『富嶽百景』 太宰治
今朝の富士山です。たいていこうして一夜にして雪化粧する。それで驚くことが、年に一回ずつあるわけです。それで思い出して、今日の授業で「富嶽百景」を講読いたしました。講読ってのは、単に私が読むということです。太宰のこの時期の文学にとって「講ずる=調子よく音読する」というのは非常に重要な要素であります。
以前、太宰の作品としては「走れメロス」と「カチカチ山」を紹介しました。走れメロスでは、太宰から聞いた(?)真実を書いてしまって、あとで太宰に怒られちゃいました(笑)。それから、カチカチ山のところで書きましたが、今年は悲しいことがあったんですよね。「富嶽百景」に登場する外川ヤエ子さんが事故でお亡くなりになってしまいました。今日あらためて読んでみまして、本当にヤエ子さんが太宰のことを思い、そして太宰もヤエ子さんを心から慕っていたんだなあ、と再確認いたしました。
さて、この愛すべき名作、教科書にも採られていますが、だいたい一部省略されています。なんでその部分が省略されているのか、というのが、また勉強になるわけですけど、まあとにかくあれじゃあ骨抜きになってしまう。特に私たちのようにあの小説の舞台そのものの上に住んでいるものにとっては。
そう、あの作品はほとんど生徒たちの居住区上で展開されていくんです。ですから、もう解説抜きでいろいろ実感できる。私がリズムよく音読するだけで充分なんです。幸せなことですね。
太宰の作品の中でも、最も美しいと言って良いであろうあの部分、そう「富士に化かされた」シーン。
路を歩きながら、ばかな話をして、まちはずれの田辺の知合いらしい、ひっそり古い宿屋に着いた。
そこで飲んで、その夜の富士がよかった。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰っていった。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐に化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ。燐が燃えているような感じだった。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛の葉。私は、足のないような気持で、夜道を、まっすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そっと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮んでいる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗。私は、自分を、それだと思った。ちょっと気取って、ふところ手して歩いた。ずいぶん自分が、いい男のように思われた。ずいぶん歩いた。財布を落した。五十銭銀貨が二十枚くらいはいっていたので、重すぎて、それで懐からするっと脱け落ちたのだろう。私は、不思議に平気だった。金がなかったら、御坂まで歩いてかえればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとおりに、もういちど歩けば、財布は在る、ということに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかえした。富士。月夜。維新の志士。財布を落した。興あるロマンスだと思った。財布は路のまんなかに光っていた。在るにきまっている。私は、それを拾って、宿へ帰って、寝た。
富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆であった。完全に、無意志であった。あの夜のことを、いま思い出しても、へんに、だるい。
私の研究によれば、この宿屋のあった場所は、現在私の学校の職員駐車場になっています。また財布を落とした道は、本校の母体になっているお寺の門前道です。まあ、ほとんど学校の敷地内みたいなもんです。
私は若かりし頃、太宰に心酔していたころですね、この名シーンを再現すべく、着流しなど着込んで、近くの飲み屋で一杯ひっかけて、月夜にフラフラこの道を歩いたんですよ。それで、わざと財布を落としてみた。それで、しばらく歩いて、ふと気づいたふりして、来た道を戻ってみたら…財布は路のまんなかに光っていなかった。ないにきまっている。私は、泣きながら、宿へ帰って、寝た。太宰に、化かされたのである…なんてこともありましたな。懐かしい。
さて、この小説の舞台になった天下茶屋にはちょっとした太宰のいたずらにより、私は出入り禁止になっております(笑)。あっ、それはここに書きましたね。ははは。
それから、それから、この富嶽百景を現代ドラマ化した映画「富嶽百景〜遥かなる場所〜」が今年公開になりましたね。私はまだ観ていません。痛い作品になる要素満載ですが、舞台を現代にしたことによって意外にいいのかもしれません。いずれ観てみます。
Amazon 富嶽百景・走れメロス
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