『春へのあこがれ』 玉木宏樹(Vn)高木真理子(Hp)
ミーントーンハープとヴァイオリンによる純正律でモーツァルトを
私のような古楽人にとっては、平均律以外の調律というのは全く日常的な存在です。まあ平均律も便利なんでよく使いますけど、他の調律法でなければ表現できないことがたくさんあるっていうのも事実です。
そういう意味では、平均律は標準語のようなもので、種々の非平均律は各地の豊かな方言のようなものとも言えるかもしれませんね。方言でなくては表現できないことは無数にあります。
ま、音律のことを言い出すとキリがありませんが、とにかく我々が普段耳にしている、たとえば多くのピアノの響きや、ケータイから流れる着メロ、iPodから聞こえるほとんどのポピュラー音楽が、平均律によって作られているのは事実です。そして、その他の調律法があるなんて、なかなか知る機会がありませんし、普通の生活をしていると(つまり古楽マニアだったりしないと)、その響きを聴く機会は極端に少ないのが実情です。
つまり、テレビをつけるとほとんど標準語が聞こえてくるというのと同じ状況なわけです。でも、たまに方言を聞くとホッとしたり、懐かしい気持ちになったりしませんか。たとえ東京生まれの東京育ちの人でも、方言を聞くとなんかいいなあって思ったりするじゃないですか。意味はわからなくとも。非平均律の響きもそんな感じなんです。
標準語には標準語の良さがあり、個性もあり、問題点もあるのと同様に、平均律の良さ、個性、問題点もそれぞれしっかりあります。方言も同様です。そして、完全な言語がないように、調律法にも完全なものはありません。振動数が整数比になって、物理的には美しいとされる完全純正律は、ある部分では人間にとって不自然だったりするのです。面白いですね。
で、このCDを企画し、実際にヴァイオリンの演奏も手がけている玉木宏樹さんは、著名な作曲家でもあり、また「純正律研究所」の主催をもされている方であります。その玉木さんの編曲したモーツァルトと自作曲、その他民謡などがおさめられたこのCD。伴奏はミーントーン(中全音律)という方言で調律されたアイリッシュ・ハープです。
聴いてみますと、たしかにハープはミーントーンのようですね。長3度は純正の響きです。私はけっこうこの響きに慣れている方ですので、ああなるほどという感じなんですけれど、ある人は「これ、調律狂ってない?気持ち悪い」って言ってました。その感覚もある意味正しい。標準語に慣れきっている耳には、いきなり知らない土地の方言は不自然に響いてもおかしくないわけですし、最終的に方言が絶対に正しいとか美しいとか言えるはずがありませんから。
さて、問題は玉木さんのヴァイオリンです。いや、これもほとんどの人にとっては、たしかにいつものと違うかな、たしかに穏やかな響きだな、という程度でしょうが、いちおうバロック・ヴァイオリンを弾く私としては、せっかく音程をミーントーンのハープに合わせようとしても、これだけヴィブラートかけちゃったらほとんど意味ないじゃん、というツッコミを入れたくなります。
ま、そんなマニアックなツッコミはやめときましょう。たしかにゆったりとした演奏で癒されますよ。きれいです。
実際、玉木さんの純正律演奏には癒しの実績があるのです。ウチの近所にある、ある介護老人保健施設で演奏したところ、お年寄りの方々の心が大変落ち着いたというのです。そして、そのコンサートののち、純正律のBGMを常時かけ続けたところ、この施設では徘徊、不穏等が減少したそうです。その結果は全国老人保健施設協会の学会で発表され、優秀賞まで取られたとのこと。めでたし、めでたし。
たしかに私たち古楽人が古楽にこだわる一つの理由は、その清澄な響きにあると思います。標準語ではない、忘れ去られたいにしえの響き。それが正しい響きかどうかは別として、それを知ろうとし、それの現代における意味を考えようとする姿勢は、とっても大切だと思っています。
そういう意味で、玉木さんのやり方も、正しいかどうかはもちろん決められませんが、一つの大切なアプローチであることは間違いないと思われます。
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