『沖で待つ』 絲山秋子
いや、文藝春秋を買ったんです。それで、その中の文章の一つとして読んだわけでして、小説を読んでやろうという意識はありませんでした。気がついたら、芥川賞受賞作だったという感じです。
なにしろ、本当に久々に小説を最後まで読みましたから。軽蔑されて当然なんですが、本当に最近読破したのは、これとこれだけです。どうぞお笑い下さい。また、もし情がありましたら、憐れみのため息も最後にお願いします。で、呆れちゃった方は、この先お読みにならない方がよろしいかと。
ここ数年、まあ芥川賞受賞作ぐらい読んどくか、という気分でいくつかの作品を手に取りましたが、ことごとく最後まで読めませんでした。いや、これは、現代の小説の質が低すぎるなんて理由ではなく、単に私に小説を読む能力がないからに違いありません。どうしても退屈してしまうのです。読んでるうちについつい違うこと考えてる。で、また数行前から読み直す。こんなことをやってるので一向に進まないんです。それくらい小説が苦手なんですね。これはもう生まれ持った、いや生まれ持たないものなので仕方ありません。困ったものです。それで国語の先生ですからね。
こんな私が最後まで読めたので(途中気が散りましたけど)、どうもこの小説は面白かった…らしい。いや、単に短かったのかもしれません。いや、短いことはいいことです。
私にとっては、この短さがこの小説の良さなわけです。というか、私にとっての小説の良さは短さなわけです。音楽でもそう。長いシンフォニーなど全く聴けません。寝ます。演奏もできません。寝ます。
繰り返しになりますが、これは生まれ持たなかったものなので仕方ありません。残念です。マンガも長いとダメなんです。困ったものです。
さて、そんな自己紹介はいいとして、ではこの小説が芥川賞としてふさわしいか、それは…正直全くわかりません。なぜなら、他の受賞作品をまとも最後まで読んだことがないからです。ただ、無駄のなさ、わかりやすいストーリー、言葉のリズム感という面では、芥川の短編に比するに足る作品であったと思います。
私は本は好きですが、小説というものが何者なのかわからない人なので、こういう表現しかできません。過去、私にしては珍しくよく読んだ太宰治は、私にとっては言葉の響きの美しさ、心地よさであって、あれが小説というものなのか、私にはよくわかりません。
選評で石原都知事がおっしゃてることが、私の気持ちにかなり近かった。態度は逆ですが。読みもしないで、文学は死んだ、なんて言う私も私ですけれど、お忙しい公務の合間に、あるかないかもわからぬ「未知の戦慄」を待望するのも大変でしょうね。
ただ、昨日の「オーッ」の余韻が残っていることもあり、私にも何かできることがあるのではないか、と僭越ながら思ってしまいました。でも、私は「死」と「性」は抜きでいきますよ。こういう動機を与えてくれた「沖で待つ」は、やはり文学なんでしょうかね。
ただ、本当のことを言いますと、この文藝春秋では、藤原正彦さんやら茂木健一郎さんやらの文章の方が、ず〜と面白かったっす。ダメだなあ…ワタクシ。
すみません、苦手な分野について書くと、こんなもんです、ハイ。
Amazon 沖で待つ
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