『民族という名の宗教』 なだいなだ (岩波新書)
ここのところなんとなく忙しく、ほとんど本を読んでいませんでした。というわけで書籍のおススメも久しぶりです。
副題「人をまとめる原理・排除する原理」。なだいなださんがこの本を書いたのは1991年。つまりあの頃ですね。国内外いろいろと大変な頃でしたね。もう15年も経っちゃったんだ(ため息)。
この本は「社会主義へのレクイエム」といった内容になっています。社会主義の崩壊後、頻発する民族紛争。そんな事実を目の当たりにして、社会主義とは何だったんだろう、本当にいらないものなのか、という自問自答があったんでしょうね。その自問自答を、若者A君との対話という形で再構成しています。
こういう対話形式の本というのは、実に読みやすくていいですね。特になださんには小説執筆のたしなみがありますから、時々対話の行間に効果的な表情描写などが挿入されていたりして、よりリズム良く読むことができました。
さて、内容です。非常に簡単にまとめてしまうと、人間が作り出す集団というものは「フィクション」であるということですかね。集団とは「血族」であり「部族」であり「民族」であり「国家」である。そして人は、そのフィクションを信じて自らの行動・思考基準とする。だから「民族=宗教」というわけです。うん、なるほどね。
「フィクション」と聞いて思い出すのが、鈴木孝夫大明神のこちらの本ですね。つまり西洋的近代化の所業です。私もまったくその通りだと思います。というか、なんていうかなあ、先進国では日本だけが特別なんだよなあ、やっぱり。極東の孤島ですからねえ。
民族にせよ、国家にせよ、結局「分節」なんですよね。境界線を引く。大陸では当然ありうべきことです。そういう虚構の線引きを、たとえば「神話」を通じて信じるわけですね。虚構を基にして虚構を現実とするわけです。そしてそこに虚構に基づく「結束」と「排除」が生まれる。
なださんがおっしゃるように、人間はなんの武器も持たない一番弱い存在です。それが生きていくため、生き残っていくためには、食べ物を得なければならない。食べ物のある土地を得なければならない。そこで選んだ、いや選ばざるを得なかった唯一の道が「集団化」だったのでしょうね。その集団化には「虚構」が必要だった。そして、人間には「フィクション」を作る知能と、それを盲信する愚かさがあった、ということですかね。民俗(現実)から民族(フィクション)への流れが近代化であったということが書かれてありましたけれど、なるほどですね。一番賢いはずの学者さんたちの中でさえ、そういう近代化を選んでしまった方が多かったわけで。
さあ、またまた出てしまうわけで恐縮なんですが、このフィクションこそ「コト」なわけですね。未分節の状態が「モノ」。私は常々、これからは「モノ」の豊かさの時代だ!って叫んでいるわけですけど、よく考えてみれば、それは極東の孤島でしか通用しないのかもしれませんね。しかし、国際化、情報化によって、その孤島も全然アイソレイティッドじゃなくなっちゃった。それこそ私の主張も「妄説」にすぎないのかもしれません。鎖国でもするか。ん?鎖国こそ分節化の最たるもの?なんだかわからなくなっちゃいました。
で、この本は最終的に「社会主義」の復権をさりげなく提案して終わっているわけですけど、15年経ってみると、さすがにちょっと無理あるなあ。それと同様に資本主義ももう過去の遺物だと思いますがね。では、どんなシステムが…それはまたいつか。
Amazon 民族という名の宗教
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コメント
と言う訳で(どんなわけだ。。)お久しぶりです。
宗教とは直接関係ないことなんですが、最近では給食の時間に「いただきます」「ごちそうさま」と言わないとか。
金(給食費)払ってるんだから感謝する必要は無い!とか言う親とか、手を合わせて「いただきます」ってのが宗教っぽいと。学校に乗り込んでくる親とか居るらしく。。
人間は社会って言うものに守られて生きているって事をわかってないのでしょうな。。
全部一人でやって個人で生きていると勘違いしているから、社会が存在して、集団を作っているから生かせてもらっているって感謝の気持ちがもてないのかなぁと。。
宗教ってウ冠に示すに教えるって見れますよね。。
すなわち家(イエ)で示す教えなんて考えられたりもするわけですが、一番最小の社会であるイエってモノも無くなってきてるのかと。。
話は変わりますが、常々気になっていたことが、自然と人工って区別。。
人だって基本的には自然の中から生まれてきたもので、人工的なものも自然ではなかろうか?と。みんなみんな生きているんだ友達なーんだー♪じゃダメなのかと。。
完全に自由な発言でまとまりの無い文章になりましたのでこの辺で失礼を。。
投稿: たこたよ | 2006.07.07 18:16
たこたよさん、お久しぶりです。
とってもいい発言ですよ。
全くその通りだと思います。
結局ワタクシ流の言い方ですと、自然である「モノ」を軽視、蔑視して、自分たちの勝手な決めごと、まあ人工ですな、いわゆる「コト」を絶対だと思っちゃうんですよ。
思い上がりですよね。結局。
謙虚さがないんですよ。人間なんて大したことないのにね。
みんなで助け合って生きていきましょうよ。ねえ。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2006.07.07 19:51
書き込みするのは久しぶりですね。毎日楽しみに読んでますよ。ここのとこの記事、充実してますね〜。
今日(7/7)の内田樹氏のブログ(http://blog.tatsuru.com/)も同じようなテーマでした。
もうずっと「自己責任」とか「自己決定」とかいう言い方に私も違和感を持ち続けてきて、そもそも携帯が普及し始めた時のコピー、「つながる」(超キモい)というのも、みんな自分が1つの「点」だという考えに因っているのだと思うけど、私を「私」たらしめているのは「私でない他の人」なんですよね。
だから、人間の存在、人間の「私意識」というのは、相互に予めある「関係性」の中にしか存在しない…。
あ〜、長くなってしまうのでこの辺にしますが、そういう前提がない世の中ってなんだかなあ…です。
投稿: よこよこ | 2006.07.07 23:18
よこよこさん、おはようございます。
なるほどやっぱり縁が基本だと思いますね。
縁起の法によると、結局「自分」なんてものはないわけです。
内田先生のおっしゃることは仏教そのものですね。
自己責任とか自己決定とか、アイデンティティーとか(笑)、非常に馬鹿げたことだと思いますよ。
だから正直言うと、中田の「自分探し」に感動する人たちにも失笑してしまいました。
彼が失った「自分」を取り戻すことの重要性は理解できます。
でも、いったい誰が彼のレベルであの言葉を理解したでしょうか。
だいたい感動すべきものじゃないですよね。
そのへんについては近々書こうかと思っています。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2006.07.08 06:37