楊興新 『黄砂』
西のヴァイオリンに比する東のメジャー的存在が、中国の二胡でありましょう。今日は二胡のCDをお借りして聴いてみました。
現在は日本人の奥様といっしょに日本にお住まいになっている楊興新さんの演奏です。楊さんは日本で数枚のオリジナルCDを録音、発売しているようですね。その最初の作品がこの「黄砂」です。10年ほど前のレコーディングとのこと。かなり楽しめましたし、感心しました。
ヴァイオリン弾きにしてみると、ヴァイオリン族以外の擦弦楽器というのは、案外に難しいものです。そのルーツは同じであるわけですが、当然のように、西に行ったもの、東に行ったもの、そのそれぞれがそれぞれに色々な進化を遂げましたから。
私も二胡や胡弓を弾かせていただいたことがあるんですが、全然ダメでしたね。音を出すコツみたいなものは共通ですけれど、音楽を作るには、もうホントにゼロから新しい楽器をやるつもりでやらないと。その根性はありません。
あっそうそう、ちょっとここで一言。二胡のことを「胡弓」と呼ぶのは間違いです!「胡弓」は日本オリジナルの楽器です。胡弓は、例の西洋音楽渡来の時、ヴィオール族を見た誰かさんが、三味線を弓で弾いてみた、というのがその出生の真実です…と私は信じてます。
このCDにおける楊さんの言葉や、専門家による解説にも、普通に「胡弓」と記されていて、かなりビックリしてしまいました。ここのところははっきりさせた方がお互いのためだと思うんですけれど。ヴィオール奏者が私はヴァイオリン弾きです、って言うのと同じですよねえ。
どうも世間でも混同していることが多い。見た目も奏法も全く違うわけでして、いつもなんだかなあって思います。まあ、よほどマニアックな人でない限り、どっちでもいいんでしょうけれど。私だって興味の対象外はそんなもんです。例えば○○を××って言ったり…(恥ずかしくて書けません)。
さて、話を戻しまして…
う〜ん、やっぱりペンタトニックは落ち着くなあ〜。収録されているのは、中国、日本、モンゴル、琉球(「島唄」はいちおうこうしておきます)の音楽たちです。それらに加えて、楊さんのオリジナル曲も数曲。
それぞれ実際に採用される音は違うわけですが、音階が5音で構成されているのは共通です。音楽としてより根源的であり、より自然であるのは、実はペンタトニックです。前にも書きましたけれど、日本の音楽教育が西洋音階に偏っているのは、日本人(特に子どもたち)にとって、あまり幸福な状況とは言えないような気がします。最近そのことを強く思うんですよね。
あと、今回楊さんの演奏を聴いて強く感じたのが、言葉と音楽の密接な関係についてです。西の言葉はストレス(強弱)アクセントがほとんどですが、東の言葉にはピッチ(高低)アクセントが多い。それが音楽にも色濃く反映しているなあ、と。
特に中国語は豊かな高低アクセントを持つ言語です。ですから、音楽でも、一つ一つの音があるピッチに落ち着いていることはほとんどない。揺れ、ずり上がり、ずり下がり、様々な陰影が与えられています。その一つ一つが連なって大きな文脈を作り出しているような気がしました。大げさでなく、そんな部分と全体像が、宇宙のいろいろの構造を表しているようにも聞こえるんです。コスモスであり、フラクタルな感じなんですね。
CDを貸してくれた先生もおっしゃってましたが、「気」を感じる演奏という感じ。たぶん、イチローにせよ、稲村雲洞さんにせよ、私たちに「気」の存在を感じさせるパフォーマンスというのは、きっと、そうした宇宙の「何か」を私たちに伝えてくるものなんでしょうね。彼らがメディアとなって。
ぜひ、生で聴いてみたい、その気を感じてみたい演奏でありました。
Amazon 黄砂
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- ラモー 『優雅なインドの国々より未開人の踊り』(2024.08.12)
- ロベルタ・マメーリ『ラウンドМ〜モンテヴェルディ・ミーツ・ジャズ』(2024.07.23)
- まなびの杜(富士河口湖町)(2024.07.21)
- リンダ・キャリエール 『リンダ・キャリエール』(2024.07.20)
- グラウプナーのシャコンヌニ長調(2024.07.19)
コメント