『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー (扶桑社)
連休中、実家にあったのを見つけて読んでみました。とってもいいとみんなが言うので。
以前「増量・誰も知らない名言」を紹介した時に、いろいろな天才について書きました。リリーさんも天才の一人です。
で、この本の印象は、天才が意外に普通の本を書いちゃったな、でした。物語としては、内容も方法も全く斬新ではなく、どちらかというと伝統的なのでした。完全なる私小説…いやいや、ほとんど小説の形態というよりも長編エッセイですね。いや、自分史かな。いわゆる小説の系譜上にあるとは言えませんし、新しい小説のあり方を提示したとも言えませんけれども、一方で、非常に古典的なテーマや文体を感じさせました。
たしかに心にしみるものはあった。おそらくその感慨は、私とリリーさんがほとんど同年齢だということに起因しているのでしょう。内容的に共感できるものが多かったのです。時代性です。一方で、男なら誰しもが経験するであろう普遍的な「若気の至り」も満載。私は存分に楽しめましたけれど、どうなんでしょうね、女性や他年代の方々の印象は。もちろん、基本的テーマが「母の死」という、それこそあまりに古典的・普遍的なものですから、そこに充分涙腺を刺激されるんでしょう。母は死すとも文学の基本は死なず。
あとですねえ、こんな意味でも古典性を強く感じましたね。そう、読み進むうちに「あっ、これは歌物語だな」と思ったんです。また変な感想言ってらあ、わけわかんね…って言わないで下さい。いたってまじめです。
歌物語とは、たとえば伊勢物語みたいな、要所要所に歌、すなわち和歌がちりばめられている物語です。その歌が実は物語の骨格をなしている。歌に全てが向かっていく、というか、他の言葉はその歌に支えられているんですね。そういう「語り」があったわけです。で、今回、リリーさんの文章を読んでいて、逆にそうした古典的な歌物語の本質がわかったような気がしたんですよ。
歌物語は、結果として先ほど書いたように歌が全体を支えているように見えるんですが、実際の語られ方は、実はもっと動的なのではないか、構築されたものというよりは、リアルに変化しているのではないか、そんなふうに思ったんです。
つまり、歌が初めにありき、ではなくて、語りの流れの中で、感極まって言葉の羅列から自然と「歌」が生まれる。リズムを奏で、より象徴的になり、より修辞的になる。それが、テクニックではなく自然発生的に生じるんです。リリーさんの文章って、そういうところがあるんですよ。肝腎なところで、ここぞとばかりに詩的になる。書き出しなんかもそうですね。かと思うと、実にフツーの文章が延々と続いたりして。最初はそこに違和感を感じたんですけれど、読み進むうちに、ああこれは歌物語だ!と気づいたんです。
単なるテクニックで美文を紡ぐ作家は、昔も今もたくさんいます。しかし、ほとんど自然発生的に、感情の高ぶりや脳の活性化に伴って、文が歌い出すというのは、実はあんまりないような気がするんですよ。リリーさんの文章は、さりげないながらも、そんな感じで貫かれていました。
このあたりのことが、やはり、彼が単なる職業作家ではなく、絵画や音楽に長けたアーティストであることを物語っているのかもしれません。残念ながら全く泣けなかったのですが、歌物語の心地よさを味わわせてくれたことには正直大感謝です。
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