『マンガに人生を学んで何が悪い?』 夏目房之介 (ランダムハウス講談社)
いろいろ考えさせられたんで長くなります。あらかじめ言っときます。
帯の背に「マンガを人生の一部とし、愛してきたすべての人へ。」ってあります。では、マンガを読まない私にこの本の評を書く資格はないのか…いや、あります!だって、本当に面白くて吸い込まれるように読んじゃったから。書かせて下さい!
私はマンガに人生を全くと言っていいほど学んできませんでした。いえいえ、マンガに学ぶべきものがなかったのではなくて、マンガから人生を学ぶ機会を持たなかったのです。だから、「何が悪い?」と訊かれても「わかりません」としか答えようがありません。あるいは、「いや、よくわからないけど、学んでいいんじゃないですか?」と言うかも。
そう、それほどに、私のまわりには(特に私の世代には)「マンガに人生を学んだ」そして「今でもマンガに人生を学んでいる」人が多いんです。だから、私はマンガとはそういうものだと認識していました。それで私は、このブログでもいつも「マンガは今や文学の役割を果たしている」と書いたり、教室でも「ひたすらマンガを読め!」みたいなことを言ってるんですね。自分にそういった実感や経験がないのに(ないからこそ)。
で、こういう本が出て、そして読んでみて、本当に安心したんです。やっぱりそうだったんだって。私の予感や無責任な発言も、それほど的をはずれていないと。
で、急に元気になって、ワタクシ的な結論をドカンと書いちゃいますと、「人生」を学ぶってことは「もののあはれ」を学ぶってことなんですね。いつも言ってることですが、私の解釈だと、「モノ」とは変化し思い通りにならない自分の外部です。不随意性、無常性ですね。それに対する「あはれ」…昨日も書きましたけれど、「哀れ」と「天晴れ」、つまり「あ〜」っていう嘆息です。
日本のマンガにはそれがあって、外国のマンガにはそれがほとんどなかったんだと思うんです(全然たしかめてないっす)。子ども相手だと「もののあはれ」じゃなくて、せいぜい微分的、刹那的な「をかし=萌え」で終わってしまう。
だから日本の今のオタク傾向って、カウンターカルチャーなんですよ。どの時代にもありますけれど、金とヒマの力で重い現実から目をそらしちゃう貴族文化なんですね。まあネオテニーとかピーターパン・シンドロームとも言えるでしょう。ポップでサブだと思ってたものが、だんだん重みを帯びてメインストリームになってくると、それを本来的な意味とは違う方向からとらえて茶化すような傾向が現れます。はっきりデータ的にとらえられる、いわば「コト(内部で処理可能な情報)」の方に意識を向けちゃうんです。私は、マンガやアニメとオタクの関係ってそういうものだと認識してます。
ただ、オタクとは全く違ったアプローチをする人々も一方に存在します。それが、たとえば房之介さんのような方です。オタクたちとは違って「もののあはれ」を直視し、それらを微分することなく積分していく。そして、もっと壮大な、総合的な、普遍的な「人生」を提示してみせるんです。私はそういう方向性に憧れますね。つまり全然ヲタじゃない(と思う)。
そして、そういうのが、つまり房之介さんのような態度や知識のあり方が、ずばり「教養」だと思うんですよ。そしてまた、現代の、新しい教養のあり方って、房之介さんや、この前の爆笑問題みたいなスタンスだとも思うんですよね。あっちでも書きましたけれど、オタク的なのは本当の教養じゃない。分析、分析、微分、微分ではダメなんです。まあ学問の現場があんなふうに細分化されてちゃあね。とても期待できません。
あと、スタンスということで言うと、「ユーモア」って忘れちゃいけないですね。「笑い」とか「軽いノリ(風なもの)」とか。だいたい本当に堅い人は、マンガから人生を学ぼうとするわけないし、そういうのをバカにする傾向があります。で、大概がものすごい過去か未来の学問を始めちゃう。現在を直視できないんですよ。勇気がないから。まじめ顔で武装しちゃう。房之介さんや爆笑問題にはそういうところがないでしょう。実は一番余裕あるんですよ。かっこいいですよね。余裕を見せるのもホンモノの教養人には大切なことです。
そう考えてみると、マンガで人生を語っちゃった漫画家の皆さんこそ、ワタクシ的には本当の教養人だったということになりますかね。そこには常にユーモアがあった。笑いを武器にまでした。
漱石おじいちゃんも、今思えばけっこうユーモアありましたね。一流の教養人でした。で、その後の文学は、まじめ顔に逃げちゃったんじゃないでしょうか。だから結局衰退した。マンガに駆逐されちゃった。そして、その「マンガ」の「批評」をするお孫さん。もうその姿勢自体に、一流のユーモアと余裕と勇気を感じます。お孫さんがおじいちゃんの「いい仕事」を見事に継いでいらっしゃる。感動的ですね。
マンガには強い記号性があります。記号はフィクションです。しかし、そのフィクションがリアルを効果的に表象することが往々にしてあります。というか、それこそが「作品」や「芸術」のありようだと思います(私の大好きな音楽やプロレスもね)。マンガが象徴したこと、マンガが語ったこと、それはまさに「人生」であったと。
「自分」とは何か…結局は「無我」に到達します。「人の本来的な相互和声的なありよう」…すなわち「縁起」ですね。「運命」…「無常」「因果」につながっていきます。そう、この本の言葉一つ一つが仏陀の言ったことに重なります。それほどに、マンガは(つまり日本人は)人生を語り、人生を学んだのでした。
房之介さんのこちらの著書も良かったけど、やっぱりホームでのはつらつとした仕事っぷりには、こちらも燃えましたね。さ〜て、後半生はオレもマンガ読むぞ〜!
Amazon マンガに人生を学んで何が悪い?
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