« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006.05.31

『もやしもん』 石川雅之 (イブニングKC 講談社)

406352106001_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ 東京農大の醸造科学科に通っている教え子が貸してくれました。前々から農大の醸造に興味あったんですよ。生徒にもよくすすめていました。他にないマニアックな学科なので、就職もよさそうだし、古典的でありながら最先端でもある。だいいち私、納豆とかヨーグルトとか、お酒とかお酒とかお酒とか大好きですしね。
 その農大の醸造を舞台としたマンガです。だから当然面白かった。勉強になりました。全編に「菌」がうようよ。実に楽しいことになっています。そしてカワイイ。菌萌え〜ですね。
 「菌」が見える男、という絶妙の設定がうまいんです。見える男の視点に立つことによってマンガと成立するわけです。いや、考えてみるとそうじゃないか。主人公の視点からではなく、実は読者の視点からも菌が見えているんだな。
 「菌」は本当は見えないけれども、しかしたしかに見えるような気もする。これはおそらく万人に共通した感覚でしょう。納豆を見れば、そこに大量の元気な納豆菌を連想し、誰かが咳をしていれば、口から掃射されるいかにもイヤ〜な顔をした悪玉菌を連想する。水虫とかも。私なんかウンコ見ても、まずは菌を介してそれを擬人化しちゃいますもん。ジャーって流す時ちゃんとサヨナラって言いますから(笑)。
 そういうのってありますよね。そうした隠れた共通感覚を発掘することこそ、マンガ家やその他の作家さんの仕事ですよね。そうそう蟲師なんかも似た感じかも。
 で、マンガ家石川さん描く「菌」たちがカワイイんですよ。いやなヤツとかもいるんですけど、みんなカワイイ。そしてお互いがせめぎ合い、協力し合い、たとえばおいしいお酒を醸したりする。人間は実はそれに翻弄されたり、それから思わぬ恩恵を受けたりするだけ。そう、実は人間なんて、科学したり哲学したりして偉そうなこと言ったりやったりしてるけど、実は小さな小さな菌にさえかなわない存在なんですよ。
 けっこう私は子どもの時からそういうことに気づいていた方だと思います。だから、今でも表皮常在菌とはとっても仲良くしているつもりです。潔癖症や過剰な清潔志向、なんでも除菌は万病の元ですよ。ちょっと臭う、いや匂うくらいがちょうどいいってもんです(笑)。
 というわけで、このマンガはいいですなあ。もう一度大学に行っていいと言われたら、やっぱり農大の醸造でしょう。ホントそれは前々から言ってたことなんです。でもそれは実現できそうにないから、教え子を送り込むんですよ。頼むぞ教え子よ。いろいろ勉強していろいろ教えてくれよ。

Amazon もやしもん 1 もやしもん 2 もやしもん 3

農大 醸造科学科

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.30

『にっぽん昆虫記』追悼…今村昌平監督

4988102006938B0002b5ak209_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ 巨匠今村昌平監督が逝去されました。ちょうど今日、監督が企画した「ゆきゆきて神軍」を、教材としてどう料理しようかと考えていたところへ訃報が。本当にびっくりしました。昨日の岡田眞澄さんにも驚きました…。なんか、こうして時代が変わっていくんだなあ、と。
 追悼の意も込めて、帰宅後私の最も好きな今村作品「にっぽん昆虫記」をカミさんと観ました。やはり、すごい作品でした。私は10年ぶりくらい、カミさんは初めて観たわけですが、たぶん対照的であり、かつ同じ感想を持ったのではないでしょうか。ぐるっと回って最後には同じ逢着点へ、ということです。
 この作品は、東北の寒村で生まれた「女」という「昆虫」の観察記と言えます。戦争を通じて東京に出た「昆虫」はたくさんの「男(オス)」のエキスを吸ってたくましく生きていきます。たくましく、というのは少し違うかもしれない。「おしん」じゃありませんから。もっと本能的なんですね。メスは子孫を残すため、そしてそのために命をつなぐため、そして子どもを生かすために、ほとんど本能的に優れたオスを求めて、その時々を生きていくわけです。
 私は東京で育った男です。カミさんは東北の寒村で育った女です。いろいろなコントラストが描かれる中で、二人の観衆の思いはぐるぐる回ります。で、気づくとそのぐるぐるは結局輪廻になっていく。因果になっていく。まさに二重らせんを描きながら、時々交差しそうになったり、また離れていったり。しかし、根本的には同じ営みになってしまっているんですね。同じ風景を見ている。だから逢着点は一緒だと言ったのです。
 結局のところ、そこにある風景はファクトとフィクションであるような気もします。山村はファクトであり、都会はフィクションである。山では「モノ」が息づき、都市では「コト」の大量生産が行われている。そんな中で、いきもの、昆虫としての人間の営みは変わらない。それを「たくましさ」と言っていいのか。たぶん違うでしょうね。それこそ小さな昆虫でさえ、ファクトの中でも、フィクションの中でも、当たり前に生きています。それが命の本質であり、いきものの本質なのでしょう。
 こんな真実を、こういう手法で描いた今村監督は、やはり天才でした。ただ、今こうして観てみると、今村作品を逆説的に産んだと言える、黒澤、小津、木下らの存在の大きさをあらためて感じずにはいられません。そして、彼らが描いたものは、これまた結局同じであったのかと。あらためて、全ての天才たちのご冥福をお祈りしたいと思います。そして感謝。

Amazon にっぽん昆虫記

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.05.29

20Q (バンダイ)

B000b875wm01_ou09_pe20_scmzzzzzzz_ 生徒が持っていたので取りあげて遊んでみました。これは面白いですね。何か一つのものを頭に思い浮かべて、小さなマシンの出す20の質問に正直に答えていくと、最後にそのものの名前を当てられちゃう。人工知能と言えば言えるかな。
 20の質問は「ソレハイキモノデスカ」というような実にシンプルなもの。それに対して「はい」「いいえ」「ときどき」「わからない」のボタンの中から一つを押して答えていきます。基本的に20でズバリ当ててしまう。20ではずれるとあと5問延長。それでもわからない時は「コウサン」するようです。ちなみに私は「酒」を思い浮かべてやったんですけど、20Qに「コウサン」されちゃいました。もう少し具体的にしなくちゃいけなかったみたい。
 そう、このおもちゃの面白さは、ただ当たるとか当たらないとかではなく、こちらに微妙な感情が生じる点だと思うんです。私は当ててほしくて正直にやったのに、コウサンされちゃったのでガッカリしました。なんとなく20Qと心が通わなかったような気がして。オレの気持ち分かってくれないんだ…オレのこと嫌いなの?…二人の距離はまだ遠いんだね…って(笑)。一方で、当てられないように難しいことを考えて、しかし結局当てられちゃった、という場合もあるでしょう。もちろんこちらの思い通りになって喜び、小さなおもちゃと心の交流をする、ということもかなりの確率であるわけです。正答率は60%以上とか聞きました。
 つまり、これは人間関係の疑似体験なんですね。自分の心を知ってほしい、知られたくない。そして、思い通りになった時の「萌え=をかし」と、思い通りにならなかった時の「もののあはれ」を、だいたい半々の確率で体験できる。それもクイズみたいに単に当たった外れたではなく、いろいろな「モノ(不随意性)」と「コト(随意性)」の組み合わせを楽しめる。そういうおもちゃだと思います。だいたい古今東西のゲームというものは、その両者のバランスがうまい具合に取れてるものなんですね。スポーツもそう。そのバランスのためにルールを作っているわけですから。
 それにしても、たった千いくらか出せば買えるこのおもちゃの中身、いったいどうなってるんでしょうね。なんでも、日本人の思考パターンや最新のグッズの名前なんかもリサーチして反映させているとか。すごいですね。あと、途中で20Qが悩んだり、「ソウキタカ!」とかツッコミを入れてきたり、なかなか芸が細かい。よく出来てます。

持ち主の生徒の記事…ある言葉を当てられちゃう過程が書いてあって面白いですよ。

Amazon 20Q

不二草紙に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006.05.28

祝!環八全線開通…事故の思い出

Relay 私が車にひかれた環状八号線が全線開通しました。やっとですね。半世紀かかったんですか。たしかに私がひかれた30年前は、そこら中ブツ切れでしたね。いきなり道の正面に家が建ってたりしました。
 私がひかれたのは、環八と中原街道の交差する「田園調布警察署前交差点」です。小学校5年生の時ですかねえ、図書館からの帰り、田園調布警察署の真ん前の横断歩道を自転車で渡っていたところ、環八から右折して中原街道に進入してきた車(たしかライトバン)に突っ込まれました。
 つまり、あのでっかい警察署(写真…これは新しい建物かな)の真ん前でボン!だったんです。ひかれて2秒で警官が出動しました。また、環八を挟んで警察署の反対側にある東調布消防署(現田園調布消防署)から、ひかれて10秒で救急車が出動し、17秒くらいで到着しました(笑)。
 私は7メートルくらいふっとんだんですが、まあ衝突したのが自転車の前輪だったし、急ブレーキで止まる寸前でしたから、ほとんどケガはありませんでした。ちょっと頭を打ちまして脳しんとうを起こしましたが、すぐ起き上がって自分で救急車に乗りました。自転車はグチャグチャになっちゃいましたけどね。
 というような特別の思い出のある環八が全線開通するとあって、その感慨たるや格別なものがありまする。ちょっと間違えば死んでたかもしれませんからね。いくら警察署と消防署に近くても当たり所が悪ければダメですから。
 数カ月前に事故現場を車で通過してみました。なんとなくあの頃の自分が横断歩道を渡ってくるような感じがして、ちょっとドキドキしてしまいました。あの時、歩行者用信号は点滅してたんですよね。それに私は自転車に乗りながらヨーヨーしてたんですよ。犬の散歩とかやってたんです。車に乗る立場になってみると、とんでもない迷惑な子どもでしたね。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.27

歌謡曲バンド(よなぬきバンド)デビュー!

Yonanuki 大成功でした!我らが歌謡曲バンドのお祭りでのデビューライヴ。大いに楽しんでいただけたようです。笑いをとれれば大成功ですからね!
 やってる方も実に楽しかった。ほとんど当日初合わせでしたが、それなりにまとまったのは、メンバーのアンサンブル経験とライヴ経験の豊かさによるものでしょう。そして、みんな適度に間違ったり、音がヘロヘロになったりして、そこが実に面白かったと思います。お祭りライヴの良さですね。お稲荷さんの神徳により、観客の皆さんが寛容になるんですね。
 いやあ、天候は最悪だったんです。雨はショボショボ降り続くし、なにしろ寒い!10度切ってたんじゃないかなあ。でも、そんな悪環境の中だからこそ、自分たちが熱く燃えたんでしょう。ホント久々に充実感味わっちゃいました。
 メンバーの皆さん、そして雨の中お聴き下さったお客様方、本当にありがとうございました!
 誰も聴きたくないでしょうけれど、ここにmp3を置いときますので、ご自由にお聴きになり、大笑いしてください。ビデオで見るとさらに面白いのでしょうね。でも、まあここは音だけということで。ビデオからの抽出ですので、音はよくありません(解像度低くて助かった?)が、とりあえず昭和の美しいメロディー(と、それぞれの奏者が大切なところでコケるの)を楽しんでいただけたら幸いです、ハイ。

1.コーヒールンバ

2.真赤な太陽

3.Sweet Memories

4.あの日に帰りたい

5.異邦人

6.帰ってこいよ

 ps MISOの諸君、いつも素晴らしい演奏ありがとう。また感動させてもらいましたよ。一緒に出来ておじさんたちは嬉しいっす(涙)。

(セカンド・ライヴはこちら

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.26

『生きるのが楽しくなる15の習慣』 日野原重明 (講談社文庫)

406256945001_bo01224223220_pisitbdparrow 今日は接心の日です。禅宗系の我が学校では、このようなマニアックな行事があるのです。臨済宗の修行のまね事をするわけでして、食事も質素であります。飽食の時代に生まれ育つ生徒たちにとっては、それだけでもきついでしょうね。朝なんかお粥にごま塩、あとは梅干しだけですからね。
 でも、私にとっては違う意味できつい。そう、1日1食生活そろそろ丸2年になる私にとっては、お粥とはいえ、朝ご飯を食べなければならないことに変わりありません。私は毎日夕食しかとらないからです。
 そう言えば昨日、今年の血液検査の結果が返ってきました。数値的には昨年とほとんど変わりませんでした。善玉コレステロールが20%増えたくらいですかね。素晴らしいです。さらに健康になってしまいました。風邪もほとんどひかなくなりましたしね。もちろん花粉症も消滅。
 こんな感じの食生活をしている人として、この方は有名です。日野原重明先生ですね。今年95歳ですか。すごいですねえ。先生の健康の秘訣は、もちろんその食生活にもありますけれど、もしかするとそれ以上に心の状態にあるのかもしれませんね。心の健康がすなわち体の健康。
 そんな日野原先生の健康な心身の秘訣が、余すところなく披露されているのがこの本です。なんとなくお年寄りが読む本のように思われるかもしれませんが、とんでもない。ある意味若い人たち、あるいは私のような働き盛りの大人が読むべき本かもしれません。どれだけ私たちが不自然な心身の状態に置かれているかが分かりますよ。
 日野原先生は敬虔なクリスチャンとしても知られていますが、この本を読むと、なんとなく日野原教の聖書を読んでいるような気持ちになりますよ。人生の智恵を教えてくれるのはもちろん、読むだけで心が穏やかになり救われるような気がします。こんなふうに生きたい。年輪を重ねたい。誰もがそう思うでしょう。

Amazon 生きるのが楽しくなる15の習慣

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.25

『Bachology(バッハ・イノヴェイション)』

F8_2jpg これはなかなかの名盤です。でももう手に入らないのかなあ。実際持ってる人、何人くらいいるんだろう。私が持ってるのは国内盤です。私もいつどこで買ったのか、全然覚えていないんですが、結構好きでよく聴いていました。簡単に言えば、若手ミュージシャンによるジャズ・バッハというところでしょうか。バッハは相変わらずどうなってもバッハなんですけれど、当時のジャズの雰囲気がよく伝わってきて興味深い。まあクラブ・ジャズとかアシッド・ジャズとかの流れでしょうかね。よくわかりませんが。とにかくオシャレです。曲目と演奏家は次のとおり。
1 Blow (based on the Solo cello Suite #1)Adrian Zolotuhin
2 Sidelines (based on 'Sheep May Safely Graze') McSween (Mick Bass & Tracey McSween)
3 B-Bopper (based on Suite #2 In B-Minor - 'Badinerie VII')Ellegua
4 Bachone (based on Air on a G String) Mrs Wood & Mr McGee
5 Brazilian Reverie (based on Bachianas Brasilieras #5 by Villa-Lobos)Rowland Sutherland
6 Suburban Picture (based on 'Sleepers Awake' Wachet Auf)The Sound Barrier
7 Sebastian (based on 'Jesu Joy of Man's Desiring')Trio South
8 Cubano Dip (based on Prelude #2 'Well Tempered Clavier') Mark Donlon
9 Toccata Salata (based on Toccata & Fugue In D Minor) Glamorre & Kaczor
10 Poeme (based on Aria from the B Minor Mass) Ed Jones
11 Sexto Sentido (based on Prelude #6) Sentido
12 Cartwheel (based on Flute Sonata in C) Maxston G. Beesley Jnr
13 Thirteen Things To Do (based on Prelude #1, Ave Maria) Virna Lindt
 なんかよく知らん人たちばかりだなあ。イギリスで制作されたものですから、基本的にヨーロッパのミュージシャンなんでしょう…なんて思って眺めていたら、ありゃりゃ〜、知ってる名前があったじゃないですか。今気づいた!
 トットちゃんです(失礼)。トット・テイラーさんですよ。なんだ、プロデュースは、あのトットちゃんじゃないですか。なんで今まで知らなかったんだ。
 トットちゃんと言えば、イギリスポップス界のくせ者ですよね。80年代ニューウェイヴの旗手的存在でしょうか。実にポップでオシャレなんですけど、かなりひねりがきいている。そんな不思議ちゃん加減が魅力でした。日本人にもコアなファンが多いですよね。ピチカート・ファイブの小西さんなんかも、神として崇めてました。よくわかりますよね。
 日本では、その他にもテレビや映画の音楽を担当したり、なぜか吉川晃司さんのアルバムをプロデュースしたりしてました。本国ではマリ・ウィルソンやヴァーナ・リントらを育てましたね。最近音沙汰ないんですが、どうしてるんでしょう。
 こうして、トットの顔をイメージしながら聴き直してみますと、なるほどと思えますね。このオシャレさにはバッハも苦笑しているでしょう。おいおい、オレってそんなにオシャレ?ん?オレって吉川晃司レベルってこと?
 ところで、ちょっと面白いと思ったのは、これはダンス・ミュージックだということです。バッハの楽曲はほとんど全てが当時のダンス・ミュージックであったわけでして、それがこういう形になって、そしてクラブで踊られるわけですよね。不思議なことです。ぷっ…今、変なこと想像しちゃった。バッハがあの格好で変な踊り踊ってるんですよ。クラブで。しかめっ面でね。で、周りの若者たちは大盛り上がり…。

Amazon バッハ・イノヴェイション

tottaylor.com

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.24

ウェザー・リポート 『モントルー・ジャズ・フェスティバル 1976』

WHETHER REPORT/MONTREUX JAZZ FESTIVAL 1976.7.8
Wr1976 「これって萌えだよね」
 この前、萌え業界にも精通している教え子と飲んだ時、こんな会話をしました。その時私たちは、パット・メセニーのライヴ映像を見ていました。パット・メセニーの弾きっぷり、右手も左手も表情も、全てが「萌え」でした。やっぱり「萌え」の領域は広い。いわゆる商業的な萌えばかりクローズアップされるけれど、やっぱり違うよなあ。
 で、その彼は、なかなかの音楽通でもあって、ジャズのレア映像をた〜くさん持っているのでした。それを酒のつまみに飲むわ飲むわ。飲みすぎました。
 帰りにそのうちの何枚かを借りてきたようです(記憶がありません)。それらを少しずつ拝見しているわけですが、今日はこれを鑑賞しました。もう、ホントに萌える男ですよ、私。いとをかし。超最高!って感じですかね。
 男心がくすぐられるなあ。なんですか、これ。カッコよすぎませんか?うますぎませんか?人間って、いや、男ってすごいですねえ。惚れた!!
 というわけで冷静に。これは、知る人ぞ知る映像ですね。かのWRが76年7月8日に行ったライヴです。演奏曲目はこうなっております。同年発表された「ブラック・マーケット」から4曲ですかね。
1.ELEGANT PEOPLE
2.SCARELET WOMAN
3.BARBARY COAST
4.PORTRAIT OF TRACY
5.CANNONBOLL
6.BLACK MARKET
(インプロヴィゼーション)
7.BADIA
 当時テレビで放送されたものを、どなたかが録画されていたんでしょうか。それとも放送用のマスターなんでしょうか、よくわかりませんが、当時のものとしてはかなりの高画質ですね。そして高音質。いや、画質とか音質なんて関係ないですよ。なんと言っても超ハイレベルなパフォーマンスです!!
 ジャコパス若いですねえ。ほとんどデビュー当時ですよねえ。なんですか、このプレイは。違反です。あり得ません。ライヴということで、全体にレコーディングよりも、リズム隊が立ってますねえ。それが実に萌える。静かに、しかし熱く共振します。
 もちろん、ザヴィヌルの物腰や、ショーターの視線なんかにも萌え〜です。うむ、久々に萌えた。やはりあらためましてトンデモないバンドでしたね。今聴いても、今観ても、全く新しい。ビンビン来ます。
 もう今日は理屈・蘊蓄抜きです。生きてて良かったって感じです。これが萌えの本質でしょう。うん、人間って、男ってすごいわ。

このあたりで買えるとのウワサ

Amazon ブラック・マーケット

 なお、我々のライヴ(笑)は今週の土曜日です。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.23

パンダ再び受難…天災か人災か?

Vol87 富士山が噴火しました。で、噴石が飛んできて、それを踏んだウチのパンダちゃんがパンクしました。
 というのはもちろんウソでして、写真はインドネシアのムラピ山です。有名なコニーデですね。富士山もいずれこうなるのでしょう。対岸の火事ではない。
 パンダがパンクしたのは本当です。カミさんいわく、道に溶岩が突然転がってきて、それを踏んだと。なるほど…。しかし、なんで踏むかなあ。金網突撃の次は溶岩かあ。
 パンク修理剤で応急手当をほどこしましたが、なにしろ相手が溶岩でしたので、予想以上に裂傷がひどく、すぐに空しくペッシャンコ。これは修繕不可能と判断して、仕方なくピレリーのP6000をネットで緊急購入しました。
 これは天災でしょうか、人災でしょうか。なにしろここは富士山ですから、そりゃ溶岩も転がっています。というか、地盤自体が溶岩ですからね。まあ、天災ということにしておきましょう。私自身を納得させるためにも、これは噴石が飛んできたということにしましょう。金網は降ってこないけど、石は降ってわいて、突然そこにあるということもありうる。 
 降ってわくで思い出しましたけど、株価が下がったらしいですね。そしてその原因がトンデモな「彗星が降って津波がわく説」だというからビックリ。ノストラダムスとか聖書とか言ってる時点でトンデモの芳香が漂う。しかしそのトンデモに左右される経済の世界って…。ホントに人間は「集団気分」が好きですね。悲観的になって盛り上がる(盛り下がる?)。
 おそらく人間は一人じゃ生きられないからでしょう。そういう疑似的な危機的状況を作ることによって、互助意識を高めて安心する。人に助けられて、一方で人を助ける、ということを妄想の危機(実際は安全)の中でシミュレーションするんでしょう。みんな一緒。同じこと考えてる。自分は一人じゃない。
0321xx_1 おっと、こちちはヴァーチャルじゃなかった。ホントにパンクしてたんで、そんな美しい互助意識はわきません!車が1台使えないという現実的危機の中で、私たちは犬も食わぬケンカをしているのでした。
「なんで踏むんだ!」
「だって突然転がってきたんだもん!」
「よければいいじゃないか!」
「だって突然転がってきたんだもん!」

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.22

『私はどうして私なのか』 大庭健 (講談社現代新書)

406149651409_pe00_ou09_scmzzzzzzz_ 「哲学」…全ての学問の基礎なのにもかかわらず、どういうわけか日本では誰も教えてくれません。大学で専攻でもしないかぎり、学問としての哲学に触れる機会は、ほとんどの人にとって皆無でしょう。
 哲学の歴史に触れることはできます。高校の「倫理」の教科書ですね。私も高校時代読みました。テストも受けました。しかし、何も哲学できませんでした。わけわからない言葉と人名のペアリングという印象しかない。で、最近になってこんなマンガを読んだりしてみたんですが、やっぱりよく分からんのですね。
 当たり前ですけど、哲学って、自分で考えるものなんです。人の考えたことなんて、上からなぞっても実感できっこない。ものすごく頭がいい人でないと、それは無理ってものです。実際哲学科がある大学って偏差値超高い。
 それでは、どうすれば哲学できるかというと、まあ結局自分の仕事や趣味や、その他の生活一般の中で無意識的にするしかないわけですね。歳をとるとちょっとそういう瞬間が増えます。難しい言葉や概念抜きに「人生哲学」は語れるようになるわけです。
 で、自分は最近、このブログでけっこう哲学してるんですよ(笑)。そう、哲学なんて誰のためにもならない。自分のためにもなってないかもしれない。単なる自己満足。いや、どこまでも不満足なのかもしれない。ああそうか、その不満足の連環こそ哲学なのか。なんちゃって。
 で、哲学っぽい自己問答の端緒ってこれじゃないですか?「私はどうして私なのか」。いわゆる自我の目覚めは、この問答から始まるんだと思います。そして全ての哲学は結局ここに収斂する。一見世界のこと、宇宙のことを考えているようですけれど、実は究極のエゴだったりして。それを仕事にしている哲学者ってすごい勇気のある人たちですね。
 そう、それで「私はどうして私なのか」という究極の問いをタイトルにしたこの本を読んでみました。読んで答えが分かったらどうしよう…なんていう不安をいだきながら。
 そうしたらやっぱり分かりませんでした!ああよかった。だって「そうか!」って解せちゃったら、なんか死んじゃいそうな予感がするじゃないですかあ。自分なりの方法(例えば「モノ・コト論」)の意味がなくなっちゃうわけですから。
 この本はどういうアプローチかと言いますと、いわゆる「分析哲学」であります。構造主義やポスト構造主義なんていう最上のオタク的お遊び(失礼!)よりは、多少本腰すえてやってるな、っていうイメージがありました。「現象学」とともに。
 で、この本は、その分析哲学の最も易しい本であると評判なものなんです。難解な学術用語をほとんど使わずに記していると。だから、「そうか!」の可能性もあると予感して戦慄していたんですよ。そしたら、ありゃりゃ、やっぱり全然分からないじゃないですか。ふう、助かった…。
 というわけでして、ほとんど理解できませんでした。よって、内容の紹介はできません。すみません。言ってることは分かる(ところもある)のですが、究極の問いに対する答えは出ませんでした。う〜ん、なんというか、頭悪いってやだなあ、いや、適度に頭悪くてよかったなあ…そんな自己矛盾に実に居心地の悪さを感じるんですよね。悔しいようなホッとするような。
 ぜひ皆さんもこの究極の哲学的問いに挑戦してみて下さい。なんて大きなお世話か。さっき言ったように、みんな毎日を生きながら無意識的に哲学してるわけでして…。さ〜て、私もがんばろう。ちょっとズルして、次は「現象学」の本読んでみます。眠くなりそうだなあ。

Amazon 私はどうして私なのか

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.21

モーツァルト 「ヴァイオリン・ソナタ集」 若松夏美・小島芳子

Mozart: Violin Sonatas Natsumi Wakamatsu(Vn) Yoshiko Kojima(Pf)
B00005jj4101_scmzzzzzzz_ 複雑な気持ちですね。しかし、美しい。今日ナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴きました。
 この録音でフォルテピアノを演奏されている小島芳子さんは、おととしの今日、5月21日の早朝にお亡くなりになってしまいました。本当に辛い、本当に残念なことです。前年の夏、すでに体調がすぐれなかったにもかかわらず、都留音楽祭の講師をお引き受けになり、すばらしいレッスンと演奏で私たちを感動させてくださった。本当に感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。そしてその後、ご本人の遺志をくんで音楽祭に献身的に協力くれていらっしゃる、ご主人福澤宏さんにも敬意を表したいと思います。
 若松夏美さんは、私のバロック・ヴァイオリンの恩師であります。最近はちょっとお会いする機会に恵まれず、年賀状だけのおつきあいになってしまっていますが、ヴァイオリン以外でもいろいろと楽しい思い出がございますね。このところの活躍ぶりは瞠目に値します。まさに演奏家として円熟期を迎えているという感じ。
 さて、このCDは、そんな私の尊敬する、そして大好きな演奏家であるお二人が、まさに絶妙のコンビネーション、心の通ったコミュニケーションを実現した名盤です。
 モーツァルトの同作品は以前にこちらを紹介しました。そこでも書きましたけれど、私にとってモーツァルトはちょっと照れ臭い音楽というか、そうですねえ、究極のお子さま音楽…いや、お子さまじゃ失礼だな、ネオテニー音楽とでもいいますか、そう純粋なままに成熟してしまった稀有な音楽に感じられるんです。
 今日も実はこのCDをかけていたら、騒いでいた娘たちが静かになって、なぜか勉強を始めました。動物にモーツァルトを聞かせると…という話はこちらに書きましたね。得意の毒舌で申しますと、お子ちゃまでも動物でもわかる音楽なんです。
 しかし、これは実は理想的な事態なのかもしれません。人類が発見し発明してきた様々な表現の中で、子どもが、大人が、そして動物までもが、理解し、共鳴し、心地よい気分になるものなど、他にないわけですから。
 で、そういった音楽を、純真ならざるワタクシなどは、それこそ純粋に受けとることができずにいる。聴くのさえ苦手にしているんですから、演奏するなんて到底無理です。適当に弾いちゃうことはありますが、どこか真剣に取り組んでいないんですね。
 どういう演奏をすればいいのかは、漠然ながらわかっているんですよ。つまり、こういうふうに弾けばいいと。それが、このCDにおける女性お二人の演奏なんです。ただただ美しく楽しくアンサンブルすればいい。気の合う友達との会話のように、自然に屈託なくおしゃべりすればいい。そういうことなんだと思います。
 とにかくそういった意味で、この録音は実に美しい。モーツァルトの二つの楽器に対する思い入れは、ほぼ同等と言ってもいいのかもしれません。しかし、この録音を聴くと、やはりこれはピアノが主役だなと感じられます。標題にはヴァイオリン・ソナタと書きましたが、実際にはヴァイオリンの伴奏付きピアノ・ソナタと言ってもいいかもしれない。そういう本質を見事に表現した、実に美しい演奏なんですね。
 その美しさに感動すればするほど、小島さんの死は悔やまれます。また、こうした演奏を通じて心を通わせた若松さんの心痛、そしてもちろん最愛の奥様をなくされた福澤さん、またご親族の方々のお悲しみは、察するにあまりあります。しかし、私としては、ただただ小島さんが残して下さったこれら素晴らしい偉業に感謝し、そして素直に感動するしかありません。あらためまして、ご冥福をお祈り申し上げます。

Amazon Mozart: Violin Sonatas

不二草紙に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006.05.20

『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A~special edition~』(BSi)

06005411 評判だった去年から今年にかけてのカウントダウンライブです。BSiで放送されました。内容はほとんどDVDと同じだったのではないでしょうか。
 相変わらず素晴らしいエンターテインメント、そして総合芸術ですね。もうこれは芸能ではなくて芸術の領域です。
 なんか久々に見た浜崎、とっても大人っぽかった。2曲目が私の大好きな『SURREAL』でしたが、声の印象も今までとだいぶ違い、また表現もどこか冷静でありまして、もうこの時点で目頭が熱くなってしまいました(笑)。
 いつものように、構成や衣装や演出、とにかく全体のプロデュースを浜崎自身が取り仕切っているんでしょうね。ものすごい才能です。
 ニューアルバムも含めて、音楽面ではここのところパッとしませんけれど、そろそろ浜崎あゆみ、音楽というか、アイドルというか、そういうところから飛び出していいころだと思います。本人も充分考えているでしょうけれど、彼女の才能を表現するには、今の音楽界はスケールが小さすぎます。そろそろいい歳ですし(笑)、充分稼いだし、本当にやりたいことやっていいんじゃないでしょうか。私は彼女の文学と芝居に期待します。映画とか撮るのもいいんじゃないかと。
 ところで、今回気になったのは、十字架上で歌う彼女の姿でしたね。ゴスペルとの共演もありましたし、ここのところちょっとキリスト教づいてる。悪いことではありませんけど、なんていうのかな、彼女自身がすでに神的(シャーマン的)存在なので、ああして既存の宗教的演出をすることに矛盾を感じるんですよね。彼女がクリスチャンであってもです。あくまでAYU教でいいと思うんですけどね。
 ついでに、キリスト教のみならず、いろいろな宗教における演出効果というものについて考えてしまいました。吉井和哉さんの時にも感じましたけれど、ライブ空間って限りなく宗教空間に近いですね。それについて書き出すとキリがないので、今日は控えます。ただ、そういう陶酔空間における無批判な観衆に対するカリスマのあるべき態度というものについて、一度考えなければならないですね。もちろんご本人がですよ。
 私にはそんなカリスマ性もありませんが、例えば教室における自分のパフォーマンス…って、生徒は誰も無批判な陶酔なんかに陥ってませんよ(笑)。心配いらないか。ハハハ。それより全国の自己陶酔してる勘違い教師たちをなんとかしないとな(笑)。
 ps ギタリスト野村義男GJ!

Amazon ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A (miss)understood

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.19

珍説?「ありがたきもの」(枕草子)

17ghoo 授業でやりました。珍しいことです。こういう普通の教材使うの。
 まあよく知られた段ですね。たしかに面白い。けれど、一般に言われている解釈やら、学校で教えられている現代語訳だと、ちょっと違和感があるんですよね。私にかかると古典作品も全てギャグになってしまいます。生徒もかわいそうだなあ。
 で、いちおう普通の解釈もしつつ、また真面目に文法の勉強なんかもしつつ(これがまた困ったチャンなんですよね、学校文法ってやつ)、こんな話もしました。あくまでネタとしてですよ(実は本人はいたって本気なんですけど)。
 この「ありがたきもの」、皆さんご存知のように「有難きもの」であり、つまり「めったにないもの」を列挙しているわけですね。それには異論はありません。姑によく思われる嫁とかね。たしかに現代に通じて面白い。上司の悪口言わない部下とか。
 で、実は一番面白いのは最後のところでして、そこは私は「レズ」の話だと思ってるんですよ。宮中のドロドロですよ。「契り」とか「語らふ」とかね。そこんとこもいろいろと書きたいところですが、今日は少し真面目に、その一つ前のところを取り上げます。まずは原文と一般的な口語訳をどうぞ。

 物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、かならずこそ、きたなげになるめれ。
(物語や歌集などを書き写す時に、原本に墨をつけないことはめったにない。よい草子などは、たいそう注意して書くけれど、かならずきたなくなるようだ)

 まあ、こんな感じでしょうかねえ。言いたいことはよくわかります。平安時代にはコピーがありませんからね。最近でも、昭和時代には、レコードを借りてキズつけたり、なんてこともありましたな。それももう古典の話か。
 さて、それでですねえ、問題は「めれ」なんですよ。「めり」っていう助動詞が已然形というやつになってるんです。「こそ…已然形」、係り結びですよ。懐かしい響きでしょう。
 で、もとの「めり」なんですけど、世間では「推量」とか「推定」の意味だとか言われてるんです。「ようだ」「らしい」と訳すべきだって。まずそこに異議ありなんです。細かいことは省略しますが、私の経験によるともっとはっきりしてるんですね。結構確信してる。「…と見た!」って感じのような気がするんです。「見え+あり」で視覚的根拠による断定。私の感覚だと、「けり」とか「なり」とかの「+あり」型の助動詞って、現在の状況判断なんですよ。ま、誰もこんな感覚に賛同してくれないだろうけど。
 それでは枕草子のここの部分はどうなんだということですが、つまりこういうことです。
 清少納言はここで実にセンスの良い遊び心を発揮してるんです。彼女らしいユーモアであり、いたずらです。
 当時はコピーはありません。だからみんな書き写していた。実際枕草子には古今にわたって多くの写本が残っています。例えば上の写真は17世紀江戸時代に写されたもののようです。今も教室では生徒たちがノートに写本していますね(私はやらせませんけど)。
 つまり、この「ありがたきもの」も何度も写されてきたわけです。もちろん引用部分も。で、皆さんも写している立場になって読んでみて下さい。「よ き 草 子 な ど は…」って書いてくわけです。そうすると、最後に「必ずこそきたなげになるめれ」って写すことになるんですよ。で、結論。清少納言の真意は…、
 「すばらしい草子(大人気の枕草子)を写す時は、細心の注意を払うだろうけど、ゼターイ!汚くなると見た!」
であります。
 そう、写している人はここで「ギクッ」です。そこにいないはずの清少納言が後から見てて、「おい、さっき墨飛ばしただろ」ってツッコミ入れるんです。なにしろ、当時は汚さないことは「めったにない」わけですから、みんな「ギクッ」です。
 借りたレコードにちょっと傷つけちゃって、まっ黙ってりゃわかんねえかって思ってたら、いきなり「おい、さっき俺のお気に入りのレコードに傷つけたろ!」っていうセリフが入ってたという感じ。
 「かならずこそ」っていう言い方も特別な感じですし、とにかく「めり」のニュアンスを生かさないと。今、清少納言が見てるんですよ。そこんとこ、いいかげんに訳しちゃいけません(笑)。
 きっと、私の背後で、清少納言が「やっと私の真意が伝わったわ」って喜んでます。
 今日はこんな「めづらしき」説を紹介しました。ちなみに古語では「めづらし」は「愛づらし」、すなわち「すばらしい」っていうことです。ハハハ。

『枕草子』に見る「空気嫁」&「痛杉」(かたはらいたきもの)
『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質に迫る!

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.18

『Stellarium』(プラネタリウムソフト)

Stellarium 先日四半世紀ぶりにプラネタリウムを観たと書きました。ああいうホンモノのプラネタリウムも、なんとなく箱庭(箱空)的であります。本来無限遠に近いものが数メートル先に見えているわけですからね。明らかにスケールダウンしていて、誰もリアルだと思いながら観ているわけではありません。ある意味フィギュアを観賞するような感じです。
 日本人ってそういうの大好きですからね。枕草子にも「なにもなにも小さきものはみなうつくし」とあります。古語の「うつくし」は「カワイイ」そのものです。まあ、女版「萌え」ですね。
 で、究極の縮小化の対象が「星空」です。なにしろ限りなく無限大に近いんで。本当は手が届かないものを手元に招き寄せて置いておきたい、時間的、空間的、その他の条件に左右されず観賞したい、という意味でも、まさに「をかし=萌え」ですよね。
 さて、そんな日本人の願望を見事叶えてくれちゃっているのが、このソフトです。究極の箱空『Stellarium』!!フランスのFabien Chéreauさんを中心に世界中の人たちが改良を重ねています。つまり、オープンソースのソフトなんですね。よってフリー、つまりタダです。ありがたいことです。
 このソフトはすごいですねえ。この前観たホンモノのプラネタリウムより機能的にはずっとすごい。12万個の恒星のデータが登録されており、星座絵やグリッドが描画されるのはもちろん、星雲・星団や惑星に至っては、ズームアップしていくと、ホンモノの天体写真をリアルに見ることができます。ちょっとした宇宙旅行を手軽に楽しめるというわけです。あっ、ちゃんと瞬きも再現できますし、霧なんかも出せます。地上の風景も選べたり、とにかく楽しい。学術的、教育的、実用的である以上に、趣味的なんですね。いや芸術的かも。
 ソースはLinuxですが、MacOSXとWindowsXPに移植されていますから、世界中の誰でも楽しめます。使い方は簡単ですし、別に天文についての知識がなくても、充分遊べますよ。パソコンとにらめっこの仕事に疲れたら、これで心を宇宙に解き放ちましょう(ちなみにパソコン自体にはかなりストレスがかかるようです)。

Stellarium

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.17

『サラリーマンNEO』(NHK)

Kara1 昨夜録画したものを観ました!これはすごい。ウワサには聞いてましたが、ホントにはまりますな。
 なんで今まで観なかったんだろう。いや単に寝てたからです。10時には寝ちゃうんで。
 しっかし、このシュールな時間空間はなんなんでしょう。まさにマイメロに匹敵します。あれはテレビ大阪(テレビ東京)ですからねえ。こちらはNHKです。やっぱりテレ東社長の言うことは正しいのか…。
 とにかくこれは観ていただくしかないんですけれど、そうですねえ、簡単に言えばコント番組なんですね。そうとしか言えない。
 最近お笑い芸人さんたちのコントばかり観ているんで、こうした舞台俳優さんたちのスキのない演技を久々に観ると、もう感動すらしてしまいますね。笑っているのがもったいない。笑っちゃって見逃したり聞き逃したりするのが許せない。
 特に昨日の「会社の王国〜新人歓迎会2次会カラオケボックス編」は最高でした。今日だけで朝から晩まで13回観てしまいました。観れば観るほど面白いコントというのは久々です。
 それにしても、実力派俳優さん達の演技力にはホント頭が下がります。まああの世界ではあれが当たり前なんでしょうけど。そして脚本も演出もお見事。考えてみれば、ああいう舞台、つまりこれでもかこれでもかと瞬間的な笑いを重ねていく舞台ってのも結構普通にあるんですよね。ただ、私が最近劇場に出かけないし、なんだかんだ言ってテレビに毒されてるだけです。
 ふ〜、それにしてもすごいわ。観たことない人にとっては、何言ってんだ?でしょうけれど、あれを文章で表現するのは無理っしょ。観て下さい。NHKすごすぎ。
Kara2 ちなみに、右のシーンでオタクネットワークを形成せんとしている渡辺役の田口浩正さんの踊り。もちろん大爆笑ものでしたが、あれを見て「ファンシイ・ダンス」の「スジャータ」でのカラオケシーンを思い出した私や生徒たちは、かな〜りマニアックですね。
 いやあ、それにしても楽しかったなあ。「仕切り屋」「エセできる上司」「オタクネットワーク」「どこでも人生相談型」「からー三拍子型」「勝手にフォーリンラブ型」…それぞれ面白すぎた。役者ってすごいですね。お笑い芸人さんたちもしっかり勉強しなくちゃね。

『サラリーマンNEO』(NHK) その2

謎のホームページ サラリーマンNEO

Amazon サラリーマンNEO DVD

不二草紙に戻る

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.05.16

レミオロメン 『HORIZON』

B000bk8cxg01_pe00_ou09_scmzzzzzzz_v53972 う〜む。妙な親心が湧いてきてしまった。
 今日はカミさん朝から大変だった。なにしろ、待ちに待ったレミオロメンの3枚目のアルバムが届くのだ。そりゃあそうでしょう。ドキドキわくわくです。
 と思ったら、さあ大変。朝からそれこそ大変なニュースが!藤巻くんに妻子が。前田くんも既婚…。
 別にいいじゃんねえ。息子に彼女がいても全然構わない…と思うのは男心。むしろ興味がわく。しかし、女心がそう単純じゃないのは古今東西統一理論。なぬ〜!ウチの息子に女の影!それも子どもまでいる〜!?うぶな顔して…だまされてたあ!てな具合(なんでしょうか)。
 で、私が帰宅したころには、カミさんすっかり神宮司くんのファンになってました。しまいには「藤巻め〜、前田め〜、まだ神宮司くんをいじめてるのかあ!?」とすごんでました(笑)。
 私はというと、たしかに神宮司くんは米倉涼子に似ていい女だな(?)、と思う程度でして、そんなことよりニューアルバムの内容に正直うるうる…。
 いや、私もすっかり大人になりましたし、もともとレミオに関しては、まさに親心的気持ちで接してきましたので、いわゆるショックとか「レミオロメンは死んだ」とかは言いませんよ。成長の過程だと思ってます。純粋でかわいかった子どもが変に色気づいたり、親の理想から離れていったり…世の常です。
 つまりあまりに商業的になってしまったということです。小林武史の思うがままに操られている…いや、もっと大きな力に流されている。そう感じてしまったファンの人、特に古くからのファンの方は多いでしょう。ストリングスやシンセも前作に比べとってもうるさくなってます。楽曲も外側に向かう突き抜けたものばかり。歌詞には慣れない英語も登場して、一見彼らのアイデンティティーは崩れてしまっています。
 本当にこういうことってよくあることなんですよね。というより、普通のことです。私はいろいろなバンドのことを思い出しました。ビートルズ、ELO、イエモン、アドバンテージ・ルーシー…。自分がよく聴いてきた音楽も、必ずこうした問題にぶちあたり、そしてある種のファンの失望を買ってきました。自分たちの夢が叶って大きくなってしまった結果、要求されるものが自分たちの表現したいものを上回ることというのは、音楽に限らず芸術活動にはつきものの現象です。
 しかし、不思議なもので、その時失望したファンの中に、のちにその変わってしまった対象を愛することができるようになる人たちもたくさんいるのです。私も上記バンドに限って考えても、まさにそういうことが5年越しとか、そういう単位で可能になったんです。
 変わってほしくないものが自分の意志に反して変わってしまう。そこに絶望したり、嫌悪を感じたりする…そうまさに「もののあはれ」なんですね。しかし、それはある意味、自分の変化がその相手の変化に追いついていない、ということなんです。その相手は、変わりたくないとは思っていない。むしろ変わりたい、変わらなければと思っている。それはそうです。こうして日常をトロトロと生きている自分と、何百万枚ものCDが売れて何百万人もの人の心を動かしてしまう彼らとは、あまりにその人生の密度が違うんですから。
 このアルバムを聴く前に、雑誌B-PASSで彼らの心境を読みました。そうとう苦しんでいる。私が簡単にパターン化するのも申し訳ないほど悩んでいる。その苦悩を乗り越えた結果が、そう『HORIZON』だったんです。新たな地平に向けて、今を乗り越えていくっていうことだったんですね。
 で、私たちが何年後かに、今の彼らにようやく追いつくんですよ。私くらいの歳になれば、そういう体験をたくさんしてきているので、今回のアルバムをある程度冷静に受け止めることができますけれど、若い、でも真剣に自分の人生と彼らの歌を重ねてきたファンたちには、ちょっと辛すぎる内容かもしれません。
 しかし、これは決して不幸なことではありません。むしろそうした「もののあはれ」と、それを乗り越えた「諦め」…明らかになるということですよ…の境地をもたらす優れた経験だと思います。私もじっくり彼らの成長ぶりを見守っていきますよ。そんなことを考えながら聴きなおすと、なんだか切なくなっちゃいました。若い彼らが一生懸命戦っている。自分と世界と。
Cvfss71 ところで、最初カミさんはいろいろとショックを受けていましたけど、最後はご満悦でした。初回盤購入者限定で見られる映像に自分が映っていたからです!なんでも印がついたあたりに映ってるとか。ホントかなあ。なんだか心霊写真を見てるみたいなんだけど。ここに映ってるって言われても…。

Amazon HORIZON

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.05.15

モリーユ(アミガサタケ)

Amigasatake ご近所のフランス人シェフさんが「オ〜、モリーユ!」って言ってました。なんでもあちらでは高級食材らしい。ウチの庭にフツーに生えてました。
Cbl モリーユと言えばかっこいいが、日本名は「編笠茸」。ちっともかっこよくない。というか、実際その意匠はかなりグロテスクです。私や娘にしてみると、編笠というよりも単なるチブル星人。足を3本に割いて、目鼻を書きたい衝動にかられましたが、今回は自重しました。
 今までもたぶん生えていたんでしょうが、単なるキモい毒キノコとして処理されていたんでしょう。もったいない。
なんでも、食材としては100gウン千円もするらしい。フランスやアメリカや中国では、トリュフなみに憧れのキノコちゃんだとか。いろいろと調べてみると、日本ではけっこう生えてるらしい。それも都会に突然現れたりするんだそうで、ウチの庭が特別に自然が豊富(放置)だということではないようです。あっ、そう言えば数年前、近所でトリュフも発見されたんだよな。ウチにもあったりして。
 モリーユさんもトリュフ同様人工的な栽培ができないらしく、世界中で一獲千金を狙ってその挑戦者が絶えないんだそうです。と思ったら日本の会社が人工栽培に成功したみたい。100g4000円くらいで売ってました。そんな…ウチなんて栽培するまでもなく生えてるんですけど。これってラッキーなんでしょうかね。
 で、シェフの言う通り、ソテーにして食べてみました。うん、確かに歯触りは良い。香りもなかなかいいような…実はよくわかりません。フランス料理では天日で乾燥させたものを大量に使ってソースを作ったりするそうです。今度はぜひとも我が家で栽培?したモリーユで本格的おフランス料理を作ってもらいましょう。私もチブルの姿焼きにでも挑戦してみるか。

不二草紙に戻る

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006.05.14

『スーパーライブ吉井和哉 -MY FOOLISH HEART-』

Ky122 ご近所万歳!まあ、どこまでをご近所とするかという問題はありますが、ご近所に恵まれるというのはいいもんです。いやあ、昨日の夜あたりから、ご近所さんにいろいろと刺激を受けたんです。
 まずは、ご近所にお住まいのアニメーターの方とお話をする機会を得ました。コナンやケロロの原画をお描きになっている方です(スゴ!)。いろいろと勉強になりましたです、ハイ。
 続いて、ご近所にお住まいの教え子さん。彼はデザイン系の仕事をしており、「もえたん(萌える英単語)」の企画に参加したりしてるツワモノです。久々に会ってかな〜り刺激的な話を聞くことができました。
 というわけで、これらについてはまた後日いろいろ報告いたします。
 で、本日のおススメはこちら。吉井和哉さんのライブ番組です。今も湖をはさんでご近所と言えばご近所。ウチの2階から彼の家が見える…かもしれません。それに(暗くておセンチな)青春時代をほぼ同時期に送ったのが、同じ静岡市。よって、勝手にご近所に認定させていただきます。
 NHKのサタデースーパーライブ、なかなか魅力的なラインナップで好評のようですね。昨日の深夜放送された、この『スーパーライブ吉井和哉 -MY FOOLISH HEART-』も大変充実した内容でした。曲の間に彼の語りの映像が挿入されていまして、それがまた良かった。イエモン時代のビデオにもそういう作りのがありましたけれど、なんていうのかな、吉井さんって、音楽家という以前に語り部的なんですよね。だから、そういう構成が不思議と似合うんですよ。実際のライブはライブでいいんでしょうけれど、こういうふうに音楽と語りとが交互に現れる、歌劇…というよりは、そう歌物語的なのが似合うんです。
 私もよく通った十条銀座や静岡の駿府公園、用宗の海。そういった共通体験、共感できるトポスがあるからかもしれませんが、たしかにおセンチになっちゃいました。彼も相当おセンチですけど、私も負けませんよ(笑)。YOSHII LOVINSONという仮面を自らはぎ取って、人間吉井和哉としてさらなる地平を目指そうとしている姿に、やはり、同じ世代で同じ不安や希望を抱えている「大人」として、不思議と「切なさ」を感じてしまいましたね。そう、以前エッセイ「大切」に彼の詩を引用したのも、結局そういった共感があったからでしょう。切ない男だなあ、吉井和哉。いい男です。男が惚れる男だ。
 さて、ライブ自体の内容ですけれど、かなり重い感じでしたね。ソロになってから、彼の楽曲は当然のように内側に向かっていっています。だからでしょうか、ほとんどが短調の曲。イエモン時代には突き抜けた明るさを持つ曲もあって、それが彼らの魅力の一つでしたが。今回のライブは、その演出やバックバンドの演奏ぶりも含めて、ちょっと重すぎたかもしれません。まあ、あそこに集まっている人たちは、それを求めてやってきたんでしょうが。
 まあ、あれだけ不思議なカリスマ性を持っていると、ほとんど宗教的になりますね。女性の信者さんが多かったように見えました。それもなんとなく納得できますけど、女性には本当の彼の「切なさ」はわからないと思いますよ。男にしかわからない…と思いたい自分もここにいます。
 そして最後に一言。やっぱりイエモン復活してほしい。何年後でもいいですから、私は待ってます。

「39108」の記事へ

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.13

『Xupport 3』(Mac用ユーティリティーソフト)

Xupport3_icon この前職場で使っていた外付けハードディスクが死んだ件について書きました。で、よく調べたら、HD本体ではなくケースの方がいかれてたんです。それでCOREGAの格安ケースを急遽購入してハメ換えたところ、とりあえず直りました。データも無事でした。ふう。
 それからですねえ、ウチのPowerBook Pismo400くんですが、これもちょっと前に書きましたとおり、OSXを走らせるにはちょっと力不足なんです。メモリーも384MBでかなりきつめなんですが、なにしろ10GBのHDがもう満腹でして、仮想メモリーが増えてくると、「ディスクがいっぱいです」って言われちゃうし、だいたいガリガリうるさい上に遅い。これはなんとかして外付けHDから起動したいな、と思っていたんです。
 外付け起動はFireWire接続のみ可ですので、以前買ったロジテックのポータブルHDを利用して挑戦してみました。
 で、起動可能なバックアップをとりたいわけですが、これがなかなかうまく行かない。いろいろなソフトでやってみますが、途中でエラーになったり、完了しても結局起動画面で固まったり。なんでだあ…。と思っていたところに、伏兵が現れてくれました。act2でダウンロード購入が可能な『Xupport 3』です。
 このソフト、2980円ですが、いつのまにかact2のポイントが2000円分たまってましたので、実質980円。というわけで、まあフリーソフトに毛が生えたようなものとも言えますが、使ってみるといろいろと便利な機能がありました。マニュアルもないくらいシンプルなんですけど、中でもバックアップ機能は基本的にワンクリックするだけです。大丈夫なのかなあ、と心配でしたが、ちゃんとバックアップ完了し、そしてフツーに起動しました。
 おかげさまで、早いし静かだし、新しいマシンを買ったような感じです。これならしばらくPismoくんも現役続行できますな。
 この外付けドライブからの起動というやつは、いろいろと便利であったり、安心であったりするのですが、基本的にMacの専売特許でありました。Windowsでは不可能。OSのライセンスの問題でしょうか。でも、昨年アーク情報システムさんからBOOT革命というソフトが発売されて、いちおう可能になったようです。でも、1万円以上するんですね。その点、Macは良心的というか。もう1台のMacを外付けHDとして認識させられるターゲットディスクモードも便利ですしね。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.12

『この国のけじめ』 藤原正彦 (文藝春秋)

416367800x01_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ ついにあの本200万部突破ですか。
 右の人気記事をご覧になりますとお分かりのように、「国家の品格」の記事へのアクセスが異常です。そんなつもりで書いたんじゃないので、ちょっと困るというか恥ずかしいというか。でも、反面ちょい嬉しい。そこを入り口にして、少しでも私のフィールド(ってどこじゃ?)に踏み込んでくれる方がいらっしゃるようでして…。ごめんなさいね、妙な世界に誘って。
 で、「国家の品格」について、なんで皆さんこうしてお調べになるかと言いますと、それは簡単です。みんな読んでるようだけれど、自分はまだ読んでいない、読むべきかチェックしよう、という方、それが半数でしょうか。そしてあとの半数は、読んだけど自分の感想に自信が持てない、あるいは、どういう感想を持っていいかわからない、世間で騒いでるようだけど、自分はどう騒げばいいのだろう、そういう方々でしょう。いずれにしても世間における自分の不安定さ。その気持ちよく分かります。
 私なんかずいぶん早く感想をアップしたほうでしょうね。そんなこともあって、自分としてはけっこうビクビク(ピクピク)です。だって、あの頃はこれほど売れると思っていませんでしたし、自分の記事がこれほど読まれるなんて夢にだに思いませんでしたから。
 実に安っぽい書き方してますね、私。でも、それでいいんですよ。だって、あれを読んだ時、あっこれはユーモアの本だと思ったんですから。だから、ああいう反応の仕方をしようって判断したんです。それは今でも正解だったと思いますよ。
 藤原さんのキャラって、そういう感じでしょう。「国家の品格」…なんとなく、まじめな憂国論のイメージができ上がってしまいましたが、もう書き出しからしてギャグでしょう、ホントは。そういう姿勢だから、ああいうある意味過激なことをストレートに書けるわけですよ。そのへんがどうも誤解されているというか…。あいかわらずムキになってつっかかる人がいるというか…。シャレが分からんというのは本当にシャレになりません。
 そんなわけで、「国家の品格」をお読みになった方には、氏の他の本も読んでいただきたいわけです。今日読んだこの「この国のけじめ」も、かなり笑える好著ですよ。笑えるとは、腹抱えての意味もありますし、ニンマリとの意味も含んでいます。本当に頭がいい人はこういう文章を書きます。自己防衛や照れ隠しではなく、自信を持ってギャグに走ります。鈴木孝夫しかり、養老孟司しかり、赤塚不二夫しかり、北野武しかり、タモリしかり、出口王仁三郎しかり。
 このエッセイ集なんかで笑ってしまうと、「武士道」とか「けじめ」とか「品格」とかいう言葉さえも、すばらしいユーモアに感じられるようになります。だって、あんなふうに奥さんに蹂躙されて(?)かわいらしくしてらっしゃる藤原先生に、誰が武士道やら何やらを認めるんですか。もう最高ですよ。
 「国家の品格」は正しく読まれるべきです。皆さんが読んで受け取ったことは間違っていないと思いますけれど、もう一歩筆者に近づかなければ。同じメッセージでも、それを語る人の顔の表情まで読まなくちゃ。
 なんて、あいかわらず勝手なこと書いてる私ですが、まあそんなふうに思うのは事実であります。今日、古文の授業でも同じようなこと言ったんですよ。古文というとまじめで硬いイメージを持ってしまう。でもそこにユーモアやギャグの視線を持ち込むと、俄然面白くなってくるんですよね。どの有名作品も。古今東西、歴史に名を残す名作には、必ずそういった側面があると信じています。というか、そういう視線をも受け容れて、そうして成長してしまうものこそ、まさに名作・名著であると思うのです。はい。
 ああそうだ、今日は「この国のけじめ」の紹介だった。とにかくこの本、古今東西、硬軟聖俗なんでもござれ…ん?どっかで聞いたことあるな…という感じで、非常に私好みな内容でした。特に教育論は必読。英語教育への疑問なんか、「英語はいらない!?」そのままっていう感じですけど、再び大きくうなずいてしまいました。
 あっ、あと個人的感動。「秋はきのこか紅葉か」というエッセイの中でさりげなく、「もののあはれ」には「時の流れ」が必要、と書いておられます。そのとおりです。いつもの私の論に合致してますね。ちょっと嬉しかった。
 
Amazon この国のけじめ

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.11

『フツーを生きぬく進路術 17歳編』 新しい生き方基準をつくる会 (著), 中西 新太郎(監修) (青木書店)

425020511801_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ この本はいいですねえ。生徒・先生・親必読でしょう。こちらで私の書きっぷりを見事に予言していた(?)中西新太郎先生が監修した本です。執筆は若手の若者研究家の方々のようですね。
 進路ということでは、例の「危ない大学 消える大学」が強烈な印象を残していますけれど、こちらはそちらとはかなり違うことを述べております。当然私はこちらに賛成ですね。
「『いい大学に行ったら、いい就職ができる』と、偏差値で進路や学校を選ぶのは古い時代の考え方です。ほんの一握りの超頭のいい人たちを除いて、いい大学がいい就職に結びつく時代ではないのです。新しい時代の考え方は、ずばり『成績がよくても、そこそこでも、職業に結びつく学校を選ぶ。力をつけることのできる学校を選ぶ』という考え方です」
 第1部進学編では、この考え方をベースにして、大学(理系・文系)、専門学校、短大、職業訓練校、それぞれの実態(これがリアル)、長所と短所などを、実際の学生や職員の言葉も豊富に交えながら紹介しています。あくまでも現代社会における若者の立場に立った記述であり、それもいろいろなタイプの若者を想定していますので、たいへん有用です。日夜現場で彼らに接している私でも、「そうそう」とか「なるほど〜」とか「知らなかった!」という感じですからね。本当によく取材・研究していますし、高校生(17歳)に優しい語り口も素晴らしい。
 第2部仕事編も勉強になりましたね。
「『フリーターより正社員』という仕事選びは古い時代の基準です」「正規であっても、アルバイトであっても、どの仕事がよりマシか、それを見抜いて就職するのが賢い仕事選びの新基準です」「解決するトラブルは解決する!もらえるお金をちゃんともらう!」
 このような考えをもとに、かなり具体的にその方法が述べられています。ある意味この第2部は先生がよく読んだ方がいい。何度も言ってますが、先生は世間のいわゆる仕事を知らなすぎます。もちろん私も含めてです。生まれてこのかたずっと社会に出たことないんですからね。学校しか知らない先生がほとんどです。
 良心的な先生なら、第1部のような姿勢で進学指導することはできるでしょうが、その先の実際の就職についてははっきり言って「わからない」先生も多いんです。まあ、自分も含めて「とりあえず進学決めて卒業させりゃいい」と思ってしまう先生がいるんですね。大学や専門学校にまかせちゃう。おそらくそんなふうに小学校の先生は中学に、中学の先生は高校に…という感じで責任の先送りをしてるんでしょうね。それ以前に親か…。
 とにかくみんな勉強不足だし無責任なんですよ、大人は。生徒の人生を預かっているのにね。子どもも大人を信用して頼る時代ではないのかもしれません。それもなんとなく寂しいことですが、まずは自分で調べたり体験したりするというのは、失敗も含めて大切だったりしますから、まあいい面というのもあるのかなあ…。
 そうそう、タイトルにある「フツー」ですが、これは「勝ち組」でもない「負け組」でもないという意味です。この「フツー」という認識は非常にいいですね。政治家やマスコミや親や先生たちがお馬鹿な二分法でものを言うのはやめてもらいたいんです。おそらく人間の99%以上は「フツー」でしょうから。「勝ち」「負け」ってなんなんですか?それはどんな競技での話であり、また、その勝負はいつ決まるんでしょう。だいたいいつから日本人はそういう闘いを強いられるようになったんですか。そんな馬鹿げた言葉にだまされない生徒を育てたいところですな。

Amazon フツーを生きぬく進路術

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.10

地デジその後

Sany00261 しばらくぶりですね。ウチの地デジ事情について書きます。年末年始に報告いたしましたように、東京の地上デジタル波をキャッチしたはいいけれども、すっかりアナログなことになっていまして、家族からは大変な不評でありました。また、今日など、その記事がネット上ですっかり笑いものになっているようです。いや、笑ってもらうために書いたんでうれしいんですけどね。
 で、今はどうなってるのかというと、あっさり地デジをやめてアナログで東京の電波を拾っております。それで家族も満足。多少のノイズなんて集中して見れば脳内で消えるんですよね。ちなみに地デジをあっさり捨てたのは、テレビ占いの記事を書いた翌日でした。潔いでしょ。大枚はたいて買ったアンテナLS14TMHはそのままぶら下がってます(笑)。
Cfr そして、昨日からですねえ、とうとう富士吉田局が地デジ試験電波を発射しはじめちゃったんです。あ〜あ。
 そう、「あ〜あ」なんですよ〜。富士吉田局はウチから目と鼻の先のところにあります。だから上の写真のように、ちっちゃな室内アンテナでレベル70近くで受信できます。もちろんブースターなんていりません。だから「あ〜あ」なんですね。
 全国的にそういう傾向があるのですが、どうも各地の地デジチャンネル割り当ては策略的なんです。今発射されている山梨放送とテレビ山梨のチャンネルは25と27。これは東京の日本テレビとNHK総合と同じチャンネルです。したがって、もう当地では日テレと総合(東京)は見ることができません。上からつぶされてるんですね。
 これで地元NHKの試験電波が出始めると、フジテレビとテレビ東京が見られなくなります。つまり、東京波で見られる可能性があるのは、教育とTBSとテレビ朝日なんですが、実はこれも無理そうです。今日も確かめてみましたが、近くから強力な電波が出ているものですから、ブースターが飽和状態になってしまいまして、東京波の入感レベルがかなり下がってしまってました。ほとんどギリギリで受信していた当地としては、これはもう致命的です。よって全滅ということですね。ははは。分かっていたこととは言え、現実になると空しいっす。
 前述のように、今はアナログ波で見るからいいんですが、2011年にはアナログ停波で、県内4局だけの生活に戻るってことですかあ。ガーン!まあ、あと5年くらい東京の番組を楽しみますわ(なんか変だなあ)。
 ちなみに近所のある方、どうも以前電波を拾うお仕事をされていた専門家の方のようなのですが、私のウチの屋根にぶら下がる怪しいアンテナを見つけまして、ウチを訪ねてきました。私は、もうあきらめちゃいましたよ、って言ったんですが、その方は絶対に地元波と東京波の両方をキャッチしてみせる!と意気込んでました。あ〜してこ〜して…いろいろと秘策を語ってました。ウン十万円はかかるとか。立派だなあ。私にはそんな根性ありませんよ。上には上がいるもんだな。しっかし、こうした男の本能はなんなんでしょうね。ただ捕まえたいだけなんですよね。やっぱり狩猟本能なんでしょうか。
 カミさんは二人の縄文人の熱い会話にポカ〜ン…。てか、完全にあきれてました。なんでもいいから食えるもの早く獲ってこいよ!

不二草紙に戻る

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.05.09

オニさんが見た「エルサレム」

B00005i62u09_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ 先日紹介した『ユダの福音書』がとっても面白かったので、もっと面白くならないかなあ、というミーハー的な発想で、『霊界物語』を調べてみました。出口王仁三郎がユダについて何て書いてるのかなって。
 そうしたら、とっても鋭い記述があったんで、ここに引用しておきます。ユダ自身のことや、福音書のことはそれほど深く述べられていませんけれど、読み方によってはなかなか示唆に富む、オニさんらしいお言葉が並んでいます。
 ちなみに王仁三郎自身はエルサレムに行ったことはなく、いつものように霊界旅行をしつつ口述したようです。それが実際の地理や風景にピッタリだというから恐ろしいですね。まあ、彼にとってはそんなの当たり前なんですけど。
 とにかく、キリスト教のみならず、多くの宗教が陥る危険をストレートに語っています。すごい。以下抜粋引用。ブラバーサは宣伝使。マリヤはいわゆるマグダラのマリア。

 キリスト教の偶像をもつて飾られたる聖地エルサレムは、異教徒の場合よりも勝つてブラバーサの心を痛めしめたのは、後世の僧侶輩が聖書に録されたる一々の場所や由緒なぞを捏造して、巡礼者の財布をねらつてゐることである。ちよつと見ると単純なる信仰の発露だらうと、神直日大直日に見直し聞直し宣直すことも吾々にとつては出来得ないこともないが、一般の信仰なき民衆やデモ基督教徒の眼には、却つて不快に感ずるものたることを恐れたのである。また後世の僧侶や信者がその内部的知識に空なるがため、外部に徴を求めむとしてゐることの嘆ずべき一つの証拠ではあるまいか。アヽ後世まで唯一の遺宝たる福音書の中に彼れ自身の姿を認め、それから霊泉を汲み得ることの出来ない信徒らの心の淋しさより、かやうな偶像を作り出して、せめてもの慰安の料にしてゐるのではあるまいか、なぞと又もや心の内にて長大嘆息をしてゐる。
『聖師様、沢山の偶像的事物を御覧になつて非常に嘆息されてゐるやうでございますが、いつの世にも聖キリスト様は正しくは信仰され、また理解されなかつたやうでございます。キリスト様が迫害されなさつた当時と、今日とを問はず、世間から誤解されてをられます。そして普く世界から崇敬され玉ふやうになつた後の世は、真のキリスト様ではなくて、人間が勝手にキリスト様に似せて作つた偶像を崇め、キリスト教そのものを信ずる代りに、それから流れ出づる美しい果実のみをそれと誤認してしまひ、つひにキリスト教は肝心の精神を失ひ、神の国の教である代りに、それは良き意味においてではありますが、地上の幸福をもたらす手段と堕落してしまつたのでございます。それゆゑ妾もこの聖地が偶像のみにて充たされ飾られ、真のキリスト様を認識し得ないことの矛盾を悲しむのでございます』
と悔やみながら、マリヤはなほも市中を歩み続ける。
(大正十二年七月十一日、旧五月二十八日、加藤明子録)

 ゲツセマネの園は三方が道で囲まれ不規則な四角形を為し、厚い石壁をもつて囲らされてゐて、フランチエスカンの所有になつてゐる。ここを新約のゲツセマネと定めたのは四世紀以前のことだといふ。門の外には自然の岩の頭が地上に現はれてゐて、その上でペテロ、ヤコブおよびヨハネが眠つたのだと伝へられてゐる。園内には非常に古い数本の橄欖の老樹が植わつてゐて、その時からの物だといわれてゐる。橄欖樹は人間が触れさへしなければ幹が枯れた後でも、その根から新しい芽生が出てかくして世紀から世紀へと生き延びるといふことであるから、この伝説はあるひは事実に近いものかも知れない。その他ユダがキリストに接吻した地点まで明示されてゐる。エルサレムや橄欖山の地位からしてゲツセマネの園がこの辺りに在つたことは事実らしい。しかし七十歩四方ばかりの狭い土地を重くるしい石垣で囲んでその中を墓地のやうに、また近代的の庭園のやうに飾つて、これをゲツセマネの園となすことは、無限の大きさと深さを持つたものを、無残にも限りあるものの中に閉ぢ込めておくことは実に残念である。ブラバーサは凡ての在来の法則を破つて霊のみで画かれたやうなロンドンのナシヨナル・ガラリーにあるエル・グレコの筆を思ひ浮かべて、この物足りない感じを補つてゐた。
(大正十二年七月十一日、旧五月二十八日、加藤明子録)

 以下、再び私のお言葉(笑)。どうですか?面白いですよね。これはキリスト教を責めているのではありません。彼の思想は常に「万教同根」です。宗教界全体についての嘆息でしょう。
 後半の部分にはユダも登場しますが、どうもユダの接吻自体、事実としてとらえていない書きぶりですね。ユダの裏切りはなかった?ということは、前半の「唯一の遺宝たる福音書」って、もしかして…
 なんていう自由な読み(暴走)が可能であり、またそれを許すのが、霊界物語の、そして出口王仁三郎の楽しさであります。これは学問とは違う楽しさですよ。私は好きですね、こういうの。

電子ブック版 霊界物語

Amazon 聖地 エルサレム

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.08

『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー (扶桑社)

459404966401_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ 連休中、実家にあったのを見つけて読んでみました。とってもいいとみんなが言うので。
 以前「増量・誰も知らない名言」を紹介した時に、いろいろな天才について書きました。リリーさんも天才の一人です。
 で、この本の印象は、天才が意外に普通の本を書いちゃったな、でした。物語としては、内容も方法も全く斬新ではなく、どちらかというと伝統的なのでした。完全なる私小説…いやいや、ほとんど小説の形態というよりも長編エッセイですね。いや、自分史かな。いわゆる小説の系譜上にあるとは言えませんし、新しい小説のあり方を提示したとも言えませんけれども、一方で、非常に古典的なテーマや文体を感じさせました。
 たしかに心にしみるものはあった。おそらくその感慨は、私とリリーさんがほとんど同年齢だということに起因しているのでしょう。内容的に共感できるものが多かったのです。時代性です。一方で、男なら誰しもが経験するであろう普遍的な「若気の至り」も満載。私は存分に楽しめましたけれど、どうなんでしょうね、女性や他年代の方々の印象は。もちろん、基本的テーマが「母の死」という、それこそあまりに古典的・普遍的なものですから、そこに充分涙腺を刺激されるんでしょう。母は死すとも文学の基本は死なず。
 あとですねえ、こんな意味でも古典性を強く感じましたね。そう、読み進むうちに「あっ、これは歌物語だな」と思ったんです。また変な感想言ってらあ、わけわかんね…って言わないで下さい。いたってまじめです。
 歌物語とは、たとえば伊勢物語みたいな、要所要所に歌、すなわち和歌がちりばめられている物語です。その歌が実は物語の骨格をなしている。歌に全てが向かっていく、というか、他の言葉はその歌に支えられているんですね。そういう「語り」があったわけです。で、今回、リリーさんの文章を読んでいて、逆にそうした古典的な歌物語の本質がわかったような気がしたんですよ。
 歌物語は、結果として先ほど書いたように歌が全体を支えているように見えるんですが、実際の語られ方は、実はもっと動的なのではないか、構築されたものというよりは、リアルに変化しているのではないか、そんなふうに思ったんです。
 つまり、歌が初めにありき、ではなくて、語りの流れの中で、感極まって言葉の羅列から自然と「歌」が生まれる。リズムを奏で、より象徴的になり、より修辞的になる。それが、テクニックではなく自然発生的に生じるんです。リリーさんの文章って、そういうところがあるんですよ。肝腎なところで、ここぞとばかりに詩的になる。書き出しなんかもそうですね。かと思うと、実にフツーの文章が延々と続いたりして。最初はそこに違和感を感じたんですけれど、読み進むうちに、ああこれは歌物語だ!と気づいたんです。
 単なるテクニックで美文を紡ぐ作家は、昔も今もたくさんいます。しかし、ほとんど自然発生的に、感情の高ぶりや脳の活性化に伴って、文が歌い出すというのは、実はあんまりないような気がするんですよ。リリーさんの文章は、さりげないながらも、そんな感じで貫かれていました。
 このあたりのことが、やはり、彼が単なる職業作家ではなく、絵画や音楽に長けたアーティストであることを物語っているのかもしれません。残念ながら全く泣けなかったのですが、歌物語の心地よさを味わわせてくれたことには正直大感謝です。

Amazon 東京タワー

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.07

『ユダの福音書を追え』 ハーバート・クロスニー (日経ナショナル ジオグラフィック社/日経BP出版センター)

493145060101_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ 『ユダの福音書』、ついに出ましたね。正直かな〜り萌えです。なんて、不謹慎でしょうか。
 ユダの裏切りはイエスの指示だった、というのは実に説得力があります。新興宗教の教祖の戦略としては充分ありえますね。受難、法難が教勢拡大の礎石になることは、洋の東西を問わずかなり普通のことです。よくあるシナリオってことですね。
 だいたい正統福音書の記述は不自然です。イエスはユダの裏切りを予覚しておきながら、それを甘受します。そこにイエスの意志を見た人はたくさんいるでしょう。自分はまだしもユダさえも救っていないわけですからね。救世主としてはその時点で失格です(笑)。それでは納得いきません、私も。だから、このユダの福音書による記述に、私もクリスチャンもユダヤ人もイエス自身も、そしてもちろんユダも救われるわけですから、ちっとも悪いことはないと思うんですけど。
 さて、その受難がイエスの意志だとして、肉体を滅して精神の解放を図るというのは、やっぱり仏教臭いですねえ。いつかも書きましたけれど、イエスが仏教に触れていた可能性は非常に高いわけです。随所に現れる慈悲の笑みに満ちたイエス像も含めて、今回はそれをさらに強く感じさせる内容になっています。実に興味深い。グノーシス主義と仏教との類似性は以前から指摘されてますしね。
 あと、復活を事実としてではなく象徴として扱うグノーシスの立場にも好感を持ちます。ユダの福音書にも復活は記録されていません。正統における復活劇は、ある意味肉体の復活であるわけでして、それは還俗ってことになっちゃいますよね(ちょっと違うか)。
 もともとこうしたたぐいの文書に弱いワタクシであります。定説がひっくりかえる、という意味よりも、差別的扱いを受けてきた「悪者」や「弱者」や「敗者」が突如として英雄になる、というパターンが好きなんですね。それがなぜかはわかりません。自分にそういう血が流れているのかもしれません。
 それらは大概トンデモ本と言われる。私の愛読書?「富士古文献(宮下文書)」や「霊界物語」なんかもそうです。後醍醐天皇に愛想を尽かして失踪したと言われる藤原藤房が、実は全国で暗躍して南朝の興隆に尽力したとか、鬼門に幽閉された国常立大神が復権するとか。正統からするとたしかにトンデモですね。この「ユダの福音書」もト扱いされるんでしょうね。世の中とはそういうものです。
 外伝、外典、偽書、異端の書。これらを作り出すのは政治的な力です。書物として残す方も、またそれにレッテルを貼る方も、どちらも政治的な意図に基づいて行動します。ですから、今回もその両方の政治的立場を考えねばなりませんね。正典の制定を急がざるを得なかった初期キリスト教教父たちと、キリスト教にすり寄ってまで自らの教義を広めようとしたグノーシス主義者たち。 
 ちなみに今日紹介したこの本は、『ユダの福音書』の内容にはそれほど深く立ち入っていません。あくまで、「〜を追え」であって、この文書の発見と研究の数奇な過程を長々と記したものです。そういう意味でがっかりする読者も多いことでしょう。しかし、下のリンクにある英訳を見てもわかる通り、その福音書自体、そんなに量が豊かなわけではありません。ですから、まあ、書籍としてはこういう企画に走ってしまうといのも仕方ありませんね。
 来月には内容を吟味した本が出るようです。いずれにせよ、神学的、書誌学的、世界史的、聖書学的な考証はこれから何年もかけて行なうべきでしょう。そして、いつのまにか、トンデモ本のレッテルを貼られるんでしょうね。そんな過程を私も楽しんでいきたいと思います。

National Geographic Translation(英訳)

Amazon ユダの福音書を追え

関連記事 オニさんが見た「エルサレム」

不二草紙に戻る

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.05.06

『FILEBANK』(オンライン・ストレージ)

Filebank ハードディスクが壊れました。基本的にバックアップ用でしたので、それほど困ることはありませんが、どうもあの異音は生理的にいやですねえ。
 聞くところによると、ハードディスクの耐用年数は平均で5年程度とのこと。開発者もとにかく10年持つ製品を、と考えているようです。だいたいあんな昔のレコードみたいなのに大量のデータをぶちこんでるんだからなあ。今やビデオレコーダーも音楽プレイヤーも、とにかく猫も杓子もHDDですからね。何を考えてるのやら。
 その内にフラッシュメモリーのようなものになって、あの頃はなんだったんだってことになるんでしょうね。
 そんなわけで、ハードディスクを全く信用していないワタクシであります。では、大切なデータをどのように保管しているかと言いますと、DVDです…と言いたいところですが、そういうバックアップ作業もめんどくさいので、あんまりしていません。消えたら消えたで諦める。世は無常です。
 まあそんなふうな恒久的な保存には全く興味のないワタクシですが、短期間のデータ管理や、持ち運びには、なんだかんだ言ってポータブルHDDを使っています。でも、それもどこかに忘れてきたりしますので、結局一番大切なものは、オンライン・ストレージを使って保存・管理してます。
 今まではニフティーのサービスや.Macなんかを使ってましたが、最近こちらに乗り換えました。ファイルバンク(FILEBANK)です。なんとここは100GBのスペースを無料で使えます。100GBですよ!ほとんどワタクシには無用のだだっ広さです。ただ、ワタクシはその広さに魅力を感じたわけではありません。
 ここの良さは、Macに正式対応していることです。他のサービスではいろいろと制約があったりするんですが、ここはMac専用のアップローダ、ダウンローダも用意してるくらいですからね。なかなか優れています。
 で、しばらく使っているんですけど、それなりに不便も感じ始めてるのも事実です。OSX10.4では専用ツールが使えないこととか、Mac専用ソフトのファイルに多少制約不具合が生じるとか。3日に一度ログインしないとデータが全部消えちゃうとかね。まあ、ほとんどが一時的な利用ですから、「3日に一度問題」はそんなに問題ではないんですけど。それらを差し引いても、なかなか魅力的なサービスだと思いますよ。重宝してます。
 ちなみに100Gのスペースがあると言っても、1日のアップロードは1Gまでです。あと、実際のアップダウンは結構遅い。今日も170MBくらいのファイルをアップロードしましたが、ゆうに1時間くらいかかりました。ダウンロードは1日に500MB分支給される無料パス(特急パス)を使いまして、17分くらいでした。各駅だとやはり1時間くらいかかるでしょうか。
 ほかにもこうしたオンライン・ストレージ・サービスはたくさんありますし、無料のものもけっこう見かけます。使い方によっては手持ちのHDDよりも便利で信用できるかもしれませんよ。皆さんもぜひとも研究してみてください。

FILEBANK

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.05

こどもの日に想う…父親の存在感

442031014601_ou09_pe0_scmzzzzzzz_ いやいや、そんなに難しいこと想ったわけじゃありませんよ。単純なこと。
 今日はこどもの日。なのに、うちでは「おとなの日」でした。初めての、子どもたちのいない1日だったんです。娘二人は静岡のおじいちゃんおばあちゃん宅にお泊まり。動物園に行ったりして、存分にこどもの日を満喫したようです。で、親の方は久々に二人きりですごしました。なんか変な感じ。
 昼間は近所で開かれているアートの展覧会へ。ジャズの生演奏なんかも聴かせていただき、まったりと大人の時間を過ごしました。う〜ん、マンダム…?
 夜もなんとなくお酒なんか飲みながら、テレビを見てました。ああ、そうだ。今日は亀田兄弟の試合があったんだっけ。基本的にプロレス好きな二人は、なんとなく殺伐としたリアルファイトは好きではなかったんですが、最近、非常に魅力的な若者が登場してきまして、そのおかげでボクシングや総合格闘技なんかもよく見るようになったんです。
 この前のHERO'Sも面白かった。やっぱりKIDの秒殺は、あれはあれで立派なエンタメでしたね。中途半端でなくあれで終わらせたのは正解でした。プロレスでしたら、相手のプライドも逆に傷つけない一つのブックであります。宮田もいい選手なんで、今後のストーリーに期待できますね。
 今日の亀田兄弟も、噛ませ犬(失礼)相手の試合とは言え、なかなか魅せる勝ち方をしてました。入場などの演出も含めて、プロレス的要素を取り入れており楽しかった。しゃべりも上手だし、今どきの若者は偉いなあ。自分のやるべきことを知っている。
 さてさて、この一連の若きファイターたちが勝ちどきを挙げている時、必ず後方で歓喜している大人がいますよね。そう、お父さん方です。KIDのお父さん山本郁榮さんについてはこちらに書きました。同じレスリング畑ではアニマル浜口さんについても以前書きました。そして今日は亀田史郎さん。
 いずれも特殊な分野であるとはいえ、やはり父親の存在感の大きさが共通しています。もちろん、遺伝子的にその分野に優れているということもありますが、それ以上に「教育」ですね。子育てではありません。父親による教育です。一言で言ってしまえば「厳しい」ということになるんでしょうけれど、どうも自分も含めて最近の父親にはそういう「教育」の努力が欠けているんではないか。そんなことを想っちゃったんですね。
 ホントに自分も含めてなんですが、どうも甘い。子どもに気を遣っている。考えてみれば、他人に理不尽に厳しくされるのは勘弁ですが、絶対的な信頼のある親に厳しくされるなら、なんとか受け入れられそうです。もちろんそれだけではダメだというのは分かりますが、その努力を根本から怠っている親が多いような気がしてなりません。くどくて申し訳ありませんが、自分がその最たるものなんですよ。親としてだけでなく、先生としても…。
 さきほど挙げた、なんとなく今となっては古風とも感じられる親父たち。それぞれ苦悩もたくさんあったことでしょう。しかし、それを自分でちゃんと引き受けてきた。自分が楽することなんか、たぶん考えていませんよ。絶対的な愛情に基づいた教育に徹したんだと思います。あとは、それぞれの家庭における母親の役割でしょうね。言わずもがなでしょうが、鬼のような父親の影に慈母ありです。そういう役割分担も、ずいぶんと廃れてしまいました。男女共同参画社会ですって?その言葉自体は間違っていませんけれど、その名の下に行われていることは、あまりに勘違い甚だしい…といつも感じてます。
 というわけで、明日子どもが帰ってきたら、自分はどう接するんでしょうね。演ずるんじゃなくて、さっき言った絶対的な愛情に基づけばいいだけ。教師としてもそうなんですよね。しかし、それが難しい。やはり自分のことをトップに持ってきていちゃダメなんですよね。なんとなく反省モードの「こどもの日」でした、ハイ。

Amazon 闘育論

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.04

ディスカバリーパーク焼津

Menu_img11 焼津は私が生まれた街です。いろいろと事情がありまして、母の実家のある焼津市が出生地となりました。私にとってはいろいろな想い出のつまった街ですが、中でも心に残っているのは、港から見る星空でした。
 私は東京育ち。高度経済成長の東京、それも京浜工業地帯に隣接する地域。夏など光化学スモッグで昼間は外出禁止、夜になっても1等星も見えない、というようなひどい公害・光害地帯に住んでおりました。ところが、人間は手に入りにくいものに憧れるのでしょうか、私は小学生の時から重症の天文狂になってしまったのです。
 夏休みはそんな私にとってとても大切な時間でした。そう、焼津の祖父母宅にしばらく逗留して、夜空を楽しんだのです。歩いて10分くらいの焼津港まで出れば、水平線ぎりぎりまで星が見えました。冬休みにも、カノープスを眺めながら年越ししたりしましたっけ。
 さらに焼津は天文マニアには特別な土地です。知る人ぞ知る、法月鉄工所(のちの法月技研)があった街なのです。そう、法月惣次郎と言えば、天体望遠鏡界のカリスマ的存在です。彼は日本の大型望遠鏡や電波望遠鏡製作のパイオニア的存在です。いちおう天体望遠鏡を自分で設計製作していた天文少年の私にとっては、彼と同じ土地に生まれたことは大変な誇りでありました。母の実家と同じ苗字ですし。
 で、東京にいる時はもっぱら五島プラネタリウム通い。自転車で数時間かけて行ったこともありました。とにかく毎月通いました。そこで満天の星空に触れ、イメージトレーニングし、また多少の勉強もして、そして恒例の観測ツアーin焼津に備えたというわけです。
 そして、今日四半世紀ぶりにプラネタリウムを見ました!それも焼津で。自分の子供たちと。なんか感慨深いものがありましたね。もう今では、庭先から6等星が見えるようなところに住んでいますから、当時より都会化した焼津の生空には正直なんの感慨もありません。しかし、不思議なもので、こうして見上げるプラネタリウムの、あの独特のスケールダウンした箱庭的宇宙には、涙が出るほど胸をしめつけられちゃいました。
 少年ワタクシの無垢で前向きな心が、あの星空に映し出されたんですね。30年前の自分に久々に会ったような気がしました。ある意味箱庭的空間に収まっていたのだとも思います。そこから現実の果てしない世間に放り出された。ああ、夢や自由というものは、制約の中でのみ輝くのかもしれない。そんな切なさ。
 焼津のディスカバリーパークにも、そうしたたくさんの少年少女の夢が詰まっていました。ヴァーチャルからリアルに興味を持つというのも悪くありませんね。そして、夢や自由を失っていく。しかし、それもまた悪いことばかりではありません。決して大人や世間を悲観的に見ているんじゃありませんよ。
 ところで、プラネタリウムのウソくささの原因の一つ。星に瞬きがないことですね。もちろんそれをもヴァーチャルに作る出せる装置もありますが、今日の投影では基本的に一切揺らぎありませんでした。いわば宇宙空間から見た星空。なんて、実は大人になった私、あることに気づいてたんです。基本的にと書いたのには理由があるんですよ。
 今日投影されていた数千の星の中で、唯一瞬いているのがあったんです!うしかい座のアルクトゥールスです。こいつだけは妙にリアルに不規則に瞬いてました。おそらくマシン(ミノルタのジェミニスター)内の接触不良だと思います(笑)。こんなこと考えながら見てるようじゃ、やっぱりダメだな。夢が全くないよ〜。

ディスカバリーパーク焼津

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.03

『丁子屋』(とろろ汁)

Choujiya けんくわする 夫婦は口をとがらして 鳶とろろにすべりこそすれ
 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の丸子の宿にある狂歌です。今日はその舞台であるとろろ汁屋さん「丁子屋」に行ってまいりました。私の故郷ということもありまして、もう何回も足を運んでおります。
 十返舎一九は憧れの人ですね。多芸なエンターテイナーとしても尊敬しますが、なんといってもそのユーモアにしびれちゃいます。たとえばこの「東海道中」に限らず、膝栗毛物の楽しさたるや、もうやはり日本のマンガ的笑いの原点と申しましょうか、くだらなさ、ナンセンスさを競い合う江戸時代の最高傑作シリーズですね。
 東海道編なんかはかなりメジャーでしたから、比較的抑制がきいています(あれでもね)。現在の私の地元にまつわる「甲州道中記」なんか、もうもう下ネタ満載で、教材にするのも躊躇します(って教材にしてるのかよ!)。
 そう言えば、意外に知られてないんですが、一九って駿河の生まれなんですよね。あんまり故郷に執着していないのは、私と同じようですが。とにかく駿河が生んだ数少ない天才の一人でしょう(失礼)。文学、音楽、絵画…なんでもこなしました。いかにも静岡人らしい楽天さ加減もいいですね。有名な辞世の句「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」が全てを物語ってます。かっこいい!
 さて、そんな一九によって夫婦げんかをさせられた丁子屋さんでありますが、現在は当時よりもかなり大規模になって営業中。しかし、なんとなく江戸の風情も残しており、その味の良さとともに、時々行きたくなるお店です。
Tororojiru1 出てくる料理はいったてシンプル。特製のダシの効いたとろろを麦飯にぶっかけて喰う。いわゆる麦とろご飯。つまり江戸時代そのままです。それに、駿河湾の海の幸、たたみいわしやら刺し身やらを加えて、ちょっと贅沢しましょう。けっこうお金がかかりますが、こうしたシンプル至極、材料勝負の料理に大枚をはたくというのもまた、江戸っぽい嗜み。
 いつ行っても店内はお客さんでいっぱい。たくさんの店員さんたち(おばちゃん中心〉も忙しそうにかけずりまわってます。でも、さすがに、まだ一度も主人とおかみがケンカしてるのは見たことありませんね。ちなみに弥次さん喜多さんは、ケンカに巻き込まれて、結局とろろは食べずじまいでした。
8dc723db1 そういえば、膝栗毛のこのシーンでは、主人が「(もうすぐ)出来ます」という意味で「出来ず」と言い、江戸っ子の二人はそれを「出来ない」の意味だと解してしまいます。「〜ず」が近未来や意志を表すのは、今でもナヤシ(長野・山梨・静岡」方言に残ってますね。古文で習う「むず(んず)」の残った形でしょう。ついでに「〜ずら」は「むずらむ」です。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.02

いつのまにやら2周年!

 気がついたら、今日、「不二草紙」2歳の誕生日でした。
 いつもは原材料探しとその料理にあけくれて、あんまり自らを省みる余裕がありませんでしたが、今日は過去の記事でも読みながら、少しだけ自分をほめてやろうかな(笑)。1年前の記事を見ると、20000アクセスとか書いてありますから、この1年も本当に多くの方々に支えられてやってきたのだなあ、とつくづく感じます。ありがとうございました。
 まあ我ながらよく続いたと思いますよ。なんでも三日坊主の私がよくぞ毎日書き続けました。エライ!たぶん人生において初めてです。毎日のタスクを2年間休まず続けたのは。それもいつやめても構わないようなことですからね。誰に頼まれたわけでもなく、命令されたわけでもなく、お金もらえるわけでもないんで。
 いや、正確に言うとですねえ、ちょっと小遣い稼ぎにはなってるんですよ。なんとなくナイショにしとくのも変ですからここで報告しますが、毎月ウチのブログ経由の売り上げが、Amazonが5万円くらい、楽天が10万円くらいあるんです。で、お駄賃をいただけるわけですね。特にAmazonは非常に助かってます。ここでもいろいろと書評やCD評を書いてますが、そのほとんどはそのお駄賃で買わせていただいてます。ありがたいことです。だいたい私のレビューはおふざけか毒舌なんで、それが売り上げにつながるというのも、なんとなく不思議なような気もしますが。
 また、そのおふざけ&毒舌が、筆者の方や読者の方との思わぬご縁を生んだこともありました。まさにインターネットとはそういう存在なんですね。「ネット」という言葉、今まではなんとなく「網」をイメージしてたんですが、「縁」なのかもしれません。
19061 さて、この2周年にあたって、個人的には非常に嬉しいプレゼントがありました。なんと、なんと、やっと、やっと、我が家にもブロードバンドがやって来たのです!!何を今さら…ですよね。そう、ここ富士山の中腹はふだんそれほど人が住んでいませんので(ちなみにゴールデンウィーク中は人口爆発が起きます)、ブロードバンドなんて夢のまた夢だったんですよ〜。つまり、ほぼ不二草紙の2年間はナローバンド(ダイアルアップで実質43Kbps)で運営していたんです。はっきり言って能率悪すぎでした。さらにOS9使ってたもんだから、せっかく書いた記事が消えたり、フリーズしちゃったりなんて日常茶飯事でした。もうホント涙涙…もののあはれ…の毎日だったんです。
 それがですねえ、やっとこさっとこ、ADSLがやってきたんです。いったいここは何年遅れてるんだ?まだいろいろと調整も必要かもしれませんが、とりあえず平均して15Mbpsくらいは出てるようなので、えっと〜、以前の400倍くらい高速ってこと…なのか!!まあ、マシン(Pismo400でOSX)が非力でして、とてもそこまでの体感速度はありません。それでも、まあ地獄界から人界くらいまでは来たかな。ちまたでは光が差して天界なんでしょうけど。
 それでもホント我慢に我慢を重ねた末の広幅ですので、歓びもひとしおです。カミさんも昼間っから2ちゃん三昧のようでして…。私は早速NMLに入会しました。夢のような音楽ライフであります。ああ幸せ。
 これを機にさらに気合いを入れて頑張りたいと思います。ブロードバントになって庵主はだめになった、なんて言われないようにね。そういうことってよくありますから。当面の目標は1日1000アクセス!
 それでは今後ともよろしくお願いいたします。

不二草紙に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006.05.01

ようやく桜満開@富士山

Sakura55 今日は暑かったっすね。なんでも甲府では34度超え!避暑地富士山でも25度を超えました。おかげで、近所のソメイヨシノのトンネルも一気に満開に。
 ここの標高はおよそ1000メートル。同じ緯度の平地に比べておよそ1ヶ月遅れですね。東北や北海道とだいたい同じです。なんとなく得した気分になるのはなぜでしょう。
 ところで、このソメイヨシノ、ご存知の方がほとんどと思われますが、クローン種なんですよね。つまり、全国、いや今や世界中で咲き誇っている「桜」は、遺伝子的には実は同一。考え方によっては、たった一本のソメイヨシノが世界中に見えない根を張って生きているとも言えます。なるほど、だからこうしてある条件になると一斉に花を咲かすんだ。面白いですね。
 クローンですから自分では殖えることができません。必ず人間の手によって殖えるわけです。なんとなく不思議ですね。美しさという武器で人間に貢がせているんですよ。さくらタンのためなら一肌も二肌も脱いじゃうわけですね。美しくてはかない…たしかに「萌え」属性だ。
 ずいぶん前になりますが、絶命寸前の桜(ソメイヨシノではない)の古木をクローン技術でよみがえらせる、というか、若々しいコピーを作っちゃおう、というプロジェクトをテレビで見ました。桜の持ち主さんも、クローン技術者さんも「いいコト」だと感じているようでしたが、私はちょっと違和感を持ちました。
 こういう自然の摂理に反したコトこそ、私のしつこく言う「コト化」作業、つまり事業(ことわざ)でありまして、変化していずれは消えゆくという「モノ」の性質を無視した態度だと感じるのです。まるで情報をデジタルコピーして、ヴァーチャルな恒常を作り出しているような感覚です。
 いや、コトの発端は「もののあはれ」を感じるところにあるのです。それは正しい。しかし、そこで「自分の思いのままにならない現象」に対する「諦め(明きらめ)」に至るのではなく、無駄な抵抗をしてしまう。それこそが「事業」です。まったく人間は「ことわざしげきもの」であります。お釈迦様はそれを諌めました。無常を悟れと。色即是空。空即是色。
 そうするとですねえ、ソメイヨシノはどうなんでしょう。ソメイヨシノ自身が自然に発生したのか、誰かが作り出したのかは今もって謎のままだそうですが、とりあえずソメイヨシノが人間の手を借りて殖え続け、命脈を保っていることは事実です。これも人間の「事業」なのか、それともソメイヨシノ自身の意思なのか。
 やっぱり人間に寄生している植物なのかもしれませんね。そんな気がしてきました。人間の浅はかさ、自分勝手さを利用している…なかなかの悪女なんじゃないですか?さくらタン(笑)。

 ps 昨年紹介したフジザクラやミツバツツジもほぼ満開になりました。富士山麓の1年で最も美しい季節ですね。幸せです。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »