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2006.08.31

「祭」「波」

Ggjaa おお、8月が終わる。世間では夏休みが終わる。ここ数日、夏休みの宿題の読書感想文を書くために、このブログにアクセスする人の多いこと多いこと。だめだよパクリは。私の書いたことパクったら、正直許しませんよ。いや、私が許さないんじゃなくて、普通の先生は許しませんよ。たぶん書き直しになります。なんて、今頃言っても遅いよな。
 ちなみに、ここは避暑地なんで、とっくに夏休み終わってまして、なんと昨日と今日は学園祭だったのです。なんか変でしょ。
 で、その学園祭で、ちょっと感動しちゃったんですね。ウチのコース1年から3年みんなで、モー娘。を踊ったんです。夏休みずっと練習してましたからね。ものすごくいい出来だったんです。なんか青春だよなあ。一生懸命やってるから、いろいろと途中でもめごとがあったりして、でも最後は大団円。まさに青春ドラマだ。
 最近の高校生は、また熱くなってきてるんです。一時はそれこそ「一生懸命はダサい」みたいな風潮がありましたけど、最近また熱くなってきてます。いいことです。
 ところで、こういうマスゲーム系のダンスの勘所は、なんといってもシンクロですよね。完璧にシンクロさせれば、必ず感動を呼ぶ。音楽やダンスのみならず、多人数の脳波の共鳴みたいなものって、こちらにズンズン来ますよね。アンサンブルの醍醐味です。心が一つになる、なんて使い古された言葉ですけれど、結局脳の状態がシンクロしてるんでしょうね。
 やってる方が強力な脳波の束を投げ掛ける。それを受け取るお客さんも次第に共鳴していく。それがエクスタシーにつながり、また、「祭」という「場」を作っていきます。
 オーケストラや合唱団のように演奏する側が集団であったり、ロックのライヴのようにお客さんが集団であったりすると、そういうことが起きやすいんですけど、たった一人でも、超強力な脳波で「場」を作っちゃう人もいます。本当にすごいパフォーマーってそういう感じですよね。
 私が体験した例で言いますと、キース・ジャレットとヴィーラント・クイケンがダントツでした。キースは一瞬のうちに大ホール全体に大きな波を作ってしまいました。数千人のお客さん全員、即陶酔状態。ありゃ宗教的「場」に近い。ヴィーラントはレッスンで一緒に弾いてくれたんですが、ビンビン波が来るんですよ。隣から。それって音の波じゃないんですね。で、それに乗っかっちゃったら弾けちゃった、みなたいな。不思議な体験でした。
 こういう「波」の共鳴体験って、やはりヴァーチャルではダメなんです。「生」じゃないと。そういう体験こそ、子どもたちにとって大切なんでしょうね。ま、怒りの共鳴っていうのもあって、それはそれで厄介ですけど。
 とにかく、今日は生徒諸君、とってもいい体験をしたんではないでしょうか。ああ、青春って「祭」なんだな。そして「波」。

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2006.08.30

『若返りの秘訣は「腹七分」』 橋本浩明 (日経P企画)

カロリー制限の科学と知恵
493146676109_scmzzzzzzz_ カロリー制限が唯一の老化防止法であることは、もう世界の常識です。カロリー制限が、ガンや心臓疾患、脳梗塞、その他の成人病を予防する、アルツハイマーの発症率を下げる、骨粗鬆症の進行を遅らせる…世界中からいろいろな研究報告がなされています。
 この本は、そうした内外の研究成果をまとめたもので、「腹七分」とはつまり30%のカロリー制限を意味するものです。ま、厳密に言えば「若返り」はないとしても、老化の進行が緩やかになることで、結果として「若い」期間が長くなり、健康寿命も伸びるというわけですね。
 私はもう2年以上一日一食生活を送っています。その効果については、以前書いた通りでして、現在も非常に健康的かつ活動的な毎日を送っております。体が健康で身軽ですので、心も自然アクティヴになっているような気がします。家族はもちろん、いろいろな人に「楽しそうだね」って言われますよ。本当に人生がガラッと変わりました。
 考えてみれば、現代の日本人が苦しむ疾病のほとんどは、戦後我々が豊かになり、食べたいものを食べたい時に食べるようになってから急増しています。1日3食しっかり食べなければ不健康だという、なかば脅しのような神話がまことしやかに語られるようになって、そろそろ60年です。
 そろそろそういった根拠のない「騙り」に疑問を持たねばならない時期なんじゃないでしょうか。戦後寿命が延びてきた原因は、食べたいものが食べられるようになったからというよりも、医療の発達によって、乳幼児の死亡率が下がり、また「生かされる」老人が増えたからじゃないでしょうか。
 この本には、いろいろなデータが列挙されています。それらがほとんど同じような内容で、さらには結果のみで、その科学的根拠があまり示されていません。そのあたりは、まあ「神話」とおんなじ感じなんですけれど、私の場合は現在身をもって体験していることなので、その「神話」にも実感が伴います。逆に、自分以外の自分と同様の事例を示されることによって、その実感に対する自信というか、信頼のようなものが増してきますね。
 人間の本能にはいろいろとありますが、そのうち、現在明らかに過剰に満たされているのは「食欲」でしょう。その状態を他の本能にあてはめてみれば、なんとなくその不健康性がわかるというものです。しかし、一度満たされすぎてしまったものを、再び本来のレベルまで下げるのは至難の業です。特に社会がそうしたものを過剰提供している現代日本においては。
 だから、私も一日一食にしたのです。こういう状況の中においては、最も手っ取り早く、最も効果的な「腹七分」ですので。決してそれが正しいあり方ではないということは分かっています。しかし、そこから始めるしかないのが現状ですし、一日三食以上を食べざるを得ない普通の生活よりは、ずっと健康的だと思っています。実際、超健康になりましたしね。
 というわけでして、私のようにドラスティックに、またドラマティックに人生の転換を図りたい方は、まずは食生活から変えてみましょう。難しいカロリー計算とか、栄養バランスとか、あんまり考えなくていいみたいですよ。最初の2週間だけ我慢しましょう。この本にも書かれていますけれど、転換期には不定愁訴の症状が現れます(私はありませんでしたけど)。そこで、「やっぱり不健康だ」と思って元に戻すか、それとも「おっ、体が悲鳴を上げて変わりつつある」と思うか、そこが運命の分かれ道です。
 どちらの「神話」を信じるか、それは皆さんの自由です。ま、どっちの宗教を信じるか、みたいなもんでしょうかね。私は2年前に宗旨替えしたわけです。

Amazon 若返りの秘訣は「腹七分」

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2006.08.29

小論文・モノ学・もののあはれ・量子論・ブッダ…いろいろと

『新小論文ノート2007』(代々木ゼミナール)
489680924601_scmzzzzzzz_v63247936_ この本、受験生やその指導者しか買わないのでしょう。実にもったいないと思います。このシリーズ、毎年たいへんお世話になっております。
 私も仕事柄、というか担当教科柄というか、人柄というか(?)、小論文の指導をいたします。皆さん、お察しのように、私に指導されるとかなり個性的なことになります。まあ、それが狙いですし、そういうものを書かなければならない生徒が私のところに集まるわけですから。
 この本は、代ゼミの誇る代表的な小論文指導者の英知を結集したものです。ですから、その指導内容、解答例などは、もちろん私のそれとはあまりに違う、実に立派なものです。感心します(イヤミじゃないっすよ)。
 で、へんちくりんな私がこの本から何を学ぶかと言いますと、やはり、まともな切り口とまともな意見なんですね。それは大変意味のあることです。ああ、みんなこういうふうに書くんだと。まずは敵を知らねば戦いはできませんね。
 あとは、もちろん、いい文章を読む機会として有用です。現代文の問題もそうですけれど、とにかく日本の知の最先端の(と思われる)皆さんがどのような文章を出題するのか。高校生にどんな文を読ませようとしているのか。それを知るだけでもなかなか楽しい。そして、面白そうな文に出会ったら、それはだいたい抜粋なわけですから、実際の本を注文するわけです。そういう読書ガイドになる。
 今年度(来年度?)版もなかなか興味深い文が多かった。どれも面白かった。一冊本を読むのはいやですが、このくらいだったら読む気がしますしね。
 さて、その中で特に興味深く読んだのは、神戸市外国語大学で出題された汐見稔幸氏の文章です。2001年に岩波の「世界」に掲載された文章の抜粋のようです。
 小見出しに「中間にとどまれない若者たち」「社会の効率化がもたらす危機」「『よい』『わるい』の二分法を超えて」とありますから、だいたいの内容は察しがつくことでしょう。
 この文章、プロレスラーの大仁田厚さんの言葉から始まります。「今の若者には、なにかうまくいかない時に、全て人のせいにするやつか、全て自分のせいにするやつしかいない。前者はキレる。後者はひきこもる。中間がいない」というような内容です。それを受けて汐見さんが、アダルトチルドレンの特徴として「常に責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかである」と述べます。同じですね。中間がない。進歩か反動か、保守か革新か、科学か迷信か、勝者か敗者か、○か×か、勉強ができるかできないか、成功か失敗か、金持ちか貧乏か…多義的な、あるいは無意味な世界はどこへ行ってしまったのか。そうした中間世界に適応できない、あるいはそれを自分で意味化できない若者が増えている。だから…というような話しです。
 私の「モノ・コト論」で言えば、まさに二分法は「コト」世界。中間世界は「モノ」世界ですね。たしかに現代は「コト」と「モノ」のバランスが崩れている。というか、いつかも書いた通り、人間の歴史、特に科学の歴史は「コト」化の歴史ですからね。時代が進めば「コト」化が進むのは、当然と言えば当然です。
 転変し、何者でもなく何者にもなりうる、決して恒常でない、そういう「モノ」世界の復権を、私も願いたい。特に子どもたちには体験させないとね。いや、まず自分かな。
 ようやく大人の世界でもモノ学が本格始動したようです。私も自分なりにそういうものに関わっていければと思っています。ただ、学問的に突き詰めると、結局「コト」化が進んでしまうんですよね。言葉で学問するわけですから。そこんとこをどうするか。「モノ」と「学」という相容れないものどうしを、どう折り合いつけるか。
 でも、いくら学問しても、いくら「コト」化しても、「モノ」自体はそれで消えるわけではありません。「モノ」は人間が知ろうとすればするほど分からなくなるものであり、近づこうとすると遠ざかるものなんですよ。ふふふ。
 学問、つまり、観測や観察や解釈をした途端に、対象がある一面しか見せなくなる…まるで量子論ですねえ。脳内で「コト」化された瞬間に、本当の(?)姿を隠してしまうんですよ。いや、「コト」化とは、「モノ」のある一面のみを抽出する行為なのか。とにかく、そういう、人間にとっての永遠不可知、不随意こそが「モノ」の本質です。だから、そこに諦観してため息ついちゃったのが「もののあはれ」なんですよ。ブッダはそこにいち早く気づいたということでしょう。ふふふ(不敵な笑み)。

Amazon 新小論文ノート2007

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2006.08.28

馳浩引退試合&『白山 特別純米』小堀酒造店

2006082800000012spnspothum000 『闘う政治家』を標榜してはばからない安倍さんの著書を紹介しましたけれど、私にとって『闘う政治家』と言えば、この人ですね。馳浩。昨日、引退試合をされ、プロレスからは潔く身をひきましたが、「今後は永田町というリングで闘う」と力強く語りました。会場には森喜朗さんも現れ、乱闘に巻き込まれて、自らパイプ椅子を手に取って応戦しようとしたとか。ま、ネタとは言え、なかなかやりますね「ザ・シンキロウ」。プロレスの醍醐味です。
 馳選手はもともと高校の国語の先生でした。そして、レスラーに。さらに参議院議員、衆議院議員、文部科学副大臣。すごいなあ、私の心の師匠ですよ。彼の人間性は彼のレスリングによく現れていました。プロレスにおける負けっぷりというのは、非常に高度な芸と技なんですけど、彼のそれはほとんど美学に達してましたからね。本当に素晴らしいレスラーでした。頭いいし、熱いし、優しいし、とにかく相手のいい所を引き出す、自己中心的でない試合をしました。それって、教師にも政治家にも大切な部分ですよね。
 さて、そんな馳さん、次の金沢市長選挙に立候補するとかしないとか。国会議員もいいけれど、市長さんもいいかもね。金沢市、うらやましいなあ。
 で、今日はちょうど金沢市民の卒業生が学校に遊びに来ました。彼女、いつも加賀の銘酒を買ってきてくれます。彼女は薬剤師になるはずが、いつのまにか立派なきき酒師になってますな。酒は百薬の長ってか?この前はこちらを処方してくれました。
Tokujunhakusan300 今回は小堀酒造店の「萬歳楽 白山 特別純米酒」。これもまた美味しかったっすね。最初、キンキンに冷やして呑んでしまったので、かなり淡泊な辛口だなと感じました。そういうお酒も夏場はいいものですので、それはそれでおいしくいただいていたんですけど、ラベルを見てみたら、「人肌燗」を奨めている。お〜、なるほどと思って早速少し温めてみました。
 そうしたら、突然全く違うお酒になったんです!まず、香りが柔らかく広がります。フルーティーと言うよりも米と水の匂いでしょうか。熱燗のようにツンとせず、本当に自然に香ってきます。なるほど。味もびっくりしました。どこに隠れていたんでしょう、ほんのりとした甘さと、落ち着きつつ存在感のある旨味。うん、酒米の良さが見事に引き出されている感じですね。少し温めることによって、隠されていた米の雑味が主張しはじめるんですね。それが、絶妙のハーモニーを生んでいる感じ。積極的に雑味を利用しているんでしょう。ここのところ吟醸系ばかり呑んでいたので、ちょっと新鮮でした。
 雑味を活かすというのは、人間にもあてはまるかもしれません。やたらに精米して(表面を削って)純粋さばかりを追求するというのがいいとは限らない。雑味も含めて、個性であり、味であるわけでして。馳さんならよくおわかりでしょうね、そのあたり。う〜ん、深いな、日本酒の世界。

【酒の百名山・日本名門酒会】萬歳楽 白山 特別純米酒  720ml

小堀酒造店

馳浩公式

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2006.08.27

戦隊ヒーローリンスインシャンプー

Vdgggaz 今日は(今日も)くっだらないネタ。
 頭を洗おうと思ったんです。ほとんど坊主頭なんで、はたしてシャンプーを使うべきか、いつも迷うんですよね。かと言って、石鹸で洗うのもなんとなく気が引ける。どうすればいいんでしょうね。シャンプーつけても全然泡立たないし。
 で、風呂場でなんとなく迷ってたら、子ども用のシャンプーが目に入ったんです。「低刺激性」…なるほど〜、これはちょうどいいかもしれない。というわけで使ってみたら、うん、たしかに子どもに優しい感じだ。悪くないっすね。
 それで、そのパッケージをじっくり見ていたら、なんか笑っちゃったんで、ここに紹介させていただきます。
 まず、このシャンプーの名称自体が「戦隊ヒーローリンスインシャンプー」なんですね。ちなみに裏側にある略称は「センタイシャンプー」。最初は「リンスインシャンプー」という「戦隊ヒーロー」ということかと了解したんですけど、もしかすると違うかもしれませんね。
 「子どもはみがき」みたいな感じで「戦隊ヒーロー用リンスインシャンプー」ってことじゃないでしょうか。うん、たしかに写真を見る限り、彼ら(マジレンジャー)も坊主頭だし、彼らにとってもたしかに低刺激性が好ましいでしょう。
 さらに「無着色」っていうのがいいですねえ。思いっきり5色に着色されてる彼らの隣に「無着色」ってあるわけでして、なんか逆説的でいいでしょ。さらにその下の「弱酸性」。強いはずのヒーローに「弱」の文字が、これまたパラドックス。なんかカワイイっすね。
 ちなみに側面には「天然保湿成分シルクプロテイン配合。髪と地肌にうるおいを与えます。」「リンス成分 馬油&ハーブオイル配合。髪をしっとりなめらかに仕上げます。」って書いてあります。マジレンジャーたちの髪と地肌って…。まじで考えちゃいました。ま、私も彼らのこと言える頭じゃありませんけどね。
 シャンプーメーカーの皆さん!戦隊用のシャンプー作る前に、ハゲ用、坊主用などを開発して下さい!!けっこう、世の中では迷っている方々がいると思いますし、高齢化のこれから、けっこう市場があると思うんですけどね。いかがでしょう。弱者を救って下さい!

バンダイ 戦隊ヒーロー リンスインシャンプー150ml

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2006.08.26

冥王星の本当の気持ち &『日本の星−星の方言集』野尻抱影(中公文庫)

412204077909_scmzzzzzzz_ 世界中で大騒ぎ。冥王星の降格の件。
 私たち天文ファンの間では、けっこう前から「ちょっと違わねえか?」みたいな雰囲気はあったんですよね。小さいし、軌道はへんちくりんだしね。でも、ティティウス・ボーデの法則にはあてはまってる。そっちで言えば海王星がおかしいんですよね。まあ、宇宙なんて人間の思い通りにはなりません。
 今回の件も、地球人の勝手な分類によるものですから、宇宙的視野に立てば、別にどってことない事件です。ディズニーが象徴するアメリカ文化にとっては、ちょっとショックかもしれませんが。
 私は知ってるんですよ。冥王星の気持ちを。正直ホッとしてますよ。辛かったんです、彼も。

 「オレなんてさあ、たんなる太陽系のくずみたいなちっぽけな星だったのによ〜、アメ公の野郎がオレを見つけて、それで早とちりして惑星のチームに入れやがったんだよ。ちきしょう。それで、どんなにオレが気まずい思いをしてきたことか。みんなも分かるだろ?自分だけ素人で、あとみんなプロみたいなもんだぜ。それで9人で野球やれって言ってるようなもんだよ。もともとオレにそんな才能ないっつうの。チーム内からも疑問の声は上がってたんだ。だって、オレなんか守備範囲さえよく分からないようなもんだから、ついつい海王星の前に行っちゃったりして、はっきり言ってチームワーク乱してたんだよ。そのたびに、いろいろ言われてさあ。まじ辛かったよ。ようやく、肩の荷が下りた。長かったなあ。手違いで76年だぜ。参ったなあ。オレをスカウトしたアメ公たちは、まだブーブー言ってるけどな。逆に損害賠償請求したいところだよ。もう、とにかくほっといてくれ。しばらく休みたいんだ。いやあ、いやな予感はしてたんだよね。日本でさあ、野尻抱影のおっちゃんが、オレに『冥王星』なんて縁起でもねえ名前つけやがって。なんで『天』『海』と来て『冥』なんだよ。ブツブツ…とにかく『降格』とか言うなよ!降格なんて言うと、なんかオレの努力不足みたいじゃねえか。ようやく当然のポジションに落ち着けるんだから」

 なるほどねえ、やっと分相応の矮小惑星の称号を戴けるわけですからね。ホントご苦労様でした。まあ、冤罪裁判で無罪になったようなもんか。大変でした。
Relay_1 というわけで、ぜひ彼の気持ちも察しやってほしいところですが、彼の談話の中に出てきた野尻抱影さん、私にとっては「星学」の師であります。天文学ではなくて星学。野尻さんが傾倒した星の民俗や方言、神話などの研究は、ほとんど彼の創始にして、彼で完結しています。そして名文家。山梨にもゆかりがある。
 小学生のころ、師の本を読みまくりました。そんな中から、星に対してはもちろん、方言を中心とする言語や民俗学にも興味を持ったのだと思います。素晴らしい著書ばかりですよ。
 野尻さんは、作家大佛次郎さんのお兄さんです。大佛さんもけっこう星好きだったとか。また、それ以上に猫好きとして知られています。かなりの猫狂いのようで、私はそのあたりに共感します。そんなわけで、この兄弟は私にとって非常に重要な存在です。
 今日は、野尻抱影さんの著書のうちこの本を紹介しておきましょう。文句なくいい本です。そんな野尻さん、どんな意図で「冥王星」という名づけをなさったのでしょう。もしかすると、プルートの悲運を予感しての命名だったのかもしれません。そんな気もします。
 あっ、ちょっと蛇足になりますけど、野尻さんの本に刺激を受けて、中学の時作った俳句を思い出した。「みつり」というのは、オリオン座の三つ星の和名の一つです。
 はざのまにてらしてひくしみつりかな
(稲架の間に照らして低し三連りかな)

Amazon 日本の星-星の方言集

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2006.08.25

本日テレビに出るかも…出ました

山梨限定ですけど、もしかすると今晩ウチの家族がテレビに出るかもしれません。
夜8時からNHK「金曜山梨」です。出ないかもしれませんので、あんまり期待しないように。
てか、誰も期待しないか(笑)。

Kinyou と、告知いたしましたが、実際出ました。観てくれた方どうもです。出ないかも…どころか、けっこう激しく出てましたねえ。お恥ずかしい限りです。
 ま、今までも乱入という形で、こちらの映画やこちらのテレビに出演(?)したことがありますけど、両方合わせても10秒に満たない程度でしたからね。今回は「分」単位で、それも結構「主役」だったりして…。目立ちたがり屋としましては、けっこううれしいのでありました(笑)。教え子は全国ゴールデンとか北野映画とか出てるしな。少しは近づけたかな。
 さて、今回のテレビ出演の件、これはまさに、このブログのおかげなのでありました。NHK甲府のディレクターさんが、たまたまこの不二草紙を見つけて、私に目をつけて下さったんですね。発端はそういう御縁です。で、市制祭のライヴの時にわざわざ来て下さった。そこで話がある程度ついて、それで取材・撮影ということになったわけです。面白いものですね。ブログの力を思い知りました。
 実は、今日放送されている時間には、私たち家族は家におりませんでした。なんとなく恥ずかしくて直視できないというのもありまして、近所で行われていたプリンセス天功のショーに行っておりました。こちらも相変わらずイリュージョンしておりましたが、同時間に放映されていた「金曜山梨」も、なかなかイリュージョンしてましたなあ。
Kinyou2 いや、家に帰ってきてから、録画を観たんですけど、予想外に面白かった(失礼)。自分たちのところは大したことありませんでしたが、前半はなかなか笑える内容でしたねえ。村ののどかさがよく出てましたよ。佐川ディレクターGJ!です。レポーターの川端さんも、あの独特のテンションで、番組の平和な空気感を醸し出していました。これまたGJ!です。すっとぼけキャラの加藤アナもその雰囲気づくりに貢献しておりました。
 実はちょっと危惧していたんです。失礼を承知で書きますが、だいたい地方局(それが国営であろうと民間であろうと)の制作する番組は、低予算という制約もあって、「痛い」か「寒い」に陥る可能性が高いんです。だから、正直ちょっと心配だった。ところが、それは本当に杞憂でした。その「地方性」をいい方向に引き出したな、なるほど〜こういう手があったか、やられた、というのが正直な感想です。
 地方は地方らしく、変に都会ぶったりせず、また、貧乏人は金持ちぶらず(これまた失礼)、自分たちの個性を生かして、なおかつ今回のような軽妙な、そしてやはり地方的なユーモアを交えてやるべきなんですよね。今回はそれが実にうまく行っていたと思います。オープニングのCGは、よく作り込んであって、チープな感じがしませんしね。
 勉強になりましたし、全国区、それも民放の、都会のネオンと狂騒のような番組に辟易している私にとっては、けっこう癒しでありました。というわけで、NHK甲府放送局さま、今回はありがとうございました。そして、今後も頑張って下さい!観てくれた方、どうもです。

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2006.08.24

『ヒミズ 1〜4』 古谷実 (ヤンマガKC 講談社)

406336962509_scmzzzzzzz_ う〜ん、ディープだ。マニアックな女生徒が貸してくれました。たしかにマニアックだ。しかし、面白かった。
 古谷実と言えば「稲中」としか認識できない私であります。その「稲中」はウチのカミさんがバイブルとしており、私もそれをつまみ食いさせていただいていたので、なるほど天才的なギャグ漫画家だな、とは思っておりました。
 そしたら、これは全く作風が違った。でも、私としては、読中感や読後感は、両者ともほとんど同じでした。なんでだろう。どうも、多くの人の感覚だと、「暗い」「笑えない」「哲学的」…という具合らしい。私は、「暗い」と「哲学的」には同意しますが、「笑えない」には異議を唱えたい。けっこう笑えましたけど、何か?
 つまり、私にとっては、「稲中」も「ヒミズ」も、どちらも「暗くて哲学的で笑える」マンガなんですね。で、もう一つ言葉を加えるなら「優しさに安心」であります。変かな?
 たしかにストーリーは悲惨ですけれど、それでも生きてるたくましさ(おかしさ)や、それでも味方になってくれる人のいる救いがあるじゃないですか。
 主人公住田くんは「ヒミズ」です。「ヒミズ(日見ず)」とは小さなモグラのような生きもので、陽の光を浴びると死んでしまうんだそうです。そういう前提で(題名で)始まった物語ですから、彼が全然中学生じゃないとか、ラストも含めてありえないとか、リアリズムに欠けるとか、そういうことを言うのは実に野暮です。いわば鳥獣戯画であり、それこそがマンガの本質だと思うからです。まず、その点を確認しておきましょう。小説読んでるわけじゃないんで。
 たしかに全編にわたって「死」がドローン・バスのように響き渡っています。それが「暗さ」や「哲学」、「笑えなさ」につながっているも分かりますが、考えてみれば「死」はまさに我々のベースであって、少し冷静になれば、案外すんなり受け容れられるようにも思われます。ただ、彼らはそれを直視しすぎているから、私には「笑える」のです。おいおい、お前ら妙に真面目すぎないかって。
 「死」を意識すればこそ、「生」の意味に執着するのであって、それを突き詰めてしまうと、当然ながら「生きている意味がない」=「死」という結末しかなくなってしまう。もちろん「死」とは、古谷さんも語るように、「殺人」と「自殺」です。
 だから最初の住田(ヒミズ)は正しかった。「普通」を目指していたからです。ヒミズ的に言えば、一生を土の中で分相応に生きようと思っていたわけです。それが、ある時狂った。「父親殺し」という「死」を端緒に、自らの「死」を考えるようになり、そして悪人殺しという「死」に「生」の意味を見出そうとする。ヒミズは土の中で普通に暮らすことができなくなってしまった。
 その代償が面白い。最後、ヒミズは、普通の幸せという希望の光を浴びて死んでしまった。このラストが許せないという方、この物語の本質をよくお分かりでないのでは。
 普通を目指していたはずのヒミズは、それができないくなり、もっと土の中深く潜っていかなければならなくなった。しかし、住田ヒミズは、そこで究極の自殺行為に出たのです。そうだ、もしかすると土の上に出て、光を浴びても生きていけるかもしれない、それどころかそこは天国のように穏やかで幸せなのかもしれない…負の意味で普通ではなくなった彼は、ヒミズとしては許されない、しかしとても魅力的な普通でない妄想を抱いてしまったのでした。
 でも、きっと最後に陽の光を浴びたヒミズは、この上なく幸せなままなんでしょう。そんな気さえしました。そう、やはりこのマンガ、救いがあると思うんです。そして、クソまじめに「死」と格闘する彼らを、思いっきり笑い飛ばしていいような気がするんですね。いや、笑い飛ばさないと、ちょっときついっすよ、こっちも。「稲中」も実はそんな感じでしょ?
 鳥獣戯画なんです。だから、住田ヒミズらの生き様、死に様に、もちろん人間の生と死が投影されている。古谷さんのメッセージも、もちろんそこにあるわけですね。つまり、古谷さん、クソまじめに格闘してますけど、最後は自分自身をお救いになっているような気もします。そこも笑いどころだったりして。
 もちろん私と違う感想を持つ人の方が多いのでしょうが、つまらん小説を読むくらいなら、これを読んだ方がずっとましかと思います。帯には「笑いの時代は終わりました…これより、不道徳の時間を始めます。」って書いてありますけど、全然その逆ですね。笑いの時代は終わってないし、道徳の時間だし。ま、とにかくおススメですね。

Amazon ヒミズ 1

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2006.08.23

馬刺し&雪月花(純米吟醸)

2121 馬肉を食する習慣は、どちらかという縄文のものではないでしょうか。騎馬民族を主とする弥生人は馬を食料にしようなどと思いません。犬は食べますが。
 それで、ここ富士北麓地方はですねえ、面白いことに馬も犬も食べるんですよ。縄文と弥生が混在してるんですね。それは食文化のみならず他の面でもいろいろと確認できます。あっ、ちなみに犬食は昭和40年代までで、今はほとんどないと思います。たぶん。
 一方馬食は今でもさかんです。このあたりの名物の一つとも言えましょう。で、このへんではおいしい馬刺しが手に入るんです。村に一件ある肉屋さんで売っている馬刺し、もうこれを食べたら他は食べられません。全国のスーパーで売ってるようなのは、あれは全然ホンモノじゃない。どうせモンゴルか東欧かどっかのお馬さんの肉を冷凍して運んできたものでしょう。色も風味も食感も全然ダメダメですね。
 この肉屋さん、馬肉以外にもいい肉を常時取りそろえており、この季節は、別荘に来ている芸能人たちも好んで通っているとのウワサです。で、今日は両親が来ていることもあって、カミさんが馬刺しの赤身を買ってきました。これがうまいのなんのって。まずは色が美しい。輝くような赤です。写真では全然再現されてませんが、ほんときれいですよ。そして食感。なんすか、これ。プリプリしてます。歯触りも柔らかく、スーパーものにありがちな硬さや噛み切りにくさとは無縁です。味もなんというか、ほんのりした甘みすら感じるまろやかさ。魚の刺し身よりもさらにさっぱりした上品な味わい。おろしにんにくと醤油でいただきましたが、何もつけないのもよろしい。口の中でゆっくりかみしめて、舌の上でとかしながら食すと絶品です。
 さて、こういう食材には、おいしい日本酒が合いますね。今日はカミさんの実家からいただいてきた、両関の純米吟醸「雪月花」です。これがまた、うまかったのなんのって。吟醸ですが、比較的香りは抑えられており、そのかわりと言ってはなんですが、ほんのりとした甘みが口から鼻の奥にひろがります。秋田のお酒は全体に昔の日本酒の味を残していると思います。比較的フルーティーなさっぱりした日本酒が好まれる現代において、あの「米汁」の味は、ある意味貴重になってしまいましたね。お米をかんでいて生じるあの甘さに似た感じです。
 ちょっと余談になりますが、日本酒というのは弥生がもたらした稲作が産んだものと考えられていますよね。ただ、東北地方では稲作は、いわゆる弥生時代以前にも行われていたことがわかっています。ここ富士北麓に伝わる(トンデモ系)古文書にも、太古に酒を醸した記述が残っています。もしかすると、縄文人たちも馬刺しを食べながら米の酒を呑んだかもしれないな、なんて考えながらいただきました。ああ、うまかった。

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2006.08.22

『美しい国へ』 安倍晋三 (文春新書)

416660524001_scmzzzzzzz_v60919848_ いいんじゃないですか。わかりやすくて。賛否両論出るのは食いつきやすいからで、なんとなく玉虫色でとらえどころがないよりも、演劇的な方がいいと思うんです。だから、小泉さんも基本的には好きですし、安倍さんも、ちょっと個性派とは言えませんが、まあお子ちゃま向けのわかりやすい芝居で楽しませてくれそうです。
 この本なんか、ホントお子ちゃま向けで、よってワタクシも簡単に理解できました。理解できましたので、ここは賛成だけどここは反対だよなって思えるんですね。
 政治というのは、ある種の演劇性を帯びたものです。当たり前ですよね。国民全員がお客さんですからね。それも、自分のファンだけでなく敵も常に客席にいるわけです。それで、民主主義ですから、いちおう多数決なわけです。そうすると、いかにみんなにこっちを向いてもらえるか、そして最後には「楽しかった」と思わせなきゃいけない。
 不謹慎だと言われるのを承知であえて「楽しい」と書きます。「楽しい」という感情というのはとても崇高なものだと思うからです。だから「楽しい○○」というのは、どんな分野においてもとても重要なことだといつも考えています。
 「楽しい音楽」「楽しい学校」「楽しい人生」「楽しい生活」「楽しい人間関係」「楽しい国」…これは究極だと思うんですよ。たとえば「貧しくとも楽しい生活」とか、「大変だったけど今となっては楽しい思い出」とか、そういうのもありです。政治家もそこを目指すべきだと私は思ってるんです。教師もね。
 だから、政治家にもそういう方向に全体を持っていく能力が必要だと思うんです。私はそういう意味で小泉さんを評価しています。靖国も郵政も女系天皇も、とにかく彼のおかげで大激論になった。で、終わってみれば、まあなんとなくみんな納得だったりするわけで、つまり「祭」なんですね。お祭りでワッショイワッショイしたい。なんだかいろいろケンカみたいなこともあったけど、ワッショイしたらすっきりした。政治家って、そういう方向に持っていくディレクター的な存在であるべきだと思うんです。だって政治って「まつりごと」ですから。
 ディテールの問題は絶対に解決しない。100%の国民が納得する政策なんてありやしない。それが100%保証されているのが政治の本質です。そういうファクトとしては絶対無理なことを、いかに演出して「楽しい」結果に導いていくか、効果的なフィクションを創出していくか、それこそが政治家に必要な能力です。
 まさに、混沌として解決不可能な「モノ」を「マツリ」によって「コト」化していく。「マツリゴト」とは、やはり「モノガタリ」的性質をもっているのでした。だから劇場でけっこうです。
 と、なんか話しがそれちゃいましたけど、え〜と、この本ですね。ま、これから始まるであろう「安倍劇場」の前宣伝としては、なかなかよく出来ていると思います。ちょっと観てみたいな、と思わせるに十分な「軽さ」があると思いました。どうせじゃ、「美しい国へ」じゃなくて「楽しい国へ」っていうタイトルにすりゃあいいのに。「美しい」だと「美しくない」モノは排除でしょ。それはダメです。「楽しくない」は「楽しい」に転換できますんで安心ですよ。
 てか、私が書きましょうか?「楽しい国へ」

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2006.08.21

第21回都留音楽祭最終日 受講生コンサート

B0063958_21594981 音楽祭最終日は受講生コンサートです。私はモンテヴェルディのオルフェーオの舞台に、ヴィオラで乗らせていただきました。オリジナルの名器をいつも貸してくださる渡辺慶子先生、ありがとうございます!いい音するんだよなあ。
 この曲を弾くのは2回目だと思いますけど、やってみると、モンテヴェルディが天才だっていうのがよくわかりますよね。ものすごく緻密であり、変化に富み、新鮮です。あんまり味わってるとどこ弾いてるかわからなくなってしまう(笑)。モンテヴェルディはビートルズ並みに(って妙な比較ですけど)エポックメイキングな存在です。いきなり、全く新しい世界を切り開いてしまった。伝統に則っているんだけれども、それにしては新しすぎる。誰も発想しなかったことをハイレベルに実現してしまった。その点バッハとかモーツァルトって…ちょっと違う感じがするんだよなあ。
 ダンスの皆さんのパフォーマンスも素晴らしかった。音楽の身体性っていうのを最近よく考えるんですよね。いろいろとヒントがありました。そして、小中学生のリコーダー・アンサンブルですね。本当に彼らにとっては素晴らしい経験でしょうね。で、毎年やるんですけれど、「赤いやねの家」という曲、これがなぜか泣けるんですね。シンプルな曲ですが、よくできている。そして、歌詞がさりげなく泣かせるんだなあ。今年もうるうるしちゃいました。ああいう純粋な少年の心の世界と、実際の少年少女たちが奏でるあのリコーダーの響きが、妙にノスタルジーを演出するんですよね。たまりません。
Iug で、今年初めて意識したんですけど、作曲は上柴はじめさんなんですね。 この前 、ちょっとイヤミなこと書いちゃいましたが、あのNHKのオール・ザット・オーケストラ 「E.L.O. グレイト・ソング・ブック」で編曲とピアノを担当されていた方です。クラシックから歌謡曲まで幅広く活躍されている作編曲家・ピアニストでいらっしゃるんですね。この「赤いやねの家」でも、シンプルなメロディーに絶妙の和声を付けていらっしゃいます。なかなかの職人さんと見ました。
 「赤いやねの家」はこちらで聴くことができますよ。岡本知高さんも歌っていますね。

Amazon オルフェーオ 岡本知高「旅立ちの日に」

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2006.08.20

第21回都留音楽祭4日目「神」!?

Shin556 都留音楽祭のテーマは「東西古楽の祭典」であります。このようなテーマに至った経緯には、ワタクシども「お琴ブラザーズ」の活動が大きく貢献していると、勝手に自負しております(笑)。
 というわけで、この音楽祭の4日目は、私にとっていつも特別な日であります、ハイ。昨年はこんな感じでした、ハイ。で、今年もまた「お琴」で勝負か?!と思いきや…。ななななんと、今年の「東洋古楽コンサート」は、あの「宮下伸」様々ではありませんか!こりゃあ、かなりヤバイ!
 宮下伸先生…私にとってはもう「伸(シン)」様ではなくて「神」様であります。山田流箏曲をやっている者にとってですねえ、宮下先生と言えば、もうこれは「神」です。その「神」がキターッ!まったく、この音楽祭は地味にすごいことをやってのける…。
 もう言うことありません。壮絶完璧テクニックはもちろん、ものすごい気合いでした。なんか先生、今日は妙にノリノリで、あと何時間でも時間が許せば弾きまくっちゃうつもりだったとか。まあ、神はすごいわ。リハもなし(必要なしだそうです)で、あれだもんなあ。絶句。解説も私にとっては実に勉強になりましたが、詳細はマニアックすぎるので省略。
 こんなわけでして、なにしろ「神」が降臨しちゃいましたからねえ、恒例のクロージング・パーティーで私が「お琴ブラザーズ」なんて出来るわけないっしょ!冒涜です。破門です(山田流やめて山口流でも創始するか)。
 で、今年の宴会芸は秘密兵器投入です。結果としてはまあウケたんじゃないでしょうか。概ね好評であったと…信じたい。演目は歌謡曲バンドでも定番曲となっている松村和子さんの「帰ってこいよ」です。
20060820 そして、スペシャルバンドのメンバーは以下の通りです。

ヴォーカル…ウチのカミさん
ダンス…ウチの娘っち
フラウト・トラヴェルソ…中村忠
コントラバス(ヴィオローネ風)…デイヴィッド・ハッチャー
チェンバロ…岡田龍之介
三味線…ワタクシ

 なんと、ぜいたくなメンバーなんでしょう。日本とイギリスを代表する演奏家の方に、こんなくだらない企画のお手伝いをいただけるとは…。ホント私はいつも幸せに思いますよ(うるうる)。
 しかし、なんとも不思議な響きでしたねえ。でも、意外に違和感がないんですよね。トラヴェルソは三味線と絡むと完全に尺八に聞こえるし、チェンバロとコントラバスは見事にリズム楽器になってるし。これがモダンフルートやピアノでは全然ダメでしょうね。面白いなあ。
 それにしても、ウチのカミさん、まったく信じられませんよ。ああいう世界的な声楽家の方をはじめとして、歌の専門家が数十人もいる前で、ああやって堂々と演歌を歌い上げちゃうんだからなあ。それもいきなり。面識ないんですから、みなさんと。
 トホホ。終了後、舞台袖で、ルーファス・ミューラーさんに褒められてましたよ。お世辞にせよ、世界トップのテノール歌手の一人に褒められちゃってるんですからね。本人はよく分かってないみたいでしたけど。だから言ったんですよ。美空ひばりと天童よしみの前で歌を唄って、トム・ジョーンズに褒められたようなもんだよって(ワケわからん)。そしたら、ちょっと分かったみたいです。トホホ、こりゃあこれで「神」だな。カミさんとはよく言ったもんだ。
 まあ、とにかく皆様失礼いたしました。そして、先生方ありがとうございました。また、よろしくお願いいたします!

Amazon 宮下伸「三十弦」

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2006.08.19

歌謡曲バンドシークレットライヴ&原健吾さん

 都留音楽祭の合間をぬって、歌謡曲バンドのライヴを敢行。またまた本職がなんなのか分からなくなりました(笑)。
 今日のライヴはシークレット…なんちゃって、単に忙しくて告知するのを忘れていただけです。ま、実際内輪のライヴでしたから。場所は大月市真木の「ギャラリー民」。名湯真木温泉からさらに山の中に入ったところにあります。到着したのは日没後。星空の下、また近くの渓流の響きを聴きながらの、実に情趣豊かな環境での演奏とあいなりました。
Hara_1 「民」では、数人のガラス作家さんと、画家の原健吾さんの作品展が開かれておりました。原健吾さんは大学時代の先輩、当時から尊敬すべきアーティストさんでありました。2年前のちょうど都留音楽祭期間中に、ほぼ20年ぶりに再会し、今回縁あって「民」に呼んでいただくことになりました。私と原さんの大学時代の共通の友人であり、今は音楽や舞踏や演劇や書の世界で幅広く活躍するひろたえみさんとも、卒業後初めて再会。彼女の参加するバンドの皆さんもいらっしゃって、大いに盛り上がってくれました。
 そういったその場の雰囲気、自然とアートのコラボレートした「場」ですね、あと「酒」かな…まあ、この三つが揃えば最強ですよね…そういう雰囲気のおかげで、エキサイティングな演奏ができたと思います。サンクス。
 ところで、原健吾さんの作品を、今回じっくり観ましたけれど、なんかとても心に残りましたね。ここにはネットで探したいくつかの作品の画像を勝手に貼らせていただきますが、なんというんでしょうね、とても透明感のある美しい作品群でした。油彩ではありますが、まるで清流の中に漂うかのような「緑」。油彩と一言で言ってしまいますが、いろいろと奥が深いとのこと。だからこそ油彩にこだわるんだそうです。今回はガラス作家さんの作品との共同展でありまして、その互いの透明感の協奏が、実に目に心地よかった。
Harakengo 全体に柔らかい曲線で構成されており、それがこだわりのグリーンともあいまって、全体に優しさを醸しています。抽象と具象のバランスも非常に私好みでありまして、すっかり魅了されてしまいました。ああいう環境の中では言わずもがな、きっと都会的な人工物の中にあっても、価値ある空間や空気を生み出す力があるでしょう。たぶん、彼の人柄と山梨の環境のなせるわざなのでしょうね。
 緑という色の不思議については、以前から少し思っていたことがあるんです。自然の中に住んでいてね。緑にもいろいろあるわけですが、そうしたグラデーションが、いろいろな色の背景として実に優れているんですね。分かりやすく言えば、森の中の花々という映像です。花にはいろいろな色があるわけですが、どれも自然に緑に溶け込み、緑に支えられている。まあ、私たち人間からして、森を背景に生きてきたわけですから、そういうふうに脳が設計されているのかもしれませんが、今日は何か、その事実に重大なヒントが隠されているような気がしたんですね。単なる予感であって、具体的には語れませんけど。
 とにかく、こうして「人」や「自然」や「芸術」に出会って、自分の中に新しい何かが生まれるというのは、実に快いことであります。音楽祭も含めて、そんな出会いに感謝感謝の一日でありました。

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2006.08.18

『武士道−日本人の魂』 新渡戸稲造 飯島正久(訳)

480675565609_scmzzzzzzz_ 音楽祭の合間をぬって私学の研修会に参加。いったいどっちが本職なのでしょうか。
 今年の研修はなかなか充実しておりました。久々に頭使ったら妙に疲れちゃった。なかなか興味深かったのは基調講演。クリスチャンの飯島さんによる「武士道」についてのお話。
 飯島さん、新渡戸稲造の「武士道」を和訳、解説されているそうです。私は読んでいませんが、今日はその本をタイトルとしておススメしておきます。
 私にとっての新渡戸稲造「武士道」は『日本文化論の系譜』での要約でありまして、まあそんな程度の知識であります。翻訳ものは翻訳者によってかなりテイストが変わってしまいますからね。死ぬまでに原文(英語)で読んでみましょうかね。
 今日の飯島先生のお話でなるほどと思ったのは、「武士は食わねど高楊枝」を「たかが経済」と言いかえられたことです。一般には負のイメージで捉えられる慣用句を読み直した。武士道を通じて、西洋的な価値観の中心を為す経済的弱肉強食に疑義を呈したわけですね。なるほどと思いました。新渡戸が述べている「ノーブレス・オブリージュ」にもつながる考えでしょう。ここのところ私自身「たかが経済」と言い放ちたい気持ちでいっぱい(気持ちはね)ですので、大いに共感いたしました。
 ただ、クリスチャンの立場として、飯島先生からもっとつっこんだお話をお聞きしたかった。新渡戸自身もキリスト者として「武士道」を書いているわけですし、実際最終的には「武士道」と「キリスト教」のタイアップを望んでいる。時代が時代であるし、「武士道」を書いたきっかけがきっかけなので仕方がないとは言え、私にはかなり無理な相談に思えるのです。
 内村鑑三などもそうですし、遠藤周作ら小説家もそうですけれど、彼ら日本人キリスト者の、異常なまでの葛藤や格闘には、正直不自然さを感じます。つまり、自己における日本と西洋の乖離、現実と理想の乖離に、ある意味異常なまでに執着している。融合とか歩み寄りを図れば図るほどに、分離していくのは分かり切ったことなんですけどね。そこに苦しみ悩むのが信仰であるかのように生きた。本末、主客が転倒してると思うんですけど。ま、遠藤などあえて現実を選ぶ作品を書いて自浄or自爆してますけどね。
 そんな話は今日の研修の趣旨には関係ないか。でも、ちょっとそんなことを思いました。「国家の品格」のおかげもあって、新渡戸の「武士道」も再び注目されているわけですが、あんまり盲目的に賛美しない方が得策かもしれません。あくまで西洋人向けに書いたものです。日本人だったら、冷静にツッコミを入れたいところです。あるいは私のようにとりあえず読まないようにするか。
 なんだか今日は疲れてるので、はちゃめちゃな文だな。失礼しました。

Amazon 武士道−日本人の魂

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2006.08.17

第21回都留音楽祭オープニングコンサート

 さて、今年もまたやってまいりました、都留音楽祭。今年で21回目。ということは、丸20年なわけでして、音楽祭自体も成人を迎えたということですね。私は主にスタッフとして第1回から皆勤。もしかして私だけでしょうかね。ちなみに今日は私の誕生日でもありまして、よく考えてみますと、私の人生のおよそ半分はこの音楽祭でできてるわけです。ま、おおげさでなく私の人生を大きく変えたイベントです。
 さあ、音楽祭初日と言えば、あまりに豪華で贅沢なオープニングコンサートですね。今年のプログラムを紹介しておきましょう。

1 「ロココ時代のダンス(モーツァルトの舞曲)」
 浜中康子と仲間たち(ダンス) 渡邊慶子・伊藤誠(ヴァイオリン) 伊藤深雪(フォルテピアノ)
2 「ヴァイオリンとクラヴィーアのためのソナタ(モーツァルト)」
 渡邊慶子(ヴァイオリン) 伊藤深雪(フォルテピアノ)
3 「食卓の音楽よりトリオ・ソナタ(テレマン)」
 吉澤実・大竹尚之(リコーダー) 福澤宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 土居瑞穂(オルガン)
4 「ファンタジアニ短調・ト短調(ジェンキンズ)」
 渡邊慶子(ヴァイオリン) デイヴィッド・ハッチャー(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 岡田龍之介(オルガン)
5 「組曲イ短調よりプレリュードとフーガ(バッハ)」
 中村忠(トラヴェルソ) 岡田龍之介(チェンバロ)
6 「組曲ト長調(ケ・デルヴロワ)」
 デイヴィッド・ハッチャー・福澤宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 岡田龍之介(チェンバロ)
7 「野ばら・秘密・夜の歌(シューベルト) ミニョン(シュポーア) アレグレット(ジュリアーニ)」
 波多野睦美(ソプラノ) つのだたかし(ギター)

200212_1 もう説明もいりません。これは贅沢すぎます。こんなコンサートをただで聴けるだけでも、この音楽祭に参加する価値はありますよ。どれも素晴らしかったのですが、私は最後の波多野さんとつのださんのデュオに心うたれました。こんなに美しいシューベルトは初めて聴きました。清澄で洒脱で繊細で。正直ショックでした。いずれCD化されると思いますが、お二人さん、また新しい境地を開きましたね。というより、もうこの二人の音楽は、何をとりあげても独自の世界。誰も真似できないオンリーワンの音楽です。シュポーアの曲も実に新鮮でした。聴いたことがないようなミステリアスな感じで、思わず鳥肌が立ちましたよ。ゲーテの詩にもマッチした名曲でした。
 というわけで、音楽祭成人の日にふさわしい、そして私の誕生日の贈り物としても過分に素晴らしいコンサートでありました。ありがとうございました。

昨年の記事

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2006.08.16

『第38回 思い出のメロディー』 NHK

『元気をくれる昭和のヒット曲〜忘れられない青春の歌〜』
661 夏の紅白。今や冬の紅白よりも人気があるとか。お盆、実家で3世代が楽しむ良質の歌謡番組です。私はレミオロメンのライヴに行っていて、生で観ることができませんでした。今日再放送がありましたので、じっくり観賞。
 夏の紅白、再結成ものが毎年最大の見どころでしょうね。去年はC-C-Bでした。ちょっと笑っちゃいました。今年は、ゴダイゴが懐かしかった。当時はかなり嫌いでしたけどね。今観てみるとバンドとしてなかなかうまいんですよね。タケカワさんのヴォーカル(英語含む)は微妙ですけど。
662 あと、なんと言っても衝撃的だったのは、約40年ぶり復活の「レ・ガールズ」でしょう!私は、金井克子、由美かおる、奈美悦子のお三人さんが組んでいたなんて、全然知りませんでした。が、衝撃的でした、ハイ。だいたい40年ぶりって…いったいお三人さん、おいくつなんですか?プロってすごいですねえ。中でも、由美かおるさんですよ!由美さんの歌や踊りを拝聴拝見する機会が第一あんまりないですよね。それが、ピアノの弾き語りまで…。もう感動して泣いちゃいました(笑)。容貌やスタイルはもちろんですが、あの張りと艶のある歌声はなんなんでしょう。もう人間ではありませんね(神です)。
 それからホントに神って感じだったのは、田端義夫さんですね。米寿ですって!?で、ニューアルバム録音真最中とか。渋すぎます。ギターも渋すぎ。ああいう境地になれるんだったら、年取ってもいいですね。かっこいいわ。アルバム欲しくなっちゃった。
 最近、昭和の歌謡曲のバンドをやってる関係で、こういう番組をしっかり観るようになりました。で、次は何の曲をやろうかなあ、と考えながら聴いてるわけですが、たとえば今回なども男声ヴォーカルが圧倒的に多いんですよね。うちのバンドは女性ヴォーカルしかいませんので、レパートリーが限られちゃうわけです。それでも膨大な名曲があるんですけどね。誰かいませんかねえ。芸域の広い男声ヴォーカル。しょうがないなあ、オイラが唄っちゃおうかな。今日の演目で言えば、あがた森魚の「赤色エレジー」なんか、ぜひやりたいですねえ。いや、これは歌よりもヴァイオリンだな。哀愁のヴァイオリン。
 というわけで、男声ヴォーカル募集!

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2006.08.15

『PUFFY LIVE〜10thAnniversary〜』 NHK夜更かしライブ缶

Puffys 7月に見逃したものが再放送されました。
 今日は終戦記念日。小泉総理の靖国参拝で世間は大騒ぎですねえ。その世間で反対している方々が、どれほどこの問題の本質を知っているのか、甚だ疑問です。どちらが分かっているかと言えば、賛成派でしょう。諸外国も含めて、反対している方々の9割以上は「気分」です。私もまだまだ「気分」の状態でして(賛成、反対、半々の気分です)、やはりこういうナイーヴな問題については、何も語らないのがいいのかもしれませんね。
 というわけで、「気分」が勝利する世界もあったのでした。それがPUFFYです。
 彼女たちは、この10年間、ある意味「気分」でやってきた。だから10年続いた。だから世界中の人気者になった。集めたのもまた世界中の「気分」であったわけですが。
 エンターテインメントの世界では、それが最強だったりするわけです。責任なんかないんですから。
 そこんとこですよね。日本が上手だったのは。「気分」で片づけていい「コト」と、「気分」で片づけられない「モノ」の区別をしっかりしてきた。ごっちゃにしてこなかった。いつもの言い方しますと、「をかし」と「もののあはれ」を区別して、使い分けてきたんですよ。どっちがいいとか悪いとかではなくて。
 例えば、靖国問題はごっちゃになってるんです。ま、反対派は反対することに萌えてるんですね。けっこう一時的な感情です。賛成派にも気分はありますけど、比率的には小さいでしょう。小泉さんはオタクですから萌えてますけどね(笑…てか、それが問題なのか)。
 えっと、それでPUFFYだ。この番組、ライヴのパフォーマンスも面白かったけれども、それ以上に二人のインタヴューが興味深かった。「をかし=萌え」も積分すれば「もののあはれ」になる、という私の発見した?公式を、彼女たちが証明してくれたような気がしたんです。つまり、さっきは否定的に書いた「気分」が「歴史」を作っていくと。だいたいあの戦争も「気分」が作ったものですし。だから「責任」を問うのは酷でしょう。
 おっと、また話がそっちに言っちゃった。ホントはそうとう語りたいんだよな、オレ。でも今日はやめときます。
 え〜、PUFFYの本質は「子ども」なわけですね。向こう的に言えば「ロリポップ」。ロリータでポップなんですね。単純に「萌え」です。「をかし」です。貴族文化です。アメリカでもそういうふうに受け入れられているんですね。アニメ先行で、生身の彼女たちは二次的な存在です。英語がへたくそだからこそロリな感じがする。変にマチュアじゃない方がいい。
 番組の中で、関係者がみんな言ってました。「ゆるさ」「自然体」「カワイイ」「変わらない」「ニュートラル」「ゆるかっこいい」。時代に流されず、また経済システムに乗っかろうと努力せず、だからと言ってニッチを狙っているわけでなく、つまりやりたいことをやって、気分を積み重ねてきて、結果として歴史に残る文化になった。自分の意志で大衆を動かしたわけではない。ただなんとなくそうなった。
 それに対して、ある一面では大人になった(だって30歳だもんな)彼女たちが、「いろいろな人のおかげ」と言って、「縁」に「恩」を感じている。そして、そうやって縁によって起こった自らのあり方を肯定している。これはまさに「無我」であります。プラスの意味での「もののあはれ」「想定外」というわけです。
 音楽的に言えば、無時代、無国籍。あからさまなパクリは常にオタク的パロディー。それはまあ奥田民生先生なんですけどね。あのへたうまな唄。地声でノンヴィブラート、二人いるのにほとんどユニゾン。こうしたある意味無個性が10年分積分されて、なんともユニークな個性になった。
 私はそんな彼女たちに人生の本質を見ましたね。いろいろと理屈や戦略をもてあそぶんじゃなくて、その時の「気分」でやってみるのもまたありだと。そして、その結果としての酸いも甘いも受け容れて、10年くらいして何らかの境地に至る。これっていいなあって。ただ、その基礎になるのは、人との関わり合いと、そして継続だと思います。その時その時は気分でも、全体としてはいつのまにか文脈が出来ているわけでして、それを後から俯瞰して発見し、またそれを肯定的に捉える。そうするとなんとなくうまく行くのかな。ふと、そんなことを思いました。
 デビュー当時は、それこそELOのパクリじゃん(本人たちは知らなかったそうですが…ワルよのぅ民生さん)と思って、あんまり好きじゃなかったんですけど、なんか最近好きなんですよ。私も大人になったってことかな。いや、変な理屈こねない純粋な子どもになって萌えてるのかな。ま、とにかく私もこの10年で変わったということで。

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2006.08.14

ヒッチハイク

_1 昨日から今日にかけては、ものすごく厳しいスケジュールでした。まず昨日はレミオロメンの興奮と疲れが残る中、午前中八王子へ移動。所属するカメラータ・ムジカーレの秋のコンサートへ向けての練習です。クマムシ?!の忠さんとも一緒にテレマンやらラモーやらを練習。
 その後、カミさんと子どもを連れて秋田へ…の予定だったんですが、私は急遽仕事が入ってしまい、今日の午後には山梨に戻らねばならなくなってしまいました。で、せっかく八王子に来てるんだから、ということで(?)、新潟までは彼女たちを送っていくことにしました。今日の朝8時33分発の「いなほ1号」に乗せるためです。いいなあ、いなほ。日本海沿いを走る、いい特急です。
 で、ほとんど徹夜で(家族は熟睡ですが)トロトロと下の道を走りまして、7時ごろ新潟市内に入りました。で、国道を走っていたら、ある所で、「のせて」と書いてあるボードを持った外人さんが立ってたんですよ。ああ、ヒッチハイクか、と思いましたが、残念ながらウチの車は満席でしたので、とりあえずやりすごしちゃったんですね。
 その後、無事新潟駅で家族をリリースしまして、さて山梨に帰ろうかと車を走らせ始めましたが、どうも眠いんです。ほとんど寝てないんで。疲れてるし。これはまずい。絶対高速で寝る。つまり死ぬかもしれない。どうしよう。眠れない状況を作るしかない。そうだ、あの外人さんを乗せよう!
 まったく妙な発想ですが、「のせて JOETSU方面」って書いてあったのを思い出しまして、まあそっち方面に行くわけだし、もし戻ってみてまだ立っていたら乗せてあげようって思ったんです。そういう自分にとって苦手な状況を作れば眠くならないだろうって。
 半分いることを、そして半分いないことを願いつつ、来た道を戻ってみましたところ、見事にいらっしゃいました。さっそくUターンして近くに車を止め、交渉成立。彼を助手席に乗せることになりました。
 聞いてみると、実は松本に行きたいとのこと。まさに今から通るところじゃないですか!ますますラッキー(お互い)ということで、レッツゴーということになりました。彼はオーストラリアのニューキャッスルから来た21歳の青年で、なんでも長野の果樹農家に農業の勉強に来ているとのこと。そういうエクスチェンジ・システムがあるそうで、今年5月に日本に初めて来て、1年ほど滞在の予定だそうです。
 ありがたいことに(今回はね)、ほとんど日本語はできません。これはもう眠くなってる場合じゃないっす。私はそれほど英語が得意ではありませんけど、英語で話すのは好きな方です。結局まるまる4時間、いろいろと語り合いました。
 日豪の農業事情やら、地名の名づけ、音楽のことなど、いろいろと面白かった。彼も非常に日本語や日本の文化について興味を持っており、周囲の標識やナビに現れる地名などについて、いろいろと質問してきます。あらためて地名の語源について説明しようとすると、けっこう難しいものです。特に漢字が当て字である可能性が高いものについての説明には苦労しましたね。でも、面白かった。英語に変換することによって、私の頭も活性化するのか、自分でも新しい発見がありましたよ。
 特に興味深かったのは、日本の地名や人名が自然の要素を基に名づけられているということ。一方、オーストラリアは、イギリスの地名にちなんだり(ニューキャッスルもそうですな)、人名は職業と聖書だったり、まあそんなことは当たり前と言えば当たり前で、たとえばこちらにも書かれていたことですけど、実際英語圏の方とそういう話をする機会を得られたのは幸運なことでした。サンクス。
 で、彼の名前は…ありゃあ、忘れちゃった。なんでも珍しいファミリーネームで、ご自分でも語源がわからないとか。英語じゃないんじゃないかなあって言ってました。スペルも教わったのに不覚にも忘れてしまった!なんということだ。だいたい松本駅で別れる時に、記念写真を撮ろうとデジカメを取り出したら、なんとカードが入ってないじゃないですかあ!ダメダメだ。ま、妖しい名刺を渡しときましたので、もしかすると今後も縁があるかもしれません。
 ああ、そうだ面白かったのは、あのMACH PELICANを知っていたんです!彼はパンクが好きだそうで、曲は思い出せないが、名前は知っていると言っていました。う〜む、やるなマッペリ。というか、不思議な縁ですねえ。
 昨日も書きましたけど、こういう想定外、つまり「コト」に混入する「モノ」っていうのは実に面白い。やっぱり「もののあはれ」ですね。今後もたくさんの想定外を求めて、積極的に生きていこうと思いました。一期一会を大切にね。

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2006.08.13

「イッセー尾形の たった二人の人生ドラマ」 NHK福岡放送局

 旅先の車中で観ました。楽しみにしていた番組です。一人芝居の世界的権威イッセー尾形さんが、3人の役者さん一人ずつと、博多の屋台を舞台に完全なアドリブで二人芝居を演ずるものです。
 これはプロレスですね。リングとルールのあるアドリブです。リングは屋台です。そして、ルールは芝居のルール。
 プロレスは勝敗だけでははかれない深い世界ですけれども、いちおう今回の試合も勝敗を書くなら、次のようになるでしょう。
 ○イッセー尾形(ゴー・トゥ・スリープから体固め)大泉洋×
  イッセー尾形(時間切れ引き分け)小松政夫
 ×イッセー尾形(反則)石田ゆり子○
 こんな感じで、1勝1敗1引き分けというところが、すでにイッセーさんの天才レスラーたるところです。
Rr1 第1試合は完全にイッセーさんペース。大泉さんもなかなか器用な役者さんだと認識していますが、今回はちょっときつかった。イッセーさんが繰り出す意外な技の連続に、それをケガをしないように受けるの精一杯で、自らの技を出すのを忘れている。つまりセリフを考えるのに汲々としていて、演技に至っていない。特にイッセーさんの「あえて私は娘をほめてやりたい」という超ド級必殺技には、そうとう面食らったか、受け身を取るのも忘れて、リング外に逃げてしまいました。最後もすごかったっすね。英語のアドリブ?から、KENTA選手の得意技「ゴー・トゥ・スリープ」を自分に放って寝てしまった。こりゃあ、大泉さん勝ち目ないっすよ。
Rr2 2試合目。これは壮絶な闘いでした。さすが普段もお二人で二人芝居をやっているだけのことはあって、ものすごいハイレベルな攻防でした。ベテランレスラー同士の好試合。一進一退とはこういうことを言うのでしょう。そして、プロレス同様、相手への信用と尊敬が、思い切った技と展開を呼ぶ。この相手ならこういう技をしかけても、ちゃんと受けてくれて、そこから新しい展開を生んでくれるだろうって。もう、この二人の芝居ならぬ試合は、解説不要でしょう。ずっと観ていたいですね。この二人で24時間アドリブ芝居やってくれないかなあ。愛は地球を救うとかいいからさあ。
Rr3 3試合目。これはもう、イッセーさん一流の優しさの表現ですね。緊張気味の石田さんを究極の方法で救った。この試合は負けなきゃいけなかったんですよ。でも、なかなか石田さんがうまく攻撃に転じられない。そこで、イッセーさん、凶器?を持ち出します。普通プロレスでは相手のマスクをはいだりして反則負けになるんですけど、イッセーさんは自分にマスクをかぶせて反則負けに持っていきました。優しいなあ。
 こんな感じで、結局、イッセーさんの名レスラーぶりが存分に発揮された番組になっておりました。
 それにしても、役者にとってのアドリブって、とても面白いですね。経験に裏打ちされた臨機応変。これは芝居に限らず、とても大切なことです。音楽でもね。ジャズに限らず、そういう一期一会的な緊張感。でも、全体としては過去の集積から生まれたルールに則っている。もちろん人生そのものも、そういう性質のものですし、そこのところのバランスをうまく演出していくと、毎日が楽しくなっていくことでしょう。自分の思い通りになる「コト」と、思い通りにならない「モノ」の共存ですよ。

公式

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2006.08.12

「レミオロメン SUMMER LIVE〜STAND BY ME」

@日本航空学園滑走路(甲斐市)
Sbm レミオロメンの滑走路ライヴに行ってきました。
 いや、出発する直前まで、私は行かない予定だったのです。子守りで留守番のはずだった。それがひょんなことから、行けることになったのであります。ラッキー!
 今回のライヴ、いろいろと予想通りのことと予想外のことがありました。ま、人生なんてそんなもんでしょうけど。
 予想通りだったことから書こうかな。まず、天候。いちおう天気予報のプロを自認する私であります。めざせスピリチュアル気象予報士ですから。今日は絶対に寒い!と断言しておりました。
 昨日まで、いや午前中までは35度を超えるような猛暑でした。ですから、同行した女性陣3名は、熱射病・日焼け対策万全で、途中のコンビニでも氷を大量に購入したりしておりました。私はそれに疑問を呈しましたが、気持ちもあっちっちになってる彼女たちを止めることはできません。
 結果は私の予想通り。雷雨の降り出す時間から止む時間、気温の変動までピタリ当たりました。はっきり言って、3万人の観客の中で、私が間違いなく一番の完全雷雨&寒さ対策をしていたでしょう。どうだ!とばかりに花道を歩いて自分のエリアに向かいました。お客さんたち、みんなビックリしてました。実際、「すごい、めちゃくちゃ準備いいですね」なんて、声もかけられちゃいました。まあ、たしかにみんな見るわな。ライダー用の派手なカッパ上下に、雨よけにもなる巨大な麦わら帽子ですから。ライヴのかっこうじゃない。目立ってました(笑)。
 開演が約1時間遅れましたが、遠くに稲妻を見ながらのオープニングは実に素晴らしかった。最高の電光エフェクトでしたよ。そして、次第に空が明るくなり、最後は青空がひろがる。雨の曲や雨上がりの曲が多いレミオロメンにはぴったりのシチュエーションでした。そして、後半はHORIZONのジャケットのような青空が…これはある意味予想外の感動でしたね。
 さて、次の予想通り。野外ライヴにありがちな結果です。たとえば、私のいた場所はステージから300メートル近く離れてます。肉眼では本人はまさに豆粒。当然巨大モニター画面を観て飛び跳ねる状況になります。これはライヴではありません。実際、300メートルも離れていれば、ステージ上の音と近くのモニターの音との間には約1秒のタイムラグが生じます。ですから、こちらのモニター映像もステージ上のものより、約1秒分過去のものが流されているのです。
2006081300000030sanspoentthum000 藤巻くんもMCで言ってましたが、これでは聴衆のノリは「波」になってしまいます。残念ながらライヴの醍醐味である、リズムの、呼吸の一体感は生まれません。ステージ近くの人たちと私たちのいた後方との温度差はいかんともしがたい。ちょっと残念でした。
 次、予想外。まず演目ですね。意外に古い楽曲が多かった。古いダサダサ田舎もん系(失礼)のレミオが好きな私としてはちょっと得した気分。ただ、CDではあまり好きでなかった新し系の中にも、ライヴ映えするものがいくつかあり、ついつい乗ってしまったものがありました。それも収穫。
 そして、ライヴパフォーマンス自体。これは、予想通りなのか予想外なのか。結論としては非常にていねいでクオリティーの高い演奏でした。藤巻くんのヴォーカルも調子よく、はっきり申してCDよりも上手に唄っていた曲もありました。ただ、出島での演奏はちょっとね。ま、神社時代を彷彿とさせる間違いっぷりということで。かわいいなあ、と思いました。
 ただ、どうなんでしょうか。ある意味予想通りですが、モニターの音量がでかすぎる。たいがいロック系のライヴはそういうことになりがちなんですが、楽器の音は歪むし、歌詞も聴きとれない。もったいないですよね。私は途中から(キティちゃんの)タオルをかぶって音量を調整してました。それでちょうどいいくらい。
 そして、まったく予想外だったのは、帰り駐車場を出たのが、終演4時間後!になってしまったことです。シャトルバスに乗るのに2時間。駐車場内の渋滞で2時間。参りました。主催者の反省事項です。
 あっ、あと肝心な予想通り。神宮司くんのMCのあのすべりまくり、そしてそれに対する前田くんのつっこみ。いじめはいけませんが、いじめられる方にも原因があること(…教育現場ではなぜか言ってはいけない本当のこと)を再確認しました(失礼)。
 ま、全体としては久々に楽しめたライヴでした。ありがとうレミオロメンよ。これからも応援するぜ!

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2006.08.11

『クマムシ?! 小さな怪物』 鈴木忠 (岩波科学ライブラリー)

400007462801_scmzzzzzzz_v61389086_ これは超おススメです!身内びいきじゃなくて、ホントに面白いから。とにかく読んでみましょう!
 クマムシ、皆さんご存知ですか?この本の表紙にはこうあります。
「乾燥すると樽型に変身!真空、高温、高圧、放射線にも耐え、レンジでチンしても平気。120年間水なしでも生き続ける生物がいる−? それは体長1mm以下の微小な生物・クマムシ」
 私はこちらへんないきもので知りました。その後、鈴木さんがクマムシの研究をされていることを御本人からうかがいました。てっきりコオロギの研究してるんだと思ってた。
 そう、鈴木忠さんと私のつきあいはとっても長いんですよ。ぼちぼち20年くらいになるんじゃないですか?もちろん「虫」関係ではありません。「音楽」関係です。それもバロック音楽ですね。まあ、お互い「バロックの虫」とも言えますが。鈴木さん…というかチュウさん(あっ、本当は「あつし」さんです)は、バロック・ファゴットの名手でもあるのでした。同じ音楽院に通っていたこともあって、本当に何度も共演してきました。そうそう、この秋にも一緒にやります。
 で、話を戻します。クマムシです。ほとんど伝説の虫として語られてきたクマムシについて、初めて一般向けに解説してくれたのがこの本です。学術的、歴史的なことをふまえながら、実際に採集し飼育して、伝説が事実なのかを確認し、また新しい発見をしていく過程が生き生きと描かれているので、本当に楽しい。そして、なんといっても、クマムシちゃんたちがカワイイ。萌えます。最強のくせにカワイイ。ん?もしかしてクマムシはツンデレか!?(笑)
 あとですねえ、この本が楽しいのは、チュウさんの文章ですよ。これは絶品です。へたすると小難しい学術書に陥る可能性もあったのに、なんですかこの面白さは。1ページごと大笑いです。向かいに座っている理科の先生も、笑いすぎて呼吸困難になってましたよ。いつも言っている通り、本当の教養とは、こうして表現されるべきものなのです。さすがチュウさん!
 実はですえ、この本、クマムシの最強かつカワイイ姿を紹介しつつ、鈴木虫…ではなくて鈴木忠の生態をも表現してしまっているのでした。伝説のヒト、鈴木忠です。いやいや、本当にそういうヒトなんです。私が彼の生態をよく知っているからというのもありますが、そうでない方が読んでも、鈴木忠の最強ぶりや可愛さがわかっちゃうと思いますよ。そうしてみると、なんかチュウさんがクマムシに似てるような気もしてきます。 
 チュウさん、クマムシに恋してるんですね。あのくらい愛情がないと研究というのはできないのかもしれません。ある意味科学は常に客観性を求められていると思っていましたが、どうもそうではないようです。たしかにこれまでの科学の大発見は、対象へのとんでもない愛情が生んだとも言えますね。こちらの主観の強さに、相手がついつい気圧されて、正体を現すものなのかもしれません。ああ、それは科学に限らずか…。
 とにかく久しぶりに楽しい本を読んだ。ドキドキ、ワクワク、ガハハハ、う〜む、なるほど〜、へぇ〜。ますますクマムシとチュウさんが好きになりましたよ。チュウさん、あさって練習で会いましょう。楽しみにしてます。
 こちら岩波書店の特設ページでクマムシちゃんの動画が見られますよ!(あのクマムシぬいぐるみほしい!)

Amazon クマムシ?!

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2006.08.10

『Beatles Baroque』 Les Boreades(de Montreal)

B000056up101_scmzzzzzzz_ キター!てか、やられたー!
 先にやられちゃったあ。これですよ。私が考えていたのは。う〜ん、それもこんなに完璧にやられるとは。
 古楽器によるビートルズの完全コピー!
 宴会芸用に考えてたんですよ。ふう。なんか先にやられちゃったんで、もうやる気が失せました。だって、ホントに完璧なんだもん。
 Les Boreadesはカナダの古楽器団体で、もちろんマジメな(?)バロックの演奏が専門です。けっこう評価高いですし、私も好きなタイプの楽団です。その彼らがこんなアルバム出してたとは。知らなんだ。
 私はNMLで1枚目を聴き、2枚目は試聴しただけなんですけど、これはマジでやってる。どういう意味でマジ(本気)なのか。シャレなのか、それとも単純にビートルズへのリスペクトなのか…。どっちにしろ、このマジっぷりに感動です。
 つまりですねえ、完コピなんですよ。各パート、もちろん楽器の割振りは原曲とは違うのは当たり前ですけど、それぞれの旋律は、私が聴く限り完全に原曲どおりです。フェイド・アウトもちゃんとしちゃうし。確かめてませんが、演奏時間もほとんど完璧に原曲どおりでしょう。
 ヴォーカル・パートはリコーダー、バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・オーボエなどが担当しておりますが、その唄いっぷり、たとえば微妙なヴィブラートとか、音程のズレなんかも、笑っちゃうほど忠実に再現してます。すごいっす。
B00006l6w601_scmzzzzzzz_ 繰り返しますが、これは私のアイデアです!ネタです!…ガックリ…orz。
 つまりこういうことなんですよ。まず、ビートルズは完コピじゃないとダメなんです。神だから。それはこちらにもちょっと書きました。あと、ビートルズとクラシックとか、バッハとか、バロックとかを結びつけたアルバムも、ほとんど全部聴いてきましたし、自分も編曲をして演奏会で弾いたこともあります。でも、それら全部、正直言うと全然よくなかったんですよ。なぜなら、編曲がわざとバッハ風であったり、ヘンデル風であったり、ヴィヴァルディ風であったり、とにかく結果としてとっても痛いことになっていたわけです。だから、自分としては原曲通りというのをいつかやってみたかった。
 そして、なぜ古楽器なのか。その答えはこのアルバムをお聴きになればわかります。これをモダン楽器でモダンの語法で演奏したら、ぜったいに痛いことになります。たとえ同じアレンジでもね。これはオリジナル楽器とその演奏法の根幹にかかわる部分でして、特に演奏家の方には理解していただけることであると思います。
 それにしても、こんなにしっくり来るとは思わなかったなあ。チェンバロがドラム代わりになるとはねえ。あのアタック感がいいんでしょうね。通奏低音ってやっぱりリズム隊なんだ。そして、ポールの書いた通奏低音パートの豊かなこと。バッハみたいですよ、マジで。
 選曲がまた憎いですね。 どれもいいんですけど、やっぱりフール・オン・ザ・ヒルが笑えましたね。あのフルートはもちろんトラヴェルソ、ポールの吹く味のあるリコーダーはもちろんリコーダーで忠実再現(ちょっとひねってあるかな)。ヴォーカル役のガンバもテクニック駆使しまくりで面白い。まあ、よくやりますわ。
 こうして聴いてみると、何度も言っているように、ビートルズがいかに西洋音楽の伝統にのっとりながら、それを驚異的に拡張したかがわかります。これは冗談でなく、バッハやベートーヴェンと同レベルの業績であります。やっぱりLes Boreadesの皆さんは、大まじめに敬意を表しているんでしょうね。そんな気がしてきます。
 長くなりましたが、最後にオマケ。この前、NHKの「ハイビジョンクラシック館 オール・ザット・オーケストラ」でELOをやりました。東京フィルの皆さんがまじめにELOとそれにまつわるクラシックの曲を演奏しておりました。けっこう素直な編曲がなされておりましたが、はっきり申しましてかなり「痛い」ことになってました。その理由は、この『Beatles Baroque』の裏返しということですね。こうなったらELOを古楽器で完コピしちゃおうかなあ。いや、とりあえずクイーンのボヘミアン・ラプソディーやろうかな、宴会で。誰かいっしょにやりませんか?

Amazon Beatles Baroque Beatles Baroque 2

Les Boreades公式(ちょっと試聴できます)

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2006.08.09

江原啓之スペシャル「天国からの手紙」

 亡き家族からのメッセージ
P1 昨日放送されたものの録画を観ました。いろいろと考えさせられましたね。
 私の江原さんに対する姿勢はこちらをお読み下さい。
 で、この番組を観て思ったこといろいろと。
 泣けました。で、泣いてる自分に疑問も持ちました。この涙ってなんなんだ?「感動」か?「共感」か?「哀しみ」か?非常にあいまいなんですね。ただ、一つ言えることは、番組制作者の意図どおりだということです。私は江原さんのお仕事は素晴らしいと思います。プロの霊能者として尊敬します。しかし、それと、一般庶民の「不幸(あえてそう書きます)」をメディアに乗せて放送し、テレビ局やスポンサーが儲けるのとは、ちょっと別に考えなければならないと思うんですね。
 江原さんは、こうしてテレビを通じてスピリチュアルな世界の存することを広めたいとお考えでしょう。それは方法としては間違っていません。また、結果として、江原さんの、方便(あえてウソとは書きませんが)も含めた発言が、ご家族を幸せにするわけですから、その点も問題ありません。実際、観ている私たちにも素晴らしいメッセージを送ってくれていましたし。
 でも、一方の番組制作側の倫理というか、そういうものは問題視されなくていいんでしょうかね。たとえば、ちょうど今日は長崎原爆の日ですけれど、そういった不幸、つまり人の死を、関係者と主演者と視聴者の「涙」で簡単に昇華できませんし、してもいけないと思います。
 一方で、少し矛盾するかもしれませんが、こうした世界がこうして一般に広く受け容れられることに対して、なにか安心もします。前書いたように、私もプチ霊能者的な部分がありまして、それでかなり苦労してきました。あまりいい思いはしてこなかったんですね。でも、ようやく世の中が「ウソだ」とか「非科学的だ」とか言ってバカにしないムードになってきた。これは喜ばしいことです。
 最近、「仏教と科学」に関する本を和尚様にお借りしてじっくり読んでいます。ものすごく面白い。そこにも出てきますが、いわゆる「量子論」の世界では、江原さん的世界の存在こそが「科学的」なわけです。それらを安易に結びつけるのはよくありませんが、それこそ無数のパラレルワールドが存在し、それらに対して、我々卑小で非力な人間がいろいろな方向からアプローチしたり、いろいろな位相とのいろいろな相性のようなもので、お互いに齟齬が生じたり、まあ、世の中ってそんな感じなのかなという予感はしますよね。
 ところで、先ほども書きました、今日は長崎の日です。学校の補習では「最後の弾丸」を観ました。私や生徒たちの涙ってなんだったんだろうなあ。生徒の感想「超感動した」でいいんでしょうかね。そんなことも考えてしまいました。
 ついでに言えば、江原さんのような方々の活動が、基本的に亡くなった方と生きている方との「ミーディアム」に限られているというのが、私には残念なんです。生きている者どうしの「ミーディアム」になって、たとえば戦争をしないようにとか、そういうのって無理なんでしょうか。無念の死の前になんとかならないんでしょうか。そんなことも考えてしまいました。
 ふう、いろいろとうまく行かないものですね。結局、大きなパラダイムシフトを促す「宗教」が必要なのかもしれません。「宗教」という言葉自体は嫌いですけどね。だって、それが原因でケンカしてるんだもん。
 そのへんについては、またいつか。

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2006.08.08

『素晴らしい世界』 浅野いにお (小学館)

071133361 受験生が貸してくれました。受験生がこれ読むのって正しいのか?いや、正しいのかもしれない。
 なんか、賛否両論なマンガらしいですけど、私はかなりいいなと思いました。ま、いつも言う通り、私はマンガ経験が希薄で、その語法やら何やらサパーリわかりませんので、マンガをマンガとしてとらえていないのかもしれません。
 マンガ語法に詳しいカミさんによると、心理描写が甘い、無駄ゴマが多い、陥りがちなパターンだ、同人誌レベルだ、とか。よくわかりません。
 たしかに、社会に取り込まれたくないと思っている種々の主人公の、何気ない日常や物憂い感覚が、淡々と描かれているだけで、ストーリーも特になく、オチも普通と言えば普通なのかもしれません。
 でも、私にとっては、それこそが自分の何かと共鳴したという気がしました。何かって、何かなんですよね。まさに若かりし頃、特に大学生の時の、あのカッコいいようなカッコ悪いような、アンニュイな感じ。何かをしなければと焦燥すれど、なんとなく自分の能力の限界もわかっていて、また、社会の不条理や矛盾にかみつきつつ、それが実は自分の甘えであることにも気づいていた、そんな淀んだ心の風景。それが上手に描かれていたと思います。
 つまり、カミさんの言を借りて言えば、心理描写すべき心理も実はなく、無駄に時間が過ぎてゆき、世間のみんなが実は陥っている穴の中に自分もいて、おまけに、当たり前だけど自分は天才じゃなかったと。だから、結局淡々だし、劇的なことも別になく、もちろんオチもない。こういう共通感覚を抽象してくれている作品なのではないでしょうか。
 「漫画」の「漫」って「すずろなり」ってことです。「すずろなり」っていう古語は、「なんとなく心が動く。理由がない。思いがけない」っていう意味です。いつも書いている「もののあはれ」のライト・ヴァージョンみたいな感じの語感なんですよ。自分の意に反してものごとが進行する。と言うより、あんまり自分の意がないんですよね。ほんとに軽くなんとなくなんです。マンガってそういうものだったわけです。北斎漫画とかね。
 そこにヘビーなものを乗っけちゃったのが、今どきの「マンガ」なんでしょう。これもいつも言ってますけど、そういうヘビーな「もののあはれ=意に反する切なさ」みたいなものは、文学の領域だったわけです。そこにマンガが侵食、いや浸食していった。まさに「マンガに人生を学んで何が悪い?」という状況になったのでした。
 そういう意味では、この「素晴らしい世界」は、本来の「漫画」とも言えなくもない。ちょっとこじつけですけど。ただ、そこにヘビーな「学ぶべきもの」を求める人には、たしかに物足りないのかもしれない。読んで損したという感想もいくつか見かけましたけれど、そういう人たちは文学したいんでしょうね。
 それにしても、「素晴らしい世界」というタイトル、秀逸ですね。いくら自分がダメ人間でも、また、世界がダメ人間の集合でも、それでもなんとかなっているというのは、たしかに素晴らしいことですから。

Amazon 素晴らしい世界

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2006.08.07

平次原風穴(鳴沢村)

Heijibara 今日は某国営放送のテレビ取材を受けました。実際放映されるかどうかはわかりませんので、詳しい内容については、放映された日に書きたいと思います。番組名などは放映されることが決まったら告知します(めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど)。
 で、その取材の一つの目的が、この「平次原風穴」でした。この風穴は、今から19年前に富士北麓の鳴沢村で発見された、日本で105番目の溶岩洞穴です。ちなみにその発見者というか、発見にあたって測量や調査をしたのが、どういうわけか私であったのです。
 細かく話すと長くなってしまいますので、ごく簡単に申しますと、私の奉職する学校の野球部の室内練習場を建築した際、工事の最中にいきなりドッカンと地面に穴が空いたんです。で、当時「穴マニア?」として認識されていた新人の私に、校長先生から「工事の人たちは危ないから埋めると言ってるんだけど、とりあえず見てこい」との至上命令が下ったのでした。私は実際穴マニアだったので、当然大興奮。新発見に立ち合えるというのもありましたけれど、それ以上にマニアの頭の中は、それこそマニアックな妄想で大爆発していたのでした。
 と言いますのは、その練習場は、青木ケ原溶岩流ではなく、鳴沢溶岩流の上に建築されていたからです。マニアの頭にはそういうマニアックな地図がインプットされてるんですよ(笑)。で、その鳴沢溶岩流だと、なぜに大興奮かと言うとですねえ、えっと、それまで発見されていた、いわゆる有名な洞穴は、みんな青木ケ原溶岩流の上というか中にあるんですね。それは864年の貞観の噴火の際に流れ出した溶岩流なんです。今から1140年くらい前のもの。一方ですねえ、その鳴沢溶岩流は今から5000年くらい前のものだと推定されていたんです。だからめっちゃ古くて貴重である可能性が高かったんです。富士北麓ではその時代の洞穴は全く発見されていませんでしたので。そりゃあ大興奮ですよ。
 それで、さっそくすっ飛んで行ってみましたら、まあ予想通りだったわけです。私の見立てではね。それでも、もう工事の人たちは埋める算段をしている。これはなんとか阻止しなくちゃ!ということで、私は火山洞窟学会の当時の会長さんであった故小川孝徳先生にいきなり電話しちゃったんです。私のような頼りない若造の言では、工事の猛者たちを止めることはできない。
 数時間後、小川先生はお弟子さん一人を連れて、すっ飛んで来ました。マニアの行動力はすごい。私も負けじと大学時代のケービング仲間を呼びつけ、結果4人の穴マニアがそこに集合したというわけです。さあ入洞開始…いや、実は私は彼らの到着の前に半分くらい潜っていたのでした。本当は単独入洞などもってのほか、特に新しい洞穴はどんな危険が待っているかわかりません。でも、そんな、新しい(しかし古い!)穴を目の前に、マニアが我慢できるわけないじゃないですかあ。だって、人類史上初めて入るんですよ(たぶん。もしかすると縄文人は入ったかもしれないけど)!!
 というわけで、数日かけまして、4人でいろいろと測量やら調査やらしました。だいたい私の見立てどおりの、大変貴重な風穴であることがわかり、パラレルラインという美しい紋様や新種の生物も発見されたりして、学会でも大きな話題になりました。そして、その土地の字名を取って、「平次原風穴」と名づけられたのでした。結果、めでたしめでたし、この穴は埋められることなく、逆に崩落の危険のある箇所に補強の工事までしていただき、さらには、室内練習場の中から入洞できるように立派な入り口まで作っていただけたのでした。猛者さんたちありがとう。
 本当にたまたま私がその年の春に就職したから、無事こうして保存されたわけでして、不思議な縁を感じます。また、私にとっても、学術的な調査をさせていただく機会を得たり、また、盗掘屋(高値で取引きされる溶岩などを狙うヤカラ)や興味本位で入洞する人々から穴を守るために、現地に寝泊まりしたりして、本当に貴重な経験をさせていただきました。
 ま、そんなわけで、私にとっては非常に愛着のある風穴なのであります。なんとなく自分の穴だと勝手に思ってたりしてね。実際、ある意味有名になったのちも、入り口が室内にあるために自由に入ることができず、幻の洞穴とも言われてましたし。
 で、今日はそこにテレビカメラが初めて入ったというわけです。私も久しぶりに、最奥部まで入りました。本当に神秘的ですし、美しかった。自然の芸術ですよね。みなさんがよく入る青木ケ原の洞穴とは全く違った雰囲気です。やはり5000年の時を経てますからね。それなりの風情というか風格があるんですよ。
 今日は、安全のことも考えて火山洞窟学会の方々にも一緒に入っていただきましたが、皆さんもかなり満足されたようです。なんとなく嬉しいような、自慢したいような(笑)。自分の息子、いや娘か、いずれにせよ子ども(5000歳だけどね)をほめてもらったような。
 いやあ、人生いろいろ楽しいですなあ。新しい御縁もできましたし。ありがたや、ありがたや。めでたくテレビ放映された際には皆さんもぜひ御覧下さい(とは言っても山梨のローカルですけど)。

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2006.08.06

さすが!桜庭!

Thumb2_im00042615 海から帰ってきて、録画を観ました。HERO’Sです。
 この前の亀田の試合もそうでしたけど、皮肉なことに今回の興行もレフェリーやジャッジの問題が露呈しましたねえ。
 秋山の試合については完全なミスジャッジとして、桜庭の試合は微妙でしたね。私は殺伐としたシーンが大嫌いですから、前半のスミルノヴァスのラッシュは辛かった。半分止めてほしいような気もしましたし、でも桜庭選手がプロレスラーの本能、無意識で闘っているのがわかりましたから、後半なんとかしてくれるという期待もあって、なんとも複雑な気持ちでした。
 まあ結果としては劇的な逆転勝ちだったわけで、めでたしめでたしでしたけどね、前田スーパーバイザーが怒るのもわかります。ただああいう状況から気持ち(と言っても無意識なわけですが)で闘うのが、桜庭のリアル・プロレスラーたるところであり、お客さんもそれを期待しているわけですからね。本人も「ぼくはプロレスラーだから、相手のいいところを引き出した」みたいな発言してましたけど、無意識にせよ、意図的でないにせよ、結果としてそれができるのは、やはりプロレスラー魂みたいなものが彼を支えているからだと思います。タイガーマスク魂ですよ。感動して涙が出ました。
 やられても折れない、不利な状況でもあきらめないというのは、日本の一つの伝統でして、良いか悪いかは別として、そうですねえ、今日も原爆の日で、なんというか非常に微妙な話になってしまいますが、そういう精神性というか、魂の部分というのは、外国人からしますと信じられない、なにか怖さまで感じさせるもののようです。
 そのへんが、藤原正彦さんの言う「武士道」の本質的な部分なわけでして、理屈とか論理以上に生き様(勝ち様)・死に様(負け様)を重視するんですね。そこに日本人は共感し感動する。そして外国人は恐怖し呆れるわけです。
 その点、やはり先日の亀田くんの試合はだめでしたね。勝ち様が悪かった。見事に散った方が武士道にかなったというわけです。
 夜中にはノアの中継も観ましたが、やっぱりプロレスはいいですね。負けっぷりの良さも評価されますから。勝ち負けだけじゃない。いかにお客さんの望むものを提供できるかですからね。私はそっちの方がいいなあ。57歳の百田さんの試合なんか最高でしたよ。桜庭も何年後かには、本道のプロレスのリングで楽しませてくれることでしょう。そう期待しています。

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2006.08.05

入田浜で浮いてた私

Irita 30年ぶりに海で泳ぎました。場所は当然伊豆の入田浜です。なぜ当然かって、そりゃあ、あの名作のロケ地だからです。そう、ウルトラセブン第42話「ノンマルトの使者」の撮影地なんです。いや、実は狙ったわけではなくて、たまたまそこになっただけなんですけどね。
 先住民の問題を衝撃的な手法で描いた「ノンマルトの使者」は、シリーズ中最高傑作の呼び声高いウルトラセブンの中でも、特に傑作と言われている作品です。私は今でも教材として使っていますし、この作品に影響を受けたと思われるウルトラマンマックスの「龍の恋人」には、私と娘が出演?しております(その記事はこちら)。ちなみに写真は冒頭のシーンですね。真市少年がアンヌ隊員に「シーホース号」が大変なことになるよって言うシーンです。
 アンヌ隊員役のひし美ゆり子さんも「最も好きな作品」と言っておりますし、私もやはりベスト3には入れたい。そんな思い入れ深いところで泳いでまいりました。
 今日はなんだか珍しくよく運動したんですよね。朝は引退した野球部3年の諸君らを相手に100本ノックをしてきました。そして車を飛ばして南伊豆へ。で、3時間くらい遊泳いたしました。なんだか、私ってインドア系、純粋文化会系と思われてますが、実はそのとおりです(笑)。でも、まあスポーツもそこそこできるんですよ〜。たま〜にそういう姿を見せると、みんな違和感があるらしく「キモ〜い」って言います。
 それで、今日もかなりキモかったと思います。だって異常に色白で細いし、頭は坊主でしょ。それが、プカプカ漂ってるんだもん。そう、実はですねえ、私、入田浜でかなり浮いてたんですよ。浮いてたっていうのは、浮いてたってことです。目立ってた、周囲と違ってたというのも事実ですけどね、それ以上に私の体って浮くんです。比重が小さいんですよ、一般の人間より。だから海なんかだと、浮輪なんかなくても、プカプカ浮く。
 今日なんか、ほとんどラッコみたいに仰向けに漂流してました。波が来ようと全然平気なんですよ。だって昼寝しちゃうくらいなんですよ、本当に。たしかにみんな見てました。あいつなんなんだ?って感じで。てか、ほとんど寝てたようなものなので、いつのまにか沖に流されてたりして。気づいたら周りに人がいないんですよ。で、泳いで帰る。平泳ぎしたりクロールしたり背泳したり、はたまた得意の横泳ぎしたり。
 実は数回足をつったんですけど、そういう時は仰向けにじっとしていればよろしい。あと、泳いで疲れたらまたラッコ。そんな感じで実に楽しかった。
 ただ、一緒に行った人が言うには、浜から見ると単なる土左衛門だと。白い人間のような物体がフニャフニャ漂流してる。ライフセイバーの人たちも、ん?あれは…って感じで指さしてたとか。
 私って、もしかしてノンマルト?本気でそう思っちゃいましたよ。
 いやあ、それにしても、あの名作の地で、あれだけ浮いてると、それはそれで快感ですね。楽しい一日でした。

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2006.08.04

GENTOS 『ヘッドライト(白色LED&強力ゼノン球) XL-322』 

B0009fjjp801_scmzzzzzzz_ また近いうちに報告しますが、ちょっと面白い御縁がありまして、久々に洞窟(洞穴)にもぐることになりました。富士山に住むようになってから、なぜか富士山には登らないし、青木ケ原樹海の洞穴にも入らなくなってしまいましたねえ。まあ、そんなもんでしょう。東京の人が東京タワーに上らないように。近くにありすぎるという意味では、例えば自分の顔や体だってそうですよね。意識しなくなる。
 洞穴もあれほど入れ込んでた、というか、入り込んでたのに、ホント最近見向きもしなかったなあ。いかんいかん。あっ、そうかカミさんとかもそうだよな(笑)。
 とにかく、ある方々のおかげで、久々に洞穴に、それも特別愛着のある洞穴に入ることになりました。実は今日もちょっとだけ入ってきたんですけど、その洞穴については本番である7日の記事に詳しく書きます。つまり今日は下見でした。
 で、今日はケービングの必需品、ヘッドライト(ヘッドランプ)をおススメしましょう。
 洞穴の中というのは、基本的に本当の真っ暗です。完全なる暗黒。ですから当然人工の光が必要となります。ちなみにその人工の光を失うとどういうことになるのかは、以前こちらのエッセイに書きましたので、ぜひお読みください。
 このエッセイにおきましては、私は全く馬鹿げた装備で洞穴に挑戦していますが、まあ本当だったらちゃんとヘルメットかぶって、そこにヘッドライトを装着して、というのが常識です。
 久々にもぐるということで、まずはそのヘルメットとヘッドライトを探しました。我が家の洞窟地下室に転がってるはずです。ところが、その洞窟の入り口に超巨大なカマドウマ様が鎮座しておられてですねえ、まずそのカマ様に移動願うのに小一時間かかりました。私本当にダメなんです。あれだけはダメ。巨カマ…。結論から言いますと、虫取り網にて捕獲申し上げ(途中何度も御逃亡、お隠れになりました)、庭に網ごと放り投げさせていただきました(フ〜)。
 あ、そんなことはどうでもいいや。それでヘルメットは見つかったんですけど、昔愛用してたヘッドライトは見当たらなかったんです。なわけで、仕方なく買ってきたのがこれです。いやあ、昔のが見つからなくて良かったっすよ。時代は変わりましたねえ。
 昔のは普通の豆電球に単一の乾電池2本、いや単二4本だったかな。それでも連続点灯5時間くらいだったと思います。本体もでかいし、なにしろ腰に付ける電池ボックスがでかかった。それが、これだもんなあ。小さいし軽いし安いしシャレてるし、だいいちメチャクチャ明るい。
 そう、今はもう白色LEDの時代ですよね。それにこいつはゼノン球までついてる。豆電球とはあまりに違いますよ。LED一つ、二つ、三つ、そしてゼノン球単独と、四つのモードがあるんですね。この順番で明るくなる。そして、ゼノンはフォーカスコントロールできる。便利ですね。洞穴での使用には、このこくらい微妙な光の調整ができるといいんですよ。足もと手もとを見るのと、10メートル先を見るのとでは、全く違う光源が必要になりますから。
 LEDはほとんど半永久的に切れませんし、単四3本で80時間点灯します。万が一ゼノンが切れても、LEDがバックアップしてくれるわけですから、なにかと安心ですし。ホント洞穴内の真っ暗は最悪なんですよ。山だったら、まあ朝になるのを待てばいいじゃないですか。洞穴は永遠に夜です。
 防滴性能もなかなか高そうでよろしい。洞穴ってとっても水っぽいので。ちょっと角度調整のノッチが安っぽくて壊れそうな感じなんですけど、その他の部分はなかなかよくできてます。ベルトのすべり止めもグー。収納用のポーチや電池までついて、私は1950円で買いました。
 こういうモノって、なんとなくマニアックな感じがしますが、よく考えてみると、ヘルメットにせよ、ヘッドライトにせよ、防災用品として必需じゃないですか?みなさんのご家庭でも用意されるとよいのでは。
 それにしても日亜化学さん、LEDでもうけてるんだろうなあ…。でも、まさにエネルギー革命ですからね。世のため人のためになってるわけで、それはそれでいいのでしょう。

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2006.08.03

『「日本のうた」歌唱法』 藍川由美

B000ez89e001_pe10_ou09_scmzzzzzzz_v64895 父親が貸してくれました。これは面白いアプローチでありますが…。
 なぜ日本の歌を西洋の歌唱法で歌うのだ。日本語の歌にはそれにふさわしい歌唱法がある(あった)はずだ。というのが藍川さんの主張です。ごもっともです。そういう問題意識にもとづいて、藍川さんは主に表記・発音の面と、曲の変遷(異稿の存在)に注目して、「日本のうた」のあるべき姿に近づこうとしています。
 藍川さん、今までもコンサートや楽譜の出版、本の出版、CDの録音を通じて、その姿勢を貫いていらっしゃいました。その活動の集大成的なものが、このCDの内容と50ページに及ぶ解説書でしょう。
 で、先に言っておきますが、藍川さんの提唱するものはあくまでアイデアであって、学問的なものではありません。それを意識していないと、ちょっとトンデモ系になりかねない。あくまで御自身の経験に基づく「藍川流」歌唱法(発音法)です。
 たしかに日本の音楽においては、ある意味伝統が重んじられながら、西洋の原典主義のような研究作業はほとんどなされてこなかったと言っていいと思います。もちろん、研究対象になる資料が圧倒的に少ないという事情もあるのでしょうが、それ以上に演奏家の問題意識の低さに問題があります。たとえば、私のやっていた箏曲の世界でも、プロの方も含めてみんなナイロン弦を張ってバンバン弾いている。大きなホールで弾くことが多いので仕方ないとも思いますけど、やはり、江戸時代にどういう楽器でどういう声で演奏していたかを探求してみる必要はあると思います。絹糸自体手に入りにくいんですけどね。そういう人たちがいないので、誰も作らない。
 オリジナルに帰ることが、現代の私たちにとって最高のことであるとは言いません。このへんは、西洋古楽の世界でも大きな問題です。楽譜、楽器、奏法をオーセンティックにしたところで、弾き手も聴き手もモダン人ですからね。これを言っては野暮ですけれど、たとえば現代日本人が西洋古楽をまじめに演奏する価値や理由というものも、考えようによってはお笑い草になりかねないわけです。もちろん、私はそんなふうには思っていませんけどね。
 で、日本の歌曲、特に明治、大正、昭和の楽曲に対して、藍川さんのようなスタンスで臨むというのは悪いことではありません。ある意味非常に健康的で正常な精神と活動だと言えるでしょう。
 私は古楽をやったりしていて、オリジナル主義的な考え方も勉強してきましたし、また専門が日本語の音韻史だったりして、それから山田流の箏曲を習っていたので江戸時代の歌唱にも触れ、しまいにはそれをテーマに卒論書いたりしましたので、このへんについては総合的にちょいと詳しい方だと思います。
 それで、はっきり言ってしまうと、藍川さんの提唱するものは、決してオーセンティックなものではない。私の知る限りにおいても、実際の日本語の表記・発音の変遷と、藍川さんのアイデアとはズレがある。アイデアとしては秀逸なのかもしれませんが、それが「本当の」「本来の」であるとは言えません。いや、それがいけないと言っているわけではありませんよ。価値のあることです。しかし、ちょっとそのあたりのさじ加減、つまり、学問的なのか、思いつきなのか、そのへんの姿勢というか、立場というかが不明瞭なんです。
 だから、私は最初、なんだこりゃ?と思ってしまいました。西洋的オリジナル主義の視点から聴いて、読んでしまったものですから。で、よく考えてみたら、これは単なる提案であったと。どうもそのあたりがわかりにくいんですよ。文章もわかりにくいし。論文なのか、随筆なのか。
 ですから、ここに示されているのは、決して「本当の」とか「本来の」とかではありません。ご注意あれ。
 と、なんとかここまで譲って、そうして藍川さんを擁護しようと思ってきましたが、どうしても私が受け容れられないのは「発声法」です。
 解説に「日本語を西洋風に歌うのは滑稽です」と書いてあるんですが、私は藍川さんの歌にもそれを感じてしまいます。なぜなら、江戸時代以前の「日本のうた」における発声法とはあまりにかけ離れた「芸大式発声法(?)」バリバリなんですもの。発音以前の問題ではないかと思うのは私だけでしょうか。「発声と発音は表裏一体」ともお書きになっているんですが。全体に「発声」と「発音」がごっちゃになっている印象を与えます。う〜む、やっぱり文章のせいだよなあ。でも、そこは責められないか…。

Amazon 「日本のうた」歌唱法

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2006.08.02

あ〜やっちゃった…かわいそうな亀田興毅

88fg 急に卒業生たちと飲みに行くことになってしまい、リアルタイムでは観戦できませんでした。帰宅後ダイジェストで観ましたが、感想は「あ〜やっちゃった」でしたねえ。
 えっと〜、私の視点は、あくまでプロレスファンのものですから、その点ご承知おきを。
 ボクシングも興行ですからね、いろいろな演出があってもいいと思います。でも、試合と判定はガチンコでないといけません。それが、プロレスとの違いだからです、単純に。もしそこにもアングルやブックを持ち込むんだったら、それはそれでやり方があるわけでして、つまり、プロレス的なものを求めるお客さん相手の商売をしなければならない。今回はもちろんそういう状況じゃなかった。
 肝腎なところでニーズに応えられなかった。お客さんが求めるものを提供できなかった。スポーツを観に来た人に、芝居を見せてしまった。いけませんね。したがって興行としては大失敗ですし、ボクシング界としても汚点を残す結果になってしまいました。亀田自身にとっても、今回の試合内容と判定は何のメリットもありませんね。
 プロスポーツの難しさはすなわち、経済システムとの関係にあるわけでして、結局人に観てもらってお金をもらわなくてはいけない。そのためにある程度のストーリーを作ることももちろん必要です。今回は、たとえば亀田が負けてもその後のストーリーを作ることができたはずです。なのに、あんなことをしてしまった。いったい誰の一存なのでしょう。某TBSでしょうか。いや、メディア全体の責任も大きいでしょう。
 それにしても、亀田興毅、試合もショッパイものでしたが、その後もいけませんなあ。王者の風格とか、威厳とか、品格とか、なんもないじゃないですか。乱立しているとはいえ、いちおう世界タイトルですからね。国辱と言われても仕方ない。負けることが許されない彼は、結局メディアの操り人形であり、そんな生贄的役割を十代で背負わされたわけですから、これはもう痛々しいとか言いようがない。かわいそうです。
 てか、王座返上で大晦日に…とか。まさかね。そこまでの脚本は書かんでしょう。でも、ファン・ランダエタ選手のあまりにすがすがしい態度には、逆に勘ぐりを入れたくなっちゃう。
 あとですねえ、かな〜りウチのご近所さん、元T-BOLANの森友嵐士さんの国歌斉唱。ご苦労様とだけ申しておきます。今度飲みたいですね。
 なんとなく全体に奥歯に物が挟まったような言い方になりましたが、いろいろ事情がありますので、すみません。

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2006.08.01

『サラリーマンNEO』(NHK)その2

Neoex 私もこの回以来、すっかりはまってしまった「謎のホームページ サラリーマンNEO」。今週の放送もかなり面白かった。次の笑いどころのために笑いをがまんする(聞き逃さないために)という、非常に息苦しい状態の30分でした。今週は田中要次(BoBA)さんと原史奈さんが大活躍でしたね。
 まずは、うそビジネスニュース「neoエクスプレス」。今日の話題は「若者言葉の通訳サービス」。若者言葉を外国語ととらえる発想と、採用面接での常套句に対する揶揄がとっても辛口で面白かった。もちろん、みなさんの演技のものすごさに感服。中山ネオミこと中田有紀さんのSキャラも相変わらずで萌えます。ちょっと前には、長州小力もやられてましたっけ。中田さん、青森放送のアナだったんですね。日芸の放送の出なんだ。日芸の放送、今年教え子が入りました。あいつは女子アナって感じじゃねえな(失礼)。
 サラリーマンNyaoやサラリーマン語講座でも田中さん大活躍。映画なんかでもものすごい存在感ですけど、ホントすごい演技力ですね。あれだけ演じわけられれば気持ちいいだろうなあ。天才ですね。
China 「がんばれ川上くん」もすごかったっすね。沢村一樹さん、あれって素ですよね。エロ男爵。特に原史奈さんのチャイナメイドに対する視線。あれはモノホンですよ。たしかにあのチャイナドレスには、ふだん萌えどころのわからない私も、ちょっとドキッとしました。エマニエル夫人のテーマといい、ドアを開けるスタッフの手が映りこんでるとこ(笑)といい、NHKやるわ。シャレが効いてます。TBSのくのいち史奈たんもいいけどね。Hara
 「はたらくおじさん」も最後の「説得」もしみじみしみるNHK的笑いでグー。この番組、観たことがない方は、ぜひ一度観てみてくださいね。お笑いとは違う、芝居の面白さ、すごさを実感できる番組です。
 neo終了後流れる「エル・ポポラッチがゆく!!」も含めて、NHKもいい加減な(良い加減の)壊れ方をしてますね。ここのところ繰り返し書いてますけど、今どきの教養にはユーモアや「壊れ」も重要な要素なんです。くそ真面目は笑われる。だから、笑われる前に笑わせるんです。笑わせた方が優位に立てる。そういうストラテジーこそ、これからの表現には大切だと思います。そして、その笑いの中に教養を含有させるんですよ。NHKならそれができるはずです。応援します。

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