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2006.02.16

レミオロメン 『3月9日』

B000197M24 極寒の地富士北麓も、たしかに立春を過ぎると春らしくなってきます。寒さの匂いが変わってくるのです。そして、別れと出会いの季節。
 例えば今日。クラスの生徒からいくつかの大学合格の報が。私自身ではどう努力しても入れないような大学名が並びます。先生として本当に嬉しい瞬間です。こういう言い方は不謹慎かもしれませんが、自分があきらめた夢を間接的に実現できるのです。
 今日、最も嬉しく、そして半分嫉妬したのは、『日芸の放送』でしょうか。いきなりクドカンの後輩かよ!この生徒に限りませんが、ともに勉強し、準備し、そして試験当日も大量のメールのやりとりをしながら、ほとんど自分も一緒に受験しているような感じでしたから、喜びもジェラシーもひとしおです。
 彼らはこうしてそれぞれの道を歩んでいくのです。ちょっぴり嬉しくちょっぴり悲しく…。この切なさが「もののあはれ」でしょうね。
 今日は、進路が決定している3年生のために、「予餞会」が行われました。3年生を送る会ですね。昨年は平原綾香の「明日」をチェロで演奏しました。今年は、軽め(重め?)のコントをやって盛り上げた(ドン引きさせた?)のち、レミオロメンの「3月9日」をヴァイオリンで演奏して、ちょっと切ない雰囲気にさせちゃいました。
 この曲は、私にとっては昨年から春の定番曲です。ただ、昨年の今ごろは、地元山梨でもそれほど有名ではありませんでした。今年はもう知らない人はいないでしょう。みんなしんみり聴いてくれましたよ。
 世間では「粉爺」…いや「粉雪」が大ヒット中ですが、ワタクシ的にはこちらがレミオロメンのベストですね。これほど心にしみる音楽は久しぶりです。まさに彼らのインディーズ時代、すなわち山梨時代を象徴する、温かさと切なさに満ちた曲であります。
 ここでも音楽的な分析を施すつもりでしたが、それも野暮ですね。ただ一言、シンプルな循環コードの上に、起伏に富んだ美しい日本語のメロディー、とだけは言っておきましょう。そして歌詞ですね。決して洗練されているとは言えない、しかし生きた人間の人生や生活に根ざした言葉です。
 「エーテル」について書いたとき、小林武史プロデュースについての心配は杞憂であったとしました。実は今はちょっと違った気持ちなんですよ。やっぱり、聴き込めば聴き込むほどに、小林臭が鼻につくようになってきてるんです。彼の天才ぶりはもちろん認めますし尊敬します。そして、レミオロメンも彼のおかげでこうしてメジャーになれたと思いますよ。でも…。
 ものすごく乱暴にわかりやすく言ってしまうと、ストリングスが邪魔なんです。ストリングス大好き人間の私でも、彼らの音楽には、それは不要というか、似つかわしくないと感じるのです。だから、「粉雪」のカップリングに収録されているストリングス・バージョンの「3月9日」は…正直何度も聴こうとは思いません。まあ、これは私の趣味の問題ですから、こうして公にすべきことではありませんがね。
 いずれにせよ「3月9日」は、私にとって、この季節の切なさを象徴する曲となりました。おそらくこれから死ぬまで変わらないでしょう。今日は一方で、来年度自分のクラスの生徒になるであろう中学生も登校しました。3年後彼らにもこの曲を贈ることになるのかな、なんてふと思ってしまいました。時は流れる。
 こんな素敵な曲を生んでくれたレミオロメンと山梨の風土に心から感謝します。

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