レミオロメン 『Flash and Gleam』
いちおう明日発売ですが、ちょっとフライングで。
ライヴ音源はまあライヴ音源でして、生でも観たし、録画も何回も観ているのでまあ良し。問題は新曲の「アイランド」です。
これは正直驚きました。やばい、また泣いた。なんでこのタイミングでこんな歌出しちゃうんだ?藤巻くんなりの抵抗なのか。書いている今も涙が止まりません。切なすぎる…。
私のみならず、多くの人が感じたであろう『HORIZON』の違和感。それは彼ら自身も感じていた。私は自分を納得させるためにあの記事を書きました。彼らは変りたいんだ、それにオレたちがついていっていないだけ…。しかし、なんか大きな力に流されている…。実は、彼ら自身も「流されている」と感じていた。そして、実は変りたくないとも思っていた。
そんな気持ちがあまりにもストレートに書かれている詞(詩)でした。「光を求めて 闇も捨てきれてなくて」「あの夢があせていくのを見てた」「戻れないかな 戻れないよな」「時は止まらず 人は変れない」「僕はどこへ行けばいい」「答えを待ち 居場所なくし 汚れてしまった僕」「戻れない時の波泳いでるよ」…。
まさに時の流れに翻弄され、不随意、不可遡の切なさを感じ、自分や他人が縁によって変化していくという「もののあはれ」を歌った歌です。これはもう平安時代の和歌の世界観ですよ。貴族たちは豊かに華やかになればなるほどに、こうした切なさを歌いました。権力争いや立身出世のために、純粋だった自分がどんどん崩壊していくからです。
レミオにとっての大きな転機は小林武史との出会いでしょう。私は小林武史の音楽が大好きです。それはこちらやこちらの記事を御覧になればわかるでしょう。彼のベースになっている音楽体験と私のそれとが、かなりの部分で重なっているんでしょう。最も尊敬するアーティストの一人です。しかし、私はインディーズや朝顔の時代のレミオロメンと小林さんが、どうしても結びつかなかった。彼らが組んだと聞いた時、本当に驚き、そして心配したものです。
『ether』はギリギリセーフだったんです。彼らのださい(失礼)田舎的センスが、小林さんの都会的センスに勝っていた。いくらああいうアレンジを施されても、メロディーは四七抜きですし、歌詞は豊かな自然に恵まれていた(下記リンク先参照)。しかし…。
さあ、それで、この『アイランド』です。islandということはisolatedということなんでしょう。とっても孤独になっちゃったんです。だって、この曲、私好みの小林武史節満載なんですから。彼がPVで泳ぐ大海と同様に、音楽的にも、小林武史という大海の中で、彼らのヴォーカルもベースもドラムも溺れそうです。コテコテです。さっそくコードを取ってみましたけれど、これは絶対にギターでは作れない。ピアノでなきゃ出来ない曲です。そして、自然発生的ではなく、職人芸的に生まれたものです。絶対。だからこそ、だからこそ、切ないんですね。そんなものすごい大海の中で、彼らが一生懸命叫んでるから切ないんです。泣けるんです。
ある意味残酷な音楽でしょう。しかし、考えようによっては、大海に飛び込み(飛び込まされ)、潮流に流されつつも、そこから逃げないで、溺れそうになっても叫び続けようとしたから、この名曲が生まれたとも言えます。いや、きっとそうです。たとえば、昔のとおり単なるスリーピースバンドとして演奏しても、この感動はなかったでしょう。
やはり、時の流れ、縁というものは、残酷なようでいて、しかし、何か新しい「モノ」を生み出していくのですね。だから「もののあはれ」の「あはれ」には負の意味と正の意味があるわけです。それが「哀れ」と「天晴れ」に展開していくのでした。ああ本当に「いとあはれなり」。
朝顔好きのカミさんは、そのあたりがよく理解できていないようで、「またストリングスばっかりだし、なんかユーミンみたいなサビだし」と言って否定的なことばかり言っていました。まだまだ青いな!彼女、横浜アリーナのチケット取りました。私は行く気がなかったんですが、なんか「アイランド」、ライヴで聴いて泣いてみたくなりました。
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