惜敗!高校野球
う〜ん、残念!我が校は準決勝で敗れ去りました(結果として優勝校に惜敗でした)。
しかし、本当にいい試合でしたし、選手、つまり生徒たちの懸命な姿には涙させられました。
大きな目標を掲げ、それに向かって日々努力する。しかし、結果は最後までやってみないとわかりません。私が今担当している進学にも全く同じことが言えますね。なにしろ、相手は、敵は、みな才能がある上に、同様に努力しているわけですし、当然時の運というものも影響してくる。思い通りにはならないのが世の常です。
そう、「もののあはれ」だなあ、と思いました。「事を為す」ことの難しさよ。しかし、人生とは皆そういうふうにできているわけですし、また、結果が全てではない。極論してしまえば、この現し世でどんな事を為しても、所詮死んでしまえば…という話になってしまいます。しかし、そんなはっきりとした「コト」を目前にしながら、誰しもが一生懸命生きるのが、ヒトの尊さなのでしょう。大げさでなく、そんなことを試合終了後思いました。
まったく月並みな言い方になってしまいますが、選手諸君は何ものにも代えがたい「モノ」をつかんだことでしょう。金と科学の力で疑似「コト」化が進み、子どもでさえも思い通りになることが増え続けている現代において、こうした「モノ」の性質、思い通りにならない人生の本質「もののあはれ」を全身全霊で受け止めた彼らは、「生きること」の何たるかの一端を知ったことと思われます。
スポーツにせよ、受験勉強にせよ、何かに一生懸命になるということの意味は、ひたすらにここのところに存する。私はこの歳になって、ようやくそれがわかりました。もちろん、教室で生徒たちにこんなことを言っても、理解してもらえないでしょうし、こんなことを聞いたからと言って、それぞれがやる気を出すとはとても思えません。もちろん彼が悪いのではありませんよ。やはり時というのは積み重ねてこそ我々に大切なことを教えてくれるということです。時間や空間を微分ばかりしている(思い通りになるコトに萌えている)オタクにとどまっていてはいけません!
選手たちだけでなく、それこそ懸命に応援していた生徒たちも、ただ残念とか、ましてや来年に期待しようとかではなく、そうした大切な何かを感じ取ってほしいと願います。
中田のことについて書いた時と同じです。感動をありがとう!で片づけるのではなく、「もののあはれ」を共有しましょう。
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コメント
準決勝の試合本当に残念でした。気にはなっていたんですけどね。それでもベスト4ですから、すばらしいことだと思います。
ひとつの目標に向かって、皆が一丸となって努力するというこうとはとても難しいことだと思います。結果が全てではないとは思いますが、努力して、結果が報われないのもまたつらいことも事実だし、これは社会人になって本当に痛感しました。
『結果が全て!!』『過程なんかどうでもい!!』よく言われた言葉をふと思い出しました。
何事においてもそうですけど、現実を受け止め更なる飛躍を期待します。本当は書きたいこといっぱいあるけど、やめときます。
投稿: hw | 2006.07.24 22:13
hwさん、どうもです。
野球残念でした。
でも、今日はもう彼らも新しい一歩を踏み出していました。
やるだけやったんで、本人たちはさっぱりしてるのかもしれませんね。
それにしても、社会に出るとよくわかりますよね。
思い通りにならないことばかりだと。
で、学校というところでは、どっちを教えようか迷います。
結果が全てなのか、過程が大事なのか。
どっちも、という気もしますし。
まあ、とにかく(自分にとっての)いいことも悪いことも全て意味のあることなんでしょう。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2006.07.25 05:26
学校では、特に教える必要はないと思います。
むしろ、コミュニケーション能力であったり、臨機応変に対応できる能力を培う場所であると思います。勉強だけであれば、予備校や学習塾のほうが、それに特化しているわけですからね。まぁ、それが彼らの仕事なわけですから。学校はそうではないと思います。ある意味、人の集合体、つまり社会を形成しているわですから、勉強以外のものを学ぶ場所であるべきだと思います。
予備校や学習塾は結果、学校は過程。極端に分類すれば、そうなるのではないでしょうか?
もちろん、進学クラスになれば、過程よりも結果が大事になるわけですが、学校であるかぎり結果と過程をバランスよく学べる場所であると思います。まぁ、担任の先生によりますが(笑)。
経験したことを生かすも殺すも自身の問題ですが、生徒達にそれを教えるのも学校ならではと思います。支離滅裂な文章になってしまいましたが、個人的な考えを思いつくままコメントさせていただきました。
投稿: hw | 2006.07.26 01:00
レスおくれてすみません。
合宿中でして。
いやいや、hwくんも大人になりましたね。
こういうすっかり大人になった教え子に教えられることは、
高校時代になんでも教えちゃおうとするのは間違いだってことですよ。
私も先生としてだいぶ大人になりました。
みなさんのおかげです。ホント。
学校の先生以外に、社会にはた〜くさん先生がいるし。
まあ高校生にもなれば自分で考えられるしね。
社会的には未熟な先生が口角泡飛ばして語っても、
たかがしれてる。
でも、私みたいなハッタリ教師も面白かったでしょ。
せいぜいエンターテイナーか、まあプロデューサーに徹してますよ、最近は。
投稿: 蘊恥庵庵主 | 2006.07.26 20:43
先生は先生らしくしていたほうが、自然でいいですよ!!それのほうが、相手にうまく伝わると思います。ちなみにハッタリ教師だと思ったことは一度もありませんので(笑)
あと、大人になったという自覚がまだないんですが・・・。老けたなぁと思うときはしばしばあるんですが(笑)
投稿: hw | 2006.07.26 23:58