『世にも美しい日本語入門』 安野光雅 藤原正彦 (ちくまプリマー新書)
早起きですと、普通の人が観ないような渋いテレビ番組を観ることができます。
今朝は5時から6時まで、フジテレビでありながらCMのない番組を観ました。自社検証番組ですね。そのスペシャル『週刊フジテレビ批評特大号・伝えておきたいテレビの事!アニメを文化にしたナカマたち 』。
みんな観てるから、という理由で避けてきたフジのアニメたち。私は今ごろになって、つまり文化として語られるようになって、ようやく興味が沸いてきました。番組では、当時(80〜90年代)アニメ製作に携わった局側スタッフさんや製作会社の方々、さらに声優さんらへのインタビューを中心として、一段低く見られていたアニメを世界に誇る文化にまで高めた(と自負する)フジアニメの歴史を復習しつつ、今後のアニメ番組のあり方を探っておりました。
鉄腕アトムから、うる星やつら、アラレちゃん、北斗の拳、幽遊白書などなど、アニメ初心者にとっては格好の教科書的番組でありました。たいへん勉強になりました。
今後のフジのアニメ戦略は「大人が観るアニメ」だそうで、今の連ドラ枠にいかにアニメを進出させるかが課題だそうです。それを聞いて、ん?って思ったんですよ。素人ながらに、ちょっと大丈夫かなって。
で、その後、BS2で「うる星やつら」の「スクランブル!ラムを奪回せよ!!」を観て、その思いを強くしました。アニメは基本的に子どものためのものだと思うんですよ。うる星もそうだったでしょう。しかし、例えば今日放送分におけるメガネの独白、あれは子どもにはわかりませんよ。大人になって初めてわかる。いや、大人でもわからないかもしれない。文学や歴史の勉強をちゃっとしていないと、完全には理解できないでしょう。でも、当時のスタッフ(というか押井さんかな)は、大人のためにあの脚本を書いたのではないと思います。あくまで子どもが観ているという前提ですよね。その中にああやって非常に高度な大人性を混入させている。それは深い意味があるのではなく、そのミスマッチがギャグであり、シャレなわけですよね。
そのシーンで、私やカミさんは大笑い、というか、思わず笑いをこらえてじっと聞き入ってしまったわけですが、子どもたち(6歳と3歳)はキョトンとしていました。しかし、その独特の「大人性」「大人感」みたいなものは感じ取っているようでした。そう、自分にはわからないが、何かあるみたいだ、という「もののけ」的な、まさに私の言う「モノ」を感じているわけです。そういうのって、子どもの時にはものすごくたくさんありますよね。それが生活のほとんどなわけです。そして、それこそが日々の楽しみやスリルであり、そして自己の成長を促すモノだったわけです。
そういう意味で、やはり子どもには、いや子どもに限らず大人にも、そういうモノが大切なんですね。わからないからと言って排除するのではなく、わからないままつきあっていくことに大きな意味があると思うんです。
で、ようやく本題です。その後、この本を読んでみました。ここで藤原さんと安野さんによって語られていることは、実はそのことだったんですよ。結局、幼いときから古典や漢籍などの名文に触れさせるべきだという、まあ最近はやりの…いやいや、実は1000年くらいのはやり、つまり伝統だったんですけど、ここ数十年ちょいと忘れられていた…内容なんですね。ここでも、意味は二の次なんです。モノに繰り返し触れさせるんです。
特に日本語はあいまいである。だからいいんだと。あいまいさは独創性を生むと。その通りだと思いました。
私は読みながらこんなふうに考えました。ここで言う「美しい」というのは「豊か」ということではないか。「豊か」ということは「多様」だということです。「多様」であれば、即時的には「あいまい」なんですね。つまり、「あいまい」であることは選択肢がたくさんあることにもなりますし、原理主義に陥る可能性が少なくなることも意味します。とてもいいことですね。
なんでもかでも古典というのには、正直抵抗があります。世代的なものでしょう。しかし、例えば、最初に述べたように、「文化」として語られるようになった「マンガ」や「アニメ」にも、そういった古典性を持つ可能性があると信じています。それには「時」による醸成や濾過が必要なわけですが。
また、押井さんの作品に見られるように、例えばパロディーという手法によって古典を利用、継承していくというやり方もあると思います。漢籍なんかもほとんど日本語している、と本書にありましたが、まさにそういったデフォルメによる受容の仕方こそ、日本の面目躍如といったところでしょう。
今日はこんなことを考えました。
Amazon 世にも美しい日本語入門
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