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2006.10.26

『茶道の哲学』 久松真一 (講談社学術文庫)

406158813309_bo01224223220_pisitbdparrow これは素晴らしい本でしたねえ。じっくり味わいました。けっこうなお点前でした。
 今、本当はやってみたいけれど諸般の事情によりできないこと、の第一は茶道でしょうか。生徒たちは授業で茶道を学んでおりまして、まがりなりにも全員お免状などいただくわけで、実はちょっとくやしい。なんというか、脳内ではもうかなり「茶」の精神のようなものは理解しているつもりなんだけどなあ…って茶道をやっておられる同僚に話したら、鼻で笑われちゃいました。そりゃそうだ。やってなんぼ。くめどもくめども尽きぬ深さこそ茶ワールドですからね。
 しかし、いくら笑われても私の脳内茶会は毎日開かれているのでした。で、それって例えば音楽の鑑賞者になるようなものだと思うんです。別に自分が楽器を弾けなくても、良き鑑賞者にはなれるじゃないですか。スポーツ観戦でもそうです。なんでも観客の哲学というのがあってよい。だから、本当は茶会を観戦したいんですね。亭主と客人という意味での客ではなくて。
 そういう性質のものではないと知っていて、しかし勝手に望むのは、超一流の茶会のテレビ中継をしていただきたいということです。DVDでもいい。とにかく観戦してみたいんです。そこから始めたい。表と裏の頂上対決とか観てみたいですよねえ。
 で、そういう機会というのがあんまりにもないので、本を読むわけです。そして、この本が素晴らしかった。もうこれ読んだら立派な脳内茶人になれます。野狐茶と言われようが構わない。
 お点前の作法とか、道具の名前とか、そういうものは一切ありません。この本に書かれているのは、本当に「茶道の哲学」のみでした。そして、そこに見えてくるのは、禅や日本文化の本質そのものだったのです。
 非常に多くのことを学ばせていただいたのですが、そうですねえ、どうやってまとめましょうか。やはり、「侘」と「数奇」でしょうか。一見矛盾する「侘」と「数奇」が同居して、場合によっては「侘数奇」という言い方さえする。これはまさに「空即是色」「色即是空」的世界観ですね。以下は本文に書かれていることではないかもしれませんが、全体を通じてなんとなく見えてきたことです。
 私の印象では、「侘」は「無一物無尽蔵」「知足」「見立て」などの哲学を経て、「心悟」「玄旨」に近づく、すなわち「空即是色」の大悟という感じ。これはいかにも茶道という感じで、比較的理解しやすいかもしれません。創造的無というのは、私たちが真っ白な紙に筆を走らせるようなものですから、イメージしやすい。
 一方の「数奇」はけっこう難しいかもしれない。高価な道具などに囲まれる中で悟っていくものとはなにか。あるいはその過程とは…。ここが「茶」や「禅」や「人生」の難しさであり、面白さであると思います。すなわち、自分を取り巻く全てを超越して自由になるということ。「色即是空」です。本文にもありましたが、法則と主体とが一体不二になって、主体は法則に制約されず、逆に法則が主体にかなっていく。そうして、常に新しい法則を創ってゆく。
 最近、私はこの「色即是空」がちょっと自分のものになってきたような気がするんですね。ただ世の中は空しいということではなくて、あらゆる存在から自由になるコツのようなものが少し分かってきた(ホントか?)。窮屈だったり、ゴージャスだったりするところから、新たな世界が見えてくる。
 あと当たり前かもしれませんが、一期一会ということで言えば、茶も真剣勝負だなと痛感しました。先日、武道を志す友人と呑んだ時、彼が「この間(ま)、この気で来られたら、死んでもいいという瞬間がある」と言っていました。なるほど、まさに一期一会の「死」の瞬間を相手に委ね、しかし同時にそれが主体的な唯一至上の選択になっているのか、と感動したんですが、茶道もそれと全く同じような場の創造なんですね。勝ち負けではないけれど、命懸けである。
 と、こんな感じで私の野狐は繁殖していくわけで、それが正しいこととは思いませんが、しかし一方であまりに「色即是色」になってしまっている現代茶道界もどうかしていますねえ。というわけで、この本の一番の面白さは、久松真一さんが、そうした茶道界に思いっきり苦言を呈していることです。かなり厳しい口調での家元批判とも取れる発言もしています。そういうところが野狐にとってはかなり快感だったりしたわけです。
 とにかく、「茶」についても「禅」についても、これほど分かりやすい説明の本は初めて読みました。おススメですね。久松さんの他の著書も読んでみようと思います。
 
Amazon 茶道の哲学

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