『にっぽん昆虫記』追悼…今村昌平監督

巨匠今村昌平監督が逝去されました。ちょうど今日、監督が企画した「ゆきゆきて神軍」を、教材としてどう料理しようかと考えていたところへ訃報が。本当にびっくりしました。昨日の岡田眞澄さんにも驚きました…。なんか、こうして時代が変わっていくんだなあ、と。
追悼の意も込めて、帰宅後私の最も好きな今村作品「にっぽん昆虫記」をカミさんと観ました。やはり、すごい作品でした。私は10年ぶりくらい、カミさんは初めて観たわけですが、たぶん対照的であり、かつ同じ感想を持ったのではないでしょうか。ぐるっと回って最後には同じ逢着点へ、ということです。
この作品は、東北の寒村で生まれた「女」という「昆虫」の観察記と言えます。戦争を通じて東京に出た「昆虫」はたくさんの「男(オス)」のエキスを吸ってたくましく生きていきます。たくましく、というのは少し違うかもしれない。「おしん」じゃありませんから。もっと本能的なんですね。メスは子孫を残すため、そしてそのために命をつなぐため、そして子どもを生かすために、ほとんど本能的に優れたオスを求めて、その時々を生きていくわけです。
私は東京で育った男です。カミさんは東北の寒村で育った女です。いろいろなコントラストが描かれる中で、二人の観衆の思いはぐるぐる回ります。で、気づくとそのぐるぐるは結局輪廻になっていく。因果になっていく。まさに二重らせんを描きながら、時々交差しそうになったり、また離れていったり。しかし、根本的には同じ営みになってしまっているんですね。同じ風景を見ている。だから逢着点は一緒だと言ったのです。
結局のところ、そこにある風景はファクトとフィクションであるような気もします。山村はファクトであり、都会はフィクションである。山では「モノ」が息づき、都市では「コト」の大量生産が行われている。そんな中で、いきもの、昆虫としての人間の営みは変わらない。それを「たくましさ」と言っていいのか。たぶん違うでしょうね。それこそ小さな昆虫でさえ、ファクトの中でも、フィクションの中でも、当たり前に生きています。それが命の本質であり、いきものの本質なのでしょう。
こんな真実を、こういう手法で描いた今村監督は、やはり天才でした。ただ、今こうして観てみると、今村作品を逆説的に産んだと言える、黒澤、小津、木下らの存在の大きさをあらためて感じずにはいられません。そして、彼らが描いたものは、これまた結局同じであったのかと。あらためて、全ての天才たちのご冥福をお祈りしたいと思います。そして感謝。
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