『芸術のわな(How Art Made the World)』 BBC2005
録画してあったものを観ました。私の考えている「物語論」にとってもなかなか興味深い内容でありました。
最初、原題を「芸術のわな」と訳したのはどうかとも思いましたが、シリーズ全体としては、メディアが政治や宗教に果たした役割に注目していたようですから、まあ当たらずとも遠からずなのでしょうか。でも、「わな」ではあまりにマイナスイメージですよね。観賞後も違和感が残りました。
メソポタミアのギルガメッシュやオーストラリアのアボリジニの物語を例にひきながら、人間がいかに物語世界を構築していったか、人を物語の世界に引き込む工夫をしたか、それを時の為政者がどのように利用したか、また現代の映画がそういった過去の知恵と技術の上に成り立っているものであるか、そのようなことをわかりやすく紹介した番組でありました。いわゆるメディア・リテラシー教育のための番組かな、と思いましたね。日本にはこういうのがあまりない。
あまのじゃくの私としては、登場する彼らの知恵や技術よりも、この番組を作ったBBCのスタッフたちの知恵や技術と、その結果としての「わな」の方が気になってしまいました(笑)。いかにもBBCらしいんだもん。かなりの演出でしたよ。やっぱり放送や教育って洗脳だよなあ、なんて思っちゃいました。すみません、素直じゃなくて。
ところで、番組中「物語」という言葉が本当にたくさん出てきました。おそらく英語では「story」と言っているのだと思われます。ここではっきり申しておきますが、私の頭の中では、両者は同義語ではありません。もちろん、一般にはイコールで結ばれていますので仕方ないことはわかりますけれど。
「物語」とは「モノ」を「カタル」ことです。つまり、外部を内部化すること、つまり、かみくだいて言うと、相手の知らない情報をわかるように伝えるということです。受け手の「未知」を「既知」に変える行為だと考えているわけです。古語における使われ方はほとんどそのような感じです。
「story」はそういう意味ではないような気がします。因果関係のはっきりした時間的な流れの中での人間(あるいは擬人化されたもの)の活動の記録であると思います。ですから「history」につながる。
だから、両者はちょっと違う。土俵が違う感じがするんですよ。同義になる場合もあるでしょうが、全面的にイコールにするのには、私は抵抗を感じます。
この番組では、「ストーリー」を伝えるためにどう工夫したか、文字や絵や彫刻や音楽をどう使ったか、が紹介されていました。ワタクシ的に言えば、「ストーリー」が「モノ」であって、「伝える」が「カタル」だったわけです。「工夫=文字や絵や彫刻や音楽をどう使ったか」は「語り方」「語り口」なのです。
さっきのあまのじゃく的感想についても考えてみましょう。この番組で紹介されたことは、私にとってはほとんど「モノ」でした。知らないことが多かった。で、BBCがテレビというメディアを使い、ああいう演出をして製作・放送したことが「カタリ」であったわけです。BBCらしい「語り方」「語り口」だったと。
なんか、みなさんにとっては、どうでもいいことなのかもしれませんね。しかし、もし、もしですよ、ここに私が書いたことが皆さんにとって外部、すなわち知らなかったこと、気づかなかったことだとだとしたら、このブログも立派な?「物語」になっているということです!
こうして私が展開している全く新しい「物語論」自体が「物語」だってことなのかなあ。でも、受け手に理解されないと意味がないんですよね。枕草子に「喃語(赤ちゃんのバブバブ)」という意味での「物語す」の用法が見られます。その場合、赤ちゃん自身は頑張って語ってるんですが、聞いてる方はチンプンカンプンってことです。私の「物語」もバブバブにならないようにしなきゃね。
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