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2006.09.30

『言葉図鑑 全10巻』 五味太郎 (偕成社)

403343001601_scmzzzzzzz_ 五味太郎さんのぶっとび具合については、以前こちらに書かせていただきました。はっきり言って大好きです。その五味さんの代表作の一つ言葉図鑑を親戚からいただきました。ありがたや。
 「子どもと大人のための日本で初めての言葉の絵事典」というだけあって、これは本当に面白いし勉強になります。いちおう言葉を専門にしている私も、いろいろと発見させられましたし、なにしろ笑えました。さすが五味センセイ!
 全10巻の内容は次のようです。

1 うごきのことば(動詞約570)
2 ようすのことば(副詞約470)
3 かざることばA(形容詞約260)
4 かざることばB(形容動詞約260)
5 つなぎのことば(助詞47)
6 くらしのことば(感動詞・接続詞など)
7 たとえのことば(比喩に使う語)
8 かくれたことば(暗示・省略などの機能)
9 しっぽのことば(助動詞と連語)
10 なまえのことば(名詞)

 私たちが言語を習得していく過程を考えてみると、視覚の記憶との連合が大きな役割を果たしていることがわかります。ですから、言葉を絵で説明するという発想は昔からありました。実際、そういう事典もいくつか発売されています。外国語の学習の際にも、この方法はよく用いられますし。
 しかし、この図鑑はちょっと違いますね。なにしろ五味センセイですから、一筋縄に行くわけはない。とにかくその言葉の選択と、それに対応する一つ一つの絵の面白さたるや、もうたまりません。言葉の数だけ笑いがあるわけですよ。笑いがあるということは、そこにそういうストーリーがあるということです。その物語を想像して、そして創造して笑うわけですから、当然その言葉は生きた記憶として脳に刻み込まれるわけです。子どもにとって、その教育効果は絶大でしょう。
 基本的には、その物語は大人が作って子どもに聞かせてやるという形をとるでしょうね。あるいは一緒に考える。いすれにせよ、大人にとっては、ついつい忘れがちな「モノガタリ」という行為を思い出させてくれる効果があります。「モノガタリ」せずにはいられない、そう、「コト」になりそうな「モノ」の状態を提示される感じなんですね。ついつい語っちゃうわけです。これこそ、硬直化した大人たちに対する五味太郎的教育だと思います。私もかなり教育されました。
 これは高校生の教材としても使えますね。今度やってみようかな。
 最後に私のお気に入りの部分(の一つ)を紹介します。4巻のあるページ。絵は紹介できませんが、想像してみてください。

「どんなふうふ…」
えんまんなふうふ
おしゃれなふうふ
きちょうめんなふうふ
きみじかなふうふ
げひんなふうふ
じょうひんなふうふ
じみなふうふ
たっしゃなふうふ
ちぐはぐなふうふ
びんぼうなふうふ
ふとっぱらなふうふ
おうようなふうふ
しみったれなふうふ
いなせなふうふ
ほがらかなふうふ
ひかえめなふうふ

Amazon 言葉図鑑 全10巻

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2006.09.29

「一期一会 キミにききたい!…オタクと偏見の話@池袋.乙女ロード」(NHK教育)

15hjk 9月2日の記事でも紹介した番組「一期一会」。今日のもかなり面白かった。バリバリの体育会系イチゴくんが、筋金入りの腐女子系イチエさんと出会います。
 2次元のヴァーチャルな世界を基本としたオタクの世界が全く理解できないイチゴくん、スポーツを通じた生身のつきあいから生まれる感動や本当の人間関係を大切にすべきだと主張します。まあ当然ですよね。それに対して、男装喫茶の経営者でもあるイチエさんは、自分の店に彼を招いたり、自宅のガンダムフィギュア群を見せたり、メイド喫茶に連れて行ったりします。イチゴくんはどこへ行っても「チワッス!!」と元気にあいさつ(空気嫁)。その後は苦笑するばかり。まあ当然ですよね(でも、メイド喫茶ではちょっとデレデレしてて可愛かったっす)。てか、イチゴくんのファッションがよかったっす。ラガーシャツに部バッグ(?)。そこには「一生懸命」の刺繍が…いいぞいいぞ(笑)。
 さて、そんなわけで、もうその状況だけでも面白かったんですけど、最後の方で二人とも身近な人の「死」について語ったんですよ。イチエさんは悲しみや苦しみから逃れるためにガンダムSEEDに没頭した。イチゴくんは自分の体をいじめて現実から逃げようとした。好対照です。
 そこで、私は今読んでいる本の内容を思い出したんです。仏教の本です。その本(近いうちに紹介します)では、仏教学の立場から、仏陀自身が説いたのは「老病死の苦から解放されるために、全ての生産活動をやめ、余り物だけをもらって生活し、ある特殊な集団の一員となって、肉体的な難行苦行ではなくひたすら脳内で瞑想をすべし」というようなことだと紹介しています。
 ん?これってオタクじゃないっすか?いや、今日はわざと極端な話をしています、私。もちろん真面目に考えれば、仏教とオタクの相容れない部分もたくさん提示できますけれど、今日はわざとこんな感じで書きます。
 というのはですねえ、ここのところ、オタクやひきこもりやうつ病や境界例や不登校やニートやパラサイトなんかの集会(?)に参加することが多く(って学校内の話しですけど)、つくづく思ったんですよね。こいつらが生きにくい世の中だなって。資本主義と民主主義、つまり生産性と多数決の世界だからこそ、彼らはまるで病人扱いされる。でも、ちょっと冷静に考えれば、どちらが地球に優しい(って言葉もあっち側の発想ですが)か分かりますよね。本当に正しいのはどちらなのでしょう。彼らの感じる違和感の原因って、彼らの中にあるんじゃなくて、この世の中にあるんじゃないんですか?
 という具合に進んでいくと、それは仏陀の発想につながっていくわけです。これは半分冗談であり、半分真面目な主張であります。生産性と多数決…これらが正しいと思うのは、そういうふうに教育された結果であり、各個人の検証の結果ではありません。それだけは確かです。
 おっと、とんでもない話になっちゃった。えっと、一期一会に戻します。ま、こんなふうに毎回いろいろなことを考えさせられる30分を提供してくれるこの番組。前身の「しゃべり場」はちょっと痛過ぎて観る気になりませんでしたが、こちらは実にいい感じですね。こだわりをぶつけ合う若者たちが、たとえ部分的にであっても、理解し合い、受け入れ合い、認め合っていく姿は、本当に感動的です。なんか「愛」ですね。人類愛。こうして、互いが接し合うことによって、誤解を解き、自分自身も豊かになっていく。完全なる異文化理解は難しいでしょうが、異文化交流がもたらす光明には大いに期待できますね。特に、かたくなに見えつつ実はフニャフニャの若者にこそ体験していただきたい。
 この番組、なんとなく私がイメージするものの雛型になっているような気がします。再び「さすがNHK!」。みんな観るべし!

30日(土)午前11時15分から再放送あり!!

一期一会公式

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2006.09.28

『日曜美術館30年』(NHK教育)

あの名作と名場面に会える〜NHK日曜美術館30年展から〜
36668 日曜日に録画しておいたものを観ました。
 昨日の記事に、霊界はすごい人材が揃ってるみたいなことを書きましたけれど、まあ考えてみれば当たり前とも言えますよね。しかし、こうして比較的最近のすごい人材を続けざまに見せられると、これはもうホントに降参であります。早くちゃんと人間界で修行して霊界に行きたくなっちゃいますよ。でも、こうしてビデオやらなんやらで接することができるから、まあいいか。人間界に未練もたっぷりあるし。
 メディア(ミーディアム)というのはやっぱり「霊媒」なんですよね。ビデオ以前に、彼らが残した作品こそ、霊界と人間界をつなぐメディアであるわけです。
 この番組はNHKさんの長寿優良番組の一つである「日曜美術館」「新日曜美術館」が30年を迎えたのを記念して放送されたものです。過去のすさまじい映像のダイジェストでした。とにかく紹介される作品よりなにより、その作家さんと解説者の存在感に圧倒されちゃいました。彼らの映像自身が一つの美術品になっているような感じ。濃いなあ。濃すぎ。80年代の映像が多かったんですけど、あの時代なにげにすごかったんだなあ。子どもだったから分からんかった。
 今日はもう、その霊界からのメッセージに完全にやられちゃいましたので、「彼ら」の名前を列挙しておしまいにします。こうして名前を挙げるだけでも、強力なメッセージを発すると思います。名前もまたメディアということでしょうか。左が作家。右が解説者。

荻原守衛 臼井吉見
黒田清輝 白洲正子
関根正二 今東光
八木一夫 司馬遼太郎
ルドン 武満徹
棟方志功 池田満寿夫
横山操 加山又造
岡本太郎
中川一政
田中一村
小泉清
ルオー 遠藤周作
ピカソ 五木寛之
鳥獣戯画 手塚治虫

 おっと、いまだ人間界で修行中の方もおられますな。失礼。まあそれは四捨五入するとして(?)、とにかくすごいなあ。霊界の充実度は年々増すばかりですからね。彼ら向こうでどういうコラボレーションしてるんでしょうね。非常に楽しみです。
 カミさんと話し合ったんですけど、まず彼ら外見がすごいっす。個性的すぎます。世の中どんどん都会化して、人間も平均化していくんですよね。虫とかもジャングルにいるヤツとかは、変な色や変な形してるじゃないですか。都会のヤツは無個性ですよね。「変」が許されないのが都会なんでしょうね。残念です。
 いつも言っているように、都市化とはコト化であります。モノノケの排除が都市の機能ですからね。80年代にはまだまだモノノケが潜伏していたと。そう言えば、ここのところ都市伝説聞かないなあ。
 この番組、進行は野村アナと檀ふみさん、ゲストは太田治子さんと大岡玲さんでした。あまりの霊界のすごさに圧倒されて最初気づきませんでしたが、考えてみると、檀ふみさんと太田治子さんの組み合わせもすごいですねえ。檀一雄と太宰治ですか。因縁浅からぬお二人のお子さんということです。これもまた霊界からのメッセージですね。ということは、やはり子どももメディアということですね。なるほど。

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2006.09.27

追悼 丹波哲郎さん&市川昭介さん

Ttbf 私にとっての神様と仏様が、あいついで大霊界に旅立たれました。人間界で修行中の私としましては、なんとなく心の支えを失ったような気がするのでありました。
 丹波哲郎之命様は、いろいろな意味で尊敬すべき方でした。もちろん国際的な俳優としての偉業の数々については言うまでもありません。「豚と軍艦」最高です。
 そして、霊界の宣伝マンとしての丹波さん。彼の霊界観は出口王仁三郎の影響を強く受けています。実際、自らが主演監督して出口王仁三郎の一代記を撮ろうと考えていたようです。数年前には、オニさんの耀わん(楽焼)を手に入れられて喜んでおられる姿がテレビで放映されていました。たしかに彼の器の大きさや、楽天的で破天荒な一面などは、オニさんに似ているような気がしますね。尊敬しておられたんでしょう。もう今ごろ霊界で弟子入りをすませているに違いありません。ちょっとうらやましい。
 ちなみに私が一番好きな丹波作品は、主演作品ではなく監督作品です。1980年に制作された「砂の小舟」です。まさに霊界物語的な不思議な作品でした。その後の霊界ものよりもずっとシュールでマニア好みの作品でしたね。真言立川流も登場し、それはそれは妖艶な世界でした。ひさびさに観たいな。
54dfnn 市川昭介菩薩様については、昨年こんなふうに書いております。もともと菩薩様のようなお方だったわけですが、数年前に胃ガンを患われてからは、お痩せになるとともに、さらに笑みが柔和になり、お言葉の一つ一つにも本当に慈愛に満ちておられました。まさか一年後に彼岸に旅立たれるとは思いもよりませんでしたので、あの記事ではちょっと失礼な言葉づかいをしてしまいました。ごめんなさい。
 彼の書いた、日本語を大切にしたていねいなメロディーは、本当に心打つものがあります。都はるみさんだけでなく、多くの歌い手さんたちを、優しい慈愛の光で励まし、そして彼らを通じて、私たち日本人の心を癒し続けた菩薩様。本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。
 テレビで誰かも言っていましたが、今や霊界の人材はすごいですね。人間界にはカスしか残ってないような気がします。自分も含めて修行の足りないやつらばっかり。丹波さんや市川さんのレベルまで修行するとなると、私は500歳くらいまでこの世にいなくてはなりませんな。嬉しいような悲しいような。

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2006.09.26

祝!?安倍内閣発足(安倍劇場初日)

70009l1 ひきこもり…じゃなくて山ごもりの成果、安倍内閣の布陣が発表されました。何がびっくりするような驚きの驚愕サプライズ人事だったのか、ちょっとわかりませんね。今一つ個性に欠ける役者陣ということで、どうもこの舞台のロングランは難しそう。まあ、プロデューサーさんのお手並み拝見といきますか。 
 まずは教育改革ですか。また現場は振り回されるわけですね。ウチは私学ですからまだ振り回され度は低い方ですけれど、公立の先生方は大変ですね。上からは理想が、下からは現実が、相当な勢いで襲ってくるわけですから。結局そのダンパー役に終始するだけ。それで汲々としていると、今度は実情を知らない野次馬たちの暴力的な批判を浴びる。やってらんねえよ。
 私は愚痴をこぼしているわけではありません。多くの先生方のお気持ちを代弁しているだけです。
 だいたい教育論議って振れ幅が大きすぎるんです。実にデジタル的。教育の世界で一番あってはいけないはずのことが、一番上で日常的に起きてるんです。やれ「ゆとり」だ「つめこみ」だ。やれ「心の教育」だ「学力向上」だ。もう対症療法はやめましょうよ。
 中庸とか中道とか、あるいは両立とか、そういった考えはないのでしょうか。だいいちデジタル的思考を振りかざす偉い人たちって、極端に偏差値高いですからね。そういう世界しか知らないわけでして。ご愁傷様です。
 学校教育も大切ですが、もちろんそれ以前の「教育現場」もありますよね。やっぱりそちらが先だと思います。子どもの教育以前に、親の教育が必要なんじゃないですか?ま、私も親として人のこと言える立場ではありませんが。
 続いては拉致問題ですか。これは実に難しい問題ですね。いや、導くべき結果はただ一つなわけですが、そのためのプロセスが難しい。これもまた極論に走ると、解決が遠のいていきます。そのあたりの政治的手腕が問われるわけですね。それこそ「美しい」方法だけではダメですから。ワタクシゴトではありますが、横田めぐみさんとは幼少の頃に一緒に遊んだ仲ですので、とにかく早期解決してほしいわけですけれど、焦りや単なる正義感は禁物です。相手はヤクザさんですからね。
 いずれにせよ、「美しい」という言葉で片づけられない問題山積です。「美しい」という言葉の持つ残酷性(以前書きました)や偽善性に気づかないと、安芝居(シャレです)にだまされることになりますよ。プロレスのように、わかっててわざとだまされるのはいいんですけどね。詐欺はいけません。昔から美辞麗句には気をつけろと言います。美しい○○には××がある。
 
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2006.09.25

ショスタコーヴィチ 『ジャズ組曲』

SHOSTAKOVICH: Jazz Suites
555949 100歳のお誕生日おめでとうございます。今日はショスタコーヴィチさんの誕生日です。
 以前、キース・ジャレットの弾く24のプレリュードとフーガを紹介しましたね。そのころからなんとなくショスタコーヴィチに興味を持ち始めていました。ちゃんと聴く前は、まあ難解な現代音楽なんだろうな程度の浅はかな認識しかなかったんで、今ちょっと恥ずかしい気持ちになっています。これほど親しみやすい音楽だったとは。
 ただ、私のお気に入りはどうしても偏りますね。これはもちろん私の音楽的趣味の狭小さから来るものだと思いますけれど。先ほどの前奏曲とフーガもそうですが、バッハに敬意を表したとおぼしき対位法的楽曲や、映画音楽に使われたもしたダンス・ミュージック系ですね。それらなら何度も聴ける。もちろん、その他の彼らしいオーケストレーションの妙味やら、やや政治的、思想的臭いのするものなども、ふむふむ悪くないねえ、という感じでは聴けるんですが、繰り返し聴くとなると、どうしてもある意味わかりやすいものになってしまう。もうこれは私の能力の問題だと思うので諦めています。
 で、今日はいつものお気に入りをNMLで聴きました。これはジャズというよりは、サロン風なダンス・ミュージックなわけですが、シリアスなイメージの先行しがちな彼が、実はたいへんにユーモアやウィットに満ちた人物であったことを雄弁に語る名曲だと思います。おそらく自分自身が演奏して楽しんでいるのを思い浮かべながら作曲したのでしょう。音の一つ一つが生き生きとした躍動感を持っているように感じられます。音自身が踊っている。
 というわけで、今夜はウォッカでも飲みながら軽くダンスでもしたいところですが、実はどうにも胃が痛くていかんのです。胃潰瘍かもしれません。間違いなくストレスです。その原因は…明日胃カメラ飲むんですよ。それがいやで胃潰瘍になっちゃったみたいです(笑)。第一医者大嫌いな私です。もうとにかく医者に行くだけでもストレスになるんですよ。これじゃあ、なんのための検診か分かりません!
 というわけで、今夜はこのへんでおやすみなさい。せいぜい夢の中で踊りましょう。

Amazon ショスタコーヴィチ:ジャズ音楽集

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2006.09.24

『東京カワイイ★ウォーズ』(NHKスペシャル)

4hgj この前の『COOL JAPAN スペシャルin Paris』でも取り上げられていました渋谷系ファッション=リアル・クローズ (REAL CLOTHES)。正直、私には全然関係ないし(当たり前か)、ちょっぴり眉をひそめていたんですけど、今日のNスペを観て、がぜん興味がわいてしまいました。いやいや、それにかかわりたいとか、そんな(爆)なことは考えてませんよ。ただ文化としての…。
 そう、私の独特の日本文化論に結びつけて考えながら観てたんですよ。な〜るほどねって。
 前にも書きましたけれど、女の子(NHKはギャルって言ってましたけど、それって合ってますかね)たちの「カワイイ!」は、やはり男の「萌え」に対応しますね。私は「萌え=をかし」論で、「をかし」の語源が「招く(をく)」であるとしました。こちらに招き寄せて所有したいという気持ちだと。で、今日の番組中、ギャルたちが「カワイイ=着たい・買いたい・身につけたい」だって言ってたんです。これはまさに「招く」ですよ。つまり、「カワイイ=をかし」ということです。とすると、枕草子で清少納言は「超カワイイ!(いとをかし)」を連発しているってことですね。まあその通りのノリですよ、あれは。「とても趣深い」なんて言ってない。もっとポップです。
 番組では、さすがNHKらしく、ちゃんと対照概念の「あはれなり」も登場させてましたよ。つまりモードです。伝統的なファッションの形態。コシノヒロコさんなんか、かなり厳しい口調で苦言を呈してました。目が怖い…。たしかにああいうのは美しい。いいなあとは思うかもしれませんが、ギャルたちは「カワイイ!」とは言いません。なぜなら、「招く」ことができない予感がするからです。だって高いんだもん。手に入れたい気持ちもないではないが、実際には手に入れられない。思い通りにならないという面においては、これはまさに「もののあはれ」であります。
 で、今ファッション業界でも、「あはれ」モードが「をかし」ポップにすり寄り始めていると。かの東京コレクションが東京ガールズコレクションに学んでいる。これは全く正常なことと感じました。どのジャンルの文化にもよくあることです。日本の文化はそれで進んできた。その時々の感性にまかせつつ、それらを上手に時系に紡いでいって、そして振り返るといつのまにか一つの確固たるスタイルに仕立て上げている。それを認識した時、そこにこだわり、しがみつく人が現れる。それでいつのまにか柔軟さが失われてしまう。それをまた感性でぶち壊す人が現れる。
 やっぱり「萌え・カワイイ」的、刹那的感性は女性の専売特許ですね。そして、全体像を見るのは男。つまり、「をかし」文化は女性が担ってきたんですよ。「あはれ」は男。だから、萌え〜とか言ってる男(オレも含めて)は女性化しちゃってるんですね。武士道じゃなくて貴族文化ですよ。いつも言ってる通り。
 それにしても、エビちゃんすごいっすね。その刹那的感性のカリスマですわ。もえちゃんもね。ああやって、立派そうな男どもをリードし、救っていくわけですから。女性には頭が上がりませんね。男の空いばりってことか。理屈よりも感性の方が結局正しいし強いと。まあ、せいぜい男は長期的展望に立って経済活動に励む程度ですな。男が稼いで、女が使うか。
 ああ、面白かった。いつもながらNHKGJ!です。ウチのクラスのギャルたちにも見せてやろうかな。田舎のギャルたち(失礼!)はどう思うだろう。

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2006.09.23

『ROCKIN'ON JAPAN 10月号』

ロッキング・オン・ジャパン
B000icl50o01_scmzzzzzzz_v40026142_ これは買うっきゃないでしょ。吉井和哉藤原基央のロング・インタヴューにレミオロメンの滑走路ライヴと来りゃあねえ。なんとなく最近身近に感じているミュージシャンたちが揃いも揃ったもんです。このブログでは創刊者の橘川さん関係で時々文字になっていましたけれど、ロッキング・オン、久しぶりだなあ。もしかして10年ぶりくらい?買うのは。立ち読みはけっこうしますけれど(スンマセン)。
 じっくり読んでいろいろと思うところがありましたね。まさに「ジャパン」だなあと。ロッキング・オンがジャパンを作ったの正解ですね。20年前、たしかに日本のロックが特別な色彩をもって成長しはじめた。欧米の後塵を拝していた時代は終わり、独立した存在として認知されはじめて、もう20年。日本のロックはずいぶんと大人になりました。というか、こんなことを言う自分が大人になったなあ、という感慨かな。日本の音楽けっこう馬鹿にしてたからなあ。
 それにしても、ロックってなんでこんなに繊細なんでしょうね。なんでこんなに語られるんでしょう。ロックのメッセージってこんなにもめめしい。いや、悪口じゃないんですよ。私はそれが日本のロックだと思っているんで。壊れそうに繊細なんですよ。そんなやるせなさ、切なさとの対決が、ロックとなる。
 間違っていないと思います。ロックは反抗の音楽なんですから。その対象が、自分の、そして世界の切なさであって悪いはずはありません。いや、どちらかというと、目をつぶったり、ごまかしたり、妥協したりしない、そういう魂がロックそのものだと思いますよ。
 だから、日本のロックは文学を継ぐものだと、私はいつも言ってるんです。吉井さんと藤原くんの言葉のどこが文学でないんでしょう。実におセンチですよ。そのおセンチをあえてめめしいって言ってみたんです。ロックは男らしいっていう通念に反抗してね。
 お二人のインタビューにはいろいろと共通するものがありましたが、私の心に残った言葉は「決着」です。自分の中のもやもやみたいな「モノ」に対する「決着」が「ロック」だという感じが、双方から読み取れました。ほとんどの芸術家というのはそうなんでしょうが、自分と世界との関わりの中に必ず生まれる「もやもや」した「モノ」に決着をつけないと、それこそ死にたくなっちゃう。決着つけるという行為こそが、私の言う「コト化」であると思うわけですが、それが多くの他者にとっては新たな「関わり」を生んでいくわけですね。新しい「モノ」が語られるわけです。そういう意味での「物語」という解釈もありかなって、最近思ってます。自分の中の「モノ」と格闘して、つまりモノを語って、抽象して、ある意味人に押しつけていく。芸術家の仕事ってそういうことなんじゃないかなって。モノの連鎖。それが生命っていうような気もします。
 日本のロックがそういう性質でもって成長していくということですから、その担い手は自然内省的な人たちになっていきます。語弊はあるかもしれませんが、ちょっとひきこもりっぽい感覚がないとやっていけません。それを受け止める方、つまり聴衆もまたそういう性格を要求される。実際、日本のロックの聴き手は、案外暗い系が多かったりします。明るいパッパラパーは明るいパッパラパーな音楽聞いてますよ。
 というわけで、私も完全に暗いひきこもり系ということを確認して、読了いたしました。さすがロッキング・オン。チェックの入らないインタヴューもまた、そういう意味でのロックになっているということでしょう。美しい物語をありがとう。再び「人形劇ギルド」を観ましょう。吉井さんのアルバムも楽しみだなあ。

Amazon ROCKIN'ON JAPAN 10月号

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2006.09.22

安倍晋三山ごもり@ご近所

News3386128_1 職場から自宅に帰ろうとしたら、思わぬ渋滞にひっかかりました。ふだんならどんな時間帯でもス〜イスイのところになぜか多数の駐車車輌と人だかりが…。
 そう、今ウチの近所に安倍晋三さんがいらしてまして、それで大騒ぎ(と言うほどでもないが)になっておるようです。テレビ局の中継車やら、黒服のSPやらで、いつもは閑静なこのあたりも、ちょっぴり賑わっております。ニュースでは河口湖畔とか言ってますけど、全然湖畔じゃありませんよ。富士山です。わが村、山梨県鳴沢村です。
 このあたり、富士山麓はたしかに老舗の別荘地ですので、歴代首相をはじめとするそうそうたる政治家の方の別荘が多々あります。もちろん、政治家のみならず、芸能人やら経済界の重鎮やら芸術家さんやら、はたまたヤクザさんやら、いろいろですな。それを散歩しながら探訪できるというのは、ここに住む一般人(凡人)にとっては、たしかにぜいたくな娯楽と言えるかもしれませんね。
 なんでも安倍さん、人事を練っているとか。これはたしかにニュースになりますねえ。「びっくりするようなサプライズ人事!」とか言ってましたけど、それじゃあ、驚愕の驚き!ですよね(笑)。しかし、たしかに小泉劇場に続く安倍劇場に国民の目を向けさせるためには、まずキャスティングです。芝居なんか、ほとんどそれで決まりますから。シナリオは二の次です。だいたいシナリオ通り行かないのが政治のシナリオですから、やはりアドリブのきく役者をそろえてほしいですね。
 麻生さんの処遇が注目されていますが、役者としては、彼のような軽めのアドリブの得意な喜劇役者さんはとっても貴重な存在です。安倍さん自身は、どうもコメディーは苦手なようなので、麻生さんのキャラに頼るべき部分はけっこうあると思いますよ。観客としては彼の芝居を観てみたい。
 どうせなら、びっくりするような驚愕の驚きのサプライズ、民間人登用ってことで私なんかどうでしょう(笑)。何大臣でもいいっすよ。中川さんが文部科学大臣になるんだったら、私の方がいいかもしれません(笑)。
 ちなみに上の写真は、私がひそかに撮影したもの…ではありません。別荘の映像でもなく、たぶん自宅です。あしからず。

安倍昭恵さん来訪

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2006.09.21

『天命の暗号』 出口光 (中経出版)

480612517201_scmzzzzzzz_v59075970_ モノでもコトでもヒトでも、運命的な出会いというのがあると思います。この本との出会いは本当にタイムリーでした。単純な偶然の積み重なりではありますが、私にとっては何か大きな意味があるような気がします。
 題名からは、なんとなく怪しいトンデモ系の予感がしますし、経営本や自己啓発本コーナーに積み上げられていると、ああまたイメージを持て!プラス思考で行け!的な本かな、と思ってしまいますが、実際の内容は、私にとってはものすごく画期的で、人生の本質に迫る素晴らしいものでした。よく売れているようで、先々週、先週あたりは、Amazonでトップセラーになってましたね。

 揺れる心の奥に不動の魂がある。魂に天命が隠されている。嘆きの奥にその人固有の源泉がある。過去・現在・未來を統合するために「離見の見」を持つ。天命を仕事や人間関係に生かすにはどうすればよいか。人を受け入れるとはどういうことか。マイナス思考も大切。氣脈という関係をつくる。楽天とは…。

 筆者は哲学博士であり、かつ上場企業の代表取締役を長年務めた人物。そして、なんといっても、あの出口王仁三郎の曾孫です。御本人も書いておられますが、宗教的、スピリチュアル的な家系に生まれたことに反発して、心理学や哲学を修め、さらに実業界でバリバリに活動したのち、結局ひいおじいさん的世界に戻ってこられたようですね。だからこそ説得力があります。実際、光さんが出会った多くの人たちの実例が書かれてあります。
 さて、ここからは、最初に書いたごく私的な「偶然」を列挙しますね。みなさんにはどうでもいいことかもしれまんせんが。
 最近、突然なんですが、自分の使命ってなんだろうって思うことがあったんです。それで、何人かの人には、たぶんこういうことかもしれないって話したりしていました。でも、それは単なる思いつきで、ちっとも確信ではなかったんです。根拠もない。ただそんな予感がしただけ。それをこの本が確かなものにしてくれました。まさに天命に出会ったような気がします。
 ここのところ出口王仁三郎の生き方から学ぶことが多かった。9.11にも吉岡発言を引用しました。また、ここでははっきり書けませんが、オニさんにまつわるある物との運命的な出会いもあったりしたものですから、出口光さんの著書との出会いもまた特別な意味があるような気がしたのでした。あっ、もちろん、同じく曾孫にあたるカリスマ予備校講師の出口汪さんには、日常的に著書を通じてお世話になっております、はい。
 あと、この前、ちょうど早稲田の古文の過去問を解いたんですが、それが花伝書の「離見の見」の部分でして、なんとなく初めてその真意が分かったような気がしたんですね。ああなるほど、離見の見か…という感じで。そんな矢先でしたので、光さんのおっしゃることがよく分かった。世阿弥の離見の見が、自分の生活の中の離見の見になった。不思議なタイミングでした。
 それから、この前おススメした池田清彦センセイの「正しく生きるとはどういうことか」ですね。あれにはどうも違和感があった。正しいんだろうけれども、どうも自分にはなじまないなあ、と思っていた。それに対して、「天命の暗号」はある意味全く逆のアプローチで、「正しく生きる」ことに迫っています。私にはこちらの方がしっくりきました。あちらは22章、こちらは22の質問で構成されており、偶然とは言え不思議なコントラストですしね。両方読むというのはありかもしれません。
 こんなような偶然も重なって、この本との出会いは本当に運命的な気がしました。実際、たくさんのことを学びましたし、後半生を生きる指針のようなものを与えてもらった気がします。みなさんにもぜひ読んでいただきたい。
 光さんが、最後の最後にひいおじいさんを登場させています。そこで引用されている歌、私も大好きな歌です。 

 神に生きまた恋に生き花に生き 希望に生きて百年生きむ

Amazon 天命の暗号

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2006.09.20

BUMP OF CHICKEN 『人形劇ギルド』 

B000hbk0io01_pe10_ou09_scmzzzzzzz_v41119 これもまた生徒のおススメ。何?人形劇?はあ?バンプがなんで人形劇なの?って感じで、実はちょっといやいや観始めたんですが、その24分後にはしっかり泣いている自分がいたのでした(笑)。
 どうも最近涙もろいのだ。安易な感動が嫌いなはずの私としてはやや不本意な毎日を送っております。うん、つまり感動が「安易じゃない」っていうことかな。
 いやいや、本当に、どうしてどうして、な〜かなかいい作品ではないですか。ほとんど古典的とも言える名作です。子どもに見せたいと思いましたからね。
 えっと、少し解説しますと、この作品はBUMP OF CHICKENのリーダー藤原基央くんの原作・脚本による人形劇。先に発表された名曲「ギルド」の世界観を人形劇に仕立てたものです。
 む〜、藤原くん、ちょっと天才ですね。LAMPを聴かされて、初めて彼の詩的世界に足を踏み入れましたが、そこでその叙情性に正直びっくりうるうるしてしまいました。このギルドも実に美しい抒情詩的世界を作り上げています。なんだろ、この懐かしさに似たものは。
 いつも言ってるように、いわゆる文学は死んだのでしょうが、日本の文学を支えた魂…それはつまり「もののあはれ」でしょう…はこうして若者に引き継がれ、ある意味原初的な「歌」世界にしっかり息づいている。この美しき事態をもっと素直に歓び、そして評価すべきだと思います。私は教科書に載っている化石のような日本語よりも、こうした生きた言葉を教えたいですね。ま、化石には化石の良さがあるっていうのも理解できますが。
 この「人形劇ギルド」、ストーリーも作りも実に古典的です。ある意味あまりにベタとも言えます。無声劇ですし。しかし、そこに魂のこもった彼らの音楽(インスト曲も含めて)が重なることで、たしかに心に何かが響いてきます。それは、まるで「歌物語」とでも言うような、クラシックでありながら、しかし実にライヴな、見事な作品に仕上がっています。いとあはれなり。
 こうした若者たちの多面的な活動こそ、これからの日本文化に、そしてこれまでの日本文化に命を与えるものになり得ましょう。私はいつも思うんです。今どきの若者は偉いって。すごいって。なんとなく自分の世代はいまいちだったなって思うんです。今どきの若者たちの中には、こういう創造者がたくさんいて、そして、今どき若者たちはそれに共感している。音楽に限らず、いろいろな分野で天才たちが自由に翼をひろげています。全然心配することないですよ。私は嫉妬こそすれ、非生産的な批判や侮蔑はしたくありませんねえ。
 これからも日本文化を頼んだぜ!若者たちよ!
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人形劇ギルド 1
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2006.09.19

YEN TOWN BAND 『MONTAGE』

B00000i5vt01_pe10_ou09_scmzzzzzzz_v58829 ああ、もう10年か。このアルバムの発売は1996年9月です。岩井俊二、けっこう好きでいろいろ影響受けましたなあ。それらしいビデオ・クリップ撮ったりして。ちょうど結婚前で一番独身貴族してた頃だなあ。ちょいと懐かしいけど、あの頃にはあんまり戻りたくない…かな。
 「スワロウテイル」も、なんというか質感のようなものは好きでした。ちょっと難解なものに憧れてましたし。なにしろ音楽がかっこうよかった。特に名曲「Swallowtail Butterfly~あいのうた」を初めて聴いた時のあの衝撃は忘れられませんね。今聴いても本当に素晴らしい。
 というわけで、今日はその曲が入っているアルバムの紹介です。マニアな生徒が欲しいって言うんで中古で買ってあげつつ、自分もパソコンに…というわけです。いやあ、いいですなあ。どの曲も言うことありません。日本語、英語、中国語入り乱れて、一見一聴無国籍風でありますが、映画同様実はとっても日本的なのでありました。二ホンのロック。私の言うところの演歌ロックです。
 このバンドは映画の中の実在の?バンドという設定でありますが、仕掛人はもちろんかの小林武史さん。当時はミスチルのプロデュースやマイラバでの活動がメインでしたね。まあ、そちらの仕事ぶりも結構興味深く拝聴しておりましたが、彼、独特な女性ボーカルをこういう演歌ロックで仕上げるというのが一番得意なようですね。というか、私はそういう彼の仕事が一番好きです。
 そう、最近では、同じく岩井監督の映画「リリイ・シュシュのすべて」におけるSalyuを、同じようなコンセプト、同じようなクオリティーでプロデュースしましたね。こちらも見事なお仕事でした。
 一方で、何度も言っていますが、レミオロメンなんか、ちょっと壊してしまっている。なんででしょうね。単に女を操るのが得意なのか…サザンやミスチルの時もそうでしたけど、男どもにとって彼は、いつか越えなきゃいけない父親みたいな存在のような気がします。それじゃあ単なる女好きのオヤジってことになっちゃうけどね(失礼)。
 とにかく、このYEN TOWN BANDでの仕事ぶりは素晴らしい。Chara名義のアルバムはちょっと私にはきついんですけど、これはなぜか心地よい。YEN TOWN BANDとしてまた出してくれないかなあ。これ一枚だけじゃ、もったいない。
 「あいのうた」いいなあ。アレンジも含めて言うことなし。このストリングスは奇跡です。ドラムもベースもギターも渋いんですけど、いったい誰が弾いてるんでしょうね。あっそうだ。この曲演奏したことがあるんだ、古楽器で。私が編曲しまして(ほとんど原曲通り)、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ、トラヴェルソ、チェンバロという編成でした。それほど好きだったんですね、当時。

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2006.09.18

『緊急ドラマスペシャル 内閣総理大臣 小泉純一郎』 (日本テレビ)

歴史に残る2000日5つの謎を解く
Koi 珍しくテレビドラマネタを続けます。
 「政治は演劇だ!」と言ってはばからないワタクシでありますが、任期中にドラマをやっちゃうのはどうかと…。劇場公開中に、人気に便乗してテレビ版作っちゃったと。まあ、テレビはなんでもありだからね。
 ところが、実際観てみると、これが大いに笑えた。次期主役候補のホンモノが登場するコーナーでは、大いにすべっていた日テレでありますが、ドラマ自体はなかなかツボを押さえた佳作でありました。
 と思って、エンドロールをチェックして納得。制作協力はかの「安寿」ではありませんか。な〜るほど。こんなところに萌える一般視聴者もあんまりいないだろうな。そう、「安寿」と言えば、あの名作『三菱自動車“リコール隠し”の真実』を作った会社ですよ。なるほど。ドキュメンタリーとドラマの中間を行く手法がそっくりですね。これってけっこう新しい分野だと思いますし、これからのテレビドラマ作りの一つの潮流になると読んでるんですけど。
Cast_023 さてさて、今回のMVPは当然ゴリさんですよね。竜雷太。亀井静香役、はまりすぎてました。ホンモノお三人さんたちも爆笑してましたね。もうそれだけで私は満足でした。あれは顔が似てるとか、そういう次元ではないんですよ。役者としてホンモノの気配を模してるわけです。芝居は単なるそっくりさん大会ではありませんし、モノマネ選手権でもありません。総合的な気配づくりこそ芝居の王道です。その点、武部さん役のウルトラマン黒部進さんもさすがでした。ダメだったのは…言わずもがなですな。
 内容的には、田中均さんがかっこよかったんですけど、彼を演じた辰巳琢郎さんは、どっちかというと安倍さん役の方があってたんじゃないかな。顔的にも、坊ちゃん気配的にも。
 ま、政治をこうして茶化したりすると真剣に怒る御仁もいらっしゃるわけですが、何度も言いますが所詮政治は演劇です。お客さんをその気にさせるのが仕事ですからね。いくら国のためと吠えても、お客さんがその気にならなきゃ始まらない。その点、2000日も飽きさせずロングランした小泉さんは、たしかに歴史に残る役者でしたね。おつかれさまでした。御本人もかなり満足なのではないでしょうか。
 ところで、カリスマ役者の後を継ぐ人は大変ですよね。水戸黄門役とおんなじで。安倍さんが石坂浩二さんみたいにならないことを祈ります。

ドラマ公式

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2006.09.17

『僕たちの戦争』(TBSドラマスペシャル)

02 まず一言。原作読んでません。期待もあんまりしていませんでした。で、結果、いろいろな意味で考えさせられました。全体としては悪くないドラマでしたね。
 あらすじなどは公式ページを御覧下さい。
 私、いちおう教育者として戦争を扱うこともあります。それに関してこの場でも何回かコメントしましたね。使う教材としては、最後の弾丸火垂るの墓ライフ・イズ・ビューティフルゆきゆきて神軍などを紹介しました。
 今回のドラマもいちおう使えるかな。最近のギャルどもにはちょうどいいかもしれませんね。軽みと重みのバランスが適度でしょう、今の子には。タイムスリップとか入れ替わりみたいなのは、エンターテインメント作品の定番です。それは効果的ではありますが、どうしても作品の重みが減じます。特に歴史的事実に基づいたものを作る際は大きな危険を伴います。時間を操作することは、歴史に対する冒涜になりかねないからです。今回も前半は、ああ痛い痛い、やっちゃったよ〜、と思いながら観ていましたけれど、その演出に慣れてくると、許せるようになってくる。教材として観ていると、おっこれは使えるな、というシーンがけっこうあるんです。
 結局、戦時中も現代もおかしいってことでしょうかね。そのへんは象徴的に描かれていました。主人公が死に際に、今も昔も人間は同じだということをとうとうと吠えていましたが、そこには感動するのではなく、がっかりしたり、うんざりすべきでしょう。人間なんていつでもこんな程度です。時代に流されて生きていく。どちらも狂気という感じがしましたけれど、まあどちらか選べと言えば、やっぱり現代かなあ。
 さて、エンディングが賛否両論のようですね。よくわからないと。それがいいのだ、という意見と、なんなんだよ〜すっきりしねえよ、という意見。たしかにそういう作り方でした。なんかウワサによると原作もこんな感じらしい。
 私はけっこうはっきり解釈してしまいましたが、皆さんはそうでもなかったようですね。いちおう私の意見を書いておきましょうか。これが答えではありませんけどね。
 タイムスリップというのはあくまで象徴であって、実際にはそんなことはなかった。まあ夢みたいなもんかな。入れ替わった間の記憶は、本人たちにも、周囲の人たちにも残らないのでしょう。あるいは、その間、別の(というか本来の)物語が同時進行していると。で、どうしてこんなような迂回が生じたかというと、やはり、回天で非業の死を遂げた吾一の念の強さでしょうね。彼の文子に対する(そしてこの世に対する)気持ちが、海を介して健太に乗り移ったのでしょう。そして、文子の孫のみなみの胎内に宿る。転生です。最後、吾一が海で溺死する?シーンは明らかに胎児とへその緒を意識した映像でした。実はこんな感じで、いろいろな物語が同時進行していて、いろいろな念(魂)が転生しているのかもしれませんね。最新の科学もそんなようなこと言ってますし。
 ま、所詮視聴率勝負のテレビドラマですからね、脚本や演技や音楽やCGの安っぽさは現代風な戯画として観ればいいでしょう。ギャルたちにはちょうどいいんでしょう、このくらいが。そうした戯画を通じて、たしかにちょっと重めのテーマが提示される。戦争とは、平和とは、幸福とは、愛とは、家族とは、命とは、そして国家とは。私たち若者?もたまには真剣に考えてみてもいいんじゃないでしょうかね。さっそくクラスのギャルたちと話し合ってみましょう。
 最後に森山未來、ナイス・パフォーマンス!!もしかして、作品として許せたのは、彼のおかげかも。

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2006.09.16

歌謡曲バンド東京デビュー!

20060916 本日の小田急永山駅前でのライヴ、無事終了いたしました。ご来場くださった皆さん、ありがとうございました。私たちもとっても楽しかった。お祭りの雰囲気というのはいいですね。老若男女、いろんな方々に楽しんでいただけて幸せであります。今までいろいろな音楽活動してきましたけれど、実はこれが一番楽しかったりして。
 今回は専門のPAさんがついてくださいましたので、全体としてのバランスもよく、また私たちも回を重ねてだいぶ慣れてきたのでしょう、かなり落ち着いた演奏ができたと思います。ま、いつもどおり細かい(あるいは細かくない)ミスもありますが、お祭りってことで。
 いちおうmp3を置いときます(ほとんどメンバーの反省用ですけど)。

 1昼の歌謡曲〜みずいろの雨
 2あの日に帰りたい
 3Sweet Memories
 4津軽海峡・冬景色
 5異邦人
 6お祭りマンボ
 7真赤な太陽
 8帰ってこいよ

 音はビデオから抽出しました(急きょ撮影係を担当してくれた卒業生くん、サンキュ)。

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2006.09.15

ヒメネズミ&二ホンヤモリ

 ここ富士山にはいろいろな動物がいます。以前、庭先にやってくる野うさぎを紹介しました。他にも、シカやイノシシ、タヌキなどもよく親子で歩いています。リスもたくさんいますね。モグラやこの前マンガで紹介したヒミズもよく見かけます。でっかいカエルもよく車にひかれてますな。あとちょっと上のブナ林に行けばクマもいるらしい。鳥や虫に関しては覚えきれないくらいの宝庫です。
 ついでに言えばなぜかサルはいません。富士山を囲む国道の外側にはた〜くさんいるんですが、なぜか昔から富士山にはサルがいないんです。これはなぜかわからない。謎です。
 ここは森を開発した別荘地でして、そういう意味では自然破壊しているのかなと思うこともしばしばですけれど、こういう環境にはこういう環境なりの生態系ができるものだから一概にはそうとは言えないと、知り合いの研究者の方がおっしゃっておりました。ちと安心。
 今日は2種類の小動物がウチの中で発見されましたので報告いたします。両方ともめっちゃ可愛いんで。
Himenezumi まず、なぜかネズミが入ってきました。ウチには猫が2匹いますので、大捕物が始まると思いきや、目の前をチョロチョロ獲物が走ってるのにもかかわらず、ウチの馬鹿猫どもはグーグー寝てました(笑)。ハングリー精神のかけらもない!飽食した猫は猫にあらず。単なるオヤジだ。
 これはたぶんヒメネズミでしょう。このへんはヒメネズミとアカネズミが多いのですが、はっきり言って見分けがつきません。しかし、どこからなんで入ってきたのでしょう。ちょっと足をひきずっていまして、カミさんがカマドウマ捕獲用の捕虫網でつかまえました。逃がしてやろうとしたのですが、捕まえられたのがショックだったのでしょう、チーズを少しかじってすぐにお亡くなりになってしまいました。ってか、野ネズミはチーズ食わんでしょう。あまりの美味さに昇天しちゃったのかな。かわいそうに。
Yamori 続きまして、ヤモリちゃんです。突然玄関のセンサーライトがついたので、ん?侵入者か?と思って行ってみると、誰もいない。もしかして霊現象か?しかし、私の霊能力センサーは何も感じません。あたりを見回してみますと、お〜なんだ、このカワイイ動物は!もしかして…そうヤモリでした。
 ヤモリは守宮とか家守とか書きまして、家を守ってくれる神様ですから、捕獲せず同居することとしました。放置です。色白のニホンヤモリですね。彼もまた、いつどこから侵入してきたんでしょう。カミさんは、こっちに向かって飛んできたって言うんですけど、ホントかなあ。あとキキキッって鳴いたって言うんですけどね。ニホンヤモリは鳴かないんじゃないのかな。謎です。それにしても、なんでセンサーライトがついたんだろう。ヤモリってハ虫類ですよね。そんなに体温高くないはずですけど。猫でも反応しない時あるのになあ。
 というわけで、いろいろな虫や鳥や植物も含めますと、たしかにこのあたりは様々な生物に恵まれていますね。子どもたちもそうしたモノたちの生き死にに接することが多く、それはそれでなかなかいい勉強になっているようです。ウチの庭にはかなりたくさんの墓標が立ってますよ。

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2006.09.14

『正しく生きるとはどういうことか』 池田清彦 (新潮OH!文庫)

自分の欲望を上手に解放するための22章
020601030000 この本はですねえ、最初のうち面白くて、ガンガン進んだんですけどね、どうも後半にさしかかったあたりから全然ページが進まなくなっちゃった。どうしても読み進めない。最後の方は適当にぶっとばしました。
 でも、ぜひ皆さんに読んでもらいたいんです。これは名著でしょう。書いてあることは、たぶん全部正しい。誰も言わなかったホントのことをたくさん言っちゃってます。
 で、そのホントのことについて、あなたがどう反応するかなんですね。膝を打つか、頭を抱えるか。爽快な気分で一気に読破するか、私のようになんかわからないけど不快な気持ちになって難渋するか。
 この本の基本はこれです。これが池田センセイの「正しく生きる」ための唯一の公準です。わかりやすいし、たしかに正しい。
『人は他人の恣意性の権利を侵害しない限り、何をしても自由である。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる』
 それにもとづいて、世の中の(池田センセイ的)フィクションを暴いていくわけです。政治、経済、法、教育、恋愛、セックス、宗教…。
 うん、たしかにそうだ。たしかに間違ってない。その通りだ。そう思って最初はワクワクしました。よくぞ言ってくれた!ってね。
 でも、だんだん苦しくなってきた。理論的には実に整合性が高く、実際気持ちいいくらい納得できる。だけど、なんだか知らないけれど、自分の何かと矛盾しているのでしょう、だんだん不快になってくる。頭では分かっていても、どこか体の奥の方から吐き気みたいなものがわきあがってくる。しまいには怒りみたいなものまで。
 いったい何なんでしょうね。本当のことを突きつけられて、それで逆ギレしてる自分がいる。
 池田センセイが提示したことは、まさに「真理」なのかもしれない。「マコト」です。また私の得意技「モノ・コト論」で申し訳ないというか、それこそ吐き気を催す方もいらっしゃるかもしれないが、ごめんなさい。「マコト」は不変・普遍の真理です。しかし、それはワタクシによれば、この世には存在しない。この世の本質は変化・不随意の「モノ」なので。「マコト」は神の世界の話、「ミコト」だけが語っていい「コト」です。
 たぶん、この世に提示された「マコト」に、私の中の「モノ」が反応したんでしょう。私の本質が「モノ」申した。「モノゴコロ」ついてしまった人間は、「マコト」を提示されると逆ギレするんです。
 そう、失礼な言い方かもしれませんが、池田センセイは「モノゴコロ」ついてないんですよ。これはほめ言葉でもあるんですよ。「マコト」で生きられるんですから。だいたい、「虫屋」と言われる虫好きの方々はそういう魅力を持っていらっしゃる。池田センセイはもちろん、養老孟司センセイ、茂木健一郎センセイもかな、あと奥本大三郎センセイとかね。みんな魅力的です。憧れの存在です。自分にない「マコト」を持っているんで。世間ではよく「虫好きは本能で生きている」って言われるそうです。
 私はどうもフツウの人間らしい。どうにも説明できない、それは感情というものなのかもしれないけれど、何か理屈で片づけられない「モノ」が自分に巣くっていて、それに支配されている。頭では「マコト」を理解できて、脳はそこに快感すら覚えるんですけれど、どうもそれに刃向かうヤツが棲んでいるらしい。そいつが騒ぎ出す。
 私はつくづく文系の人間なんだなって思いました。理科の先生になろうとして国語の先生になってしまった私ですけど、結果、それで良かった。この本をおススメするのは、あなたが理系なのか文系なのか、それをジャッジしてくれる本だからです。あなたの中の「コト」と「モノ」の配合率を測ってくれるわけです。インディケーターはあなたの心ということですか。
 最初の方に(池田センセイ的)フィクションと書きました。私にとっては、それらこそが「リアル」であって、提示される「マコト」こそが「フィクション」に感じられたからです。
 お釈迦様は、この世の全てが「モノ」であるという唯一の「マコト」を提示しました。究極の公準です。池田センセイの公準は、やはり人間が考える「コト」であって、もしかすると、神様仏様の恣意性の権利を侵害しているのかもしれませんね。だから、私の中の「モノ」が反応した。
 ところで、こうした虫屋さんたちのような、自己の「マコト」を追究する方々は、「モノ」ワールドである人間界では、皮肉にも「モノノケ」的存在になるようです。不思議な人。もちろん魅力的な人とも言えます。池田センセイも充分に物の怪であったと、私の前にすわっている、大学時代に池田センセイの薫陶を受けた(?)理科の先生は申しておりました。はい。

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2006.09.13

『子育てなまはげ宿泊ツアー』(男鹿市)

Namahage113 秋田県男鹿市が企画したナマハゲ体験ツアーです。これはおススメ!でしょう。できればウチも行きたい。
 昨年男鹿市のなまはげ館に行って泣いてしまった私。いや、こわくて、じゃないですよ。感動してです。ホント今思い出しても涙が出てきますよ。それについてはこちらの記事をぜひとも御覧下さい。
 とにかく日本の自然や神道のダイナミズムと、それらに包まれた家族像、親子の絆、そしてもちろん「モノ(ノケ)」のおそろしさと恵み、そういったものを見事に抽象し、継承していると感じました。
 私は記事の中で、これは全世界必修だ!みたいなことを言っていますが、とりあえずこうして希望者だけでも体験できるようになったのは朗報ですね。いずれは国会で「なまはげ法」が成立し、全国でご当地なまはげが誕生することを祈ります(まじで)。
 ところで、なまはげって鬼みたいですけれど、男鹿は海に面してますからね、海からやってきた異人でしょうか。赤い顔したロシア人でしょうかね。だいたい鬼のモチーフは異民族ですからね。
 さあ、男鹿市観光協会のみなさん、ぜひとも参加者の皆さんをお客さん扱いせず、本来のパフォーマンスをお願いいたします。決して甘くならないように。甘くなっては意味がありません。本気で泣かしてやってください。そして、親たちにも厳しい問答を。
 あっそうそう、ついでになまはげにちなんだ秋田県のご当地ヒーロー超神ネイガーもよろしく!ヤマナシマンよりずっと強そうっすね。

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2006.09.12

『暇つぶしの時代−さよなら競争社会』 橘川幸夫 (平凡社)

458283167209_scmzzzzzzz_ 昨日は一昔前のカリスマ予言者の言をとりあげました。今日はある意味現代のカリスマ予言者の本を紹介しましょう。
 王仁三郎にせよ、橘川さんによ、未来を言い当てるという意味においては予言者です。しかし、それは超能力とか、そういうものであるとは限りません。ただ、時代の様々な事象を鋭く読み取り、それに基づいて正確な予測をしているのだ、とも言えます。
 橘川幸夫さんは常に時代の数歩前を行く人です。マスコミへの露出度が低いので、一般庶民にはなじみが薄いかもしれませんが、企業人にとってはまさに「神」レベルの人です。大企業の研修や講演にひっぱりだこ。
 なんとなくリラックスした風情や独特のユーモア、わかりやすい語り口など、たしかに王仁三郎風かもしれませんね。尊敬するとともに「おもしろい!」と思える人です。
 さて、そんな橘川さんのこの本、まさに過去・現在・未来を冷静に見つめた好著です。今日は学校の図書室で読みかえしました。3年ぶりですかね。
 『次のステージは「モノ」がテーマではなく、「コト」がテーマである。「モノ」は具体的な存在だが、「コト」は時間との関係性の中で発生するイベントである。物質ではなく時間であり、時間の中での人間の振る舞いが重要になってくる』『「生産・消費」(モノヅクリ)のための社会の上部構造に、生産とは無関係な「時間消費」(コトヅクリ)を許す社会』
つまり『暇つぶし』社会が、これからの社会だと語ります。それは農業社会の上に築かれた成熟した農業社会としての工業社会の、さらに上に築かれる成熟した工業社会だということです。なるほど。
 そのとおりだなあ、と首肯しつつ、わざと違うことを書きましょう。私の予言(?)です。
 「コト」の時代は終わった。これからは「モノ」の時代である!
 このブログを読みつけている方は、ああ確かにいつもそういうことを言ってるな庵主は、と思われることでしょう。たしかにしつこく「現代におけるモノの重要性」を言ってばかりです。じゃあ、橘川さんとは真逆じゃないか…と思うのは早計ですよ。実はですねえ、「モノ」と「コト」の定義がまるで違うんです。だから、同じことを言っても逆のように感じられちゃうんですよ。
 ちなみにどちらが一般的な定義かと申しますと、もちろん橘川さんの方です。橘川さんの方が大正解です。私はアマノジャクですので、かなり特別な定義をしています。たぶん、私だけでしょうから、全く一般性がありません。なにしろ、現代語としての「モノ」「コト」をほとんど無視して、古代語の「モノ」「コト」からアプローチしてしまっているので。そりゃあフツウの現代人には通用しないわな。
 いちおうまとめてみましょうか。
 一般論…「モノ」=(手に取ることのできる具体的な)物質
     「コト」=(手に取ることのできない抽象的な)事象
 庵主説…「モノ」=(変化し、自分の思い通りにならない)物質や事象、情報など
     「コト」=(変化しない、自分の思い通りになる)物質や事象、情報など
 ほらね、一般論の方がわかりやすいでしょ。当然です。ワタクシの説はかなり変です。でも、ワタクシの脳内辞書にはそう書いてあって、その根拠まで記されてるんで、仕方ありません。
 で、私は「科学や工業の力によって、なんでも自分の思い通りになる(と思い込んでいた)コトばかり追い求める時代は終わって、自らの思い通りにならない(に決まっている)モノの本質を知り、それとうまくつきあっていく時代が(再び)来る!」って言ってるわけです。我々にとって永遠に思い通りにならないモノの代表格は「時間」です。だから、結局橘川さんと同じでしょ。ごめんなさい混乱させちゃって。
 というわけで、結局、王仁三郎の言う「霊主体従」を目指そうってことですね。今までは「体主霊従」だったと。また、「物づくりの喜び」の時代は終わったと思うんです。結局つくられた物たちは「モノ」の性質に則って壊れ捨てられていった。私たちは「モノ」を作ったのではなく、エセ「コト」を作ったのでした。だから、今度は「物(エセコト)づくりの哀しみ」を感じなければならないのでしょう。いや、もう感じてるのかも知れませんね、「もののあはれ」を。
 近代とは、壮大なマスターベーションであったと。その事後(エセコト後)の虚しさ、哀しさに、なんとなくみんな気づき始めていませんか。では、次はどうすればいいのか。
 橘川さんが本書の中で何度か使っていた「ライブ」という言葉。これは大切でしょう。ある種の繰り返しの中に生じる微妙な変化、些細な差異に心を動かされ、そして満足する、そういう生き方をしていけば、きっとそれは地球にも自分にも他者にも優しい生き方になっていくでしょう。「ライフスタイル」じゃなくて「ライブスタイル」かあ。名言ですね。
 そう言えば、王仁三郎さん、こんなことも予言してました。橘川さんより80年くらい早く(笑)。
『将来の労働時間は一日三時間内外になる。その余暇を人間性の開発や公のための時間に使うようになる』
 これこそこれからの「暇つぶし」ですね。ふむふむ。

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2006.09.11

『吉岡発言』 出口王仁三郎

Oni567 9.11…今日は授業の中で、その背景に横たわる宗教の問題を、アブラハムから始めてギャルたちにも分かるように話しました。分かれば呆れるんです。言葉は悪いかもしれませんが、ギャルたちの「バッカみたい」というのが、私の本心でもあります。
 私たち日本人、特に戦後世代は、彼らほど強い宗教心を持っていませんし、戦争やテロに対してもどこか対岸の火事のように感じています。軍備はもしかするとあるのかもしれませんが、基本的に平和主義の国で安穏と生活しています。それではだめだ、もっと自分たちのこととして考えよ、と言う人もいるかもしれませんが、やはり、まずはそうした自らの現状に幸福を感じる方が先だと思いますね。
 彼女たちにそんな話をしている私の頭の中に、あるカリスマのある発言が、ふと思い出されました。出口王仁三郎の有名な鳥取吉岡発言です。敗戦の傷跡全く癒えぬ昭和20年12月30日の朝日新聞に掲載され、多くの国民に希望を与えたと言われています。温泉で療養中の王仁三郎が記者の質問に答えたのものですが、ここでは後半部分を引用します。

 『自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。"火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ" のお告げも実際となって日本は敗けた。これからは神道の考へ方が変ってくるだらう。国教としての神道がやかましくいはれているが、これは今までの解釈が間違ってゐたもので、民主主義でも神に変りがあるわけはない。ただほんたうの存在を忘れ、自分に都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社が神様でなく、唯の人間を祀ってゐることが間違ひの根本だった。しかし大和民族は絶対に亡びるものでない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加はり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。
 いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれてゐる。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある』

 昭和25年の終わりからいわゆる朝鮮特需が始まり、日本は活力を取り戻しました。ここでも彼の予言は的中しています。まあ、それはそれとして、ここで語られていることは、実にいろいろな示唆に富みます。まさに現代日本、そして世界に向けられた発言であると思います(もちろん靖国問題にも関連してますね)。
 王仁三郎の「雛型理論」は有名です。簡単に言えば、大本で起こったことは日本に起こり、日本で起こったことは世界で起こる、あるいは霊界で起きたことが、この現界に(まさにうつし世)、というように世の中がフラクタルな構造になっているという考え方です。それに基づくと、日本が不戦主義を貫くことこそ、世界平和への正しい道だということになります。その通りだと思います。
 また、王仁三郎は万教同根、さらに進んで宗教不要という思想を持っています。世界中の宗教は元は一つである、今はバラバラになって互いにいがみあっている宗教が、再び一つになった時、すなわち「宗教」がなくなった時、本当の平和が訪れるということです。日本人は宗教心がないとか、逆になんでもありとか、いろいろ言われますが、雛型理論からすれば、ある意味それは「宗教」がなくなる過程と言えなくもありませんね。
 9.11の特集番組を観ました。そしてその後5年間の世界情勢に思いをめぐらせました。世界平和とはほど遠い風景が目に浮かびます。王仁三郎は日露戦争後すぐに大戦を予言し、またその後の米ソの冷戦や世界的な民族紛争をも予言しました。残念ながらそれらは全て的中しているわけですが、彼によれば、そうした峠を越えて、彼の理想とするみろくの世が訪れるということですから、私たち日本人は自らの使命をしっかりと果たしていくしかないんでしょうね。正しい考えと自信をもって。
 さて、ここからは蛇足。今日ニセ有栖川が実刑判決受けました。現代ではお笑いニュースでありますが、王仁三郎も有栖川宮の落胤だという噂が広がって不敬罪に問われています。これももしかして雛型?…なわけないか。

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2006.09.10

リフキン 『バロック・ビートルズ・ブック』

Joshua Rifkin 『The Baroque Beatles Book』
Ccm06842 最初に申しておきます。このアルバムはすごすぎます!でも主題に入る前に少し長めのイントロを。
 今朝の「題名のない音楽会」は、前田憲男・佐藤允彦・羽田健太郎の3名による3台ピアノユニット「トリプルピアノ」がいろいろなお題で対決するという内容でした。童謡の編曲合戦はそれぞれ次のような感じで、大いに笑わせていただきました。
羽田健太郎: ショパン風   「浜辺の歌」
佐藤允彦: バルトーク風 「ちいさい秋みつけた」
前田憲男: バッハ風    「故郷」
 つまり、こういう趣向というのは、まあユーモアでありまして、まじめに聴くたぐいのものではありませんね。しかし、私はなんとなくそういうちょっと下手(ゲテ)な世界が好きでして、特にビートルズとバロックの融合みたいなのに、異常に執着してきました。なんでか全くわかりません。というか、今考えたら、やはりビートルズにバロック的な何かを感じていたんでしょうね。それはまあ正解とも言えましょう。
 さて、そのユーモアにもクオリティーというのがありまして、私はそのクオリティーにこだわってきました(なんなんだ?いったい)。おそらく最初はこちら「ビートルズ・オン・バロック」、池辺晋一郎さんのお仕事でしょうか。これはこれでまあまあの出来でしたが、池辺さん自身「バロックは好きじゃない」と豪語しているだけあって、なんとなくやっつけ仕事な感じもありましたね。その後もこちらとかこちらとか、いろいろと聴いてきまして、また最近では、こういう完全コピー盤も登場したりして、ああこういう妙な願望は私のみならず結構普遍なのかな、なんて思うようになりました。
 さあ、そうすると、いったいこういうおバカなことを最初に考えたのは誰なんだ(ビートルズ自身という説もありますが)、ということが気になり始める。で、調べたら、大変なことになりました!そして、それがCDとして再発売されたんです!
 な、な、なんと、その張本人は、あのジョシュア・リフキンじゃないですかあ!正直ぶったまげました。単なる私の勉強不足だったのかもしれませんが、ある意味尊敬する、そして現代を代表するバッハの演奏家、そして研究家の彼が、こんなアルバムを出していたなんて…。
 リフキンさん、私のブログにも何回か登場しています。まず私の最も好きなバッハ作品として紹介した「ロ短調ミサ」。これは名盤です。続いて「結婚カンタータ復元コンサート」。彼の編曲についていろいろと書いていますね。あとこちらではリフキンさんをオタクのように言っていますね。そして、こちらでも彼の復元センスについて一言書いてます。
 いや、これらの記事を書いた時は、まさかこんなことになるとは思っていなかったんですよ。でも、今思うと、なかなかするどいことを書いているのかもしれません。編曲、復元、バッハの語法、オタク…。
 そうです、なんと、リフキンさん、1965年ころ、彼が20歳かそこらのころ、そしてビートルズがバリバリ現役のころ、こんなアルバムを出していたのでした!もうその事実だけでもビクーリだったんですけど、届いたCDを聴いて二度ビクーリ!!なんだこのクオリティーは〜!!!
 やばいですよ。リフキンさん天才ですよ。もうハタチの時にはこのクオリティーですか?バロックの語法を完璧にマスターしています。いや、ホント完璧です。彼、バロック時代に生まれてたら、ぜったい音楽史に名を残す作曲家になってましたよ。だって、ここに収められている曲、ビートルズがテーマだと言うことを忘れてしまうくらい、質の高いバロックの楽曲になってるからです。ある意味完コピの逆をついてる。
 管弦楽組曲やら、チェンバロによる変奏曲やら、トリオソナタやら、そして、なんとカンタータまで、もうユーモアやパロディーなんていうレベルをはるかに超えちゃって、本気で曲作りしちゃってます。いやあ、このカンタータ、バッハの真作じゃないの?いや、でも、コラールやレチタティーヴォやアリアの歌詞が「PLEASE PLEASE ME」や「HELP!」や「I'LLBE BACK」だ…(笑)。あり得ねー。
 いやはや、リフキンさんにこんなキャリアがあったとはね。なんかますます好きになっちゃいました。ちなみに彼、スコット・ジョプリンのラグ・タイムやタンゴなんかも録音してるんですね。バッハオタクかと思ってたら、意外に芸域が広かった。でも、やっぱりオタク的仕事だったなあ、ビートルズ。ただ、このアルバムが発売されたのが、1965年ころですからね、ビートルズのあの曲もあの曲もあの曲も、まだこの世に生まれてなかった。中期、後期のあの名曲も料理してほしかったなあ。古楽器のバッハ・アンサンブルで実現していただけないでしょうか。非常に興味があります。お願い!
 ま、とにかく下のリンク先で試聴だけでもどうぞ。あ〜、面白かった。最後はなんと「SHE LOVES YOU」「THANK YOU GIRL」「HARD DAY'S NIGHT」のクオドリベットだもんなあ…オタク道きわまれり。

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2006.09.09

Pat Metheny Special Project 『JAZZ BALTICA 2003』(DVD)

Eb_2jpg うちのバンドのギタリストというか、もえたんの彼が持ってきてくれました。さっそく一緒に鑑賞。彼が「すごい!」と言うだけのことはありました。
 これはかなりレアの映像のようですね。彼はどうやって手に入れたのでしょう。おそらくヨーロッパのテレビ番組として放映されたものでしょう。映像も音も非常に美しい。ちなみにPAL仕様でしたが、ウチのDVDプレイヤーはこいつなので、何の問題もなく観れました。
 2003年、ドイツの最北部で行われたジャズ・フェスティバルでのライヴ映像ということですね。曲目紹介と感想などをちょっと。
1. Bright size life
2. Falling Grace
3. What Do You Want
4. Angel Eyes
 まずは、スウェーデンの名ギタリスト、ウルフ・ワケーニウス (Ulf Wakenius)とパットのデュオ。これですでにノックダウン。世界一どうし(と言うのも変ですが)の夢の共演。全然二人のテイストが違うだけに結構バトルしてます。しかし、楽しそうな二人。超絶技巧はもちろんですが、音楽性の高さで真っ向勝負。
5. Do It Tomorrow
6. Giant Steps
7. Fly Fly
8. Falling Down
9. Diavolo
 続いて、パット・メセニーを中心としたスペシャル・グループ第1弾。
Karl-Martin Almqvist – ts
Pat Metheny – g
Till Brönner – tp
Leszek Moýdýer – p
Lars Danielsson – b
Wolfgang Haffner – dr
という編成。あんまりよく知らない人たちとのセッションですが、非常にていねいな緻密なアンサンブルが聴かれます。渋い。北欧の雰囲気(なのかな?)。
10. This Masquerade
11. Don't Let Me Be Lonely Tonight
12. Fragile
13. Impressions
 スペシャル・グループ第2弾がさらにすごい。ものすごく良かった。
Michael Brecker – ts
Pat Metheny – g
Nils Landgren – tb&vo
Esbjörn Svensson – p
Lars Danielsson – b
Wolfgang Haffner – dr
 特にニルス・ラングレンってものすごい人ですね。スウェーデンのトロンボーン奏者ですが、静かな雰囲気の歌もいい。渋すぎ。で、本職のトロンボーンになると、ものすごく熱い。いや、こんなに上手なトロンボーンは初めて聴きました。すっかりファンになっちゃいましたよ。
 どの曲も静かに始まって、ソロの応酬からどんどん熱く盛り上がっていきます。そして、いつ果てるともなく驚異的なインター・プレイが続き、こちらも興奮状態に。そして、ふっとまた静けさが戻って終わります。う〜ん、こんなの生で聴いたら卒倒するな。人間ってすごいなあ。
 実はこのDVDを鑑賞する寸前まで、思い出のメロディーを一緒に観てたんですが、どっちにしてもプロはすごいですね。本当に、この時代に生まれて良かったと思いましたよ。こういう音楽たちに出会えるだけでも感謝感激ですよ。

Jazz Baltica

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2006.09.08

『世間話の研究』 柳田国男〜「カタリ」と「ハナシ」

Yanagida 駿台の一橋大学模試の過去問を一通り解いたんですが、いろいろと面白い文章があって勉強になりました。一橋はけっこう古典的な名著から出題されるんですよね。最新のものは出ない。そのあたりが、生徒にとっては厳しいところとも言えます。しっかし、古くさいなあ。
 とは言え、腐っても鯛。いやいや失礼、今でもけっこう活きのいい鯛もいっぱいいます。柳田国男なんか、読むたびに発見がありますね。そういう意味では、柳田文学なわけです。そういう名文を読まされると、なんとなく学問にとって幸せな時代っていつだったんだろう、なんて余計なことを考えてしまうのでした。やっぱり今の学術論文は読めない。
 さて、気を取り直して、久々にこの名文を読んでみました。問題文は抜粋だったので、全集を引っ張り出してきました。
 ふむふむ、15年ぶりくらいに読みましたが、なかなか興味深い。前読んだ時はほとんど通過するだけでしたけど、私も歳相応に多少は変ったってことでしょうか。
 「カタリ」と「ハナシ」が対照されています。ハレにおけるカタリと、ケにおけるハナシ。なるほどこれは基本ですね。「カタリ」の方が古くて、「ハナシ」は新興勢力だと。つまり、昔は「ハナシ」なんかしなかった。無口だった。で、近頃その両者を混同することが多いということでしょうかね。しっかり区画せよと。
 うん、確かに「話す」という言葉は比較的新しいんですよね。古語辞典に載ってないくらいですから。
 では、今言うところの誰かと話をするというのをどう言ったかというと、これが「物語す」だったんですね。だから、古語辞典を繰ると、「物語」=「話すこと。話。世間話」なんて書いてある。私はそれがまずいって言っているわけです。柳田先生に援軍を願うと、とにかく昔は「話す」なんてことはなかったわけです。なんとなく話す(言葉を放す)のではなく、あくまで「情報伝達」であったわけです。ですから、私の解釈によると、「モノ(外部・未知・不随意)」を「カタル(コト化=内部化)」のが「物語」なのです。
 「話す」とは「放す」でしょうね。口から言葉が放たれる。だから昔は「咄」という字を用いたのでしょう。あまり高級なイメージではありません。やはり日常(ケ)的行為だったのでしょう。その点、「語る」には何か重みがある。私は、両者の違いとは、まさに「コトタマ(言霊・事霊)」がそこに働いているかどうかだと考えています。ちなみに私の「コトタマ」観は一般とちょっと違っていまして、「実現・固成・随意のエネルギー」というものなんですけどね。
 いずれにせよ、時代が下るにつれて、我々はおしゃべりになった。言葉をハレの舞台から引きずり下ろしてきて、日用品として使うようになった。それは確かなようです。
 こんなふうに、ある意味無責任に「放される」言葉たち。私の戯れ言もまた、言葉の権威を奪うのに一役買っているというわけですか。凡人のしもべに堕してしまった言葉の反逆はいつ始まるのでしょうか。
 あっそうそう、もちろん柳田先生は、どっちかというと「話す」派に立ってるんですよ。「ハナシ」に「カタリ」を混入させるな、みたいなこと書いてますので、勘違いされないように。でも先生、こうしてネット上で大量生産大量消費される言葉たちを見たら、今度はなんて言うでしょうね。

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2006.09.07

『COOL JAPAN スペシャルin Paris』

発掘!かっこいいニッポン
2006jep お〜、またNHKネタだ。そしてまたオタクネタだ。うん、まさに日本の貴族文化だあ!
 というわけで、昨夜放送分の録画を観ました。夏にパリで開かれたジャパン・エキスポの会場で収録された「COOL JAPAN スペシャル」。フランス人と日本人のハイブリッドちゃんと一緒に鑑賞。娘のお友達の女の子です。ちなみに彼女のお父さん(フランス人)は、全然オタクじゃないので日本文化萌え〜ではありません。どちらかというと問題点を多く見出しているようです。やはり日本に来たくて来たんじゃなく(つまり仕事で来ている)、どっぷり日本の田舎の生活に漬かっていると、うんざりすることも多いのでしょう。
Moet 一方、この番組に出ていたフランス人は…はっきり言ってやばい。オタク度ということで言えば、日本のオタクたちに優るとも劣らない。だいたい彼ら彼女ら、日本に来たことなんてほとんどないんですよ。だから、結局ヴァーチャル・ジャポン?に憧れてるわけでして、まあ、だからもうその意味でオタクなのでした。現実はそんなに甘くない!…なんてことをオタクに言ってしまうのは野暮ですね。
 こういったオタク外人って世界に何十万人もいると思いますけど、中でもフランスのオタクは熱いというイメージがありますね。この前「もえたん」のところでも書きましたけど、浮世絵の受容具合なんか異常でしたからね。モネもルノワールもゴッホもかなりのオタクだったということでしょう。彼らもヴァーチャル・ジャポンに憧れたわけですし。
 さて、今日パリで紹介されたCOOL JAPANを列挙しておきましょう。日本人である皆さんはどう思いますか?

 (回転)寿司・しょうゆご飯・ふとん・地下足袋・ランドセル・お面・金魚すくい・渋谷系ファッション・女子高の制服・プロレス・パラパラ・コスプレ・メイドカフェ・メイド服・囲碁・七夕の短冊・マンガ・剣道・折り紙・武士道・J-POP・畳・こたつ・シャワートイレ・ふろしき・のし袋・招き猫・かんざし・箸・ルーズソックス・軍足・着物・オムライス・障子・幕の内弁当・カプセルホテル

 私はけっこうオタクたちに共鳴しましたが何か?たしかになんとなく「萌え」の要素があるのは分かる。ほとんどのアイテムについて私も文化論的に語ろうと思えば語れますね。フランス人にそれらしく語っちゃえる自信はありますよ。
 誰かも言っていましたが、これからはこういったコンテンツの輸出に国として力を入れるとよいでしょう。世界平和のためにもね。あれ?そう言えば、肝心のアニメが一回も出てこなかったような気がするなあ。なんでだ?

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2006.09.06

『音楽の基礎』 芥川也寸志 (岩波新書)

400414057909_scmzzzzzzz_ 今日9月6日が、数十年後休日になるわけですね。それまで私は生きているでしょうか。難しいかな。
 まあ私なんて、天皇制の意味を、(あまり一般的でない)いろんな角度から認めている派ですので、とにかく今日はおめでたい日でした。私も含めて?オタクたちはみんな慶んでますよ。2ちゃんなんかも完全に慶祝モードに入っています。それも当然と言えば当然。日本のオタク文化のルーツは天皇家にあると、いつも言ってるでしょ、ワタクシ。「萌え=をかし」は貴族文化です。ま、とにかく紀子さま、秋篠宮さま、まさにGJ!でありました。これで景気も回復でしょう。
 さて、こういうことがありますと、血筋というか血脈というか、そういうものについて考えてしまいます。こちらの血筋もまたすごいですね。也寸志さんのお父さんは、もちろん芥川龍之介であります。
 この本は、いわゆる教養書として書かれたものです。往年の岩波新書ですからね。1971年。題名が硬いじゃないですか。いかにも、という感じ。
 それで実際の内容なんですけれど、たしかにまじめです。項目自体は普通の楽典書とほとんど同じです。記述もあまり面白おかしくないかもしれない。ま、文法書みたいなものですから。文章読本にもなってないわけでして。
 それでもここにおススメするのには、それは当然理由があるわけですね。それこそが、実は血筋なんですよ。遺伝子。文章が実にいいんです。小説でも随筆でもありませんから、過度に音楽的な何かを求めてはがっかりしますが、なんというのだろう、まったく飾り気のない、しかし実に正しく美しい日本語なんです。
 私は、冒頭章と掉尾が大好きです。ちょっと引用させていただきます。

 「音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境を必要とする…音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある…静寂は、これらの意味において音楽の基礎である」
 「…『音楽』という名の音楽、いわば〈音楽そのもの〉はつねに私たち自身の内部にしか存在しない。それは遠い昔においても、オーディオが発達した今日においても変るところはない。私たちの内部にある音楽とは、いわばネガティヴの音楽世界であり、作曲する、演奏するという行為は、それをポジティヴな世界におきかえる作業にほかならない。音楽を聞こうとする態度もまた、新たなネガティヴの音楽世界の喚起を期待することであり、作り手→弾き手→聞き手→作り手という循環のなかにこそ音楽の営みがあるということは、遠い昔もいまも変りがない。積極的に聞くという行為、そして聞かないという行為は、つねに創造の世界へつながっている。
 この創造的な営みこそ、あらゆる意味での音楽の基礎である」

 このような格調高い文に囲まれて、音楽の理論が整然と編み上げられていくわけです。この前奏と後奏がなければ、やや退屈な理論書に堕してしまったことでしょう。
 ところで、この前後の文には深い意味が読み取れるような気がします。なぜなら、もうお解りと思いますが、「音楽の基礎=静寂=創造的な営み」という公式が出来上がるからです。そして、創造的な循環につながっているのは、「積極的に聞く」と「積極的に聞かない」行為であると言っているわけです。この「聞かない」というのがミソですね。つまりは「聞く」ことから生まれるのは「音楽」であり、「聞かない」ことによって結果として再生されるのが「静寂」ということでしょう。
 私はここのところに、作曲家としての覚悟のようなものを感じましたね。文学でも美術でもそうでしょうが、結局自然と対決しなければならない。結果として作った意味のないもの(聞かれないもの)は、最初から作る必要はない。自然(静寂)のままの方が良かったわけですから。ものすごいプレッシャーですね。そういう覚悟がないと、お父さんともども、あんな名作群は残せなかったでしょう。そして、そのプレッシャーに負けたお父さんと、勝ったとは言えないかもしれないけれど、逃げずに闘い続けた息子。う〜ん、すごい世界だな。
 ちょっと前まで、芸術って「モノ(自然)」を「コト(人為)」化するものだと思ってたんです。でも、全然違うような気がしてきました。新しい「モノ」、つまりそれに接する人々によって多様な意味を産出し続ける新しい「モノ(自然)」を創造することなんじゃないかなって。そこに循環性が生まれる。ただの「コト」化は一般メディアがやってることでしょう。で、「コト」に萌えてるオタクたちは、実はそこで完結せずに、「コト」を再び解体して…おっと、これは長くなるからまた後日。

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2006.09.05

原史奈こわれる(サラリーマンNEO)

Cd78 ああ、史奈たんが壊れてく〜。壊したのはNHKです(笑)。最近のNHKの(いい意味での)壊れっぷりには感動しきりでありますが、今日のNEOはやばかったですねえ。最後の「アンバランスボール」。原史奈さんが思いっきり酔っぱらって、様々な痴態をさらしてしまいました。もちろん演技…ですよねえ、あまりにリアルでしたので、これはもしや本気で酔っぱらってるんでは、と疑ってしまいました。まずびっくりしたのは、左の写真。CDを両手に持って、それらを下腹部と臀部にかざす究極のお下劣ダンス!これはお宝映像です(笑)。
Camel そして、ボバ(田中要次)さんに対するキャメルクラッチ。田中さん、ちょっと恍惚としてました。かなりの荒技ですねえ。ややあごのクラッチが甘かったのは、史奈さんの愛情でしょうか。
 それにしても、最近のNHK、「ポポラッチ」や「こだわり人物伝」の馬場さんなど、ちょっとプロレスづいてるような気がします。大変よい傾向であります。
Grt99 続きまして、シャンパンらっぱ飲みの上、噴出。これもワザとしてはかなり有効。ムタの毒キリみたいなもんです。よくぞここまでやりました。やらせました。
 いや、おふざけでなく、原さんの演技がかなり良くなってきてるんですよ。あれだけのそうそうたる役者陣に囲まれて仕事をしていると、おのずと影響を受けるんでしょうね。観てる私たちでさえ、ものすごく勉強になりますから。
 ホント、あのメンバーで劇団作って舞台やってほしいですよ。若手からベテランまで、実に多彩で多才。久々に演技の面白さを思い出させてくれました。芝居やりたくなってきますねえ。
 それにしても、原史奈さん、単なるグラビアアイドルだと思っていたら、大違いでした。ま、2代目セーラームーンという経歴から、なんかありかも、と思っていましたけれど、ここまで大物だとはね。とにかく、この番組に出たことで、彼女の芸域はかなり広がるでしょう。

『サラリーマンNEO』(NHK)
『サラリーマンNEO』(NHK)その2

サラリーマンNEO公式

日刊原史奈

Amazon 原史奈写真集

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2006.09.04

「箱」と「ことば」

扇面貼交手筥
Gya050424 録画していた「新日曜美術館」を観ました。テーマは「箱」。アートの観点から「箱」の魅力を問い直した内容でした。それぞれの作品も楽しかったし、なにしろあらためて「箱」について考えるよい機会になりました。
 箱は不思議な存在です。今、ウチの中を見回してみても、たしかにいろいろな箱がある。そして、その箱に対するいろいろな嗜好もある。たとえば、カミさん、昨日おみやげにいただいたお菓子の箱を「かわいい〜」と言って中身を出し、いろいろと眺めながら、さて何に使おうか、何を入れようか、どこに置こうか、など思案しています。ふと目を移すと、黒猫の兄は「箱座り」しているし、弟は段ボール箱の中で眠っている。子どもたちはまさにおもちゃ箱をひっくりかえしている真最中。私はこうしてパソコンというブラックボックスとにらめっこ。
 番組では詩人さんが「流体を閉じこめるもの」として定義しておられました。それもありでしょう。では、牛乳パックは「箱」と呼べるのかとというと微妙な気もします。たしかにアートとしての箱は「時間」という流体を閉じこめる場合が多いようにも思いますけれど。記憶ももちろん時間です。
 さて、ここで得意の「モノ・コト論」を私の頭の箱から取り出してきましょうか。流体とはまさに変化し続ける「モノ」。それを、固定しようとする行為が「コト化」です。いつも言うように、完全なる「コト」、つまり「マコト」とか「ミコト」というのは、実はこの世界には存在しないようなのですが、疑似的な「コト」はいくらでも存在します。それを私は「カタ」であると考えています。「形」とか「型」とかの「カタ」です。「コト」と「カタ」はもちろん同源ですね。で、「箱」は、やはり「カタヅケル」…今は「片付ける」と書きますけれど、「型付く」が語源と思われます…ためのものではないかと。
 そうすると、「言葉」つまり「コトノハ」というのも、(疑似)コトの輪郭部分(山の端のように)という本来的な意味においては、「箱」と似ているとも言えるかもしれません。古来、「ことば」はレッテルだとか、分節の道具だとか、いろいろ言われてきましたが、私の実感だと「箱」に近いんですよね。
 それで、そこに色々と分類して収納していく。似たモノを抽象してつっこんでいく。カタヅケていく。それぞれの言葉の音韻は、それぞれの箱の意匠(デザイン)なんです。で、入ってるモノにふさわしいデザインにするわけです。そこで働くのは、それを使う人たちにある程度共通なクオリアみたいなもの。カ行音は硬いとか、マ行音を柔らかいとか。
 多面性という意味でも箱と言葉は似てますね。いろいろな角度から見ることができるし、いろいろな表情を読み取ることができる。また、箱のフタを開けて中身を見、ああこういう性質のモノが詰まってるのね、って確認するのは、まあ辞書で言葉の意味を調べて納得するようなものでしょう。
 古語なんか、蔵から出てきた古い箱みたいなもんです。開けても最初は何だかわからない。また、時代とともに分類され直したり、捨てられたりするモノも出てくる。服の分類、収納みたいにね。
 言葉を重ねて文を作るというのも、もしかすると箱を重ねていくようなものかもしれません。それぞれの箱のどの面をこっちに向けるかとか、重ね方のルールやコツとか。
 ま、これは番組に刺激されて単に思いついたものなので、全然煮詰めてない考え方ですけれど、もう少し進めてみる価値はありそうです。今日は個人的な備忘ってことで。

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2006.09.03

『もえたん3』 もえたん製作委員会 (三才ブックス)

魔法少女の帰還 Return of the Little Witch
486199047501_scmzzzzzzz_v61306728_ 今日は、東京デビューに向けて歌謡曲バンドの練習がありました。まあ、いつもの通り、半分は呑みですけど。
 このバンドでギターを担当しているのが、マッペリのベーシストくんの兄貴です。私が最初に卒業させたクラスの生徒。そして、彼が仕事として大きくたずさわったのが、今日おススメする『もえたん』です。
 練習の前に、彼から『もえたん』誕生・製作秘話などを聞き、私も大いに萌えました(笑)。いやあ、すごいな。POPさんのイラスト以外の美術は、ほとんど彼の手によるのでした。ちょっと業界裏話的な部分もありますので、多くは書けませんけれど、なるほど、こうやってこういう本が出来上がっていくのか!と、正直感動いたしました。ある意味こんなところまで、彼の手が加わっていたのかって感じ。
 しっかし、一冊の本作るのって、ホント大変ですねえ。気が遠くなるような仕事です。それを短期間でやらなくてはならないんですからね、たしかに寝てるヒマないわ。
 まあ、そんな内輪話抜きにしても、この本は実に面白い。面白くない人には全然面白くないでしょうけど、面白い人には死ぬほど面白い。で、私は残念ながら(?)死にそうになりました。聞けば、やはりそういう意図で製作されたと。ある種壮大なネタであると。
 え〜、御存知ない方のために簡単に申しますと、表面上のコンセプトは、「萌え」という積極的な感情を利用して、消極的になりがちな英語学習を効果的に前進させよう、というものです。しかし、その内容は例えば次のようなもの。あえて日本文だけ記します。さっと開いたところ、えっと「とっさのひとこと3」か。
「ナマ言ってすみませんでした」「正直すまんかった」「燃えつきたよ…まっしろな灰にな…」「ノーマネーでフィニッシュです」「もうだめぽ」
 もう、こう列挙するだけでも、引くか萌えるか、はっきり分かれると思いますよ。一般人?には、まず日本語がわからんでしょ。これらがそれぞれ絶妙な英語に訳されてるんですけど、それ以前に標準日本語訳が必要だ。このあたりのセンス、日本語、英語双方の例文のセンスはホンモノです。教え子くんの話によると、それもそのはず、日英ともかなりのオタクさんによるものだとのこと。たしかにこの絶妙のニュアンスは一朝一夕で体得できるものではない。なんて、それがある程度わかってしまう私って…。いやいや、私は(教え子くんも)自らをオタクとは認定していません。あくまでオタク世界にたずさわっているだけです(ホントか?)。
 というわけで、やはりこれは壮大なネタ本であるということです。しかし、しかしですねえ、彼とマジメに語ったんですけど、これってまさに伝統的な日本文化そのものだと思うんですよ。江戸の出版事情に非常に近い。もちろん浮世絵的、つまり記号的な「萌え絵」という意味でもそうですけれど、その製作の分業具合とかですねえ、粋で洒落てるコンセプトや、不真面目と真面目の境界線上での揺れ方とか、細部の美的センスへのこだわりとか、とにかく江戸の文化そのものです。もちろん根底にあるのは、「萌え=をかし」的感情です。
 で、彼にも進言したんですけど、やはりこれは欧米に打って出るべきだと。浮世絵の受容と同様に、我らのサブカルチャーが彼らのメインカルチャーに食い込む可能性は非常に高い。もうすでにそういう兆候が表れていますよね。やっぱり特にフランスで。フランス語版作るとかね。いや、あえて媚びない方が歴史に則ってるかな。
 そういうような視点で読んだり、見たりすると、この本の本質的な面白さや美しさがよくわかると思います。実際、大変に美しい本だと思います。POPさんのイラストはもちろん、教え子くんの細部にわたるデザインも、正直非常に美しい。きっと百年後には「文化」として語られるでしょう。間違いなく。こんな作品にかかわれる彼に、ちょっとジェラシーを感じてしまいましたよ。

Amazon もえたん3

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2006.09.02

「一期一会 キミにききたい!…都会と田舎の話@秋田」(NHK教育)

Image8643 「秋田の和楽器奏者」って番組表にあったので、なんとなく録画して観てみたのですが、予想以上に面白かった。ホントNHKって地味にいい番組作りますね。若者向け番組も面白いものが多い。
 秋田出身のカミさんと観ながら、二人で感動して涙ボロボロ。若者にいろいろ学びました。
 企画としては、憧れの東京に出てきた田舎(秋田)大嫌いな女性が、田舎の人に会って都会の素晴らしさを伝えよう、というのが本来の趣旨です。番組ホームページにはこのようにあります。
「私は田舎が大嫌い。田舎に住む多くの人は、保守的で活気がないように見える。その点、都会に住む人は皆、仕事も遊びもエネルギッシュに取り組んで、活気に満ちているように見える。田舎でしか暮らしたことのない同世代に言いたい。閉鎖的な田舎に住んで満足していないで、刺激に満ちた街、都会に住んで視野を広げるべきだ」
 彼女に会って話す相手としてNHKが選んだ田舎人は、秋田から出て暮らしたことのないある青年でした…再び番組ホームページから借用します。
「イチゴさんが向かうことになったのは、なんと出身地の秋田。そこで、秋田の田舎をこよなく愛するイチエくんと出会い、見慣れた退屈な風景へ。そこで田舎の魅力を力説されるが、ピンと来ない。やっぱり田舎よりも都会?展開はどうなる?!」
 その彼が素晴らしかったんですよ。吉村陽介くん。若いのに偉いねえ。彼は地元で「安藤兄弟」として活動する笛奏者だったのです。彼の朴訥な(いかにも秋田の男らしい)語りと、それと対照的な熱い演奏姿が、彼女の、そして私たち視聴者の心を少しずつ動かしていきます。そして最後は…はっきり言って吉村くんの完勝ですね。ある意味彼女返り討ちにあいます。ちょっとしたドラマよりもずっと説得力のあるドラマが展開されました。
 彼の言葉、一つ一つが私の心にも強く響きました。特に「田舎=モノ」「都会=コト」として考えている私にとって、まあある意味言い古されているのかもしれませんが、彼の「(田舎では)遊びを自分で作る」という言葉はドスンと来ました。たしかにカミさんも子ども時代を思い出してよくそう言っていますが、こうして番組の中でコントラストを強くして語られると、再びドスンと来るんですね。
 この前ちょうど書いたばかりですけど、多義的で、つまり何でもなく、何にでもなりうる「モノ」的な世界に、どうやって自分で意味付けしていくかという体験が、「都会(脳化社会・コト化社会)」では希薄になっているんです。何でも提供される、それも商業的な思惑によって作られた大量の「騙り」ばかり。そこに魅力を感じるのもわかりますよ。そういう部分も人間にはあると思いますからね。
 私はほとんど生まれから14年間ほど高度成長期の東京で育ちました。その後縁あって山梨に来ることになり、そこで「田舎=モノ」の魅力にとりつかれました。ある意味、自分のベースに「都会=コト」しかなかったからかもしれませんね。そしてまた、縁あって秋田の山奥の女と結婚することになり、さらなるモノ的世界を体験させられました。はっきり言って革命的なパラダイム・シフトが起きましたよ、自分の中で。
 そして今、富士山に住んでいます。その意味はまた多重的です。ここは別荘地ですから、田舎と都会の微妙な狭間なんですね。環境としてはけっこうモノですけれど、例えば人付き合いはコト的な部分も多い。また、田舎と言っても、東京まで90分というロケーションです。正直東京まで180分だったら住まなかったかもしれません。
 そんなふうな来歴を持つ私ですから、この番組での二人の若者の対話は、実によくわかりました。双方の気持ちとも理解できたわけです。そして、やはり最後は「モノ」が勝利したという結末にも、なんとなく安心したのでした。
 それにしても、吉村(安藤)陽介くん、素晴らしかった。彼の演奏も素晴らしかったし(いや、まじでかなりうまい)、彼の信念というか、感性というか、人間性でしょうかね、そこに心動かされました。今度、ぜひ生で彼の笛を聴いてみたいと思いました。
 まさに、私にとっても「一期一会」と言える番組でした。感謝。

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2006.09.01

プリヴィア PX-310 (カシオ)

Privia PX-310 (CASIO)
310_1
 カシオさんってすごいメーカーです。以前こちらにも書きましたけれど、どっかんと価格破壊やら技術革新をやらかしてくれる。でも、なんとなくB級臭があって、決して高級一流とは評価されない。なんとなく大衆食堂的なんですよね。ファーストフード店的、つまり安かろう悪かろうだと言う人もいるかもしれませんが、けっこう私にとっては味のある「樫尾食堂」なんですよ。
 そのカシオさんの製品を買いました。今までもカシオさんのエレピを使っていましたが、ここのところバンド活動してたりして、持ち運びができるピアノタッチのキーボードがほしいなあ、って思ってたんです。で、その現在所有のエレピ(セルヴィアーノ)を買ってくれる方がいらっしゃったんで、ほぼその金額で買い替えしました。それが、PX-310です。
 ちなみに専用折畳みスタンド込みで税込4万8000円ちょいです。安すぎます。ありえません。ちょっと前までだったら、ちゃんとしたピアノタッチのものは10万円以上してました。また価格破壊しちゃいましたね。
 同じタッチのPX-101はもっと安くて3万円台前半で手に入ります。でも、こちらはシンプルすぎて、外部出力端子もなかったりするのでライヴなどには使えません。それで301にしました。
 買ってみて、びっくりです。私は近代的弊害と矛盾に充ち満ちたいわゆる普通のピアノがあんまり好きではないですし、実際ほとんど弾けませんので、あんまり偉そうなことは言えませんが(って、かなり偉そうな態度ですけど)、このタッチはかなりいけてますね。もちろんグランドピアノと同じにはなりえませんが、よくシミュレートしてると思います。
 そうそう、やたらタッチにうるさい人もいますけど、それならホンモノを弾いてればいいじゃん!っていつも思います。どうせ電子楽器。半分おもちゃですからね。割り切らないと損をする。ま、そういう人は割り切るほどの根性も技術もないんでしょうが。
 そういう人は現代のピアノがピアノだと思ってるんです。モーツァルトが、ショパンが、どういう楽器を弾いたのかなんて知りやしない。そういう発想すらないんですよ。
 あっそうそう、今思い出したんですけど、故グルダさんがクラビノーバでバッハを弾いたコンサートを観たことがあります。ものすごく良かった。チェンバロでもピアノでもない。まさにエレクトリック・ピアノの音色で弾いたんですけど、それが本当にかっこよかった。ああ、この人は達観してるなって思いました。
 おっと話しがそれた(皮肉がすぎた)。で、301です。いやあ、この音はすごいですねえ。もともとサンプリングはカシオさんのお家芸ですけれど、ここまで再現できるんですよね。また、特にエレピ関係の音色の趣味の渋いこと。あとオルガンもね。ちなみに401なんか、オルガンに対する異常なまでの(オタク的な)こだわりを見せています。すごいわ。で、301はそれらに加えてGM音源も入って200音色以上。すごいなあ。これでこの値段かあ。
 電子楽器業界は、老舗楽器メーカー、老舗電子楽器メーカー、さらに家電メーカー、そしてカシオさんのような…えっと何メーカーだ?…微妙だよなあ、計算機メーカーでもないし、まあ、とにかくいろんな方々が参入して、覇権を争ってきました。それぞれに得意不得意分野があったりして面白いんですけどね。結局、最近では、タッチなどの工作技術、音色などの電子技術、そしてコストパフォーマンスの高さによって、カシオが一番売れてるとか。ある種のこだわりとある種のわりきりのバランスに優れてるんでしょうね。
 ただですねえ、カシオさんが一流になれない理由の一つ、いや二つだと思うんですけど、この301も御多分にもれず、デザインが大衆食堂であり、また、妙にわかりにくいインターフェイスなんですよお。デザインはまあ、別にこだわらないのでいいんですけど、どうにも操作性が悪いのはいかん。音を選ぶだけでも大変。マニュアル読んでもわからないなんて、私としては大変珍しいことです。たいがいのものはマニュアルなしで使えるんですが。
 そんなところも、またカシオ的であって、私は別に腹を立てたりしません。面白いですね。ある意味マニア好みの操作性の悪さとも言える。大衆的でありながら、こちらは積極的にマニュピュレイトしなければならない。ま、男心をくすぐるところですかね。
 とりあえず、これからのライヴで、大いに活躍してもらいましょう。そして時々、ウチの中で、私や娘たち、そしてなぜか猫たちに鍵盤をたたかれることになるでしょう。今後ともよろしく頼みますプリヴィアちゃん。

プロクオリティサウンドでライブや音楽制作など幅広く活躍カシオ電子ピアノ Privia PX-310

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