『田園に死す』 寺山修司監督作品
ようやくDVDを買いました。そして、久々に観てみました。もう、おそらく50回は観ているであろう作品なのですが、これほど鮮明に「わかった」のは初めてでした。やはり歴史に残る名作でした。
寺山修司について語るのはほとんど無意味でしょう。あまりに語り尽くされて語るまでもない、と同時に、ある意味語ることが非常に馬鹿げている存在だからです。今日はそれを確認しました。
この映画は見事な「歌物語」です。テーマ自体が「モノガタリ」なのであって、それは「真(マコト)」に対する勇敢な挑戦でありました。
今まで、この作品を相対化して観ることができなかった。劇中で、「対象化することによって対象は見世物になってしまう」という物語の本質を突きつけれた私は、それをする勇敢さに欠けていたために常に立ち止まり、一歩を踏み出せないでいたわけです。つまり、劇中の20年前の「私」であったのです。
今回、初めて、現在の「私」の立場でこの映画を観ることができました。見世物を見世物として観ることができた、ということが、私の何を象徴するのか、49回目の鑑賞者と50回目の鑑賞者とは何が違ったのか、それは、はっきりとは言えません。そこのところまでは、対象化する勇敢さはまだありません。
最近の私は、自分の「物語論」を通じて、「モノ」と「コト」を対比して、それこそ物事をとらえるクセがついています。そうした観点から寺山作品をとらえると、面白いことがわかります。つまり、寺山的に言われる、「夢」と「現」、「虚構」と「現実」、「演劇」と「実生活」などが、それぞれ「コト」と「モノ」に対応しているということです。
実は、今までの、というか、若かりしころの私は反対だと思っていたんですよ。たとえば、「夢」が「モノ」で「現」が「コト」だと。「夢」がぼんやりしたモノで、「現」がはっきりしたコトだと決めつけていたんですね。しかし、違った。
脳内で起きる全ては「コト」なんですよ。それに対して、自分の外部で、自分には全く依存しない形で生起し、存在し、変化し、消滅していくのが「モノ」なんですね。だから、記憶は「コト」であり、未来は現在の自分にとっては「モノ」なのです。
見世物とは「モノ」を「見せる」、つまり鑑賞者にとっての外部(記憶にないもの)を見せる行為だということですね。それは、違う言い方をすると「モノ」を「カタル」こと、すなわち「モノガタリ」になるわけです。ですから、この映画は「物語」をテーマにした「物語」であり、「見世物」をテーマにした「見世物」ということになる。
そう考えると、ペテン師のようだと評される寺山は、実は非常に善意に満ちた人物だったということがわかります。それは「物語」「見世物」を、いかにも「真(マコト)」のようには語らず、どう見ても「作りゴト」であるとわかるように語ったからです。つまり「騙り」ではなかった。その善意こそが、「マコト」への挑戦を可能にした「勇敢さ」だったのです。
劇中でも、「頭の中で思ったことはすでに現実だ」みたいなことを言わせていますが、そう言いきってしまうところに、彼の善意が感じられます。現実は「コト」です。自分に依存した「コト」です。正しい表明ですよね。
寺山の人生は、まさに見世物小屋でした。いや、仕事が見世物だったということでしょうか。彼はウソを商売としていた。実に善良な嘘つきであったのだと、今日よ〜くわかりました。「騙り部」ではなく「語り部」でした。陸奥の語り部…やはり尊敬すべき人です。
なんか、こうして書いている私自身、つまり、私の脳の中と、それを語ったこの文章が、もう「寺山的」になっているわけで、こうした効果自体こそ「ものぐるほしけれ」…なんですね。外部からの影響。自分の意識(コト)とは別のところで何かが起きている。「物語」の効果であり、快感であります。今日はいくらでも語れそうな気がしますけれど、自分以外の人にとっては大迷惑でしょうから、このへんでやめときます(笑)。
最初に書いたように、寺山について語りだすと、いろいろな意味で馬鹿げたことになりますね。語り部になっちゃう。私には違う仕事があるんで、やっぱりやめときますわ。
でも、最後に、今回初めて知ったコトを一つ。今までなんで気づかなかったのかなあ。ミスター・ポーンに膨らされるあの空気女、あの高山良策さんの制作だったんだ!大魔神やウルトラシリーズの怪獣たちの造型作家さんですね。私にとっては、ある意味郷土の英雄ですから。ホントにビックリ。
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