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2006.06.30

祈快復…小橋建太選手

Gfs ショックなニュースです。鉄人小橋建太選手に癌の疑いが…。近々行われる高山善廣選手の復帰試合も大変楽しみだったのに。本当にショックです。
 つい先日、プロレスのプの字も知らないウチの女子高生たちに、あの伝説のアンサンブル「小橋vs健介」を見せたんです。さすがにみんな感動していました。「プロレスなんて八百長じゃん!」とか「総合格闘技の方がいい!」とか言っていたギャル?たちも、あの試合を観ただけで、プロレスの何たるかが解る。そういう試合ができる本当に貴重な存在なんです。
 プロレスの本質は見世物だと思います。まあ全てのプロフェッショナルなプレイは、スポーツにせよ演劇にせよ、全て見世物であるわけですけど。中でもプロレスは純粋な日本の見世物文化を継承している。そのへんに関しましては、こちらに書きました。そんなプロレスを演じる役者の中でも、小橋の存在感は特別です。
 常人のそれとはかけ離れた肉体。常人のそれとはかけ離れた技術。常人のそれとはかけ離れた精神力。そして常人のそれとはかけ離れた品格。これらを全て持ったレスラーはなかなかいません。武骨なまでに真面目で実直なキャラクターが、プロレスというフィールド、いや舞台で輝くということは、世界中探してもそうそうあるものではないでしょう。そういう意味では、もしかすると、今やすっかり廃れてしまった大相撲の良き伝統さえも、彼は受け継いでいるのかもしれない。絶対王者。完全なる横綱。
 そんな彼が病魔に襲われてしまいました。鶴田さんもそうでしたが、完全なる強さ、美しいまでのたくましさを持った人は、なぜか突然病に倒れる。どうしてなんでしょう。そこまで身を削って、人々に感動を与えるのでしょうか。自分の命を賭してまで、私たちのために戦い続けるのでしょうか。
 再び絶対王者としての彼の姿を見たい。もちろんそういう気持ちもありますが、今はそれ以上に治療に専念してもらいたい。そうしないと、私たちプロレスファンが彼を十字架に架けたことになってしまう。それはあまりに辛すぎます。ご快復をお祈り申し上げます。

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2006.06.29

『明日から使える仕事術スペシャル』(NHKプロフェッショナル仕事の流儀)

Pre なかなか面白かった。概要はこちらをごらんください。なるほど、カリスマ仕事人たちの仕事ぶりには、いろいろ学ぶべき点があります。自分と同世代の人たちが充実した顔つきで仕事しているのを見るだけで、充分刺激的であります。
 ただ、どうなんでしょうね。こちらは学校の先生というへんちくりんな仕事ですからね。ああいう流儀がそのまま流用できるかどうか。たとえば魚屋さんとか農家の方とかにも適用できるか。どちらかというと、都会のクリエーターの流儀っていう感じでしたね。
 私としては佐藤さんのプレゼン術が面白かったかな。仕事の流儀というか、「しごと」の流儀としてです。そう、いつもの「物語(モノ・コト)論」で申し訳ないんですけど、ああなるほどこうして「モノ」を「コト」化するわけですな、と。
 茂木健一郎さんも「物語」という言葉を使っていました。そう、私に言わせると、プレゼンテーションとはまさに「モノガタリ」、つまり未知・外部である「モノ」を「カタル」ことによって既知・内部化して「コト」にする行為なのです。「コトにする」わけですから、それこそが「為事(シゴト)」であるわけです。
 「情報は変化しない」と、どこかで養老孟司先生もおっしゃってました。その情報こそが「コト」なわけでして、それ以前の「モノ」は変化して常在ではない。仕事とは「モノ」を「コト」にすること、そして、その結果である情報を消費者は金を払って買うのですね、現代社会では。私たちはお金で「物」を買っているような感覚がありますが、実はそれは人間の脳内を通過して加工された「事」であると、私は考えています。
 もちろん茂木先生は、「物語」という言葉をそういう意味で使ったのではありません。普通の「ストーリー」という意味で使っていました。ただ、ストーリーにしても、基本的には時系列上の因果関係をはっきりさせる(佐藤さんが「接続詞を上手に使う」というのもそれ)ということですからね。因果関係がはっきりするということは、納得する、安心する、つまり内部化するということです。
 こんなどうでもいいコトを自分の中ではっきりさせながら観ていました。物語=コト化は連鎖するということでしょうな。人間はこうして「コト絶える」まで「コト切れる」まで、一生懸命シゴトするんだなあ。ふう〜。

PS 北朝鮮の「騙り」には驚きましたな。めぐみさんのこと、ちょっと他人事ではないので…。

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2006.06.28

『江原啓之物語』 江原啓之 和田育子(イラスト) (光文社)

4334901344101_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ 江原さんの半生を描いたコミックです。生徒に借りました。
 なあんだ〜。なんか私が言ってきたことばっかり書いてあるじゃん。
 私を知る人はご存知ですね。特に古い教え子たち。私のキャラはずばり「霊能者」でした。今はちょっと違う。「はったり教師」…ちょっとじゃなくて、だいぶ違うか。
 いやいや、実はふざけてるんじゃないんです。たいへんにまじめに語りたいことなんです。このカリスマ「スピリチュアル・カウンセラー」とカリスマ?「ハッタリ・ティーチャー」の違いは、いったいなんなんでしょう。同い年なのにね。
 最近はちょっと疲れちゃいまして、あんまり人前で「霊」の話をしません。特に生徒の前ではほとんどしなくなりました。昔はその話でよく盛り上がってたんですけどね。私は私にとっての事実を話していただけなんですが、なにしろ証明できないことですし、江原さんほどの才能はありませんから、いろいろな確度が低い。
 そんなふうだと、もうある時までは「すご〜い」なんですが、次第に「どうせはったりだろ」になっちゃう。そのうち、自分でも「オレは頭がおかしいんじゃないか?」って感じで自信がなくなってきまして、あんまり語らなくなっちゃったんですね。そうしたら自分の生活における「霊」の支配率が下がってきた。たぶん俗世に溺れて霊能力が衰えてきたんでしょう。霊的老化かな。
 このマンガを読みまして、若い頃の私の経験が、とにかく江原さんのそれと重なっていることに驚きました。いや、それこそ昔の教え子がこのマンガを読んだら、「あれ?これ、あの先生の言ってたことばっかりじゃん」って思うと思います。そうして、もしその人が江原さんを信じているとしたら、「なんだ、あの先生の言ってたことも、あながちウソじゃなかったんだ」と思ってくれるでしょう。そして、少しの反省とともに、私への尊敬が、遅ればせながら湧き上がってくる…わけないな。
 そう、格が違うんですよ、あまりに。私はよ〜くわかります。江原啓之という人物がホンモノであることを。自分も経験していますから、彼の力量というものがわかるのです。ちょうど、楽器やスポーツでも、実際に経験をして自分の能力の限界を知った人なら、その道の超一流が放つ何かをイヤというほど感じられるように。
 そこで改めて問題にしなくてはならないのは、やはり「格」です。このコミックの中にも、「霊格」は「人格」というような記述がありましたが、まさにそれです。
 結局のところ、私の「霊格」が極端に下がったのは、すなわち私の「人格」のレベルが急降下したということを意味します。それは認めます。自覚していますから。
 今思うと、俗世に溺れず、また妙な煩悩を抱かず、純粋にスピリチュアルな道を歩んでいたら、彼のようなカリスマになって、今ごろ各メディアにひっぱりだこ、講演かなんかして、本もちょいちょいと書いたりして、それで、意外に女性に人気が出たりして…なんて、もうこんなこと妄想してる時点でブッブーですな(笑)。
 でも、なんとなく安心しました。ある意味私よりひどい「霊能力」をお持ちの彼が、今、世の中にこうして歓待され、感謝されて堂々と生きているわけですから。もちろん、さまざまなご苦労の末ですけれども。
 そのご苦労をも、意味のあることとしてとらえ、たとえ自らに不快感や害を与えたとしても、その人に感謝する。そんなところもまた、私が常に教室で語っていることに一致しました。正直うれしかったですね。
 それにしてもイギリスがあんなに進んでいるとは思いませんでした。SAGBで勉強してみたくなりましたよ。あと、そうそう、「ミーディアム」という言葉がでてきました。「ミディアム」ですね。霊媒という意味です。この「ミーディアム」の複数形が「メディア」です。そのへんについては、ここで書いてるか。あっ、江原さんもいますねえ。忘れてた。そう、私の「モノ・コト論」につなげて考えるとちょっと面白いんですね。
 で、なんで、彼が女性に人気があるか。いや、なんで女性は「スピリチュアル」な世界や占いの世界が好きなのか。それは簡単です。私の考えによると、女性の感性の基本は「をかし」。それは、はっきりした、固定した、変化しない、自己の内部で処理可能な性質を持つ「コト」への嗜好を表す形容詞です。で、霊媒行為とか占い行為とかって、まさに「モノ」を「コト」にして提示する行為なんですね。不可知で不随意で、自己の外部にある「モノ」を、はっきり示してあげる。たいがいは「コトノハ」によって差し出す。その結果が好きなんですよ。そしてそれができる人に萌えちゃうんですよ、女性は。
 まあ、最近の男は、私も含めてですが、すっかり女性化してしまい、いわゆる「オタク」になっちゃった。貴族文化です。武士道ではなくなった。いつも言ってることですけどね。やっぱり人間は豊かだと女性化するんでしょうか。獲物を獲りに行かなくても生活できますからね。男の存在意義が薄らいだってわけですな。あ〜あ。

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2006.06.27

『医龍ーTeam Medical Dragon』 乃木坂太郎 永井明…原案 (小学館)

409186561501_pe00_ou09_scmzzzzzzz_v55071 マンガをあんまり読まない私がこんなことを言うのもなんですが、ここのところ漫画家の画力が下がっているなあと思います。うまいなあ…って感心することがあんまりないんですね。
 で、それが何を表しているかというと、「小説の死」であります。というようなことは今までも何度か書きましたね。つまり、小説は最もヘタなマンガ、いや絵が描けないマンガに成り下がってしまったのです。なんて、小説もほとんど読まない私でありますが、それでも、ここのところ読んだ芥川賞受賞作東京タワーなんか、ああこれがマンガだったら面白いのになって思っちゃいました。
 逆に言うと、ああこれは筆力があったら面白い小説になるのにな、というマンガが増えている。この「医龍」もそうです。このマンガはこれこれに比べたらまだいいと思いますけれど、人物の表情の描写がヘタな作文みたいな感じで、もうちょっと深い表現ができないものかと感じました。
 だから、そのところや、風景描写などを自分なりに文章化してみると、もうそれで立派な小説になるんです(いや、私はそれほど筆力ないですから、まあ予感程度ですけど)。つまり、絵を除いては、なかなかよくできている。実際文字が異様に多いですし。医局の現実や、現代医学の問題点も多く暴露されていますし、サイドストーリーもまあまあ上手に仕組まれていたり、意外な展開もあったり、小説という媒体に変換してもかなり面白いものになるでしょうね。
 ということで、こういうものはノベル化される…ことはなく、そうドラマ化されるわけです。それはそうです。小説のドラマ化、映画化の難しさはよく指摘される通り。前述したように小説とは最も絵がヘタな(つまり絵がない)マンガですから、読者それぞれ十人十色の絵が脳内に描かれてしまう。一方、マンガは多少ヘタでもある程度の固定したイメージが万人の脳内にできるんですね。基本的にはそれを元に映像化していけばいい。絵コンテ作る才能と時間をかなりの部分省略できるわけです。
 なんてこんなこと書くと、ドラマの現場からは反論が出るでしょう。たしかに原作マンガとの違いも必要ですからね。パロディーとしての難しさはあるでしょう。しかし、実際、ここのところマンガ原作のドラマが多すぎる。そこに安易さを感じるのは私だけでしょうか。なんて、そういうドラマもほとんど観たことありませんけど。
 ま、それはいいや。需要があるから供給も絶えないんでしょう。ただ、なんというかなあ、マンガの方からしても、ああこれは小説では書けないわ!とか、これはドラマ化絶対無理!っていうのも読んでみたいなあ。もちろん、小説やドラマや映画も同様。
 かなり話がそれましたが、この「医龍」にせよ、この前の「弁護士のくず」にせよ、単純に読んでいる時は楽しい。こういう職業マンガみたいなの、それも破天荒な主人公が大暴れみたないのが多い昨今ですが、これはこれで知らない世界を知るという意味では、ホントに勉強になります。もちろん誇張されているわけですけど。
 ちなみに破天荒のおかげで普通が成長していくというのも、ある意味パターンかな。医龍では伊集院くんですかね。

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2006.06.26

マイメロに実写折り紙混入(感動しました)

Awt 元折り紙マニアとしてはたまりませんでした!
 日曜日に放送された『お願いマイメロディー第13話「気づいてくれたらイイナ!」』の録画を観ました。リアルタイムで観たカミさんがめちゃくちゃ興奮してたんで、期待して観てみましたところ、たしかにすごい!すごすぎ!
 いやはや、ストーリーとかはいつもの通りハチャメチャで、それはそれでマイメロ的には普通だったんですけど、作画におけるハチャメチャというかなんというか、メチャクチャ笑えました!
 簡単に言ってしまうと、アニメの中に実写が混入していたのです!それも折り紙の実写です。写真を見てください。見事なホンモノの折り紙、手裏剣やらやっこさんやらお花やらが混入してます。
Awt2 シーンとしては、折り紙対決みたいなのがあって、折り紙の戦艦が折り紙の飛行機に攻撃されるところなんですが、その火花というか、花火というか、そういう表現がなぜかホンモノの折り紙だったのです。
 これはスタッフさんの遊び心なんでしょうか。それとも芸術的挑戦なんでしょうか。はっきり言って感動してしまいました。だって、デジタルチックな美しいアニメの上に、実にアナログな、そうなんかNHK教育的な折り紙の画像が乱舞するんですから。シュールだあ。エンディング、次回予告の後の、提供の部分でも、実写のマイメロちゃんとクロミちゃんの折り紙の画像が…。こだわりなんでしょうか。結構感動してしまいました。
 そう、実は私かなりの折り紙マニアだったんです。それも幼稚園のころ。いわゆる創作折り紙の世界に足を踏み入れていたんですよ。5歳くらいで。やばいっすよね。自分でウルトラホーク1号〜3号の折り方とかを考案して、折り図まで書いていたんです。その後、興味が違う方に行ってしまって、あまり熱心にやらなくなってしまいましたが、最近またやってみようかなあって思うんです。あの世界めちゃくちゃ深いですからね。目指せ笠原邦彦!です。
 そんなわけで、とにかく今回のマイメロ、永久保存版ですね。こういう遊び心というか実験というか、とってもいいと思います。そういう現場って貴重だと思いますよ。


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2006.06.25

MACH PELICAN 『RADIO ACTION』

B000fbg3hi01_pe00_ou09_scmzzzzzzz_v65027 マッハ・ペリカンご存知ですか?オーストラリアのメルボルンを拠点に活動している、日本人3人組のパンク・バンドです。そこでベースを弾いてるのが教え子でして、今日、日本韓国ツアーのついでにウチに遊びに来てくれました。
 マッペリは、まだ日本ではそれほど知名度は高くありませんが、豪州ではけっこう有名でして、RancidやGuitar Wolfと一緒にツアーをしたりしてます。前回彼に会ったのは5年くらい前になりますが、その時は今は解散してしまったGoing Steadyとツアーを回っていました。最近ではヨーロッパツアーにも行ったりしてるとのことで、いよいよ本格的に世界進出か!大いに期待できますね。
 で、彼と飲みながらいろいろと音楽談義に花を咲かせました。私なんかどちらかというと複雑なロックを聴いてきた方でして、この歳になってようやくシンプルな3コードの深さみたいなものを理解するようになったんですね。とにかく若い時は、ロックではプログレに走ったり、バロックではバッハに心酔したり、ジャズでもパット・メセニーやらキース・ジャレットにしびれたりしてたわけですよ。どちらかというと、パンクなんかはバカにしてた。ヴィヴァルディをバカにしたりとかね。演歌なんかもそう。つまり、みんな同じじゃん!みたいな感じで。それこそ自分の方がバカだったわけです。
 マッペリを聴くとよくわかります。シンプルな和音進行とシンプルな構成・演奏の中に、キラッと光るメロディーセンス。似ているけれど、微妙な色合いの違い。そして、短い時間の中にかける一発勝負の緊張感。ストレートであればあるほどごまかしがきかないわけですから。
 彼らの音楽性の基底にあるのは、やはりラモーンズですね。ストレートにごきげんで、突き抜けた明るさ。キャッチーなメロディーとポップな歌詞でしょうか。ラモーンズ後のロンドン・パンクのイメージとはだいぶ違います。マッペリはロックンロールやオーストラリアならではのサーフ・ロックの要素も取り入れていますから、かなり聴きやすいと思いますよ。繊細なメロディーには、私はなんとなく日本を感じますし。
 以前、グリーン・デイの『アメリカン・イディオット』を紹介した時に、いろいろとパンクについての蘊蓄を書いてますねえ。ラモーンズもちゃんと聴いてないのに。ただ、今日も話したんですけど、やっぱりコマーシャルな部分とバンドのアイデンティティーの関係ですね。これは難しいと。でも、彼らはとにかくライヴを楽しんでもらいたい、というのが最初にあるそうで、なるほど難しいことを考える以前に、自分たちのメッセージをたくさんの人に伝えるためには、やはり売れるのが一番なわけです。もちろん生活していかなくちゃなりませんしね。でも、そのへんのプロ根性というか、エンターテイナーとしての覚悟のようなものには、さすがだなあと感心させられましたよ。かっこいいよなあ。
 で、私、調子に乗って、わが歌謡曲バンドを前座に使ってくれなんて、ずうずうしいお願いまでしちゃいました(笑)。いきなり歌謡曲バンド、オーストラリア進出か?!でも、豪州ってジャンルとか国とかに全然こだわらない芸術的風土があるそうなんで、案外受けるかもな。まあ半分冗談ですけど(半分本気なのか?)。
 というわけで、マッペリの3rdアルバムが先月出ました。スペシャルなゲストも参加しており、かなり聴きごたえのある内容になっているとのこと。実はまだ聴いていないんですが、ここにおススメしておきます。みなさんどうぞ応援してやってください!公式ホームページで試聴もできますよ。

 追伸 先日ご本人がCDを持ってきてくれました!Thanks!めっちゃカッコよかったっす。ライヴで聴きたいねえ。

Amazon RADIO ACTION

MACH PELICAN公式

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2006.06.24

BUMP OF CHICKEN 『LAMP』

B00005f0ei01_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ 私のクラスのBUMPファンがどうしてもほしいというので、探して代わりに購入してあげました。定価は1000円ですが、その十数倍の値がついていました。生徒は毎月2000円ずつ私に分割払いです(笑)。
 なんでそんなに高いかというと、このファーストMAXIシングルは既に廃盤だからです。また、ある時期まで収録曲「BATTLE CRY」がこのシングルでしか聴けなかったからです(再販されたアルバムには収録されていますが、意味が違ってくると思います)。
 まあ生徒がこんなことを言い出さなきゃ、私がこのCDを買う可能性は限りなくゼロに近かった。これもまた縁です。で、ちょっとラッキーとばかりに聴いてみました。
 お〜、なかなか良いではないか。本当のこと言いますと、目頭が熱くなってしまった。最近こういうのに弱いんですよ。なんか、若いもんが先の見えない不安にかられながらも、それでも駆け続けている姿。自分の若かりし頃を思い出す…というわけではないなあ、自分は出来なかったから。常に全力疾走しないようにしてたからなあ(笑)。
 今ではすっかりメジャーバンドになってしまったBUMP OF CHICKEN。私も彼らの独特の歌詞世界に興味を持ってはおりましたが、それほど一生懸命聴いたことはありませんでした。ああ、今どきの若者たちもこういう世界に共感するんだなと、ある意味感心しながらも、その耳はけっこう冷めていたのです。まあ音楽的にはものすごく斬新というわけでもなく、正直自分の趣味とはちょっと違うかなって。
 ただ、彼らがTHE GROOVERSを尊敬してるっていうのは、私にはうれしかった。ああ、ちゃんとしたロックバンドなんだな、ホンモノのロックを知っている上で自分たちのスタイルを築いたんだ。
 今回、こうしてメジャーになる前の、いい意味で荒削りで、そして純粋な彼らの叫びを聴いて、それでジ〜ンとしてしまったわけです。そう、叫びっていう感じですね。唄も演奏も歌詞も。なんかわからないけれど、どこかに向かって叫びたい。そしてその声を誰かに聴いてもらいたい。とっても繊細で、とっても淋しがり屋の若者たちがそこにいるんです。それがかなり切ない。
 日本のロックって、そういう「ものぐるほしき」ものへの嘆息、言わば「もののあはれ」を表現したものがたくさんあるんですよね。ロックって、本当は反体制的なものでしょう。でも、平和ニッポンにおいては、その矛先が自己や世界…世界と言っても自分の中にある宇宙観みたいな何か…に向かった。それで独特のジャンルが出来上がったんです。日本の歌謡曲オタクで有名な元メガデスのマーティ・フリードマンさんも、「アメリカじゃあこんなの絶対ありえな〜い!すごい深〜い!」って言ってました。そう言う彼もすごいよな。あっちなみにバンプもかなりオタク入ってます。
 LAMPの歌詞も、BATTLE CRYの歌詞も、もう完全に抒情散文詩になっています。純文学してますよ。一生懸命言葉にしてるじゃないですか。正しい日本語とか、そんなのどうでもいいですよ。曲も演奏も全然洗練されていない。録音もそう。でも、そんなことはどうでもいいくらいに、真剣なメッセージがこめられている。商業的なものではなく、ただこうしてここに生きてるんだよう!っていうエネルギーが感じられます。
 レミオロメンのところでも書きましたけれど、こうした表現とコマーシャリズムとの葛藤というのは、永遠のテーマでしょうね。それをどう乗り越えるか。よかった〜、プロのアーティストじゃなくて(笑)。
 ところで、BUMPのCDにはいつも面白いしかけがあります。シークレット・トラックです。このシングルでも3曲目が終わってしばらく放っておくと、インストの「さよならナイ」が始まります。また、1曲目の前に歌入りの「さよならナイ」が入っています。普通に再生するとこの0曲目は聴けません。1曲目を再生しながら巻き戻しをしていくと、0曲目に入っていきます。なかなか面白い作り方ですね。CDでこういうことができるんだ。知らなかった。おかげでパソコンでは認識できません。そんなところもこのCDのレア度を上げているんでしょう。
 あと、やはりBUMPと言えば黒猫(ワタシ的にはね)。このシングルのジャケットの猫ちゃん、藤原くんちの猫らしいけど、ウチの弥右衛門にそっくりです。もうその時点で実は得点アップなのでした。

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2006.06.23

『ふと心おとりとかするものは(枕草子より)』 清少納言

Hbg 今日は長いっすよ。でも面白いと思います。一昨日昨日と「言葉の乱れ」問題と方言の話題を書きました。こうなると、こちらのご意見番に登場してもらうしかないっすね。清少納言さんで〜す。はい、どうぞこちらへ。
 「どうも、清少納言です。ここ数日の不二草紙さんでの話題のことなんですが、私が1000年ほど前に枕草子で意見させてもらってますんで、そちらをぜひお読みいただきたい。ただですねえ、私が書いたこの文、どうも曲解されてまして、私の真意が伝わっていないんですよ。ですから、今日は私が絶対の信頼をおいている蘊恥庵庵主さんに、平成日本語に訳してもらいました。これでやっと私の言いたかったことがお解りいただけます。うれしいかぎりです」
 というわけで、ご指名賜りましたので、不遜にもワタクシめが訳させていただきます。たしかに世に通用している訳はひどい。私は今までも、こちらこちらこちらで、清少納言さんの真意を伝えさせていただきましたが(ちなみに紀貫之さんの真意はこちら、紫式部さんの真意はこちら)、どういうわけなんでしょうねえ。現代日本の先生方はどうも権威に弱いのか、批判精神が欠如しているというか、いやそれ以前に自分で解釈するということを怠っている。辞書や注釈書を鵜呑みにすることほどつまらんことはないと思うのですが。え?そんなヒマない?。そうか、そりゃ失礼。ヒマですみません。
 人のことはさておいて、さっそく真意訳(?)をしてみましょう。原文は読む人もそんなにいないでしょうから、最後に載せますね。
 
 急に「萎え〜」とかなっちゃうのはねえ…男でも女でも、言葉の発音を下品に使ってるのは宇宙一キモい。発音一つで不思議と庶民にもセレブにもなるのはどういうわけ?て言っても、こう思うワタシ自身、特にセレブってわけじゃないけどさあ。だから、どれがいいとか悪いとか言えた立場じゃないけどね。それでも、人はどう思うか知らないけど、ワタシはそう思うってわけ。
 品がない言葉も、汚い言葉も、わかっててわざと言ってるのは、悪くないんだよね。自分で勝手に考えた言葉を遠慮なく言ってるのは信じらんない!それから、どう考えても庶民じゃないジジイとかオヤジとかが、意識的に媚び売って品なくしゃべってるのは、うざい。まちがった言葉とか下品な言葉とかも、立派な大人が平気で言ってるのを、若い人たちは、実は「めっちゃ痛い」って思いながら聞いてやってるっていうけど、たしかにそうだよ。
 何を言っても、「そのことさせむとす」「いはむとす」「なにとせむとす」っていう時の「と」の音を抜いちゃって、ただ「いはむずる」「里へ出でむずる」なんて言うと、もうそれだけでめっちゃキモい。ましてや、メールに書いてあったりすると、もう完全に萎え〜。小説なんかでもさあ、センスない書き方しちゃってたりすると、もうサイテーで、その作家の人まで、可哀相になっちゃうよ。「ひてつくるまに」って言った人もいたっけな。「もとむ」っていうのを、「みとむ」なんていうのは、みんな言うみたい。

 どうですか?清少納言さん、いいこと、するどいこと言ってますよね。言葉の乱れは大人の責任です。実は若者は眉をひそめているのです。それも本来美しい日本語を使うべき人たちが悪い。これは田舎に住んでいると毎日のように感じることです。親や先生のことですよ。なんて、そういうワタシも上みたいな媚びた文章書いてますけど。まあ、逆説的な論法ということで…(自分には甘い)。
 この段の一般的な解釈の間違いは、「文字」という語を「ことば」一般としてしまっているところから始まります。ここでの「文字」は文字で表されるところの「音韻」ですよ。訳ではわかりやすく発音としましたけどね。だって、その証拠に3段落目でそういう例を出してるじゃないですか。そこにちゃんと「文字」っていう単語が出てきてるでしょうに、まったく。
 で、挿入された2段落目が面白い。ここは言葉一般の話なんです。それが実は主題。「うざい」も「むかつく」も空気を読んでわざと使うのはいいんです。私も一昨日そう書きましたね。で、大人はそのへんわかってないと。わかってないどころか、空気読まないで無理に使おうとする。たしかに「かたはらいたし(傍にいて痛い!)」だ。ジジイやオヤジ批判なんですよ、この段。
 だから、3段落目ももちろん大人の話なんです。それなのに、無責任に「平安時代にも若者の言葉が乱れていて、それに清少納言が苦言を呈した」なんて言っちゃう立派な大人がいるから困るんです。まったくう。
 ちなみに清少納言が指摘している「むずる」ですけど、これが昨日書いた方言の「ずら」や「(意志・勧誘の)ず」…甲府の方でも使いますね、また、こちらにもちょっと書きましたが、静岡でも使っていたようです…などにつながっていきます。平安のオヤジ語が現代においてもオヤジたちに継承されているわけです。
 というわけで、清少納言さん、こんな感じでどうでしょう?えっ?それこそ調子に乗るなって?オヤジのくせに?
「いといみじううし、にくし、むつかし、かたはらいたし、あさまし」(めっさチョーきもい、うざい、むかつく、痛い、信じらんない)
ですって。わかりましたよ。では、あなたの書いた原文を下に載せておきましょう。まあ、誰も読まないと思いますけどね。

 ふと心おとりとするものは男も女もことばの文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりもまさりてわろけれ。ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるはかう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。
 いやしき言もわろき言も、さと知りながら、ことさらにいひたるは、あしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなくいひたるは、あさましきわざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひひなびたるは、にくし。まさなき言もあやしき言も、大人なるはまのもなくいひたるを、若き人はいみじうかたはらいたきことに聞き入りたるこそ、さるべきことなれ。
 なにごとをいひても、「そのことさせむとす」「いはむとす」「なにとせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へ出でむずる」などいへば、やがていとわろし。まいて、文に書いては、いふべきにもあらず。物語りなどこそ、あしう書きなしつれば、いふかひなく、作り人さへいとほしけれ。「ひてつくるまに」といひし人もありき。「もとむ」というふことを、「みとむ」なんどは、みないふめり。

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2006.06.22

方言「〜ちょ」など、いろいろと…

Fuji22300 予告通り、山梨県郡内地方の方言について書こうかな。ここ富士北麓はいろんな意味で境界線上なんです。地質的にも、生物的にも。それから人種もね。縄文vs弥生。武田と北条ってのもあったな。とにかく富士山を境にいろいろとあるんです。だいたい、関東なのか中部なのか。ちょっと行くと、60ヘルツ、NTT西日本だし。
 で、言語的にも面白いんです。左上の写真は、東条操さんの日本語方言区画図ですけれど、富士山のところ、微妙でしょ?関東、東海のボーダー上です。
 たとえば、関東方言の代表格「べえ」と中部方言の代表格「ずら」の両方を使う。意志、勧誘には「べえ」、推量には「ずら」です。甲府盆地の方に行くとまた違うし、富士山を東廻りに南下して相模の国に行っても、西廻りに南下して駿河の国に行っても全然違う。西と東が、北と南が富士山でせめぎあってる。まあ、たしかにいろんなプレートが地下でせめぎあって、あんなデッカイ山ができちゃったんですが…。
 まあそれはいいとして、こうした方言というのは大概古い言葉が残っているんですね。「べえ」はもちろん「べし」の連体形「べき」のイ音便「べい」ですし、平安時代の推量表現「むとすらむ」が「むずらむ」になって、その撥音便「んずらん」の「ん」が表記されない(発音されない)と「ずら」になります。
 あと面白いのは禁止の終助詞「〜ちょ」ですね。当地に来たばかりの頃はホントびっくりしました。というかさっぱり意味がわかりませんでした。「ワラッチョ」って言われて「笑ってチョーダイ」の意味だと思って笑ったら、生徒に「チョーヅイチョ」って怒られました。これって「笑うな」と「調子づくな」ってことなんですよ。つまり禁止です。
 ただ、これは禁止なんですが、ちょっと「〜な」と言うよりも軽めなんですね。それほどきつくない。「〜ちょし」と言うとさらに柔らかくなる。ニヤっとして言う感じなんですね。「〜するなよ(笑)」って感じかな。
 で、この語源はですねえ、なんと古文で必修の「な〜そ」なんですね。「な笑ひそ(笑うな、笑わないでくれ)」です。「な〜そ」は現代では、「勿来の関」の「なこそ」という地名くらいにしか残っていません。ただ、当地でもお年寄りが「(ン)な〜ちょ」と言っているのを聞いたことがあります。最初は「そんな」の「そ」脱落の「(ン)な」かと思ったのですが、もしかすると古形を残しているのかもしれません。ちなみに「そ」の発音ですが、都の方では、奈良時代は「チョ」平安時代は「ショ」に近かった可能性が指摘されおり、そうだとすると発音としても最も古い形で残っているということですね。びっくりです。「です」の幼児語が「でちゅ」だったり「でしゅ」だったりすることからも、そうした音韻の変遷は理解できるでしょう。
 「ちょ」の用法で面白いのは、「やっちょばよかった」のような言い方です。これは「やらなければよかった」ということです。似た感じの表現「しろばいいじゃん」が、「する」の命令形「しろ」に接続助詞の「ば」が付いて、仮定条件に命令的ニュアンスが加わった意味になっているのと同様、「やっちょば」には反実の仮定に禁止の意味が加味されているように思われます。自らの過去の行動を後悔、反省して、過去の自分に「そんなことしたらダメだったら〜」って言ってるわけです。もろちん「やっちょばいいのに」なんていうふうにも使えます。
 当地の方言はもちろんもっともっとあります。名詞や形容詞などを挙げればキリがありませんので、今日は付属語の中でも基本的なものを紹介しました。

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2006.06.21

「うざい」「むかつく」…生徒の言葉遣い指導へ!?

Yyu 笑えるニュースですね。なかなかやるな我が山梨県教育委員会!でも、あんまり身内をほめると怒られるので自重します。まあ、元はと言えば文科省の音頭に躍らされているわけでして、他の県でも似たようなことやってますね。山梨県はどちらかというと踊りの輪に入るのが遅れてたんですよ。
 というわけで、あんまり露骨にほめるのはやめて、日本人得意の婉曲法で行きます。
 正しい日本語、乱れた日本語という考え方については、こちらに書きましたのでお読み下さい。で、「うざい」とか「むかつく」とか、そういう罵倒語ですけれど、日本語は比較的少ない方だと思います。それでもこういうマイナスの感情を表す語は当然昔からありました。その表現の実際も、今とそれほど変わりません。ほら、こちらをご覧下さい。ね?全然、理由とか言ってないでしょ。「あいつムカツク〜」「あいつもウゼ〜」って言ってるだけです。
 プラスの感情の言葉でもありますね。枕草子の冒頭なんかも「萌え」てばかりいる。「をかし」ですね。理由なんかない。短絡している。「雁などのつらねたるが、いとちひさく見ゆるは、いとをかし」なんてかな〜り乱れてますねえ。「…ちょーちっちゃく見えるのなんか、ちょーカワイイ!」って言ってるんですから。
 だいたい、「あなたのこれこれこういうところがこういう理由で私に不快感を与えて非常に鬱陶しいので私の前から立ち去って下さい」って言う方がずっと酷い。私はいつも思うんですよね。なんでも「コト」のせいにするのは簡単だって。「コト」の代表格「ことば」を矯正したり強制したりしても、その奥底にある得体の知れない、それこそ得も言われぬ、言葉にならない、筆舌に尽くしがたい「モノ」に対峙したり、あるいはその「モノ」を退治したりすることはできないんです。
 「むかつく」は「胃がむかむかする」というのが原義ですから、まあ不快感の比喩的表現です。そして「萌え」がある種の語感をもってある種の感情と不離の関係になったのと同様、「むかつく」の「わきあがる」イメージが、心に「モノ」の生まれる感覚とぴたり合った。ですからこうして世に定着するのはしかるべきことです。
 「うざい」は多摩方言「うざったい」の短縮形。「うざったい」の「うざ」は「うじゃうじゃ」ですかね。あるいは「むさい」かもしれない。江戸時代けっこう流行ってましたから。「む」が「う」になるのはよくあることですし。
 それぞれ由緒ある言葉なんですよ。そうした素性も考えず単に言葉狩りに走るなら、そのうち言葉の逆襲にあいますよ。てか、そんな狩りじゃあ捕まえきれないくらい日本の地に定着して繁殖してるか。
 私も仕事柄生徒によく「むかつく」とか「うざい」とか言われます。でも、それはありがたいことに「笑顔」を伴っているんですね。で、こっちも言われて笑ってます。罵倒語は定着するとこのような用法も現れてくるんです。非常に親密なコミュニケーションのための手段になりうるんですね。そういう点も見えなくなってしまうのは、もう病気です。原理主義です。私はそういうのが大嫌いです。むかつきます。
 さきほど「うざったい」は多摩方言と書きましたが、一説にはこちら富士北麓の方言が富士講経由で江戸に流出したとも言われてたような。もしそうだとすると…ますます面白い事態ですね。教育委員会さんもよく勉強された方がよろしいかと。
 こうしているうちに当地の方言についていろいろと書きたくなってきました。明日書こうかな。では、今日はこのへんでやめときます、怒られるんで。

この件に関する清少納言さんのコメント

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2006.06.20

『弁護士のくず』 井浦秀夫 (小学館)

409187361801_pe00_ou09_scmzzzzzzz_v55333 「光市母子殺害事件」の最高裁判断、まあ日本の司法の良き前進ととらえておきましょう。それにしても本当に言葉にできないくらい辛い事件でした。ここではっきり申しておきますが、私は死刑制度に基本的に賛成の立場をとっています。もちろんいろいろな迷いを経て今の位置に到達しました。授業でも何度も取り扱ってきましたし、そのたびに生徒のいろいろな意見も聞くことができました。やはり制度としての死刑は必要です。死刑という制度はあっても、それを処すに該当するような犯罪が起きないことを理想としたいところです。
 今回の弁護人たちは、ある意味有名な死刑制度廃止論者です。そこに私などはやや違和感を覚えるのですが、まあ、たとえそうでなくとも、今回についてはいかに死刑を回避するかという法廷闘争になることは理解できます。弁護士さんのお仕事が、はたから見ると、まるでゲームの戦略家に見えてしまうのも事実ですし、「法」というそれこそ「ルール」の中でどう戦うか、いかに依頼主に有利に裁判を進めるかが、実際のところ彼らの仕事というわけですから、そこは責められませんけれど、なんというのかなあ、私の「法」への違和感というものはぬぐい去れないんですよね。皆さんもそうだと思いますけど、結局、論理と感情と倫理とのせめぎあいなんです。教え子は何人か法学を勉強しに大学に行きましたが、私にはちょっと無理っぽいですね。弱い人間なんで。校則を守らせるのも一苦労です(笑)。
 さて前置きはこのへんで。今日はそんな弁護士さんのお仕事を描いた『弁護士のくず』を、生徒に借りて読んでみました。今テレビでもドラマ化されて放映中ですが、そちらは私は観ていません。原作であるマンガの方は、たいへん面白かった。井浦さんの作品ではAV烈伝を少し読んだことがありましたが、かなり違うイメージでしたね。まあ、スケベというテーマにおいては重なっている部分もありますが。
 まずは大変勉強になったということです。個性的な(スケベな)弁護士九頭元人が独特な手腕で弁護活動を繰り広げ、難問を解決していくという、ある意味典型的なストーリーですけれど、それらの裏側に見え隠れする人間模様や社会問題を、実に上手に読者に示している。いろんな意味で勉強になりますよ。
 そして感じることは、やっぱり自分には弁護士は無理だなってこと。必ずしも弱者の味方というようなものではありませんし、もちろん勧善懲悪でもありません。守るべきが、自分の、また依頼人の何なのか。さっき挙げた三つ、論理(ルール)なのか、感情なのか、倫理なのか。そんな次元で悩むような仕事を、私はできません…って、教育もその三つのせめぎあいじゃないの?…(笑)。
 ところで、主人公の九頭元人、ビートたけしそっくりですね。トヨエツじゃないなあ。それから、このごろのマンガって画力はほとんど問われないんですね。それだけ文学に近づいたということだと思いますが。

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2006.06.19

『カチカチ山』 太宰治

Ro_p06 今年もまた、桜桃忌がやってまいりました。太宰治の誕生日であり、遺体の上がった日であります。今年は桜桃忌を前にして、本当に残念でならないことが起きてしまいました。当地を舞台にした「富嶽百景」に登場するおかみさんのモデルである外川ヤエ子さんが、先日不慮の交通事故でお亡くなりになってしまいました。このような不幸がなければ、昨日天下茶屋においてお話をうかがうことができるはずだったのに…。ご冥福をお祈り申し上げます。
 外川さんらの支えにより、第二の誕生を遂げた太宰、しばらくは比較的健康的な生活をしました。そして、溌剌とした作品を残しました。今日は、そんな中でも太宰節ベストチューンと言ってもよい作品を紹介いたしましょう。
 戦中に書かれた「お伽草子」に含まれる「カチカチ山」です。この時期の作品としては、「富嶽百景」はもちろん、「女生徒」、「駆込み訴え」なども私好みの出来映えですし、軽めのエッセイとしては「畜犬談」も最高のセンスですね。そうそう、「走れメロス」については以前こんなこと書きまして物議を醸しちゃいましたっけ。なにしろこの頃の文章、スウィングしている。軽みの極致であります。心憎い限りですね。本当のことを言ってしまうと、私の文章の手習いのお手本は、この時期の太宰のそれらのみ。
 そんな中でも、やはり地元を舞台としているいくつかの作品に、特別の思い入れを持ってしまいます。特にこの「カチカチ山」はたまりませんね。当地に伝わるあの「カチカチ山」の昔話を潤色し、37の醜男と16の処女の物語に仕立ててしまった。換骨奪胎の至芸です。エキサイティングかつ教訓に富む(?)内容はもちろんのこと、講談調のリズムも心地よい。おそらく口述したんでしょうね。美知子さん、記述しながら、「この人はやっぱり天才だわ…」と胸を高鳴らせたことでしょう。
 未読の方々、ぜひこちらでお読みください。天才の仕事です。どうしようもない天才です。正直かなり嫉妬します。
 この狸のモデルって、弟子の田中英光でしたっけ?たしかに「オリンポスの果実」読むと、実にいらいらする男ですよね。でもそれって積極性のなさであって、狸のようなずうずうしさではありません。なんか違うような気がするんですけど、本当のところはどうなんでしょう。そして、兎のモデルは?世の女性全てとか。美知子なんかどう思ったでしょうね。とにかく最高に面白い。読まずに死ねませんよ!
 ちなみに舞台となった「船津の裏山」にある天上山ロープウェイは、何年か前に「カチカチ山ロープウェイ」と名称を変えました(笑)。「惚れたが悪いか」の石碑もあります。

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2006.06.18

ステファン・グラッペリ他 『バック・トゥ・ザ・ビートルズ』

Elena Duran Stphane Grappelli Laurie Holloway 『Bach to the Beatles』
B0000030xv01_scmzzzzzzz_ このアルバムはいろいろな意味でかなり珍しい。バックとはバッハ(Bach)のことです。英語ではよくやるシャレですね。
 昨日、一昨日と美空ひばりをおススメしましたけれど、彼女と同じレベルのヴァイオリニストと言ったら、もうグラッペリ翁しかいないでしょう。ジャンルを越えて突出した存在です。ヴォーカル担当のカミさんがひばりにため息をつくのと同じ次元で、私も翁の全てにため息をつかざるをえません。
 そんなグラッペリの90年に及ぶ音楽生活、そして演奏活動の中でも、このアルバムはある種異彩を放っていると言えましょう。もともとは2枚のアルバムであったのを1枚にまとめたものなんですね。80年に録音された「BRANDENBURG BOOGIE」(!)というバッハを演奏したアルバムと、翌年に録音された「NORWEGIAN WOOD」というビートルズを演奏したアルバム。いずれもGrappelli- Violin、Elena Duran - Flute、Laurie Holloway - Piano、Allen Wally - Bass、Allan Ganley - Drumsというメンバーです。これらを一枚にまとめちゃったと。
 まずは、このまとめちゃった行為をどう評価するかが問題です。バッハやビートルズをジャズアレンジするというのは、ごく普通の行為であるわけですが、それを交互に並べるというのは…。まあ、そのまとめちゃった行為の結果を、まずはご覧下さい。
1. All My Loving
2. Jesu, Joy of Man's Desiring [From Cantata No.147]
3. Hard Day's Night
4. Groovy Gavotte II [From French Suite No. 5]
5. Long and Winding Road
6. Air on a G String [From Suite No.3]
7. Can't Buy Me Love
8. Minuet [From Anna Magdalene's Notebook]
9. Yesterday
10. Aria [Cantata No. 30]
11. Hey Jude
12. D Minor Double [Concerto for Two Violins]
13. Michelle
14. Jig [From Trio Sonata No. 1]
15. Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
16. Sleepers Awake from Cantata No. 140
17. Eleanor Rigby
18. Sicilienne from Flute Sonata No. 2
19. Here, There and Everywhere
20. Brandenburg Boogie [From Brandenburg Concerto No.2]
 どうですか?私なんかバッハとビートルズ両方とも同じくらい好きですし、それらをこれまた大好きなグラッペリがどう料理しているか非常に興味があるわけでして、まあ無理なく、いやある意味飽きることなく聴くことができましたよ。
 ですが、演奏の感想としてはですねえ…正直微妙でありました。ワールドカップの日本代表におけるまとまりのなさみたいな、なんというかおさまりの悪さみたいなものを感じてしまいましたね。バッハ、ビートルズ、グラッペリ、ホロウェイ、デュラン…。それぞれ名選手なんですけどね、どうも無理やりチームを作った感が強い。いちおう監督はホロウェイなんですけど、彼の編曲がまた微妙でして…。いやいやなかなか上手ですよ、上手なんですが選手が生かされてないんですね。グラッペリにとっては本来の彼の言葉であるインプロヴィゼーションが規制されているし、クラシック畑のデュランに至っては、ジャズの言語を全く使いこなせていませんし。それらが全然うまく絡み合ってないのは当然です。監督さんも大変だなあ(ジーコさん、ちょっと同情します)。
 しかし、ある意味、奏者の個性が希薄になっているがために、逆説的に楽曲の…特にオリジナルのバッハやビートルズの…良さが際立って聞こえてくるとも言えます。まあ皮肉なことですがね。とりあえず、2大Bが交互に現れてもそれほど不自然ではありませんでした。私にとってはね。
 こんな感じで、なかなか不思議な仕上がりになっているこのアルバムです。さりげなくBGMとして使うには、けっこういいかもしれません。そういう意味でも、あるいはグラッペリの特殊なキャリアとしても、聴いて損はないアルバムと言えないこともないでしょう(なんか回りくどいおススメですねえ)。
 あっそうそう、「BRANDENBURG BOOGIE」はアビー・ロード・スタジオでレコーディングされたようです。そこで、次はビートルズやってみようか、ってことになったんじゃないのかな。グラッペリ、けっこうビートルズ好きだったみたいだし。

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2006.06.17

『永遠の歌姫 美空ひばり』 (NHK BSまるごと全集)

Hibari02 昨日に続きましてひばりさんです。
 う〜む、すごい。今さらこんなこと言うのもなんですが、本当に上手いですね。もしかするとホントに世界一のパフォーマーかもしれないなあ。
 たとえば、あの表現を楽器でせよ、と言われても絶対に無理です。今日もギタリストの村治佳織が出てましたけど、いろいろなプロの演奏家から「美空ひばりが理想」という言葉を聞いてきました。たしかにそうですね。私が人前で弾く機会の多いバロック・ヴァイオリンなんかも、ああふうに表現できればいいでしょうねえ。語るように歌い、歌うように語る…誰かがそう言ってました。
 まず無駄な力みがない。軽みがあるんですね。あの表現はくどすぎるとか言う人もいますけれど、よく聴いてみると、ひとフレーズずつ歌詞を生かす歌い方をしてるんですよね。そういうふうに言葉と歌唱との有機的な関係を感じながら聴けば、まったく過剰な点はないことに気づきます。そういうことを気づかせてくれるだけでも素晴らしいパフォーマンスなんですよ。
 音程の正確さもよく指摘されますが、これもよく聴くと、正確というよりも完全なコントロールなんですよね。そして、アーティキュレーションやディナーミク、声色も含めれば、音名としてはたった一つになってしまう音も、彼女にかかればほとんど無数の可能性を持つことになる。その無限の可能性の中から、瞬時に、即興的に、最適な音を探し出して、いや探しているわけじゃないな、自然に見つけて正確に表現してしまうわけです。
 こういう能力というのは、音楽に限らず、文学や絵画などにも共通するものです。天才とはそういうものです。まず無限の可能性を持っている。変なこだわりがないから無限である。そして、そこからその場で最適なもの選び出す。さらにそれを完璧にプレゼンテーションする技術。
 あと、今回お宝映像を見ていて発見したのは、彼女のリズム感ですね。彼女の歌唱を支えているのはリズム感ですね。あらゆるジャンルに対応できた彼女ですが、それぞれに固有のリズムを完璧に自分の体で表現しているすんです。歌はその体の動きに乗って絶妙にスウィングしてました。どの歌でも独特の心地よいスウィング感のようなものがあるんですね。あれはコピーしにくい。歌でも楽器でもちょっときついなあ。ひばり節とはあのリズム感のことだったんだ!
 いやあ、やっぱり音楽には映像が必要ですね。つまりライヴです。最近そのことを強く思います。録音文化ってやっぱり特殊だ。そういう意味でもNHK素晴らしかった…なんて、実はNHKとひばりって微妙な関係なんですよね。NHKには、ある時期のひばり映像がないはずです。そういう意味ではNHKと民放が組んで特集しなくちゃ完全じゃありません。いずれそういう時が来るかもしれませんね。
 この番組が終わったあと、サタデーライブでブルース・スプリングスティーンやってました。それはそれで良かったんですけど、やっぱりどっちかと言うとひばりだなあ。それこそ「もののあはれ」が分かるようになったんですね、私も。日本人て偉いなあ。不随意、自分の思い通りにならないものに「美」を見出すのですから。萌え=をかし(オタク文化)はネオテニーと言えますが、その裏にはやはり「もののあはれ」を感じる「大人」な何かがあるんだと思いました。ある意味それがあるから、それを意識するからこそ、あえて「子ども」ぶるのかもしれませんね。その両者が相矛盾するのではなく、止揚されて存することこそ、日本文化の特徴なのかもしれません。

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2006.06.16

美空ひばり 『川の流れのように(ベストアルバム)』

B00005emeh09_pe05_ou09_scmzzzzzzz_ 20歳くらいから、自分はいつになったら美空ひばりを聴くようになるのだろう、と思っていました。本格的に演奏活動に取り組むようになってからというもの、クラシック関係者からも、純邦楽関係者からも、演歌関係者からも、そしてロック関係者からも、とにかく美空ひばりはすごい!と聞かされてきましたから。
 そしてようやくこの歳になって、本気でひばりさんと向かい合えるようになりました。素直に彼女のすごさに参ったすることができるようになったわけです。この私の20年間の様々な音楽的葛藤や心の変化などは、まあどうでもいいことですから省略しますが、とにかく私が人間的にも音楽的にも多少は成長したということでしょうね。よかった、よかった。
 さて、ここのところ、歌謡曲バンドの活動なんかもありまして、あらためて(なんちゃって)演奏家の立場で楽曲研究をしたりするわけですね。で、このアルバムも繰り返し聴いております。
 ひばりさんのベストアルバムはいろいろありまして、選曲も多種多様であります。まあ、ビートルズなんかもそうですが、優れた楽曲が多いとなかなかベスト盤というのは制作しにくいものです。誰もが納得するベスト盤なんて不可能ですからねえ。ひばりさんの場合は、楽曲に加えて歌唱においてベストを選定することが難しい。難しいというよりそれこそ不可能です。その点、この2枚組は、ある意味割り切りもあって、また余計な色付けもなく、素直に一つの流れ…まさに滔々とした川の流れのような…を感じ取ることができますね。
 明日NHKBSでやるんですよね。お宝映像満載の美空ひばり特集。楽しみですなあ。

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2006.06.15

藤原正彦氏講演会

Fj 今日、当地で藤原正彦さんの講演が行なわれました。私は仕事で行けませんでしたので、カミさんを刺客として送り込みました。彼女、私の「密かに録音すべし」という指令を受け、これを持って出かけました。そして、しっかり使命を全うして帰ってきたんですが、とにかく興奮してるんですよ。面白すぎたって。笑いをこらえるのに必死だったと。
 なに〜?やっぱり超笑えたのか!う〜む、早く聴きたい。ということで早速聴いてみました。
 うん、たしかに面白い。めちゃくちゃだ。私が「この国のけじめ」について書いたことに間違いはありませんでした。やっぱり「国家の品格」も、ひたすら首肯したり、あるいは真剣に反駁したりする性質のものではないんですよ。ユーモアなんです。ギャグなんです。そして真理なんです。
 カミさんがうまいこと言いました。「バカ田大学の先生みたい!」…なるほど〜その通りだ。見た目も含めて。
 いや、決して馬鹿にしているではありません。私の最も好きなタイプの天才なんですよ。はっきり言っちゃうと、もう凡人の単純なデジタル思考をはるかに超えてしまっていて、つまり自己矛盾とかそういうことに頓着ないんですよ。そんなみみっちいスケールじゃないんです。
 たしかに言ってること、めちゃくちゃです。矛盾だらけ、一般論的にはね。右も否定、左も否定。市場経済もだめ、共産主義もだめ。弱者を助けよ、しかし甘やかしはいけない。結局「ワシが一番偉いのだ!」って感じ。だから非常に面白いし、それでいいと思うんです。唯一の真理なんてない。あるのは論理的なものではなくて、その人固有の感覚と信念じゃないでしょうか。唯一の真理なんてものを求めるからケンカになるんでしょう。
 この前も「天才は全てお見通し」ということを書きましたが、そういうことなんです。天才がホントのことを語ると、どうしても凡人の、それこそせせこましい論理からは大きく外れる結果になる。だから、それがとんでもない矛盾に見えることもある。そこに真顔で食いつく犬のようなレベルの人もいるし、自分の目の前にあるちょっとした瑕疵を指摘して悦に入る小人もいる。
 日本の虫や葉っぱには品格がある、欧米にはろくな虫も葉っぱもない…ホントめちゃくちゃですけれど、感覚としてそれは正しいと思います。それが誇りというものでしょう。
 そういうめちゃくゃな混在の美意識こそが、たしかに日本人の特徴であります。だからいい国なんですよ。単なる正誤や勝ち負けみたいなものでは割り切れないのがこの世であるはずです。変化するのが当たり前ですし。それを無理やりなんとか論理で片づけて普遍化・不変化しようとしたのが西洋なんでしょう。私固有の感覚と信念で言うところの「モノ」と「コト」ですよ。藤原さんも語ってましたが、日本は「もののあはれ」なんです。
 「この国のけじめ」のところに列挙しました天才たちの語り。私はそういったモノを大いに笑いながら、しかしそこに真理を見出していきたいと思っています。そんなことを再確認させられた講演会でありました。藤原さんGJ!!
 ああそうそう、やっぱり講演の出だしはですねえ、著書と同様、武士道を標榜する藤原さんが奥さんに蹂躙されてました(笑)。ホント愛すべき天才ですね。

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2006.06.14

『海ナシ戦隊 ヤマナシマン』

2006061100000014maipsociview000 左の画像を勇気をもってクリックしてみてください。ゆるキャラとか脱力系とか、そういうレベルではありません。哀しささえ漂います。
 以前、勝沼かどこかでストラップを見た時は、けっこう面白いと思いました。「海ナシ戦隊」「山梨をこよなく愛するニューヒーロー 誕生!ウィラブヤマナシマン」「NO SEA」…こういったコピーにも思わずニヤッとしてしまいました。
 この戦隊、3人組なんですが、それぞれに付された解説文も微妙に意味不明でした。

 『フジサンブルー』ヤマナシマンリーダー。常に方位磁石を身に付ける。富士山をこよなく愛しているため昨年河口湖に引っ越した。
 『ピンクピーチ』少し内股気味のピンク好き。桃は少し固い方がおいしい定説を広めている。
 『ブドウパープル』ヤマナシマン1の実力者。種無しになったことにより食べやすくなって良かったと近所の人に好評。

 おいおい、リーダーはご近所さんかい。内股気味のピンク好きって…。種無しで好評って、彼自身が種無しになったってこと?それで近所の人が食べやすいって…まあ、あんまり深く考えないことにしよう。
 ところで「ピーチピンク」じゃなくて「ピンクピーチ」だというのは、同族ご当地系「フクシマン」に「ピーチピンク」が既存だからでしょう。たぶん(笑)。
 で、ストラップくらいにしとけばよかったのにねえ。来年の大河ドラマが山梨を舞台にした「風林火山」になるからか、どうもご当地の商工会のみなさん、異様に気合いが入ってるんですよね。いかにも甲州商人、稼げる時に稼ごう!たくさん金を落としていってもらおう!って感じ。さすが観光立国山梨です。だからって、この実写版ヤマナシマンはいただけないでしょう(笑)。
 「フジサンブルー」だけ妙にデカイなあ。まあフジサンだからね。「ブドウ」…こいつ種無しか。「桃」…やっぱり女の人が入ってるのかなあ。このキャラを開発した地元の会社の社員さんが入ってると聞きましたが。てことは若手女性社員か。まさか4月入社の新人じゃないよなあ。初仕事とか。そうだとしたら哀しすぎる、いや楽しすぎる。
 どうも彼ら、こよなく愛する山梨を宣伝すべく、県外にも出陣するらしい。どうせならこの格好で電車とかに乗って行ってほしいっす。あっ、あとどうせなら合体とかどうでしょう…ああ、もうわけわからん。viva山梨!vivaヤマナシマン!

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