『音楽の基礎』 芥川也寸志 (岩波新書)
今日9月6日が、数十年後休日になるわけですね。それまで私は生きているでしょうか。難しいかな。
まあ私なんて、天皇制の意味を、(あまり一般的でない)いろんな角度から認めている派ですので、とにかく今日はおめでたい日でした。私も含めて?オタクたちはみんな慶んでますよ。2ちゃんなんかも完全に慶祝モードに入っています。それも当然と言えば当然。日本のオタク文化のルーツは天皇家にあると、いつも言ってるでしょ、ワタクシ。「萌え=をかし」は貴族文化です。ま、とにかく紀子さま、秋篠宮さま、まさにGJ!でありました。これで景気も回復でしょう。
さて、こういうことがありますと、血筋というか血脈というか、そういうものについて考えてしまいます。こちらの血筋もまたすごいですね。也寸志さんのお父さんは、もちろん芥川龍之介であります。
この本は、いわゆる教養書として書かれたものです。往年の岩波新書ですからね。1971年。題名が硬いじゃないですか。いかにも、という感じ。
それで実際の内容なんですけれど、たしかにまじめです。項目自体は普通の楽典書とほとんど同じです。記述もあまり面白おかしくないかもしれない。ま、文法書みたいなものですから。文章読本にもなってないわけでして。
それでもここにおススメするのには、それは当然理由があるわけですね。それこそが、実は血筋なんですよ。遺伝子。文章が実にいいんです。小説でも随筆でもありませんから、過度に音楽的な何かを求めてはがっかりしますが、なんというのだろう、まったく飾り気のない、しかし実に正しく美しい日本語なんです。
私は、冒頭章と掉尾が大好きです。ちょっと引用させていただきます。
「音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境を必要とする…音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある…静寂は、これらの意味において音楽の基礎である」
「…『音楽』という名の音楽、いわば〈音楽そのもの〉はつねに私たち自身の内部にしか存在しない。それは遠い昔においても、オーディオが発達した今日においても変るところはない。私たちの内部にある音楽とは、いわばネガティヴの音楽世界であり、作曲する、演奏するという行為は、それをポジティヴな世界におきかえる作業にほかならない。音楽を聞こうとする態度もまた、新たなネガティヴの音楽世界の喚起を期待することであり、作り手→弾き手→聞き手→作り手という循環のなかにこそ音楽の営みがあるということは、遠い昔もいまも変りがない。積極的に聞くという行為、そして聞かないという行為は、つねに創造の世界へつながっている。
この創造的な営みこそ、あらゆる意味での音楽の基礎である」
このような格調高い文に囲まれて、音楽の理論が整然と編み上げられていくわけです。この前奏と後奏がなければ、やや退屈な理論書に堕してしまったことでしょう。
ところで、この前後の文には深い意味が読み取れるような気がします。なぜなら、もうお解りと思いますが、「音楽の基礎=静寂=創造的な営み」という公式が出来上がるからです。そして、創造的な循環につながっているのは、「積極的に聞く」と「積極的に聞かない」行為であると言っているわけです。この「聞かない」というのがミソですね。つまりは「聞く」ことから生まれるのは「音楽」であり、「聞かない」ことによって結果として再生されるのが「静寂」ということでしょう。
私はここのところに、作曲家としての覚悟のようなものを感じましたね。文学でも美術でもそうでしょうが、結局自然と対決しなければならない。結果として作った意味のないもの(聞かれないもの)は、最初から作る必要はない。自然(静寂)のままの方が良かったわけですから。ものすごいプレッシャーですね。そういう覚悟がないと、お父さんともども、あんな名作群は残せなかったでしょう。そして、そのプレッシャーに負けたお父さんと、勝ったとは言えないかもしれないけれど、逃げずに闘い続けた息子。う〜ん、すごい世界だな。
ちょっと前まで、芸術って「モノ(自然)」を「コト(人為)」化するものだと思ってたんです。でも、全然違うような気がしてきました。新しい「モノ」、つまりそれに接する人々によって多様な意味を産出し続ける新しい「モノ(自然)」を創造することなんじゃないかなって。そこに循環性が生まれる。ただの「コト」化は一般メディアがやってることでしょう。で、「コト」に萌えてるオタクたちは、実はそこで完結せずに、「コト」を再び解体して…おっと、これは長くなるからまた後日。
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