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2006.10.06

『ホテル・ルワンダ』 テリー・ジョージ監督作品

B000fotk6q01_scmzzzzzzz_v62938046_ こんなにうちひしがれている自分は本当に久しぶりです。全く元気がありません。虚しくて悲しくて吐き気が止まりません。人間はなんでこんなにも愚かなんだ。そして自分はどこまで無力なんだ。
 たぶん去年の私だったら、けっこう冷静に分析しているかもしれません。しかし、どうも最近の私は違う。それがいいことなのか、悪いことなのか、自分でもわかりません。昨日からの流れもあると思います。昨日、「バカと言われても理想を追い求める」ことを標榜してしまった、その矢先にこれですからね。
 今日は、生徒たちと「ホテル・ルワンダ」を観ました。私も初見だったのですが、「アフリカのシンドラー」という触れ込みにちょっといやな予感がしまして、つまり、単なる感動物として観てしまう可能性があるなと思い、それに私自身も生徒と同様ルワンダの内戦について、本当に教科書的な知識しかなかったので、即席で資料を作り、生徒に配布説明してから観賞いたしました。
 フツ族によるツチ族の大虐殺。自然豊かな小国で起きた信じられない悲劇。ナタで頭をかち割られ、レイプされ、火をつけられ、死んでいった者、100日間で100万人。言語も宗教も見た目も、それほど大きな違いがあるわけではない。第一長い歴史の中で混血も進み、はっきり言ってIDカードに押された印以外には違いはないと言ってもいいと思います。おそらく日本人の感覚では、関西人と関東人程度の違いでしょう。その彼らが憎しみ合い殺し合う。
 もちろん、植民地政策に象徴される、先進諸国の本当に馬鹿げた介入の問題もわかります。しかし、なんで人間がああも簡単に人を殺せるのでしょう。一人殺すといくらというように褒賞金が出たとも聞きます。映画の中でも、賄賂で人の命が救われたりしている。結局金ですか?敵対する民族を根絶やしにするために、子どもから殺していく。その感覚はなんなんでしょう。
 本当に脱力感に襲われました。1994年、私は何をやって生きていたんでしょう。ルワンダの名前は知っていても、日々のくだらない生活に追われ、バブルが崩壊してやれ困ったもんだとか、松本サリン事件でマスコミの暴走を興味本位で観察していたり。たしかにルワンダで起きたことを知り、そして何かをしようとしても何もできなかったでしょう。だからこそ、今また虚しいのです。日本は国として何かしたんでしょうか。映画では国連さえもほとんど無力でした。
 予習の中で衝撃的だったのは、そうしたジェノサイドが、他でもない教会で行なわれたということです。教会に逃げ込んだツチ族は、神に祈りながら惨殺されていきました。その数も万単位です。イエスに対してもそうであったように、神はまた沈黙しました。虚しさで胸が苦しくなります。
 映画の主人公は、家族も救い、また、1200人のツチ族を救います。そして、ラストで探していた姪たちと再会できます。それは一見救いであるかのようですし、映画としてはよくある感動物、アメリカの大好きなヒューマニズム物ということになるのかもしれませんが、私にはとてもそのように見えませんでした。彼は財力もあり、政治的コネクションも使うことができた、本当に特殊な人物だったからです。ですから、彼の行動と彼の幸運の裏にある、100万人の無力さと悲運が、彼を通して鮮明に見えてくるのです。彼の行動はたしかに勇敢でヒューマニティー溢れるものでした。しかし、それを選んで行使したくてもできないのが普通だということを忘れてはいけません。
 国際的に見れば、日本は彼のような立場にあるとも言えます。平和で豊かです。ノーブレス・オブリージュという言葉がありますね。高貴なるものの義務。高貴と言うのは語弊があるかもしれませんが、富めるものの責任として、知らないとか、自分には関係ないとか、国際政治的にいろいろ難しいんだよとか、そんなことを言っていられないのではないでしょうか。
 そう言いつつ、個人ではほとんど直接的には何もできません。また日々の生活にまみれていく中で、この衝撃も薄らいでいくんでしょう。だから虚しくなるわけですが、昨日も書いたように、気持ちだけでも変に冷めてしまわないでいたい。私があきらめたら世界全体の気分が変ってしまう、その境目に自分がいて世界の命運を背負っている、そんなふうにみんなが思ったら、もしかすると何かが変るかもしれない。バカと言われるかもしれませんが、そういうふうに夢想することだけは怠らないで行きたい。
 家に帰ってくると、ちょうど「太田光の私が総理大臣になったら」で憲法九条の改正問題について議論がなされていました。昨日「憲法九条を世界遺産に」を読んだばかりてしたからね。実にタイムリーでした。しかし、今日の私はどうもあの雰囲気に入っていけなかった。皆さんの議論の次元の住人になれなかった。本来考えるべきことが憲法問題にすり替わっているようにさえ感じて、妙に白けてしまいました。これは彼らが悪いのではなくて、たぶん私の精神状態のせいだと思いますけれど。
 ただ、太田総理も語る、人を殺す可能性を持った自分と、理想を追う自分が、両方存することは事実ですし、それを直視することの大切さもよく分かります。だからこそ自分が分裂して苦しい。きっと太田さんもそうなんでしょう。でも、そこに苦しむことを放棄してしまったら、私たちは生きている意味を失ってしまうでしょう。なぜなら、人を殺す現実の自分も、人を救う理想の自分も、両方ともある意味「狂気」であり、「バカ」であり、それこそが人間の本質だと思うからです。

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» ホテル・ルワンダ HOTEL RWANDA [芸術の小径]
2005年6月19日からほぼ半年間で約5000名の署名を集め、いま劇場公開されている 「ホテル・ルワンダ」を観ました。 1994年、アフリカのルワンダで長く続いていたツチ族とフツ族、民族間の争いが、100日間で100万人もの大虐殺に発展した状況の中で、命を懸けて1200人を助けたホテル支配人の実際にあった話です。 ノンフィクション映画としてだけでなく、ドン・チードル演じる支配人の心の葛藤もていねいに描かれていて、心打たれました。 「アメリカは合衆国なのにアフリカはなぜ合衆国...... [続きを読む]

受信: 2006.10.07 21:55

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