『樂ってなんだろう』 樂吉左衛門 (淡交社)
楽焼創成
先月、本物の樂焼ではないけれども、まあ「楽焼」に分類されるであろうモノを手に入れました。それは私の敬愛するある大人物の作でして、縁あって私がお預かりすることになったのでした。本当はここに紹介したいのですが、諸般の事情がそれを許しません。しかし、直接我が家を訪問された方には、普通にお見せできますし、もちろん手に取っていただくことも可能です。ただ、そうとだけ申しておきます。
さて、今まで焼き物や茶の道にそれほど興味を抱かなかったワタクシでありまするが、そんなわけでここへ来て、俄然そちらに興味を持ち始めました。いつも単純な私です。
それで、まずは「樂ってなんだろう」という基本的な疑問が湧いてきまして、それに答えてくれる本を探していましたら、茶道をたしなむ同僚がこの本を紹介してくれました。あらまあ、タイトルそのまんま「樂ってなんだろう」じゃないですか。おっ、よく見ると吉さんの自筆サイン入りだ。なんかいいなあ。
で、樂家の現宗匠であられる樂吉左衛門さん御自身によるこの美しい本、ながめているだけでたしかに「楽しい」。いや、楽しいから「樂」ではありませんけれど、登場する歴代の銘器たちが、どれも自然な言葉で語りかけてくること。写真で見るだけでも、そんな感じですから、手の中におさめて、その体温まで共有したなら、どんなに「楽しい」ことでしょう。
解説もわかりやすかった。でも、結局のところ、「樂ってこういうものだ」という結論には至りませんでした。たぶん、吉左衛門さんもあえて答を提示しなかったんだろうと思います。そう、千利休のアイデアとは、まさにそういう簡素な問いそのものであったのではないでしょうか。
もちろん、利休の茶の道には、禅宗の影響が大です。「〜ってなんだろう」と問い続けていくことの「楽しみ」こそが、茶の、禅の、そして樂の醍醐味、三昧境なのだと思います。無駄がないからこそ、そして、「作り」の要素が小さいからこそ、本質に迫ることができる。モノ(自分にとっての外部、不可知、不随意)がモノのまま、語りかけてくる。それをコト(自分の内部、分別、随意)にしようとして、しかし、結局はそれを完全に拒否されて、モノのまま受け容れなければならなくなる。それこそが大いなる「楽しみ」なのでしょう。
そんな「樂」の世界に、間接的であるとはいえ、こうして触れてみますと、ウチにやってきたこの盌もまた、実にリラックスした言葉で語りかけてくるようになるんですね。つまり、こちらの心が開かれたと。まるで、茶碗に注がれた茶自身のように、碗に包まれ、そして碗に従って、ここにある。そういう不二の境地に至るわけです。
利休が考案し、そして長次郎がそれを具現化したこの樂茶碗という世界、やはりそこにこめられ、またそこから発散される何かがあります。その何かとは、結局のところ「〜ってなんだろう」という問いに収斂されていくべき「モノ」なのかもしれません。
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