッハがバッハという孤高のジャンルであるように。
今回のアルバム、いや、コンサートには、通して聴くことによって初めてわかるものがあるような気がします。それぞれの曲がそれぞれ単独で存在するのではなく、まるでこの世を象徴するかのようにつながっている。縁起している。それはどこか長大な物語であるようであり、また教会の天井に展開される宗教画のようでもあります。
そして、一つ一つのピースをつなぐのは、観客の拍手であり、歓声であり、嘆息であるのです。この録音では、曲間の拍手が3分近く続くものもあります。それはとてもカットできるようなものではありません。その拍手の渦自体が一つの作品のようであり、次のピースを生み出す原動力になっているのです。ここは単なる音楽の披露の場ではない。一見クラシックのコンサートのように感じられるかもしれませんが、それとは何かが本質的に違う。やはり、これはジャズなのか?
うまく表現できませんが、月並みな言い方をしてしまうと、次に何が来るのかという期待と不安、でしょうか。即興ならではの緊張であり、興奮であると思います。そうしたオーディエンスたちの心のエネルギーの束のようなものが、キースに集中しているのが、録音からもよくわかります。それを糧にしてキースは生み出す。
音楽の本来のあり方を示されたような気さえします。おおげさでなく、こういう瞬間があるということを幸福に感じます。
この日、キースが投げ返してきた音楽は、次第次第に落ち着き、そして観客にしみわたっていきます。何かの粒子のようなものが空中にあって、普段はてんでに動き回っている。それがキースの音楽によって鎮められていくのが見えるようです。やはりこれはスピリチュアルなレベルでの出来事だ。
1枚目から順に聴いていくべきです。最初は多少退屈に感じるかもしれない。しかし、最後の名前を持った(懐かしい)5曲…これはアンコールなのでしょうか…に至った時には、私たちの心の粒子もすっかり鎮められて、そしてそれらが涙として結晶していくことに気づくことでしょう。
1枚目が30分そこそこで終わり、2枚目は延々と80分近く続きます。このアンバランスな編集の意味も自ずと解ります。
ケルン・コンサートとは、全く違った意味ではありますが、ケルン・コンサートと同じくらい大変なことをキースは成し遂げました。
追伸 Part VIIはLet It Beですね。あらためてLet It Beってゴスペル・ライクな曲なんだなあと思いました。
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